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2009年1月31日 (土)

ゲームの功罪4

最早ゲームを「避けて」行くことは不可能であろう。どうやったって子どもの目に入るわけだし、羨ましがるし欲しがる。「あいつだけが持っている」のと「あいつだけが持っていない」のとではワケが違う。超然性が必要と書いたが、子どもはそれを持たない限り、「持っていない」をずっと言われ続ける。劣等感を抱かずに済むのは稀だ。どうしてもと言うなら、他に夢中になれるモノを見つけるより手はない。

そうでないなら、「あるもの」として受け入れ、つきあい方を模索する方が、楽だしポジティブではないのか。

てなわけでオレサマ的結論である。まず、ゲームで第一にやり玉となる夢中になりすぎる云々は、親子の約束とすべき次元だ。先に書いた携帯電話の扱いと同じである。約束を守るのは大人の一歩。第一、のべつゲームしてる人は見苦しい。ダサい。

そして、功罪の罪への防塁。それは
「所詮、ゲームはカリカチュア」
と判らせること。世の中をモチーフにちょん切って制限付きで押し込んだのがゲームの中の世界なのだ。どんだけ名作と呼ばれるゲームであっても、自然そのものに比べたら遙かにツマラナイ。
こう書くと開発担当さんには屈辱かも知れないが、スケールもバリエーションも要するにみみっちい。「可能性」なんて視点で書けばゼロだろう。そんなモノ「だけ」、それ「しか」夢中になれないなんて、可哀想以外の何物でもない。
裏返せば、徹底的に自然に触れさせろ、ということになる。機械的にエサをやっても虫は育たない。身に覚えが無くても死ぬこともあるし、死んだ命にコンティニューはない。
ゲームの延長線に世の中を見ると、ゲームの外伸でしか捉えられず浅はかになる。対し足元から空の上まで見ていたならば。

ゲームは全部やっちゃえば終わり。自然は知れば知るほどもっと面白くなる。そして人は自然の全てを知っているわけではない。「人類は地球を踏破したつもりだが、知のフロンティは広大無辺」とか書いてる雑誌もあった。
君にゲーム機は宝箱に見えるかも知れない。でも君は、実は有限だが果てのない宝箱の中に暮らしている。
そのことを知るのは簡単だ、振り向いて、見回せばいい。

オレは君の「おとうちゃん、なんで?」が好きだ。

(おわり)

2009年1月30日 (金)

♪真っ赤だな

真っ赤だな。
真っ赤だな。
ソニーも日立も真っ赤だな。
代表質問道州制。

コッカイつーかコッケイなんだが。……今日のブログが手抜きなのはそのせいです。そーら工場いますから深刻なのは身に浸みてますよ。なのにまぁ。なにをか況や。

>麻生
阿呆。

2009年1月29日 (木)

ゲームの功罪3

「罪」

佃煮にされお裾分けしても尚余りある幾多の既存意見は書かない。ただ、この二つだけ挙げたい。

1.勝ち負けだけのコミュニケーション

確かに「みんなで遊べる」要素はあるのだが、「ゲーム」であり「勝負」である。従って、そこで交わされるコミュニケーションはこれである。勝ったか負けたか。勝てば優れていて負ければ劣っているのである。
これは最もなようでいて、全て正しいわけではない。
確かに「勝利」への意欲は種々の場面でモチベーションとなり、そのための知恵や工夫は人類を進歩させた側面はある。だが待って欲しい。実はそれ以上に人類を進化させたのは協力と協調だ。マンモスのような大型動物の狩り、寒冷の克服、猛獣への対処、農耕牧畜など、人類の生活様式は、集団で分担と協業をしないと成立しなものばかりだ。核家族の子育ては両親とりわけ母親に非常な負担を強いるものだが、これとて物資豊かな現代だからこそ核家族でどうにか成り立っているのだ。飢餓と隣り合わせで決して清潔とは言えず、猛獣が闊歩した原始は、「一族」という単位で子育てしないと、子どもが育たなかったに相違ないのだ。つまり、「優しさ」である。優しさが何であるかは、自分の振るまいを人から優しいと言われて初めて知るものだが、優しくされたことのない人間は、優しく振る舞うことは出来ない。子どもが育つことが出来るのは、乏しい食料を分け与える優しさが共存していたからと言って良い。逆に言うと子どもの頃は目一杯優しさを受けるのがあるべき姿であり、その体験を持って、人格も優しく形成されて行くのではないか。翻って、ギザギザのノコギリで互いに削り合い、尚持ってボロボロになった歯で更に傷つけ合うような昨今の子ども社会の殺伐は、こうした「早すぎる競争の投入」が背景にあり、それを受け入れる下地になっているのが実はゲームだと言ったら言い過ぎか。でも、引っかかるのだ。子ども同士で勝った負けたと罵りあい、他の子を下に置いてカタルシスを覚えるなんてことしなくてよし。そういうことは出来上がってちょっとやそっとじゃへこたれないやーらしー大人がすることだ。うんそう、ゲームの「功」で共通集約を挙げた。しかし共通集約で最も必要とされる要素を排除してしまうのがまたゲームだ。何という矛盾。

2.創造力の減退

情報を集約して知識とし、知識に基づいて「工夫」をし、新しい何を創り出す。これを「創造」という(カッコイイ~←バカ)。創造は人間が他の地球生命とひと味違うところである。
ゲームをクリアするには相当に頭を使う。敵のタマに当たらないように持ち駒を最大限生かして「工夫」をする。ただそれはクリアするための条件を探し当てる行為に過ぎず、その条件も人間が仕込んだものである。セットされているモノ以上の何かを新しく生み出すことはない。アイテム集めてもプログラムされたこと以上のことは出来ないし、
する必要もない(これ重要)。
対しゲームがない時代の「遊び」は、手持ちの全てと大地自然とで、「どうすれば楽しいか」工夫をした。同じコトの繰り返しは飽きを呼び、新しい刺激を欲し、冒険へ駆り立て、そして独自の遊びを生んだ。鬼ごっこの変形である「高おに」「色おに」更にドッジボールの要素も含んだ「6むし」など典型だろう。必要は発明の母、然りである。対しゲームの中で新しいゲームを作ることは出来ない。
で、翻って最近の若者は会社に入っても自ら動かない。指示待ちマニュアル人間が増えたと言われて久しい。これも説明書通りに操作し、最終目的が指定された世界に慣れきっているせい、と言ったら言い過ぎか。例えば鉄道模型の線路配置は「自分で好きなように」が基本だが、
「好きなように」と言われるとどうしたらいいのかピンと来ない
らしいのである。「オレだけ鉄道」を作れるのが醍醐味の趣味なのに、他人と同じコトして何が面白いのだ(同志諸君、いわゆる「実物厨」はまさにこれだ)。……ふと思ったが、女性と付き合うのが億劫と感じている男共、まさか恋愛ゲーム通りに動けば女性は付いてくると思ってるんじゃあるまいね。
必要とされる優しさは、持ってる優しさのバリエーションをフルに活用し、そこにオリジナルを被せてこそ「オレらしさ」となって女性に届くもんだ。そのためには、目一杯当たって砕けなくちゃ。優しさは痛みの裏返しでもあるんだから。なんてな(^^)

え?オチがない?うん。もう一回

2009年1月28日 (水)

ゲームの功罪2

「功」

「あるのか?」と訝る向きの方が多かろう。「罪」なら佃煮にして尚余るほど列挙できる。なので敢えて「功」の方を先に挙げてみる。

1.デジタル・ガジェットの登竜門

前にもちょろっと書いたが、携帯電話とパソコンがなければやって行けない世の中である。就職活動なんか「すぐ連絡が取れるか?」「情報にアクセスできるか?」もひとつの評価基準とまで言われている。そうしたデジタルガジェットを使いこなす上で、ゲームは恐らく最初に触れるものであり、抵抗なく本格的なデジタルガジェットへ移行して行くステップになるであろう。もちろん「ケータイ」の時代になってから見出された「功」である。ゲームウォッチやファミコンの時代には考えられなかった話。

2.もしもゲームがなかったら?

じゃぁ子どもに外で遊べと言うと、こういう事態に出くわす。

まず空き地がない。
あっても集団で遊べる「球技」は禁止だったり。
そもそも子どもが少ない→「みんな」で遊べない

こんな社会に誰がしたんだ?
実はゲームというのは共通の「みんな」で遊べる格好の道具だったりする。少子化で何もかもコンパクト化した挙げ句、電子化されて手のひらに入ってしまったわけだ。そもそも子どもの遊びには「コミュニケーション」「身体を動かす」「頭を使う」という、人間が生きて行く上で必要な3つの要素を全て含むが、うち2つは手のひらサイズになったわけだ。なお、ゲーム空間では世帯間格差がかなりマスクされることも重要視したい。差違はソフトのコレクション本数に現れるだろうが、ゲームで注目されるのは旬のものだけで、あっという間に陳腐化する。「今、何を持っているか」が重要なのだ。この辺り鉄道模型と全く逆の形質であり、「利点」である。ちなみに、オレみたいに「とりあえずバッタ取り」とか、「振り向けば山や海」なんて場合にも、趣味越えて共通の話題が持てるという点でこの「功」は成立する。また、諸事情で屋外へ出られない、身体が動かせない場合でも「ゲーム友達」は出来る。この辺はゲームが切り開いた地平と言っていい。

あ~まだ伸びる

2009年1月27日 (火)

誰かが私を陥れようとしている(はい いいえ)

会社帰りに量販店に寄り、掃除機のゴミパックとロジクールのマウスを買う。マウスは会社用である。
電車に乗ってしばらくして、突如けたたましくぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴ……
携帯電話?違うね、防犯ベルの誤作動か目覚まし時計か。
近いようだが音源不定。前に独り言を言っているおばあちゃんがいるが、周囲の目線に「わたしじゃないよ」。
最後尾に乗っていたので、そのうち気にした車掌氏が出てきてキョロキョロ。
挙げ句しゃがみ込んで目を止めたのは、オレが手にした買い物ビニール。

へ?

ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴ。
確かにオレのビニールだ。でも目覚ましなんか買ってないし、ロジクールのマウスが吠えるという話は聞かぬ(そんなマウスないわい)。
一体なんじゃ?
……!まさか。
Doaho
万引き防止タグ。
きしゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!←どこの語だ
もちろん、ちゃんと買ったものである。何がどうなったか、店のレジ係のにーちゃんが「同梱」(合コンとも同棲とも関係ない)してくれちゃったのだ。
「うわぁみなさんすいませんすいません」
身の置き場がないとはまさにこのこと。うるさいわ、万引きしたわけでもないのにこんなのあるわ。
狼狽える有様は傍目にはまさに犯罪者。オレが一体何をした←「生きているから」っての禁止
手に握るぴぴぴぴぴ、あ、ちょっと静か。されどギュッと握ってナンボ。
「すいませんがそうやって持って音量下げて下さい」
ちょ、レチ氏~
衆目と雰囲気とテレパシー。
ポケットに入れる。ぴぴぴぴぴ。だめ。
ハンカチでくるむ。ぴぴぴぴぴ。ノーグッド。
カバンに入れてみる。ぴぴぴぴぴ。ノオッ!←(c)後藤熊男
いたたまれなくなって次の駅で降りる。とはいえ下車駅の隣であり、歩いて帰れる距離。
駅構内に鳴り響くぴぴぴぴぴ。皆さん万引き犯ここにおります←だから違うっての
さてここで解説をする。この手のタグはレジでどうにかすれば収まるのだが、その後所定の位置に戻さず一定時間経過するとやっぱりぴぴぴぴ言うんだな。犯人が安心した頃うろたえる→そういうヤツ見ませんでしたか?そんな音聞きませんでしたか?と、なるわけだ。
さて下車客も一通りいなくなったところで問題はこの後だ。
普通に考えて電池無くなるまで止まらないだろこれ。そら後ろめたいこと無いから出るトコ出ても構わないんだが、うるさいのは単純に迷惑だ。
踏んでみる。げしげし。何とも。そりゃそうだ。革靴で踏んだ程度で壊れたら犯罪者皆そうする。
てゆーか駅でげしげしやってるオッサン怪しすぎだろ、皆さんここに(以下同文)。
駅に放り出すわけにも行かず持って上がる。ぴぴぴぴ言いながら階段上がり、ぴぴぴぴ言いながら改札を通り。イヤ別に新型の屁こき爺じゃないす。
ここから家まで徒歩12分。
ぴぴぴぴ言わせて歩くのか?
持って帰ってどうにかするのか?
途中で捨てる!?ご近所の皆様ここに(略)
とにかくまず構造を観察。
(自主規制)
……ふう。
これで普通の変人(充分怪しいわい)。まぁ、店に言って返すのがまっとうだろな。下手に処分して、心得のある悪者が拾ってバラしたら犯罪幇助だ。
帰宅して店にTEL。若い女性の声。かくかくしかじか……
「同梱されてまして電車の中で鳴りましてねぇ」
電話の向こうで目を剥く様が目に浮かぶ。そりゃ普通、客の側は怒り心頭で掛けるような内容だからねぇ。でもオレは怒るよりもこの手の物体のリアル動作モードに遭遇してヲタモード全開の感心しきり。
『それは大変申し訳ございません。えー取りに伺うように致しましょうか』
んなタグころたったの1個エネルギ使って取りに来なくて良し。
「ああ、ついでの時に持って行きますよ。それよりこれ(自主規制)でとりあえず黙ってますが、また鳴ったりしませんかね」
『可能性はございます』
あるんかい。で?そういう場合は……はぁ、そうですか。なるほどね。ちなみにトンカチでひっぱたいても壊れませんので念のため。
『私……が、承りましたので、ご来店の際にはその旨係りの者にお伝え下さい。この度は大変誠に申し訳ありませんでした』
まぁトラブル対処教育はちゃんとされてるみたいね。
皆さん、万引きは「泥棒」。窃盗という立派な犯罪ですよ。そしてこのように現在位置なり経路なりアシが付きます。

ゲームの続きはまたね。パトラッシュ。僕はもう疲れた_| ̄|○

2009年1月26日 (月)

こ、腰が

爆弾破裂寸前。
こういう時は寝てるに限る。

今日は以上。

スーパー・カリフラジリスティック・エクスピアリ・ドージャス←それで治るのか

2009年1月25日 (日)

ゲームの功罪1

↓友人宅にはWiiがあった。TVチェストの引き出しはゲームソフトの由。
彼とはタメだが、ウチには辛うじてDSがある程度。
テレビゲーム自体は任天堂が「ファミコン」(任天堂の登録商標)前に出していた太古機を持っていた。1977年頃のことだ。しかしファミコンが出た時、さんざデパートおもちゃ屋探し回って全て売り切れ、に遭遇して以降、情熱は冷めた。まぁ、鉄道ヲタクにゲーム機は必須アイテムでも何でもなかった、というのはある。ひねくれてセガ、値下げされたのでプレステ。それが弟の元に渡り5年、DSは鉄道模型を買っているいつものジョーシンで「入荷!」と書いてあったからという「たまたま」だ。

「ウチ普通にDSあるよ」
これは本日バレエ教室に娘を迎えに行った際、どこかの女の子が口にしたコトバ。「家になにがしかのゲームがある」というのはテレビ並みに当然の事、なのだ。「ゲームを持たない」を固持する場合、お子さんを納得させるには相当の労苦を必要としよう。しかも「ウチ有りませんが何か?」と開き直れるほど超然としていないと、友達づきあいで孤独を背負う。オレの時代既にそうだったが、鉄ヲタ同士で固まっていたし、猫も杓子もゲームって程でもなかったから、そこまで深刻じゃなかっただけ。

「あれ、『りんごの木』って書いてあるんだよね」
カンバンを見て娘が自慢げに言う。それこそゲームで『木』という漢字を『き』と読むのだとルビで覚えたのだ。オレは文字をオヤジがボカボカ買い与えた図鑑で覚えた。マンガを読むようになった頃(初マンガはドラえもん)、マンガのルビは必要なかった。大抵の漢字を読めるようになっていたからだ。
同じ事象がゲームで起きているのがこの時代というわけだ。

終わらん。とりあえず問題提起だけ。

2009年1月24日 (土)

あのさぁ

Aho_2
最近この手の検索で来る人多いんだけど、何が目的なのかな?
オフィシャルで無ければ無いんじゃない?
オレ圧縮相手にしてないから知らないけど。
Baka
SONIC STAGEなら変換できるっぽいから、板買って変換なさい。何も苦労して検索することもない。

友人宅急襲

スィートホームを立ち上げた友人に誘われ、お宅まで風花舞う中一走り。
11時32分到着予定、とメールをしておいたのだが、11分早く着いてしまった。ちっ←くやしいのか
落ち合って更に走り、お昼ご飯は鴨肉バーベキュー。「鴨南蛮そば」が工場給食で出てくるので鴨肉は知っていたつもりだが、別次元。そばつゆの味しかしないそれは本当に鴨肉だったのかと思うシロモノ。ごちそうさま。

愉怪な(誤字ではない)クルマの隣にぬーちゃん止めさせていただいてお邪魔「何にもないよ」。何を仰る大人同士のアンニュイな午後の時間。あ、モニタが吹き出した飲み物で汚れた方すいません。
こちらお子様が間もなく1歳。対しウチはもうすぐ小学校。当然子どもが話題の軸で。
要約すると。

はははははどうしちちのはなし。
ちちはちちどうしせんとえるものひについて。
で、Wiiを買うと筋肉痛になるという理由を知る。

……深く突っ込むな。アンニュイなんだ。
そんな冬の一日。

今度はウチにも遊びに来てね。線路しかないけど(笑)。

2009年1月23日 (金)

夢は空よりも高く

H2Aがそれこそ工場のおじちゃん達の浪漫、「まいど1号」持って上がった。これ要するに「コンポーネント」式衛星の実験機なんだな。
こういう提案で
http://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/cosmo/haihu18/siryo18-4-6.pdf
こうなって
http://www.jsforum.or.jp/event/contest/what/history/10.html
こうなった
http://www.ard.jaxa.jp/res/stdrc/a00.html
わけだ。衛星ってのは調整も修理も利かないから、「100%」の信頼性を求められる。従前そこ莫大なカネかけて解決していたわけだが、そこを「小さな100%」の集合体で何とかならないか×職人のワザってわけですわ。

軍事的野望を背景に国家レベルでの開発に端を発する宇宙機だが、ここに来て学校や町の工場で作れるようになってきた、というわけだ。見ている側はコタツで丸くなってみかん食いながらって点で変わっていないんだが、時代は確実に進歩していると言えるんじゃないだろうか。

ちなみに宇宙開発の次のエポックは有人火星探査だが、その前に21世紀になって幾つか惑星探査機が上がっている。

水星探査機「メッセンジャー」
http://www.astroarts.co.jp/news/2008/01/18messenger/index-j.shtml
何か持って行った訳じゃありませんよ。ヘルメスに行くからさ。

冥王星探査機「ニューホライズンズ」
http://pluto.jhuapl.edu/
人類が初めて冥王星に送った衛星。「ホライズン」……地平線という名には「その先」の意味がある。太陽系の末端、エッジワーズ・カイパーベルト領域の観測も視野に入れているのだ。

人類、それは地球史上初めて、地球外へ視野を向け、自分たちを囲む全てを知ろうとした生命体。

2009年1月22日 (木)

Friday Morning Blue

普通は「月曜日」である。会社勤めの憂鬱を言う。

取引先と打ち合わせの日程調整。
「では次回は2月13日の金曜日で……」
「いやその日はちょっと……上の者に確かめてイイですか?」
13日の金曜日、を嫌ったわけではない。担当氏携帯でルルル……。
「ああ、やっぱりダメですわ。その日は社長決議で操業停止です」
つまり、休み。昨今増えてきた生産調整である。
ただ、普通の「休日」とは様相が異なる。わーい休みになった、と喜んでる場合ではないのだ。
働いてねーんだからカネ払わねーぞ。
確実にその日の分のお給金がカットされるわけだ。でも、その日を生きなければならないのである。

