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2008年10月

【妖精エウリーの小さなお話】瑠璃色の翅は青い空に

 台風。
 体重の軽い私たち妖精族にとって、この熱帯産の暴風雨は最大限避けたい相手です。
 でもそれは私たちが相談相手になっている虫たちや動物たちも同じこと。
 フェアリーランドに逃げてしまえば私たち自身の危難は回避できますが、そういう事情から逆に地上に残らなければいけないのが台風襲来のやっかいなところ。
 でも、どうにかやり過ごせたようです。吹き返しの風は残っていますが、夜明けの空には、こっそり昇ってきた冬の星も幾つか。
 やがて群青から青へと変わって行く空に星の光が吸い込まれて消え、台風一過の雑木林は、まず鳥たちのざわめきが戻ってきました。
 私は隠れていた木の虚から身を乗り出します。身長15センチは文字通り〝吹けば飛ぶよな〟身体。その代わりに、こんな小さな穴でも入り込める。ちなみに、穴の中にはヤマトゴキブリ一家が一緒。ええ人間さんが大変嫌悪しているゴキブリです。でも何か?
 穴の外、目の前の梢にスズメ。
〈何ともない?〉
 私はスズメに尋ねました。といっても、スズメは人語を解しません。そういう〝意志〟を発しただけ。
 言葉を使わぬ意思疎通。すなわちテレパシー。
〈ええまぁ、だけど翼が何か気持ち悪くて……〉
〈海の水で出来てる嵐だからね。水浴びしておいで〉
〈そうします〉
 スズメが飛び立ったところで、私はこの雑木林の巡回に出ようとし、慌てて穴に引っ込みました。
 なぜなら人間さんの声。
 しかもかなりの数。
 妖精族は人間さんとのコミュニケーションを原則禁止されています。人間さんが〝妖精なんかいるわけ無い〟と決めているからです。私たちはあくまで虫と動物のサポートであって、それ以外の権限はありません。
 さておき、これだけの人がいるのは何か事件でしょうか。見ていると、人々は手に手に……捕虫網?
「いないぞ!」
「そっちは!」
 人々は何か探しています。捕虫網ですから昆虫か小動物か。
〈ここはどこなの?〉
 捉えたのは彷徨える意志。但し日本語で表記するとそうなるだけで、実際にはそういう意志だけ。
 意志放たれた方向に目を向けると、ふらふらと飛ぶチョウが一匹。
 瑠璃色の翅はルリタテハかオオムラサキか。
 そのどちらでもありません。どころか、日本のチョウじゃない。
 迷チョウ……ご存じの方もあるかも知れません。台風の目に閉じこめられ、本来生息の地より遠くへ運ばれてしまった異国のチョウのことです。
 マルバネルリマダラ(Euploea eunice)。グアムでしょうかそれともフィリピン。手のひらサイズの青い翅。
 どちらにせよ〝コレクター〟にとっては格好のトロフィー。もちろん網持つ人々全てがそうとは思いません。ただ、〝命〟という根本を忘れている人が昨今多いのも実感。
「いた、いたぞ!」
「高い!網が届かない!」
 どうやら発見されたようです。
〈おいで〉
 私は舞う翅を呼びます。
〈妖精……さん?〉
「あそこだ!木の穴に入った」
 チョウは私に呼ばれたと判るや、穴に入ってきました。台風に飛ばされ、こうして網で追われ、さんざ飛び回ったのでしょう。翅のあちこちが欠け、ギザギザになっています。
〈苦労したね。ここは日本。あなたの種族は本来住まない土地〉
 私は言いながら、首から下げている金のチェーンのペンダントを外します。ペンダントの先には青いサファイヤ様の石がぶら下がっています。言ってしまえば妖精の魔法の石。これで一旦フェアリーランドを経由し、本来の居住地へ戻そうという算段。
 私は石を手のひらに載せ、後はチェーンを。
 テレパシーが捉えた危機感。
 地震かと思うような強い衝撃が私たちのクヌギの木を襲います。
 木を揺らし、チョウを脅して穴から再度飛び立たせようというのでしょう。私は驚く翅を守ろうととっさに腕を回し、代わりに自分が大失態をしました。
 衝撃で手のひらの石が転がり落ち、穴から外へ。
「……!」
 全身の血が一瞬止まったような感じ。
 声も出ません。
「出て来ないぞ」
「なんだこれ。あ、紫水晶ひーろった」
 どこかの男の子。それは私の石でしょう。
 まずい、やばい、頭をよぎります。しかし今そこにある更に大きな危難。
「君が僕の肩に乗れ、そっちの枝に足を掛ければ手が届く」
 そんな声。つまり、この穴に手を突っ込んで取ろうと?
 穴から外をチラリと覗くと、大人の肩の上に子どもが立ち、ものすごい形相でこの穴へ手を伸ばして来ます。
 逃げる?穴から出る?
 この状況で、石もないのに、どうやって。
〈あの。お手伝いしましょうか?〉
 声を掛けてきたのは前述のヤマトゴキブリ。この種族は、こうした雑木林に生息し、近くに人家があればそちらにも。そんな生態です。クワガタ取りで黒いのが見えたと手を伸ばしたらゴキブリだった、という経験をお持ちの方もあるでしょう。でもゴキブリは本来森林性の昆虫です。ご存じの方もあるかと思いますが、3億年前からこの姿。当時当然人家などあるはずもなく。人家専門のクロゴキブリはむしろ進化順応。
 木の穴の外に手のひら。
 そこでゴキブリたちが動きます。と言っても、穴からぞろっと出るだけ。
「うわゴキブリだっ!」
 伸ばされた手が引っ込みました。
〈今です〉
〈ありがとう〉
 促され、私はチョウと共に穴から飛び出します。
 下方ではゴキブリに驚いた人間さん2階建てが倒れるタワーのように崩れ落ちて行くところ。
 ここで、時間を引き延ばして書きます。
 まず、チョウは自前の翅で羽ばたきを始めます。
 そして、私もまず背中の翅を伸ばします。妖精ですから、形態上は人体にクサカゲロウとよく似た形の翅が2枚。伸縮自在。
 ただ、欧州の伝説で知られるフェアリー族と違い、私はギリシャ神話のニンフの血を引く種族。
 背伸びするように手足を伸ばすと、身体のサイズが変わります。
 こうして、〝人間タワー〟が雑木林腐葉土の上にドサッと倒れた時、彼らの背後には髪の長い白装束の女が一名。
 両手を〝おむすび〟作るように組み合わせています。もちろん、中にはルリマダラ。ただ、私自身の翅は着地の減速に使っただけですぐに縮めています。本当はそのまま飛んで行ければ良かったのですが、小さいままでの高速飛翔はチョウの翅が風圧に耐えきれず。大きい身では翅が長すぎて輻輳する枝葉が邪魔。中間サイズでは手の中にチョウが収まらない。
「何だお前!?」
 人間タワーの上段にいた子どもさんが倒れながら私に気づいて叫びました。
 その場人々の目が一斉に私の方へ向きます。
 どうやら石を探す時間はなさそうです。私はまずは走り出します。
「逃げたっ!」
「あの女がチョウ持ってるぞ」
「君、それは学術的に貴重な資料だ。返したまえ」
 返せ。よく言う。むしろこっちの台詞。
 全力疾走。とにかくこの林を出ることにします。追ってくる足音と声が次第に遠ざかって行きます。
「すげー速え。なんだあの女」
「おい持ってきた……」
 以下聞き取れず。
 少し広いところへ出ました。
 広い林でまだまだ続いています。人々は入れるところから来たはずで、そちらと逆方向へ向かったのですから、出られないのは当然かも知れません。
 でも、私たちは、上へ出られる。
 青い空へ向かって、私は翅も使って大きく飛び上がりました。
 木の上。ところがそこで出くわしたのは、空飛ぶ生き物ならぬ、機械。
 ラジコンヘリコプター。
「ヘリがキャッチ!」
「何だこの女!」
 そんな声。どうもヘリコプターには中継できるカメラが積んであるよう。お宝チョウを見失わないようにあらかじめ用意?
 近い将来、空飛ぶ昆虫は、この種の機械で捕まえようということになるのでしょうか。
 ともあれ困りました。私の翅は、人間サイズであれば、狩るハヤブサをも凌ぐ200キロ近い速度が出せます。でもそんな姿カメラに収まっていいのか。
 仮に飛んだとして、ラジコンヘリは容易に振り切れるでしょう。でも、林を越えれば人家が多い。そこを人間サイズで飛ぶ?
 だからこその手のひらサイズ。
 要は人々に見えなければいいのです。
 私はそのまま地上めがけて飛び降ります。
 木の根元に降り立つ私。
「いたぞっ!」
 走って来る……その姿は最早〝群衆〟に、私は見つかります。
 でもすぐに身を縮めて手のひらサイズになり、そのまま木の裏側へ移動。この手の、飛び降りてから這って移動し、場所を変える、というのは、バッタやキリギリスの流儀。飛翔したバッタが飛び降りた。網を振ったがいなかった。そんな経験、ありませんか?
「あれ?消えた」
「探せ探せ」
 騒ぐ人々の足音を聞きながら、落ち葉の下で息を潜めていると、足下に穴が開いていることに気づきます。
 モグラの穴です。
 私は着ている白装束、トーガ(toga)……すなわち身にまとった一枚布の背中にチョウを止まらせると、モグラの穴へ入り込みました。
 中は真っ暗。ただ、超常感覚は一式持っているので、薄ぼんやりと状況は判ります。
〈持ち主は誰?〉
 訊きながら、しばらく進みます。上の方でドタバタ動きがあり、都度、トンネルの壁から土がポロポロ。
 人とは違う小刻みな足音。但しモグラではありません。
 ケラ。財布がオケラでおなじみのコオロギの仲間。春先に〝ビー〟と大きな音で鳴き出すのは彼らです。
〈……妖精さんですか?〉
 昆虫たちは遺伝子的に私たちの存在を知っていますが、モグラのトンネルで出くわすのはさすがに驚いたよう。
 私は事情を話して逃げ道を尋ねました。
〈こちらへ〉
 ケラは当然自前でトンネルを掘りますし、モグラはかえって天敵のはずですが、方向の見当は付くようです。私達は案内を受けてトンネルを進み、外へ出ました。
 林に隣接して設けられた畑のあぜ道。
 モグラの穴は畑でミミズ探し用。そんなところでしょうか。
 人々が林の中で探す声と、林の上を飛び回るラジコンヘリ。
 出し抜いたようです。
「ありがとう」
 私はローヤルゼリーから出来た特製の〝お菓子〟をお礼に渡すと、畑を横切り、農道を人間サイズで歩き出しました。
 歩きながら考えます。この先どうしよう。
 しかるべき研究機関等にチョウを渡せば、寿命の限りの命の保証は出来るでしょう。ただ、私としては、元いた場所へ返したい。
 この翅で飛んで行く?不可能じゃないでしょう。ただ、時速200キロで国境越えて飛んでくる人間サイズは、果たしてどのように思われるでしょうか。
 それに石の問題もあります。あの石は音声認識……要するに呪文を唱えるといろいろやってくれます。日常会話で出てくる言葉は呪文に含まれませんので、間違って起動することはまずありません。ただ、超能力の増幅作用があるので、極端な話、呪うなどの悪意を持つと、それがパワーアップされて放出されるという懸念はあります。
 取り返す必要があります。無事に確実にこのチョウを返すためにも。
 考えながら歩いていたら、人家並ぶ辺りまで来てしまいました。この際ですからいっそのこと人間さんに頼んでしまいましょうか。
〈妖精さん、私じゃお手伝いできませんかね〉
 気持ちをくれたのは、庭先で伏せていた白い毛の老犬。
〈そこから動けるの?〉
 私は犬小屋前、柱にロープでつながれた老犬に目を向けます。犬には前にも、迷子になった女の子の親御さんを探すとか、手伝ってもらったことがあります。
〈外していただければ〉
〈ご主人さんは?〉
 見れば開け放した窓の向こうで男性が横たわり、腕枕でテレビを見ています。
〈内緒で〉
 つまり無断で。でも正面切ってお宅のワンちゃんを貸して下さい……?
〈たまには散歩コース以外の場所に行きたいですよ〉
 人間さんに例えるならちょっと冒険、そんな気持ち。
 いいのでしょうか。でも、背に腹は代えられず。なのも確か。
 私は身体を縮めて庭に入ります。
 そこで身体を伸ばし、ロープを外します。
 走り出すワンちゃん。私は再度身を縮め、チョウとその背中に。
「あ、ジョン!こら待てジョン!どこへ行く!」
 気づいたご主人が立ち上がってサンダルを突っかけた時、ジョンは私たちを乗せて柵を跳び越えていました。
〈あなたと同じ匂いのする石ころを探せばいいんですね〉
〈そう〉
 私は来た道を戻る形で、ジョンを先ほどの林へ誘導します。人間さん達は多分まだ中でチョウを探しているはず。
〈……匂いますね〉
 ジョンが足を止めました。
〈近づいてきます。誰か持って歩いてるんじゃないですか?〉
 休耕田の草ぼうぼうの向こうに見え隠れする捕虫網。
〈あの網の方へお願い〉
〈判りました〉
 ジョンは休耕田のあぜ道を大きく回り、網の行く手に先回り。
 小道で網の持ち主と出くわします。男の子。手首には私のペンダント。
 突然の犬との遭遇に目を円くして固まっています。
「な、なんだよ。……あ、あのチョウだ!」
 白い毛の中の瑠璃色に気づいたらしく大きな声。
 私はチョウを伴って飛び立ちます。男の子の視界から外れさえすれば、一瞬で充分。
 人間サイズになって男の子の背後へ。
 男の子がジョンの背中に網を振り下ろしました。
 もちろん、そこに私たちはいません。
「あれ?」
 不思議がる男の子の声に、むしろ林の中の方が強く反応します。男の子の声が一部の大人に聞こえたようです。
 こっち、とか言ってますので、程なくここへ来るでしょう。時間の猶予はありません。
「この子、捕まえちゃうの?」
 私は言いながら、男の子の傍らをすり抜け、前に立ちました。
 突然の女の出現に男の子はびっくり。
「な、なんだよあんた……あ、そのチョウ!狡い、先に見つけたのオレだぞ」
 この状況でその石返して……ああ、なんと言いにくいことでしょうか。
〈私と引き替えになさって下さい〉
 チョウの提案。そんなこと出来るもんですか。
〈もう寿命も近いです。その石が人間さんの手に渡る方が後々危険かと〉
 確かに、羽化後のチョウは渡りをする種族を除き、持って10日から2週。この辺りよくセミが引き合いに出されますが、昆虫の成虫は子孫を残すことのみが使命。数の多い種類ほど成虫の期間は短い傾向があります。エサも後回しに命削ってパートナーを探すのです。文字通りなりふり構わず。このチョウは台風に巻き込まれ、本来ならパートナーを探す期間ひたすら飛び続けざるを得なかった。
 だからこそ、返したいのです。石とチョウとは天秤に掛けられな……。
 いやそうでもない。石さえあれば。
「その青い石、私のだと言ったら、チョウと引き替えに返してくれる?」
 果たして私は言いました。
「はぁ?」
「その石、木の穴のこの子取ろうとした時、穴から落ちたのを君が拾ったんでしょ?私はそれを落として探してたの」
「お前何言ってんの?バカじゃね?」
 男の子は小学校2年か3年か。引き換え、私は19歳を200年やってます。
 年上だから言葉遣いを、などと古いことは申しません。ただ、人対人型生命体の礼儀はあって良いとは思います。
 でも、背に腹は。
「はい、虫かご開けて、ほら」
 言葉より行動、私は指先にチョウを止めて差し出しました。
 男の子は半信半疑といった表情で、しかし虫かごを開きました。チョウは私の指を離れ、虫かごへ。
 すると男の子は、背筋が寒くなるような顔で笑いました。
「やった!チョウもーらった!」
 大声で勝ちどきを上げ、振り返って走り出そうとします。……バカなのは私でしょうか。
 破壊する呪文(コマンド)はあります。ただ、それを使えば私は永遠にこの人間さんの世界から出られない。
〈それはいけません。チャンスはあるはず〉
 チョウが言いました。しかし、男の子は逃げるように走り出します。
 飛んで追うか、思った時、草むらがガサガサ音を立てました。
 大人達です。草むらや林の中から次々現れ、男の子の行く手を塞ぎます。
「やぁボク、チョウを捕まえたって?」
「私はチョウの研究家だ。学会で発表するから譲ってくれないかなぁ」
「タダとは言わないよ」
 甘言にあからさまな欲望を表情に浮かべ、迫ってくる大人達。
 四季折々の風景に虫の姿もあった。日本とはそういう国だと私は思っていたのですが。
 大人は子どもを守るもの、人間さんの基本だと思っていたのですが。
「子どもが持っていたって意味がないんだよ」
「君それどうするの?飼い方知ってるの?」
 口調が変わってきます。
 包囲し、迫ってくる大人達。
 青ざめ、後ずさる男の子。
 男の子は私のいる位置まで戻り、背中が私に当たったと判るや、驚くように振り仰ぎました。大人達の目線が、合わせて、私の方へ移動。
「そっちのお姉さんも協力してくれるよねぇ」
 つまり私のこと。
 私を見る男の子の顔に浮かんだ恐怖。
 手首からぶら下がる私のペンダント。
 手段が一つある。
 閃光のような認識と共に、私は手を伸ばしました。
 ペンダントの石を握って呪文。
「リクラ・ラクラ・シャングリラ!」
 大人達の顔が、私たちの目の前からスッと消えました。
 さながら映画のシーンチェンジ。
 そこは、花揺れるひたすらな草原と、青い空に白い雲。
 天国の片隅に位置する私たち妖精族の居住地、フェアリーランド。
「ここどこ……」
 呆然としている男の子。
 そう、私は男の子もろとも、この地へ飛んだのです。
 チョウと、男の子を共に救うには、他に手が思いつかなかった。
〝異常な〟光景に男の子の力が抜け、手首からペンダントがするりと抜け落ちます。
「これは返してね」
 私は石を拾い上げて手のひらに載せ、チェーンを手首に巻き付けました。
「あっ!それオレ……」
 私は首を左右に振ります。そして指先には篭の中のチョウ。この辺は妖精の魔法。
「あっ!ちょうちょ……」
「さよなら」
 私は手のひらの石で男の子にタッチ。
 男の子の姿がフッと消えます。
 これで、人間さんの世界へ戻ったでしょう。ええ、騙したと言われればそれまで。
 でも、もしも戻さなかったら。
〈エウリディケさん〉
〈大丈夫ですか?〉
〈卑怯を感じました。何かありましたか?〉
 土の中から顔を出すヘビ、大空から舞い降りてくるハヤブサ。
 群れをなして飛んできたスズメバチ。
 彼らは天国の一部であるこの地に〝魔〟が入り込むことを阻止する番人。
 あの男の子が、そのままこの地にとどまっていたなら。

