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2017年4月 5日 (水)

再編の始まりか?

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ビクター系の楽曲配信サイト「HD-MUSIC」がサービスを終了する。「みろハイレゾの詐欺がバレてきた証拠じゃ」いやいや。

ココの場合、間違いが2つ指摘できる。まず、開設が遅きに失した。その分、金銭的お得感や「ココだけのコンテンツ」などで囲い込みが必要だったが、いずれも先人の後塵を拝した。ポイントが付くわけでなし、ここでしか聞けないものがあったわけじゃなし。他で十分足りる。選ぶ意義はない。次に「単なるビット拡張」をハイレゾと称して売ってしまった。「ニセレゾ」まで言わんが、どう理屈をひねり出しても44/16のデータ変形以上の何物でもなく、だったら44/16のまま安価で売れやってことになる。ハイレゾは「レコード時代の名盤」をアナログからハイレゾに起こして売っているもの非常に多く、応じて「高価格機器を持つ高年齢層」が買うようだが、アナログを近似状態でデジタル化していることに意義があるのであって、元々CDフォーマットのデータを拡張したところでそれ以上のものにはならない。なまじハイレゾ手を出す層はそれなりの知識があるので、理論が言うこと以上のものにコストは投じない。

まぁ、誰も困らないだろう。しかしビクターのやることは何もかも中途半端だ。剛胆さがないというか。そうオリジナリティのないことばかりしてると、存在そのものが希薄になるぞい。

さてこれはダウンロードしてストレージに置いておく配信の話だが、クラウドから常時流し込むストリーミングでも「乱立共倒れ」から「共存生き残り」へ向かいはじめたと聞く。良く書くが、昔レンタル音源をカセットテープにダビングしていた代わりが、スマホで動画を見る。なのだ。コンテンツがタダで視聴できる以上、金銭を動かすにはそれ以上の「価値」が求められる。その点、ストリーミングのお気に入りに入れておくのと、動画のお気に入りでリピート再生に何らかの差は見いだせない。「タダで見聞きできないならいらない」「タダのやつだけで十分」こうなってしまう。「アイドル」が集団で喚いているだけじゃダメだし、再生機器にコスト投じて応じた成果が得られないとダメである。そして二つのダメダメは金出す主義の音質オヤジが最も嫌う双頭であるから、誰も金を出さない。こうなる。そのくせ?そのせいか?売る側は円盤にインセンティブ付ける。「お金出してちゃんと音楽を聞く」層が置いてけぼりになっていないか。そういう層を「開発・覚醒」させる気はないのか。

アーティストの楽曲を広げることが主体だろう。円盤を売りさばくのが目的ではあるまい。

Kalafinaの新曲を落とす。歌詞カードも購入者特典も無いしフラゲも出来ないがハイレゾ。

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歌詞データくらい付けてクレメンス。

2016年11月 7日 (月)

短歌スイッチ

結社(同人サークルのような物。作品を月刊誌で発表)に属してしばらくになる。ここで「壁」を感じている。

「短歌にしてえ!」という感情が突如わき起こり、実際三十一文字が紡がれて出てくる、という経験は10代の頃からあるにはあった。そのわき起こるタイミングでたまたま笹公人さん(Eテレドラマ「念力家族」)のラジオに接する機会があり、作品が取り上げられた。で、結社に誘われた……のであるが。

突如わき起こる、をコンスタントに誘発することは難しいのである。意図的に短歌を詠もうとすると、記憶の映像と文章に関するテクニカルなエンジンが恣意的に疾駆される。だがそれは短歌としては不自然なのである。読めば画面が思い浮かぶ、でもただそれだけ。それが現状の自己評価。一つ判ったのは何かテーマを決めて縛らないと散漫になってしまって感情を惹起するような領域に至らず、そぎ落とさないとギュウギュウに詰め込んで31文字にまとめただけ、になる(テクニカルな部分)。この辺、理屈をねちねち積み上げて行く理系的な思考論述が邪魔をしている。要するに詩人ではないのである。リリックな風景を日常から切り取る感性が圧倒的に不足しているし、レンズとして収斂する能力が圧倒的に不足している。小説はスケールやスピードのコントロールが出来る反面、動きを止めるのが難しい。一方短歌は一瞬を通じて高速を描いたりする。