別の取引先の方がふらりと。
「今日はどこの部署と?」
「いやそれがですね……」
派遣さんと期間社員を3月以降ウチの工場で引き受けてもらえないか。
「期間はまだウチの範疇ですから、自宅待機で少しの間様子見、って言えるんですけどねぇ。派遣さんは会社同士の契約になるので」
工場動かないのに1ヶ月分人件費払うのか、ってこと。
「会社が潰れちゃったら再雇用自体不可能ですしね」

5時前に再度会ったが、交渉結果は芳しくなかったようだ。まぁ、取引先への発注減らしているから、皆さんそういう事態になっておるわけで、当然、発注元は尚無理なわけで。

企業はサイズに応じた影響力を持つのだから、与える影響相応の社会的責任を、という意見は至極もっともだと思うが、実際は企業の側も辛いのである。しかも大体、「支える工場群」ってのは人情厚い親分肌の人が一代でそこまで育てたってのが多い。大口取引があるのは自慢だし、直接会話する社員達は仲間であり財産なのだ。面と向かって「お前契約終わりね」と言える人は少ないのである。それは築き上げた「信頼」とベクトルが真逆に位置するからだ。仮に面と向かって言える人がいたら、その会社は育つまい。
少なくとも日本では。
それは当然、その会社と、その会社と取引している我々との関係にも言えること。吸い上げるだけのシステムはいつか源泉が枯渇する。循環と還元が伴わないと結局吸う物がなくなって頭でっかちの木が倒れる。水、化石燃料、大地は足下で頭の上で雄弁ではないか。
だから、日本は循環し、還元を繰り返すように社会システムを作ったはずなのだ。これは花鳥風月と呼ばれる日本の自然に対する姿勢……そうした循環と還元こそが自然の本質と知っていて、故に自ずから、社会システムも似たような循環還元系に仕上がっていった結果だと思うのだ。いつぞや尻毛という地名について、土地の形や位置を人体になぞらえた結果と書いたが、逆に言えば日本では人間自身も自然の中に、自然のシステムの中に取り込んでいたのだ。
企業だけでは、社会は動かん(動けん)ぞ。住民票のある人に1万2千円。それ、真の還元か?

で、一昨日の記事に戻るのである。子は親の鏡、子ども世界は社会の縮図。

2009年1月21日 (水)

朝からオバマテレビはオバマネットもオバマで会社の前でも号外オバマ猫も杓子も皆オバマ

オレがアンタに言いたいのは一言だけだ。

「戦争、やめようぜ」

一番デッカイ大将がケンカ売りながら歩くのを古来より日本では最も嫌った。
P1210224 しかし大統領もケータイでメールかよ。ブラックベリーたぁ若いねぇ。

2009年1月20日 (火)

悲しき手のひら

携帯電話持ち込みに一定の方向性を ネットいじめ自殺受け、文科相
1月20日11時37分配信 産経新聞

 さいたま市立中学3年の女子生徒=当時(14)=がネットいじめを苦に自殺したとされる問題で、塩谷立文部科学相は20日の閣議後会見で、携帯電話の学校持ち込みについて、「実態調査を踏まえて、文科省として一定の方向性を打ち出したい」と述べた。

 文科省は今月下旬、全国で行っている実態調査の結果をまとめる予定。同省ではこれまで各学校での対応を求めていたが、事態を重くみて、国としての方向性を打ち出すことになった。

 女子生徒の自殺をめぐっては、「プロフ」と呼ばれる携帯電話の自己紹介サイトに「キモイ」「うまくすれば不登校になるかも」との中傷の書き込みがあり、ネットいじめが自殺の一因とみられている。

 女子生徒の自殺について、塩谷文科相は「理由のいかんを問わず、あってはならないこと。使い方も含めて指導を徹底してほしい」と述べた。

 携帯電話については、政府の教育再生懇談会が小中学校への持ち込みを禁止すべきと提言。塩谷文科相もこれまで「学校に携帯電話は必要ない」などと発言している。

……ネットニュース丸貼りだが、内容上著作権がうんぬんの問題ではあるまい。まぁ文句あるなら言って来いや。

多分これ、多くの大人が「そんなのやめれば済んだのに」と思うであろう。
周りに「やめちゃえ」と言う友達はいなかったのか、と思うであろう。

前者に対しては「面と向かって言われたならば?」と問う。教室で周りが自分の悪口を言っているわけだ。「やめる」ことができるのか?

後者に対しては、こういうことされて、周りの「友達」が信用できるか?と問う。ネットゆえに書いた本人が誰か見えないのである。「大丈夫」が保証されるのか?

そして両方に、それで中傷自体は収まるのだろうか。

手のひらのそれは、この世代にとって「喋る」ことと同一レベルのコミュニケーションツールである。音波と文字データの違いでしかない。距離や時間差を埋める「代用」ではなく、「そういう付き合い方」なのである。古くメル友とか言ったがそれとも違う。「バーチャルなリアル」とでも書くか、自分の分身がネットの中にいるのだ。心の出張所を電脳網の中に持っているのである。ネット遊びと言うが、これはリアルに対する息抜きとしてネットを覗きに行く場合に適用する。古くネットサーフィンなどと呼ばれた行為である。同じ「ネット」世界なので混同しやすいが、ネット遊びはバカンス的な概念であり、彼たちのネット世界はリアルの他に「もう一つ持っている社会」である。

例えばオレはここに「マイクロソフトバカ死ね」と怨念込めて書いたわけだが、読んだ殆どの方は「わははーリアル悪口書いてるよ。でもMS自体は相手にしないな。バカでぇw」と思っているはずである。ひっくり返して、何かブログコメで非難集中しても、それぞれにそれなりに返すだけである。これは、ここが「全世界に公開しているオレの落書き処」であって、書いてる自分も読んでるアナタもそれと承知しているからである。

ただ、その「承知」と書いた「承知」の根拠こそが実は非常に重要である。オレには幸いにも家族と友人と職場の自分の机があって、自分の存在位置(れぞんでぇとる)が確立できている。周囲が自分を認めてくれており、それを自分自身も把握している。コメで幾ら人格否定されようが、痛くも痒くもないのである。「何も知らない奴が勝手なこと言ってる」である。これがオレの根拠である。そしてそのつもりでオレが書いているもんだから、そういう「電波」(このブログに漂う気配・雰囲気)を皆さん文面から察知している。それがアナタの根拠である。以上両方揃っているので「落書き処」に落ち着いているのである。

翻って人格形成・自己確立期に彼たちが作るブログ・プロフについて見てみる。報道を鵜呑みにするなら多くリアル社会の側面で同時進行している場合が多い。既に良くも悪くも「出来上がった」オッサンがおもむろにネット社会に進出、とは意味合いが違うのである。リアルで自分の落ち着き処を探しつつ、全く同じ感覚でネットでも探しているのである。リアルとネットが同価値なのである。だから何気ない一言でもリアル同様に真に受け、しかもそれが残り続けコピー増幅されるから深く傷つく。対し、面と向かって言えないこと、遊び半分でも、ネットの匿名性ゆえに軽々に口にできる。と、こうなるわけである。

何度も書いてるし、再度論拠挙げたが、デバイスは何であれ「ネット禁止」が何の効力も持ち得ないことは明らかであろう。たとえ本人が見ていなくても、「どこかで何か言われているかも」という想像は、一旦始まると止まるところを知らない。そこでオレは物語の主人公に「私はあなたの全てを認める」と口にさせ、彼女たちの背後に全面支持する「大人」を配したのである。この結果、彼女たちは中傷の矢面に立ったとしても、「痛くも痒くもない」のである。

寓意を書いてしまったが、そんな大人になる、これこそこの問題における「大人の役割」であるというのがオレの信念である。ネットやばいからネット禁止、は大人のすることではあるまい。プロフに出任せの酷いこと書かれてへこんでるアナタ、そいつらにはアナタを見る目がないのだ。小説書いてる?んじゃ見せてよ。

オレが何かできるとすればそんなもん。そんなもんでも、何とかしたい。

※09/01/22追記。その「物語」へのリンク。

2009年1月19日 (月)

8年前からやってきた音鯖

「古い機械が今なお動く」
という現象は、物を大事している裏返しとして、多くの場合好意的・肯定的に捉えられる。
原理だけで動いているプリミティブな機械ならそれは大体正しい。扇風機、炊飯器、エアコンも入れて良かろう。オーディオに至ってはコンピュータ制御の最新メカより真空管アンプの方が〝ナロウでメロウ〟と逆にもてはやされたりする。
でもコイツはどうだろう。

ぱそこん

「古くなった」という理由で買い換えられる筆頭の機械がこれである。しかも最新の機械で何か新しいことが出来るようになったかというとそうでもない。ただ新しいのは「より綺麗で早い」だけであり、逆に古いのはその真逆で、ゆえに「陳腐」なのである。それ以上でもそれ以下でもない。
問題は古くて陳腐でもある程度使えることだ。この「ある程度」がくせ者なのである。捨てっちまえば何も問題は発生しない(!)のだろうが、「動く」のである。「壊れた」わけではない。どころか、壊れたと思いきや後から復旧したりする。義父宅ノートパソなんかHDDがクラッシュし、液晶のバックライトが消え、キーボーもトップが外れと「壊れた」状態だったのだが、光ドライブが生きていたばっかりに、CDが読めた。結果半年後前よりでかい(10GB→130GB!)ディスク積んでXP入りで見事に復旧してしまった。win98で義父宅に「IT革命」(最早死語だな)をもたらした前世紀マシンが、1000円キーボードにハードオフの8000円モニタ、802.11gの無線カード挿されてサブマシンである。実際、ネット閲覧とデジカメ写真の吸い上げなら十分出来る。