 虫は子ども達の永遠の友達。……ですよね。

「ううん、大丈夫。みんなありがとう」
 私はお礼を言いました。少し胸が痛い。
〈了解しました〉
〈無事なら結構です〉
 私の言葉に彼らは土に戻り、滑って飛び去り、森へターン。
 後ろ姿を見送ると、指先のチョウを飛び立たせ、周囲の花で吸蜜させます。
「どうする?故郷に戻っても、ここにいても。ここでも全ての種類がいるから、仲間は見つかるよ」
 チョウはしばし飛び回ります。チョウは確かに救いました。石も手元に戻りました。
 めでたしめでたし。おとぎ話ならそうです。でもこの引っかかった感じは何なのでしょう。
〈このまま、あなたのそばじゃいけませんか〉
 チョウは伝えてきました。
 それは予想外の反応。
「え?」
〈あなたの心の穴が、この翅で少しでも塞げるのなら〉
Ruri2
瑠璃色の翅は青い空に/終

妖精エウリーの小さなお話・一覧

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【妖精エウリーの小さなお話】魔法のりぼん

ごあいさつ

 

 どうもこんにちは。一部の方には初めまして。私は名前をエウリディケと言いまして、いわゆる妖精という生き物です(ですから見た目は女ですよ)。今日は、お話になりそうな小さな出来事があったので、書いてもらおうと思って作者の脳味噌の中に遊びに来たんですが、彼が、「その内容じゃガラじゃないから直接書け」と言うので、こうやって書くことにしました。ま、実際は彼は手抜きがしたいだけで、私はダマされて書かされてる…という危惧もないではないんですけど、普段やらないことだし(あたりまえか)、一生懸命書きますので、ちょっとつきあって下さい。じゃ、タイトル。

 
 

魔法のりぼん

 

