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2008年11月

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【3】

(承前)

 

 それが男の子の意思。
 なんのために。私は男の子の心深くを読み取っても良いのでしょうか。もちろん可能です。でもそれは心の中に土足で入り込むのと同じ。
 クモ自身は敵意はないと言っているのです。昆虫もそうですが、虫たちの脚には細かい毛が生え、敵意や恐怖に連動した発汗や小さな震えを敏感に感じ取ります。つまり、虫にはその人が虫好きかどうか判るということです。
 クモが二股の枝に絡げた巣に身を落ち着かせます。男の子はそれを見届けると、鼻歌と共に道を歩いて行きます。私は少し距離を取り、男の子の後ろから飛んで行きます。
 男の子は角地の家に入って行きます。広い庭のある家で、プレハブの倉庫が建っています。手入れされた垣根の潜り戸から中へ。
 庭には赤い実を付けたナナカマドの木があり、ムクドリが2羽。
 1羽がギャーと鳴いて、その意志は。
〈妖精さん、この子は危険です〉
 それはクモと全く逆の反応。
「ちょっと待てな」
 男の子はクモのいる二股を別の庭木に立てかけると、家の壁に立てかけてあったゴルフクラブを手にしました。
 振り返ったその顔は、優しくクモを手のひらに載せた男の子ではありませんでした。
 まるで太陽が北風になったような雰囲気の急変。
 ハッと息を呑んだ。ひょっとすると私のその音が聞こえたかも。
 次の瞬間。
「出て行けクソ鳥っ!」
 男の子はムクドリたちに向かってクラブを振り回します。

 

つづく

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ブリリアント・ハート【3】

 閑話休題。
「はい、いいですよ」
 レムリアは女の子に微笑んだ。
 女の子は学校名と氏名を名乗り、
「どうして、そこまでできるんですか?」
 と、一言訊いた。
「え…」
 レムリアは回答に窮した。
 問いが茫洋としすぎていたせいもある。真意を見抜けなかったせいもある。
 がゆえに、一瞬、空白を作ってしまった。それがまずかったのであろう。
「ほら、わけの判らないこと訊かない。もう終わったから。出て出て」
 女の子が引きずり出されてしまう。
「ちょっ…」
 引き留めようとするが、それをやると、この後の“予定”が大きく狂うことをレムリアは承知している。追ってわがままと言われることは目に見えている。どころか、女の子のせいにされてしまいかねない。
 引きずられながら、こっちを見ている女の子を、レムリアは、ずっと、見ていた。

 

 

 会場をホテルレストランに移動、“予定”をこなす。博覧会の役員と昼食会。テレビ局のインタビュー。
 インタビューはありきたりのもので、日本の何が好きか、とか、好きな食べ物は、とか。もう少し大義名分の方を訊いた方が良いのではと思うが、そもそもの視点が“王女サマのご興味は”だけに相違ないので仕方あるまい。日本語ペラペラでは尚のこと。
「京都の懐石料理が…」
 無難な線だろう。実際にはすでに20回以上来ていて、東京の知り合い宅に寝泊まりし、秋葉原でラーメン食べたりしている。ちなみに、一番好きなのはその過程で一度連れて行ってもらった日本料理店の西京焼きである。魚の切り身に1200円。全くもって味のためだけにお金を払う代物であり、本物の贅沢ではないかと思うのだ。もちろん、もっと高級な切り身もあるだろうが、彼女としてはそれが好き。
 インタビュー終了。このあとはホテルで静養後、知事や市長と晩さん会、の予定。さっきのお役人が慇懃無礼に迎えに来て…
 ガイコーというヤツだ。ただ、国の客とはいえどだいお子様なので、ソーリダイジンが出てきて云々とか、大仰な行事は組まれていない。これは大げさになるほど負担と弊害が増えるから、という彼女の自国の意向もある。だから本国からの同行者もなし。
 とはいえ、考えただけで肩が凝る内容なのは確かである。とりあえず“静養”させてもらうことにする。
 ホテル最上階。特殊なキーを使わないとエレベータはそこへ行かず、フロアに部屋はたった一つ。
 レムリアは本日、この部屋の住人。
「では、後でお迎えに参ります」
 世話役であろう、年齢的にはおねーさんという感じのメイドさんが一礼してドアを閉じた。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【2】

(承前)

 

 私は彼がジョロウグモをどうするつもりか、声を掛けて遮ろうか、そんな思いで見つめていました。
〈敵意は感じないのですが〉
 意識が飛んできました。
 巣の持ち主たるクモの心の声です。もちろん、クモが人語を話すわけではありません。言葉に直すとこうなるだけ。私の存在と気持ちに気付いて答えてくれたのです。
 テレパシー。妖精族必須の超常能力。
 巣が壊れます。ジョロウグモの巣を十重二十重に集めて網とし、魚を捕る……南国の漁法として今も行われているようですが、ここは勿論違います。そして書いた通りジョロウグモは本来南方系のクモです。日本列島が例外的に北の方まで住んでいるのです。
〈妖精さん……〉
 助けを求めるように、壊された巣からクモが糸を引いてスーッと下がります。
 そこに差し出された男の子の手のひら。
「おいで」
 男の子は降りてきたクモを手のひらで受けます。
 戸惑いながらも降り立ったクモ。
 大きな身体で巣にある時は俊敏な動きを見せるジョロウグモですが、性質はかなり繊細で、あまり人の手で触りすぎるとストレスを感じて弱ってしまいます。
 でも、男の子はどうやらそのことを知っているようです。巣を巻き取った竹の二股にクモの身体を戻します。
 -持って帰る。
 それが男の子の意思。

 

(つづく)

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ブリリアント・ハート【2】

 今日の彼女は“お姫様”らしく白のワンピース姿である。しかし、彼女を初めて目にする者は“欧州から来たお姫様”と言っても、にわかには信じられないであろう。“ころん”とした顔立ちはもちろん、肩口でスパッと切ったショートカットの髪の毛は黒、少女マンガのヒロイン向きと言おうか、輝く瞳の色も黒である。日本語もぺらぺらと書いたが、下手をするとその辺の普通の子どもより語彙が豊富であるかも知れぬ。仮にそのまま町中でみたらし団子を食べていても、それとは気付くまい。要するにどう見ても日本人の女の子なのである。ただ、相当な美少女であり、人目を引くか、ヘタをするとスカウトかナンパが声を掛けるかも知れないが。
『ありがとうございました。メディア・ボレアリス・アルフェラッツ王女陛下のスピーチでした。もう一度大きな拍手を』
 スポンサーになっている地元テレビ局のアナウンサーらしい司会が、そう言って仕切り、子ども達が次々に席を立って会場を後にする。
 そこから、このイベントの表面的性質と、子ども達の受け身な感じを彼女は感じ取る。すなわち目的は“講演会をやった”という実績づくり。他方、子ども達の方も、書いたように“ネタになれば”程度であって、積極的に聞きに来たわけではない、というのが殆どと思われる。それが証拠に質問コーナーもなければ、質問する子どももいない。時間が来ればおしまい。
「こちらへ」
 シークレットサービスが身体で舞台裏への道を作り、ビシッと黒スーツを着た外務省のお役人…日本における彼女のお目付役…が、彼女を案内しようと腕を出す。貧困や環境について語った当人が、至れり尽くせりの立場を見せていいのかと彼女は思う。こんなズロッとした服着てプリンセスしているより、一人で、“レムリア”という裏の名前で、好きにぶらぶらしていた方が絶対にいい。
 背後に気配を感じて彼女は足を止める。
「質問あるんですけどだめでしょうか…」
 小さめで、かすれがちで、振り絞るようなその声は、一生懸命な感じを即座に彼女に伝えた。
 振り返ると女の子である。眼鏡を掛け、一見して真面目そう。真っ赤な顔色は恥ずかしさの表出。
 彼女が、とてつもない勇気を、使い古された言葉を使うなら、清水の舞台から飛び降りる、一世一代の勇気を持って、声を掛けたと知る。
「君、もう終わったからダメだよ」
 黒スーツのお役人の言葉を、彼女は目で制した。
 確かに姫は姫かも知れない。“公式実務訪問”…コッカのお客様扱いも仕方がない。
 しかし堅苦しいことこの上なし。なお、こうした彼女の意向により、以下彼女をレムリアと書く。
「これは私の講演会ですから」
 言ってやると、お役人氏は恭しく頭を下げ、一歩後退した。ただ、その目には“子どものくせに”という蔑みの色がありありで、ハッキリ言って気に食わない。口では王女王女言って持ち上げるが、所詮大人には子どもであって実態はこんなもの。だったら最初からその辺のガキメッチョ同等と見てくれた方がどれだけいいか。『なんでオレがこんなガキの世話』…はっきり言ってごらんよ。

(つづく)

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【1】

 最低気温が10度を切るようになると、冬支度の合図です。
 同時に「春から秋」を生きる虫たちは、子孫に未来を託して命尽きて行きます。
 お話の中には出てきませんが、尽きた命が蔑ろに扱われないよう気を配るのも、私たちの使命です。時々道ばたのそうした命を土に戻してくれる子ども達がいてくれます……どうもありがとう。
 
 だけど、その男の子を見た時には、感謝というより驚いて声が出そうになりました。
 二股に分かれた竹の枝を持った男の子でした。その二股の枝先を、電信柱の電話線近くでくるくると回していました。
 紡いだ糸を巻き取るように。
 そこにジョロウグモの巣があることを私はすぐに思い出しました。ジョロウグモ。山間やその近くで豪快な三重網を掛けるあの艶やか至極な大型のクモです。漢字で書けば女郎蜘蛛。名は体を表すならば、なるほどと思う方もあるでしょう。但し、ここで言う〝女郎〟は、高い地位に上り詰めた女性を指す尊称です。侮蔑語として眉をひそめ、親御さんが子どもさんに意味を説明するのに悩む必要もありません。そもそも、日本は神話にクモが出てくる国です。目立つこのクモの和名も、言葉が確立する頃には早々に付けられたことでしょう。だとすればその時代、豪奢な装束を纏った宮中の女官こそが、〝女郎〟さんだったはずです。
 ただ、縁はさておきクモはクモです。クモが好きという人間さんはそうそうはいません。
 私は彼がジョロウグモをどうするつもりか、声を掛けて遮ろうか、そんな思いで見つめていました。
 
(つづく

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ブリリアント・ハート【1】

 

 

 彼女は日本に来ていた。
 仕事…しかも“講師”としてだ。
 自然だの環境だのをテーマとした国際博覧会があり、関連して開かれた講演会に招かれたのである。
 聴衆は夏休み中のお子様。内容は環境変化がもたらす気候変動で飢餓が云々。
 話題性だけで自分が呼ばれたことはよく判っている。“本物の姫様”であり、慈善団体と行動を共にする日本語ぺらぺらの少女看護師であり、まぁ確かにインパクトはあるかも知れない。
 しかし主催者側の言う“世界の現実を知ってもらいたい”というお題目を実現するなら、別に自分である必要はないと思うのだ。講演というのは重点を絞って、しかも的確に伝える能力が必要であり、その点で自分では到底不足していることはよく判っている。なのにあえて自分を指名してきたのは、お子様を呼び寄せるための“人寄せパンダ”効果を狙ったとしか思えないのだ。最も、この辺は、博覧会に関して、東京の知り合いに色々入れ知恵されているので、先入観を持っているせいもあるかも知れない。ゲスの感繰りと言われればそれまで。でも、そういう要素を除いたとしても、13の小娘が偉そうに講師を名乗るなんざ、聞いてる方は、小学生であるにせよ、どう思うだろうか。
「…このように、進む砂漠化は、痩せた土地からさらに作物の生産能力を奪い、子ども達の命を今この一瞬も次々と奪って行きます」
 巨大スクリーンにパソコンのプレゼンテーションソフト…東京の知り合いに作らせた…の画面を映し、レーザポインタで指し示す。冷房がガンガンに効いて、その風圧でシャンデリアがシャラシャラしているホテルの大ホールで、ジュースを飲みながらこんな話を聞いたところで、どれほど現実味を持って実感してもらえるか、とつくづく思う。ちなみに、その大ホールたる会場には200人ほど入れるようだがほぼ満席。画像投影の関係で暗幕を使っているが、彼女には聴衆の様子が充分に見て取れる。殆どの子どもが、自分が何か喋るたびに、配ったレジュメにメモを走らせているのが判る。夏休みの自由研究ネタ、というところであろうか。でも、レジュメに基づいてレポートを作っても、それは自分で調べたことにはならないよとちょっと危惧する。
 締めの時間になった。
「…最後はまぁ、良く聞く話となってしまうんですが、これくらい、という些細な気持ちが、巡り巡って環境に対する負担となり、そのしわ寄せがこうした悲惨な事態を招いているということです。これくらい、と思う程度なら、実際行動に移す前に、これくらいは、と、ちょっと考えてもらえたら。それが私の実感です。以上で終わります。長々とありがとうございました」
 拍手がわき起こって照明が点く。頭を下げる彼女を、屋外より明るい高輝度放電灯が照らし出す。

(つづく)

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【妖精エウリーの小さなお話】妖精ですがブログ始めました

エンヤさんの「Fairytale」が流れてますが。

まずはご挨拶。ここに話いっぱい貼ってある翅娘ことエウリーでございます。リアルな名前はもうちょい長くてエウリディケ。こと座の神話で知られるニンフさんの名前をもらってます。実際ニンフの系統で、基本的には妖精といっても人間さんサイズ。でも伝承がそうであるようにフェアリの血も混じって結果伸縮自在。この辺はまぁ折々で書かせてもらってる通りです。名前のスペルは現在一般に通りがいいのはeurydiceでしょうか。

ここはブログといえどお話ばかり貼ってある、ゆえに「出張所」だそうですが、「ココログ小説」の条件は週に一度程度は更新だとか。でもご覧の通り応じた小出しやってませんので持ち主。

穴が空くタイミングもあるでしょだったら貸してということで、そういうインターバルには私自身のブログとして使わせてもらうことにしました。振り返って全体が「お話」として通用するかは判りませんが、エピソードの集合体にはなるかと思います。「妖精のブログ」というわけで。他にやってる仲間がいるかどうか知りませんけどね。ココロちゃんに対抗して?はははまさか。

さて今週ですが、フェアリーランドの方に少し戻ってました。折々でそちらの方に連絡を入れるのです。緊急事態の場合は飛んで帰ることもありますが、ここ2~3週は落ち着いた状態。でも、朝の気温が急に10度を切るようになってしまい、慌てて地上にとんぼ返り。

え?10度に慌てる理由があるのか?

「10度」という温度自体は別に良いのです。問題は「急に」ということ。

実はこの背景にはどうやらご存じ「温暖化」の影響があるらしいのです。

初めてのインターミッションはこのくらいで。来週からそんな系統のお話

クモの国の少年

……あ、私に全部お任せというコトなので、少しずつ進めますよ。

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【妖精エウリーの小さなお話】プレゼント

 妖精族は大きくフェアリ、ニンフ、ドワーフ、ピクシーなどの種族に別れています。私たちニンフ族のように人間さんにそっくりな種族もいれば、そのリリパットであるフェアリ達、逆に人間さんとは異なる姿を持ち、そのゆえに人間さんに忌避されてきた種族もいます。
 そうした中で。
 ちょっと特徴的なのが人間タイプの身体を持った種族である私たちです。何がどうというと、女性形が殆ど。翅娘はいても翅男(!)というのはあまり無いはずです。
 ただ。
 翅こそありませんが、世界で最も有名な人間型の妖精族は男性形です。
 サンタクロース。
 聖人ニコラスの音便変化が固有名詞に転じたもの。言ってしまえばその通りです。でも、“恵まれない境遇の子どもに、誰も知らない人がプレゼント”という故事伝承は世界のあちこちにあります。現代ではさすがに少なくなり、代わりに施設や慈善団体、他ならぬご両親の心づくしが幸せを補完していますが、無くなったわけではありません。
「そんなわけで、あなたにお願いしたい、いかがだろうか」
 “使節”を名乗る燕尾服の“男性”が私の顔を覗き込みます。私は“男性”の顔を見ますが読み取りたい顔色はそこにはなし。目は黒い点、口は赤い線。その身体はニスでテカテカ。
 だって手のひらサイズの木の人形ですから。
「初めてだからねぇ…」
「あなたなら、と、主人より言いつかっております。大丈夫、保証致します」
「変な感じ」
 私は言い、少し返事を保留します。ややこしい背景があるのでちょっと説明します。そんなわけで使節や慈善団体に“サンタクロース”が訪れ、おもちゃを配って行く…というのは、半ば定番化しつつあるのですが、それが逆に、“自分はかわいそうな子”という認識を強調させるという側面も出てきているらしいのです。なぜでしょう。今の子ども達がサンタクロースに頼むものと言えばビデオゲームやそのソフト…善意の範囲で用意するには高額すぎるのです。貰えるものの差、わざとらしいサンタクロース…“違い”を強調してしまう。
 そこでお声が掛かったのが私たちニンフです。人間社会のそばにいるのを利用し、古来伝承に戻り、プレゼントをあげられないかというわけ。もちろん全員には無理なので、選ばれた子どもだけに。不公平な気がしますが“奇跡的”だからこそ、夢と希望と信じる心を維持できるのだとか。本当かしら。
「自信はないけど光栄な話ですから、お受け致しましょう」
 私は答えました。木の人形がギシギシ言いながら小躍りします。リアクションがオーバーなのは普段の仕事が夢の演出。
「あすかちゃん、でいいのね?」
「はい。一番ふさわしいだろうという主人の判断です」
「判りました。なんとかやってみます。ご主人様に了解した、と伝えて下さいな」
「はい。では早速に」
 人形使節はマントをくるりと翻し、そこから消えました。
 あすかちゃん…彼女は町はずれの保護施設に住む小学校2年の女の子で、この雑木林によく遊びに来ます。目的は虫たちと遊ぶこと。採集ではありません。観察し、手に乗せて遊ぶ程度。ただ。
 “自分たちのことを本当によく知ってる”それが虫たちの評判です。クラスならさしずめ虫博士といったところでしょうが、背景はちょっと胸が痛くなります。
 彼女には友達と遊ぶ“自宅”がない。
 おもちゃも限られ、それゆえに友達がいないに等しいのです。以前、友達とは“本人”がいれば良かった。でも、今の基準はその子が“どんなガジェットを持っているか”。
 …友人とする判断基準として、これはどうなのでしょう。
 それはさておきそんな理由で彼女は“虫”です。虫博士なのは、生い立ちに伴う心理的負い目を、“他にはない何か”で、自ら埋めようとする意識の働きでしょう。そして、友達のいない自学区ではなく、隣の学区に属するこの林までやってくるのは、誰かに見られても、知らない子どもばかりだから、何言われようと気にならないから。
〈何をお悩みですか妖精さん〉
 オオカマキリが枯れ葉揺れる枝の上から問いました。大きなおなかは産卵間近の証。なお、彼らと私との会話は意志だけ…すなわちテレパシーです。
 私はわけを話して。
〈何をあげようか悩んでるの〉
〈なるほど…彼女はいい子ですからね。空き缶やゴミを拾ってくれたり、業者がほじくり返しに来る前にカブトムシの卵を集めたり。最近はスケッチしに来ることが多いですよ。穴が開くかと思うくらいじーっと観察しながらね〉
〈観察か…〉
 恐らく、彼女の基本。
 すると。
〈私たちみたいな小さいの描くのに苦労してるようですよ〉
 これはナミテントウ。つまり、翅の星にバラエティが多い普通のテントウムシ。
 クヌギの幹を根元へ向かって歩いています。彼らは日当たりの良い朽ち木の中や、枯れ葉の裏で冬を越します。
 クリスマス…それはすなわち冬の到来、昆虫が少なくなる季節。
 彼女にとってはツマラナイ季節。
 でも、それを乗り切れるような何かがあれば。
「観察ね」
 私はひとりごちました。それこそ虫の名が付く観察用具を思い出したのです。

 

 12月24日。
 冷たい風吹く曇りの日。
 すっかり葉の落ちた雑木林に、あすかちゃんは姿を見せませんでした。
 だったら施設に行って、彼女の靴下の中にでも入れて来ようか。私がそう思い、クヌギの梢を飛び立とうとしたその時でした。
〈エウリディケさん!〉
 ヒヨドリが血相変えて飛んできました。
〈どうしたの?〉
〈女の子…施設からいなくなっちゃった〉
 あわてて向かいます。すると丘の上、施設周辺の草むらを探し回る大人達の姿。
 私は手のひらサイズだった身体を伸ばします。ギリシャ神話のニンフは人間サイズ。その直系であり、フェアリとの混血を経た私たちは、身体の大きさを変えられるのです。
〈エウリディケさん何を…〉
〈情報収集〉
 私は言うと、地上に降りて翅を縮めました。
「あのすいません、あすかちゃんっていう女の子はこちらの施設に…」
 メガネの男性に問いかけます。
「えっ?…ああそうだが、あんたは?」
 いらだった口調、刺すような目線。
 私の服装は神話の妖精そのままの白い貫頭衣、togaです。非常事態にその姿、異様に見えて当然。
「教会のクリスマスの劇に来てくれる、という話だったんですが」
 これなら不自然じゃないでしょう。
「…そうかい。いや実はいなくなってしまってなぁ。クリスマスなんか嫌いだって」
 男の人の声音が困惑を含みます。その手には金の色紙で折ったお星様。…でも握りつぶされたようにくしゃくしゃ。
 ヒモが付いていてペンダントになっています。

 

『メリークリスマス!』
『こんなのいらない!』

 

 強いショックと共に、その映像は男性の記憶に刻まれていました。
「すいません、そのお星様、お借りできますか?」
「え?ああいいが」
 差し出された星のペンダントを私は手にします。何をするのかって?
 持ち物から心理情動の残した波紋を追いかける超常感覚、サイコメトリ。
 女の子がこの星を叩きつけた瞬間、脳裏に浮かべた風景を、私は星から読み取りました。
 河原。何か思い出があるのでしょうか。
〈近くにある?〉
 柿の木に止まって見ているヒヨドリに尋ねます。
〈…女の子が歩いて行く距離じゃないですよ〉
〈だからこそ。案内して〉
〈…判りました。こっちです〉
 飛び立つヒヨドリを私は走って追います。
「あっ!ちょっとあんたどうするんだそれ!」
 背後からの声。
 でも説明はしません。ちょっと待ってて下さい。私は風のように草むらを駆け抜け、人々の視線の届かないところで、上空へと飛び上がります。
 飛ぶこと少々。距離にしたら2キロはあるでしょうか。川があり鉄道の橋が架かっている場所に出ます。確かに、女の子が歩いて行く距離じゃない。
 でも。
〈あ、いました。本当にいました。あそこです〉
 ヒヨドリが興奮したように叫びました。その河原、流れのそばに、女の子がひとりぽつんと立っています。
 それは確かにあすかちゃん。
 私は彼女の背後に、音もなく降り立ちます。
 但し、太陽を背にして影を伸ばして。ある程度の風を起こして。
「…だれ?」
 気付いて、あすかちゃんが振り返ります。
Pre2
 どう思ったでしょう。そこにいた女の背中には翅がある。しかもその翅は、彼女ならすぐ、クサカゲロウのそれと判るはずです。
 ヒヨドリが私の肩に止まりました。
「妖精…」
 あすかちゃんが私を見上げます。円い目で、輝く目で。
 私は何も言わず、星のペンダントを取り出します。あすかちゃんは目を伏せ、その表情が曇ります。それは悪いことをした、という認識が彼女にある証拠。
 でもそう、そんな顔しないで…私はそれを指さして。
「ワン、ツー、スリー」
 指をぱちんと鳴らすと。
 手品の要領で、用意してきたプレゼントにすげ替えます。
 虫眼鏡。
 レンズは水晶。柄とレンズの枠は樫材。但し、柄の途中には虹色に輝く別の材料が組み合わされ、その材料の特性上、若干反っています。
 ベレムナイト(チョッカクガイ:白亜紀)の化石がオパール化したもの。
「…置換化石?」
「そう」
 私は言いながら、着ているtogaのだぶだぶ裾口を、細くくるりと引き裂きました。
「あっ…」
「気にしないで」
 切り裂いた裾を柄の先端に開けた穴に通し、輪になるように結ぶと。
「メリークリスマス」
 私は彼女の首にそれを掛けました。
「え?」
「いつも虫たちのこと気に掛けてくれてありがとう。…それはみんなからの気持ち」
 あすかちゃんは声が出ません。
「知ってるよ。あなたがカブトムシの卵を守ってくれたこと。畑のモンシロチョウを施設の庭で育ててくれたこと。セミの子を狙うヒキガエルを勇気を出して連れてってくれたこともあったね。他の子がアリを踏み潰して遊んでいるのをかばってくれたこともあったかな?。みんなみんな、虫たちに聞いたよ」
 私は彼女の前にしゃがみ、その手を握り、瞳を見つめて言いました。
「素敵な女の子に巡り会えて、みんな、幸せだよ。また春になったら、それで、いっぱい観察してあげて」
「…うん!」
 あすかちゃんは頷きました。涙の滴光る目に微笑み。
「施設の人たち探してるよ」
「うん、帰る。あ、さっきの星のペンダントは?」
 私はポケットからそれを出し、破れ目から、中に何か粒状のものが入っていることに気付きました。
「何か入ってるよ」
「え?」
 あすかちゃんが早速虫眼鏡でその粒を観察します。
「…星の砂。妖精のお姉ちゃん。これ星の砂だよ。あれ?」
 あすかちゃんが見回しても、私の姿は見えなかったでしょう。
 私が呼んだ施設の飼い犬、ベンが、所長さんを引っ張って河原まで来たのは、それから3分後のことです。

 