しかしこの繰り返しだと「ネットとメール専用機」がゴロゴロすることになるのは目に見えている。実際、我が家にはその地位に落ちぶれた(?)ノートが1台ある。マイハニーとスイートホームで生活を始めた際に(あ、モニタが吹き出した飲み物で汚れた方すいません)ネット特売をポチッとやったNECの12インチである。XPプリインストールの初代機で2001年。プロセサはAMDの800MHz。メモリ192MBハードディスク20GB。MPEGデコーダを積んではみたがDVD再生するとギクシャク。文字通り「微妙な」スペックなのである。当然時代に追いつけず、2005年にエプソンの14インチにメインの座を奪われた。
ただそれでも暫くは妻が内職で拾ってきたヤフオク出品の下請け、そしてオレのワープロ代わりと、サブマシンとしてそれなりの用途はあった。ところがそこにエイサー君が入ってきて様相が一変した。何せ取り回しがいい上にドライブさえ繋げばDVDもOK。実家帯同も含めたサブマシンの用途はエイサー君に移行、エプソンがデスクトップとして鎮座ましまし、と、NECのれぞんでぇとるは完全に失われてしまったのだ。しかも「微妙」なスペックだから、下取りに出そうにもジャンクは自明だし、「動く」もんだから捨てるに忍びない。押し入れに突っ込んでも無用の長物。コンピュータは使ってナンボなのである。
で、仕方なくタタミの部屋鉄道で線路のお守りをさせていたのだが、どうせならBGMでも鳴らしてくれやで光ドライブとオンキヨーのプロセサを繋いだのが以前書いた「さぶさぶ」なのだ。
以上前書き(本文より長いという話も)。

ちょくちょく書いているがヘッドホンステレオHi-MDである。ディスク作る際には、「オーディオ的ダビング」も出来るように、システムから光ケーブルを一本生やしてある。しかし九分九厘パソから「そにっくすてーじ」でデータとして移している。光ケーブルは変なコピーガードでパソを経由できない際の非常用と言って良い。

で、パソから景気よくユーロビート鳴らして電車転がしながら、そろそろMDの「スーパーユーロビート」編集し直そうと思っていたことを思い出した。同じ物長く聴いてると、飽きの来ない物とそうでない物がどうしても出てくる。再度篩いに掛けようというのである。
ただこの作業はパソをそれなりの時間占拠する。エプソン様が鎮座ましますのは隣の部屋で。

……!。このNECに「そにっくすてーじ」突っ込んだら?
以前「はぢめてのオンキヨー」で重畳するノイズに超常識的な苦悩をしたことを書いたが、「そにっくすてーじ」は自体音響プロセサ的な側面もある。
何 よ り ソ ニ ー だ 。 音 質 的 な 抜 か り は な い だ ろ う 。

NECよ。君の次の仕事はミュージックサーバだ。

ソニーのサイトからダウンロード→インスコ→USB2.0にHi-MD繋いで認識成功。「そにっくすてーじ」はフリーウェアである。何で音楽専用機にフルビット書けるソフトは無料で、ケータイに192kbps書き込むソフトは有料なんだ?

聞きながらながら選んでヒョイヒョイ。ちなみに「そにっくすてーじ」コントロールパネルでのボリューム操作は効かない。これはオールデジタル処理でUSBからオンキヨーにデータが出ていることを示す。もちろん、それこそは目指した姿。

HDDが小さいので、ナビの音鯖みたいにボカボカ適当に放り込んでおくことはできないが、そこそこの音で編集できる「オレ編集機」出来上がり。

ま、壊れるまで使ってやるからがんがれ。
P1190223

2009年1月18日 (日)

その時期が来たらしい

「DSやっていい?」
多いわけではない。「お茶犬」「どうぶつの森」「プリ」んなもんだ。しかし毎日なにがしかピコピコやっている。
全否定でもないがオールOKでもないし、見る限りゲームを通じて文字を覚えているという側面もある。ゲームを理解したいがために学習意欲(!?)をそそられている部分もあるのだ。

なんと悩ましい。

夢中になりすぎると他がおろそかになるというのは悪影響と言って良く、それは中毒性嗜好品と副作用の関係に似ている。依存症になるのである。こういう場合、明白な「悪」の証拠がない限り、頭ごなしに「やめなさい」では何の効果もない。言われた方も「なんで?」であろう。で、明白になった頃には手遅れだったりする。あまつさえはタタミの上で電車走らせながら「いいかげんやめなさい」……説得力まるでなし。

それでもウチはまだマシな方かも知れぬ。普段声を荒げたり手を上げたりすることがないからである。そこまでされるのは相当なもんだという認識が娘の中にできている。ただ、そういう圧力背景な禁忌はやりたくない。アメリカの走狗じゃねんだ。

う~ん。

と、悩むこと10秒。オレ自身ここに書いているではないか、学生携帯電話禁止問題は要するに義務と権利の問題に集約できると。同じであろう。
だったら、約束を守ることの第一歩にできるはずだ。そしてタタミの上の電車こそは実践の良いアイテムになる。「その代わり、家事に手を出す」(あくまで手伝うとは書かにゃい(笑))だ。

「キミがおかあちゃんとお掃除しててお父ちゃんが一人だけ電車運転してたらヤでしょ。それと同じ」
「は~い」

……いいのかなぁ(^◇^;)

2009年1月17日 (土)

娘の自慢

春の発表会へ向けてバレエのレッスンが今日からラッシュ。
土日は全部潰れる、それはオトナ目線では「うへえ」なのだが。
「ずーっとだよ?」
「うん」
これは大変さの想像が付いてないというより、娘には「綺麗なカッコして踊る」だけに過ぎないので、本当にしんどいと感じていないんだな。好きこそものの上手なれ。ホントかな?
夕刻迎えに行くとクルマに乗るや開口一番
「今日ねぇ。おねーさんたちと一緒にレッスン受けたんだけど~、おねーさん達スキップで足が上がってないから~。先生が~あたしに~『やって見せてあげて』って。でねー『幼稚園児に負けるな~!』って」
こ、これわ先生の籠絡?
「そおかぁ、いつもそうやって『見せてあげて』言われるように頑張れよ」
「うん」
壁はいつだろうって考えるのはオレの心が汚れているのか単に娘が無垢なのか。
あ、モニタが吹き出した飲み物で汚れた方すいません。
帰宅。玄関ドアを開けて開口一番。
「ねーねーおかーさん、あのねー今日ねーバレエでねー」
よほど嬉しかったらしい。
って書いてるオレも親バカかぁ(^^)

Iridescent+(総括)

この板タイトルが「虹色」なわけだが、確かにいろんな五條真由美を聞くことが出来た。セルフプロデュースで自作のリリックを含むものもあるから、五條さんが「歌いたい方向」をまとめたものと捉えて良いのだろう。彼女の声は楽しめる。それは確実である。

ただ、率直な感想を言えば、「物足りない」。素材はいいし美味しいのだけど、もっと「来て」欲しい。冒頭エンジンに喩えるならアクセル半分の印象であり、もっと踏み込んで振り回してみたい(振り回されたい?)。実家の百万円システムが灼熱するまでエネルギを投入してみたい。まだ行ける、もっとボリュームを上げられる、もっと声を頂戴。アキュフェーズのフルビット、Z11の電源限界。スタックスがびびるまで、ボーズが破けるまで。五條真由美の声はそのくらいのポテンシャルがある。録音ちゃんと頼むぜ>マーベラス

疾走系はプリキュアと被ると書いたが、シャウトするまで早くはないし、ファルセットも聞いてみたい。囁くよりは呟きを。語るよりは響きを。何と言ってもスケールを。

翻って「物足りない」に対して提案が許されるなら、まず何より「ことば」が欲しい。微妙で僅かな違いを描き分けるために用意された美しき日本語たちの数々を声にして欲しいのだ。ヨコモジより四字熟語。四季の移ろい花鳥風月。
囁くために呟くために、伝えるために届けるために。豊富に言葉があってこその五條真由美の声だと思うし、その声だからこそ微妙な違いを表現できる。そう思う。「ふんだんに言葉を駆使する」ことはプリキュアの枠ではできまい。

恋歌。言葉で殴りつけて来るような、暴風にも似た熱い思いを聞いてみたい。叫びも出るしファルセットも出てこよう。大人の恋。それは散ったと知った時死すら意識する程の強い感情。好きと言うよりは強奪に近い。掻きむしるような、煮えたぎるような。
震えるような。

それとアカペラ、或いはピアノかストリングスのソロをバックに。切なく、かわいく、柔らかくやられたらノックアウトだ。本作にも入っているが、もっと欲しい。

まぁ色々書いたが、虹色といわず千変万化百花繚乱いろいろ歌ってみてー、声聞かせてー。と本人が目の前にいれば言うであろう。殊更にコンセプチュアルである必要はないと思う。小さく縮こまるのは勿体ないし、まだ早い。今後「大人の女の声」に変わって行くと思うが、そうなればそれはそれで「そして世界は広がって行く」はずだ。

久々に夢中になれる声に巡り会った。
おかわりまだ?(笑)。

・システム
名古屋リファレンス(PD-M580/D-T1/DSP-AX4600/ATH-A900)
カロッツェリアx(RS-D7xII/RS-P1x/RS-A1xII+RS-A2xII+RS-A2xII/TS-T1x+TS-M1x+TS-W2x)
Hi-MD(MZ-RH10/MDR-EX700SL)

2009年1月16日 (金)

Iridescent+(B面)

↓カロッツェリアX併用

8.ジョアン

本人作詞。歌詞の意味調べちゃいけないんだろうね。寓意かどうかも含めて。ただ聞く人それぞれの経験によって色んな見え方がするでしょう。オレ?ソーダ水の氷がカラン……

9.青が目に沁みる

クリアネスブリリアントブルー。オレのブログの常連さん向けに書くなら「オリエント急行のブルーと真逆のブルー」。もっと来て、もっと来てイイ。冬の夕暮れの大都会を転がっているのにクルマの中は別世界。

10.Private Smile

こーの男殺しめ(笑)。これも期待していた路線のひとつ。そーいうことその声で歌にするのかっ!。



実にいいぞ。オレも殺されてぇ。誰だうらやましいヤツは。
一人でリズム刻みながらクルマの中で聞いてる分にはいいけど、これ大音量で聞いてるの妻に見られたくないなぁ。

11.35℃

「+」の曲。でも秋風なんだよ。でもって男が聞くと……女性が聞くとまた違うだろうね。語るは野暮、と。

12.DIAMONDS

「ノッてくる」例のひとつとしてオレは聞いた。大体コーラスが絡む場合はメインに対して控えめってのが多いが、……くっそーネタバレになってしまって書けないじゃんか。カクテルパーティ効果で耳が抽出してる、ではない。