 六月の終わり頃のことです。
 その日、私は横浜市の北の外れ、住宅街の中にある雑木林に来ていました。そこは、造成時にそこだけ残して緑地にした、そんな場所で、少々の野鳥が住み着いているほか、カブトムシのような、最近ではあまり見かけなくなった種類の昆虫達もまだいるような場所です。
 それで、そこにフクロウの仲間のコノハズクという鳥が営巣しているんですが、“彼”が「最近なんか息苦しいからちょっと来てくれ」と言うので、相談に乗るべく、彼の巣までお邪魔していた、というわけです。ちなみに書き忘れましたが、妖精のうち、私たちの種族の仕事というのは、基本的にこうした、虫や動物達の相談相手です。
 そして…ちょっと長引いた夕方近くでしょうか、帰る途中雨になってしまったので、私は近くの公園で咲いていたアジサイの花(正確には花塊ですね)の下に入り込み、雨宿りをしていました。え?そんなところ入れるのかって?実は私たちは身体の大きさを変えられます。めいっぱい縮めると、ティンカーベルでおなじみの小さな妖精のスタイル…大体一五センチくらいになりますから、楽に入れるわけです。
 で、それから五分くらいでしょうか、夕刻の雨空を見上げて待っていたら、女の子の泣き声が聞こえてきました。まだちっちゃい子みたいで、もうパニック真っ最中、って感じの火のついたような泣き方で。
 どうしたんだろうって思っていたら、女の子が私のいる方へ歩いてきました。私たち、本当は人間さんと接触しちゃいけないことになってるんですけど、放っておけないし、周りに誰もいなかったので、思い切って出て行きました。ちなみにこの時、身体は人間サイズに変えます。身長は…そうなると百七十センチはあるでしょうか。女性としては高い方で、ギリシャ神話に出てくる自然の精霊…ニンフの現代版という感じになります。まあ大体、私が属する種類はそちらに起源を置いていますし、服装も丁度そんな感じの白装束、トーガ(toga、古代ローマに多く見られたあれ)ですし。
 ま、それはさておき出て行きますと、私は妖精の象徴たる、カゲロウみたいな背中の翅を傘代わりに広げて、もう雨と涙で顔中くしゃくしゃの女の子を、しゃがんで、抱き留めました。
R_ribon2
「どうしたの」
「ママー!」
「ママいなくなっちゃったの?どこから来たの?」
「ママー!」
「お嬢ちゃんお名前は?お姉ちゃんに教えてくれない?」
「ママー!」
「お姉ちゃんが探してあげるから」
「わかんない~」
 やっぱりパニックです。このままでは埒があきません。しかもずぶ濡れのままでは風邪をひきます。私は女の子の手を引いて、滑り台の下まで連れて行きました。
 それで、とにかくまずハンカチで顔を拭いてあげると、やっと人心地みたいです。大泣きから嗚咽…あの泣き過ぎた子供が示すしゃっくりみたいな状態…になって、涙で腫れたまぶたを開いて、私をじっと見ます。
 そこで私はもう一度訊いてみます。
「お嬢ちゃん、ママいなくなっちゃったの?」
「うん」
「どこから来たの?」
「わかんない」
「お名前は?」
「ゆみ」
「何歳?いくつ?」
 出てきた指は四本。さあ大変です。迷子になって、多分闇雲に歩いてきたんでしょう。元の道をたどってなんて恐らく無理。
 仕方がないので、必殺、妖精の魔法を使うことにします。
「じゃあねえ、お姉ちゃんがママ探してあげるから、ちょっと目をつぶって」
 ゆみちゃんは目を閉じました。私は下げているペンダントの鎖をたぐって、その先に付いている、通称、『魔法の石』を取り出します。それは大きさは消しゴムくらいで、色は海色。だから見た目はでっかいサファイアかアクアマリンって感じになります。それで実はこの石、中にコンピュータを積んでいて、私たち妖精の微弱な“力”…人間さんが言うところの超能力をパワーアップする役割を持っています。しかも、コンピュータに命令するのと同じく、声の指令でいろいろと不思議な仕事やってくれるので、傍目には呪文で何か魔法を起こしたように見えます。だから通称が魔法の石。
 私はその石を手のひらに握りながら、熱を測るみたいに、自分の額をゆみちゃんの額にあてがいました。
「リクラ・ラクラ・シーア」
 指令、すなわち呪文を唱えます。この場合の意味は、私が見たいと思うものをイメージ化して私に見せよ。
 目を閉じます。すると、私の見たいもの…ゆみちゃんの記憶している様々な“ママ”の映像が意識を横切ります。今、皆さんがこれを読んで映像をイメージしてますね。それと同じように、私はゆみちゃんの記憶をイメージ映像として見ているのです。それによると、ゆみちゃんのお母さんは若い女性。エプロン姿で台所に立ったり、ゆみちゃんに“おいで”と両腕を広げたり。
 その他…恐らくはお母さんに対するゆみちゃんの強い気持ちの反映でしょう。優しくされた記憶の映像ばかりが再生されます。
「ママいっぱい!」
 ゆみちゃんが目をまんまるに開き、驚きを声にします。そう、今ゆみちゃんは私と同じ映像を見ています。これは、私の呼び出した映像が、ゆみちゃんの意識を経由して私に届いているためです。
「お姉ちゃん。これ、お姉ちゃんがやったの?」
「そう、ゆみちゃんのママはどんなひとかなって。ゆみちゃんのママ、優しい?」
 ゆみちゃんが頷きます。そして幻とは言え、お母さんの映像に安心した様子です。それはまるで、波立っていた海が急に凪いだよう。
 海の中を見ようと思うなら、波がある時よりない時の方が楽。
 心も同じ。
「ちょっと待ってね。あ、お靴脱いで。びちょびちょで気持ち悪いでしょ」
 私はゆみちゃんの靴と靴下を脱がせました。目的は二つ。一つは足を拭いてあげること。
 そしてもう一つは、靴や靴下からインスピレーションを得ること。つまり、人の持ち物や遺留物から、その人に関する情報を読みとろうというもので、サイコメトリと呼ばれるやはり超能力(正確には超感覚)の一種です。
 私は石と共に超感覚をフルに使って、どんな細かいことでもキャッチしようとします。
 でも、有益な情報は彼女の持ち物には含まれていません。心の中が『ママ』で一杯の状態で歩いていたせいか、周りの風景だとか、そういう手がかりになりそうなものが記憶として残されていないのです。
 どうしようか…私は考え込みました。しかし良いアイディアはすぐには浮かんできません。
 とりあえず先に足を拭きます。脱がした靴下をねじって絞り、次いですっかり冷えてしまった足を私の服で包んで、手で軽く叩くようにして水分を吸わせて。
 と、彼女が痛そうに顔をゆがめて、小さい手で私の手を止めました。
「ん?」
「ここおケガしてるの」
 指さすそこは膝の外側、八針ぐらい縫った跡があります。
「どうしたの?」
「ゆみがね、三輪車で、わんわんと遊んでいるときに、転んだの。…でもゆみ泣かなかったんだよ。えらいでしょ」
「ほんとお。えらいねえ…。わんわんか…」
 私の意識に“思いつき”が光の矢のように飛び込んできたのはその時です。
「ゆみちゃん」
「なあに?」
「お姉ちゃんがもうひとつ魔法見せてあげる。いい?わんわんがいっぱい吠えるよ」
 私は言うと立ち上がり、そして…説明は不要でしょう、テレパシーを使って呼びかけました。
〈この近所にいる犬達で、においから足取りがたどれる子、吠えて〉
 程なくあちこちから吠え声が返ってきます。
「すごーい」
「一匹来てもらうね。わんわん怖い?」
 ゆみちゃんが首を横に振るのを見て、私は再度呼びかけます。
〈その中で自由に動ける子、答えて〉
〈私動けますがね〉
 答えたのはかなり歳を取った雄の犬。
〈ああ良かった。協力して欲しいの。公園にいるんだけど、すぐ来られる?〉
〈すぐ行きます。…あなた妖精さんですね。待ってて下さい〉
 犬が答えます。私はちょっと安心して小さく息をつくと、すぐ来るよ、とゆみちゃんに言いました。
 と、ゆみちゃんがくしゃみ。
「あらら」
 私は寒そうに胴震いする彼女を抱きかかえます。そして、彼女の髪の毛…たっぷり水を含み、うなじにべったりと張り付いている髪の毛が、彼女から熱を奪っているらしいことに気付きます。でも、残念なことに、髪の毛を乾かすなんていう都合のいい魔法はありません。
 応急処置。
「ちょっと待って」
 私は言うと、トーガの今度はすそ周りを細長くビリビリと切り裂きました。まあ、要は服を破っているわけですが、人間さんの服と違って、大きな一枚布を身体にぐるぐる巻き付けただけなので、破れたらもう着られない…ということはありません。
「はい、魔法のりぼん」
 私は細長い切れっ端を彼女に見せると、うなじに手を回し、濡れた髪の毛を持ち上げました。とりあえずこれをポニーテールにしておこうというのです。テール結ぶなんて二百年ぶりですが、そこは“昔取った杵柄”(私が使う言葉かしら?)、思い出す前に手が勝手に動いてくれます。ちなみに、私自身の髪の毛は、背中飛び越して腰の辺りまで伸びてますので、テールにしたところでしっぽ髪にはなってくれません。
 さあ、余計なことを思っているうちに、束ねて、絞って(!)、まとめて、即席りぼんで結んでハイでき上がり。
 と、その時。
「あ、わんわん。へえーお姉ちゃんすごーい」
 ゆみちゃんの声に振り向くと、濡れそぼった、なるほど年季を感じる雑種犬が舌を出してこっちを見てます。
「ゆみちゃんにも聞こえるよ、いい?」
 私はゆみちゃんの手を握ると、犬に話しかけました。
〈あなたは今答えてくれた子?〉
〈そうです。わあ、本当に妖精さんだ、綺麗ですね〉
〈ありがと、私はエウリディケ、あなたは?〉
〈あたしに名前なんてありません、生まれた時から捨て犬なもんで…〉
〈そう〉
 私は答えると犬を招き寄せ、頭をゆっくり撫でてあげます。何と言っても犬は誉めてあげるのが基本ですから。
〈来てくれてありがとうね。…痩せてるみたいだけどちゃんと食べてる?〉
 続いて私は訊きます。病的…とまでは行きませんが、骨張った感じであることは一目瞭然。
〈大丈夫です。飼い犬連中でエサ分けてくれるのがいますんでね。満腹とは行きませんが、生きてゆくだけならどうにか〉
〈なるほど〉
 私は頷くと、ゆみちゃんにこのわんわんには仲間がいて、彼らからエサを分けてもらっている旨説明します。犬族は本来群の動物、しかも、仲間うちに病気や弱った者がいると、エサを分けてあげるという習性を持ちます。有名な“狼に育てられた少女”は、この習性が人間の幼子にも向けられたと見て良いものです。
〈ところでその子は?〉
 私が説明を終わったところで、犬がゆみちゃんを見て尋ねます。そう、肝心なことを彼にまだ頼んでいません。
〈ああ、協力して欲しいってのはこの子のことなの。迷子なんだけど、どこから来たのか判らない〉
〈それであっしがこの子がどこから来たか辿ればいいと〉
〈そゆこと。お願いできる?〉
〈お安いことで〉
〈じゃ、多分この子のお母さんが探してるはずだから、そういう場所に出たら連絡ちょうだい。見つかった、と心に思うだけでいいから〉
〈判りました〉
〈ごめんね。雨なのに〉
〈いいっすよ。誰かの役に立てるならこのくらい。じゃ〉
 犬は言うと、濡れたアスファルトに鼻を近づけながら、ゆみちゃんが来た方向へ歩いて行きました。
 ゆみちゃんが犬を見送ります。そして、首をひねって私を見ます。
「すごーい…お姉ちゃん、本当の魔法使いなんだ」
 ゆみちゃんはもう目と口がまんまるです。私は笑うと、しゃがみこみ、彼女を膝の上に載せました。
「はい、この中に入って」
 私は背中の翅を身体の前に引っ張ってくると、ゆみちゃんをそれで包みました。
「わあすべすべ、あったかーい」
 ゆみちゃんが翅を撫でながら…彼女はこれが翅だとは判っていないみたいですけど…言います。ちなみにこの翅ですが、爪みたいな材質でできていて、内部には漿液(血液中の透明な成分)が流れています。暖かいのはそのためで、漿液を抜くことにより、縮めてしまい込むことも可能です。
「こうするともっと暖かいよ」
 私は翅で彼女を“すまき”みたいにぐるぐる巻きにしました。これで体温の低下が少しは抑えられるはずです。あとは犬から連絡が来るのを待つだけ。
 退屈しのぎに魔法を少々。
「このりぼんはね。ゆみちゃんの夢を叶える力を持ってるの。それで今わんわんの声が聞こえたの。今度は…そうだね、そのお膝の傷、消えちゃえ、って考えてごらん」
 私は言いました。犬の“声”は、本当は私がテレパシーでゆみちゃんの意識に送り込んだのですが、そこはそれ、ウソも方便。
「うん」
 ゆみちゃんが目をつぶって小さな声で唱えます。私はちょっと超能力を使って、ゆみちゃんの傷を消しました。実は、超能力現象をもたらすエネルギーは生命力と同じもの。このくらいの傷なら跡形もなく消せます。心霊治療。知ってる人は知っていますね。
「お目々あけてごらん」
「あ!」
 ゆみちゃんはそこで初めて笑顔を作って見せてくれました。もう自分が迷子であることなんか忘れてしまったみたい。
「すごい。すごーい!じゃあ今度はね、鳥さんとお話ししてみたい」
「いいよ」
 私は犬の時と同じように呼びかけ、近くで雨宿りしていたメジロに来てもらいました。ゆみちゃんは私の通訳で、『空を飛んでるとどんな気分か』を尋ねます。
 そして、すっかり私を信用してくれたゆみちゃんは、メジロと私にいろんなことを話してくれました。幼稚園が面白いこと。小学生のお姉ちゃんがいて大好きなこと。そして将来はピアニストになりたいということ。
「このりぼんがあるからなれるよね」
「大人になったらね」
 私は言いました。もちろん大ウソですが、夢を叶える力となるのは“絶対叶えてみせる”という強い信念・確信と努力です。彼女はこれで、その確信を抱いてくれるでしょう。
 さあ、ひとしきり遊んでいる間に、待っていた犬からのテレパシーが来ました。
〈エウリディケさん〉
〈はい、どこ?〉
〈そこから道なりに公園を出て、広場の方へずーっとまっすぐ歩いたところです。私動きませんので追って来てください〉
〈判った〉
 私は言うと、メジロにサヨナラし、ゆみちゃんを抱き上げて立ち上がりました。
「ママが見つかった。飛ぶよ」
「え?」
 ゆみちゃんが私の言葉を理解する前に、翅にモノを言わせて浮上します。雨なのでちょっと重いですが支障はありません。マンションの五階くらいの高さまで浮上し、人に見られないよう注意しながら、犬がテレパシーをくれた方向へ飛びます。
「すごいすごいすごい。さっきメジロさんが言ったのとおんなじ!」
 ゆみちゃんがはしゃぎます。そして…そのまま飛んで、本当にすぐです、開けた一帯が見えてきました。
 そこは、山を削って、真っ平らにして作った、人工の草っ原。数人の大人達が、雨の中、傘もささずにウロウロしています。
〈…ゆみ、どこなのゆみ〉
 テレパシーの反応からして間違いありません。私は姿を見られぬよう、茂みの中に降下しました。
 犬が走り寄ってきます。
〈これでよいので?〉
〈よいです。どうもありがと〉
「ばいばーい」
 去って行く犬にゆみちゃんが手を振ります。と、前方でその声に敏感に反応し、こちらを見た女性がひとり。
「あ、ママだ!ママー!」
 ゆみちゃんがその女性に向かって叫びます。そして私の腕の中から飛び降り、一目散に駆け出します。
 女性の表情が緩みます。お母さんです。両腕を広げ、走ってきたゆみちゃんを抱き留めます。
「ゆみ、どこ行ってたのゆみ、ママ探したのよ」
「あのお姉ちゃんと遊んでたんだよ」
 ゆみちゃんが私を指さします。私は手を振りましたが、すぐにお母さんの視線に気づいて、手を振るのをやめました。
 すごい形相で私のことを睨んでいるのです。ま、時代が時代だから勘違いされても仕方がないとは思いますが、少し悲しいと思ったのは事実です。
 だから。
「ママ、あのお姉ちゃんすごいんだよ、魔法持ってるんだよ。ほら見て、傷も治っちゃったし、りぼんももらっちゃった」
「何をバカなことを…あら、本当に傷が…」
 と、お母さんがゆみちゃんの膝小僧をのぞいている間に、私はテレポーテーションの呪文を使って、その場から消えました。