プレゼント/終

妖精エウリーの小さなお話・一覧

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【妖精エウリーの小さなお話】私が怒ったこと

〈見つかりません〉
〈間に合いません〉
〈おなかがすきました〉
 と、テレパシーで送られたのだと、書いたらあまりにも唐突かも知れません。
 ビジュアル的にも変です。コナラの木梢、そのちょうど幹から枝が分かれる部分に、タイワンリス3匹。
 そして、彼らと向かい合う位置には、白い衣をまとった身長15センチの女がいます。
 その背中には、膝裏まで伸びた長い黒髪と、カゲロウのそれに似た翅2枚。
「困ったねぇ」
 翅持つ女…私は腕組みしてため息をつきました。昆虫と動物たちの相談相手が私たち妖精ニンフ族の主な仕事です。今日は冬を前にリスたちの冬眠準備を拝見、なのですが。
 ご承知の方も多いかと思いますが、彼らは主としてドングリなど木の実を冬のエサとしてため込みます。ところが今年は長梅雨と梅雨寒が響き、そうした木の実が少ない地域が多いのです。最も、最近の傾向として、毎年なにがしか夏に異常があり、木の実が極端に多い少ない、地域偏在というパターンが続いているのですが。
〈妖精さんに頼めば貰えると聞いたんですが〉
〈配って歩いてるってホントですか?〉
〈ありかを教えてくれるんでしょ?〉
「その前に出来るだけのことはしたの?」
 私の口調はちょっと怒気をはらんだかも知れません。というのも、最近、こうした小動物達、野性のたくましさというか、必死さが薄れ、ズルイというか怠惰な傾向が見て取れるのです。
 なぜかというと。
「りすさんおいで~」
 下から幼いかわいい声。ここは雑木林を切り開いた住宅地にある公園。先ほどから保育園の小さい子達が下で遊んでいます。
〈行こうぜ!〉
 リスたちが私を見捨てたように駆け下りて行きます。そう、彼らは人間から労せずエサをもらえることに味を占めてしまったのです。で、姿形が同一である私に対しても同じようにちょうだい、というわけです。
 子ども達がきゃーきゃー言っています。他の子ども達も駆け寄ってきて大騒ぎ。
半分呆れていると、背後上方に舞い降りてくる翼。
〈こんにちは、エウリディケさん〉
 鋭い目線の持ち主は、最近都会暮らしも板に付いてきた小型の猛禽、チョウゲンボウ。ちなみに女の子です。
「お元気?」
〈まぁ、何とか。…うーん、これは我々にとっては都合のいいことかも知れないのだけど、あなたには知らせておいた方がいいでしょう〉
 彼女が言うには、最近この辺のネズミ類が“肥満”していると。
「人間さんの残飯のせいだね」
〈動きが鈍い分には我々には好都合なんですけどね。野性の有り様(ありよう)としては、恐らく良くないのではないかと。結果として連中早死にして数が減るし〉
 私はまたまた、ため息をついてしまいました。
「ありがとう…そう、言う通り、最近おかしくなってきてる。動物たちが人間さんによって変わっていってしまう。でも難しいんだ。私たちは人間さんの前に姿を見せることが出来ない…同じ格好しているのにもかかわらずね」
 私は人気アイドル状態のリスたちを見下ろして言いました。妖精族は基本的に人間さんとのコミュニケーションを禁止されています。これは人間さんが妖精などいないと決めているから。私たちにその禁を破る権限は与えられていないのです。だから…妖精って見えた瞬間に消えてしまうでしょ?
 ただ、だからって何も出来ないでは事態はどんどん悪化するでしょう。人間さんにもそれに気づき、歯止めを掛けねばと思って下さる方が大勢います。でも、それ以上に、そうした風潮を利用している方のほうが、残念ながら多い状態。
 ため息をつくなと言う方が…待って下さい。
 “悪意”
 割り込んできたその認識は、私たち妖精族に備わった超常の感知能力、テレパシーの警告。
 悪魔的、残酷な意識。それは陰惨な雰囲気となり、比重の重いガスのように、地面近くを忍び広がって行きます。
〈エウリディケさん!〉
 気配を察知したのでしょう。リスたちがあわてて駆け戻って(登って)きます。
 チョウゲンボウの姿を見てギョッ。でも妖精の前で野性の行動は原則禁止。
「この子なら今は大丈夫。判ってる。私も感じてる」
 リスたちに私は言いました。下の方では子ども達が怒っています。リスが突然いなくなり、不平不満。
 “解き放たれた”
「来る」
〈ええ来ます。早い〉
「あなた達はそこにいなさい」
〈私も手伝います〉
 リスたちを残し、私はチョウゲンボウと共に動きます。彼女には上空から見てもらって私は地上へ。
 上を見上げる子ども達のまにまに飛び降ります。
 禁忌とされている人間さん達の前に姿を見せたわけです。でも理由…この子ども達が危ないとなれば、話は別。
 そう、この子ども達に危害が及ぼうとしているのです。現時点で判るのはそこまで。
「あ、てんしさま」
 無邪気な声が私を迎えます。突如木の上から降りてきた白装束の女。
 驚き目を剥く保育士さん達。ただ、私が女の外見をしているせいか、怪しさや危険という印象は持たれていないようです。
 近づいてくるもの。
 そのものの行く手に立ちふさがるように、私は幼子達の前で腕を広げます。
 聞こえてきたのは犬の鳴き声。
 ようやく危機の内容が知れます。凶暴な犬が何匹か解き放たれ、けしかけられた。
 この子ども達に!。
「わんわんだ」
「逃げてっ!」
 私は保育士さんに言いました。
「えっ?」
「子ども達が危ない!」
 と、木立の間を抜けて走ってくる猛悪そのものの顔、顔、顔。
ドーベルマン・ピンシャー。ボクサー。
 大型で力ある犬種ばかり。
「みんなこっち!」
 保育士さん達がようやく事態に気付きました。私はチョウゲンボウと共に動きます。彼女が上方より威嚇し、私は私で回り込み行く手をふさぎ、そして翅を伸ばし、羽ばたいて顔をはたいたり、地面の砂をまきあげて掛けたり。
 当然噛みついてこようとしますが、反射神経と動く早さは私たちの方が数段上。
 行く手をふさぎ、追い返し、すり抜けようとする者の前に回り。
〈やめなさい!〉
Okotta2
 意識に直接言葉を放り込みます。頭の中に稲妻が落ちたようなショックはあったはずです。
 でも彼らは一瞬びくっと震えるものの、行動を止めようとはしません。一般に動物や昆虫は妖精が何者か遺伝子的に知っていますが、人間によって何世代も“培養”され、人間しか知らないような生き物の場合、その情報が不要とされ、欠落していることがあります。
 鼻にシワを寄せくってかかってきます。その鼻面を掴み、口を閉じるように両手で圧迫します。…書くと簡単そうですが、前述のように反射神経の故です。実際には統制されないオオカミの狩りのように闇雲に噛みついてきているわけで、普通の方は避けた方が無難。
「いい加減にしなさい!」
 その状態で一喝し、かなり乱暴に地面に組み伏せます。これは太古、彼らがオオカミであった時代、群れの首魁、専門家が言うところの“アルファ”が、聞き分けのない構成員を黙らせるために取っていた行動です。但しもちろん、彼らには手はないので、口で口に噛みついてふさぎます。
 結果、その捕まえたドーベルマンは、私の方が上位存在と認識したか、きゃんきゃん言いながらどうにかおとなしくなりました。
 しかし犬はまだ5頭ほどいます。保育士さん達が子ども達と逃げまどい、チョウゲンボウが威嚇していますが、このままでは危険。彼女と私の連係プレーでどうにか逃れているだけなので、とても一頭一頭組み伏せる暇はありません。
 仕方ありません。
 私は胸元の金のチェーンを引き上げます。
 その先にはサファイアを思わせる青い石。
 石を手のひらに載せ、握ります。
 保育園の一行は大きな栗の木の下に小さくかたまりました。
 子ども達に保育士さんが覆い被さるように体を張り、犬が周囲から吠え立てます。一気に攻撃、と行かないのは、前進すると阻む存在…私がいることを学習したから。
「リクラ・ラクラ・テレポータ」
 私はその場所へテレポーテーション、すなわち瞬間移動。
 突然現れた私の姿にボクサー犬の一頭がひるみます。
 その鼻先に石持つ手のひらでタッチ。
「テレポータ!」
 ボクサー犬、消滅。
 翻ってシェパードを、以下間髪を入れず次々に犬の姿をかき消します。
 とはいえ命を奪うとか、傷つけたわけではありません。彼らの行き先は天国の片隅、私たち妖精の国フェアリーランド。
 悪魔の者かと思わせる吠え声が消えました。
「大丈夫?みんな大丈夫?」
 私は子ども達に、保育士さん達に尋ねます。
 恐る恐る振り返る保育士さん。
 その血の気を失い、凍り付いた表情。震える身体。
 唇をガチガチ鳴らしながら、それでもどうにか頷きます。
 事態が去ったと知ったのでしょう。火がついたように子ども達が泣き出します。なんで、なんでこんな幼い子達がこれほどまでに怖い目に遭わなくてはならないのでしょう。
 保育士さん達が自らを鼓舞するように首振って、頬を叩いて動き出し、子ども達を慰めに掛かります。まずは任せて大丈夫でしょう。
 残った問題は。
〈どこに〉
 私はチョウゲンボウに尋ねます。
〈息を潜めています。場所は判らない〉
〈来なさい〉
 私は組み伏せた犬に命じました。犬はしっぽを股に挟み、すごすごという感じでやってきました。
〈何か…〉
〈お前の飼い主は〉
 犬の意識が指し示したのは公衆トイレの向こう側。
目を向けると、そもそもは壁の影から隠れて見ていたか、驚愕に茫然とした顔の若い男。
 どうすべきでしょう。れっきとした犯罪者です。目撃者はいますので立件できます。しかし、面白そうに犬をけしかける者に、子ども達が命落とすかも知れないという状況でも平気でそうする人間に、労働奉仕を基本とした人間さんの更正システムが有効なのでしょうか。
 かといって当然、私にそんな権限はありません。ただ、正直なことを言えば、同じ恐怖を味わわせ、思い知らせてやりたい。
 大地の女神ガイア様、私は一体どうすれば。
「待ちなさい!」
 逃げ出そうとする男を、私は指で指し示します。
 それで、男はまるで空間に釘付けになったように動けなくなります。こんなことしたの、何年ぶりでしょう。
 男が目に見えてうろたえ、自分を見回し、次いで自分を見ます。上半身は自由です。でも腰から下は石のように動けないはず。
 逃げるのは阻止しました。でも、この後どうすれば。
 その時。
「あ!あの男!」
 高所から放たれた女性の声が周囲に響きました。
 向かいのアパート5階のベランダ、手にした布団はたきで男を指さす熟年女性。
「放火魔でーす!ちょっとー!誰か公園の男捕まえてー!」
 その声に開く戸建ての家屋の玄関ドア。バットを片手の白髪の男性。
 そして。
 私の傍らを風のようにすり抜ける長い髪がありました。
 保育士さんの一人です。対人制圧用具“さすまた”を手に走って行きます。恐らく不測の事態に備えて散歩にも携行していたのでしょう。たった今まで、自らが危機であったにもかかわらず、であればとばかりに買って出る…それは庇護者持つ存在、母の強さでしょうか。
 
 …新聞によると、孤独な男が無職であることを親に咎められ、自宅周辺で犯罪行為を繰り返していたようです。徐々にエスカレートし、人目をはばかることなくなり、そしてついに選択した犯罪が、それ。
 
私が怒ったこと/終

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【妖精エウリーの小さなお話】人魚と出会う

 妖精の中には任務というか使命を持つ者もございまして。
 たとえばニンフ族である私の場合は、昆虫とか動物など、人間さん以外の陸生生物の相談相手、というのが基本です。植物はケルトの神話でおなじみ、ちょうちょの翅のフェアリ達が主たる担当です。
 しかし生き物がいるのは陸上だけではありません。むしろ、生きとし生けるもの海にて誕生し、陸でも生きられるよう進化して来たというのが真実です。この結果として、陸の生き物は内部に海を蔵しています。人間さんも含めて個々に“小さな海”を持っているのです。
 前置きが長くなりました。
〈ありがとうございます。どなたか存じませんがありがたいことです〉
 セリフ…というよりそれは意志です。意志を発した当事者はウミガメのお母さん。それを私がテレパシー能力で言葉に変えただけ。
 彼女はこの砂浜を産卵場所にしています。しかし、人間さんにはそんなことどうでも良い輩がいるようで、重いクルマで夜な夜なこの海岸を走っているようなのです。
 被害にあった卵も多くあります。ただ、別のカメが昨日産んだ卵は、誰か人の手によって埋めかえられ、事なきを得ました。彼女の意志はその見知らぬ誰かに対してのもの。
 そして。
Ningyo2 「人間さんって最近、両極端な気がする」
 くるくる巻き毛の豪奢な金髪をたたえた美女が、低いトーンで呟きました。
 カメの背をゆっくりと撫でさする彼女は、一見、人間ですが、その足にはひらひらしたヒレのような部分が存在します。
 海の妖精…古来、人魚と呼ぶ存在です。月夜なので海岸にあがっています。私がまとっているのと同じ白い布の着衣…貫頭衣を身につけています。今夜は彼女と会う約束があったので、お貸しした次第。
「どっちが本当なのか、判らない」
 彼女は続いて、呟きました。
「見える限りではね」
 私は応じます。足下、カメのいる砂地には、クルマのタイヤ跡が幾重にも重なってあります。一方で見渡すと、棒とひもで円形に柵された部分があり、小さなカンバンが下がっています。“穴あり危険、立ち入り禁止”…でも実際には穴などなく、カメの卵が埋まっています。卵があると書くと逆にイタズラされるため、このようにしているのです。要は嘘です。つまり彼女が言いたいのは、命を無視する側も、守る側も、少々やりすぎなのではないか。逆に言うと、ナチュラルさが失われ、そこまでしないとあるべき姿を守れない。
「大切にされないとね、大切にしようという気持ちも沸かない」
 私は言いました。でもため息が出て、
「こうしなさい、と押しつけてもダメなんだって最近思ってる。そういう気持ちは、自然と抱くもの。最もね、たまたま宝物が生き物だった、というだけで異常に大事にしている場合もあるけどね。それはそれで大事にされすぎてかわいそう」
「ペット溺愛か…それはこっちにはないからね。…ねぇリディア。こういうのどう?エサ豊富、敵なし。でも一生箱なり敷地の中」
 リディアと呼ばれたウミガメのお母さんは、そんなのいや、と一言。
 人魚の彼女もため息をついて。
「汚れが漂う海の中より、陸にいるあなたを羨ましいと思ったこともあったけど、…なまじ人間さんの活動空間だから、見たくない物一杯見える…」
「でも、誰かがいないと」
〈誰か来ますよ〉
 ウミガメの母リディアの警告に私たちは緊張します。基本的に妖精が人間さんとコミュニケーションを持つのは御法度。なぜなら、人間さんが“そんな物存在しない”と決めているから。私たちは存在してはならないのです。
「こんな時間に」
 人魚の彼女が一言。今は午前3時。
 しかしリディアの産卵はまだ終わってはいません。
 私たちは彼女を見守ることにします。この状況で、そのどちらか極端な人間さんが来ているというのに、彼女だけ残して姿を隠せますか。
 と、遠く海沿い道に人影が現れ、砂浜に飛び降り、気付いたように動きを止めます。
「気付かれた」
「みたいね」
 私たちは言い合い、次いで程なく、ほぼ同時に気付きました。
 緊張と拒否があります。私たちが何をしているか確認したいが、コミュニケーションは拒みたい。
 “強く出られる”ことを極端に恐れている。
 でもその心の中には。
「カメなら大丈夫ですよ」
 私は自分から声を出しました。
 彼…人影の主である男性の緊張が少しレベルダウンするのを感じます。ちなみにこうして私たちが彼の心の動き、情動を感じ取れるのは、言うまでもなく妖精の能力、テレパシーのゆえ。
 彼がゆっくり歩いてきました。私たちが女の属性を備えていると知り、“強く出られる”可能性が低いと考えたようです。…妙に詳しく描写しているようですが、それは彼が“傷つけられる相手かそうでないか”あらゆる方向から検討を加えている…強く考えているから、私たちも手に取るように判ってしまうのです。
 それは傷つきやすい人、繊細で敏感な人に多く見られる情動。
 遠い過去、私たちの存在に気付いた人たちは、そんな性格の持ち主が多かった気がします。
 だから多分、その時私たちが、二人とも“妖精”の属性を物語る外見上の特徴を隠そうとしなかったのは、そうした過去…私たちと人間さんとが共存できた時代への思いがあったからでしょう。
 彼が少し離れたところで止まりました。
 背が高く、色が白く、メガネを掛けています。年齢的には青年と言っていいでしょう。
 その目がまばたきすら出来ない状態であると私たちは感じています。どう見えたでしょう、背中にカゲロウのそれと同じ翅を持った女と、その傍らに座する足にヒレの構造を持つ女。
「昨日は、カメの卵を埋め変えて下さって、どうもありがとう」
「い、いや…」
 裏返った声。朱が走る頬。
 女性と話す、という行動自体が、意を決す必要があるほど大変なようです。どんな言葉遣いをすればよいか判らない。
 繊細で、繊細すぎて。女性は皆女神性を備えた高貴な存在で、僕なんかがおいそれと話しかけるような…。
「毎晩、こうして見回って下さっているんですか?」
 人魚の彼女が尋ねました。
「月が、月がきれいだったから…たまたま…です」
 正直なことを言うのは照れる。だからごまかしてみた。
 夢だろうかという意識が彼にあります。自信が無く、世間では悪口雑言の対象になり、働いても長く続かない。何の取り柄もない。そんな自分がこんな…。
 と、彼が口をあんぐりと開きます。ようやく、私たちが人類ではないことに気付いたようです。
「…ニンフ」
「月光の蠱(まじ)かもしれませんよ」
 私は言いました。はいそうですと即答しなかったのは、彼があまりにもあまりにも私たちに対してロマンチックな印象を抱いているから。
 すると。
「変なこと…言いますけど…」
 彼は躊躇いがちに口にし、続いて。
「触れようとすると消えますか?振り向くと二度と会えませんか?」
 それは事態の認識と、知識を付き合わせた結果による彼の意志表示でしょう。
 そしてその言い回しは、ともすれば、『何言ってんだバカ』と一笑に付されることの多い昨今でありますが。
「見続けないと流星は見られない。見えなくても星は流れる」
 私はこう応じました。何も彼のイメージ、私たちに対し抱いているクリスタルガラスのイメージを、叩き割ってしまう必要はありません。
「光と影の狭間のあなたは幻影?」
「姿無くして影あるのみか。姿あっても触れられないか」
 これは人魚の彼女。
「震える。高鳴る鼓動が止まらない。その思いは漸近線に似て近づけど交わらず」
「無と無限が表と裏であるかのように」
 まるで連作詩です。この辺はまぁ、私たちもニンフの血を引く以上、嫌いではない、というのが背景にあります。
 激しい雰囲気の乱れを感じたのはその時です。
 野卑そのものの機械音、無駄に消費されるエネルギー。
 刺し込んでくるような高輝度ライトの光芒。
 堤防上から段差を乗り越え、四輪駆動車が荒々しく砂浜に降り立ちます。
 ライトを…剥き出しという語がピッタリするでしょうか、上向きにし、窓から身を乗り出し、拳突き上げ、奇声発しながら、私たちめがけて突進してきます。
「リディア」
 人魚の彼女がリディアの甲羅に手を掛けました。
 私は胸元から金のチェーンを引っ張り上げます。その先にはサファイアによく似た青く透明な石。
「いい?」
 私は人魚の彼女に問いました。私たちの立つ空間一帯を一種のバリアで包んだ上、天国の一部に存在する私たちの国へ瞬間移動しようというのです。すなわち、妖精が姿を消す。
 その時でした。
 彼が、繊細で傷つきやすい彼が、まるで自らのダムを壊すように、ありったけの勇気を持って、腕を広げ光芒に向かい歩き始めたのです。
「君たちやめたまえ!」
 聞こえるとも思いません。聞こえても言う通りにするとも思えません。
 どころか、彼もろとも対処しないと彼が酷い目に合うでしょう。
「戻って!」
 私は叫びました。バリアはシャボン玉のような形態で生じますが、彼の位置までは届きません。
「あなたがたは逃げて!」
 彼は叫んで返しました。
 勇気は買いますが正直無謀です。相手はクルマで、しかも大人数。
 でも、その勇気、騎士の勇気を無にするのは…。
 その時。
「エウリ、リディアをお願い」
 声に振り向いた時、彼女の姿は既に波間にありました。流麗な女の身体が圧倒的とも言える速度で沖へ向かい、そして潜ります。
 どうしようというのでしょう。私はとりあえず出来る行動に出ようとします。リディアを抱えて彼の元へ…
〈待って〉
 それは海からのテレパシー。
 よぎる影。
 浮かび上がったシルエットに私は瞠目しました。
 海面に立ち上がる竜…
 に、似ていますが、鱗も手足もありません。ヒレがあり滑らかな身体はむしろ魚類。
 …シーサーペント。
 それは繊細な彼が浮かべた意識です。シーサーペント。伝説の海獣。海神の怒りの遣いとも。
 ちなみにその姿は私と彼にしか見えていないようです。実際、シーサーペントは影がありません。
 シーサーペントが動きます。尾びれを持ち上げ、鞭のようにしならせ、海面をはたきました。クジラ類が行うヒレ打ち、スラッピングをイメージしてもらえば近いでしょうか。
 すると超常の変化が生じます。仁王立ちする彼と、接近するクルマの間に突如海が割り込んだのです。砂浜がすげ替えられたように水面に変化。あたかも聖書の海割れと逆の現象。
 突然の変化にクルマはすべなく水中へ入り込み、そして止まりました。水が駆動装置へ回ったのでしょう。更に程なく沈み始め、乗っていた者どもがあわてふためいた様子でクルマから海へ飛び込みます。着衣でうまく泳げない者もいるようで相当なパニック状態。
 この時、シーサーペントの姿はもう見えませんでした。
 人魚の彼女も。気配すらありません。
 ただ。
 波打ち際には貸した私の服と。
 手のひらサイズの、透明な板のような物。
 板のような物は、薄いガラスの皿のように若干湾曲し、年輪に似た模様があります。
 私は服を手にすると、透明なそれを彼に渡しました。
「これは私の服。だとすれば、これはあなたにということでしょう」
「…僕に?」
 彼が手にしたそれを見回します。
「これは一体?」
 私は彼の手のひらにあるそれを、ペンダントの石で軽く弾くように触れました。
 それこそ薄いガラスを弾いたような、小さく、トーンの高い音。
 彼は声が出ません。ただ目と口を「O」の字に開いて、僅かに震える手のひらの透明を見ています。
 その繊細の正体は。
「答えは、あなたが思っている通り…リクラ・ラクラ・テレポータ」
 私は言い、呪文を唱え、瞬間移動でそこから姿を消しました。

 

人魚と出会う/終

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【妖精エウリーの小さなお話】僕に魔法を

 ネコ集会というのは、一般に夜であると共に、私たち妖精族にとっては、様々な情報を彼らから得られる絶好の機会でもあります。
〈行橋(ゆくはし)のばぁちゃん入院しちゃったよ〉
〈マジかよ。明日から食いっぱぐれじゃないか〉
「そこは冒険でしょ。人間さんに頼ってばかりじゃだめだい」
 私はちょっと意地悪な気持ちで言います。実際には、ネコたちの野生の喪失という、やや由々しき問題を踏まえての提案です。ちなみに、彼らと私との会話は、基本的にはテレパシーでのやりとりです。
「自分でとっつかまえてきなさい」
〈めんどくさい〉
〈ネコですから〉
〈あーあ、エウリーさんに何かもらえると思ったのに〉
〈妖精さんは冷たい〉
〈行こ行こ〉
「あのねぇ…」
 集会はお開きになってしまいます。“ネコですから”安楽指向。そりゃまそうでしょうけど。
 と、一匹残って私を見ています。その子は名をミミと言い、最近越してきた近くのお宅で飼われている三毛猫です。ちなみに三毛ですのでメスです。まだ生まれて10ヶ月ほど。
〈エウリディケさん…〉
 それはさしずめ人間さん的に言うなら“泣きそうな声”。
「どうかしたの?」
 問いかけると、彼女は座っていたブロック塀の上から飛び降りました。
 ネコは高い位置を取った者が強い者という序列を持ちます。そのネコである彼女が私の足下へ。あ、ちなみに申しておきますと、私は妖精ではありますが、手のひらサイズのケルトのフェアリーと、人間サイズのギリシャのニンフ、双方の血筋を引いており、身体の大きさをそのどちらにも変えられます。そして現在は人間サイズ。
〈いきなりで申し訳ないんですけど…〉
 ミミちゃんは言いました。
〈私に魔法を掛けてもらえませんか?〉
「えっ?」
 その訳を聞くとこうです。最近小学校3年生の“同居人”たくや君に元気がない。引っ越してきてから友達が出来ず塞ぎがち。いつも自分のことをかわいがって、遊び相手にして過ごしている。だったらいっそのこと自分が話し相手になってあげられれば。
〈たっくんだって素敵だなって思ってくれるだろうし、そうしたら嫌なことも忘れられるかなって〉
 私はため息。
 ミミちゃんの望み通りにすることは、生物学的にあり得ない、やってはいけないこと。
〈やっぱりだめですよね。いいです。無理言ってすいませんでした〉
「あーちょっと待って」
 私は気落ちする背中を呼び止めます。
「そのまんまは無理だけど…」
Boku2
 翌日、昼下がりの住宅街に、男の子の声が響くことになりました。
「ミミー。どこ行ったとねー?」
 探しながら走り回る彼を、私は手のひらサイズで中空を飛びながら見ています。この状態、よーく目を凝らすと髪の長い小さな女が空中を移動しているという図ですが、まぁ、見つかることはないでしょう。え?ミミちゃんですか?一時的に妖精の国、フェアリーランドに隠れんぼ。
 …たくや君が誰かに声を掛けざるを得ない状況を作ったのです。友達を作るには、得てして待っているだけではだめ。
 道行く彼の向こうから、ランドセルの少女が二人、お喋りしながら歩いてきます。
「ミミー。何も怒りよらんから出てきー」
 声を出す彼に女の子達が気付きます。
 そしてうわさ話をするようにクスクス。
 その動作を見た彼は立ち止まりました。
 去って行く女の子達の背中を寂しそうな目で見つめます。
「ミ…」
 声を出そうとし、口ごもってしまいます。
 と、交差点の陰から同年代とおぼしき男の子達が3人。
「おいイナカモン!」
「ミミー。どこ行ったー?」
 彼の口まねをし、ゲラゲラ笑います。
 説明は不要でしょう。方言をバカにされて話すことすらままならない。
 友達が出来ないのは彼のせいじゃない。
「ネコのことはネコに聞いたら?」
「ほらあそこにいるぜ」
 道ばたで顔をぬぐうノラネコ…集会所にいたニャゴ助…を指さします。
 私は最初、自分が彼にひどいことを強いたと思いました。
 でも、この展開なら話は別。
〈ニャゴ助、ちょっと〉
 私はテレパシーで話しかけます。
 ニャゴ助は応じ、道を横断してたくや君の足下に座りました。
 ニャゴ助がたくや君を見上げます。
 その隙に私はたくや君のズボンのポケットへ。
〈僕で良ければ聞きますが?〉
 これは私。さもネコが喋ったかのように。
 たくや君は驚愕のあまり声も出ず。
〈たくや君でしょ。ミミちゃんとこの。ミミちゃんどうしたの?〉
「…いなくなったと」
 たくや君は反射的に言いました。
 これに大笑いしたのは3人の男の子達。
「バカじゃねぇの?」
「ホントにネコに訊いてるぜ」
〈無視して。いなくなっちゃったんだね?待って。みんなを集める。口笛を吹いて手を2回ぱんぱんと叩いて〉
 それは私がネコたちに呼びかけるやり方。但しテレパシーを併用します。
 たくや君は猫と会話していると認識したと見え、その通りにします。私はネコたちを呼びます。
 …あちこちからネコたちが集まってきます。
 男の子達の表情が変わってきました。
〈ミミちゃんがいなくなったらしい〉
〈え?本当に?〉
〈手分けして探そう〉
「にゃぁ〈たくや君は僕と一緒に。心当たりがある〉」
 ニャゴ助はひと鳴きすると、しっぽを立て、ちょっと振り、颯爽と歩き出します。
〈まぁ見付けるから心配しないで〉
「ありがとお」
 たくや君が言うと、ネコたちはさっと散って行きました。
 ニャゴ助と共に、たくや君が歩き出します。男の子達は夢でも見ているような表情で、たくや君を後ろから付けて行きます。
 ブチネコの甚五郎が脇から出て来ました。
〈5番地にはいないよ〉
「わかった。サンキュー」
 甚五郎がニャゴ助、たくや君の二人に加わります。たくや君とネコ2匹。歩いているのは通学路。向かう方向は小学校。
 次にアメショとチンチラのミックス、リリア。
〈2番地から空き地までは見た。見あたらない。悪いけど抱いていってくださる?〉
「よかよ。おいで」
 たくや君はリリアの前に両手を出しました。リリアが進み出ると、抱き上げて歩き出します。
 以降更にネコが加わり、程なく、たくや君とネコ集団…。
 これには帰り道の子供達も目を剥かざるを得ません。そして、ネコ集団の後ろに、次第に子供達の列も出来て行きます。
〈そのまま学校へ向かって。私はミミちゃん連れてくるから〉
 私はニャゴ助に伝えると、一旦その場を離れます。
 小学校は住宅街から雑木林を挟んだ向こう。
 その雑木林の中を行く通学路に、私は人間サイズでミミちゃんを抱いて立っていました。
 …妖精族は人間とコミュニケーションを取ってはいけません。なぜなら人間さんが、そんな生物はいない、と決めているからです。私たちは虫や動物達の相談相手にすぎず、人間さんのことにとやかく口を挟むことは出来ません。
 だから本来なら、姿を見られることも良くない。でも、この神話の女神様と同じ白い装束(貫頭衣…toga:トーガといいます)が、この場合多分効果的。
 “一行様”が私を見つけて立ち止まりました。
〈あら、ミミちゃんよ。私はお邪魔ね〉
 リリアが言って、たくや君の腕から飛び降りました。
 私は進み出、ミミちゃんをそのまま、たくや君の腕に託します。
「ミミちゃんは幸せね。飼い主さんがこんな人ばかりなら、ノラネコなんか一匹もいないのにね」
 私は言うと、togaの裾を細長く指で裂き、たくや君の手首に巻き付けました。
 そして巻き付けた手首を両手で握り、手を放す。ちょっと魔法。
 ミサンガのできあがり。本来ならりぼんに結びますが、男の子でりぼんでもないでしょう。
「ミミちゃんは、あなたに元気がないって、とっても心配していました。でも大丈夫。これであなたは元気になれる。後ろを見てみて」
 たくや君を見つめる驚きの瞳。
「ネコたちにお礼を言ってあげて」
「あ、うん、おかげで見つかったばい。ありがとね」
 彼が言うやいなや、ネコたちは一斉に走り出しました。一緒に付いてきた子供達の間を駆け抜け、元来た道を戻って行きます。
 子供達の目線がネコたちを追います。その隙に、私は小さくなって木の上へ。
 子供達とミミちゃんが残されます。みんなして狐につままれたような表情。
 “不思議”が起こったのだと誰もが認識しています。でもそれは多分、大人に言っても信じてもらえないこと。
 子供達が互いに目を見合わせます。こういう、“経験の共有”は仲間意識、そして友情へとつながる第1歩。
「にゃ」
 これはミミちゃん。
「お。よーし、帰ろうな。あ、みんなも探してくれたとね?ありがとお」
 たくや君は嬉しそうに言い、ぺこっと頭を下げました。
 子供達は“不思議”の中枢である彼に対し、自動的な動きで、通れるように道を作ります。
 たくや君がバカにされることはなくなったと、後にミミちゃんに聞きました。
 