13.赤い花(with PIANO version)

ピアノと声だけ。
「願い月」も同系だが、実は凄い贅沢なんだ。だって声の比率高いんだから。だけどもっと欲しい。もっともっと欲しい。終わるな。

(でもスピンドルは止まる。TOCメモリに保持して待機)

箇条書きしようか
●買い?
買いだろ。
●好き
2.3.6.7.9.10.
9.を一席に選定する。
●惜しい
13.→理由:実は録音が、なのだ。リリックに対する寓意で割っているなら首肯するが、オーディオマニアとしては眉間にシワ腕を組み。歌自体はイイ。

総括、しかしその前にちょっとここで切りますよ。

2009年1月15日 (木)

Iridescent+(A面)

2回に分けるが、ついでなので懐かしい分け方にしてみた。A面B面書いて判らない世代の方が多いんだろうなぁ。
「+」の意はオリジナルに比して。インディーズ系(あにまーと)で出ていた由。
セルフプロデュース。つまり五條さんの意思によるチョイスでアソート。

以下PD-M580+D-T1+AX4600+A900「名古屋システム」。録音は正直、曲ごとのバラツキが大きい。

1.Birth

その昔この手のは「ガールポップ」と言った。スタンダードで安心できる作りであり、1曲目として無難。「あ、違う」と明確に思うであろう。「Birth」なるほどなのである。
リズムに合わせて指をパチパチ言わせたくなるアップテンポでゆったりと伸びやかに、って感じだが、音質的には輪郭に付帯音があり、「うーん、惜しい」

2.ワケあり

これは「あり」。どんな?と訊かれたら五條真由美っぽいとオレなら答える。爪磨いて~なんて出てくるので、「これは」と思ったらやっぱりリリック大森さんでニヤリ。延長線とは書かないが黄金の東海道本線であって(なんじゃそら)やっぱり基本軸線はこの方向なのではあるまいか。録音はOK

3.願い月

リリック本人。「+」になって追加された曲。
まず方向性は「いっぺん聞いてみたかった」タイプの一つ。すなわちシンプルなバックでヴォーカル主体のスロー。ヘッドホンかぶって目を閉じてOK。いいよ、響かせて、響かせて、もっと引っ張って。欲を言えばリリック。月は季節で表情が違う。大きさも変わる(地球との距離が変動する)。相乗効果で色も違う。あなたの声なら描写可能であろう。織り込んでいいと思う。金星と木星の並びにそれと知ってケータイのレンズを向ける人だから言うのである。例えば今オリオンを追って昇って来た冬の月に、冷たさを見るか、無垢を見るか、寒さの中を強く照らす輝きを見るか。

4.In My Way

リリック大森さん。2と同じユニットなんだが、2とは少し「設定年齢」が違う。
うん……で、これはオレが男であるせいだろうね。この方向ならもう少しメカニカルというか、男っぽいゴツさが欲しい。能書きでBMWのMシリーズを引き合いに出しているが、まだまだしなやかだ。輪郭には触れるんだが核をガッと掴むまでは、というか。すかっと見通しがよいのは確か。

5.6年ぶり

リリック大森さんだが触れない。男がコメントするのは野暮だから。
こういう方向は合うと思う、とだけ書いておく。

6.セピアブルー

「切ない」系も欲しかったひとつ。ただこれはその「入り口」という印象。というのも、甘酸っぱかったり苦しかったり更には歯を食いしばってしまうような……と、いろいろあるから。まずは「行けるねぇ」と得心したところ。

7.Rainbow~ヨリミチニムチュウ~

板のタイトルからしてタイトルトラックになるのだろうか。作詞本人。
これは素直に面白い。あまりアレンジ・エフェクト噛ますよりは純粋無垢ストレート系が似合う声だと思っていたが、この路線はアリだ。ダイヤモンドの加工職人が原石に震う気持ちが判る。ブリリアントに表情が変わるもんだ。ふわふわ……キラキラ……。こういう寄り道なら歓迎。

(針がスーッと戻ってターンテーブルが止まる)

2009年1月14日 (水)

Iridescent+(冒頭の能書き)

Photo
五條さんのソロ。オレがオレの趣味でオレが聞くために購入。07年発売の板で何を今さらの感はあるが、「Rose……」聞いてから追いかけてみようかと思ったから仕方がないのだ。まぁ許せ。

五條さん説明するには「プリキュアの歌のお姉さん」と書くのが判りやすいし現実的である。「張り」があり「伸び」がある声の持ち主であって、ハイトーンでは「女の子」の部分がチラッと顔を覗かせるのは先に書いた通り。他個人的にはバックトラックが走れば走るほどノッてくる、よどみなく出てくるタイプであり、スケールが広がれば応じて声を朗々と響かせ、バックに負けず腰を据え曲の重心を下げる。そんなイメージ。それは変な喩えだが、アクセル踏めば踏むほど反応し吹け上がり駆動力を生み出すBMWのしかも「M」シリーズのエンジンを思わせる。フルスロットルで疾走するプリキュアシリーズは「当たり」「はまり」と書いていいだろう。

対し当然、この板は全く違うコンセプトで作られていると想像できる。疾走系はプリキュアとダブってしまうからである。「当たり」は宝だとガンダムの富野さんが言ったことはオレも書いたが、「当たり」は創作者には宝でも表現者には決して宝とは限らない。ショーン=コネリーは幾ら金を積まれても三度目のボンドは拒んだ(ネバーセイ・ネバーアゲインはこの辺で深い意味がある)。山田康夫氏は「何やってもルパンといわれる」と苦笑されていた。「中の人」という見られ方は表現者にとって「複雑でビミョー」なのだ。それこそ「ワタシはワタシでワタシじゃない」からである。どこで読んだか忘れたが、
「女性は結婚して姓が変わり誰々さんの奥さんと呼ばれるようになり、子供が生まれると誰々ちゃんのママと呼ばれるようになる。こうして姓も名も失う」
首肯される人多かろう。
オレは確かにきっかけはプリキュアだったが素直にこの人の声が気に入った。大音響で聞きたいと思ったし、書いた通りそれに見事に応えた。だから「プリキュアじゃない五條真由美」を聞いてみたくなった。で、この板をポチッとやった。
まずはHi-MDで聞いてみる。パソでコピーしてイヤホンはEX700。MDのイコライザーは変わらず反ドンシャリにセット。ビットレートはもちろんPCMフルビット。60分ほどなので「Rose」他数曲プリキュアから放り込む。
……以上今日は能書きだけ。

2009年1月13日 (火)

ソニーらしさ

赤字だって。「当たり前だろう」ってのが盛田でミソ買った(※)オレの結論。だって最近のソニー製品って全然面白くない(ヲタ心の琴線に触れない)し、クオリティも高くない。え?「ブルーレイ」はキレイだ?そりゃ扱えるデータ量が多いだけだ。情報の密度と速度だけの話で「質の高さ」とは話が別。「そういう規格」なのだ。新幹線は250キロ超で走れる「そういう規格の鉄道」なのだ。そして新幹線電車にもピンからキリまである。ブルーレイでもピンかキリかは話は別。「質」とはこのピンキリを指す。

今オレがソニーに飯食うより先に言いたいのは、有機ELのフルHDをもっとデカイ画面で出せということ。あれに比べりゃ液晶なんかどれもクソだ。Aちゃんがどう褒めても倍速でデバイス叩いても、「所詮液晶」である。コントラストドンシャリの静止画を映すメディアだ。最新型がブラウン管より再現性に劣るとは何事だ。実家はテレビがくたばってきたのと親の利便性を考慮して液晶で地デジ化したが、オレ自身が液晶を買うつもりはさらさら無い。96年モノのワイド画面トリニトロンが今日もS端子スクイーズでHDDレコーダの画像を受けて頑張っている。有機ELで26インチなら50万でも買ってやる。

オーディオも然り。「ES」(えくすとれめんたり・はいすたんだーどとか言ったっけな)ってどこ行っちゃったんだよ。
http://www.sony.jp/audio/lineup/component_hifi.html
中域に芯を置き、ピラミッドバランスの腰の据わった音を出す正統派ハイファイオーディオコンポーネント。ウォークマンからエントリークラス、果ては「777」「999」、一連のヘッドホン群まで貫かれたそのコンセプトは非常に明確で心地良かった。は?AVアンプにESって付いてる?ヤマハやデノンの後追いがES名乗るな。まずマルチチャンネルソースを高いセパレーションで分離解像してワイドレンジで音出すアンプ作ってこい。DSPで遊ぶのは「素のまま」が高いクオリティを持ってからの話だ。

ソニーとの付き合いは親がトリニトロンを買ったことに始まる。以降テレビはずっとトリニトロン。オーディオだってウォークマンでありアンプであり。ビデオも8ミリビデオカメラDVカメラ。何かしらソニー製品があったと言って過言ではない。実家がZ11以前は9000ES+555ESJ+330ES×2の全ソニーだったのは書いた通り。

違和感を覚え始めたのは「MD」とプレステからだ。MDは何をどう理由付けしても結論としては質を落とした。プレステは本体赤字覚悟のソフト頼み。それらは「ちょっと高いが質も高い」……だからやっぱり欲しいというソニーのイメージを外れた。

行き着く先は凡百の映像表示装置、音響再生機器の大量生産メーカだ。パネルを半島とか亀山から買って何が「ソニーらしさ」だ。規格オリジネータのライセンス商売屋に成り下がったとしか思えない。会社としてはそれで実入りがあるのだろうが、視聴者に出てくる視聴装置はぶっちゃけ寄せ集めのハコと回路にSONYと書いただけじゃんか。

何か新しいこと、極めて質の高いものを求めた結果、新しいフォーマットの訴求につながった、というならまだ話は判る。CDだって根底にはPCM録音があったわけだし、EDベータなんか究極のアナログ録画機を追究した結果、8mmビデオ→更にHi8は現クオリティをギリギリまで小型化したものだろう。ハイビジョンだってソニーとNHKの産物と言って過言じゃない。その結果、21世紀のテレビ規格のデファクトスタンダードになった。

でも今のソニーに感じるのは、その時代の「惰性」「亡霊」だ。画素増やして階調増加させれば情報が増えるのは当たり前。後はそれを必要時間内に処理できる回路とデバイスが揃えば良い。カネと密度の問題であってオンリーワンでもシンクアナザーでもない。単なる「方式」。ナニ?高速情報処理「技術」?高密度実装「技術」?どっちも要するに精度の問題で、「新しく」はないでしょ?