・詩人ではない
・理屈屋
・テクニカルエンジンはそこそこの性能

で、感情を揺さぶる力積を持ち、一定数の「量産」が効くか。

勿論そこにはエンジニアならではを感じさせる部分が無いとオリジナリティが出ない。良作の二番煎じや受け狙いでは「核」が備わらない。

技術や発見、理論は「いつかお話のネタになるかも」とちょいちょい調べることがある。それがインプットであるならば、短歌につながるインプットが別途必要だ。

言霊よ我に力を与え給え。

言霊「そののべつスマホからまず目を離せ」

へい。

2016年5月 4日 (水)

違う。そうじゃない~志段味古墳群を巡る~

濃尾平野は古代は湿地で、古墳の類いは名古屋市の場合北東側、小高い「守山区」に多く存在する。そこを整備したらしいので赴く。

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バスで来て歩け、が名古屋市の目論見だが。こちとら瀬戸電沿線住民、この辺は自転車キコキコ。

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庄内川が作った河岸段丘の最上部にあるので、視界は開ける。視界正面は春日井になる。

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東谷山(とうごくさん)名古屋市で一番高い山/場所。

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古墳巡りここから開始。ここまで来ると最寄りのJR駅は高蔵寺。

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勝手塚。そのまま神社になっているので写真は撮っていない。由緒書きによればご祭神は天照大神・日本武尊・天忍穂耳尊(アメノオシホミミ)・大山祇命(オオヤマツミ)。後御二柱は農業の神様。寛文年間に奉られているのを確認、とある。

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二十二夜塔。女人講によるオールナイト月待ちイベント(待てコラ)。写真だとワカランが建立は明治35年としてある。

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覚明霊神(かくめいれいじん)。先に水蒸気爆発を起こした御嶽山を開いた春日井出身の僧侶・丹羽仁右衛門のこと。まぁ対岸が春日井ですから。

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次、大久手4号という円墳。かろうじてこんもりが確認出来る。ちゅーかよくこれで古墳と比定できたなおい。ただその代わり、見学するとかそういう状況には既にない。

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段丘の小道を上るが、脇に遊歩道整備中で、程なく用済みになる模様。

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遊歩道ってのがこんなの。あのね、「風情」って奴があってね。

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大久手3号方墳…って待てコラ。

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西大久手古墳。ホタテ貝形。とあるが。

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わからん。まぁ「仁徳天皇陵」も地上から見たらただの山だけどね。

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wikiにあった空撮。これなら分かるわ。

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木の皮ガツガツ削り取ってるオオスズメバチ。閑話休題。

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東大久手古墳。同じくホタテ貝形。

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と、いうことにしておくわ。

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で?本命?本丸?志段見大塚古墳。

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もちろん、遊歩道整備に併せて税金使って石を貼った物。なんでこういう「復原」するかね。石はゴロつかせたままで、「葺いてあったとみられる」として想像図置いとけばええやん。

1923年(大正12年)に京都帝国大学の梅原末治によって行われた後円部の発掘調査では、墳頂部から粘土槨の主体部(埋葬施設)が発見され、内部から多くの副葬品が出土した。しかし古墳自体はその後長らく放置され、1982年(昭和57年)・1983年(昭和58年)になってようやく愛知県教育委員会の依頼で名古屋大学による測量調査が行われた。
(wiki。赤線はオレ)

被葬者さんサーセン。

まー、小学生が自分でしおり作ってうろつきまわるためのオブジェっすな。

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白鳥塚(しろとりづか)古墳。ここだけ見ると現状維持みたいに見えるじゃん?

