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2015年3月13日 (金)

刹那の世界に生きて

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「即戦力」という言葉が定着して久しい。だがしかし待って欲しい←いきなりの天声人語的論理すり替え
この言葉、就職とりわけ中途採用に対して用いられてきた。日本は長く春に新卒採用という流れに対し、中途採用の条件として「即戦力なら」というわけだ。それが最近、職に就く条件一般として持ち出されるようになっている。学生がいきなり働けるかバカ。ちなみにバイト経験なんか挨拶位しか役に立たない。会社はお金を管理し、失敗を避けるためのそれぞれ独自の指揮命令許可系統を持っており、それを即座に把握し、最初から的確なアイディアを出して上長の承認の下、オンスケでプロジェクトを終わらせる。これが「即戦力」である。多くの場合、「採用予定は無い」と言い切ると法に触れるので、「お断り」をオブラートに包むための詭弁に過ぎない。

しかし社会全体を見渡すとき、「すぐ結果出せ」は、ある種パラダイムシフトのように浸透してきているように感じる。会社なら「成果主義」は年単位だし、「V字回復」なども短期業績の合い言葉だ。技術の展望を見据え、「この頃にはこの技術が習熟するからこんなものができそうだ」…そんな長期展望は却下される。結果、既存技術の寄せ集めのしょっぱいアイテムに成り下がり、大して中身も無いのに凄そうに謳って高値で売りつける、「プチぼったくり」が横行する。スマホなんかいい例だ。しかもスマホの場合、セコい回路とOSのバージョンアップで、「古い」のは自動的に使えなくなるビジネスモデルを構築している。技術者の道義的責任としては間違いなく真っ黒である。その「戦略」こそ技術だという人もある。だがそれはテクノロジーではなくテクニックだ。腰痛の牽引に行ったのにイキナリ血圧を測って寄越した千葉市内の整形外科を思い出す。医は算術。

困ったことに社会のムーブメントになっているので、創作活動もそれ当然みたいな流れが出ている。音楽では「アルバムが売れない」。トータルでコンセプトや世界観を歌うのがアルバムというスタイルだと思うが、聞く側は好きな奴しか聞かない。オレだって例えば映画「トップガン」のサントラは「Danger Zone」「Mighty Wings」だけぶっこ抜いてある。連載マンガは毎回クライマックスと「次どうなるんだろう」があること条件。イヤちょっと待てよ実生活でそんなことそうそうあるかよ。ここ気付くと一気に冷める。

共通して一つ確定的なのは、刹那に結果を求めると「視野が狭くなり底が浅くなる」ということだ。ビジネスで言う「結果」というのは「膨大なインプット」からベストオブベストを抽出して「価値」に高める作業を言う。ローズオイルには膨大なバラの花を消費するのだ。従い、アウトプットのサイクルにミニマル化を求めると、インプットも応じて縮まる。ここで狡い人はこれまでのインプットから小出しにして切り繋ぐが(プチぼった\(^o^)/)大抵そういうのは見透かされていて、「次はこの辺で来るからちょっと待とう」と、こうなる。スマホを小さくした時計型端末とかその典型で、さんざん煽っているが、実のところ心拍カウンター付きメール着信報知器以上の新たな利便は無い。腕時計サイズで問題ないアプリをスマホから移し替えられますってだけ。

そしてお気づきの方多いと思うが、この流れは創造・製造を疲弊させる。生み出す能力の低下を招く。「アイドル」が「グループ」になり「名前は継続して順次メンバーを入れ替える」はこの対策と言えば納得できるだろう。メディアは派遣社員を使い捨てと喧伝して叩くが、そのメディアの顔たるテレビが他ならぬタレント(もっと言うと少女)使い捨ての本拠地だ。「即戦力ビジネス」本丸と言っても良い。「いじる」と言い換えられた、欠点をあげつらって下卑た笑いを取る行為など最たるもの。それこそ刹那的の極致であろう。

更に言うと、これは見ている側への洗脳効果を発揮し「で、なければならない」「それが普通/当然」という視聴者や子供を生み出すことを恐れている。薄っぺらでいいんだとなると、薄っぺらなことしかしなくなる。世代一回りすると日本という国を転がすのに必要なアウトプットが総じて薄っぺらくなる。今これを読んでいるアナタがその「浅薄の拡大再生産」に気付いたならば、どうぞ止めるよう尽力いただきたい。分厚い、びっしり字だらけの本や資料から吸収し、最後のパズルの1ピースがはめ込まれたような喜び、システムを組み上げて行く楽しさ、そして収斂してアウトプットにする、そういう思考の大切さをどうぞ知って欲しい、教えて欲しい。

ちなみに短歌や俳句はそこから想起される時空スケールが大きいほど感銘を受ける。字数上は刹那そのものだが、実は究極の収斂芸術・文学だと思っている。それが脈々と生き続ける日本なら、今の刹那な流れにそのまま流されない、そう信じている。

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