ソニー……東京通信工業は、原点が「再現装置」の会社であって、再現装置、及び再現装置に送り込むための「伝達装置」「記録装置」の「質」を追求してきた会社だとオレは思う。今の規格で最高を求め、限界に達したらその上を提案し、それの最高を求め続ける。そうやって切り開いて行くチャレンジャーだ。規格だけ(しかも単なる高密度化)作って装置は寄せ集めの質はそこそこ、安く作って宣伝で売りさばく。MDに至っては見てくれの小ささを求めるために質を犠牲にした。

そんなの、ソニーのやることじゃねぇ。

カセットウォークマンの開発エピソードが正しければそんなモノはできなかったはずだ。あれは井深さんだったか盛田さんだったか忘れたが、「この質で小さくしろ」と言われて出てきたはずだ。その心意気を受け継ぐなら、ATRACなんてまやかしに頼らず、DATを地道にいじったか、いきなりHi-MDが出てきただろう。

確かに、オールデジタルの時代、アナログ→デジタルみたいなドラスティック・ジャンプアップ技術としての「ソニーらしさ」が見つからない苦悩は理解する。だったら、もう一つの根本である地道な質の追求になぜ傾注しない。揶揄される「ソニータイマー」払拭に努めようとしない。重ねて書くがMDR-EX700は高級感で煽ったドンシャリのクソだ。見てくれで誤魔化そうとした「苦おリア」の亡霊だ。

質で勝負しなさいよ。結局、人間の五感とのインタフェースはアナログに戻す必要がある。最終的な映像や音の形態は無数に存在するし、そのためのデバイス手段も星の数ほどある。そこを知り尽くして「これがベストだ」と出してくるのが「ソニー」だろう。違うか。ソニー好きが求めているのは新しいフォーマットでは決してないのだ。羨望の眼差しを注げるような質の高さだ。質を上げるために新しい規格を立ち上げるならついて行きますってスタンスだろう。「フォーマットの命は10年だ」馬鹿者。だったらアキュフェーズのノーマルなCDプレーヤがなぜ売れる。

「この製品はこんな工夫をしました。だから質が良いです」そういうのをまず出してこい。「ソニーらしさ」は、その工夫のアプローチ方法に対して顧客が下す。有機ELはその筆頭(現状唯一かも)に値する。だから早く出せ。人寄せパンダにするな。これで半島に出し抜かれたら本当に只のアホだぞ。
実はこてんぱんのEX700はソニーらしさという点では「惜しかった」のだ。耳の穴に耳の穴よりデカイ振動板をあてがうことに成功したのだから。ただ、高速で大きなストローク取ればスケールの大きな音になっただろうに、実際の音の作りは低音出すのに必死の安物スピーカーに近似。つまり能率下げて鈍くして、バランス取るために上持ち上げて……まさかやってないだろうね。寝ぼけたデバイスのテレビを歌手のネームバリューで売るのと変にコンセプト統一しなくて良し。そういや「こくーん」なんて今の時代なら「家鯖だよ」で理解されるんじゃねぇの?電磁調理器もNゲージも……まぁいいや。

「大会社のできないことをやり、技術の力で祖国復興に役立てよう」

捲土重来を期待する。

※盛田のミソ……盛田昭夫氏の実家は常滑の酒蔵「ねのひ」。ミソも作っている。

2009年1月12日 (月)

日々是音響的悦楽

てなわけで3連休実家詣で。中央道雪に付き東名で悶々と。
ほぼずっとアンプに火を入れていた。普通にテレビ見るにもアンプに回しているのである。「メタモルフォーゼ!」が6発のスピーカから降ってくるのだ。殆どビョーキである。
でもそれがまた心地良い。
のみならずオーディオ的整備にいそしんだ連休であった。母携帯については書いた通りだし、ついでにMDも聞けるようにしてきた。ラジカセと接続する光ケーブル、アナログをラジカセに回すステレオミニジャックのプラグを用意。CDからのダビングとラジカセで聞く方法を伝授。もちろん、つなぎ替えれば携帯の音をラジカセから出すことも出来る。
「あーアタマが混乱する」
脳への刺激はボケ防止。
で、名古屋に帰る最終日、飛脚が持ってきたのがこれだ。
Hi380090
マイルス・デイビス。
後ろの黒いヤツ「ゴールドムントの120万円の中身」にSACDの表示が出ているが、それが目的である。1956年録音のアナログをリマスタリングしたもの。Z11との接続はHDMI、DACもZ11の中のユニットである。
SACDは20kHz以上も含まれていることが何よりのウリだが、そこから想定されたギンギンの解像感よりは、柔らかさと余裕が第一印象。多分大排気量のクルマを100キロ程度で優雅に転がす感覚に近いのだと思う。放射されるエネルギ量はSACDモードの方が多く感じる。情報量は格段に多いから当たり前?
ただ、アナログマスターの悲しさか、音の輪郭にはひずみとビビリがあった。この辺については完全デジタルマスターで再度確認したい。
さてアンプでさんざ遊んで帰路につくが、ここでは娘の退屈しのぎにDVD再生を行った。「秘密の花園」(1993年ワーナー)である。吹き替えバージョン(2CH)→IPバスでカロッツェリアX(powerd by GOING)にデジタルで直入。
まず映像的には厳しい。みなしごメアリーの暗い現実描写から始まり、明るい花園へと移るため、夜のシーンが多いのだ。車載の液晶で階調表現力が必要なソースを流してはいけないのである。名実共にアニメ向き。
音は収録レベル自体が低いせいか、ボリューム表示-19dB前後まで引っ張る必要があった。普段高速道路+プリキュアで-48dBであるから、ゲインはメチャ高い。しかし歪むでなくクリップするでなく、ロードノイズに負けずキチンと出し切ったのは流石と言うべきか、デジタルだから当然、なのか。
さぁ明日から仕事。しかし音悦楽は明日も続くのである。

2009年1月11日 (日)

ドコモの端末で音楽を聴くまでの遠く長い高コストの道のりの記録

…長いタイトルだなオイ。 母親(娘にはばあちゃん)よりリクエストが2つ。
・携帯電話を新しくしたい
・音楽を手元で聴きたい
母親の現有電話は「F881」…「らくらくホン」である。簡単で表示もでかいが、やりたいことは限られる。特にメモリ容量に起因する画像保存の制限や、ワンセグ非搭載は大きな不満だったようだ。 ならば、最新型のオールインワン携帯にすれば、全て解決するではないか。あう使いに転身したオレはW43Hの経験から単純にそう思った。

ここでまずW43Hの経験を書く。買うと端末本体以外にUSB接続ケーブル、CD-ROMが標準で付いて来る。買い足したのはSDメモリカードチップと、ヘッドホンを接続するための変換アダプタ。 CD-ROMには携帯と通信するためのドライバソフトと、メモリ管理ツールが入っている。これらをインスコすればアドレス帳は勿論、音楽データをCDからコピる事もできる。つまりSDカードとアダプタを買えばヘッドホンステレオが成立する。 対しドコモはどうか

Hi380088
NTTドコモN-02A
「らくらくホン」ユーザが一足飛びアッと驚く最新鋭フル装備端末である。「薄い」という理由でこの機種。「ボタン表示の数字の見やすさ」でこの色。5万円。それでも我が輩の愛したN101の半額である。実はボタンの見やすさは03の方が上なのだが、機能がバッサリ。「帯に短したすきに長し」ドコモの伝統(もちろんイヤミですよ)健在である。…オレがドコモに惚れ直す時は当分来ない。

さぁ、端末手にして目標は「携帯音楽プレーヤ」にすること。

・パソコンとの接続

手段1:USB接続→専用ケーブル買え
「在庫在りますか?」 「ないですねぇ」
だめじゃんか

手段2:SDカード利用→著作権保護機能付きSDカードリーダライタ(買え)+音楽転送ソフト(ダウンロード販売なので買え)

・ヘッドホンとの接続→変換コネクタ購入

パソとの接続は否も応なく2となった。最も、カードリーダライタでデジカメのデータ吸い出しは現在でもしているし、端末でのSDカードへのアクセスはフタを開けるだけで容易だ(あうでは電池の下)。
携帯を転送モードにしてWMP(うぃんどうずめでぃあぷれーや)で音楽データのビットレートを変換して…とやるより、カードを挿して専用ソフトで曲リストから選んでコピーの方が判りやすく、孫ある身には理解できる限界であろう。

ハードそろえてソフトを入れて、カードを挿して音楽CDようやく登場。

何とここまで端末選んで24時間経過。手段が2通り有り、ハード・ソフト・手順…。
買って初めて2通りあると判りの。コネクタの構造を知りの。著作権管理システムの存在が判りの。買い揃えのインスコしの。
あのなぁ、Z11でマニアックなフォーマットのメディア再生しようってんじゃねーんだぜ?
ケータイに192bps圧縮音突っ込むだけだぜ。

どんだけ手間とカネ掛かるんだよ。

ちなみに「音楽プレーヤとして使いたい」とはドコモ店員にも言ったが、手順とハードとソフトの説明は全く要領を得なかった。出てきた言葉は「お支払い方法はどうしますか?」「料金プランはこうなってますが」「こちらお入りになりませんか?」ドコ向いてナニ言ってんだよ。カネ出せカネ出せカネ出せ。ああ、時間当たり何人相手にするかの方が大事だろうよ。あんたにはね。…オレがドコモに惚れ直す日は更に遠い。

さてCDから楽曲を落とした。ここまでで半分だ。再生をしたいのである。 Hi380085_2
再生。あうならアイコン並んだメニューからSDカードにアクセスしてデータ→ミュージック→PCフォルダ…で、楽曲のリストにたどり着き、ボタンを押せば音楽が聴ける。
あるいはメニューから音楽を選んでも良い。ミュージックプレーヤ→全曲リストで同じ画面に行き着く。
Hi380087
対しN-02 まず「らくらく」風のかんたんメニューにしておくと音楽再生は不可能。アイコンリストにせざるを得ない。 「文字サイズを中に設定しますか?」 イエスにしないとこうならねーんだ。 メニュー→データbox→ミュージック Hi380084
…CDからコピるとどのフォルダに入るんですかね? SDオーディオでいい?。あ、あった。ちなみに、ダウンロードした「着うた」なんかは、「移動可能コンテンツ」に書き込むと、SDカードに書き込まれる。判らんべ? 再生方法その2。メニュー→ヘッドホン型のアイコン→ミュージックプレーヤ
Hi380084
…あら同じ画面だわ。

「音楽を再生したい」それだけである。何でこんなに複雑怪奇な手順・階層にせにゃならんの。
とまれこれで電話とメール・ネット使った曲落とし・音楽再生・ワンセグと、主機能ほぼ使うことになる。それでも分厚いマニュアルの一部分にすぎないし、これだけしかやらないのにマニュアルのあっち見てこっち見てハードそろえてソフトそろえてインスコして…はぁ、はぁ。理系なんだぜ?オレ。

0点。何でも出来るがバカ。但しメカに罪はない。

あのさぁ、ユーザーインタフェースのとりまとめやってるドコモの中の人、誰?

