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2010年3月13日 (土)

死生観【戦争と共に】

「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すなかれ」(戦陣訓)
 
いわゆる「軍部による自決推奨」の根拠とされる文言。確かに、「捕虜として恥を掻くくらいなら、罪人扱いされる前に死ね」と読める。一方で「恥ずかしい戦争犯罪者となってまで生き残ろうとするな、死んだ後も罪人として名が残るようなことをするな」とも読める。真意がどちらかは東条英機に訊かないとワカラン。その議論は研究者に任せる。
 
ここで取り上げたのは、前者の解釈が納得できてしまうということ。「潔く死ぬ」これが日本人の心理に根本原理として醸成されていないと前者の解釈は出てこない。
 
歴史を知る自分が振り返るに、日本人は命に対して最高の価値を与え、相応しく美化した。それが価値観そのままに価値自体暴落したのが戦争である。無茶な突撃、投降より玉砕、無差別爆撃、原爆。全て、命の価値観を保ったが故の、無意味・無価値な死になった。何かと引き換えに命、ではなく、犠牲を経て何か対価、でもなく。無論20世紀の後半を費やして築き上げた先進国日本の姿が、大きな意味では得たものかも知れない。しかしそれは後付けの物言いに過ぎない。
 
そして何より、日本人は戦争であまりに多くの死を見過ぎたのではあるまいか。


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