僕に魔法を/終

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【恋の小話】男三十路の魔法使い

 隣の席の相田(あいだ)さんは、オレより入社が5年早い。短大卒だというから、オレにとってはリアルお姉さん年齢。
 そのオレが、ネットスラングによるところの魔法使い……すなわちつまり彼女イナイ歴30年当然純潔チェリーボーイ……やかましいわ……であるから、レディに対する礼儀として、あとは計算してくれと書いておこう。大振りなメガネをかけ、基礎的な物以外の化粧・装飾品の類は皆無。特におしゃれなわけではなく、髪型もさっぱりしたショートカットで普通に黒髪。服装もリクルートスーツそのまんまに社員IDを付けただけ、全く持って地味なお姉さんである。
 担当は事務。オレらは“庶務ギャル”と呼んだりする。主な仕事は電話の取り次ぎ、客人の接待、伝票の整理。募集要項に“一般職”と書かれる職務だ。ただ、こまごま気が付くところは女性ならではというか。一度、出張に持って行く書類を忘れていつもより30分早く出社したことがあるが、相田さんは課員全員の執務机を拭き、職場唯一の緑である応接室の花を取り替えていた。陰で支える女性のおかげ、なんて時代劇の女房だが、まんまのイメージが相田さんにはつきまとう。ただ、いかんせん、地味。
 夜7時。
「は~あ」
 相田さんは隣でパソコン叩く手を止めて、肩をゴリゴリ言わせた。本来庶務ギャルさんは残業と無縁だが、総合職で入ってきた入社2年目が寿退社したため、その2年目に一部振り分けていた事務が全て彼女に回されることになり、このところ残業続き。
「一服しません?」
 オレは30分前に冷蔵庫から出して放置しておいた“神戸の生チョコ”のパッケージを開いた。
「いいの?わぁ、美味しそう」
 ニッコリ微笑んでひとつまみ。ちなみに、課内にいるのは、他全員男で全員年上で全員既婚者。すべからく彼女とのコミュニケーションは率先してオレがやるような役どころになってしまっている。理由は
『後から入った女子社員が先に退社という例が今回だけではないから、彼女に“結婚”を意識させたくない』
てなもの。正直な話、既婚者連中変に気を回し過ぎじゃないかと思うし、それに大体、そんなことをすれば、女性ってのは往々にして敏感なので逆に避けてると気づき、それはそれで一種のセクハラなのではないかという気もするが。……おっとそんな事考えるオレが失礼かな。
 とか思ったら。
「美味しい。口に入れると溶けちゃうね。……おばさんくさい?あたし?」
 相田さんはオレの目をじ~っと見て、訊いた。
「へ?」
 そんな目で彼女を見ていたのかオレ。
「いやいや、疲れてるなぁと思って」
 口から出任せ。変な否定語はこういう場合逆効果。そのくらいはさすがのオレでも判ってる。それに、些細な仕事をいつも色々彼女にさせてしまっているという、お詫びと労いの気持ちもある。
「そうかもねぇ、何せ行かず後家だからはつらつ感がいまひとつ」
 ため息混じり。
 その発言に対し、オレに集まる既婚者共……じゃない“諸先輩方”のじろり。
 わーわーわー!変な事言ってないのにないのにないのにっ!
「が、眼精疲労が肩に回ってるんですよ。ちょっと肩いいですか?」
 もっともらしいが嘘でもない。オレは立ち上がって“肩たたき”のジェスチャーをしながら、彼女の背後に回った。
 これすら相手の捉えようによってはセクハラになるというが。
「あら?やってくれるの?」
「ガキの頃から母親ひっぱたいてますから」
 男三十路のなおも純潔は魔法使いと冒頭書いたが。
 魔法とは言えないまでも、これには自信がある。なりゆきだし、単なる会社の同僚。適当にひっぱたいてなおざりに済ませてもいいのかも知れないが、手を抜く必要はないし、抜けば傷つくだろうし、ヘタにやっつけだと却って痛む。
 普通にやる。まず両の手のひらを両肩に載せる。
「え……」
 相田さんは思わず、という感じでそう言い、上半身をびくっと震わせた。
 その反応で判ったことが一つある。
「リラクゼーションとか、アロママッサージとか、行ったことないですか?」
 問いかけながらしばらくそのまま。手のひらで温められた肩の側の反応を見る。
「うん、ない」
 相田さんは頷いた。……つまり誰かに肩たたき、という経験がないのだ。“びくっ”は異次元感覚に対する身体の驚きである。
 少し手を当てていると手のひらの下が柔軟になってくる。それに今度はオレがハッとさせられる。
 柔らかい感じが母親の肩と異次元なのだ。
 女の人の身体、なのだと気付く。柔軟で、しなやかで。
 ふわっ。
 認識した途端心臓がドキドキしてくる。なんだこの感覚。ええい手元が震えて出来へんやないかい。
 落ち着けオレ。
「首を前に倒して」
「はい」
「ゆっくりと」
「はい……」
 うつむいた姿勢に髪がさらりと左右に流れる。現れるうなじ。
 その色白さは少女のような。……おいおいオレ。
「白髪が目立つって?」
「いいえ全然」
 頸椎の両脇の筋を指でなぞる。堅い。眼精疲労は嘘ではない。そのまま筋に沿って軽く圧迫しながら指を下ろし、鎖骨のすぐそばへ。そこで向きを変え、今度は肩を指先で押して行く。少しずつ押す位置を変え、肩の先まで。……ずっと堅い。肩全体が張っている。
「気持ちいい……」
「頭上げていいですよ」
 “ユーロビート叩き”と呼んでいるが、ディスコサウンドばりの相当速いテンポで細かい“チョップ”を繰り出し、今指先で当たった筋を叩いて行く。次に拳を作ってもう一度。次に男っぽく、肩の筋を握力任せとばかり文字通り手で握り、親指の腹でツボを押して。このツボもただ押すでなく、ぎゅーっと押してからすーっという感じで抜く。再びユーロビートに戻り、今度は脊髄両脇を背中半分まで下ろして行き、とって返して肩まで行ったら、今度は両腕の方へ動いて二の腕をわしづかみの要領。肩を中心として周辺一帯へ広げる、がミソ。これは凝った肩をフォローしようとして、周囲の筋肉にも負担がかかるため。
 相田さんは何も言わない。その代わり、首から上……つまり頭が、されるがままという感じでガクガク動く。
と、“諸先輩方”の驚くような目線。手抜きどころか“オプションフル装備”で彼女をマッサージしていた自分に気付き、恥ずかしい、と感じる。
 他方、未経験だという彼女、やりすぎると“もみ返し”で逆に痛む。こんなもんか。
「はいおしまい」
 軽くポンと肩を叩いて終了宣言。
 反応がないので覗き込むと、寝ているかと思うようにまぶたを閉じている。
 もう一度声をかけようかと思った直後、相田さんは数秒程時間をかけ、閉じていたまぶたをゆっくりと開いた。その潤んだ瞳、愁いをたたえた横顔。力が抜けた証拠だろう。
 その目をオレへ。ニコッと笑顔のいつもの彼女、と、思いきや。
「ありがとう」
 相田さんは意に反し、真っ直ぐオレを見、まじめな顔で言った。
 ちょっとドキッとする。何せ魔法使いだからこういうシチュエーションは過去にない。
「……い、いいえ。結構凝り性かも、ですね」
「うん……」
 相田さんは目を伏せ、自らの肩に手のひらを載せ……自分で書いていいのか、感触を思い返すように、そっとさすった。その伏し目がちの表情。余韻を引くような口調。そっと手を載せるその仕草。
 “しおらしさ”という言葉があったっけ。しっとりしていて女性らしさに満ちている。とりあえず、口先だけの“ありがとう”ではなさそうな感じ。
 確かにお姉さん、なのだが、ここまで“女性”を意識させられるとさすがに照れる。
「……よ、よかったら、いつでもどうぞ」
 勢いのままに口をついて出る。この状況で一回こっきり、ってのもなんだか。だろう。
「いいの?」
 およ?
「もちろん」
 提案しておいてやっぱりダメってあるかよ。
「それじゃぁ……」
 その日以降、7時まで残業したら肩たたき、が何となく定着した。繰り出す技(?)も次第に増加し、肩に肘を立てたり、頭のてっぺんをぐりぐりしたり。対象範囲も拡大して指先、手のひらマッサージも追加。手指の肌が荒れ気味なのは、母親もそうだったが水仕事のせいか。
 一方で、“諸先輩方”に言われるようになったのがこれだ。
「お前最近相田さんと仲良さそうだな」
 言われると意識するもの。フラッシュバックで思い浮かぶ潤んだ瞳、白いうなじ。
 でも、見慣れた(!)せいか、取り乱すとか、耳まで真っ赤、なんて事はなく。
「そう……ですかね」
「彼女も生き生きしてるしな」
 これは小学校ならひゅーひゅーと冷やかされたシチュエーションなのかも知れない。が、“諸先輩方”は何も言わなかったので、オレは何も気にしなかった。
 そして12月22日。
 明日から3連休、諸先輩方は家族サービスでさっさと帰宅。オフィスに残ったのは何度目か、オレと相田さんだけ。年末だけあって仕事が山盛りなのと、……彼女もそうかも知れないが、街行く幸せな人々の間を縫って歩く気になれず、仕事にいそしむ。
 いつもの時間。
「今日は顎の付け根から目の下辺りまでしてみましょうか」
 親しげな所を見られる必要がない、という意識が働いた結果の発言……じゃないと言ったら、嘘になる。
 何せ、女の人の顔に手で触れようというのだ。
「はい」
 相田さんはいつものようにオレに背中を向け、メガネを外した。
 いつものように肩に手を載せ、筋に沿って肩から首へ、手のひら指先。そして。
「ちょっと失礼しますよ。痛かったら言ってくださいね」
「うん」
 首から耳の後ろへ指をずらし、顎の付け根へ、そして目尻へと指先を回す。少し、怖いような気持ち。オフィスは他に人はなく、揉んでいるだけなので音も無し。女の子と手をつないだことすらない自分が、こうして独身女性の顔に触れ、しかも密室二人きりで完全に信頼されているという事実。
 指を目の下に回す。両の頬を手のひらで包み、目の下の皮膚を引っ張るように。
 きめ細かい、ひたすらに柔らかな頬の感触。
 両手で顔を包んでいるので、自ずからオレの顔が彼女の頭の上に来る。香る髪。
 ……およ?
「シャンプー変えました?」
「判る?」
 相田さんは手のひらの感触でそれと判る微笑みを作って、言った
「そりゃ毎日……ですからね」
 オレは答えた。そこで、手先に感じていた相田さんの頬が少し緊張した。
「痛かった?」」
 オレは手を止めた。
「ううん……ひとつ訊いていい?」
「はい?」
「なんでこんな行き遅れの年増を毎晩?」
「え?」
「先に四十肩が来そうなのを見かねて?」
 なんちゅうことを言うか。
「母親が肩こり持ちですからね。同じ物を相田さんに感じた。それだけですよ。年齢がどうとか無関係。相田さんが心地よいと思って下さるならそれで結構」
 言いながらマッサージ再開。
「ウワサが立ってるの知ってる?」
「何のですか?」
「何のって……だから、私と、あなたが……」
「付き合ってる?」
 初耳。
「そう。……あなたまだ若いのに」
 その言葉に、オレは頭がぐらり、と揺れ動くような衝撃を受けた。
 何その自己否定。ウワサがオレにとってマイナスで、自分が迷惑をかけてるとでも?
 ただ、彼女がそう思ったのだとして、その気持ちは判らないじゃない。オレだって思ったことがある。好きだった学年イチバンの輝くような美少女。
 オレなんか不釣り合い。オレに好きだなんて言われたらかえって迷惑だろう。……自分に対する自信のなさのなせる技。
 でも、それが本当は、自信がないのじゃなくて、輝く物があることに、自分が気付いていないだけで……
 相田さんはぐすっと鼻をすすった……あれ?
「だから無理して続けなくても……いいよ」
 低いトーンの、落胆したような声と。
 目の下に回したオレの指を濡らす、何か温かいもの。
 自惚れたことを書く気はない。ただ、彼女の言動が、真意に沿ったものではない、とは書いていいだろう。「あっそ、じゃ、そゆことで」とオレが去るならば、もう二度と、オレは彼女の顔を正面から見ることが出来ないだろう。
「言いたいヤツには言わせておけばいいじゃないですか。僕は別に気にしませんよ」
 オレは言った。
「え……」
 相田さんは言い、オレの手の中で振り返った。
 多感な少女のような、涙たたえた瞳。
 オレは両の手で、彼女の頬を、もう一度、包むように挟んだ。
 もう一度。ただ、マッサージするのと、違う意図を込めて。
 途端、ぼろぼろ涙溢れ出す彼女の瞳。
「温かい……。あなたの手が温かい。教えて。どうして、どうしてここまで……」
 自信がないのじゃなくて、輝く物があることに気付いていないだけで……
「あなたを女の人だと意識してるからでしょう」
 相手の方が、その輝きを知っている場合は。
「え……」
「世の男どもは、見る目がない。細やかで、純粋で、人の気持ちを思うことの出来る、一番大切なものを心に持った女性がここにいるのに」
 言いながら、オレは不思議な気分になった。
 “好き”という感情を知ってる。ドキドキ、熱さ、頭くらくらするような夢中な気持ち。
 しかしこれはそれとは違う。彼女を受け入れているのは確かなのだが、恐らく一歩踏み出せばウワサの通りになることは承知なのだが。そうなっても別に構わないという冷静な判断がなされているのは確かなのだが。
 “気を引こう”“つなぎとめよう”という意識が働かないのは何故か。
 彼女の唇が震えわななく。
「……あなた、自分の言ってること判ってる?おばさんからかうとひどいよ」
「判ってるから、ここにこうしているんじゃないですか。それより僕は年下ですよ。いいんですか?」
 相田さんの涙目がキラキラと光を放つ。
 その笑顔のかわいらしさ。“お姉さん”じゃない。
 “女の子”のまま……
「負け犬だよ」
「魔法使いですよ」
「どんな呪文を使ったの?」
 涙目で笑顔。
「僕の呪文は魔法じゃないす」
 オレは言い、手のひらを彼女の頬から肩へ移動し。
 そのまま、引き寄せた。
「明日、空いてますか?」
「たった今、埋まった……あなたのせいで」

男三十路の魔法使い/終

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【恋の小話】声が見えない

~第1章~
 
初めて出会ったのは、天使が街に似合う季節。
あなたは……待ち合わせに10分遅れて現れた。
ちょっと恥ずかしそうに頭を下げて。
一歩よりも、やや短い距離に立って。
知っているはずなのに顔を見るのは初めて。
初めて聞く声なのになぜか口調は知っている。
肩口で切り揃えたサラサラの黒髪で。
躊躇いがちに、小さな紙袋を差し出した。
「頼まれたもの」
「同じく」
互いの袋を交換する。あなたがくれたのは……ぼくが持ち歩くにはちょっと恥ずかしかったのだけれど。
綺麗で可愛らしいから……そういう選択なんだなとぼくは思った。
だからその日は、少し離れて、後ろから、あなたの髪に天使のリングが輝くのを見ていた。
北風が、ちょっと寒そうだった。
 
~第2章~
 
次に出会ったのは、春風の海辺。
あなたは、笑顔で手を振りながら、駅の改札をくぐってきた。
新しく買ったという携帯電話。
カラー液晶のデジタルな画面に、ぼくの名前と番号が刻まれる。
「あなたとメールやりとりするの、すごく楽しい、だから……」
駅を発車する電車の音が、彼女の声を一旦かき消す。
「だから、お喋りもしたいかな。って」
陽射しの中の眩しい笑顔。
歩き出す灯台への狭い道。時々肩が触れ合うけれど。
「ごめん」
「ううん。いいよ。……そうだ、あのさ」
キラキラした瞳がぼくを見る。ぼくは目線と、言葉を返す。
言葉のない時間が、だんだん短くなって行く。
「ハイここです」
着いた古い灯台は、今はもう海岸の展望台。
中には博物館とレストラン。そしておみやげ屋。
静かなのが好きだから……と彼女が言うから、今日はお互い有給休暇。
誰もいない昼下がり。居眠りしているおみやげ屋のおばあちゃん。
「灯台のシステムはアレキサンダー大王の時代には確立していて、この『ファロス灯台』では……」
展示の模型に少し講釈。頷く彼女をふと見るとぼくと目が合う。
「展望台行こうよ」
彼女がぼくの手を握る。そして引っ張って歩き出す。
「ちょっと待……」
意表を突かれてつんのめるぼくを見て彼女が笑う。
「大丈夫?」
くすくす笑いながら、でも手を離さない。
ちょっと恥ずかしかったけれど、そのままにしておいた。
 
~第3章~
 
ひょっとして……と思い始めたのは、携帯の料金が1万円を超えたあたりから。
「ぼくと会っていて楽しい?」
「うん」
屈託のない笑顔で、彼女は美術館前の鳩に餌をやる。
離れたところから聞こえる電車の音。加速しながら行き過ぎる車輪のリズム。
通り過ぎる。
「どうしたの?」
「あのね」
鳩に手のひらを預けながら、ぼくに尋ねる彼女に、ぼくは……気持ちの兆しを口にする。
一斉に飛び立つ鳩の群。驚くほどの羽音のざわめき。
「どう……答えたら、いいのかな」
彼女はそっと立ち上がり、夕暮れ近い太陽に目を向ける。
逆光で顔が見えない。
「その……会っていて楽しいのは事実。あなたの気持ちも嬉しい。でもね……」
「……」
「自分がそういう気持ちを持っているかどうかなんて、考えてなかった」
「それって……」
「ううん。そういう意味じゃない。ただ、あなたと同じ気持ちも私も持っているかというと、まだ」
まだ……。
まだなら……。
「待つよ」
ぼくは言う。
「え?」
「待つさ。まだならね」
「ごめんなさい」
彼女は、小さく、言った。
 
~第4章~
 
誕生日。
予約していたレストランに、彼女は今度は時間通りに現れた。
「高そうね」
「君の記念日じゃん」
フランス語で書かれた今日のおすすめ。服装規定に関する断り書き。
ウェイターに呼ばれて店内へ入る。コースメニューなのでテーブルはセット済み。
「私……いいの?」
バッグを傍らに置き、ウェイターの引いた椅子に、彼女はゆっくりと腰を下ろす。
ちょっと遠慮がちに、肩身が狭そうに。
「いいのって?」
「だって、こんなさ。幾ら私の……」
「いや?」
「そうじゃない。だけど……」
目を伏せる彼女。……もう少し喜んでくれると思ったんだけど……。
彼女が顔を上げる。
「ごめんなさい。折角準備してくれたんだもんね。いただきます」
微笑む口元。
でもこの時、ぼくは彼女の瞳が、揺らめきながらぼくを見ていたことに気付かない。
 
~第5章~
 
「年度末で忙しいから、しばらく会えないよ」
携帯の留守電に、そんなメッセージが入っていたのは、それからしばらくのこと。
忙しいのか……ぼくは単純にそう考えながら、旅行のパンフを集めていた。
「彼女と行くんだけどさ、どこかおいしい店知らない?」
友達から情報を収集。彼女が好きなのは、柔らかく陽射しの入る静かなレストラン。
「つき合ってんの?」
「さあ~えへへ~」
バレバレだなーと思いつつ。
「悔しいヤローだな。仕置きしてやる……」
友が言うには、5人がかりでぼくをいじめてくれるらしい。
「へへ。何言ったって今更手遅れだよ。べぇー」
ぼくはそう言って、電話を切った。
何もかもが、うまく行っていた。
ただ、メールの返事と、電話が来ないのが、ちょっと寂しい。
 
~第6章~
 
久々に電話がつながったとき、22回目のコールで彼女は出た。
「なに……」
小さな声。疲れて眠いのか。
「どうしたの」
それきり何も言わない彼女にぼくは問う。
彼女は少し……良く聞き取れないけどため息だろうか。
「……いじめられたって?」
ぼくに問う。
「ああ、聞いたのか。それなら大丈夫」
「……」
彼女は何も答えない。どうしたんだろう。いつもと違う。
「ね……」
呼びかけたいが、何と言っていいのか判らない。
不安。これは何だろう。
彼女に何か?
「……どうかしたの?」
同じことを何度も訊いている気がする。
彼女はまた、少し黙って。
「……どうもしないよ。私はね」
鼻をぐすん……風邪かな?
「ねえどこか具合が……」
「切っていい?もう寝たい」
「……判った。じゃ」
何も訊けずに、通話は切れた。
 
~第7章~
 
いじめてやる……そう言った張本人から電話が来たのはそれから3日後。
「なんだよバカヤロ」
「お前さ。彼女に何かした?」
「は?」
気になるセリフ。それはどういう……。
「なんで?」
「いやあ、昨日会って話してたらさ『私のこと色々知ってるね』って。何か怒ってたぞ」「へ?」
意味が判らない。
言葉が紡げず、黙っていると、友人はエヘヘと笑い、
「何かしたんだろ。彼女にちゃんと訊いた方がいいぞ。じゃな」
と、電話を切った。
 
~第8章~
 
話があるから11時頃電話する……Eメールを出しておいたその晩、5回のコールで彼女は出た。
「なに?」
何かを期待するような、そんな声。
待っててくれたのかな?
「あのさ……」
ぼくは約束の取り付けを切り出す。映画の指定券が手に入った。
すると。
「……私、そんなこと頼んだ?」
「!」
脳の中が、カッと熱くなってるような衝撃。
「え?だって……」
「私……あなたに頼んでもいないことをしてもらうつもりない」
「……」
「どこへ行っても言われる。あなたとつき合ってるのかって」
「だって……会うの楽しいって……」
「言ったよ。でもね。私はあなたにつき合ってと言った憶えはない」
「それは……そうだけど……」
「あなた待つって言ったでしょ。だから私少し考えようと思ってた。あなた待った?」
「え?君、仕事が忙しいからって」
ぼくの答えを聞いた瞬間。彼女は電話を切ってしまった。
 
~第9章~
 
それ以降。電話も、メールも、全く途絶えた。
ぼくには、判らなかった。何がどう、……ひょっとして彼女に嫌われたのか。
「謝らないと手遅れになるよ」
これは友人のセリフ。
「彼女なら元気だよ……でも何でそんなこと私に訊くの?あなた一番そばにいて把握してるんじゃないの?」
これは彼女の友達の女の子のセリフ。
判らない。ぼくは答えを求めてさすらう。彼女に訊くのが一番早いという声はある。
でも、怖くて訊けない。だから、周りに訊いてみる。
「よう。関係ヤバイらしいな」
ラグビー部の先輩から電話が来たのはそれから程なく。
「……はあ。まあ」
「良かったら相談に乗るぜ」
頼れるような、安心できるような、力強い言葉。
「オレのハニーと行くからよ……」
ぼくは先輩に一縷の望みを託すような気持ちで、待ち合わせの場所をメモった。
 
~終章~
 
終着駅に着いた電車の扉が開くと、枯れ葉の舞い散るプラットホームに彼女は立っていた。「待った?」
「別に。時間判ってたから」
向かい合う、手を伸ばしても届かない距離。
でも、一歩が踏み出せない。
「ご用は?」
「その……ごめんなさい」
僕は頭を下げる。
「理由は?」
「その……ぼくはひどいことを君にした」
「どんな?」
「どんなって……」
平手打ち。じんとしびれる頬。歯を食いしばり、目を赤くしてぼくを見ている彼女。
「判ってない。あなた、全然判ってない」
「……」
ぼくは打たれた頬に反射的に手をやりながら彼女を見る。
「私に理由を言わせたいわけ。いいでしょう。言ってあげましょう」
彼女は背を向ける。そして。
「あなた、つき合ってもいない異性から、周辺に『つき合ってる』と言いふらされたい?」
「……」
「私はあなたにつき合ってと言った憶えはない。しかも、あなたは待つと言った」
「……」
「だから私は、待ってくれるなら考えようと思った。なのに……」
「ああ……」
「言わないで!聞きたくないし、もう言いたくない。二度も三度も同じ気持ちになるのはいや」
終わった……その瞬間、ぼくは思った。
予想は出来ていたような、しかし頭からすーっと血が引いてゆくような。
「ごめん」
ぼくには、それしか言えなかった。
彼女を見ることすら出来ない。
電車が折り返し発車することを知らせるチャイム。
ぼくは背を向ける。待って……否定でないことを勝手に肯定と解釈し、彼女が喜ぶ「だろう」という、勝手な確信を自分の中に作り上げていたことを知る。
扉が閉まる。
ぼくはドアに寄りかかり、風景と共にいろいろなものが崩れ去り、時の彼方へと消えて行くのを実感する。
 
ただ判っているのは、終点に着いた電車は、新たな行き先を得て走り出すと言うこと。
ぼくは切符を持って、その電車に乗っていると言うこと。
小さく笑みが出る。同時に、何か暖かなものが頬を伝う。
 
声が見えない/終

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【恋の小話】いつかきっと

 彼女は、僕のことだけは“君”付けで呼んだ。
 他の男子は呼び捨て。『ガキっぽいからだ』野郎共はそう僕を笑う。確かに僕は背は低いし童顔。声変わりだってまだだ。一方彼女は大人びてまるで“お姉さん”。長い髪で歩く姿なんか、とても綺麗だなと純粋に思う。
あこがれがないといえば嘘。でもそれは、到底かなうことのない、遠い、とおい夢。
 だから。
「倉橋君」
 初めて、学校の外で、彼女の方から声をかけられて、僕はとても驚いた。“君”付けイコール問題外の外、学校外では知らん顔、そう思っていたからだ。
 僕は河原に広がる草むらから、堤防道路を見上げた。水色ワンピースの彼女が、自転車から降りて手を振っている。別におしゃれしているわけでもないのだけど、とても似合う気がする。
「あ、やぁ」
 一方僕ときたら気の利いた挨拶の一つもできないふがいなさ。
「何してるの?弟さん?」
 彼女は自転車を押しながら、堤防の斜面を軽い足取りで下りてきた。買い物帰りらしく、前かごにスーパーのビニール袋。
「うん、そう」
 僕は再び気の利かない返事をすると、弟の方を見た。弟は5歳の幼稚園児。今日はこの草むらでバッタ取りに付き合い。
「お兄ちゃ~ん」
 その弟が僕を呼ぶ。呼んだ理由は一つ。好きなバッタ見つけたから捕まえてくれ。
「わかった。動くなよ」
 僕は言うと弟のところへ歩いた。弟が指差すトノサマバッタ。
 息を殺し、背を低くし、バッタの背後から手を伸ばす。一旦手を止め、ゆっくりと息を吸い、ゆっくりと吐きだし、吐き出し終わる前に手を伸ばす。
「捕った!」
 僕より先に弟が言った。確かに捕まえた。しかし手応えがおかしい。
「ちょっと待てな」
 言って僕は手を開く。普通、トノサマバッタは容易に捕まらず、驚くほど長距離を羽ばたいて逃げる。また仮に捕まえた場合でも、その強靱な筋力でじたばた暴れるものだが。
 捕まえたそいつはえらくおとなしい。しかもその身体は柔らかくふにゃふにゃ。
「これなぁ、逃がしてやろうよ」
 僕はまず言った。すると弟は口をとがらせ。
「えー、なんで?」
「皮脱いだばかりなんだよ。身体がまだ丈夫じゃないから。こんなんで虫かご閉じこめたらかわいそうだよ」
「どうして?ちゃんとご飯あげるし」
「飛び跳ねてかごにぶつかったら身体がつぶれるぞ。他にもいるから、こいつは逃がそう。な」
「……わかったよ」
 弟は不承不承、という感じで目を伏せて言うと、他のバッタを探し始めた。
「行っていいよ」
 僕は手のひらのバッタをチョンとつついた。バッタはピョンと跳ねて草の間に戻った。
「優しいね」
 彼女が言った。傍らに立つ彼女の腕がわずかに僕の腕に触れる。
「優しいというか、ムダに死なせることないじゃん、それだけ」
「夜、ネコにえさあげてるのもそれだけ?」
「え……」
 僕は絶句した。何で知ってるんだろう。確かに、生ゴミ回収日の前の晩、町ネコにえさをあげている。でも、いつも、誰もいないことを確認してからあげている。だから誰も知らないはず。
「どうして」
 尋ねても、彼女は笑うだけ。その時。
「お、お兄ちゃん!」
 バッタじゃない。明らかに危機を知らせる弟の声。
 見ると犬。茶色系のミックスであり首輪はない。その毛は乱れ汚れており、明らかに飼い犬ではない。弟に向かい、鼻にしわを寄せ、ウーと低い唸り声。
「くそっ!」
「ちょっと待って」
 石でもぶつけようかと思った僕を、落ち着いた声で彼女が制した。
 犬をまっすぐに見、手のひらを向ける。
 口元が動く。何か言っているようである。しかし何も聞こえない。
 犬の目が彼女に向いた。
 彼女は犬の目を引きつけながら自転車へ歩く。そして買い物ビニールから何か取り出す。
 ビーフジャーキー一本。持って走り出す。
 犬がその後を追う。僕はその間に弟を抱き上げる。
 彼女がジャーキーを対岸へ投げ、犬が流れの中に飛び込んだ。
「今のうち!」
 彼女は自転車を押して堤防を登る。僕は弟を抱えて彼女の後を追う。
 斜面と堤防道路との段差で、自転車が跳ね、はずみで彼女がバランスを崩して転んだ。
「いたっ!」
 駆け寄ると腕をすりむいて出血している。それを……なんと彼女はなめようとした。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
 僕はポケットから傷スプレーを取り出す。弟が良く転ぶので、遊びに出るときはいつも持っている。
 シュッとやって、まず傷口をきれいに拭う。もう一度やって、絆創膏を貼る。でも足らないのでハンカチも巻き付けて結んでおく。
 そのまま堤防の向こう側へ行く。これで犬から姿は見えない。
「ごめんねありがとう。もう大丈夫」
 彼女は言った。そして続けて。
「弟さん……ゆきおくんって言ったっけ。お昼にお肉食べたでしょ。匂いがしてゆきおくん自体を食べ物と思ったみたい。歯は磨かなきゃだめだよ」
 そのセリフに僕は瞠目した。弟の名前とか、お昼に……確かにフライドチキンを食べた。
 どうしてそこまで判る?
「君は……」
「ごめんね。怪しいよね私。なんだかスパイみたいだよね」
 夜な夜な闇に紛れて町中を嗅ぎ回る女スパイ……にはとても見えないが。
 迷ったような表情。そして。
「リナ、に、聞いたの」
「え……」
 その名を聞いて、ぼくが最初に思い浮かべたのは、赤い首輪に鈴つけた、ふんわりした毛並みの三毛猫。首輪にマジックで“リナ”と書いてある。
「あなた、毒エサ事件が起きた後すぐから、ネコたちにご飯あげてくれてるんだね。おかげで、毒エサ食べた子はいないって。それだけ伝えてくれって」
 そこまで聞いて、僕は彼女が何を言っているのか理解した。
 そして、何で弟の名前を知っているのかも、さっきの犬に対する行動も。
「僕がグチ言ってたって?」
「うん」
「数学のテストが最悪だったって?」
「うん」
「参ったなぁ……」
 僕は頭をポリポリかいた。ネコたちに言っていたグチが彼女に筒抜け。つまり。
「このお姉ちゃんは動物とおしゃべりできる」
「うそっ!」
 弟が目を円くする。でも他に言いようがない。
「道理で全部知ってるわけだ」
 果たして彼女は頷いた。
「ごめんなさい。聞かれたくないことまで多分知ってるね私。リナ、おしゃべりだからね。でも、でもね。リナも含めてネコたちが口をそろえて言うのは、あなたがとっても優しい男の子なんだってこと。つばめの子拾って帰ったことも、釣り糸からまったハトを助けたことも、車にはねられた野良犬を病院に連れて行ったことも、いっぱい、いっぱい、あなたの優しさを聞いたよ。だから私、あなたのことが知らない子に思えなくてね。一緒のクラスになったとき、ちょっと嬉しかったんだ」
 彼女は僕が照れるようなことを、桃色の頬ですらすらと言った。
「だからなんかなれなれしくしちゃって、ごめんね」
 ぺこっと頭を下げる。“君”付け。その理由を僕は知った。
「あなたのこと、話題にするとクラスのみんなは色々言う。気弱とかおとなしいとかね。でも、クラスのみんなはあなたが優しい男の子だってこと知らない。あなたの優しさは本当のあなたを隠してしまっているのかも知れない。だけど、最後に本当に必要なのは優しさなんだと私は思う。だから、今は色々言われていても、いつかきっと誰かが気付く。ネコたちが気付いたように。そして、私が気付いたように……」
「え……」
「じゃね。もう行かなくちゃ。ハンカチは明日返すね」
 僕が何も言えないうちに、彼女は自転車に乗って走っていった。
 そしてそれが、僕が彼女を見た最後になった。
 突然、学校に来なくなったのだ。しかも、学校に報告されていた住所が架空のものだったから大騒ぎ。確かに、住所録には、スーパーの番地プラス1で“桜木アパート”とある。単純には公園の位置になる。しかし公園は丁目がちがう。
 ちなみに、スーパーと公園との境目には大きな桜の木が一本あり、その木の根元は町ネコの集会所。“桜木アパート”は言ってみれば集会所だ。
 こんな住所書いて……僕は思いながら、学校の帰り、リナを捜しに、その住所“桜木アパート”に向かった。リナなら彼女の行方を知っているかも、と思ったからだ。僕がリナの話を聞けるわけではないが、メッセージは伝えてもらえる。
 見慣れたしっぽ。
「え……」
 僕は気付いた。
 “彼女”が、前足に、見たことのあるハンカチをまいているのを。