 

 その後、ゆみちゃんがピアニストになれたかどうか、私は知りません。
 そのせいか、雨の日に白いりぼんをした女の子を見かけると、つい、思い出して気になってしまう私です。

 

魔法のりぼん/終

妖精エウリーの小さなお話・一覧

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【大人向けの童話】夢色絵の具

(投稿サイト「セルバンテス」併施)

え?これで描いた作品が貼ってあるんじゃないのかって?

ごめんなさい違うんです。でも、でもね……。

……

 

夢色絵の具

 

 犬のジョンのお散歩は、みきちゃんの大事なお仕事。
 今日も夕ご飯の前に、みきちゃんは散歩に行きます。
 すると。
 いつも通り道にしている公園のベンチに、忘れ物でしょうか、大きなカバン。
 黒い革のカバンで、大男のお弁当箱みたいに四角くて、あちこち傷だらけでなんだか古そう。
 忘れた人はきっと困ってる…みきちゃんはおうちのママに持って行こうとカバンの取っ手を引っ張りました。
 そしたら。
 がっしゃ~ん!
「あっ!」
 留め金が外れていたのでしょうか。蓋が開いて、カバンの中身を全部地面にばらまいてしまいました。
「あ~」
 いけないことやっちゃった…そんな気持ちがみきちゃんを泣きべそにしてしまいます。でも、ばらまいてしまったら、後かたづけをしなくてはいけません。
「ちょっと待っててね」
 みきちゃんはジョンのひもをを滑り台のハシゴに結ぶと、ひっくり返ったカバンのそばに座ります。大事なものかな、汚しちゃったかな。ちょっと心配。
 裏返しのカバンを持ち上げます。
「わあ~」
 みきちゃんは思わず大きな声を出しました。それは絵。キャンバスに描かれた綺麗な(でもちょっと古そうな)女の人の横顔です。ひっくり返った中身は他にも数枚のキャンバスと、絵を描く道具。
 絵の女の人が見たいですが、お片づけが先です。みきちゃんはキャンバスをベンチの上に載せると、パレットと絵筆を拾いました。
 そして絵の具。“そらいろ”に“うみいろ”…海色?
「あれ?」
 みきちゃんは気がつきます。みきちゃんも小学校のお絵かきの時間に絵の具を使うので12色の絵の具を持っています。
 バラまいちゃった絵の具も12色です。でもみきちゃんの全然知らない、不思議な色ばかり。
 はるいろ、なついろ、あきいろ、ふゆいろ、そらいろ、うみいろ、かぜいろ、にじいろ。
 つきいろ、ほしいろ、こいいろ(恋色)。
 そして、ゆめいろ。
「…」
 一体どんな色なの?みきちゃんはパレットを見ます。パレットにはいろんな色が混じった跡があります。
 キャンバスはどうでしょう。女の人の絵の他は…下描きでしょうか、鉛筆で木をスケッチしたものが一枚と、何も描いていないまっさらが二枚。
 と、その時。
「お嬢ちゃん。どうしたんだい?」
 黒いスーツに鍔のある帽子をかぶった、おじいちゃん(に、みきちゃんには見えた)男の人が声をかけました。
「あのね、みきがこのカバン忘れ物かなと思ってママのところに持って行こうとしたら蓋が開いてこぼれちゃったの」
 みきちゃんは言いました。ひょっとしてこれ、このおじいちゃんのものなのかな。こぼしたって怒られるかな。見たって怒られるかな。
 すると、
「そっか。それおじちゃんのだよ。ちょっと電話をしていたんだよ」
 おじちゃん(なんだ、おじちゃんか)はニッコリ笑って言いました。
 でも、悪いコトしちゃったのは確か。
「ごめんなさい…」
「いいんだよいいんだよ。留め金が壊れていてね。もう古いカバンだからね。どれ、おじちゃんが片づけようか」
 男の人はベンチのそばにしゃがむと散らばっている絵の具を集めます。不思議な絵の具、見たこともない絵の具。
 どんな色なの!?
「おじちゃん」
 みきちゃんは我慢できずに話しかけました。
「なんだい?」
「その絵の具、どんな色なの?みきも絵の具持ってるけど全然違う…」
 男の人は少しの間みきちゃんを見ました。
 そしてニッコリ笑って。
「じゃあ教えてあげよう…でも内緒だよ」
 男の人は言うとパレットを手に取り、絵筆を持ちました。そして、下描きの木のキャンバスを、ベンチの背もたれに立てかけます。
「お嬢ちゃんは、これ、何の木に見える?」
 みきちゃんは枝振りが目の前の桜の木に似ていると思ったから。
「桜!」
 と答えます。すると男の人は“はるいろ”の絵の具を一ひねり。
 出てきた色は桜色。
「ピンクだったんだ」
 男の人が筆先でちょんちょんと桜の花を描くのを見ながらみきちゃんは言いました。
 男の人が筆を止めます。そしてみきちゃんを見ると。
「さあ、桜の花が咲いたよ。お嬢ちゃんなら、あと何を描く?」
「ちょうちょ!」
 みきちゃんは言いました。春のお花が一杯咲いているところをちょうちょが飛んでいるのは大好き。
 男の人はピンク…に見える春色の絵の具をもう一度筆に取ります。
 すると。
「わ!なんで?」
 みきちゃんはびっくりしました。確かにピンク色の絵の具のはずなのに、男の人は黄色と黒のアゲハチョウの絵を描いているからです。
「どっちも春だからさ。春色の絵の具で描けるんだよ」
 男の人は笑いました。
「便利でしょ」
 男の人は言うと、今度は風色の絵の具を出します。その絵の具は一見水色。でも筆に載せて、サッとキャンバスを払うように筆を走らせると。
「わぁ…」
 なんと、描いた桜が桜吹雪。
 まるで魔法。
「この絵の具はね、描きたい人が“こうなって欲しい”と思うと、その通りになるんだ。おじさんの宝物さ」
「へぇ~いいなぁ~欲しいなぁ~どこで売ってるのぉ?」
 みきちゃんは訊きました。思い通りの色なんて。
 欲しい。絶対欲しい!
 すると男の人は残念そうな顔になりました。
「どこにも売ってないんだ。おじさんが若い頃に、町中で、たった一つきり店にあったのを買ったものだからね」
「ふーん…なんだぁ。つまんないのぉ」
「ごめんね。あ、でも待って」
 男の人は言うと、絵の具の中から一つ取り出して、みきちゃんの手に載せ、握らせました。
「あげる」
「え?」
「おじさんはもうその絵の具が使えなくなったからね。お嬢ちゃんならまだまだ一杯使えるし、何でも描ける」
 男の人は言うと手を離しました。みきちゃんは握った絵の具を見ようと手を開きます。
“ゆめいろ”
「わあおじちゃんありがとう!…あれ?おじちゃん?」
 みきちゃんは男の人にお礼を言おうとしました。
 でも男の人もカバンも、どこにも見あたりません。
 あっという間にいなくなってしまったようです。でもみきちゃんにはそれよりも絵の具にわくわく。
「…いいや。わーい、使ってみよう。何が描けるんだろう!楽しみ」
 みきちゃんは笑うと、絵の具をポケットに入れて、ジョンのひもをほどきに行きました。