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ぐるっと回ってこの通り。台無し。埴輪が無いので4世紀後半の築造とか。前方後円墳。須恵器とか土師器とか。

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推定オリジナル。

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墳丘の上へ登れるようになっているので登る。

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石英が敷き詰められていたと思われるので部分的に再現してみた。

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あのね。

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こういう水晶なりそこないの石英好き。

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幾らか石英転がっているが、「本当に元々ここにあったのか」「復原をイタズラされたのか」わからない。前者ならロマンがあるが後者ならつまらん。な?だから余計な復原やったらいかんのよ。ちなみに愛知県内で火成岩である水晶出るのは設楽村(断層地帯)。大体、権力者はその地では珍しいモノを自分の墓に積み上げる。

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つまるところ、「古墳もある雑木林の散歩道」まぁいいけどね。キジの声にうぐいすの谷渡り。いにしえの雰囲気。

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最後、その東谷山の裾野。白鳥(しろとり)古墳。

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石室が見える。

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どう見ても耐水電線見えますね。スイッチ押すとライトアップするんだって。

以上。まぁ加曽利貝塚がほぼ手放しで貝殻ゴロゴロしてるのに比べると、「現代化」されすぎてつまらねぇ。

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(加曽利貝塚)

6000年前の貝殻。悠久の時間がここに凝縮されてるってロマンと実感があるじゃん。これどこから来たんだろうとか考えるじゃん(当時近場が海岸線)。

比して名古屋の志段味はやりすぎ。河岸段丘があって、地勢や天空との結びつきを考えて、古代の人が墳墓にどんな意味合いを込めたのか、そこに思いを馳せることに楽しみがある。それ全部ぶっ壊してしまってる。「立体教科書」の域を出ない。

ウグイスが鳴きキジが鳴く後円墳春風ゆるり流れ行きたる(推敲予定)

2016年1月11日 (月)

短歌と俳句と140字と

「ツイッター」がSNSのメインストリームであるのは日本だけ、というのをご存じの方は多いと思う。欧米()ではフェイスブックやインスタグラムで画像を付けて己をアピールし、仲間同士でうぇーいやるのが普通だ。日本はツイッターで簡潔に言いたいこと言う。

まぁ俳句だの短歌だの故意に制限を設けて趣旨だけ伝えるなんて遊びであり文化で芸術が根付いていれば、ダラダラ書くより収斂する方が流行るの自明。「一撃必殺」とでも書くか。ハートキャッチ能力各人それぞれある程度持っていると理解して良い。とりあえずボケるとか最たるものだ。

とか納得してたらツイッター1万字にするらしい。原稿用紙25枚。まぁ漢字があり同じ意味の違う言葉でニュアンス変えられる日本語に比べたら自分=「I」しかない英語は不利だわな。広げたいの理解する。代わりに日本語で冗長なダラダラした奴増えてくるのか思うと頭痛い。

短歌始めてもうすぐ3年になるが、1000年以上受け継がれているフォーマットであることを改めて納得していることしきりである。実は小説、もっと言うと「伸ばす」のは楽なのだ。委細書けば良い。書くだけリアリティが増して臨場感が生まれる。「美少女である」というより「背後からの光の具合か頬の産毛がわずかに金色を発し、応じて負けぬ輝きを放つ瞳で真っ直ぐに見つめてくるその娘は」とか書いた方が生っぽさはあるだろう。そういう余計なものをわざと書かずに「浮き上がらせるか」が短歌俳句の醍醐味であり芸術性を問われる部分なのだろう。そして往々にしてそういう成文を備えた短文は洗練されており優雅だ。多く人はそれを「読みやすい」と評する。

「壁」を感じている。ただそれは脳内ロジックかき集めて専用ASICが構築されつつある証である。求める場所に行き着いていないと自覚している。短歌脳とか言うが、多く良作に触れ、そして意図して三十一文字を編む鍛錬をした方が良いようである。というか、そういうステップにようやく来たというか。「いいね」という感覚を説明する説明が自分で付けられるようになってきた。

仕事中に「これ短歌にしたい」ってのが来ると困るけどねw

2015年12月25日 (金)

クリスマス○月と★星と

●クリスマスの月

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クリスマスの満月は~みたいな情報がネットで飛び交ってますが、どの日であろうと19年に1回同じ月齢が巡ってきます。「メトン周期」と言います。元日も19年ごとに満月、あなたの誕生日も19年ごとに満月です。身も蓋もありませんが、「クリスマスの満月」は多くの人が五回以上は経験出来ません。見ておいて損はないでしょう。