いつかきっと/終

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【大人向けの童話】待っている間に……

 午前1時。
 住宅街の中の公園。
 しんと静まり返ったその場所で、僕は、寝間着にサンダルというスタイルでしゃがみ込み、歯を磨いている。
 折った膝の間には白黒模様の野良猫。ここで時々エサをやったりしているうちに仲良くなった奴だ。最近では妙になれなれしくなって、一度エサをやっても、“もっとよこせ”とばかりにまとわりついてくる。ま、可愛いから許してやっているが。
 猫が何かに気付いたように顔を上げた。
「あのう、すいません」
 背後から女の子の声。
「はい」
 僕は歯ブラシをくわえたまま振り返った。と、そこにはどう見ても中学生以下という感じの小柄な女の子。三つ編みにスカートというそのスタイルは、平成も10年を迎えようという今となってはちょっと古風な感じで、一昔前の少女漫画から抜け出してきた、そんな感じをうける。
「あのー、わたし友達と待ち合わせしてるんですけど、怖いんで、一緒に待たせてもらっていいですか?」
 小首を傾げて女の子が言う。こーいう場合、安心できる人物と見られているとして喜んでいいのか、はたまたマトモな男と見られていないと取るべきなのか。
「いいよ」
 僕はとりあえず喜ぶことにしてそう答えた。思えばこの時、喜んでなんかいないで、午前1時の待ち合わせなど変だと思うべきだったのだ。
「よかったぁ。あ、ねこちゃん、かわいい」
 答えるやいなや、女の子は僕の隣にしゃがみ込んで猫を撫で始めた。まるで僕の答が判っていたかのような反応である。
「この子、名前なんて言うんですか?」
 女の子は猫を撫でながら、あどけなさの残るニコニコした顔で尋ねた。後ろにいたときは判らなかったが、そばで見ると、なんだかものすごく華奢な感じの身体つきだ。肌は透き通るように白く、こういう表現法はちょっとアレだが、抱きしめたら薄いガラスのようにパリンと簡単に壊れてしまいそうだ。
「名前?まだないよ」
「『まだない』って名前なんですか?」
 僕の答えに女の子が目を円くする。
 僕は笑った。
「違う違う。付けてないってことだよ。おいこらとか、ニャー助とか、その日その日で適当に呼んでる」
「じゃ、あたし付けていいですか?」
 女の子が目を輝かす。なんだかとても嬉しそうである。
「いいよ。いいけど、こいつ野良だから、いろんなところでいろんな名前で呼ばれてるよ。だからどんな名前でも……」
 僕は言ったが、女の子は聞かず、猫を抱き上げると、その目を正面からのぞき込んだ。
 女の子の顔からあどけなさが消える。何かを読みとろうとするかのように、猫の目をじっと見つめる。
「リュウ……」
 少々の後、女の子はぼそっと言った。
「リュウ、あんたの名前はリュウだ。リュウちゃん」
 女の子が呼ぶ。猫がにゃあと答える。
「へえ……」
 僕は感心した。まれにだが、動物にその動物が納得するような名前を付けられる人物が存在する。たとえば“あらいぐまラスカル”で、“ラスカル”と名前を付けた主人公の友達がそうだし、あのアニメのナウシカだってそうだ。
 そしてこの少女もそうした人種に分類されるらしい。
「ね、エサ持ってないんですか?」
 女の子が訊く。野良猫“リュウ”は今やすっかり彼女になつき、手の中で気持ちよさそうにしている。
「ごめん、今日はもうあげちゃったよ……取ってこようか?」
「え?いや、いいですいいです。……あれ、でも、今日はってことは、いつもあげてるんですか?」
「本当は星を見ながらってのが目的でここに来てたんだけどね。いつ来てもこいついるからあげるようになって……今じゃ曇っていても来るようになったよ」
「星好きなんですか?」
 女の子が目を輝かせた。今時星が好きなどとというバリバリ乙女趣味の女の子も珍しい。
「まあね。つったって、オレの場合極めてマニアな……」
「じゃ、じゃあ星の神話知ってますよね」
 女の子が僕の話も聞かず尋ねる。そして彼女はそのまま、長いこと病気で入院しており、星をじっくり見たことがなく、友達と遊んだこともないこと。退屈しのぎにいろんな本を読んでいるうちに童話やおとぎ話に興味を持ち、今はギリシャ神話に凝っていること。そして将来元気になったら童話作家を目指したい、と一気に喋った。
「……だから、もし、迷惑じゃなかったら、神話一通り教えて欲しいんですけど、ダメですか?早く知りたいのにいっぱいあるからじれったくて」
 彼女は最後にそう付け足すと、僕の目をのぞき込んだ。僕は彼女が色白で華奢な理由を納得した。そしてもちろん、そのお願いを断る理由はない。
「ああ、いいよ。でも一気に全部ってのは大変だからね……そうだね」
 僕は言うと天空を見上げた。現在星座は西方に天の川を挟んだ夏の連中、てっぺんに秋の連中、そして東方には少々気が早い気もするが、すばる他冬の星座達が昇ってきている。
「ここに見えている星座の話をしようか」
「わあ、嬉しい」
女の子が答える。僕はそれから三〇分間、歯ブラシを片手に、九つの物語を展開した。
「このくらいかな」
「わあ、ありがとう」
 話題が途切れる。
「お友達、遅いね」
 僕は言った。すると、女の子は少し寂しげな目をしてから、聞こえないふりでもするかのようにブランコの方へ走り出した。
 そして座り、こぎ出す。が、うまく動かない。
「あのー……」
「はいはいちょっと待って」
 僕は言われる前に答えると、彼女の背後に回り、背中を押した。
 が、ブランコはうまく動かない。なぜか知らないが、無人のブランコを押しているような反応を示す。つまり、遠心力が足らないので、鎖の重さで引き戻されてしまうのだ。どういう状況か判らなかったら、本物をいじって試していただきたい。
「どうして?」
女の子の悲しそうな顔。
「まあ、お待ちなさい」
 僕は言うと、女の子のブランコの上に立ち上がり、彼女を足の間に座らせた。これなら僕の体重で動かせる。
「行くよ」
 いわゆる“立ちこぎ”でブランコが動き出す。振れが大きくなり、大地が上下を繰り返す。
「わあすごい。気持ちいい」
 女の子が歓声を上げる。
「ひょっとして初めて?」
「うん。あ、ねえ、靴飛ばししてもいい?」
「え?」
 言っているそばから女の子が靴を脱ぎ、高々と飛ばす。
 靴は見上げるほどの高さまで舞い上がり、しゃがんで見ている“リュウ”の向こうへ落ちた。
 リュウが靴の方向へ走って行く。
「ストップストップ」
 言われた通りにブランコを止める。止まるやいなや、女の子が片足飛びでリュウのもとへ走って行く。
 リュウが靴をボールか何かのように手先で構う。
「あ、だめ!」
 女の子がリュウに“返して”とばかり手を出す。するとリュウは“返してあげない”とばかりに靴の上で丸く寝る。
「意地悪猫」
「返してあげな」
 僕は二人(?)に歩みながら言った。リュウが身を起こして僕の方へ歩いて来、その間に女の子が靴を取る。
「はいどうぞ」
 続いて僕は女の子に肩を貸した。女の子が僕の肩につかまって靴を履く。
 まるで空気のように軽い手。
「ありがと。あ、友達来た。じゃあね、どうもありがとう」
 女の子が言い、僕の背後へ走り出す。意表をつかれた僕は振り返り、我が目を疑った。
 それは、空中に現れた階段を上って行く女の子の後ろ姿。
 いや正確には残像と言うべきか。空間に溶け、薄れ行く映像の中で、女の子が僕を見て手を振っている。
 階段の行く先は天の方向、常識で考えて、そこに存在して良い階段ではない。
 一体どこへ……僕は女の子の行く先を見極めようとし、立ち上がって首を振り上げた。
 はくちょう座。
 これは現実か?僕が結論を出す前に、星空へ向かう階段と女の子は消えた。

 翌土曜日。
 僕は昼前に悠長に起きてきた。
 そして朝刊を広げ、大あくびしたところで、一瞬で眠気を吹き飛ばされた。
 彼女が出ているのだ。
 大きな記事で、見出しは“重病の少女・法の不備に命を失う”
 “心臓移植を待って一年、力つきる”
 “今、一番したいことは『お友達と遊ぶこと』”
 “将来は童話作家に”。
 ……写真入りで、生命維持メカニズムにパイプやケーブルでつながれた姿が痛々しい。
 僕は目をむいた。少女の名前は須藤郁美(すどういくみ)。小学6年生で住所はこの町内。そう言えば今朝母親があわただしく何かの準備をしていた気がしたのは、彼女の葬儀だったのか。
 玄関ドアが開いた。
「ただいま……」
 母親が帰ってくる。僕は塩を片手に玄関へ向かう。
「子供が亡くなるのって、悲しくてやだね」
 涙ながらに母親が言う。
「新聞読んだよ」
「夜中の1時にね、目を覚ましたんだって。で、『本が読みたい』て言うから渡して、そのうち『眠い』って言って寝たんだって。で、お母さんが寝入ったのを確かめてお手洗い行って戻ってきたら、もう……」
 彼女だ……僕はそれを聞いて確信した。夜中の1時。病気で遊んだことがないと言う言葉。何をやるにしても輝いていた目、楽しそうな姿。それら全てが今となっては納得できる。

 昨日彼女は、“その時”が来るのを待っている間に、僕のいる公園へ遊びに来たのだ。

 もちろん、生命維持装置の必要な女の子が夜中に病院を抜け出せるわけがない。来たのは彼女の“心”だ。遊びたいという強い気持ちが彼女の心をその病んだ身体から解き放ち、あの場所へ運んだのである。オカルトで言う、幽体離脱だ。ブランコが無人の時のような挙動を示したのはそのせい……霊なので体重がない……である。そして、彼女が神話をたくさん知りたがったのは、短い時間になるべく沢山、と、思ったからだろう。
 それだったら概略でいいから全部教えてあげるんだった。
「それでね。お母さんが、最後に読んでた本、全部読ませてあげられなかったのが可哀相って言ってた。すごく面白がってたんだって」
「それって、ギリシャ神話の本じゃない?」
「どうして知ってるの?」

 ……後で思い出したことだが、はくちょう座の別名は「北十字」。これは童話作家宮沢賢治に言わせると、有名な南十字に対する北の十字架であり、
 地上と天国を結ぶ通路の入り口なのだそうだ。


待っている間に……/終

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【妖精エウリーの小さなお話】狼

 明治期に絶滅した、と調べればすぐに答えが出て来ます。
 ニホンオオカミ。
 家畜を狙うので駆除の対象とされ、報奨金が付いた。その結果、最後の一頭まで撃ち殺された。それが定説になっています。
 その一方で“生き残っている”と主張する人たちもたくさんいます。確かに人跡未踏、とまでは言わないまでも、それに近い深山幽谷が日本にはまだまだ残っており、そこで人目を避けてひっそりと暮らしている、というわけです。
 そんな状況ですから、私が彼らと出会ったのはただの一度きり。
 なお、内容の性質上、場所や時期をここに書くことは出来ないことをお断りいたします。
 ただ、夏から秋へ移る頃、時間は昼下がり、とだけは書いておきましょうか。
〈人間の飼い犬にしては、ここはちょっと場所的に変だね〉
 そんな意識を捉えた時、私がいたのは梢の上。
 ニホンザルたちと話をしていました。と、書くと、サルと会話なんてと訝る方もあるかもしれません。確かに、人間さんでそういう能力を持つ方は極めて稀です。
 しかし私たちには必須の能力です。なぜなら、私たち種族の使命として、昆虫や動物達の相談相手、というのがあるからです。
 妖精。そう書けば多くの方々は一定のイメージをお持ち頂けるでしょう。外見は人間さんとよく似ていますが、翅を持ち、手のひらサイズ。多く女性の姿を取る。私もそうです。ただ私の場合、体のサイズを手のひらサイズと、人間さんと同一サイズと、自由に変えられます。これは元来手のひらサイズであるケルトのフェアリーと、人間さんと同一サイズであったギリシャのニンフとが混交を経た結果。
〈あんたの出番じゃないのかね。妖精さん〉
 ボスザル“ロゴ”が言いました。
 木の下では子ザルたちが遊んでおり、その子イヌに似た動物にちょっかいを出したくて仕方がない様子。
 子イヌに似た動物は恐怖と不安の気持ちでいっぱい。
 でも、イヌじゃない。
「じゃぁ、ちょっと」
〈ああ〉
 ロゴが地上の子ザルたちに行動を制す声を出します。私は梢からひょいと飛び降ります。
 翅を広げて、子イヌに似た動物の前に着地。この間に身体のサイズは人間さん並み。
「どうしたの?」
 私は声を掛け、そして気付きました。
 彼(オスです)がイヌに似ているがイヌでないことを。
 オオカミ。
 私がそういう認識に達したと知るや、上方のサルたちが慌てて梢の更に上方へと逃げて行きます。近くに親がいるのでは、というわけです。耳に痛いほどの警戒の鳴き声。
大丈夫だから…私はサルたちに意思表示をし、その場にしゃがみ込みます。
「おいで。迷子なんだね」
 しかしオオカミの子は震えながら私の目を見るだけ。
 異常なまでの恐怖を覚えています。私はその子の心を、備わった能力であり、動物達との会話を可能とした能力であるテレパシーでそっと見てみます。
 悲しい記憶がその心にはありました。両親を撃ち殺されているのです。
 両親は人間さんの接近を知り、この子を草むらに隠した上で、人間さんに立ち向かいました。
 しかし銃が相手ではなすすべ無く。
「私は人間じゃないから」
 私は言いました。オオカミの子はハッと気付いたように私を見ました。
〈そういえば…〉
 判ったようです。トコトコと歩いてきます。
 私はこの子が事件の後、同じ群れの別のオスによって引き取られ、そこで暮らしていたものの、狩りの最中に再び人間に出くわして怖くなって逃げ出し、そのまま迷子になってしまったと知ります。
 ニオイで帰れそうな気もしますが、川に落ちて流されたとのこと。
「ちょっと行ってくるよ」
 私は樹上のサルたちに言いました。
〈ああ、我々はいつでも構わないから〉
 ロゴが答えます。私はオオカミの子を抱き上げ、木の虚へ入ります。空腹らしいので手品の手法で取り出す大豆ハンバーグ。
 必死にパクつく間、私は外へ出て耳を澄ませます。
 次いで超常感覚。聴覚と心と、両方の知覚を使って。
 呼ぶ声はないか、探す心はないか。
 皆無。距離があるということでしょうか。
 でも、それをオオカミの子に知らせる気は起こりません。
 木の虚に戻ります。オオカミの子はすっかり食べ終わり、しっぽを振って私を迎えてくれました。
 こうなるとこの子の記憶が頼り。
「ちょっといいかな?」
 私は言って、額でオオカミの子の額に触れます。そう、ちょうど発熱の有無を確かめるように。
 見えてきました。記憶は断片の集合体であり、連続ではありません。
 遡ってみます。私、サルへの恐怖。長い上り坂。その前にヘビが怖くてちょっと長い距離を走ったようです。
 別の木の虚。寒さと濡れた身体への不快。太陽を右に見ての上陸。太陽の高度からして昼前のようです。つまり川の流れは東から西。
 この辺の主河川は南北方向に流れています。従ってそこへ流れ込む支流のひとつと推察できます。該当する支流は幾つもありますが、この子の記憶によれば途中流れが速く、岸に上がる直前に緩やかになっています。更にもう一つのヒントとして、そのヘビがどうやらヤマカガシであるらしいと判ります。
 ヤマカガシはカエルを専門に狙うヘビです。この辺りにカエルが好む池等はなく、カジカガエルが一部に棲む程度。逆に言えばその限られた場所を彼は通った。
 …絞り込めました。
 その子を抱いて背中の翅で飛翔します。目指すは尾根3つ向こう、わき水を源流とする岩場の清流。
 後はどこから流されたか、の問題。しかしそこまでは私の能力では判りません。むしろ彼の嗅覚に頼った方が良い。
 流れを逆にたどり、上流へ向かいます。翅を縮めて倒木をくぐり、逆に伸ばして岩場を、滝を飛び、足場を捜してあっちの岸辺こっちの岸辺。
 そんなことを2時間もしたでしょうか。
 彼の嗅覚と、私の感覚が、同時に気付きました。
 人間と火薬の匂い。
 待ち伏せ。人間さんの狩猟です。
「仙女じゃっ!食えば不老不死だ!」
「仙女がヤマイヌの子を連れてるぞっ!」
 すかさず上がった声に、私は彼を抱きます。
 一瞬たりとも止まることは許されません。走り出し、背中の翅を伸展し。
 ここで発砲。しかし背中の翅が既に私たちをその場から舞い上がらせています。流れの両岸から覆い被さる梢。その間を、身体を回転させながら通過します。通過しながら、首から下がるペンダントの金のチェーンを引き上げる。
 後は、このチェーンの先にある青い石を手にして、呪文を唱えれば。
 その時。
 信じられない代物が私の視界に広がり、そして私の身体を拘束しました。
 カスミ網。要するに野鳥を捕らえるために使われるネットのことです。非常に多くの鳥が捕まるため、密猟防止の観点から、1990年代以降禁止されています。
 その網に私は自らの翅で引っかかった。
 しかも。
 銃弾が右の翅を撃ち抜きます。
 私の翅は伸縮自在。その仕組みは血液の透明成分…漿液の出入りによります。
 つまり、翅を傷つけられるのは事態としては最悪。不死身といって良い妖精族ですが、傷つけられて平気なわけではありません。
 力が抜けて行きます。視界がぼやけてきます。
〈僕を離して身体を小さくすれば…〉
 そんなこと…できますか…。
 火縄銃を抱え、蓑をかぶり、肌にカモフラージュの泥を塗った男達が4人ほど、ニヤニヤと白い歯を見せながら近づいてきます。
 その時。
 大地の神がと表してもあながち間違いでない、突き抜けるような咆哮が一帯に谺しました。
 男達の顔から一瞬で笑みが消えます。
〈とうさん…〉
 白銀の稲妻の如きものが、私たちの視界を横切りました。
 男の悲鳴がし、顔を押さえて後方へ倒れて行きます。
 強い力がカスミ網に掛かり、私たちは地上へと落ちます。
 雄々しく大地に立錐する白銀の主を私は見ました。
 怒りに震え、低く唸る雄の狼。…彼の義父です。
 父狼が跳躍します。夜通し山野を疾駆する脚の俊敏さは人の及ぶものでなく。
 獲物の首に食らいつき、短時間で息の根を止める顎の力は人腕の比ではなく。
 怒りのままに猛る彼を、本当は、本当は私は止めなくてはいけない立場。
 しかし極度の貧血に等しく、身体が動かない。
〈これを〉
 子狼が言い、口にくわえていたものを、投げ出された私の手のひらに置きます。
 それは父狼の戦闘の間に、私の首から引っ張り出したペンダント。その深い海色に輝く石を、私はどうにか手の中に収めます。
 そこで男の一人が火縄銃の準備を整えます。
「リクラ・ラクラ・テレポータ」
 私は銃を構えた男の背後に瞬間移動し、銃を取り上げ、流れへ捨てました。
 でもそれが精一杯。もう、立っていられません。
「とうちゃん!」(そういう意味の吠え声)
 子狼が叫び、男が私の方を振り返り、その背後から父狼が宙高く舞い上がる姿まで、私は確認しました。

 

 目覚めると、朽ちかけた古い祠の下で朝を迎えていました。身体が縮んで手のひらサイズですので、恐らく失神したのでしょう。
 縮んでしわくちゃの右の翅が濡れています。水滴の跡が谷底へ向かって点々と続いています。
 ああ、と私は合点が行きます。その流れはミネラル分を豊富に含みます。飲めば身体に良く、いわゆる“養老伝説”に出てくるのもこの種の水です。
Ookami2 狼の父子は私をこの祠に運び、傷ついた翅に夜通し、その水を運んで掛けてくれていたわけです。父子の姿はもうありませんが、父子が無事であった証拠。
 立ち上がります。翅は暫く使えませんが、行動できないわけではない。
 私は祠に、狼たちの代わりに礼を述べようとし、ハッと気付きました。
 祀られているのはイヌカミ。すなわちこの祠は、山野の食物連鎖の頂点に立つ犬神…狼…大神に対し、その獲物の一部を人間が頂戴することについて、許可の願いと感謝を込めた、いにしえの聖所。

狼/終

妖精エウリーの小さなお話・一覧

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【妖精エウリーの小さなお話】蛇の道は

 ヒバカリという種類のヘビがいます。
 小型のヘビで、大人になっても50センチ程度にしかなりません。色は黒褐色と地味。
 大人しい性格で、田んぼや湿地でカエルや小魚を食べて生きています。
 そんな生態ですので、川沿いや、田んぼと同居している新興住宅地などでは、人家近くでひっそり暮らしていたりします。
 ただ、ヘビはヘビです。
 “彼女”の証言によれば、いつもの田んぼに田植えの機械が入ったので、たまたま、道を挟んだ反対側にある家の玄関先にいたのだそうです。
〈あっという間でした〉
 彼女は言いました。
 言う、といっても音声ではありません。そういう意志を持っただけ。そして、私はその意志を意識で直接読み取っただけ。
 常識を外れてきたので自己紹介をしておきます。私はエウリディケと申しまして、いわゆる妖精と呼ばれる種族です。身長は現在15センチほど。仕事は主として虫や動物たちの相談相手。今日は一帯の田んぼが田植え期に入ったので、環境が変わることから様子を見に来たのです。そして見つけたのが彼女。ヒバカリのメスの個体で、なんと、尾や胴に包帯が巻かれています。
〈小学生…ですよね。ランドセルの男の子達に見つけられて、つかまりました。最初は面白そうにあちこち触ってるだけだったんですが、そのうち私が何もしないと知ってか、エスカレートしてきて〉
 首を絞められ、振り回され、逆向きに身体を反らされて。あとは書けません、残酷で。
〈でも、女の子が助けてくれました。ヘビいじめるとたたりがあるよって。ランドセルで男の子達をどかんどかん殴って。病院にまで〉
 女の子は通院し、動物園に飼い方を尋ね、介抱してくれたそうです。
〈なのに、ですよ〉
 その後の話に、私は呆れるを通り越し、ただ唖然とするより他ありませんでした。
 女の子に殴られた男の子達の親が大挙し、教員を伴い、女の子の家に押しかけたというのです。
「理由は?」
〈危険な子どもがヘビなんていう危険な生き物を飼っている〉
 男の子達は“勇気を出して”そのヘビを退治している最中だった。女の子はそれを暴力を持って邪魔した。
「学校の先生は?あなたが危険なヘビではないことはちょっと調べれば」
〈名前の由来が由来だから、可能性がある、と言ったんです。女の子泣き出しましたよ。誰も彼女の味方じゃないんですから〉
 その状況を理解するのに超自然的な感覚は不要でしょう。男の子達は自分たちの行為を正当化するため、示し合わせて女の子を悪者に仕立て上げたのです。ちなみに“ヒバカリ”とは“噛まれたらその日ばかり”という迷信から来ています。歯はありますが無毒ですし、滅多に噛みません。
〈女の子は、私のこと心配しながら、まだ完治してないって心配しながら、でもせめて元いた場所にって、ここに逃がしてくれました。私は、このまま女の子を泣き寝入りさせるのが可哀相で、どうにか〉
「なるほど、判った」
 私は言うと、背伸びと同じ姿勢を取ります。
 これで15センチの身長は人間サイズの170。この伸縮自在性は、血筋をたどるとギリシャ神話のニンフに行き着くことによります。
「一緒に」
 私は彼女に手を伸ばし、腕に巻き付かせました。
 治っていないのは確かなので、しばらく行動を共にすることにします。
 彼女が心配するので学校へ向かいます。女の子がそのままいじめのターゲットにされている可能性が高いというわけです。どれだけのストレスが今の子ども達をそうさせるのか判りませんが、学校で失敗をし、それが知り渡るところとなれば途端にいじめのターゲットです(そして恐らく、それが失敗できないという更なるストレスを加える悪循環)。今回の男の子達は動物を虐待し、それを隠蔽するための正当化…そんな性格の持ち主が、それで以降何もせずそのまま終わりであるわけがない。
 授業終了のチャイム。
 校舎から運動場を挟んだ雑木林。その松の木の梢に私たちは座ります。
 運動場には放課後を遊ぶ子ども達。そして下校する子ども達。
 すぐわかりました。
 一人だけ、うつむいて、とぼとぼと歩く女の子。
 背後から黒や青のランドセルを背負った半ズボン…男の子達でしょう、一団がこづき、はたき、ランドセルを蹴ります。
 女の子は転びました。
 浴びせかける罵詈雑言。私は動こうとしました。
 その時。
〈妖精さん〉
 彼女が決意を秘めた意思表示。
〈私に魔法を掛けて下さい。大きく、とびきり大きく〉
 曰く大蛇にしてくれ。男の子達を怖がらせるつもりでしょうか。
「でも…」
 私は躊躇います。この場合肝心なのは男の子達に取った行為のあくどさを理解させ、女の子に謝罪させること。
〈お願いです。ここは私にやらせて下さい〉
 彼女なりの考えがあるようです。そこまで言うなら。私は彼女を尊重し、その場まで跳躍しました。
 とはいえ、実際に大きくすることは出来ません。ただその代わり、“大蛇に見える”ようにすることはできます。
 校門の陰に隠れて様子を見ます。上級生でしょう、ポニーテールの少女が男の子達を咎めています。しかし男の子達はアカンベェをするなど聞く耳は全くなし。
〈お願いします〉
 言われて、私は彼女を離し、私自身は身体を小さくして植え込みに潜みます。
 胸元のペンダントを引き上げて呪文。
「リクラ・ラクラ・ヒプノティア」
 簡易な催眠術。
 かくて男の子達の顔が恐怖で凍り付きました。
「うわっ!」
「大蛇!大蛇だっ!」
 但し、50センチの彼女が胴回り1メートル体長5メートルに見えているのは彼らだけです。女の子含め、その場にいる他の子ども達には普通に小型のヘビです。
 女の子はすぐに気付きました。
「…お前元気だったんだね」
 彼女がぺろりと舌を出します。
 しかしその仕草は、男の子達にはまさに“大蛇今自分たちを丸飲みにせんとす”の図。
 逃げ出したいのでしょう。でも、腰が抜けてしまってへたり込み、動けません。
 男の子達の大声で人だかりになります。上級生の少女は大げさな怖がりようにくすくす笑い、女の子はヘビを撫でています。
 そこに大人の男性。
「どうしたっ!」
 教員でしょう。不審者と思ったのか、制圧用の“さすまた”をかついでいます。
「ヘビ…」
「大蛇…」
 顔中涙でぐしゃぐしゃにして訴える男の子達。
 私は催眠術を解除しました。もう充分でしょう。
 男性教員はあきれ顔で手を腰に。
「どこにだ。よーく見てみろ」
 男の子達が振り返ると、女の子の手のひらにヘビ。
 男の子達は言葉もありません。
「…でもさっき」
 そこで教員はイタズラっぽく笑いました。
「お前達ヘビをいじめたことがあるんじゃないか?元々ヘビは水の神様だ。神様に失礼を働けばタタリがあって当然だゾ」
「え…」
 そのセリフは、教員としては冗談のつもりで言ったのでしょう。
 でも自覚ある当人達にはあまりにショッキングだったようです。見る間にガクガク震え出し、そして。
「なんだその怖がりようは、お前らまさか本当に…あーあ、みっともない。ちょっと来い。着替えろ」
 教員の指摘に衆目が気付き、どっと笑いました。
 男の子達のズボンの前が濡れています。そう、恐怖の余り。
 教員が自らのジャージや彼らのランドセルで恥ずかしいところを隠し、連れて行きます。見ていた子ども達は残酷そうに小笑いしながら帰路へ部活へ。ひそひそ、くすくす。
 …学校において失禁は恐らく、最大の“いじめの理由”でしょう。男の子達は間違いなく明日から“お漏らし”です。机にそういう落書きがされ、黒板にイラストまで描かれて囃し立てられる。その影で女の子への攻撃は忘れ去られる。
 でも、これでいいのでしょうか。
 彼女、が戻ってきました。
 植え込みに入り、私の元へ。
 女の子は彼女を追って校門より外へ出、探しますが、植え込みの中にまでは目が向きません。
「今のは偶然?それとも…あなたの意志?」
 私は彼女に尋ねました。
〈ヘビですから〉