 

夢色絵の具/終

 

……

そして現代の技術は、そんな絵の具をどうやら本当に作ってしまったようです。

 

ゆめいろのえのぐ

 

あなたなら、何を描きますか?

 

(東京工科大学の許可を得てリンク)

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【妖精エウリーの小さなお話】翅のちぎれたちょうちょの物語

 昆虫の翅は基本的に4枚です(退化したハエ等を除きます)。
 ですから、それより少ないならば、その個体は遺伝子の変異によってもとより翅を持たないか、後天的に失われたかのどちらかで、ほとんどの場合は後者です。特に、天敵に捕らえられ逃れたものの、その際に失った。というパターンはよくあります。ありますが。
「…は!?」
 ある晩、頼まれて子猫たちを遊ばせている最中、ビニールハウス脇に置いてあるドラムカンの中にそれを見つけて、私は目を疑いました。
“捨てて”あるのです。モンシロチョウの遺骸が大量に。白く敷き詰めたように。
 しかもその殆どが、翅をちぎられて酷い姿にされている。Hane2
〈どうしたの?〉
〈ねぇエウリディケさんどうしたの?〉
 子猫たちが訊いてきます。それは端から見れば、髪の長い白装束の女がドラムカンを覗き込み、足下では子猫が3匹ニャーニャー鳴いている、そんな状況。
 でも私には子猫たちの意志が判っています。なぜかというと。
「かわいそうなことが起こってるの。…ちょっと待って」
 私は子猫たちに答えようとし、その意識に気づきました。瀕死の重傷。諦念。
 ビニールハウスの中からです。私は入って行こうとし、警備システムを発見し、立ち止まります。このままでは入れない。
 次の瞬間、私は身長15センチの手のひらサイズで中空に浮かんでいます。外見こそ人間の女性そのものですが、背中には薄緑に映じる膜状のものが羽ばたいています。
 妖精族の生き物だ、と言ったら、信じて頂けるでしょうか。ただし、私はギリシャ神話のニンフの血を引いており、ニンフがそうであった人間サイズと、ケルト伝承の手のひらサイズと、二態を取れます。
「ちょっと待っててね。道路に出ないでね」
 私は猫たちに言うと、胸元のペンダントをたぐり寄せ、先端の青い石を手に持ちました。
「リクラ・ラクラ・テレポータ」
 呪文です。青い石が反応して光を放ち、私の体は刹那の時を経てハウスの中へ瞬間移動。
 諦念の主を探してハウスの中をゆっくり飛びます。中ではスイカを栽培しており、赤外線のセンサが侵入を監視中。
 主は葉の裏にいました。絶望と、痛みと、悲しみ。
 モンシロチョウのメスです。その翅はドラムカンの仲間と同じく3枚にされ、縁の部分はぼろぼろのギザギザ。しかも翅のちぎられた傷口からは…ううん、書かない。ただ…ごめんなさい、妖精には生殺与奪の権限も能力もない。
〈妖精さん〉
 息も絶え絶えという感じで、モンシロチョウは私に意識を向けました。ネコとのお喋りもそうですが、私たちの会話は基本的に意識と意識の直接交流、すなわちテレパシー。
〈どうしたの?何があったの?鳥やカマキリから逃げてきたって様子じゃないね…〉
 チョウはもはや意識を言葉に紡ぎ直すこともままならないようです。読み取ってとばかりに、記憶の画像を連続写真のように私に見せます。
 それから出来事を組み立て直すと次のように書けます。このハウスの隣、キャベツ畑を飛んでいたら人間の男性に捕らえられ、このハウスに入れられた。程なくして子どもたちがたくさんやってきて、しばらくは飛んでいる自分たちを眺めていたが、やがて同じくハウスにいたカマキリに食べさせたり、その際に逃げないようにと翅を引きちぎり始めた…
〈ここは、地獄、です…〉
 モンシロチョウはそこまで紡ぎ出したところで、葉っぱに掴まっている力を失いました。
〈私らも同じですよ〉
 別の存在が言います。カマキリです。メスであり、背後にいます。私はチョウの亡骸を両腕に振り返ります。
 私は、思わず、はっと息を呑みました。
 勝手に涙が溢れてきます。こんな酷いことそうそうあるでしょうか。
 そのカマキリは頭部が欠損。昆虫の“脳”は小さいのが身体の各部に分散し、相互に連携を取って動くという“神経節神経系”を構成しています。だから、頭部が無くても。
〈あなたも子どもたちに?〉
〈ええ、チョウを押しつけてくるんですが、満腹じゃいりませんよ。すると食べないと見るや、私を怒らせて遊び始めましてね。指先で頭はじくわけですよ。それがそのうちエスカレートして〉
 それ以上言わなくていい。私はカマキリの首筋をそっと撫でます。
 とてつもなく、残酷なことが行われていることは確かです。
 調べなくてはなりません。妖精はそれぞれ使命を持っていますが、私の場合は昆虫や動物たちの相談相手であり、幸せに導くこと。
 翌日。
 キャベツ畑の傍らで子猫たちがじゃれ合い、畑の中をモンシロチョウがひらひら舞う。
…一見平和な光景です。私は子ネコたちを見守る母ネコと共にいます。
「ごめんね、ありがとう」
 私は母ネコに言いました。それとなくここにいるため、付き合ってもらったのです。
〈いいえ。いつもお世話になってますから。でも、この畑の人がねぇ。去年からやっているけど、いつもニコニコして子どもたちをビニールハウスに入れてますよ〉
 母ネコは顔を洗いながら言いました。持ち主は昔からこの地で畑を、という感じではないようです。調べると畑にはカンバンが立っており、都心部から農業に目覚めて移住した人を補助する無農薬栽培の畑、的な内容が書かれています。つまり素人向け貸し畑。
 無農薬ですからキャベツは当然に虫食いになります。実際葉っぱは結構食べられている方と言えます。それで頭に来てというシナリオなのでしょうが、見る限りその痕跡はモンシロチョウのものばかりではありません。キャベツを食べる虫イコールモンシロチョウというイメージは強いですが、オンリーでは決してない。
〈来ましたよ〉
 母ネコが言い、私はその背中から走ってきた軽トラックに目を向けます。麦わら帽子にランニング。頭に白いものが混じった男性です。トラックの荷台からビニール袋と捕虫網を取ります。
 まずネコたちに気づいたようです。しかし特段関心は見せずキャベツ畑の中へ。
「また来てやがる」
 唾棄する、という表現を使いたくなる行動をし、早速捕虫網を振ります。キャベツ畑にくるチョウは産卵目的が殆どで、従って少しの間ですがキャベツの葉っぱに止まることになります。そこを網でひょいひょい取って行く。
 1時間近くも網を振ったでしょうか。男性はチョウでいっぱいのビニール袋を持ってハウスへ向かい、入り、出て来ました。
 ビニール袋は空です。チョウを中に放ったと見られます。
 そこで軽トラに乗ってどこかへ。時間的に昼食でしょう。私はハウスに移動します。
 母ネコに礼を言いハウスの中へ。飛び交うモンシロチョウは何十匹か。
 逃がしたい衝動に駆られますがそれで救われるのはこの子たちだけ。それでは残酷行為は収まりません。
 チョウたちが私に気付きます。私は意図を説明。
「その時が来たら私が身を挺すから」
 チョウたちは怖がるでなく、私を信じてくれました。
 2時くらいになったでしょうか。男性が軽トラで戻ってきました。車内から何か抱えて降りてきます。それはボール紙で作った看板“ちょうちょのおしろ”…入場料10円。
 戦慄を覚えます。金を取って子どもたちにチョウを殺させているのでしょうか。
 子どもたちがやってきます。ランドセルを背負っており、帰宅途中。
 男性にお金を払い、次々ハウスに入ります。舞い飛ぶチョウに歓声を上げ、追いかけ、
やがて、男の子の一人が、気づきます。
「あ、カマキリいんじゃん」
「…食わしてみようか」
「やめなよ」
 女の子の誰かが制します。が、男の子たちは聞く耳を持ちません。野球帽を振り回し、ついにはチョウを捕らえます。
 そこで私は見ていられなくなりました。
 着ていた白い貫頭衣(toga:トーガ)、神話の女神様と同じ衣服を、頭からすっぽりかぶり、翅で飛び立ちます。
「なんだこれ真っ白!」
「こんなカゲロウ知らねぇぞ」
「捕まえろ捕まえろ」
 男の子たちが帽子を振り回します。私は適当に逃げた後、わざと掴まろうとしました。
「なんだ?どうしたんだ?」
 中で騒いだせいでしょう、男性が入ってきます。子どもたちは天井近くに浮かぶ私を指さし、獲りたいと訴えます。
 男性は一旦ハウスを出、程なく戻って来ました。
 その時でした。
 男性の足下、スイカの蔓の下で、地面が動き、盛り上がります。地中から何か生き物が出てこようとしています。
 顔を出したのはモグラ。アズマモグラ。ハウスの中にいて、足音に驚いたのか。
「あ、モグラだ」
 今にして思えば、このとき、子どもたちと同じように、私もモグラに意識を向けたのが、いけなかったのかも知れません。
 男性は、出てきたモグラに、捕虫網の棒の先端を突き刺しました。
 何の躊躇もなく、一瞬もとどまることなく。
 人間さんは“残酷への禁忌”を遺伝子に持っていないと聞きます。それは太古、狩猟という行為の邪魔になったからでしょう。その代わり、狩猟により生じる一種の残酷は“死”に直結することを遺伝子に刻んでいます。
 従って、よく幼い子が、平気で虫を殺し、体節を引きちぎって遊ぶのは、それが残酷に見えないからだと考えられます。対象が小さい故に。その死を実感できない故に。
「多いな。チョウといいこれといい、全くどこからわいて来るんだか。死ね死ね」
 男性はモグラとその生命を蹂躙しました。
 結果、子どもたちは大声で泣き出し、悲鳴をあげて逃げ出し始めました。
「信じらんない!」
「もう来ねぇよ。バカ!死ね!」
 男性は子どもたちの“突然の変化”にとまどいながら後を追おうとし、足を止めました。
「なんだ?いったい」
 理解できないようです。果たして男性がハウスに戻るとモグラの身体を手にした私と遭遇することになります。私の両の手はモグラの血液と漿液にまみれ。
「なんだおめぇは。いつ入った?どうすんだそれ」
 男性は余所者を咎める口調で言い、失われた命を顎で“それ”と言いました。私はこの男性に対し、山ほどの言いたいことが、思いがありましたが、この瞬間、悟ったのです。この者は命を知らず、知ろうともしないと。何でモグラがこの畑に多いのか。
 私はハウスのビニールを魔法の流儀で切り裂き、穴を開け、チョウを逃がしました。
「あ、てめー何しやがる。…馬鹿野郎全部逃がしやがって」
「子どもたちは、もう、来ることはない」
「ああ!?…うるせぇ。帰れ帰れ。人の畑に勝手に入りやがって」
「ええ。帰ります。言われなくとも。虫の報いは虫によって…リクラ・ラクラ・シャングリラ」
 私は捨てぜりふを言い、呪文を唱え、そこからスッと消えました。行く先は天国の一角。
 その後。
 先の母ネコによると、その晩、男性のキャベツは一晩でほぼ全滅したそうです。
 犯人はヨトウガの幼虫ヨトウムシ(夜盗虫)。モンシロチョウよりも何倍も大きく、大量に発生し、サナギになる直前はきわめて旺盛な食欲を発揮、畑全滅も珍しくありません。
 彼らは、名前の通り夜活動し、土の中に隠れるため、男性は気付いていなかったようです。モグラは、そういった土の中の虫を、よく食べるのですが。