★クリスマスの星

ツリーのてっぺんにでっかい星を飾りますが、あれは「ベツレヘムの星」と言い、イエスの誕生を占星術師達に伝えたという、聖書の以下の記述に基づきます。

イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムで生まれたとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムへやって来て、こう言った。

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」

(マタイによる福音書第2章1,2)

これが実際どんな天文現象だったか、というのは敬虔な天文学者達によって捜索が続けられ、数年おきに新説を見てニヤニヤし、幾つか当ブログでも紹介したが、最近はあまり見なくなった。彗星・流星・超新星あたりは「ありがち」だが、博士たち=天文に精通している、という解釈から、もっと象徴的な現象だろうとして紀元前7年の「木星・土星3連会合」(くっついたり離れたりを3回繰り返す)

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などが良く上げられる。木星はその出自から王権を象徴する。

○クリスマスの月と星☆

その木星が月に隠されて(木星食)出てきた瞬間だ、という説もある。

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紀元前6年3月20日のことで(このシミュレータ画面は日本時間で表示されている)、春分(星占いの始まりであることに注意)に近い頃だし、新月、王権の星、屋外厩に赤子がいてもそう寒くはないだろうという状況証拠も成り立つ。が、さて。

まぁ、あまりガチガチに科学的に追い込むのもつまらんかも知れぬ。同じ夜空は人生二度はなし。まぁ、そんなことに思いを馳せて「19年降ぶりの姿」をぜひ。

2015年12月17日 (木)

夫婦別姓論

ネタが無いから持論書いとくわ←待てコラ

「一つの姓であること」の枠を外して困ることは特にあるまい。「世帯」単位で金銭のやりとり税金や公共料金など幾つかあるが、世帯の代表者の名前にして、金の出所は世帯で決めればいいだけの話だ。そこは同一か別かの判断材料になりゃしない。そも、マイナンバーとか個別管理を始めようという段階でナンセンスだろう。

ちなみに「江戸時代は一つになるとは決めてない」とかネットで見たが、ちょっと待ってくれ、江戸時代で姓があるのは「名字帯刀」すなわち武家以上の特権階級と、功績で下賜された特に認められた者だけだ。明治になってそのシステムを市井へ展開、「姓」の決定を迫られた挙げ句、見た目の地形から作ったとか、「ただのごんべえだよ」から只野権兵衛になったとか、教科書に出て来るだろう。なお、江戸時代の女の子は「みつ」と「はる」がポピュラーな名前。結果どこにでもいるみぃちゃんはぁちゃん、略して「みいはあ」…そうこの語は江戸言葉だ。覚えておいて良い。

すると「女性の側が姓を変える」のは、その特権階級への「嫁入り」…遡ると藤原家が天皇家に対して取った方法…に準えた市井伝搬一般化、とこうなる。当然、現下この辺声高に叫んでいるのはフェミなので、こうした背景を踏まえず、単なる男への誹謗中傷に終始している場合が多い。対して国家的には上記のように世帯単位の国民管理さえ枠を外せば問題ないはず、となる。仕組みだけの話でフェミ的感情論の入る余地はない。まぁそのうちなるんじゃね?結婚なんて個人同士の契約以上のものでもないわさ。「一つの姓は世帯の象徴」を保守的な主張として取り上げるメディアや個人多いが、逆に言うと世帯を象徴するアイコン以上の意味は無い。

一つだけ問題があるとすれば「子どもの姓」である。上記のように江戸時代なら「みつ」と「はる」であることに終生変化は無い。そう、姓を意識する必要なかったから問題は発生しなかったわけ。対して現代は子どもにどちらか選ぶことを要求する。子どもにそれを決断させると悩むか、姓名の組み合わせのバリエーションが増やせるとポジティブに捉えるか、それは未来の誰かが悩むこと。ひょっとすると「新しくどっちでもない姓を名乗って良い」になり、「キラキラ姓」が出て来るかもね。現下の制度では明治に増えた以降「新しい姓」は発生していないのだから。