2009年1月10日 (土)

precure meets accuphase and DSP-Z11

五條さんの「Rose in rose」を実家システムに放り込んで聞いてやる。と前に書いたが。
Hi380081
やってみた。
多分、この板を再生したシステムとして最も高品位な事例に属するであろう。
確信を持って。

・2CHピュア

-30dB位まで引っ張ってみたが応じたスケールの大きな音になった。
解像感とクリアネスは立派。ただ、五條さんヴォーカル定位はかなり大きな像になった。32インチの日立液晶の半分位の大きな「口径」になる。正直残念という気持ち。最もカーネギーホールのライヴ盤と比べての「残念」であって、パンポッドで「置いた」音でここまで出れば上等。アキュフェーズで引っ張り出して破綻がない。それだけで十分すぎる高品位である。

・更にスタックス

Hi380082

アンプ部「SRM-Xh」スピーカー部「Signature」。Z11のREC-OUTからRCAピンで放り込む。究極か愚の骨頂か。
とりあえずこの曲が持つ全情報を引き出すことに成功したのではあるまいか。まずバックトラックはギターが全体を支配する、重心の低い音の風。

そこに遙か高みから五條さんのヴォーカルが降ってきて目の幅に焦点を結ぶ。それはそのまま上記2CHのスケールミニマム写像。

浮かび上がり現れた立体音響空間はまさに音だけで描かれた一つの宇宙。頭の中に音が充満し、その粒子一つ一つまで歪み無く解像されキラキラと飛び交う。

なんというゴージャスな5分間であろうか。その至福は耳だけが味わう事を許されたのだ。この贅沢。子供たちに聞かせてあげたい。

ここでひとつ判ったのは、五條さんの声には「女の子のかわいらしさ」がハイトーンの時にちらっちらっと顔を覗かせ、それが作品世界の基調と良くマッチしている、ということ。なるほど「プリキュアの歌のお姉さん」なのだと納得した次第。

以下試したもの

・ソースダイレクト

2CHとサブウーハに抜かれる。ウーハは殆ど動かない。アンプさんローパスを100Hz位に入れたらしいので、重心は低いが重低音は入っていないということ。まぁ、ベースが入ってるわけじゃないみたいだしねぇ。また、ピュアに比してヴォーカルの位相が回り、像がボケる。フィルタのチューニングが不完全と言えばそれまでだが(YPAO丸投げ)、逆に言えばヴォーカルがちゃんと録ってあるので、帯域フィルタの特性が出やすいと言うこと。

・DSPとの相性

映画系

ダイアログ重視であるSci-FiとDramaを試したが、DSP上記位相回りの分をリアに回してしまうので広がりすぎる。

音楽系

ヴォーカルをセンターに落ち着けた方が良さそうなのでRecital/Operaとする。狙い通り五條さんはセンターへ。バックトラックをDSPが「音の姿をした風」に仕立ててくれた。これが一番相性が良さそうだ。

しかしまぁ。オレってアホだなぁ。

2009年1月 9日 (金)

イスラエル問題【4】

歴史書をコピーするのも面倒くさいが、そんなわけでこの土地は多様な民族に十重二十重に支配されている。更に権力と宗教と民族が混然となって正当性を主張している。これは譲り合わない限り結論が出ず、譲り合いこそが唯一の結論であることを意味する。よくある「原理主義」は、殺人を正当化している時点で全て却下する。どれも殺すための宗教などではない。むしろ聖なる戦いとはそうした「宗教の名を借りた狂気」を予言し、惑わされるなという意味ではあるまいか。例えばイスラームというと中東でテロでというステレオタイプが出来上がっているが、エルサレムから天界を旅したという預言者は、どう調べても寛大な男という結果にしか至らない。極東の学生の首を切ってサイトに載せるという蛮行と結びつかない。蛮行がどれだけ「原理」を貶めているかあの者どもは気づいているのだろうか。いや、思いを致すくらいなら誘拐して殺す手間を貧しい人のために使うはずであろう。

象徴としてエルサレムに集約されるが、この街は3つの陣営それぞれにとって聖地である。これは聖人と預言者がそのように仕向けたという気がしてならない。彼らは相互に(すなわち過去を)否定したりはしていない。今生きている者たちが勝手に解釈して勝手に戦争しているだけである。

「仲良くしなさい」

単純で美しく、誰にでも判り全てを解決する。これほどのメッセージは他にあるまい。
平和の「原理」として実に理にかなっているではないか。

2009年1月 8日 (木)

イスラエル問題【3】

宗教はプリミティブには畏敬と崇拝に端緒を見る。
足の下の大地、光与える太陽、水、炎。
大地の女神ガイアであり、天照大神であり、ケルトの渦巻き文様でありゾロアスター。
追って「イノチの循環と継続(もののことわり)」の判ってきた人類は、これら聖なる源をも「大いなる何者かが生み出した」と考えるようになったようである。その大いなる存在こそが「神」と総称される存在であろう。この点ゼウスは「神々の王」であり、旧約聖書において神は「父」とされる。これらは八百万が統括される過程を象徴しているのではあるまいか。

また人類自体、一族郎党という単位から村へ、民族へ、国へと次第に大きな集団になり、応じた体制に変わっていった。昨日の年表において、最後にアレキサンダー大王が両文明を串刺すように出現しているのは、これを象徴している。

この二つの収斂にアナロジーが取れることに注意されたい。そう、やがて王権と宗教的象徴が同一視されるようになる。神から授かった権威となり、やがて自身が神になるのだ。ニーチェのコトバを借りるならこの段階で適用するべきであろう。畏敬と崇拝の対象は大自然と天体から、それらの源から、離れてしまったのだ。

つまり、どっちの陣営にも言いたいのは「皆殺しにしろ」なんて元々どこにも書いてない。

(つづく)

2009年1月 7日 (水)

イスラエル問題【2】

豊かな土地、は戦乱とはまるで逆の平和なイメージを与える。実際現代日本は豊かで平和である。昨今少々格差が生じて社会不安と治安の悪化を招いているが、夜空を見上げてミサイルが降ってくる、なんてことはまず無い。うん多分無い(と、地図の斜め上を見てみる)。
しかし、それは歴史の中では幻想に過ぎない。ここで地理的に近いメソポタミアとエジプト王朝の栄枯盛衰を引く

楔形文字出現(文明確立)BC3000頃 初期王朝の確立(ギザのピラミッド)
アッカドの侵入と戦乱  BC2200頃 戦乱期
バビロン王朝(ハムラビ法典)BC2000頃 王朝復興
ヒッタイト勃興 BC1800頃 戦乱期
バビロン王朝(カッシート) BC1550頃 王朝復興(ツタンカーメン・ラムセス)
エラム(アラム)人侵入 BC1050頃 戦乱期
アッシリア成立 BC 750頃 末期王朝(アッシュールバニパル侵攻)
BC330頃 アレクサンダー大王
バビロン没落 BC50頃 プトレマイオス・クレオパトラ
紀元元年周辺  ローマの支配下へ

どっちも文明をはぐくんだ、すなわち人々が定住した豊かな土地である。しかし双方とも同じような時期に戦乱があったり異民族の侵入を受けている。
実はこれらの時期には、地球規模の寒冷化・気候変動が生じている。「それまで通り」がうまく行かなくなった時代なのである。戦乱の根底には「無くなったら奪い取れ」の対象として「それでも尚豊かな土地」が目を付けられたのだと判断できる。このことは、「先住」に根拠を求めることは不可能であることを意味する。

(つづく)

2009年1月 6日 (火)

イスラエル問題【1】

またどえらいヘビーなネタですが、ライト感覚で皮肉を込めて。

まず書けるのは2000年以上続くケンカの仲裁に「とりあえず味噌カツでも食って落ち着け」ってセリフが使えないこと。なぜってどっちの陣営も豚肉禁止。

この手の禁忌は「生活の知恵/恵みに対する感謝の伝承」が発端である場合が多い。例えば手元にあるのは聖書なので十戒とか引っ張ってくると、どっちの要素も含む。
その線で行けば豚肉でまず思い浮かぶのは例の生肉は危険という話。他方、「豚のように」というと悪いイメージに使うが、豚って野性を飼い慣らした結果なんだよね。つまりそれでも人間が古来豚さん家畜として飼育しているのは「役に立つ」からであって。端的には豚さんって人間が食べない/食えない/食わなかった/食った後、の物でも文句言わず食べてくれるのよね。「残飯」「生ゴミ」なんてコトバは本来無いのよ。さもないと定住なんか出来なかったはずだよ?だから「食うな」とあっても「殺せ」とまでは言ってないでしょ。

今読む我々は学術的な見識を背景に理性的にこうした書物の意図を解釈すべきだと思うのね。「だから食ってもいいのだ」とは言わないが、「食うな」の背後にはこんな理由もあるのかな、と理解した上で、従うなら従う。ただ闇雲に悪いイメージだけで「豚」と言ったら豚さんに失礼だもの。そもそも神様必要なイノチだから生かしておられるのであって。イノチの価値に貴賤無し。