 

翅のちぎれたちょうちょの物語/終

妖精エウリーの小さなお話・一覧

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【大人向けの童話】隣の家の謎の人

 ようすけの家と、通う小学校との間に、もう一つ“小学校”がある。
 そこは、呼吸するのに機械が必要とか、大人のサポートが必要とか、ようすけ達の市立小には通うことが出来ない子ども達のための学校である。設立者の名を冠し、“大多喜学園”という。
 私設の学校であるが、歩いて5分という近さもあって、市立小とは随分前から交流が進んでいる。演劇、合奏、紙芝居…。学年ごと順繰りに、市立小の方から公演に行く。最も、学園の子ども達が出来ることには限りがあるので、しばらくの間は“交流”とはいえ、このような一方通行だった。しかし、21世紀に入ってから、技術の進歩がこの一方通行を文字通り“交流”に変えた。
 パソコンとインターネットだ。
 指はもちろんのこと、声で、目線で、文字が入力できる。公演の感想は電子メールで市立小に寄せられ、学園から添付ファイルで送られた脚本が劇になった。学校対抗でオンライン将棋大会をやったし、市立小の運動会をネットで学園に生中継した。悲惨な少年事件が起こると、スクリーンに画面を映して、チャットでなぜかと話し合った。
 “IT時代ならでは”とかで、地元のテレビも何度か取材に来た。でも、出来上がった番組に、市立小の子ども達はいつもカチンと来た。
 “障害児学級との交流”という見出しでありアナウンスだ。
 確かに、学園のような施設を、世間一般では障害児学級とか言うらしい。でも、“障害”と書くと、“正常を遮るもの・普通じゃないこと”みたいな印象があって、市立小でそう呼ぶ児童は一人もいない。確かに、自力で動くことが出来ないというのはハンディキャップかも知れない。でも、メールやってる分には何のことはない。単なる“隣の学校の子”、だからだ。
 “市立側からの奉仕”みたいな捉え方も頭に来る。お義理じゃなくて好きだからやっているのだ。運動会の開会式で延々挨拶だけしてすぐいなくなった来賓が、学校通信に“学園の方々にも喜んでもらえたようで”みたいなコメント書いてるのを見ると、“こんなの学園の子に見せたらどれだけ傷つくか”といつも思う。学園とのやりとりを通じ、市立小の児童達が学ぶというかよ~く思い知るのが、“オトナってのはテーサイだけの生き物だ”ということだ。そのせいか、市立小の卒業文集には、職業に対する夢は書いても、“オトナ”になりたいと書く児童は一人もいない。が、それに気付いた教諭はまだいない。
 さて前置きはこのくらいにして本題に入る。その学園のとなりに大きな敷地を有する平屋の空き家がある。なまじ広いうえ、植え込みに囲まれて中が見えないため、夜になると闇に包まれ、暗がりにボワンと佇む不気味さから“幽霊屋敷”と呼ばれていた。
 その“幽霊屋敷”に誰かいるらしいというウワサが広まったのだ。それはちょうど、全学年にまたがる“鉄道おたく部”が、放課後集まって鉄道模型の出張運転(並べた机の上に持ち寄った線路をつなげ、電車を走らせる)に出かけていた際の出来事であり、ウワサは翌日には学校中に広まった。

“がしゃんと音がした”
“ヘンな音楽が聞こえた”
“あーっという声が聞こえた”

 10人以上が同時に感じたことなので、信憑性の高さでは比類が無く、しかも、隣の学園の事情もあり、犯罪を背景にした何かがあるのでは、という不安を煽った。
「それはようすけ達の考えすぎ」
 食器を洗いながらお母さんは言った。
「あそこはね。元々、その幽霊屋敷と学校の敷地が一つの土地で、屋敷にはおじいさんとおばあさんが住んでいたの。亡くなった後ソウゾクゼイというのを払う必要が出てね。土地を切り取って売ったわけ。そこに出来たのが学園。でも屋敷自体は、おじいさんおばあさんの親類の方が引き継いだの。でも外国にいるからここには住めなくてね。その音とか声は、屋敷の管理を頼まれてる人が掃除しに来たのよ」
「でも…」
 音と声は説明つくにしても、“変な音楽”はどうだろう。
「子ども探偵はマンガだけにしてちょうだい。何かあれば学校なり自治会報なりで連絡が来ます。宿題は終わったの?」
「まだで~す」
 ようすけはしぶしぶ引き上げた。
 翌日、学校でその話題は下火になっていた。ようすけと同じ説明を受け、納得した子どもが多かったのだ。
 しかし、しかしである。
「さっきパソ室行ってようめい君のメール開いたらさ、今までは掃除する前には学園に挨拶があったんだって。ホラ、ホコリでぜんそく起こしたりすることもあるからさ」
「やっぱり怪しいんだよ」
「どうよ」
 平沢ようすけ。匠こういち。永井やすとし。3年1組探偵団がここに結成された。
 ようめい君へメール。

