工場を訪い東上し帰還す
って、工場の話を書いても仕方ないのであるが。
一つ言えるのは、往年「職人芸」(カン・コツ・出来映えで確認)を最新のエレクトロニクスで武装するのはそれら職人芸を定量化・数値化する必要があり大変なんだな、ということ。
さて。
九州は母親の郷里で要するに「おじいちゃん・おばあちゃんの住んでるところ」であったせいか、今でもパラダイス感、非日常感がつきまとう。新関門トンネルを抜けて明らかに違う九州の陽光を浴びると異世界に来たとの認識が今でもある。幻日に迎えられたならなおさらだ。
比して東上という行為は、山陽新幹線の300キロ運転が西明石以西であることや、神戸・大阪で人がわちゃっと乗ってくることもあって、徐々にテンションが下がり、そして日常に取り込まれ、戻るという経過をたどる。「いつもの風景」に回帰するのである。
でも、そこには非日常の痕跡がちゃんとあるのだ。
>水戸岡さんへ
885いいんだがイスの革がケツ滑るざんすよ。そこだけ。
今日は以上
« 新幹線で西下し、アルファ線を浴びる | トップページ | 春のイライラ »
コメント