Hebi2

蛇の道は/終

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【妖精エウリーの小さなお話】大河のように

 夕刻近く。
 ここに来ていつも思うのは、なぜ、わざわざ、彼らがいることを大々的に表示しなくてはならないのか、ということ。
 法律で表示しろということになっている、ようです。だから無闇に汚してはならないし、そういう行為に及ぶ者を拘束する権限が発生すると。要するに注意喚起になるからというわけです。
 でも私は反対です。現代は“大事なもの”をわざと破壊して困らせる、そういう人間さんが跋扈しています。ここだって農村地帯だからいいものの、そういう人間さん達の目に触れたら。
〈まぁ、そう、ピリピリしないで〉
 ゆっくりした調子の意識を私は受け取ります。
 流れの中で揺らぐ影。
 ゆらりと姿を現したのは、ここのヌシ、と言っていいでしょうオオサンショウウオ氏。
Taiga2  御歳45歳とか。全長は60センチを越え、悠然たるものです。
 水面に顔を出した平たい岩の上にあがり、まずは首を出して一呼吸。
 私は、というと、川岸の護岸ブロックの上に腰を下ろして彼を見ています。
 ここは某所…とさせて下さい。オオサンショウウオの生息地として知られる場所で、周辺は畑とまばらな人家。住宅地として造成することは法で規制されています。
 その畑の中を流れる綺麗な小川、それが私たちのいるところ。
 そんな場所ですから、こうやって手のひらサイズの翅持つ娘がサンショウウオと喋っていても、見られる心配はありません。翅持つ娘…ご想像の通り、私は妖精と呼ばれる種族の生き物です。役割は動物や昆虫たちの相談相手。その会話に用いるのは心と心で直接意識を交わすテレパシー能力。
「最近どうですか?」
 私は彼に体調を訪ねます。
〈相変わらず〉
 彼は答えました。まずは安心です。でも、周囲には壊れた炊飯器やら錆びた自転車のタイヤやら。
 ただ、炊飯器は砂に埋もれ、タイヤには枯れたガマの葉がからみついています。先に台風がありましたから、その際上流から流されてきたものでしょう。
「片付けるね」
〈すいません〉
 さて私の身長は15センチ。炊飯器は別にお人形さんのものではありません。人間さんの一般家庭向けごく普通のサイズです。それではどうやって?と疑問を持たれる方もあるかも知れませんが。
 大丈夫です。私は背伸びと同じ動作をします。目を閉じて、深呼吸しながら背伸びをし、そして目を開く。
 視点が一変します。この動作によって私の身長は170センチ。
 伸縮自在。ついでに言うと、背中にありますクサカゲロウとよく似た翅も、縮めて皮下に格納出来ます。これは元より手のひらサイズのケルトのフェアリと、元々人間サイズだったギリシャ神話のニンフとが混交を経た結果であると共に、本来、人間さん達と一緒に暮らしていたためです。ちなみにフェアリはフェアリでご承知のように現存していて、主として植物の方を担当しています。
 伸張終わり。手品の要領で取り出す“不燃ゴミ指定袋”。およそ妖精族の持つものでは無いと言われそうですが、どうにも仕方ありません。
 翅を縮めて流れの中へ入ります。炊飯器を取り出し、砂を払って袋の中へ。
 あと乾電池も見つけたのでこれも入れておきます。屋根瓦のカケラ、錆びた鉄骨が見えたので引っ張り出してみるとコンクリートブロックがイモみたいに出てきました。
 来るたびにこれです。サンショウウオの住む環境として如何なものかと思います、が、人間さんにそういう認識がない以上、どうにも仕方ありません。
 さて問題は自転車のタイヤ。引っ張り出したら本体も一緒。
 手をこまねいていると、サンショウウオ氏がぼちゃんと水中へ。
〈人間ですよ〉
「あ、お掃除ですか?」
 快活で華やかな声に振り向くと女の子。
 小学生…もう少し幼いでしょうか。髪の毛を左右でまとめ、ゴムで留めています。
「お姉さんどこからきたの?」
 尋ねるその手には、私と同じく指定袋と“ゴミはさみ”。
 実は、私たちは人間さんとコミュニケーションを持ってはいけません。“妖精なんかいない”という人間さんの常識を壊してしまうからです。だからもし、私たちを見つけて目の前で消えられたとしても、怒らないでやって下さい。
「相当遠いところ、になるかな」
 私は言いました。ゴミ残して消えるわけにも行きませんので。ちなみに、仮にもし、このようにコミュニケーションしても、妖精族であるとバレなければ、基本的におとがめはないようです。なし崩し的に。
「ふーん。…なんか女神様みたい。あ、服濡れてるよ。大丈夫?」
 女の子は堤防の上から飛び降り、私を上から下まで見つめて言いました。私は今トーガ(toga)と呼ばれる貫頭衣を身につけています。要するにシルクの1枚布をぐるぐる巻き付けただけのもので、神話の挿絵や女神の彫刻でおなじみのスタイル。
「大丈夫。私はエウリディケ。初めまして」
 私は言いました。女の子は少し驚いたよう。
「私、酒井優理子(さかいゆりこ)。外人さん?」
「まぁ、そう、かな?」
「へぇ、良くここ知ってるね」
「自然保護活動してるからね。あ、この辺のゴミは全部取ったよ。残ってるのはこれだけ」
私が自転車を指差すと女の子は呆れたようにため息。
「わざと捨てていくんだよね。どうしよ」
「とりあえず引き上げようか」
 その自転車を私が腰掛けていた護岸ブロックの上へ、というわけです。しかし、護岸の高さは女の子の背丈以上優にあります。
 普段なら翅を使ってしまいますが。
「じゃぁ手伝う」
 女の子が上に上がって二人がかり。
 しかし…実際やって頂くと判りますが、自分の足より下にある物体を引き上げるのは結構至難の業です。
 サンショウウオ氏から意思表示。
〈出ますからその間に〉
 程なく、右後方で水音。
 見なくても判ります。サンショウウオ氏が呼吸のために顔を出したのです。
「あっ!」
 女の子の目線がそちらに向けられます。
 その間に私は翅を伸ばしてひと羽ばたき。バレたら最後です。スリリングじゃないと言ったらウソつき。フッと目線を向けられたらおしまいなのです。非日常は日常から目線を外した位置にあるとか、目に見えるものだけが真実じゃないとか書くと、多少は文学っぽくなるでしょうか。
 果たして、女の子が目を戻すと、私が自転車を伴って隣に立っているという状況。
「ねぇねぇ今あそこに見…あれ?」
 女の子が不思議そうに私を見ます。
「どうやって…」
「よいしょって。出たね、呼吸だね」
「ふ、ふーん」
 女の子は訝しげ。そして思い出したように。
「あ、どうもありがとう。市役所の人に電話して引き取ってもらうよ」
「そう。じゃぁ置いておいていいの?」
「うん」
 で、あれば、片づけは完了です。私はゴミ袋の口を縛ります。
「あ、それ私が持っていっていい?」
 女の子が言いました。
「え?でもゴミだよ」
「いいの。毎回内容調べてレポートしてるの。学校のホームページに載せて…」
 と、どこからか聞こえてくる夕焼け小焼け。
 防災無線を使って5時の時報代わりに流しているのです。
「あ、帰らなくちゃ。じゃね、これは持って行くよ。どうもありがとう」
 女の子は言い、ゴミ袋を持ち、手を振って風のように走り去りました。
 サンショウウオ氏が出てきます。
〈あの子にもありがとうと伝えられたらいいんだがね〉
「ん?だったら」
 私は指をパチン。何をしたのかは後で。
「あーあ。あんな子ばかりなら」
 私は言い、再び護岸に腰を下ろしました。
〈エウリディケさん〉
 サンショウウオ氏が改まって言います。
「なんでしょう」
〈貴女、急ぎすぎてやいませんか?〉
「え?」
 いきなりのその指摘に私はハッ、としました。それは全身が一回びくんと震えるような。それは冷たい水をいきなり浴びせられたような。
 言われてみれば。しかし、声にはなりません。
〈…でしょう。しなくちゃしなくちゃしなくちゃ。貴女から感じるのはそんな意識ばかり。そりゃ、判りますよ。背負ってる義務の重さもね。でもね、でもですよ。いいですか。私はそれでもここでこうして生きてます。取って食う者、売り飛ばす者までは出ていない。そこに目を向けて下さい。ましてやあの子みたいに自主的に掃除しようなんて子どもさんは今までなかった。確かに今は最悪かも知れない。しかしその果てに行き着く状況が何であるかを、子ども達は初めは知識として、そして自然の中に出ることによって、体感として、得つつある。だから、何とかしなくちゃと心から思って動いてくれている。
 要するにですね、種は蒔かれたんだと言えばいいですかね。でも、急に育つ大樹はない。小川はいきなり大河にならない。大事なのは言い続けること。なのに貴女は今すぐに何とかしようと考えている。そんな気がしてならない〉
 サンショウウオ氏は一気に言いました。
 私は、力が、抜けました。
〈失礼な物言いじゃ…〉
「いいえ」
 私は即答しました。それこそ急いでそう言った?いいえ。
「人間さんで困ったという話が多いから、無意識に焦っていたかもね」
 フッとため息が出ます。空回りしていたことに気付いた、そんな気持ち。
 自分が間抜けに見えてきて、自嘲の笑いが出てしまいます。
〈悪いことは目立つもの、でも良いことはそれで当然だから目立つことはない〉
「そうね。…もう少し、ゆったりと構えてみるよ。あなたのように」
〈私ほど悠長に構えられるとまた困ってしまうんですけどね。ああ、その笑顔。それが貴女だ〉
 一番星が輝き出しました。
 彼女の学校宛てに、サンショウウオ差出人でお礼のはがきが届くのは、3日くらい後のことです。
 
大河のように/終

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【妖精エウリーの小さなお話】鴉

 カラス。
 この鳥に、人間さんで良いイメージを持つ方は少ないでしょう。ゴミを荒らし、人を威嚇し、追い払う努力の裏をかく。
 私たち妖精ニンフ族の主な仕事は、動物たちの相談相手。ですが、ことカラスに関する限り、相談は少ない方と言っていいでしょう。生活の場が人間さんによって改変されても、他の鳥類と生息域がバッティングしても、どうにかして生き抜いて行く、彼らにはそれが可能だからです。
 しかし。
 ここ最近、そんな彼らから深刻な話が寄せられるようになりました。端的に言えば、人間さんが命を狙い始めたというのです。
 そして今日は、ついに正式に相談要請を受け、彼らのねぐら……“鎮守の森”に来ています。ちなみに私たちは、妖精といってもギリシャ神話のニンフの血が入っている関係で、身体の大きさを手のひらサイズと人間サイズ、二態に取れます。今の私は人間サイズ。それはビジュアル的には、白服の女が梢に腰掛け、傍らのカラスと見つめ合っている、という状況。
〈空気銃で撃たれること自体は前からあったんですがね〉
 ボス、というと変ですが、地区のハシブトガラスたちのまとめ役、相談窓口を買って出ている彼が、言いました。
 言いました。……但しもちろん彼らに人語は話せません。そういう意志を持っただけ。私はその意志を直接感知し、言語に置き換えているだけです。
 超常感覚の一つ、テレパシー。
 彼が続けます。
〈大抵は子どもの些細なイタズラで、それで当たったとしても、大したことにはならなかった。でも〉
 私は頷きました。今、私の膝の上には、話す彼の他にもう一羽、身体を横たえ苦しそうなメスのカラスがいます。
〈子ども、子ども達が……〉
 意識混濁、しどろもどろ。ヒナを案じているようです。しかし。
〈立てず、飛べない〉
 彼(ボス、としましょう)が付け足します。撃たれた場所は翼の付け根、人体で言うなら脇の下。
 直接的な状態としては、身体に異変が生じて動けない。翼が持ち上げられず、げっそり痩せ、食欲もない。
「鉛中毒」
 私は言いました。それは主として、猟銃の散弾を受けた野鳥・動物たちに見られる症状。
 町中のカラスたちを猟銃で撃ったというのでしょうか。
〈あの、それで彼女は助かる……〉
 ボスが訊きました。
 即答出来るだけの情報を、私は経験から有しています。しかし……それが示す内容は、あまりに残酷。
「待ってね」
 私は彼女に手のひらを載せ、目を閉じます。超感覚のなせる技で、これだけで大体のことは判ります。ちなみに、治療行為を意味する“手当て”という言葉がありますが、あれは本来、患部に手のひらをあてがい、“生命力”を注ぐことによって、自然治癒力を高めた行為を言う言葉です。私がしているのは、その一つ前のステップに当たる行動。
 筋肉のけいれん。感じたのはまずそれ。消化器がマヒしている。
 私たち妖精族は言わば魔法の一種としてその“手当て”を行う能力を持ちます。しかし太古に得た能力であって、鉛中毒のような、人工……自然の状態では起こり得ないケガや病気に対しては、自然治癒力そのものが低下しているので。
「少し、楽になったでしょう」
 私は言いました。その筋肉のけいれんを抑えたのです。ちなみに、消化器系のダメージは、鉛中毒においては最後に現れる症状です。
 メスのカラスは小さく頷きました。
 次いで、小さなガラスの小瓶で持参した、ブドウ糖の溶液を彼女の口に流し、栄養を補給します。本当の鉛中毒の薬はエデト酸カルシウム2ナトリウム…CaNa2EDTAというのになるのですが、それでも、こうなってしまうと…。
 今は、これが、精一杯。
〈ありがとう……妖精さん〉
 メスのカラスは言い、眠りに落ちます。
 私は草を重ねて作ったクッションの上に彼女を横たえます。単純に眠っただけです。
 ただ。
 そのまま目を覚まさない可能性がある。いえ、その可能性も高い。
〈エウリディケさん!?〉
 ボスがギョッとし、私を見ました。眠りを勘違いしたか。
 それとも、私の意識を読み取ってしまったか。
「眠らせてあげて」
 私はただ言うだけ。そう言うことしか、出来ないから。
〈判りました〉
 ボスが言い、人間への悪態を口にします。
〈どうにかして、人間ぎゃふんと言わせること出来ませんか?〉
「調べましょうか」
 怒りも新たなボスに私は言いました。この鉛中毒が猟銃で撃たれたものだとするならば、人間さんが組織的にカラスを攻撃しているか、違法な発砲の可能性があります。
 カラスたちにも、人間社会にとっても、良いことではありません。
〈じゃぁ犯人に注意を?〉
 彼が希望の目を私に向けます。ニンフ族は、神話中で人間さんと世帯を持つことでも判るように、外見は基本的に人間さんと同一です。私も伸縮する翅さえ見えなければ、単なる女に見えます。従って、人間として注意することは不可能ではありません。
 でも、それで聞き入れられるかは別の話。聞き入れるくらないなら、恐らく最初からカラスを撃ったりはしないから。
「まず見つけましょう」
 具体的な策は見えないまま、私は、言いました。

 

 地域の生ゴミ回収日。
 私は彼らと行動を共にし、“定番”の集積場を回ります。
 最近は集積したゴミにネットを掛け、彼らにつつかれるのを防ぐ、というパターンが一般的です。しかし、人間さんはなまじ対象が“ごみ”だけに、取り扱いは殆どなおざり。ネットで覆いきれず下の方がはみ出していたり、破れていたり、掛けてなかったり。
〈意味あると思っているのかねぇ〉
 引っ張り出し、つついて破り、食べ散らかす。
 私が後片付けをしたのか?いいえ。この場だけ私が片付けても意味はないと思いますがどうでしょう。人間さんがカラスの習性を研究し、彼らにつつかれない方法を選択し、維持管理する。それがあるべき姿と思うのですがいかがでしょうか。
 そもそも、彼らがこうしてゴミを漁るのはそれが楽だからであり、
 彼らの生息域に人間さんが住むようになったから。彼らは単に、野生のままに行動しているだけ。
 そして。
 団地の集積場に来た時でした。
 どぶ板の上に輝く粒。
 朝陽に照らされ、光沢を放つ金属粒子。
 手に取ると大きさは5ミリ少々でしょうか。銀色に鈍く輝き、表面は滑らかです。磨いた形跡があります。
 件の銃弾でしょうか。
 分析してみます。神話の女神様達と同じ、白い貫頭衣(トーガ)の袖から取り出すのは、手のひらサイズのコンピュータ。
 妖精がコンピュータ。違和感があるかも知れません。でも、私たちが持って生まれた知識情報だけでは、もはや現代には通用しなくなって来ているのです。
 画面脇の小蓋を開けて粒を入れ、ボタンを押します。輝点が左から右へ走り、折れ線グラフを描きます。途中2カ所、大きくとんがったポイントが現れます。
 間もなく、2本のツノ持つ鬼の頭……そんなグラフが出来ました。そしてツノの部分に、Sn及びPbと表示されます。
 それぞれ錫、と、鉛。直径は5.993ミリ。次いで、成分比から予測される人工物質の一覧がリスト表示。
 リストのトップは気になる名前、solder。
 すなわち、はんだ。錫と鉛の合金で、金属同士の接合に使います。特に電子部品を組み付けるのに多用され、ホームセンターなどでも容易に手に入ります。形状は柔らかい糸状か、インゴット。摂氏183度を境に一瞬で液体になったり固体になったり。
「まさか!?」
 私はある可能性に気付いて一人つぶやき、コンピュータから取り出して手のひらに握ります。
 サイコメトリ、すなわち、この“はんだ弾丸”の製作者が、何を思いながらこれを作ったか、超常感覚で読み取ろうというのです。
 可能性は的中しました。どうやら空気銃の弾丸、“BB弾”と呼ばれるプラスチック弾を元に、ゴムか何かで型どりをし、そこにはんだを流し込んで弾丸を“鋳造”したらしい。
 慄然とします。人を傷つけ、動物なら容易に死に至らしめる代物を平然と作り…
 実行。
〈…さん、エウリディケさんってば!〉
 気付いた時、傍らでボスが大きな声で鳴いていました。
 人間の気配。
 どこ?
 上。団地4階かそこいら。
 突如背筋に寒いものを感じます。この思わず震えが出るような感覚、冬の屋外に放置された金属のような意識
 これは……
Karasu2  殺意!
〈あなたが撃たれてたまるか〉
 目を向けると、ボスが飛び立ちました。
 その人間が自分たちを狙っており、私に当たっても構わないと考えている。
 私と同じく、彼もそのように感じたようです。
 しかしその時、殺意の源から、信じられない現象が発生しました。
 朝の団地に、電動メカニズムの耳障りな作動音が響き渡り、次いで、方々のコンクリートやアスファルトで、金属粒子が当たり弾むバラバラという音が聞こえます。
 そして。
 私をかばって舞い上がった羽ばたきは中空に投げ出され、黒い羽根が、千々に乱れて飛び散りました。
 同時に、プラスチックのオモチャを力任せに叩き付けたような破壊音と、複数の男の子の悲鳴。
 痛いよ痛いよお母さん…泣き叫ぶその声を聞きながら、私は落下してきた羽ばたきの主を両の手で受け止めました。
 血が飛び散り、私の貫頭衣に赤い飛沫が点々。
 次いで、何やら機構部品らしい、黒いプラスチック片が幾つかと、2本のバネをまとめて一つにしたもの。

 

 ……1分間6千発という、まさかと思うような数の弾丸を発射出来る機関銃があり、その電動モデルガンが存在し、それを改造して強力にし、動物を無差別に撃っていた子どもがいた。そして、改造で無理が加わった銃が壊れてケガをした。そんなニュースが翌日の新聞に載りました。
 私は2体の黒い亡骸を、森の片隅に埋めました。

 

鴉/終

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【妖精エウリーの小さなお話】すて犬物語

私の名はエウリディケ。背中に翅持つ人間型生命体。
その使命、動物や虫たちの相談相手。

それは、ある暑い夏の日の、午後の出来事。
私は、犬を見た。
人家を離れた山の中腹、急斜面の森の中。
彼は、ちょっとした崖の上から、小さな川の流れる岩場の中へ、落ちようとしていた。
私は声を掛けながら、彼の元へと飛翔した。
足を踏み外す彼を抱え、そのまま平らな岩の上へ。
彼は一見して健康を害していると判った。
ひどい臭い。乱れて汚れた毛並み。そしてやせ細った身体。
骨折を放置したため変形した足。
ぼろぼろの首輪。
それは、長い時間何も食べず、この山野を彷徨い歩いていた証。
なぜ?
私は気付いた。
彼の瞳に光がない。
私の問いに彼が口を開く。飼い主はそれを知り、自分を遺棄したのだと。
ただ、自分をそれまで食べさせてくれたと。遺棄はしたけど殺しはしなかったと。
それが、飼い主の優しさなのだと、彼は語った。
私にはそうは思えなかった。彼の栄養状態は劣悪だった。
なぜ彼が視力を失ったか。私には判ったけれど、可哀想でここには書けない。
私は彼に大豆ハンバーグをあげた。川の水で身体を洗い、ブラッシングした。
そして首輪を切り、捨てた。
白い犬がそこにいた。ただ…、ううん、書かない。
私は、彼と行動を共にしようと言った。彼は逡巡の後、首肯した。
それから、私たちは共に森を歩き、動物たちの声を聞き、虫たちの悩みに答えた。
動物たちは一様に彼の境遇に同情し、飼い主を、人間を批判した。
彼は反論はしなかった。だけど、それでも自分は幸せなのだ、とだけ言った。
なぜなら、食べるには困らなかったから。
夏が終わった。
タヌキの家族と出会った。
子どもがいて、すくすくと育っているようだった。
父タヌキは、彼に自分たちと一緒に生きないかと提案した。
彼は拒絶した。人と共に生きた自分では迷惑がかかるからだ、と彼は言った。
理解できないとタヌキは言った。食事の供給はじめ、好条件を提示した。
しかし彼は固辞した。頑なな彼にタヌキは去った。
メスの熊がいた。
冬を前にエサを探していた。しかし中々集まらないようで、彼女はいらだっていた。
そのせいか、彼と私に当たった。
野生であるなら命はないよ。彼女は彼に言い放った。
自分で生きる力が無ければ、それはすなわち命の終わり。
野生の掟。
私は彼女に木の実を分けた。
彼女は、私が彼といることに対して、苦言を呈して去った。
不公平なひいきだと思う者もいるよ、と。
それを彼はとても気にした。自分の存在が私には迷惑なのだと言い始めた。
そんなことはないと私は否定した。
タヌキも提案したように、イヌ科は傷ついた仲間を群れで養う。
私は言った。私とあなたは群れなのだ。
彼は瞠目した。光はない。しかし、彼はたしかに見開かれた瞳を私に向けた。
その晩、彼は遠吠えをした。
山間に向け、朗々と声を放った。
まるで、遺伝子に刻まれた野生が目覚めようだった。
遠く近く、仲間たちの声が返った。彼は喜んでいるようだった。
翌日、私たちは高地の草原へ出た。
ここなら行く手を遮るものはない。存分に走っていいよと私は言った。
でも、彼は走ることを拒否した。
ただ、風の中に座り、白い毛をその風になびかせ、遠く連なる山並みへ顔を向けていた。
遙かな声を聞いているようだった。
その姿は飼い犬ではなかった。その始祖…そう確かに座する狼の姿だった。
そんな彼を見つめる私の背後。
まだですかと問う者があった。
ネズミであり、シデムシであった。
私はその意味するところを判っていた。たとえ彼らが出てこなくても判っていた。
答えは時が用意していた。
私は何も言わず、再び彼と歩き出した。
季節が巡った。
彼に戻ったわずかな野生の輝きは、何かの合図であったのかも知れない。
間もなく、彼は食事を残すようになった。
動く速度が遅くなり、動ける距離が短くなり、体重が目に見えて減り始めた。
そして、彼は動けなくなった。
私は彼を木の虚へ運んだ。そこで寝泊まりし、辺りを回った。
近づく冬の気配に動物たちは忙しかった。
私はリスやヤマネの木の実探しを手伝い、チョウがサナギになるのを見守った。
彼は鳥たちと語っていた。
しかし、そんな鳥たちも、長く彼の元にはいなかった。
南へ去り、人里へと移動した。
木の葉が茶色くなり、散り始める。
吐く息が白い。
夜が来た。
冷たい雨が降り出していた。
私は彼の傍らに腰を下ろし、彼の背中をさすっていた。
彼は口を開き、行動を共にした理由を尋ねた。
群れとして、仲間として、あなたを必要と感じたからだ、と私は答えた。
そうですか、と彼は言った。
私も一つ、彼に訊きたいことがあった。
でも、訊かなかった。
その直後。
私は天の狼と呼ばれる星へ向かい、冬の夜空を駆け上る、白く大きな犬を見た。
Suteinu2
手のひらに感じる、鼓動が途絶えた。
私の名はエウリディケ。背中に翅持つ人間型生命体。
その使命、動物や虫たちの相談相手。
私は、彼が崖から落ちるのを、黙って見ていることができなかった。

 