Re:隣の家の謎の人
今夜突入して調べる!(^^)v

 夜8時過ぎ、3人は星座の観測とウソをついて学園前に集まった。
「合言葉決めようぜ」
「じゃぁ『ノコギリ』で『カブトムシ』だ」
「ノコギリクワガタじゃねーのか?」
「当たり前じゃ合言葉になんねーじゃん」
「判った」
 まず入口を捜す。門は背が高く、細いパイプを縦に並べた形をしている。手足を引っかける場所が無く、登れる感じではない。
 植え込みに沿って歩き、入れそうな場所を探す。
 学園との境目にあるフェンスによじ登り、屋敷の北側へ。
 北側に回ると、植え込みの下の方に隙間が空いていた。日当たりの影響で、植え込みの木が下の方に葉を付けないのだ。
 這って潜り込む。
 そのまま這って建物に近づく。下は土だが、急に冷たいものに触れた。
「おっと」
「どうした?」
「待て」
 懐中電灯で照らす。レンズに赤いセロファンが貼ってあって光は目立たないようになっている。ちなみに、本当の天体観測の場で懐中電灯を使う場合は、この赤セロファン使用がマナーだ。
 映ったのは鉄の棒…棒2本。いや、その構造は。
「線路だ」
「は?」
「ミニSLってあんじゃん。あれだよ」
「ああ。でも何で?」
「知らねーよ」
 線路を越えて建物に接近。
 壁に背を付け、窓の下へ移動。
 そうっと立ち上がり、窓から中を見る。
 当然真っ暗。誰かいる気配はない。
「カーテンでよく見えない」
 ようすけは電灯で窓から中を照らした。
 その途端。
「き・み・た・ち」
「!」
 3人の発した叫び声は、近隣の家々に窓を開けさせるに充分なものであった。
 凍り付く3人を見つめているのは、物々しい姿の警備員、警官、そして学園のスタッフに3人の母親。
 3人がフェンスによじ登ったことで、学園の警備システムが反応、警察が動き、市立小の 防犯メール情報が流れたというわけだ。
「あの、あの…」
「ばかちん」
 ようすけの頭をお母さんがポン。
「いやぁ、なまじ隠しておいた方が悪かったようだね」
 初めて聞く、低い男性の声がした。一見して高級と判る黒縞のスーツを着た、背の高い男性である。
「犯人はボクだよ」
「…は?」
 3人は屋敷の中に案内された。電灯が点くと、屋敷内部一杯に広がるジオラマ。
 未完成であり、所々ベニヤ板むき出しではある。しかし、エッフェル塔や、インドの何とか言う寺院(作者註:タージマハル)など、見たことのある建物があるのが判る。
「ボクは大多喜慶吾(けいご)。ここの学園長の息子さ。君たち市立小のみんなのこと聞いてね。ボクにも何かできないかと思って、ここを買い取ってイタズラしようとしたんだよ」
 男性曰く、商社マンで世界中を飛び回る仕事をしているが、それを利用して、あちこちの知人宅にカメラを置かせてもらったと。
「このジオラマにあちこち小型のテレビを置いてね、ジオラマの元になった風景をネットで中継して映すんだ。他にも…」
 男性はタージマハルの前に手をかざした。
 …謎の音楽。これか!
「センサーで反応するようになってるんだ。学園の子たちが、君たちの所の鉄道模型を結構面白がるって話聞いてね。外に大きいのも用意したし」
 男性は、“模型の車輌に仕込んだカメラで、模型が走る風景を映し出すシステム”を使い、このジオラマに線路を敷き、電車が通過すると、各地方の音楽が出るようにするつもり、と話した。
 学園の子達にコンピュータ制御で自由に電車を動かしてもらい、ジオラマで世界旅行が出来るというわけだ。更に、ジオラマ内のモニターで、実際の風景をも見ることが出来る。
「こっそり完成させて突然公開の予定だったんだが、おととい潜って配線していたら頭をぶつけてしまってね」
 声と音が出た。そういうことか。
「どうだい、探偵団の推理はどこまで合ってたんだい?」
 ふくれっ面のお母さん。
「勝手に入り込んですいませんでした」
 探偵団は解散した。
 ジオラマを1番列車が走るのは、それから2ヶ月後のことである。

Re:Re:Re:隣の家の謎の人
> どうだった?
ごめん。親につかまっちゃった(^^ゞ

隣の家の謎の人/終

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【大人向けの童話】箱の中・籠の中・そして手のひら

「拾ってきても規則で飼えないんだよ」
「だってかわいそうじゃん。放っといたら死んじゃうじゃん!」
 玄関ドアを開けようとして、聞こえてきたのは、妻と娘のそんなやりとりと、わぁわぁという娘の泣き声。
「ただい…」
「お父さんこの子飼ってあげようよ可哀想だよ死んじゃうよ」
 娘はやせ細った子猫を抱いてしがみついてきた。小学校3年生。見ないふりして通り過ぎる…ことのできる年齢じゃない。
 いつも思うことだが、こういう動物を捨てる行為、命を粗末にするのみならず、人に迷惑を掛け、子供心を傷つける…ロクなことは一つもない。ロクな死に方しませんぜ、あんた。
「まぁ、まず病院へ行って、病気がないか診てもらおうや」
 オレは言った。痩せているのは栄養不良であり病気の可能性があるのは確か。
 …動物病院経由で里親が探せないかという下心もある。
「うん」
 娘はニッコリ頷いた。飼って貰える…という笑みだろうが、恐らくは今後もう一度大泣きさせなくてはならない。
 ボール箱にタオルを敷き、猫を寝かせて病院へ。
 野良拾ってきたと話したら、オレと似たような年の男性獣医は一通り感染症の検査。
「栄養不良と…内臓が弱っていますが、感染症などはないですね。飼われるようでしたらワクチンなど打ちますが、如何されますか?」
「…あのう、そのことなんですがね。何せアパートなもんでペット禁止で、出来れば里親を見付けてやりたいなぁと。それで、もしこちらでその手の…」
「実はよく頼まれるんですが」
 獣医は言い、受付の助手おねーさんにノートを持ってきてもらった。
“里親希望台帳”
 開けてびっくりリストびっしり。ちなみに“引き取り完了”の欄にマルが付いているのは4つだけ。あとはその部分空欄で、古い日付は2年前。
 この子達はどうなったのか…考えたくもない。
「やめときます。ワクチンは打ってやって下さい」
「判りました。猫飼われたことは?」
 ケージ、トイレ砂、爪研ぎ用の木ぎれ、エサ数種類に飼い方のパンフ。
「クレジットカード使えます?」
 サインしている傍らで、わらわら並んだ飼育グッズに娘の目はキラキラ。
「飼ってくれるの?」
「飼ってくれる人が見つかるまで預かるの。禁止は禁止なんだから」
「ちぇ」
 情が移る前にとか良く聞くが、…まぁ、手遅れかも知れぬ。
 帰宅して玄関にドカドカ荷物を積み上げる。ニッコリ笑顔の娘に対して妻は唖然。
「飼うの?」
「とりあえず保健所回避ってことだよ」
「で、どうするの?」
「里親探すさ」
「どうやって」
「オーソドックスな方法しかないだろうが」
 買ってきたグッズで住み家を用意したところで、ネコをデジカメで撮影し、娘とパソコンにかじりつく。獣医診察済み、ワクチン注射済み。預かって下さる方にはグッズもつけます…スーパーのおまけ付き特売じゃあるまいし。
「連絡先はオレのケータイでいいよ」
 いたずらやオレオレがかかってくるかも知れないが、最悪番号変えればいい。
 チラシできあがり「このネコの里親を探しています」。
 問題はこの後、どこに貼るか。
 人の多い場所…駅、それこそスーパー。
「電話して貼っていいかどうか訊いてやるよ」
「じゃぁあたし学校でみんなに配る」
 印刷したのは50枚。
「私にも少し出して」
 呆れたように妻が言う。
「奥様連中に頼んでみるから」
「わーいおかあさんありがとう」

 翌日。
 昼休みに電話してきたのは妻。
「大家がカンカンで電話してきた」
「もうばれたのか」
「クラスに配ったチラシが原因。今週中に何とかしろって。土曜日確認させてもらうって」
「んな無茶な。家宅侵入に当たるんとちゃうんけ」
「知らないよ。どっちにせよ契約違反を盾に取られたら」
 やだねぇ、大人って。
「隠せ」
 オレはため息混じりに言った。
「は?」
「さゆりと仲のいい子いたろ。同じアパートで」
「ああ、佐藤さん?」
「預かってもらって」
「…それは向こうにしてみれば大迷惑ってものじゃない?」
「じゃぁクルマだ」
「閉じこめるの?」
「そうじゃない。丸一日ドライブしてくる」
 妻は無言。唖然となったか。
「私にごまかせって言うのね」
「ご明察」
「そのくらい日頃の家事にも気を利かせてくれたらいいんだけどね」
「何か買ってくるから」
「お安くないわよ」
 そんなわけで土曜は敵の“朝駆け”を警戒、7時には家を出た。
 アテがあるわけではない。が、普段狭い場所に閉じこめているので、広いところがいいだろうと高原地へクルマを向ける。
 高速を飛ばし、山道を上り、広々とした草原へ。
 ケージのフタを開けると、小さなネコはおっかなびっくり。
 痩せて、小さくて、足元は心許ない。
 それでも娘の後を追い、目の前を飛ぶ小さなチョウに手を出したり。
 尻ポケットでケータイがバイブ。
「大家が来た?」
「うん。今帰ったよ。まぁ今回は大目に見てやるからと恩着せがましくグチグチと…ウチがあんたに何かしてもらったのか?ってもんよ。娘にも良く言い聞かせろって」
「捨て猫捨て犬は無視しなさい。うん判った…って言うかバカ。お前子どもの時代無かったのかバカって」
「私に八つ当たりしないでよ。で?いつ帰る?」
「今から“栗おこわ”でも買って帰ればちょうど晩飯くらいだろ」
「判った。ついでに鮎の煮付けでも買ってきて」
 こうしてその日はそれで済んだ。
 済んだ訳だがその代わり。
 その晩からネコの体調が悪くなった。長時間クルマで移動したせいか、見慣れぬ場所に突然放り出したストレスか、高原地帯往復した気圧差か。
 月曜の午前、妻から電話。
「お尻から血が出た。病院へ連れて行く」
「結果教えてくれ」
 結果は娘への説明に困窮するような内容であった。
「仔猫衰弱症候群?」
「原因は様々。免疫とか聞いたけど難しくて覚えてない。要は痩せすぎだったのよこの子。自分を維持する体力がなかったというか。もう…多臓器不全の状態だって。大体、動物が子供を複数産むのは、死ぬ数が多いことの裏返しって言われたよ」
「どうしろって?」
「どうにも…だって内臓器官がまともに動けない状態なんだよ。治療にならないので費用は受け取れませんって言われた」
 妻は涙声。“母親”なのだ。ネコとはいえそんな話聞かされたら涙も出ようて。
 ぐすぐす言う電話はつながったまま、すなわち、オレに回答を求めている。
「人間なら…どうするんだろうな」
 オレは言った。命あっさりあきらめるのは“親”の姿勢じゃないだろう。
「え?」
「人間の子どもが同じ状態だとしたら、現代医学は何をしようとするか」
 妻は唐突に電話を切った。
 その意図をオレは判じかねた。何か誤解してショックを受けたか怒ったか。
 否、昼休みにその答えが返ってきた。
「獣医に状態を聞いてさ、人間で同じ状態だったらどうするって内田(うちだ)さんに訊いてみたよ。娘の精神安定に関わる話だから教えてって言ってさ…」
 内田というのはかかりつけの小児科。
 ただ、何を言われたかは、妻の声のトーンから、「それで?」と訊くことすら躊躇われた。
「全臓器移植、血液交換。だって」
「ああ…」
 言葉が出てこなかった。人間でそういう手術を試みれば新聞ネタの困難度超Aクラスだ。ちなみに、本当にやろうとするならば、まずHLAという血液型と似た概念の免疫の型を調べ、何万分の一という確率で存在する型の合致する人を見付け、なおかつ臓器提供を受けなくてはならない。しかも、仮にそこまで一撃で見つかったとしよう。次に行うのは、現在自分自身の持っている免疫細胞を放射線で殺すこと。新しい臓器や血液を攻撃しないためだ。
 要は金を積んでも時間が足らぬ。
 生き物を飼っていればいつかは訪れる事態ではある。子どもはその心に激しく深い傷を負い、引き替えに、かけがえのないものの存在を知る。
「どうする?」
 妻が回答を要求する。
「何も言わなくていい。さゆりにただ見せろ」
「そんだけ!?」
「悟るよ。そしていろいろ訊いてくる。訊かれたことだけ答えよう。医者には診せた。クスリは与えた。出来るだけのことはみんなやった、てね。あとは、オレが病院で詳しい話を聞いて帰る、と言えば、何も言わないだろう」
「もう一度病院とか、他の病院とか言ったら?」
「動かしちゃいけない」
「…騙してるみたいで好きじゃないな」
「獣医の宣告を聞かせるのとバーターさ」
「大人ってやだね」