以上聖なる書物を目にするに当たっての前提。

んでは本文。

人類史だ地球物理学だ関連の書き物目を通すと、人類アフリカ出て地球全体へ広がったいわゆる「グレートジャーニー」の過程で一旦落ち着くのがこの辺一帯なのよね。そもそも人類は狩猟採集の生命だから、エサ無くなれば動く流離いを宿命にしているのだけど、そんな人類が「居着いた」つまり恵み多き大地ってことがまず言える。確かに水と塩(→「死海」って何が有名?)が得られて海が近くて麦が育ち動物が沢山。わざわざ他へ行こうと思わないわけですよ。

(また明日)

2009年1月 5日 (月)

仕事始め

スーツ着てコート着て手袋してイヤホン付けて。
着ぶくれた電車に乗って駅で降りて交差点を渡る。
年末来三度目か派遣切りハンターイとテレビカメラ。
偉いさんの年頭挨拶を聞いてゆる~い部分から仕事。
5時で切り上げて心療内科寄って、1週間何もせずで調子の良くない腰を引かれに病院へ。
仕事始めから病院のハシゴだぜやだねぇおい。
帰宅して8時。録っておいた番組をHDDからちょいちょい。
最近ウチの娘さん番組に解説を加えて下さる。「笑点」の漫才見て「漫才の道は厳しいねぇ。オチが重要なんだよ」……6歳児の発言に思えないべ?「天テレ」で検索してご覧遊ばせ。
さて「世界の車窓から」を挟んで吉村氏のエジプト特番。
……なんぢゃこら。
最近民放のこの手の番組は「一応録っておいて」後からつまみ食いにしている。CMの入れ方が腹立つだけだし、本質から逸れた下らない無関係が多すぎる。池上のハイビジョンで何垂れ流してんだオマエラ。視聴者バカにしてんのか。
飛ばす飛ばすで45分経過。スフィンクスがどこ見てるかなんてどうでもいいじゃねえか。しかもそれ某トリビアでさんざんガイシュツだし(ケンタとピザハット)。
はぁ、吉村さんの最近の見解は太陽光の広がりを表現ですか。
それだけ判れば結構です。後いらねーよ正直。
「エジプトの妖精はねぇ……」
娘さんの解説が始まるがスイッチオフ。
風呂入るぜ風呂。何時だと思ってるんだい。

2009年1月 4日 (日)

初詣の名目と実態

妻がお出かけ電波を目から放出するので熱田神宮へ向かう。地元の氏神様と熱田様と両方参ってようやく「初詣」フルセットである(なんぢゃそら)。
地下鉄で最寄り駅に降りると人大杉。さすが200万都市×神社のネームバリューである。香具師(このヤシは本当の使い方です)の皆さん頑張るテキ屋の軒先をかすめつつ、ん?
「……キリストは命です」
そういう人たち。ドコでナニやってんだよオマエラ。土着に敬意を払わないのはニセモノです。
鳥居くぐってお手々洗ってぞろぞろ歩いてパンパン。
「つかれた~おなかすいた~」
「ちゅるちゅるたべようか」
「たべる~」
この神社は中できしめんが食べられる。その名も「宮きしめん」。ここでしか食べられないので通販可。ん?
さて宮きしめんへ赴くと食券買うにも大行列。しかしきしめんは名古屋駅立ち食いの経験ある方はご存じの通り。吉牛と同じくらい短時間で出てくる。ゾロゾロ並んで受け取る有様工場弁当の麺の如し。ああ、明日から会社か……。
「食券こちらへー麺3つーお待たせー」
Hi380079
娘さんかぶりつくが……
半分でギブアップ。おいおい油揚げもシイタケもネギもそのまんまで麺だけ食ったんかい。
お盆を両手に空席待ちの皆さんがおいでなので掻き込んで立ち上がる。
さて今後の予定はみそかつ「矢場とん」で晩飯用のカツを仕入れることと、デパート街ぶらり。
対して
「あるくのつかれたー」
キタコレ。
予想済み。大須に出るわけだし。
「あまーいの、食べに行くか?」
「うん」
見事なまでにスイーツ(笑)なオンナです。
地下鉄に乗って大須の商店街。結構ワンサで、よそ見すると人に当たる。
「まだー?」
あそこだ。納屋橋まんじゅう
我々は抹茶セット。渋いだろ。娘は栗ぜんざい。
「お腹いっぱいー」
あのな。
さて甘味を含んだところで次は矢場とんカツを揚げるのに時間が掛かるので、オレだけ早足で店へ。いようメイド喫茶のお姉ちゃん正月からご苦労さん。←4日だっつの
矢場とんビルに着くと相も変わらず行列。あのーテイクアウトも並ぶ必要アリ?
「いいですよ~」
わらじ、ひれかつ、くしかつ。
トンカツ持って栄を闊歩。ゴスロリねーちゃん晴れ着のねーちゃん。ブーツにダウンの小学生。おにゃのこばっか見てんじゃねーよオレ。
松坂屋をトンカツ持って縦断跋渉。買うモノあるかい?無いなら帰ろう。

今日もたらふく食べました。

そう、今日は初詣の仮面を被った名古屋メシの日……

2009年1月 3日 (土)

日々是鯨飲馬食

元日はすき焼き
二日は煮魚だが刺身追加
そして三日は都合二人前の焼きそば

で、何やってるって模型の列車転がしてる。

しかし太らないのだ。非常に燃費が悪い。

これでいいのか?←反省だけならサルでもできる

日誌

起床9時。
朝食9時半。
10時線路の清掃。
10時半掃除機で一回り。
11時車輪の清掃。
11半より運転。
12時半昼食。
13時より運転。
17時テレビ。
18時夕食。
19時ネット。
19時半入浴。
20時娘の寝かしつけ。
20時半より運転。
23時就寝。

……何かヘンなコト書いてますか?ワタシ。

2009年1月 2日 (金)

本日は全て1等車指定席となっております。

Aho
あ、はあ

手前からヴェニス・シンプロン・オリエント・エクスプレスもどき
編成 F+Lx+Lx+B+WR+Lx+Lx+F
オステンデ・ウィーン・オリエント・エクスプレス
編成 F+WR+Lx+Lx+Lx+F
プルマン・オリエント・エクスプレスをイメージしたフリー
編成 F+P+WR+F
そしてノスタルジー・イスタンブール・オリエント・エクスプレス日本国内仕様
編成オニ+YU+F+WR+P+B+Lx+…+Lx+マニ

所属しているワゴン・リ車全て並べてみました。想像以上のまさに壮観。
模型走らせている時は何がしか音楽を流していますが、こうなるとクラシックじゃないとサマにならない。コーヒーがいつも以上に美味く感じます。

Orientexpress88

しかし欧州車を日本型が牽いてる。それがそれなりに絵になる。で、現実にこれが存在していたという不思議。
ちなみに実走行時は着飾ったプリマドンナがゲタ履いたような印象でしたが、模型の方は上品に仕上がっています。

至福。
あ、もっとヲタな話はこちらへどうぞ。

2009年1月 1日 (木)

一年の計は元旦にあり

がんたん ぐわん―   【元旦】 元日の朝。元朝。

するってぇと10時起床。モチ食って買い物に出てすぐに昼飯、というオレの一年は。

食っちゃ寝か。

……。

変わらんやん。←いいのか

あけましておめでとうございます。本当におめでたいかどうかはさておき、旬の話題ということで今日は紅白歌合戦について考察を深めます。おめでてぇヤツだなオレ。
皆さん見ました?コレ。

率直な話見る気さらさらありませんでした。ただ、妻がエンヤ好きだし、娘はポニョと「みんなのうた」の影響でアンジェラ・アキが見たいと言うし。
そこまでの感想をストレートに書きます。苦痛。ただその一言。おかしい。こんなに、こんなに痛々しい番組にいつ劣化した。

子どもの頃大晦日にチャンネル権などありませんでした。レコ大→紅白→NHKゆく年くる年が黄金の不文律でした。そうやって12時まで特認で起きているのが最高の楽しみだった。

思えば「ウォークマン」の登場以降、歌はパーソナルなエンタテイメントに変わり始めたように思います。みんなで同じ曲を聴く、ではなくて、それぞれが好きなように好きな曲を聞く。「こんなののどこがいいの?」という反応が出てくるのは当然の成り行きでしょうし、小ヒットがそれなりの数という「薄利多売」系へのシフトは仕方のないことでしょう。「みんなで見られる」には、巨大な吸引力が要求されるのは自明です。曲自体、歌い手自体、その双方が強い吸引力を持たないと「見る気しない」になる。

対し芸能界はプロモーションでどうにかしようとし、NHKは2部構成として八方美人的な陣容としました。
結果数ばかりで質が下がったとは言えますまいか。
アイドルが出てきても注目されるのは曲でも声でもなく外見とお喋りです。「歌」に重心を置いたアイドルなどいない。
それで「歌合戦」……無茶な試みと言われて当然ではないでしょうか。

苦痛、と申しました。上げたお三方以外の全員に失礼に聞こえます。でも実際苦痛だった。
歌唱力のある方もおられました。でも一緒に他人が出てきて妙な演出。そっちが苦痛でした。盛り上げようとする悪あがきにしか見えない。ネットスラングに言う「 必 死 だ な 」です。
そればかりか、巷間人気といわれる、あるユニットを初めてゆっく聞く機会がありました。抑揚のない曲想に凡庸な歌詞しか見えませんでした。圧縮オーディオを常日頃皮肉っている私ですが、あれなら64kbpsでいい。だって主旋律が追えて歌詞が判ればいいんですから。

以前は日本のポップスCDをガラガラ買っていました。今継続的に追いかけているのは渡辺美里くらいです。相川七瀬とかフェイバリットブルーとか手を出したこともあります。そしたらCDの供給が途絶えてしまった。

ウケようとするな。信じるもの歌え。ちなみにアンジェラ・アキが終わったら即寝ました。

>ぱふゅーむ
個性を大事になさいな。上記「苦痛」からは除外しておく。

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