以上、オレ的には「フェミのレゾンデートル主張大騒ぎ」にしか聞こえないというのが冷めた認識。感情論以上の意義ないもの。愛し合って世帯を持つならどっちの姓にするか事前に決めるべきだし(オレはやったぞ?)、決められるはずだし、イヤなら籍入れなきゃイイ、抜きゃイイんだからさ。会社で強制とかはその会社の法務の話で国家に求める話じゃない「知るか」って奴だ。ちなみにウチの会社はフリーダム。銀行口座?申請しなきゃ銀行だって気付かないじゃんか。

異論は受け付けない。「どっちが正しい」ではないので着地点は無いし、仕組みと観念論がゴッチャになってるから。

次。

2015年12月13日 (日)

デンキの価値観

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電機。

(いきなりダジャレかよ。しかし車輪掃除が目的とは言えロッド付きのカマ安易にばらすもんじゃねぇなエラい目に遭った)

前日里子に出すと書いたCDプレーヤは満額11万に対し10万という査定が出てOKとした。20年前で普通のCDしか使えない機械だが、ブランドバリューと「その音が好き」という需要があるのだろう。

「店に大金無いので振り込みは月曜…21日になりますがよろしいですか?」

え?ああええよ。しかし売った買ったする店で10万もすぐ出ないとか、しかも一週間後とか…ああ、強盗対策か。

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もう一台里子に出す。DSP-AX4600。2006年のキカイである(金色の方)。CDより新しいわけだが、AVアンプという奴は毎年新しい機能が乗るので古い奴ほど使い道が減る。なのでこいつもオーディオ専門の下取り屋は満額でも10000円未満の提示ばかり。なお、上記CDを売ったせどりやはAVアンプは扱わないとさ。

そういう奴は逆にハードオフに出す。過去、人気や定評のあったキカイなら「その機能が現在使えるか」どうかに関わりなく、ある程度値が付くからだ。

「13000円です」

上等。192/24まで受けるので、ウチで飼ってもいいんだが、セットアップしても「置く場所」がなかったりする。サブシステムは線路の中にPC出力でボーズのデスクトップ、娘の部屋にミニコンポがあるが、いずれも近接、かつコンパクトを指向しているので、こいつでシステムを組んで置き換える意義は低い。重いから乗せる棚もないしね。

こっちはすぐ現金化される。諭吉を増やして…ああ、蛍光灯切れかけだったな。

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近所のホムセンに向かうと置いてあるのはパナとなぜだかNEC。ちなみに昭和30年代からある「普通の白い蛍光灯」は20W直管で100~200円である。演色系だと軒並み高くなる。ぶっちゃけ普通でも照明の用はなすのだが、寒々しいので昼光色にしている。にしても

・NEC製:2本580円
・パナ:2本1180円

何が違う。どっちも国産である。パナはプレミアム云々とかで長寿命を謳っているが、ウチの場合全部電子点灯管なので、蛍光灯に与えるダメージ(点灯時に何度も予熱電流を流す)は少なく、あまり長寿命謳われても効果は少ない。しかしこう300-580-1180円(いずれも2本の値段)と並んでいると、「安すぎてヤバそう」という感覚が生じるのは何故なのだろう。何度も書くが本来蛍光灯は1本百ナンボ、である。1本500円もする方が「ぼりすぎ」なのである。「ちょっと高いけど仕方ない」につけ込むのを「プチぼったくり」と言うが、こういう「プレミアム感」(本当にプレミアムかどうかは疑義あり)を煽るのは何と呼ぶべきか。錯覚商法か。ちなみにオーディオにもやおらふっかけた割には中身が酷いというのは存在する。「Aという機能はBという方法でCという規模で実現出来る。なので見合ったコストは**円である」…これ計算出来ればベストだが、まぁ一般的ではない。ただ、妥当な価格というのは抑えておきたい。

ところでハードオフさんよ、御社パイオニア「PD-30」27000円で売ってたが、その値段なら新品買えるぜ。

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オーディオ機器でもオーディオ屋・マニアとせどり専門で価値観が違う。

2015年12月 5日 (土)