 病院へ寄って帰る…と言った以上、残業して逃げるわけにも行かなかった。そして、実際に病院で話を聞いた。
「免疫介在性の溶血性貧血」
 玄関ドアを開けるなり、娘に何か言われる前に、オレは一言いった。
 それは妻が聞いてきた“症候群”の推定原因の一つに過ぎない。ただ、よく判らないけどだめだった、と言いたくないので、これを選んだだけだ。
「貧血?」
 娘は駆け寄ってくる足を止め、首を傾げた。
「朝礼でぶっ倒れるあれじゃないよ。言ってみりゃ血が貧乏という意味の貧血だよ」
「どうすれば治るの?」
 当然の質問。
 オレが出来たことは。
 そのまま娘を抱き寄せて抱きしめるだけ。
「…だからどうすれば…お父さん泣いてる?」
 言葉で伝えられないから…狡いな、オレは。
「今どんな様子だ?」
 情けないほど涙声だが、まぁ、仕方がない。
「苦しそうに、苦しそうに息してるよ。目開けない、動かない」
 部屋に向かうと、篭の中にタオルが敷かれ、小さなネコが大きく身体を動かし、息をしている。手で触れると脈が速い。ふと見ればダイニングでは夕餉の準備がすっかり冷めている。まぁ妻も娘も、瀕死の猫の傍らで平気で飯食える神経とは思わない。
 ひゅう、と耳に聞こえる音を立ててネコが息をした。
「あっ…」
 娘が痛いような声を上げ、その目から涙がバラバラっとタタミに落ちる。
 猫の目が開いた。
「…にゃぁ」
 娘を見、小さく、かすれるような声で鳴き、なでさする娘の手に肉球で触れ、
 すぅっと、力が抜ける。
 神様、あんた、残酷だ。
 娘の泣き方がどれほどだったかなんて、いちいち文字に起こして描写はしたくない。
 ただ、玄関チャイムの鳴らされる音だけは聞き取れた。
 妻が涙を拭いて立ち、インターホンの受話器を取る。
「はい…ああ、そのネコならたった今死にました。飼育用具ご入り用でしたらお譲り…え?ですから死んで…はぁ。お待ち下さい」
 妻はインターホンの送話口を手で塞いでオレを見た。
「ネコ見せてくれって。その状態でって」
「亡骸を?おかしい奴じゃねえのか?男?」
「女の人…ネコに代わってお礼を言わせて下さいって」
 そのセリフ端的にはハァ?である。ただ、こと生き物に関しては、そういう宗教的とも思える事を言い出すのは。
「あれだろ、捨てネコ無視できないタイプの人だよ。チラシ見てどうなったか、そして死んだら死んだで見届けたいってのさ。いいよいいよ」
「…わかった」
 半信半疑で妻が答え、ドアを開く。
「突然すみません…チラシを見て気になっていて…」
「いいえ。どうぞ」
 入ってきたのは結婚式の最中抜け出して来た花嫁か、という感じの若い女。ウェディングドレスでこそ無いが、それを思わせる白いふわりとした…まるで女神の装束。髪の毛は茶髪で長い。
「お姉ちゃん、誰?」
 娘は真っ赤に腫れ上がった目で、えぐえぐしながら誰何した。
「ネコなら…死んじゃったよ」
「拾ってくれたのはあなた?」
「そう…何でもっと早く来てくれなかったの?もっと早く来てくれればこの子生きてたのに!。死なないで済んだかも知れないのに!」
「これ、さゆり」
 妻が制す。“お姉ちゃん”は何も言わず、亡骸となったネコを篭の中からすくい上げた。
「幸せな子」
“お姉ちゃん”は呟いた。
「え?」
「守ってくれたじゃない。チラシを作って、クルマで逃げて、病院に行ったり訊いてくれたり。この子のために、ご家族の皆さんで、これほどの愛情を受けられるネコがどれだけいるでしょう」
 その発言には正直驚いた。“敵前逃亡”を知っているのは家族だけのはずだからだ。
「失礼ですがどうしてそれを」
「長いことネコと向き合ってますと、判るんですよ。当日、団地脇のゴミ集積場の前を通りませんでしたか?」
「ええ…」
「そこのネコに聞きました」
「お姉ちゃんネコと喋れるの?」
 娘は目を剥いた。
「あなたの気持ちだって、充分、この子に伝わっていたよ。…それで、あのよろしければ、わたくしのほうで丁重にこの子を天国へお送りできますが如何致しましょう」
「と申されますと?」
 妻が訊く。
「こちらのアパートのお庭や、ましてや役所に手続きしてとなると」
「よろしいんですか?」
「ええ、見つからないように、とか、“処分”なんて可哀想ですわ。ちゃんと最期の瞬間まで見届けて下さった。守って下さった。この子の代わりに、わたくしからお礼として」
「どういうこと?」
 娘が尋ねる。
「このお姉ちゃんがお墓作ってあげてもいいか?って。ほら、この辺埋めてあげるとこないでしょ?」
 妻が言った。
「どちらか…動物墓地か何かお持ちで?」
 これはオレ。
「ええまぁ、そんなようなものです」
「そりゃ私どもとしてはそうして頂けるなら、何もしてやれなかったこの子にせめてものって気はしますが」
 妻は言い、女性の手の中の亡骸をそっと撫でた。
「さゆりはどう思う?」
 オレは娘に訊いた。一応、ネコに関する我が家の責任者は娘だ。
「お墓、どこに作るの?」
「ちょっと…遠いんだ。意地悪な人や、そうやって捨てる人の住んでるところのそばに、作りたくないじゃない」
「すぐ行けないところ?」
「ごめんね」
「でもお姉ちゃんはすぐ行ける場所だよね」
「うん」
「じゃあお手紙書くから読んであげてくれる?」
「もちろん」
「じゃぁ、それでいい」
 娘は了解した。
「でも、本当によろしいんですか?永代供養料とか」
 妻が訊いた。
「とんでもない。むしろこんなお礼しか用意できないわたくしをお許し願いたいくらいですのに」
「…はぁ」
 やや理解しがたいが好意はありがたく、ペット供養で一儲けってな手合いでもなさそうなので、我々夫婦はネコの亡骸を彼女に任せることにした。役所は“焼却処分”だし、近隣に埋めようにも、他人様から見れば、かわいいペットの亡骸も、クルマに轢かれたヘビやネズミも“死体”である。
“お姉さん”はネコの亡骸を丁重にタオルでくるみ、両の腕で大事そうに抱えた。
「ではこの辺で。この子のために尽力下さった皆様に心より感謝申し上げます。あ、この子の名前は“アルパ”でいいのね?」
“お姉さん”は娘に尋ねた。
「あ、うん、はい」
「それでは…」
“お姉さん”は玄関ドアから歩き掛け、止まって、こちらを見た。
「あの山にいた綺麗な青いチョウは、“ウラナミシジミ”よ」
 それだけ言い、ドアを閉める。
 虚を突かれたとはこのことか。確かに“逃避行”の高原で、ねこぱんちで戯れたチョウは、翅が青くて綺麗だね、家で図鑑で調べてみようか、みたいな話を娘としたが。
 何故判る。
 加えて。
「さゆり、名前付けてたの?」
 妻が尋ねる。別れが辛くなるならやめとけと制していたのだ。
「え?うん…てゆーか、考えてはいたよ。アルパって。でも誰にも言って…え?何で?あ、しまったお姉さんの住所聞いてない」
 娘は慌ててサンダルを突っかけドアを開け、すっかり夜になった外へ出た。アパートの階段を下りて…であるから、まだアパートの近くにいるはずだが。
「おねーさーん!猫のおねーさーん」
 サンダルのカラコロ言う音が行ったり来たりしてる辺り、姿が見えないと言うことであろう。
 こっちも廊下から身を乗り出して見回したが、見える範囲に人影無し。ただ、娘が茫然とこちらを見てるだけ。
「いなくなっちゃった」
「みたいだな」
 下へ降り、道路へ出、もう一度隅々まで見渡す。視界利く範囲人影無し。
「不思議なお姉さんだったな」
「うん」
「良く、ネコ好きで、捨てネコを見て見ぬふりできないって人がいるけど…この辺、そういう人いるか?ホラ、家の前にネコがわんさか集まってる家ってあるじゃん」
「踏切の向こうにいるけどおばあちゃんだよ」
「そうか」
「あーあ、お手紙どうしよう。折角最期ににゃぁって言ってくれたのに、何にも言ってあげられなかった」
「じゃぁあの辺に向かって心でメッセージ送りなさい」
 オレは星空を指さした。ふたご座と北斗七星…の間辺り。
「何にも見えないよ」
「この都会じゃなかなかね。でもあの辺に“やまねこ座”って星座が設定されてる。目立たないものにも目を向ける。そういう人じゃないと判らないよ」
「ふーん。あ流れ星!」
 それは誰かが、宇宙の向こう側から、光を放つペンでサーッとひっかいたかのよう。
 少し光跡を残し、すーっと消えて行く。
 そのやまねこ座の方向へ向かって。
「あれ流れ星だよね」
「うん」
「なんか…なんだろ、琴の弦がぴいんと弾かれて、音が消えてくみたいだった」
「さゆり」
「なに?」
「お前、アルパ、ってどういう意味か知ってるか?」
「え?アルパって意味あるの?…あたし勝手に耳によさげな組み合わせで付けたんだけど」
「ハープのラテン読みだよ」
「ハープ…」
「日本語で琴だよ」
 娘は目を剥いた。偶然の一致を感じて同然だろう。
「あの子は日本語風にはコトちゃんになったのかな?」
「コトちゃん…コトちゃんか」
「ネコと住める家買おうな」
「うん、頑張ってね、父さん」

箱の中・籠の中・そして手のひら/終

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