すて犬物語/終

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【妖精エウリーの小さなお話】もう一人の私

Watasi2  山懐の高原に、1軒だけ建つ白壁の別荘。
 その2階の窓から、白いワンピースのうら若き乙女が外を見ている。
 なんて書き出したら、ちょっとロマンティックな物語の始まり、という印象がありますよね。
 でも、私が見つけた彼女は、次の瞬間、とんでもない行動に出ました。
 その窓から身を乗り出し、虚空にわが身を放ったのです。
 まるで、乱雑に捨てられた白いランの花のように。
 飛び降り自殺。
 私はどうするべきでしょう。実は、詳しいことは後で書く機会があると思いますが、私たち種族は人間さんと触れ合うことを許可されていません。でも、だからと言って、放って置くわけには行かない。
「リクラ・ラクラ・テレポータ!」
 私はほぼ反射的に、そう叫んでいました。胸元のペンダントを手の中に握り締めて。
 一瞬の後、私は彼女の落下点直下に出現します。
 それは超心理学の用語を使えば瞬間移動、すなわちテレポーテーションと呼ばれる現象。
 彼女が落ちてきます。滞空時間1秒と少し。
 彼女と目が合います。そしてその時、彼女は私の身体の両側に薄く膜状に広がり、陽光に煌く何かを見たはずです。
 その煌く薄膜がぶんと羽ばたきます。
 突然の竜巻を思わせる暴風が生じます。その風は下から上へ向かって吹き、落下する彼女の体を重力に逆らわせます。
 次いで、私の身体が地上を離れます。
 私は浮き上がり、両腕を広げ、落下速度にブレーキの掛かった彼女の体を抱き止めます。
「何すんの!」
 強い声が私の耳を捉えます。そして続いて。
「何で助けるの?死なせて!どうせ治らないし生きてる価値なんかないんだから!」
 うつぶせ状態のまま、彼女は叫びます。ウェーブの掛かった黒髪を振り乱し、いかにも“怒りに任せて”という感じで、もがきながら声を限りに叫びます。
「私の病気は治らない!天使が奇跡でも起こさない限り私はどうにもならない!!こんなのイヤ!ただ生きてるだけなんてイヤ!!お願いだから私を死なせて!」
 彼女が暴れつづけます。このままでは本当に彼女を落としてしまいます。
 私は彼女を小脇に抱えるようにして、そのまますーっと降下しました。
 足がガレージのコンクリートに着きます。
「余計なことを!やっと死ねると思ったのにッ!!」
 彼女の声は喉張り裂けんばかり。
 その直後です。彼女が激しく肩を上下させながら、苦しげな呼吸を始めたのは。
 身体は呼吸の動作をしている。だけど空気が入ってこない様子。
 病気の発作のようです。
「大丈夫」
 私は彼女を抱き締めます。そして背後、首の部分に手を当て、そのままゆっくりと背中の上部をなでるようにします。と言っても医学的知識からそうしているのではありません。私達種族の流儀に従い、患部に手のひらを当て、治って、おさまってと願っているだけ。
 彼女が落ち着いてきました。
「息…できる?」
 私は彼女に尋ねます。喉に何か詰まったような、いかにも苦しそうな呼吸音が、子どもの寝息のように、静かで、優しい音に変わって行きます。
「死なせて欲しかったのに」
 彼女が呟くように言いました。
 声音からして、普段は情緒が安定し、しかも頭の回転が結構早いお嬢さんのようです。
「私の病気は治らない。治れば奇跡だって医者に言われた。ここが天国であなたが天使なら納得が行くのに」
「天使ならあなたが言うように奇跡を起こしてあなたを治してしまいます。あなたが治りたいと願い、そのための努力を続けていれば、天使はあなたに力を貸すでしょう」
 私は言いました。確信を持って言いますが、彼女は本当の自殺志願者ではありません。“絶対に治らないんだから”はイコールだから何とかしてという心の叫び。さもなければ、発作がおさまったこの状況を安心を持って受け入れたりはしないでしょう。“天使”という発言も、救って欲しい気持ちの裏返しだと思います。
 彼女が顔を上げました。
「あんた新興宗教?」
 私に向けられる糾弾のまなざし。
 ところが。
「へ?…」
 私を見た瞬間、彼女の顔から毒気が抜かれ、糾弾の目は驚愕に真ん円く見開かれました。
 そして、…それは恐らく私も同じ。驚いて彼女を見ている自分がいます。
 なぜなら。
 二人はそっくり。
 違うのは、彼女の髪がウェーブなのに私のはストレートであること。
 あとは私の衣服がギリシャ神話の挿絵でおなじみ、白い貫頭衣(toga…トーガ)で、白い革のサンダル履きであること。
 それ以外は、背格好から顔かたちから本当にそっくりです。まるで双子の姉妹のよう。
 だから、彼女が、ほっそりした感じの美人であると書いたら、いわゆるひとつの自惚れでしょうか?。年の頃は従って18か19。
 思わず見詰め合ってしまいます。お互い声が出ません。
 しかし。
「あのう…」
 彼女が小さい、私より上品なトーンの発声で沈黙を破りました。最前の怒りに満ちた声がウソのような、あくまでソフトな、いわゆる“お嬢様”風の声音。
「あの…ぶしつけで悪いんだけど、ひとつ聞かせてね。あなたは一体誰?なんで私とそっくりなの?どうやって私を助け…てか、あなた空中で私受け止めなかった!?」
 質問はひとつどころか矢継ぎ早。
 無理もありません。しかし、私が答えを準備する時間はありませんでした。
 邸内から声が聞こえたのはその時です。
 人を呼ぶ声。アキラ、アキラ、どこなの?中高年の女性です。
 その声に、彼女が困ったような顔をしていることに私は気付きました。その目が語るには、自分を見つけられては困る、と。
「いらっしゃい」
 私は何の躊躇もなく彼女の手を取ります。…ああなんて華奢で折れそうな手でしょうか。きめ細かくて滑らかな肌は、外に出て陽光に当たっていないし水仕事もしていない。
 私は手の中のペンダントを握りなおし、唱えます。
「リクラ・ラクラ・テレポータ」
「え?」
 彼女の声が終わらぬうち、私はもう一度唱えます。
 もう一回、更にもう一回。
 瞬間移動は一回につき10メートルがいいとこ。私たちは別荘の庭の隅、別荘へ向かう未舗装の細い坂道、そして道を外れた雑木林の入口と、3度跳躍しました。
 しかしまだ別荘から目が届きます。
「あなた走れ…ないよね」
 彼女は素足。しかも、呼吸器系の病気なら、激しい運動は非常な負担。
 となれば。
「ムリかな?」
 私は彼女を両腕で抱えあげます。結婚式場の広告で新郎が新婦にするような…いわゆる“お姫様抱っこ”。
 腕にずっしり。さっき落ちてくる彼女を受け止めるのは何ともなかったのは、夢中だったせいでしょうか。
「ほっ!」
 あらやだおばさん臭い。
 それでも何とか抱えられます。彼女はその背格好からすればずっと軽いです。推定体重38キロ。ただ、私自身がもくろんだ移動方法はムリ。
「走るよ」
 私は言い、地を蹴ります。
 といっても“新婦運びレース”のようにドタバタ走るのではありません。
 “風になる”と言ったほうが適切でしょうか。地面すれすれを高速で滑ってゆきます。彼女には、自分が風になって木々の間をすり抜けて行くように感じられるはずです。木の葉のざわめきが耳元をかすめて後方へと流れます。
 木立の向こうに空を映した水面が見えてきました。
「湖」
 と彼女。
「うん」
 私はうなずくと、その湖水のほとりまで風となり、止まりました。
 湖の周囲は一面の草原です。まるで手入れされた庭園のように綺麗な緑一色の広場です。普通草むらには、ススキとか、ガマとか、他に低い木が混じって生えていたりするものですが、ここではそういうことはありません。高地なので高く伸びる草本がないのです。
 草の上に彼女を降ろします。裸足ですが、そういうわけでケガする要素はないので問題ないでしょう。
 彼女がおっかなびっくり、草の上でバランスを取ります。
「大丈夫だよ」
 私は言いました。そして続けて。
「自己紹介をしないといけないよね。ごめんね。驚かして」
「ううん。えーと、とりあえずありがとう…」
 彼女は言い、再び私を見ます。不思議そうな光をたたえたその目は、まるで幼い女の子のよう。
 そして、その目が…気付いたのでしょう、ハッと大きく見開かれます。
「あなたは一体…」
「右手を出して、手のひら広げて」
 私は言いました。口で言うより手っ取り早い説明方法がある。
「はい」
 彼女が手を出したのを確認し、私は“縮こまろう”と頭に思い浮かべます。…寒い夜に布団の中で円くなるイメージですね。
 そして。
「こういう者です」
 私は、彼女に言いました。
 彼女の手のひらの上で。
 “縮んだ”私の身長は15センチ。背中には彼女が気付いたもの、陽光に煌いた薄膜。
 それは私達種族の象徴、カゲロウのそれに似た1対の翅。
「妖精…」
 私は頷きます。
「名をエウリディケといいます。よろしく」
「うそ…」
 彼女は言葉が出てこない。
「嘘じゃないよ。天国に来たわけでもない。ごめんね、天使じゃなくて」
 私は彼女の手から飛び降りました。
 と、同時に今度は“背伸び”します。
 これで私の身長は元通り170センチ。
 伸縮自在です。妖精というと手のひらサイズという印象があるかと思います。確かにケルト直系のフェアリー達はそうです。でも私達にはギリシャ神話で知られるニンフの血が入っているのです。なので双方の特徴を備え、結果伸縮自在。
 ちなみにこの“人間サイズ”になれるのは、私達が元々人間さん達と共に暮らしてもいいようになっている…からのようです。実際、神話のニンフ達は…私の同じ名前の彼女がそうですが…人間さんと結婚したりしてますからね。でも、今は暮らすどころか姿を見られることすら許可されません。なぜなら、人間さんが私たちを存在しないと決めているからです。もし私達が“当たり前のように”存在したら、人間さんたちの世界観を壊してしまうのでます。
 ですから本来、私は彼女を助けたら即姿を消すべきだったのです。まぁ最も、今この状態を監視されていて、程なく連れ戻されるのかも知れませんが。
 しかし。
「こうして会ったのも、私達がそっくりなのも、何かの意味があるのでしょう。だから、奇跡を起こすことは出来ないけれど、お友達になら、なれると思う」
 私は言うと、背中の翅を縮めました。ええ一部の昆虫と同じく翅も伸縮できます。この大きさで翅を引っ込めたら絶対にそれと判りません。
「お友達…」
 彼女はあんぐりと口をあけたまま、オウム返しのように言いました。オトモダチ、18かそこいらの女性には少し幼なすぎる言葉でしょうか。
 彼女はそのまま、しばらく私の姿を見詰めました。
 そして、瞳に揺らめきを浮かべたかと思うと。
 弾けたゴムのように私に抱きついて来ました。
「…!」
 わぁわぁ大声で、それこそ幼い女の子のように、彼女が泣きます。それはまるで、抑えていたものが、誰かに言いたくて言い出せなかったこれまでの全てが、洪水となって溢れ出したかのよう。
 私は彼女の首の後ろを撫でさすりながら、洪水が行きすぎるのを待ちます。確か発作の類は精神状態も影響を与えるはず。だったら我慢してとは言いません。心赴くままに、心満たされるまで、思いの全てを洗い流して。
 数分後。
 彼女がやっと顔を上げます。
「ごめんね。いきなり泣いたりして、びっくりしたでしょ。ごめんね」
「そんなことない。気にしないで」
 私の言葉に、彼女は真っ赤な目で笑顔を作って答えます。
 …なんてすっきりした、晴れやかな笑顔でしょう。私は思わず微笑んでしまいます。
 彼女が姿勢を改めました。
「今度は私が自己紹介しなくちゃね。私はあきら。水晶の晶であきらと読ませる。姫野晶(ひめのあきら)。18歳です」
「晶…」
 私はそれを聞いて目が円くなりました。女の子で、晶の字使って。読みはあきら。
「かっこいい~」
 私は思わず言いました。だって水晶の晶で結晶の晶ですよ。文字が持つ透明感とか無垢なイメージは天使とか女神につながるもの。そのくせ読感は全く男性的でシンプル。
 総じてクールでスマートな印象です。やや古典的ですが女性の名前としてはめちゃ(!)かっこいいんじゃないですか?
「そ、そう?」
 私のセリフに、晶(呼び捨て書きの方がしっくり来ますね)が、ちょっとはにかんで、そして少し驚いたように言います。
「私自身は好きじゃないけどね。病院でいっつも怪訝な顔される」
「そりゃ相手のセンスがないだけ。私は好きだよ。それに、名前の読みがこうだから男性だ女性だって考え方は差別じゃない。あなたは堂々としてればいいと思う。そうすれば相手だって自分の方が間違ってたって思うよ」
 晶は目を見開いて私を見ました。
「あなたみたいなこと言う人は始めて」
「そう?最も私は人間さんじゃないからね。違うのかも知れない」
 私は言いました。
 不思議、不思議な気持ちが私を支配します。何だかいつもと違います。瓜二つだからでしょうか?あまり種族の違いを意識しません。
 一方晶も不思議そうな目でじっと私を見ています。
「つくづくそっくりだよね。でも…あなたは人間じゃない。人間じゃないあなたが実在して、そのあなたとそっくりで、平気で喋ってる私。何なのこれ」
「さぁ。ただね、あなたとこうして喋ってること自体は、すごくしっくり来るよ」
「それは私もそう。しっくりくる。何て言うの?元々友達で、しばらくぶりに会った、みたいな。私、小さい頃からここにいて、友達らしい友達なんかいないはずなのに…」
「小さい頃から?」
 私は目を瞠りました。ここは別荘地。しかもその外れです。一番近い人家ですら10キロはあるでしょう。
 人が常時いるところではないのです。…だから私も平気で人間サイズでいられるくらいで。
「あなたの発作ってかなり頻繁なのかな?」
 私は訊きました。そこまでしなくてはいけないものなのでしょうか。
「うん」
 晶は頷きます。そして、小さい頃からのいきさつをからめて理由を説明してくれました。
 彼女の病気はアレルギー反応の一種で、気管が腫れあがり、その結果空気の出入り口が塞がれ、呼吸困難に陥るというものです。
 そして彼女の場合は慢性で、気管が空気中の僅かなアレルゲン(アレルギー反応を起こす物質)にも反応してしまうため、空気がキレイで、なおかつホコリを撒き散らす生物…“人”のいないところに行くしかなかったのだそう。しかも、過度に興奮したり、急激な、或いは長時間の運動も良くないのだそう。
「だから小学校も1ヶ月行ったかな?くらい。あとは通信教育の文字通り一人っ子。親は海外だし、さっきあたしのこと呼んでた叔母と、もろもろの配達の人が来るだけ。まぁ最初は、一応学校行ったんで、クラスメートってことでクラスの子たちも手紙くれてたけど、一人減り二人減り…ぷっつん。退屈?確かに誰もいないし運動も出来ないけど退屈自体はしてないんだ。オモチャはやたらあったし最近ならインターネットあるしね。でも…あれって知りすぎちゃってかえってダメだね。あんなのもある、世間じゃこんなものが流行ってる。でも私はだめなんだってことになっちゃう。逆にストレスたまってね。結局私はただここでただ生きてるだけだって思い知らされてさ。それで…」
 晶は私に手首を見せてくれました。
 躊躇い傷。
 ここまで聞けば判らぬではありません。でも…ここにいるというだけなら単なる“現状維持”。治療自体はどうなっているんでしょうか。
「治らないの?」
「無理。と医者には言われた」
 彼女はそれだけ答えて目線を外します。
 横顔によぎる諦念の影。
 私は唇をキュッと噛みます。それは多分私であれば、相手に絶対言わない言葉。
「それって絶対の話?」
 その言葉で、私は彼女を再び振り向かせることに成功します。
「え?」
「治らないのは証明されたことなの?」
「証明って…」
 晶はちょっと困ったような表情。
「じゃぁ医者が勝手にそう言ってるのをあなたは信じてるだけってわけだ」
 晶は目を瞠りました。
「確かに慢性疾患かもしれない。でもイコール絶対治らないって誰が決めたの?。そもそも病気の治る治らないって決めるもの?違うでしょ。治った治らなかったっていう、結果はあるかも知れない。でも、その結果は最初からあるものではない」
 晶はしばらく声が出ません。私の言葉が彼女の心の中の塊…治らないという固定観念、前提を叩き割ったことは間違いありません。
 少し経って。
「そんなこと考えたこともなかった…医者に言外にそう言われた瞬間、そうなんだって思っただけ」
 晶は呟くように言いました。
 全くもう、と私は思います。病気を治すのは薬や外科手術そのものではありません。身体そのものの治癒力です。薬はそれを手助けし、手術は復帰不可能な部分を排除するというだけ。どっちも“アシスト”に過ぎません。従って万能ではないし頼るものでもありません。それどころか。
「心身相関現象って知ってる?」
 私は晶に問います。
「神経性胃炎とか、学校がイヤだイヤだ思ってると朝お腹が痛くなるとかいうあれでしょ。気持ちの持ち方で…」
 晶はそこまで話して言葉をちぎりました。
 ハッと気付いたような目で私を見ます。
 判ったようです。
「私が治らないと決め込んでるから治らない…あなたはそう言いたいわけ?」
 晶は言いました。
 私は頷きます。
「そう。単に気分的な問題じゃなくて、前向きな姿勢は血の巡りをスムーズにし、体の機能を活性化させる。だから当然、病気の治りも早くなる」
 晶はしばらく私の目をじっと見つめます。
 が、ふっと目を伏せます。
「ありがとう。でもね、親にはずっと治る治ると聞かされてたの。私も信じて薬飲んで、色々やった。でもね、治らずにここにいる自分があるわけ」
「あきらめちゃったわけだ」
「でも10年。10年だよ。10年頑張った。それなのにどうにもならなかった。もう疲れちゃったよ」
「10年か」
 私は言いました。
 確かに、それだけ頑張って何も変化がなければ、あきらめたくなる気持ちも判ります。
 でも、でもです。
「きついこと言うよ。そんなの、頑張ったうちに入らない」
 その言葉に、晶は、最初会った時を思い出させる、きつい目で私を見ました。
「まだまだ頑張れる。今まではただ言われた通りにやっただけでしょ?それ以上のことしてみた?」
「なにそれ…」
 晶の声が糾弾の色を帯びます。憤慨と悲しさ。裏切られたという気持ち。
「死ぬほどの勇気を、あなたは生きるために使ってみた?」
 何か言い出そうとする晶の機先を制して、私は言いました。
「知ってるでしょう。あなたの病気の症状改善の心構え。言ってみて」
 彼女は九九でも暗誦するかのように唱えました。きれいな空気、適度な運動、体質改善、ストレス回避と情緒安定…。
「やろうよ」
 私は言いました。
 晶が呆気に取られたような表情。
「やる…って?」
「その通りやって、でもそれだけじゃなくて、もっとできること探して、体質変えようよ。あなたに合った運動方法を探そうよ。きれいな空気はある。あとはあなたの行動次第」
「そうは言ってもねぇ。歩いたりとかしたんだよ。でも毎日ただ歩くだけじゃ…」
「この大自然の中、歩くだけじゃもったいない」
 私は言って、足元の小さな花を指さします。
 小さくて黄色いキスゲの一種。
「可愛い花」
「この花ね、本当はもっといっぱいここにあったの。一面黄色く見えるくらいここに咲き誇ってた。でも、今はこうやって草に埋もれてる。それだけじゃない。本当はこんな雑木林、ここにできてちゃいけない」
「どういうこと?」
「本当はもっと低い土地、平地にあるべき植物がここに生え、ここに元々生えていた植物が消えているということ。この花の群落はもっと標高の高いところに移ってる」
 晶は少し考え、答えを提示しました。
「地球温暖化」
「その通り」
「なるほど…」
 晶は頷き、周囲をぐるりと見回します。雑木林と、その途切れたところに広がる草原、湖沼。別段不思議な情景ではないかもしれません。
 でもここは以前、潅木がまばらに生える湿地帯だったのです。
「一見ただの自然の風景。でも調べてみればってわけ。ただ歩くんじゃなくて、例えばそういう…」
「あのー」
 晶が私の声をさえぎりました。
「なに?」
「あのさ。話の腰折って悪いんだけどさ、あれって…クマ、だよねぇ」
「え?」
「あ、子熊もいる。可愛い。あれ?」
 晶の見ている方向…湖を挟んだ少し離れた位置…に私は目を向けます。
 すると確かに親子のツキノワグマ。
 ただ、母親の方が変です。足元がふらふらしており、まっすぐ歩けません。
 どお、と倒れます。
「行ってみよう」
 私は晶に言います。
「大丈夫なの?」
「それが私の仕事。大丈夫、向こうも心得てる」
 私は晶の手を取り走り出します。呼吸の状態を見ながら池を回り、数十秒。
 横たわる母グマ。寄り添う子グマ。
 子グマが私達を見つけます。
 逃げ出そうとするのを母グマが前脚…手で制します。
〈大丈夫、この方は敵ではない。妖精さん〉
 それは母グマの意識です。
 私はそれを私自身の意識で直接感じ取りました。
 私達はそうやって動物達とコミュニケーションが取れます。すなわち精神感応…テレパシー。
 その状況は握った手を通じて晶にも伝わっています。晶が驚いているのが文字通り“手に取るように”判ります。
〈妖精さん。お母さんがおかしいの〉
 子グマが訴えました。
〈判った〉
 私は答えて母グマを診ます。と言っても、手のひらをあてがってテレパシーを働かすだけ。
 震え、呼吸困難、四肢の麻痺。
〈妖精さん、私には追っ手が付いています。私はいいからあなたはここから離れて。人間に見られてはいけないのでしょう?〉
〈そんなこと言わないで。それにこの彼女は人間です〉
 私は言い、母グマの身体を手のひらで当たって行きます。どうも神経が何かに侵されているようです。毒草でも食べたのでしょうか。
 違いました。
 わき腹に出血が固まり、毛がこわばっている部分があります。
「いや…」
 傷を見つけたのでしょう。“むごい”と言いたげな晶。
 ここから何か毒物質が体内に侵入したのでしょう。かくなる上は…妖精なのになぜと思われるかもしれませんが。
 手のひらサイズ液晶コンピュータ。
 手品の手法で登場したそれに、晶が感心の面持ち。
 どうして、私が、およそ妖精にあるまじきこんなものを持たされているか、説明しなくてはいけないでしょう。私達の仕事は動物・昆虫の相談相手、だから当然、関係するもろもろの基礎知識は備えています。
 でも、この現代地上世界には、それだけでは対応出来ないさまざま物質があふれています。更に言うと、私達に備わった本能、超常感覚では感知出来ない危険が存在しているのです。
 そこで、こうした事態に対処するため持たされたのがこれです。
 逆に言えばそのくらい、この地上世界には自然ならざる(しかも危険な)状況に置かれているわけです。
 元に戻って。
 私はクマの傷口に出来たカサブタをめくり、新たに滲み出た血液を一滴、コンピュータで分析しました。
 画面にズラリと棒グラフが伸び、答えがすぐ出ます。
 鉛。高濃度の鉛。
 このクマは鉛中毒なのです。そして、なぜそうなったかと言うと。
〈撃たれたのはいつ?〉
 私は母グマに訊きました。
〈3日くらい前〉
 母グマは言い、ついで言外に人間の畑まで食べ物を取りに行った旨伝えてきます。
 そして今日も、ここより低い位置にある、10キロ離れた有名別荘地に生ゴミを探しに行った。そこで目撃され、今逃げてきたところ。
 私達の会話に晶が疑問の意。曰くどういう意味?
「散弾銃で撃たれて鉛中毒を起こした」
 私は言いました。散弾銃は多量の鉛の小粒を獲物に撃ち込むものです。ですので、急所を外れて生き延びても、その鉛が血液中に溶けて身体を巡り、鉛中毒を起こすのです。同例はやはり標的にされるシカ、イノシシ、カモの類でも確認されているほか、“標的”を外れて飛び散った鉛弾を、鳥が砂と間違えて食べてしまい、中毒を起こすという別のパターンも多く起きています。
 ついでに書いておくと、私が今回この地を訪れた理由はまさにそれ。クマが、その10キロ向こうの別荘地に出没、撃たれたり事故に遭ったり。
 と、母グマの意識が途切れました。
 すぐに復活。いえ、途切れ途切れ。
 脳障害。鉛中毒の症状のひとつ。
〈お母さん、お母さん〉
 子グマが呼びかけます。
〈妖精さん、お母さん死んじゃうの?妖精さん…〉
 私は唇を噛み締めました。私達の受ける相談には、病気や怪我といったものもあります。ですので、そういう動物に遭遇した場合、治すこともあります。
 ただ、それは、あくまで自然の中で、あるがままの状態での怪我や病気だけ。
 というのも、私達にできるのは、自然治癒力を高めること、だけだからです。
 もちろん仲間には(私もそうですが)薬草の幾つかを心得ていて、それを使う場合もあります。
 しかしどちらにせよ、対応できるのは“自然”の範囲内。
 それしか能力として与えられていないのです。なぜなら、コンピュータもそうですが、自然に生きるものを相手にする以上、本来はそれで充分なはずだし、そこから外れてしまうと、死ぬはずの者まで生き延びて、生態系が混乱するから。
 妖精族として人間さんの言ういわゆる超能力は一通り備えています。でも、キリストのような、天使のような、万能さまでは与えられていない。生殺与奪の権限階級ではない。
「死んじゃうの?」
 晶が言いました。今にも泣き出しそうな声です。
 と、母グマの瞳が、振り絞るように見開かれました。
 晶を見ます。ハッとする晶。
〈死なないよ、人間のお嬢さん。死んでたまりますか。私にはこの子がいるんだ。死ねと言われても死なないよ。撃たれようが何されようが私はこの子のために生きる。だって私はこの子が育つのを見極めるために生まれてきたんだから。生まれて、生きたからには、徹底的に生きる。生まれるのは生きるため。そうでしょ?違うかい人間のお嬢さん。簡単に命を奪う人間なんかに生まれちゃったお嬢さん〉
 母グマは言いました。
 晶の瞳が揺らぎます。揺らぐ瞳で、まばたきすらせず、母グマを見つめます。
 母グマの上半身に力が入ります。筋肉が盛り上がり、前脚が動き出します。
 震える前脚が大地に立ちました。
 体を起こそうというのです。
 銃で撃たれた身体は、鉛中毒である上、どうやら内部に大量の出血もあるようです。瀕死に近い重傷といっても良い。なのに、何というすさまじい生命力でしょうか。なんという生への強い気持ちでしょうか。
〈襲ったりしないよ〉
 これは母グマが晶にむけた言葉。
 晶は頷きます。
 母グマに向けたその瞳を震わせて。透明なしずくをたたえて。
 私はその間に、何か中毒を除く方法はないか、コンピュータで探ります。
 あるにはあります。薬で体内の鉛を分解し、普通の排せつ生理で体外に出す。
 しかし。
 しかし。
 それでは間に合わない。
「もっと即効性のある方法は…」
 私は歯噛みします。奥の手というのもあるにはあります。それはフェアリーランド…すなわち私達妖精の国に連れ去ってしまうこと。天国の一部です。どうにかなります。
 ただそれは最大の禁忌。なぜ?同じような状況の動物はいっぱいいるのにこのクマだけ助かってしまう。
 …結局、私にできるのはただこのクマを撫でさすることだけ。
 妖精族の流儀に従い、患部に手のひらを当て、治って、おさまってと願うだけ。
「あたし、ネットで探して来ようか?」
 晶が提案したのはその時です。
 私はハッと彼女を見ます。インターネット…
「結構医学的に深い情報も載ってるんだ。見てくるよ。あなたはクマさん見てて」
 晶は言うと、走り出そうとし、
 足を止めました。
〈来たね〉
 クマのお母さん。
 その意味がやっと判ります。立ち止まった晶の目線の先、
 銃を構えた猟師さんが何人か。
 それに、先ほど聞いた晶を呼ぶ女性の声。
「晶!あんた…ちょっと何してるの!?」
 驚愕しているその女性…晶の叔母様の傍らには、制服姿の警官が二人います。驚いた様子で私達を見ています。
 そりゃそうでしょう。人を襲うかも知れぬ手負いのクマの近くに、女が二人いるのですから。
「撃つの?」
 晶が誰にでもなく問いました。
「お嬢さん。お気持ちは判るんですがねぇ、そのクマは何度も下に出没してるんですよ。危険ですし、役所の許可も出てるし」
 警官の一人が答えます。しかし晶は動じません。
「危険?私ここでこうしてて、このクマは私に何もしません。第一ひどい怪我をして動けないんです。危険どころか保護するべきじゃないですか?それに子グマもいるんですよ。この子をどうしろと?」
「そりゃ動けねーだろ。そのひどい怪我はどうせ致命傷なんですよ。内蔵がもう大概どうにかなってるはずだ。俺が撃ったから間違いない。だから安楽死の意味も込めて」
 猟師さんの一人が言いました。
 晶が私を振り返ります。
「そうなの?」
 さっきも書きましたが大変な出血なのは確か。
 頷かざるを得ません。
 しかし。
〈私の身体がズタズタで何も食べられなくても、この子に食べるものは上げられる〉
 母グマが言いました。その言葉は私を通じて晶へ。
 晶は小さく頷きます。そして、意を決したように、再度猟師さんたちを振り返ります。
 彼女は、大の字に、両腕を広げました。
「帰りなさい。このクマを撃つことは私が許さない。撃ちたければ私を撃ちなさい」
「晶!」
 叔母様が叫びます。猟師さんたち、警官に戸惑いの表情。
「お嬢さん、そんなムチャな」
「ムチャはあなたたちでしょう。クマだからみなしご作っていいわけ?それに大体、別荘地に出没して危険ってゴミの回収ちゃんとしないからでしょ?…確かにそうね、人間って簡単に命を奪う!放っといても生きられるから一生懸命生きるって言葉もないし意味も知らない!どうせ死ぬ?安楽死?楽に死ぬなんて言葉なんかあるもんか。生きるより死ぬほうが怖いし苦しいにきま…」
 晶は怒鳴るように言いました。そして、そのまま胸元を押さえて倒れこみます。
「晶!」
 私と叔母様は同時に叫びました。
 発作です。私は反射的に彼女の元へ身を向けました。
 …つまり、クマから見れば、晶という盾と、私という壁がなくなったのです。
 散弾銃の撃鉄が引き起こされる。
〈お姉ちゃん大丈夫?〉
 子グマの意識が届き、ついでお姉ちゃん…晶の方へ走り出します。
 それを猟師さん達は危険…子グマが晶に襲いかかると取ったようです。
 銃口が子グマに向く。
 危ない。その瞬間。
 野生の雄たけびが背後から沸き起こりました。
 母グマが、お母さんグマが、後ろ足で仁王立ちになったのです。
 銃口は再び母グマに向けられました。
 撃つな…私は猟師さん達に命じるように念じました。
 私の思いが、強い思いが、念動力となり、衝撃波を形成して私の身体から放射されます。
 同時に、ペンダントに手を伸ばし、瞬間移動の呪文。
「リクラ・ラ…」
 しかし、衝撃波も呪文も、その瞬間には間に合いませんでした。
 撃鉄が薬莢を叩きます。
 忘れることの出来ない、爆竹のそれに似た乾いた破裂音が、数発、山間にこだましました。
 遅れて、猟師さんたちが相次いで仰向けにひっくり返ります。
 念動力が作用したのです。しかし、それは既に手遅れ。
 終末の時。
 野生が、倒れます。
〈お嬢さん、あなたの優しさに感謝しますよ…最後の最後に…私は…人間を信じられた…ありがとう…〉
 母グマは意志で伝えて来、そのまま“途切れ”ました。
 地鳴りと共に、野生の巨体が、草の上に崩折れます。
 広がる重々しい余韻。その消滅。
 晶が母グマを見ます。声が出ません。ただ、ただ、涙がぼろぼろと、ぼろぼろと。
〈お母さん…〉
 母を呼ぶ子グマ。
 しかし母からの返事は来ない。
 晶が子グマを抱き締めます。そしてわぁわぁと泣き始めます。
 なんというひどい結末でしょう。やはり、私はさっき、この母子を禁を侵してでも天へ上げておくべきだったのでしょうか。
 猟師さん達と警官が歩いてきます。私達を遠巻きに見、そして母グマの身体に寄ります。
 猟師さんの一人が母グマの生死を確認しようと手を伸ばします。
 その時でした。
「触るな!」
 晶が一喝しました。
 猟師さんが驚いて手を引っ込め、晶を見ます。
「お嬢さん、我々はね、決して命を弄んでるわけじゃないんだよ。ただ、あなたや、下の別荘の人たちの危険を考えると…」
「判ってる。でも…触って欲しくない。判ってるけど、触って欲しくない…。だって、このお母さん、一生懸命生きようとしてた…。人間が、他の生き物の命を犠牲にして生きていることは知ってる。でも…」
 晶の言いたいことは判る気がします。恐らくそれは、人間さんの生まれながらの罪であり、そしてその断罪は人間という存在自体の否定。
〈お姉ちゃん〉
 クマの子が呟きます。それは晶に宛てた言葉。
〈ありがとう〉
 ふわりと温かいメッセージに、晶はゆっくり、身体を起こしました。
 そして私に意志。伝えて欲しい、それはどういう意味?
〈お姉ちゃん、お母さんをかばってくれた。僕のこと、心配してくれた〉
〈でも私は何も出来なかった。君のお母さんは…君は一人ぼっちになってしまった〉
〈それなら大丈夫、こっちのお姉ちゃんが新しくお母さんになってくれるひとを知ってる〉
 私は晶に頷きます。ちょうど逆に…やはり不幸なことですが、交通事故で子どもを失った母親がいるのです。
〈僕のことを守ってくれて、人間さんにかばってもらえて、僕は僕のお母さんを誇りに思うよ〉
 クマの子は言いました。
 晶は、ゆっくり、頷きます。
〈それに僕はひとりぼっちじゃない。新しいお母さん探してもらえるし、お姉ちゃんもいるもん〉
 楽しそうな、弾むような言葉。
 晶は真っ赤な目で、小さく、微笑を浮かべました。
 私を見ます。
「える…えう…」
「エウリーでいいよ」
「じゃエウリー。私…今、これだ、って思ったんだけどね。こういう、一生懸命生きている動物たちの手助けが出来たらと思うんだ。病気がどうなるかは判らない。でも私は今、あなたの手伝いとまでは言えないけど、多少でもこんな出来事がなくなれば、そのために動ければいいなと強く思った。動物たちはただ単に野生のままに行動しているだけ。それが人間にはたまたま邪魔であったり迷惑であったり危険だったりしてるだけ。でも、動物たちにはそんな事判らない。あなたのような能力の持ち主ばかりじゃない。だったら、人間の方が理解して動くべきだと思う。追い出すとか殺すとかいう方法じゃなくてね。元々ここは彼らの棲みかであって、そこに立ち入ってるのは私達人間の方、なのに彼らの方を排除するなんて本末転倒」
「お嬢さん」
 と、猟師さんの一人。
「あたしもね、まぁ時々こういう依頼受けるんですけど、忍びないのは忍びないんですよ。連中エサ探しに来ただけだしね。どうだろ、町の議員に知り合いがいるんで、何ができるか、一度話してみるかい?」
「本当ですか?」
「もちろんだ。町としても安全な別荘地にしたいしね」
「判りました。ありがとうございます。よろしくお願いします」
 晶はそれこそ水晶が弾いた陽光のような笑顔で言い、頭を下げました。
「じゃぁ、このクマ、調べていいかな?」
 晶は頷きます。
 その瞬間、天国へ連れて行ったほうが良かったか、回答が与えられます。連れて行かなくて正解。もし連れて行ったなら、晶はこんなこと思わなかったでしょうし、猟師さんはまた忍びない仕事を引き受けることになったでしょう。
 その猟師さん達と警察官が母グマを取り囲み“検分”を始めます。本当は土に還したいところですが、この人たちもそれが仕事なのです。邪魔はできません。
 でも、子グマは渡しませんよ。
 行きましょうか。
「晶」
 私は新しい道を見つけ出した友の名を呼びます。
 そして、トーガの裾回りを少々破り取ります。
「どうするの?」
「後ろ向いて」
 私は彼女の髪を束ねると、破った裾周りをくるりと結びつけました。
 ちょうちょ結び。
「希望に向かって歩む人に、歩みつづける力を与える魔法のりぼん」
「え…」
「私にできることはそれだけ。ありがとう。あなたのことは忘れない」
「行っちゃうの?」
「この子のお母さん探さなくちゃ。それに、私には、私を待つ多くの生き物たちがいる。あなたに救うべき多くの動物たちがあるように」
「…そうか、そうだね」
 晶は言うと、笑顔で右手を差し出しました。
「ありがとう。私にもやることが出来た。もう死んだりしないよ」
 その言葉、待っていました。そして。
「こちらこそ。あなたのおかげで今回私が依頼された問題が解決しそうだよ」
 私は彼女の手を握り返して言いました。
 大丈夫。これでどっちも大丈夫。
「じゃね」
 私は言うと、“ごく普通”に、子グマと共に歩きだします。この親子が現れた湖の向こう、雑木林に向かって。
 と、後ろから追って来る足音。
「…おいちょっとあんた、待った!そのクマどうするんだい」
 警察官に猟師さんたち。気づかれたようです。
 私は子グマを抱き、走り出します。
「あ、おい、こら!」
 風となります。追っ手を振りきり。
 そして。
「リクラ・ラクラ・テレポータ!」