抒情の奇妙な歌会in名古屋2015 @sasashihan

●冒頭の能書き

「短歌」の世界は基本「師弟」システムと言って良いが、確立の古さ故に現代の視点では独特である。「アララギ派」とか聞いたことあると思うが、方向性同じくする歌人たちがクラスタを形成する。「結社」という。同人組織と書いても良い。ここが自前で同人誌に相当する短歌誌を発行し、選者(師範)が傘下の弟子の歌を拾ってゆく。秀作は選者の割り当てページ冒頭に紹介され、更に秀でたものは短歌誌の冒頭に採り上げられる。で、出版社やNHKなどの全国規模の大会、そして宮内庁の歌会始などを通じて「歌人」となってゆくのである。「俵万智」とか殆どの方がご存じと思うが、彼女は結社「心の花」に所属し、佐佐木幸綱に師事している。

以上を踏まえて。

●本文

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笹公人(ささ きみひと)さん。歌集「念力家族」がEテレでミニドラマ化されたのをご覧になった方は多いであろう。昨年に続き名古屋にお招きしての歌会である。ちなみに冒頭のように一般に短歌に進む場合は気に入った歌人に入門するわけだが、自分の場合ラジオの投稿が採用されて誘われた、という次第。結社「未來」にて「抒情の奇妙な歌会」選者(写真のブログアップは許可済み)

歌会のシステムは様々だが、今回は「姫」と「自由題」(テーマ何でも良い)を1首ずつ詠んで持ち寄り、参加者と師範で良いと思ったもの4首ずつセレクト、というシステムにした。で、ランダムに「良かった」「選ばなかった理由」「師範コメント」を付して行く。結果は各自フィードバックして改善したり、含まれた小ネタ雑学をシェアして、歌のネタ元である情報量の追加底上げを図る。「類は友を呼ぶ」というが、ここの歌会の場合、立場や職業てんでバラバラの詠み人が集まるので、いろんな知識、情報、価値観が集約分散する。短歌は収斂芸術だと思うが、歌会はそのピンホールカメラ的機能の具現化最たる姿と言え、刺激的で非常におもしろい。

以下、詠み人共通に参考になると思われる笹さんのコメントと、批評のスタイルの類例として自分のを晒す。

・読み手の解釈にゆだねる「謎」的な部分を残した方が歌としてはおもしろい。種明かし的な部分まで書いてしまうと単なる「見たまま」になってしまう
・「具体」「描写」を盛り込んで、場面の想像を(オレ註:塩尻の短歌のイベントの際には「五感を刺激するような文言を」というアドバイスを馬場あき子さんがされたように思う。五感が動くと体が場面を呼び出す)
・動詞が多すぎるとごちゃごちゃする上、主体がぼやける。せいぜい3つまで。

ちなみに「名古屋の人は盛り込みすぎ」という話もいただいた。名古屋人はコストパフォーマンスを大切にする。余白よりは突っ込むという思考が根付いているかも知れぬ。

では、恥を忍んで。自作とその評と「作者のコメント」。

【姫】姫様か。ゴスロリ姿が振り返りスマホあてがう口元はヒゲ。(1点)

・マンガっぽくておもしろい。スピード感。でも読み返すといろいろと変(Aさん)
・句読点の意図不明。ゴスロリは姫には思わない(Bさん)
・セーラー服おじさんを想像した(Cさん)
・電話で喋ってるようにも取れる。焦点がぼやける。ゴスロリで姫ってのが結びつかない。オチを言い過ぎ(上記「種明かし的な」)。姫だと思ったらおっさんだったのか、ごちゃごちゃして焦点曖昧(笹)

これはアキバでゴスロリのバックシャンが前にいて、かわいいポーチからスマホ出して喋りながら振り返ったら、そういう人だった、という実体験に基づく。ハルヒの制服姿・黄色いリボンの男程度は前からいたが、ついにゴスロリを着る男も出てきたか、みたいな。句読点は速度抑制効果と、一定の結論の後の裏切りみたいなのを狙った(小説書くときはこういうコントロールしない)。なお、自由の方がまぁ、まともな方向なので、こっちはネタに走ったという部分はある。

【自由】猫カフェのテレビが写すテロ現場かわいそうねと誰かが言った(6点)