 

 その後、彼女のいる有名な別荘地で、クマが出没する問題が解決されたか、直接の結果は私の耳には入ってきません。ただ、猟師さんたちが忍びない仕事をしたという情報もまた入って来ません。
 もしあなたがテレビや街頭で、動物たちの保護運動に取り組む、白いりぼんの美人(!)を見かけたなら。
 それは、もう一人の、わたし。
 名前は、晶。結晶の晶。
 
もう一人の私/終

妖精エウリーの小さなお話・一覧

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【妖精エウリーの小さなお話】昆虫界の大異変

 3ヶ月ぶりに訪れた通称“たぬき森”。
 木々の間を歩いて少々、私はその異様な光景に目を瞠り、立ち止まりました。
 昆虫の遺骸が散らばっているのです。
 しかもどれも頭部がありません。切断されています。
 調べると遺骸の多くは樹の根元、しかも広葉樹の根元に集中して落ちています。あっちのクヌギの根元に、こっちコナラの根元に、という状況。
 人間の子供たちの度を越したいたずら…あり得る原因として最初はそれを考えました。
 でも、そうじゃないと判ったのは、たった今、足元に、子供たちなら相手にしない虫まで、その状態にされていたのを見つけたから。
 私はため息をつき、コナラの根元にしゃがみこみます。
 そして、その状態にされた遺骸を手にします。
 オオスズメバチ。
 人間の子供たちが、無邪気さ故の残酷さから、虫の身体を損壊したり、意味もなく殺すという、むごい遊びに興じるのを知る方は多いと思います。
 でもそういう場合、“遊び”の対象は容易につかまり、危険のない虫に限られます。バッタやチョウ、ダンゴムシ…そういったあたりでしょう。決して、高速で飛行し、攻撃的で致死毒も持つ虫…スズメバチなんかを捕まえて、そうやって“遊ぼう”なんて思わない。
 一体何が…考えていると、甲虫のブーンという羽音が頭の上で聞こえました。
 動くエメラルドのペンダント…のような、グリーンも鮮やかなアオカナブンです。コナラの木に止まり、染み出る樹液で早速お食事。
 何か知らないか訊いてみましょう。え?虫と話すのかって?その通りです。
〈あのちょっと訊きたいんだけどさ〉
 私は言葉にすればそういった意味の気持ちを、意識に浮かべました。
 声には出しません。これだけで通じ、いやむしろこの方法でないとコミュニケーションが取れません。
 カナブンが私に意識を向けました。そして同様に気持ちだけで、
〈妖精さんでしたか〉
〈です。大きくてごめんね〉
 私は言いました。
 彼(オスです)の言葉通り、私は人間ではありません。妖精族…童話伝説でおなじみの翅(はね)持つ種族です。
 ただ、今は身体のサイズが妖精としてよく知られる指先サイズではなく、人間並になっています。これは、私が妖精と言ってもギリシャ神話の自然の精霊、ニンフの血が入っているためで、これにより身体の大きさを変えられるのです。立ったり座ったりするのと同じく、“こうしたい”と思うだけで、指先ほどのフェアリーサイズか、この人間サイズか、どちらかになれます。ちなみに、ビジュアル的には、その神話の女神様と同じく、白い貫頭衣(トーガ)をまとった、髪の長い女です。
 仕事は虫や動物たちの相談相手。なお、妖精族には他にケルト直系のフェアリーたちがいて、花や木の方を担当しています。あ、申し遅れましたが名前はエウリディケです。
 元に戻って。
〈これなんだけどさ〉
 私はカナブンの彼に、スズメバチの遺骸を見せます。
 普段自分たちを攻撃する大型のハチに、彼は一瞬嫌そうな意志。
〈…死んでるんですね。びっくりした。それがどうかしました?〉
〈誰がやったとか、知らない?〉
〈何も…というか私、たった今初めてここに来たものですから〉
〈そう。それじゃ判らないね。いいよありがとう。引き止めてごめんなさい〉
 私は頷くと、彼のいる木を離れました。
 遺骸をアリの巣の近くに置きます。埋めないのか?虫の遺骸はアリやバクテリアが処理します。私達に自然の摂理に反する行動は許されていません。
「はぁ」
 思わずため息が出ます。やりきれなさと後悔の気持ちで胸がぎゅーっと痛くなります。確かにこのところ、昆虫の羽化や動物の出産手伝い、人間さんの開発事業に備えてみんなを逃がす…などで忙しく、なかなかここに来られなかったのは事実です。それに、普通は事件が起これば虫たちから訴えがあるのに、それがなかった。というのもあります。
 不可抗力と言えばそれまで。でも、もう少し早く、ここに来ることが出来れば、この子たちが死なずに済んだかも…というのも確か。
 ごめんね…私は遺骸になった虫達に言うと、他の昆虫たちにも、何か知らないか聞き込みをしてみました。同じく樹液を吸うチョウであるオオムラサキ、そしてオレンジ色した翅のキタテハ、コメツキムシに似たヨツボシケスキスイ、赤いマフラーをしているみたいなムネアカアリ、シロスジカミキリ。
 しかし、返事は一様に“知らない”。
 再び羽音が近づきます。
 見上げると、勇ましい大顎のミヤマクワガタ。
〈ちょっといいかな〉
 私は彼に来てもらいます。ミヤマクワガタは昼でも比較的活動するタイプ。大顎の後ろがグッとせり出したいかつい姿をしており、恐竜を思わせます。もちろん、子供たちにも大人気。
〈妖精さん?〉
 頷くと彼は下りて来、差し出した私の指先に止まりました。
〈わぁ珍しい。何でしょう〉
〈あのね〉
 私は彼にいきさつを説明し、何か知らないか訊きました。
 と、彼は納得した風に。
〈関連するかどうか判りませんが、このたぬき森に夜行くと帰れないという噂がありますね〉
〈帰れない?〉
〈現にここに樹液探しに行って、それっきりの奴がいっぱいいるらしいんですよ〉
 ふーん、と私は頷きます。と同時に、それだ、と直感します。
〈具体的に何が起こってるかって話は…〉
〈さぁ〉
 彼は(人間風に書くなら)首を傾げました。ここに来たけど帰ってこない。
 今ここにいる虫たちは何も知らない。
 何かが起こっているのは確かです。だけど、その何かに遭遇した当事者が見当たらない。いない。
 それが何を意味するか。
 私は背中にゾクっとするものを覚えながら、足元の遺骸を見下ろします。
 当事者がいないのは、当事者が全てそのまま戻ってこない。イコール、
 命を落としているからではないか。
 すなわち、その何かに遭遇すると、みな殺しにされてしまう…。
 一体何が起きているのでしょう。調べるには、私自身がここにいるのが手っ取り早い。
 一晩ここで過ごすことに決めます。ただ、たぬき森はかなり広く、虫が多く集まる場所、つまり樹液が出る木は数多くあります。ある程度、樹液を出す木の位置を把握しておき、そこを中心に見て回るのがいいでしょう。
 私は早速、ミヤマクワガタ君の嗅覚を頼りに、樹液を出す木を探して回ります。もちろん、遺骸がないかも同時に確認します。
 するとあります。全部ではありませんが、比較的大規模に樹液が出ているところには、必ずと言っていい程虫たちの痛ましい姿があります。カブト、クワガタ、カナブン、スズメバチ、オオムラサキの翅だけ…
 無差別そのものです。しかも、甲虫の身体を引き裂くのですから、“犯人”は相当な力の持ち主である事は確かです。触った方はご存知と思いますが、甲虫の身体は相当に強固で、人力でも「首を切る」のは難しいほどなのです。
 そんな動物として何が考えられるでしょう。人間並ならサル、それ以上ならクマでしょうか。でも、彼らであればちぎって放置するなんてことはしません。そのまま食べてしまいます。
 考える範囲では犯人を思いつきません。とにかくこのまま待つことにします。ミヤマクワガタ君と確認した樹液の出る木は26本。そのうち12本で遺骸が確認出来ました。

 

 日が暮れてきました。
 どこからか“夕焼け小焼け”のメロディが流れて来、カラスたちが夕日の中、シルエットを浮かべてねぐらに帰って行きます。
 そろそろ甲虫たちが本格的に活動を始める時間帯です。
 私は身体を縮めました。15センチの指先サイズとなり、木の枝に腰掛け、目を閉じます。
 心の聴覚を最大限まで澄ませて、異変の出現を探知しようとします。
 虫たちのレストランのにぎやかな状況が意識の中に浮かんできます。場所取り争い、メスを巡るいざこざ、味に対する評価の声。更には樹液に含まれるアルコール分のせいでしょう、早々に酔っ払って木から落ちる虫もあります。ちなみに甲虫で朝方まで木にいる個体がありますが、彼らはそうした“べろんべろん”の連中です。
 そして、すっかり夜になった、時刻にすれば8時くらいでしょうか。
 異変を探知しました。
 何かが現れ、虫たちが悲鳴を上げます。多くが逃げ出しますが、中で一匹が勇敢に立ち向かいます。
 私は飛びます。妖精の象徴たる背中の翅を伸ばし、羽ばたき、梢の間を抜けて行きます。
 そして見つけます。クヌギの木の根元近く、樹液あふれる場所に集まる沢山の虫たち。
 しかし、そこには人間のような力を発する動物はいません。
 いえ、動物じゃありません。
 昆虫です。甲虫やチョウたちに混じり、日本産にしてはあまりにも大きすぎるヒラタクワガタ。
 外国の虫です。熱帯の島に生息するオオヒラタクワガタの一種。
 体長は9センチはあるのではないでしょうか。日本はおろか、甲虫種全体を見渡しても、天然産でここまで大きくなるものはそうはいません。
 その巨大すぎるクワガタに今、日本のカブトムシが雄々しく立ち向かおうとしています。
 私は両者の間に割り込んでホバリング(空中静止)し、カブトムシを制しました。
〈妖精さん何を?〉
 びっくりしたようなカブトムシ。
〈ここは私に預けて。死ぬよあなた〉
 私は言います。そう、一連の“切断事件”の犯人はおそらくこの熱帯のクワガタ。
 非常に攻撃的であり、目の前を動く者はたとえ同種のメスであっても挟み殺してしまう巨大クワガタ。
 しかも恐らくはブリーディングされたものでしょう。日本は温暖化しているとはいえ、熱帯地域より比べればはるかに寒冷です。その寒冷な日本でここまで巨大になるには、整えられた環境と栄養剤で人工的に育ったとしか考えられません。そう、人間さんが意図して大きく育て、そして逃げ出したか、
 或いは、飼い主が、この森に意図して放ったか。
 私は眼前の巨大クワガタの意識を読もうとします。どこから来たのか。
 そして…最も懸念されるべき事態、本来ならあってはならない事態が起きていないか。すなわち、日本のクワガタと交配してはいないか。
 しかし読めません。樹液に酔い、意識が混濁しています。
 攻撃の意図。
〈変なカゲロウめ!〉
 顎を振りかざして襲ってきました。
 私は首から下げているネックレスのチェーンを引き上げます。そして、先端に輝く青い石を手にします。
 それは、私たち妖精のか弱い超能力を増幅する魔法の石。
 念動を使います。巨大クワガタの動きを固定。
 そして、怒鳴りつける感覚で強い意識を送り込みます。
〈何をしてるの!?〉
 ハッとするような反応。
 目が醒めたようです。しかし。
〈うるせぇ。離せ!〉
 何ということでしょう。私が地上で仕事をするようになって200年になりますが、昆虫からこういう反応を受けたことはありません。なぜなら、みんな、育つ過程のどこかしらで、私たちの存在とその役割を知るからです。
 しかし、今ここでいきり立っているこの外国昆虫は、私たちの存在を知らない。
 何世代かに渡って人の手で育てられた結果、私たちの存在が伝承されなかったに相違ありません。
 私は念動で彼を固定したまま、身体を人間サイズに変えます。
 そして手で捕まえ、持ち上げました。
〈人間か!?何しやがる〉
〈君はここにいてはいけない〉
〈うるせぇ。離せ。俺は…〉
 ここにいる全員を皆殺しにして樹液を独占。意志はそうです。しかし余りの興奮で言語に変換されない。
 束縛は興奮をあおるだけ。私は念動による拘束を解きます。幾ら力のある虫と言っても、人間サイズの手で掴んでいれば、何かされる心配はありません。
 彼が猛然と抗います。顎をアニメのロボットのように動かしてカチカチ鳴らし、首を後ろに反らしてギリギリ音を立てて威嚇します。更に脚をつっぱらかっていますが、これは樹皮の上に停まっている時、体を大きく見せるため。
〈離せ〉
〈やめなさい〉
 彼は続いて羽ばたいて逃げようとします。しかし今の私から逃げるのは無理。
〈くそっ!くそっ!俺をどうする〉
 どうする。そう問題はこのあとどうするです。彼自身をここから隔離するのは容易なことです。天国に隣接する私たちの国、フェアリーランドにでも連れて行ってしまえば良い。
 しかしそれではこの場がどうにかなるだけです。その問題の異種交雑…ミックス誕生という危険な芽は摘んでおかないとなりません。彼が交尾を行ったのか、行ったのなら、相手のメスも見つけて隔離する必要があります。更に怖いのは、彼が故意に放たれたのなら、他にも同様に放たれた個体があるかも知れないということ。
 人間の気配がしたのはその時です。
 超感覚の囁きと共に私は振り向きます。曰く、この時間にこの場所に来るのは、ここが樹液の出る場所と知る昆虫好き。
 その昆虫好きは、同時に、手の中にあるこの虫の飼い主。
 私たち妖精は本来、人間さんとコミュニケーションを持つことは許可されていません。なぜなら、人間さんが私たちを存在しないと決めているからです。無いものは姿を現してはいけない。
 でも今回は話が別。私はこの飼い主からさまざまなことを知らなくてはいけません。
 人間との接触。もし今、私たちを地上に派遣する存在が、私を監視していれば、私はフェアリーランドに強制送還です。しかしそれを恐れていては、この事態は解決しません。
 腐葉土の上、細い枯れ枝をパキパキ折りながら歩く足音。
 懐中電灯が私を照らしました。
「…なんだ女か」
 灯火の向こうに見えるのは若い男。痩せていて色白。
 私はその目をじっと見詰めます。
「なんだよ…あ、それ俺が逃がした奴じゃん。何取ってんだよ。置いとけよ」
 男が言います。つまりは故意に逃がした。
「そうか。逃がしたのはあんたか。その結果がこうなったわけだ」
 私は努めて怖い声で言い、クヌギの根元を指差します。
 男はそこを見、
「だからどうだってんだよ」
 ニヤニヤ笑います。それは“王者の活躍”を面白がっている表情。
 その間に、私は男の意識から必要な情報を取り出すことに成功します。
 男はこの虫を故意に逃がした。目的は、この虫が日本の虫を次々と挟み殺す様が面白いので、森でもっと多くの虫を殺させようと思ったから。
 種の交雑については念頭に無い。ただ、その可能性は認識しており、この“大きくて強い虫”が増えるのは面白いとは思っている。
 この虫はその試みに逃がした一匹目。男は毎晩その“活躍”…強い虫の殺戮行為を“観戦”しに来ている。
 そして、今夜は虫を更に追加するつもり。
 見ると男の腰には金属網の虫カゴがあります。
「あんたがそうやって逃がしたこの虫が、他の虫を襲い、更にはあってはならない雑種を作り出す。それはあんた生態系に対する重大な犯罪だよ。判ってるの?」
「ボク難しいことわかんな~い」
 私の言葉に男はふざけてうそぶき、小バカにするようにニヤニヤ笑いました。
 私は歯をグッと噛み締めます。似たような事例でいわゆるブラックバスの問題をご存知かと思います。現在の生態系は地球が46億年かけて作り上げたもの。自然は自然のあるがままにするべきであり、自然界の一介の存在に過ぎぬ生物が、他の生物の分布を変えたり絶滅させるなどとんでもないこと。
 そのおこがましさ。仮に他の星雲系の生命が、邪魔だから、面白いからという理由で地球生命を、人間さんを連れ去ったり殺したりしたら、皆さんはどう感じますか?
「あんたは…」
「うるせぇなぁ。返せったら返せばいいんだよ!」
 話し合うつもりなどないのでしょう。男は力ずくでクワガタ回収に乗り出しました。
 取り返されては元の木阿弥。
 男が私に手を伸ばしてきました。
 来るな!…反射的に生じた私の思いは、手のひらの石を通じ、そのまま念動力に変換されました。
 私の身体から衝撃波の如きものが発生し、男の体を跳ね飛ばします。
「うっ!」
 等身大の板で正面からひっぱたかれたような感じになったはずです。男は低く短くうめき、後ろに飛び、別の木に背中から衝突しました。
 ゴツッ、という低く硬い音と共に、幹に後頭部をしたたか打ち付けます。
 失神します。懐中電灯が手から落ち、身体がズルズルと土の上に伸びます。一瞬まずいと思いましたが、木が撓ってショックを和らげたようで、緊急を要すものではないとすぐに判ります。まぁ、タンコブ位はできたでしょうが、介抱する気は起こりません。
 と、男の身体の下から這い出す黒いもの。
 他のクワガタです。どうやら虫カゴが衝撃で壊れたようです。数は3匹。
〈殺したりしない。でも君たちはここにいてはいけない。こっちにおいで〉
 私は彼らを捕まえると、服の一部を切り裂いて虫の数だけ袋を作り、彼らを一匹ずつ入れ、髪の毛で縛りました。
 後はフェアリーランドに戻って、南国を担当する仲間に渡せばとりあえずは終わりです。ちなみに、樹液に酔っていた彼は、日本産ヒラタクワガタのメスと交尾はしたものの、その場で皆挟み殺してしまった様子。事の善悪はさておき、懸念された事態の発生はなさそうです。
 すると残るはこの男。判らせなければ繰り返すでしょう。でも口で言って聞かない者をどうすればいい?
 その時。
〈妖精さん〉
 気配と共に呼びかけてきたのは、この森のそれこそ通称の元になったタヌキ数匹。
〈は~い。ごめんね、お騒がせで〉
 私が言うと、一匹が懐中電灯の照らすこの場に出てきました。
〈いいえ。それよりあのですね。途中から見てたんですけど、我々にお手伝いさせてもらえませんかね〉
 私は首を傾げます。
〈というと?〉
〈要するにこの人間がその虫を勝手に逃がすといけないんですよね〉
〈うん〉
〈私達に監視させて下さいな。こいつが来たらお知らせします〉
 それはとっても素敵な提案。
 でも。
〈ありがとう。でも、でもだよ。そうしたらあなたたちの誰かが、張りついて見張っていなくちゃいけない。それに、私が遠いところにいたら…〉
〈仲間はいっぱいいますし、毎晩ご飯探しに誰かしら歩いてますからご心配なく。それに、あなたが遠かったら私たちが虫を食べてしまうだけのこと〉
 タヌキは言いました。
 私はちょっと迷います。動物に何か手伝ってもらうのは別に違反ではないのですが、問題は長期戦になりそうだということ。この男が諦めるまで彼らに頼る?
 頭上にバサッという羽音。
〈我々も見ますよ〉
 ミミズク。
〈いつも妖精さんたちには助けてもらっている。たまにはお手伝いさせてくださいな〉
 更に別の木の上の方からも動物が姿を見せます。こちらはムササビ。そのそばにリスもいる様子。
〈そうそう。誰かしらどこからか見てます。例え毎日であっても、例え何年であっても、みんなでやればどうってことない〉
 私は肩の力が解け、思わず小さく笑いました。
〈みんなありがとう〉
 見回して言います。するとミミズクたちだけではありません。多くの眸が闇の中で金色に輝き、こちらを見つめているではありませんか。
 これだけのみんなが手伝ってくれるなら、特定の誰かに負担…にはならないかもしれない。
 その時。
 雰囲気が変化し、動物達にサッと緊張が走ります。
 私もその変化に気付きます。
 男が目を覚ます。
 どうしてやりましょう。言うことは言わねばなりません。でも、人型生命体(ヒューマノイド)って、聞きたくないことは初めから聞く耳持たないもの。
〈大丈夫逃げないで〉
 色めきたつ動物達に私は言いました。
 男のまぶたが開きます。
「畜生痛ってぇ…なんだあの女は」
「私のことか?」
 私は言いました。
 男がこちらを見、私を見つけ、みるみる怒りの表情になります。
「先に手を出したのはお前じゃないか」
「うるせぇ!」
 男は立ち上がると今度は殴りかかってきました。
 その瞬間。
 私よりわずかに早く傍らのタヌキが動きます。ネコのような身ごなしで跳躍し、突き出された男の拳に噛みつきます。
「痛ぇ!」
 男が手を引っ込めます。
 タヌキが着地します。そして男に向い、牙を剥き、低い声で唸ります。
「なんだこいつ!」
 男は続いてそのタヌキを蹴ろうとしました。
 すると今度は、そこに音も無くミミズクが飛来、大きな翼で男の顔を叩き、猛禽の鋭い爪で男のシャツを引き裂きました。
 男が腰を抜かして尻餅をつきます。その表情には怯えの色。
 実は、襲い掛かるミミズクというのは、普段の物静かな顔つきからは想像出来ないほど怖いのです。広げた翼の大きさと鋭い爪、更に嘴は、生き物が生来有する危機探知本能を呼び覚まします。特に人間さんの場合、ふくろうやミミズクは置物やキャラクターとして可愛くデザインされた状態で接することが多く、そのギャップの大きさは想像以上のものになります。
「な、なんだよ…」
 干からびた声で男が不平を言います。数瞬前の怒気はすっかり殺がれ、叱られた子供のような目で、私の背後をキョロキョロと見回しています。私の背後には多くの動物たちの金色の眸。男はそれに気付いたのでしょう。
 更に、男がへたりこんで寄りかかる樹の上から、リスたち、及び長さ20センチはあろうかというトビズムカデ、手のひらサイズで知られるアシダカグモが降りて来ます。
 クモが男の肩の上、ムカデがポテッと落ちて男の足の間。
 男がひぃと小さく言い、肩で息をしながら私を見ます。いくら鈍感であっても、ここまで生き物たちが集まり、攻撃の意志をあらわにしていれば、それが偶然で無いことは判るでしょう。
「お前、動物使いか…」
 干上がったままの声で男が言いました。
 動物使い…男にはサーカスなどの飼育係のイメージがあります。私が動物たちをけしかけていると判断しているのです。
 それは、この事態をもたらしている諸悪の根源が私という意味。自分が悪いのかも…とは、カケラも頭にないようです。
 生態系への悪影響、そして他の虫が殺される様を面白がる…それがどれだけ重大な罪か、理解させるのは無理なのでしょうか。46億年かかってこうなっている住み分けが、一人の人間の自分勝手で崩される。種の純粋が崩される。それを“怖いこと”と感じさせるのは無理なのでしょうか。
 仕方ない。
「そうだとしたら?」
 私は努めて、硬く冷たい声で言いました。
「私の役目は、この子たちをあんたみたいなのから守ること」
 男の顔が引きつります。
「お前は一体…」
 言いながら後ろにずり下がろうとしますが、足の間にムカデがいるので動くに動けず。
「お前…オレをどうするつもりだ?脅迫か?」
「良く言うよ」
 私は言い、唇の端で冷たく笑いました。ええ200年も生きていればこのくらいの芸当は出来ます。
「その脅迫すらせずいきなり殺してるお前は何だよ。いるはずの無い虫を繁殖させよう、いるはずの無い虫が日本の虫を引きちぎる様子を眺めよう、要するにサディスティックな自己満足で大量に虫を殺しているお前は何だよ。
 お前昆虫好きなんだろ?そのくせして、よくそんな残酷なこと平気でできるな。昆虫好きってそういうもんか?好きならその素晴らしさをあるがままに伝え広めるってのが普通じゃないのか?昆虫好きだからこそ、素晴らしさが判る人を増やしたい。そう思うもんじゃないのか?誰か子供が虫取りに来て、自分の虫で他の虫をせっせと切り刻み殺すお前の姿を見てどう思うよ」
 私は言いました。いるはずの無い南国の大型クワガタが、日本のカブトムシを挟み殺す。その様子を眺めてニヤニヤ笑う男。
 私は意識に浮かんだその嫌な映像を、男にテレパシーで送り込んでやりました。
 私が言いたかったのはこれです。確かに私の一言でこの男をどうにでも出来る。
 でも、この男はその一言すら無く昆虫達にどんなことでもやっている。
 損壊して殺す。それを楽しむ。それが残酷であることに異論を持つ方はいないでしょう。
 虫だから犯罪じゃない?損壊するという点では虫でも動物でも、
 …人間でも同じです。
「うわっ!」
 男が叫び声を上げます。私の送り込んだ映像が、虫を切り刻む男の映像でなく、人体にナイフを向ける男の映像にすり変わったようです。私の考えが流れてしまったのでしょう。
「何だよこれ。何者だおめぇ…」
 男が悪夢でも見ているように私を見、首を左右に振ります。
 その意識はただひとつ。早くこの場を逃れたい。そう、今もって悪いことをしたという認識は無い様子。
 自分は悪くない。徹頭徹尾この男の意識はそれです。排除されるべきは自分の行動を妨げる事物の方で、自分ではない。一体どこをどう育てると、ここまで歪んだ人格ができるのでしょう。
「それはお前の将来の姿だ。私はお前が殺戮と種の混乱を起こさないためにここに来た。お前がその重大さを知り、欲望がその心から消滅するまで、私はお前の前に現れ続ける」
 私は言い、男を睨みつけました。
 男がちょっとたじろいだように目線を外します。そして…逃げたい意思の表れでしょう、腕だけ後ろに動かしました。
 その腕が懐中電灯に当たります。電灯の向きが変わり、私の翅が照らされます。
 光を弾く薄緑の膜。その反射光に白く浮かび上がる男の顔。
「お前…化け物…」
 虫の妖怪、男がそう言う概念を抱き、言葉にした瞬間、思いもかけない虫が行動に出ました。
 男が飼っていた南のクワガタです。服で作った袋を破り、翅を開いて飛び立ちます。
「あ!てめぇいつの間に!」
 男が言い、腰の虫カゴが壊れているのを確認し、飛んだクワガタを捕まえようと手を伸ばします。
 その手にクワガタが止まります。
 男が安心したその瞬間。
 クワガタはその屈強な大顎で男の指を挟みました。
「ああーっ!」
 男が叫びます。大顎に付いた鋭いのこぎり構造が男の指に食い込み、瞬く間に出血します。
 人体に損傷を及ぼすほどの大顎…さしもの頑強なカブトムシも、これで間接を挟まれれば、ひとたまりもないわけです。
 元に戻って。
「血が、血が、畜生何しやがる!」
 男が喚き散らします。
「離して欲しかったらその今心に思っていることを捨てるんだね」
 私は言いました。自然繁殖だの大量殺戮だの、冗談じゃない。
「畜生…放せこいつ!…痛い痛い痛い痛い!」
 男はぎゃぁぎゃぁ言いながらそれでもしばらく耐え、そして一瞬の逡巡を持って、
 自らが育てた虫に手を出しました。
 挟むクワガタの腹部を持って引き剥がそうとします。
 しかし大顎はより一層食い込み、血の量が増すばかり。
「痛い痛い畜生!くそったれっ!」
 男は指を振り回します。
 そして、クワガタの身体を、木の幹に打ち付けようとしました。
 その時もう一匹の南のクワガタが飛び出し、男の別の手に噛みつきます。
 それだけではありません。
 事態を見守っていたこの森のクワガタやカブトムシたちが一斉に動きました。
 クワガタは噛みつきます。
 カブトムシは空を飛びながら男に糞を浴びせ掛けます。
 私が指示したのではありません。彼らが彼らの意志で動いたのです。
「わあぁ!」
 男が腕で頭を覆ってしゃがみこみました。
 その腕はあちこち噛み傷で血だらけ。
 頭や服には浴びせられた糞の茶色い染みが点々。
 虫たちは散々男を汚した後、戻ってきました。南のクワガタは私の肩へ。
 男が腕と腕の隙間から私に目を向けます。
 と、その視線の先にブンと音を立ててオオスズメバチ。
 顎をカチカチ鳴らし、腹の先の毒針を出し入れして威嚇のポーズ。
 虫たちは完全に堪忍袋の緒が切れてしまった。
Ihen2「立ち去れ。そして二度と来るな。お前が自分のしたことの酷さを理解しない限り、ここに いる誰もが、お前の接近を拒む」
 私は言いました。このままではこの男は虫達に殺されます。逆にこの男が危ない。
 ムカデが男の足の間から動きました。
 ミミズクがバサバサと羽ばたき。
「わぁっ!」
 男が立ち上がり、こけつまろびつしながら走り出します。
 男は騒々しく走り去り、やがて闇の向こうに姿を消しました。
 虫たちと動物たちは安堵の息。
 これでまず、この森の生態が守られたことは確かです。でも決して、あの男は己の行為を省みたわけじゃない。
 暴力で追い出すような真似はしたくなかった。できれば心から理解し、自らの意志で引き下がって欲しかった。
〈妖精さん〉
 呼んだのは…直前まで酔っていた南のクワガタ。
〈なに?〉
〈そう自分を責めないで下さいな。あなたがどういう存在か、ここにいる仲間に聞かされた。あなたはその範囲内で頑張ってくれた。あいつを追い出したのは我々の総意。あなたが自分を責めることは無い〉
〈でも…〉
〈何をどう言ってもわかりゃしませんよ。あいつ、幼虫の頃からうまくて栄養のあるものを食わせてくれた。ケージをしょっちゅう掃除してくれた。エアコンで温度を一定に保ってくれた。
 でも、それは俺たちを大事に思っていたんじゃない。大きくするための条件を整えただけだったんだ。虫とも、生き物とも思ってない。電池の代わりに高価な餌を食うオモチャってわけ。そんな奴に残酷だの生態系がどうの言っても判るわけが無い。俺たちは、同じ人間の手にかかるんなら、金かけたアホより必死に図鑑で勉強する子供たちの方がいいよ。俺たちを“生かす”ために頑張ってくれるからね〉
 私は頷きました。一昔前、昆虫の飼育という行為は、如何に人工環境で自然に近く…に力点が置かれていたはずです。それがいつから、自然界ではあり得ないような虫を作り出すことに血道を上げるようになってしまったのでしょうか。そしてそれを“楽しい”と感じるようになってしまったのでしょうか。
 ブリーディングしている皆さん。愛情持って育てることは否定しません。
 でも、自然ではあり得ない大きさに育った虫は、それで幸せなのでしょうか。
〈妖精さん〉
 今度はタヌキ。
〈私が思うに、あいつが事の重大さに気付くには、それこそ恣意的に殺される必要があったのかも、と〉
 私はため息をつきました。
 自分の行為が何を及ぼすか、考える事が出来ない。
 考えてもその重大さに気付かない。
 自分がされる身そのものにならないと判らない(えてして判ったときは手遅れ)。
 人間はその場の満足のみを考えるサルではないはず。
 何も知らない原始の時代を生きているわけではないはず。
 何でも出来る。だからって何してもいいわけではない。
 私は、間違ってますか?