・誰かが言った、がテロへの距離感に出ている。かわいそうね、にいい子ぶりっこを感じる。猫カフェの現代感も(Cさん)
・幸せの世界でかわいそうね。猫カフェの猫もかわいそうなのでは。今と世界を切り取った。(Dさん)
・平和とテロとの違和感はくみ取った。よくある取り上げ方なので選んでない(Eさん)
・猫が言ったら「かわいそうにゃ」だし、かわいそうが誰から誰になのか見えづらい。情報が多すぎる。猫カフェの特定意図が見えない。どの現場でも成り立つ話ではないか。猫カフェだと猫もかわいそうという意見があるので、こだわることもなかったのでは。猫カフェなら猫に言わせてもという手もある。少し多すぎ(笹)

これは先のパリのテロで海外メディアがほぼぶっ通しで経過を放送しているらしい中、日本だけいつも通りバラエティ番組などであったこと、ネットで見られたいかにも白々しい「言っておけばいいや」な発言群を皮肉ってみた。猫カフェは平和ぼけの象徴化。こいつで「猫もかわいそうな存在」という見方が出るとは思わなかった。なるほど平和ぼけなら別の方法で象徴化する方が絞れそうだ。

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今日の収穫。自慢自慢。ちなみに他の歌会がどんなやり方しているか知らぬ。ただ、笹さんは否定はしない、詠み人の視点やベクトル自体は尊重し、「こうすればもっと良くなる」というアドバイスをされる。もちろん「厳しく断されてもっと鍛えたい」(NHK全国短歌大会特選の中山さん・東京からわざわざご足労いただいたので特出し)という方も。

古墳時代より続く文芸フォーマット。三十一文字が1000年続くというのが面白いじゃないか。

2015年9月 3日 (木)

「T」の行方

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(もう、こんなあんねな)

でも、「盗作してません」だとさ。「ネットの誹謗中傷で組織に迷惑かかるのでやめます」だと。

何でもそうだが、「強く記憶に残った物」が、後々何かの拍子に出て来ることは良くある。アイドルがブログにポエムを書いて、実はどこかの歌詞でした、なんて好例。ただそれは記憶のそういう機序に基づいて、ごめんねてへぺろすればまぁ済む。

まー、あれだけ切り貼りが見つかった以上、それが日常なんだろうなと思われる。罪悪感が無いからバッシングされる真の理由に理解が行かない。アンタがネットで拾った物を、数多のネット民が見つけられないわけがないのだ。あんたの脳で集約されている情報は、同じものを見た人がいる限り、含まれる断片がネット民の誰かしらの脳にある。集約すれば同等となる。それは「創造」が無い以上、同等以下にしかなり得ない。畢竟「あれはあれに似ている」が集まることになる。

個人的にはモチーフに文字のTを選んだ時点で負けだと思う。文字を記号化する以上のものには成り得ず(しかも文字の構成要素を分解して移動とか)、応じてやり尽くされた、何やっても多分、過去の何かに似る。まぁ絵が描けない故に小説書いてる人間はビジュアル面これ以上言及しない。

ただ「創作」がコピー集約チョト改変みたいなものと印象持たれるのは困る。スマホななんてありもの集約の具象化成功例があるからまた困る。多くの創作、創意工夫は、困難を乗り越えたり、現状を打破したり、新しい物を作りたいという、人間しか持ち得ない思いから生まれるものだ。「天使」には9ランク設定されていて、トップを熾天使セラフィムというが、称号は「創造・想像の聖霊」であり、神に準じた光の塊とされている(階層が低いほど人間に似てくる)。これは、創造・気づきを「天啓」と呼んだ古代人の思いの反映と見る。「オリンピックのロゴを手がけたい」その思いは近代オリンピックの精神に照らした時、果たしてセラフィムの光が当たる動機であるか。

創作や表現を生業・趣味とする皆様、どうぞ反面教師とし、信じた道を臆することなく。

2015年7月25日 (土)

トゥ・シューズの行方

「最後」かも知れないバレエの発表会。

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上演時間より前に娘を届けて、メイクを落として着替えてから出て来るので、実質半日拘束。何度も緊張を強いられた娘は当然だろうが、見てる側も結構疲れた。ちなみにラストにオッフェンバック「パリの喜び」を持ってきたので、アゲアゲで締めることになる。ぜーはー。

「で?今回は良かったと思うが、やっぱりやめる?」
「うーん」

ま、悩め。今だから許される。

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