 

昆虫界の大異変/終

妖精エウリーの小さなお話・一覧

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【妖精エウリーの小さなお話】命のバリア

1

 夜の草むら。
 月明かりに照らされて、私は、仔猫たちと遊んでいます。
「こっちだよ。ホラ走って」
 私は肉球可愛い手のひら(?)が、私に触れるのを寸前でかわしながら飛び続けます。
 飛ぶ…そう、私は今飛んでいる真っ最中。
 但し何らかの機械を使っているわけではありません。私自身に飛ぶ力が備わっているのです。
 自己紹介をしておきましょう。
 私の名前はエウリディケ。姿形は人間さんの女性そのもの。
でも背中にはカゲロウのそれに良く似た翅があります。俗に妖精と呼ばれている生き物なんです。
 身長は15センチ。ただ、有名なティンカーベルやケルトのフェアリ…花の妖精と異なり、私の血統にはギリシャ神話のニンフのものが含まれています。ですから体のサイズをニンフ同等…人間サイズに変えることが出来ます。
 そして、仕事も私は花関係ではなく、昆虫や動物たちの相談相手。あ、そうそう衣服は…そうですね、神話の女神様が着ているだぶだぶの白い服、トーガ(toga)を着せてくださいな。
〈すいませんありがとう〉
 言葉にすればこういう感じの“意思”が意識の中枢にパッと訪れます。くれたのは仔猫たちのお母さん。このお母さん、夜道で車に接触し、足を大ケガ。そこで私がお母さんの代わりに仔猫たちの遊び相手を…というわけです。ちなみに、私たちと動物たちとの意思疎通は、このように心と心で直接思念を交わす…いわゆる超能力の一種テレパシーで行います。超能力と魔法…妖精ですのでどちらも標準装備(?)。必要に応じて使っています。
 元に戻って。
「ううん。…しかし二人とも元気ね。私の方が疲れそう」
 私は2匹に代わる代わる追いかけられながら、お母さんにそう答えます。実は仔猫たちの追いかけっこは“狩りの練習”。半分遊びではあるものの手は抜けません。一生懸命、逃げないと。
 でもそろそろ捕まりましょうか。
〈捕まえっ!〉
 お兄ちゃんの方が私に肉球で触れることに成功します。私は“撃墜”されたように草の上に降下。
「負けた~」
〈勝ったー〉
 お兄ちゃん得意げ。
 すると妹さんが。
〈バカじゃない?捕まえさせてもらったのに〉
 つんとして言い放ち、ぷいとそっぽを向きます。それから長いしっぽを一回振ってお母さんの傍らに丸くなり“ねこだんご”。
〈…〉
 お兄ちゃんしょんぼり。
「まあまあ」
 私は小さく笑うと、うつむいて目を潤ませているお兄ちゃんをなだめます。感情の揺らぎが極端というか、感受性が強いのか。
 …誰か来る気配を感じたのはその時です。
〈あの〉
「待って」
 一気に緊張の度合いを高める猫の親子を私は制します。
 それから、ゆっくり、気配を感じた方へ移動。
「はあい。どうしました?」
 尋ねると、草の中からヒキガエル(通称ガマガエル)のお母さんが顔を出しました。
 重大な相談がある…私はすぐに察知します。でも、猫の存在が本能的な怯えを生んでいるらしく、それ以上動こうとしません。
〈妖精さん〉
 呼んだのは猫のお母さん。
「はい?」
〈あの、私達、失礼しますから…〉
「え?そんな、いいよ。私…」
 私は言いかけます。だからって親子がこの場を離れる必要はありません。私がカエルのお母さんと移動すれば済むだけの話。
〈じゃなくて…〉
「え?」
 猫のお母さんは“この子達を見て”という意思を送ってきました。
 私は言われた通り子供達を見ます。すると、遊び疲れたのか、子供達ふたりともお母さんのそばですっかりお眠。
 “遊んでるかと思ったら気が付くと寝てる”…猫を飼ったことのある方は経験ありますよね。
「あらら」
〈ですから。ね〉
「判った。じゃあ送って…」
〈いえいえ大丈夫です。ホラホラ起きて〉
 促されて、子供たち、不承不承体を起こします。
〈ぶー。…まだ眠ったばっかじゃん〉
〈だから帰るの。…妖精さん。どうもありがとう。また…〉
「いいの?本当に送って行かなくて…」
〈ええ。もうこの子達くわえて運ぶ必要ないですから〉
 猫のお母さんは(意思の上で)笑って言いました。
「判った。じゃあまた何かあったら呼んで」
〈はい、それでは…〉
 お母さん。子供たちを急かしながら、草むらを後にします。ちなみにこの一家、この近所の家をあちこちめぐりながら餌をもらって暮らしている、いわゆる“地域ネコ”。家によって呼ばれ方が違う彷徨(さすらい)猫、いますでしょ?
〈…行き…ました?〉
 恐る恐る尋ねたのはカエルのお母さん。
「ええ帰りましたよ。それで?どうされました?」
 私はカエルのお母さんを振り返ります。
 するとお母さんはゆっくり歩いて来ながら…
〈それがですね…私に限らず、私の仲間達みんなに共通することなんですが…〉
 ホッとしたように話し始めます。私はお母さんの方へ歩いて行き、小石の上に座ります。
 と、そこでお母さんは立ち止まって。
〈最近卵が孵(かえ)らないんですよ〉
「は…」
 私は一瞬理解が遅れます。あっさり言われたとんでもないこと。
 そう、それはとんでもないこと。何ですって?卵が孵化しない?
「本当に?」
〈本当です。仲間達みんな言ってます。沢山産んでも孵るのはほんの僅か…これじゃ殆ど育たないよって〉
「それって…。あ、まさか…」
 私は考え込み、そしてハッと思い出します。
 実は…ご存じの方もおいでかも知れませんが、この20世紀末、世界のあちこちで“両生類無尾目”すなわちカエル類が激減中なのです。例えば、毎年春になると集団で産卵するのに、ある年を境に忽然と姿を消した。突然、ある種の卵が孵化しなくなった。エトセトラ、エトセトラ…。
 理由は色々言われていますが、これだというのはまだ見つかっていません。環境変化や水質変化、食物の不足や変成、“カエル”という種族そのものの寿命だという説もあります。ちなみに両生類自体の出現は4億年前。カエル類の出現は1億6千万年前です。
 同じ事例が、このカエルのお母さん達にも、起こっているというのでしょうか。
「あなたの卵もなの?」
〈判らないんです。だからちょっと躊躇があって、遅れて今日産んだのですが…どうなるのか不安でどうしようかと思って。そしたらあなたがいらっしゃって…〉
 その言葉に私はゆっくり頷きました。
 そういうことなら、するべきことは一つ。
「卵の場所へ連れてって」
〈は?ええ。それは構いませんが…でも見てお判りになるんですか?〉
「何か変化があれば感じると思う。だからずっと見てる」
〈ずっと?…ですか??〉
「うん。ずっと」
 驚くお母さんに私は答えました。先ほど書きましたように私には超能力(超感覚)があります。“命”に何か変化があればそれで察知できるはずです。
 だったら、ずっと見ていれば、いつか判る。
〈…それってものすごく大変な気がしますが…判りましたとにかくご案内します。こちらです〉
 カエルのお母さんは言うと、ゆっくりと歩き出しました。
 私はその後をついて行きます。本当はお母さん持って飛びたいところですが、何せヒキガエルは大きさが大きさですから、身長15センチの今の私にそれは不可能。かと言ってこんな住宅街のそばで大きくなるのは危険。
 危険…そう、私たちは人間さんに姿を見られてはならないのです。理由は一つ、人間さんが“妖精なんか存在しない”と決めているから。私たちは人間さんの意思に背くことは許されていないのです。
〈ここです〉
 お母さんの後について歩くこと10分ほど、案内されたのは休耕田に出来た水たまり。
但し深く、周りには水辺の植物が生え、水中には水草も結構目に付きます。恐らく出来てからかなり時間が経っているのでしょう。殆ど“池”と言って良い感じ。
〈それです〉
 示されて水中を見るとなるほど卵があります。ゼリー状のチューブの中に白い粒々が沢山。見たことある方、いらっしゃいますね。
「いつもここで?」
 私は訊きます。見た感じゴミはないし、油が浮いているような様子もありません。産卵場所として不適な感じは皆無。
〈…はい〉
「異変が起き始めたのはいつから?」
〈そうですね。みんなして『やっぱり何かおかしい』と意見が一致したのは去年ですね〉
 その言葉に私は頷くと、今度は水の中、水草の林の奥の方を覗き込みます。
 真っ暗です。が、目を凝らすと黄昏というかセピアというか、そんな感じの色使いでおぼろげながら見えてきます。これも超能力…透視というには大げさですね、暗視と言っておきましょうか。水草に掴まるミズカマキリやミジンコなどの水生生物の姿が見えます。
「水は綺麗なんだ」
 私は言います。これで水質的には全く問題ないことを確認。
〈はい。だから安心してここに産んでいるのですが…〉
 カエルのお母さん、少し困惑したような言葉。
 私は頷きました。確かにこれでは卵に対して不安を持つ方が変です。
「で?みんなの卵っていうのは…どういうふうに…その、なっちゃうの?」
 私は訊きました。卵に生じる異変の内容が考えつきません。これが例えば水質に問題があるなら、汚染物質で卵自体に傷が付く…などと予想できるのですが…。
〈それが私もよく判らないんです。聞いた話だと、翌日見に行くと、あるいは気が付くともうだめ。つまりいつの間にか…そんな感じらしくて〉
「なるほど…」
 私は考え込みました。最も、この問題は世界中の動物学者、環境研究家が取り組んでいるのに明確な答えが見つかっていないもの。
 私ごときがちょっと聞いただけで判らないのは当然と言えば当然。
「とにかく見てみるよ。あなたはいつも通りにしていて」
〈いえ、おつきあいします。他ならぬ私の卵ですもの。あなたに任せっぱなしにするわけには〉
「…でも、いつ終わるか判らないよ。ひょっとすると何日も…かも」
〈構いません〉
「…勧めないなあ」
〈お願いします〉
 私はため息を付きます。この調子では幾ら断っても駄目でしょう。母の責任、そんな言葉が脳裏をチラッと走ります。
「判った。でも無理はしないでね」
〈ありがとうございます〉
 お母さんは言うと私の隣に穴を掘りはじめます。そう、ヒキガエルたちは、昼の間は穴や土の中で過ごし、夜に活動するのが普通。
 お母さん土の中に収まります。
 私はそれを確認すると目を閉じます。眠るのではありません。感覚を“超感覚”のみにして、僅かな変化を探ろうというのです。それは…例えるなら“雰囲気”を感じようと心の目を開き耳を済ます…そんな感じでしょうか。
〈妖精さん?〉
 お母さんがちょっとビックリしたように呟きます。お母さんとはテレパシーで心がつながっていますから、恐らく私の状態(超感覚の鋭敏化…難しい言葉でごめんなさい)が手に取るように判ったのでしょう。
 時間が過ぎて行きます。夜半が過ぎ、月が沈み、夜と言うより朝と言った方が良い時間を迎え。
 陽が昇ります。虫達が動き出し、動物たちが活動を始めます。
 人間さんの生活時間帯になります。学校へ行く子供達、幼稚園の送迎バス。
 竿竹屋さんのトラック。
 その時でした。
「…!!」
 私は感じます。沢山の卵が次々死んで行く。
 まるで悪夢です。何の前触れもなく、突然命がその活動を停止する。
「いやーっ!」
 私は反射的に叫んでいました。身体を人間サイズにし、走り出します。
 人の目も自分の立場も念頭にありません。夢中で池の中に飛び込みます。そして慌てて、掬えるだけの卵を掬ってだぶだぶの私の服で、トーガで包みます。
 生きてる…私が掬った卵は生きてる…。
 だけど…だけど…。
 言葉にしたくない。
〈妖精さん…〉
「判らない。判らない。でも確かに何かが起こった。そして今、生きているのは私が持っている…」
 私は言います。言葉が満足にまとまりません。こんな経験は初めてです。心が動揺しきってしまい、思うままにならない。
 自分で自分の心がコントロールできない。
 ただ判っているのはこの生きている卵達をここに戻してはいけないこと。
 絶対安全なところへ運ぶ必要があること…。
 絶対安全…。
「…」
 叫び出したい気持ちの中、どうにか残っている理性で私は必死に考えます。まず浮かんだのはこのままでは姿を見られるということ。でも、こうして卵を抱えている以上、身体を小さくするわけには行きません。しかしだからってこのままどこかに移動しようとすれば絶対目撃される。
 であるなら。
「ごめん。また後で来る」
 私はカエルのお母さんに向かって言います。お母さんは私の心の状況が理解できないらしく、困惑気味。
〈妖精さん…〉
「この卵は絶対守る!詳しいことは後で話す。じゃ」
 私はそれだけ言うと、妖精の魔法…跳躍の呪文を口にしました。跳躍する先、それは…
「リクラ・ラクラ・シャングリラ!」
 私は星のような輝きと、風船が破裂するようなバチンという音を残して、そこから、消えました。

 

2

 

 どこまでも、どこまでも続くひたすらな草むら。
 遠くの方には所々森の影が濃い緑色で見えています。風がないこともあって周囲は至って静か。少し離れたところでマルハナバチが蜜を集めていますが、その羽音が、心地よい感じで、さっきから耳に聞こえています。
「ふう」
 私はため息をつくと、サラダ用の木のボウル片手にしゃがみ込みました。しゃがみ込んだ手前は小さな池。そしてボウルの中はカエルの卵。
「ここなら大丈夫だから」
 私は卵に言い聞かせるように呟きながら、ボウルの中身を池に沈めます。そう。ここが私の思いついた絶対に卵を守れる安全な場所。しかも、人間さんに姿を見られる心配は絶対にありません。
 なぜなら。
 ここは私の家のすぐそば。
 そして。
 ここは人間さんには絶対に来られない場所。
 フェアリーランド。すなわち…妖精の国と呼ばれる、人間さんには異次元の世界だからです。
 位置的には天国の一部ということになりましょうか。時間の働きが違うのでここのみんなはとても長生き。
 私だってもう既に200年以上生きているのです。そして多分、あと800年は死なない。ケルト(紀元前イギリスに居住した民族)の伝説に出てくる常若の国ティル・ナ・ノーグと似た感じと捉えて下さい。
 説明はこれくらいにして。
「はあ…」
 私はもう一度のため息と共に、ボウルを戻しに家に向かいます。この卵はこれでいい。
 だけど。
 今後の卵はどうしよう。
 それ以前に現象の原因は。解決法は…。
 その時。
〈どうしたんですか?悩める乙女って雰囲気ですけど〉
 ダイニングのテーブルにボウルをコロンと転がしたところで、軽妙な“声”がかかります。
 玄関口に大きな鳥…猛禽。
 近所に住んでるトビ(とんび)の男の子。現在独り立ちの修行中でよく遊びに来てくれます。
「ちょっとジンセイに疲れちゃって」
 私は椅子に座って彼に言いました。私の家は…こういう言い方が適当かどうか判りませんが木造平屋建て。いわゆるログハウス風と捉えていただければ結構です。ただ古い家なのですでに柱も壁も材木が黒光りしてますが。
〈深刻そうですね〉
「まあね。どうやって解決したらいいか皆目見当も付かない」
 すっかり冷めたジャスミンティを一口。
 すると。
〈だったらガイア様に相談してみては如何ですか?〉
 トビの彼があっさりひとこと。
「へ…」
 私は目をしばたたきました。
 ガイア様。ご存じの方もいるでしょう。ギリシャ神話で“大地の女神”として伝わる方で、このフェアリーランドの女神様でもいらっしゃる方です。すなわち

 

 この星、地球の精霊。

 

「…」
 私はしばらく言葉を発せずトビの彼を眺めます。普段一人でいるせいか、誰かに相談するという発想が思いつかなかったのもさることながら、その相手がガイア様というのも思いも寄らなかったこと。
〈一人でどうにも出来なかったら相談すればいいんです。そして判らないことは判るひとに訊く。違いますか?〉
「…そうだね」
 私は彼を見て頷きました。そう彼の言う通り、判らないなら判るひとに訊いてみる、単純なことです。
 そして恐らく…相手がガイア様というのは正しい選択。
 ご存じでいらっしゃるだろうし、
 きっと相談に乗ってくださる。
「ありがとう」
 私は彼に言いました。元気が出てきます。悩む脳は一つより二つ!(ホントかな?)
 彼は嬉しそう。
〈お役に立てまして?〉
「立った立った。うん。ガイア様に相談してみるよ」
〈よかった…エウリディケさんにはいつもいろいろ遊んでもらってるから、たまには役に立たないとね〉
 彼は(心の中で)笑顔を作って言ってくれました。
 さて私はガイア様にアポイントを求めることにします。基本的には王宮にいらっしゃるのですが、何せご身分がご身分で、ここだけの女神様というわけではありませんから、お会いするのは簡単ではありません。
 とりあえず王宮受付にテレパシーで問い合わせ…。
〈OKだよ〉
 あっさり返答。
〈というか予感がおありだったみたい。必要とされているので尋ねられたら教えてっておっしゃってた〉
〈私を?予感されてた?〉
〈だと思う。重要なことなんじゃないのかな。とにかくいらっしゃいよ〉
〈…判った〉
 私はすぐ行くことにします。ちなみに相手の口調が馴れ馴れしいのは私の知り合いだから。私は王宮科学アカデミーの出で、今も研究員として籍を置いているので王宮自体にはちょくちょく行くのです。
「というわけで行ってくるよ」
 私はトビの彼に言いながら家を出ます。ドアを閉めて翅を伸長。
〈いいなあ、透明で長い翅〉
「ふあふあ羽毛の頑丈な翼も魅力的だよ」
 私は言い、彼と共に飛び立ちます。王宮はここから私の翅で20分。
「じゃね。ありがと」
 空中で彼と別れ、太陽を左手に見る方向へ向かいます。
 王宮があるのは山間の湖のほとりです。眼下に広がるのはしばらく草原。
 穏和な眺めに居眠り飛行(!)しそうになるころ、なだらかだった地表が波を打ち出し、やがて前方に山並みが姿を見せます。尾根と尾根の間に進み、森を越え、川に沿って飛び、霧の多い谷を渡って。
 次第に土地が高くなるのを気温の低下で感じます。
 そして、一山越えて着いたのは涼しい風の吹く湖のほとり。
「はあ…」
 私は降り立つと、翅を縮め、水辺を埋めた短い草の中に立って、しばらく風景に見とれます。
 それは緑濃い山をバックに立つ古代ギリシャ風の神殿。
 パルテノンの丘からそっくりそのまま持ってきたような、ため息の出るほど高貴で豪奢な作り。
 これがガイア様の王宮です。ちなみにこの王宮神殿、実際の古代ギリシャのものにはカラフルに彩色がされていたようですが、この王宮は大理石の地肌そのままの白亜の建物です。緑の中に建っているので、あえて色付けしなかったのでしょう。
 息が落ち着いたところで王宮へ歩いて行きます。ちなみに中にはアカデミー付属の図書館や…知っている方は知っている“管理部門”もあるので仲間の一人にも出会いそうなものですが、今のところその気配はなし。
 ごく低いステップを数段上がってエントランスホールへ入ります。中はがらんとしていて、奥の方は毎度のことですが薄暗くてよく見えません。静かに整然と並ぶエンタシスの柱。
「ああ、ディケ」
 背後から声がかかり、私と同じ白いトーガの女性がこちらへ歩いてきます。
 私より年上の“お姉さん”という言葉がぴったりする美人の名はミレイさん。先ほどテレパシーで相手をしてくれた知り合いとはこのひと。
「あのね、ガイア様いつでもどうぞって。ただ“声”だけですけどって」
「判りました」
 言伝に私は頷きます。“声”だけ…すなわち直接はお会いできないわけでちょっと寂しいですが、今日の用事はお会いできるかどうかには無関係。
「こっち」
Baria2  ミレイさんは私を…王宮に二つある回廊の向かって左側、正式呼称東回廊へと先導します。この回廊を通って行く場所はただ一つ、ガイア様の謁見室。
 王宮の最も奥まった場所へ行きます。2回直角に曲がり、外光が入ってこない位置。
 大きな、…観音開き…ですね、日本風の表現をすれば。木製のドアがあります。
 私は立ち止まってドアを見上げます。
〈どうぞ〉
 意志の声がありました。
 ミレイさん私を見て首を小さく傾けます。それは“どうぞお入りなさい”の意。
 私は目で頷いて木のドアに…触れます。
 触れただけでドアは音もなく開きます。中は曇り空の明るさ。但し照明があるわけではありません。
 中に入ります。ドアが閉まり。室内には私一人…。
 音はありません。しんとしています。見回すと…広さはこれも日本的に表現するなら6畳、になるのでしょうか。ふかふかの赤いカーペットが敷かれており、部屋の四隅にはコリント様式の装飾を持つ円柱、天井は円筒の内側のように湾曲していて星座の絵が描いてあります。そして正面、一段高いいわゆる玉座のある位置には、カーテンが下がっていて人の気配はなし。
 ではなく。
〈お待ちしていました。…ご相談がおありとか〉
 気配が生じ、意志の声が私を迎えてくれます。そうガイア様の声。暖かく柔らかな…春の陽射しのようなガイア様のお声。
 しかし。
〈ごめんなさいね。今、別の時空におりますので…〉
 “声”だけはやっぱり正直なところ少し寂しい感じ。
 そこで私は目を閉じます。こうすれば声が聞こえるだけ。何せテレパシーの声は聴覚中枢に直接聞こえますから、とても身近に感じられるのです。
「いえ、お話を伺っていただけるだけで光栄です」
 私は気持ちを素直に言葉にしました。
 するとガイア様は意志で微笑みを示されて…。
〈そう言っていただけると気持ちが軽くなります…〉
 という言葉と共に、私に相談内容を意志でお尋ねになりました。
「はい…」
 私は答えて…記憶と気持ちをガイア様にお見せします。
 ガイア様はそれをご覧になりました。
 そして。
〈…判りました。それはちょっとすぐに判る内容ではありませんね〉
「はい」
〈では…そうですね。あなたがお思いのように、環境に要因があるなら、それなりの装置で調べてみればよいと思いますがいかがでしょう〉
 それを聞いて、私は思わず目を開いて玉座を…姿はないのに…見てしまいました。
「装置…ですか?」
〈ええ。こちらです〉
 言葉と共に“下を見て”という示唆。
 私は真下の絨毯に目を向けます。と、手のひらサイズの手帳のような平たい機械。
 コンピュータ。
「へ…」
 私はそれを手に取ります。蓋を開くと液晶画面とキーボード。やはり小型のコンピュータです。
 そして画面の表示によると、この中には環境に関わるあらゆる“標準値・自然のままのデータ”が収められており、測定する環境で標準から外れるデータを検出すると警報を出すとのこと。
 もちろんコンピュータですから、使う側の工夫次第で他にも色々応用可能。
「なるほど…」
〈それで調べてみては如何でしょう〉
 ガイア様はおっしゃると、私が返事をする前に気配を消されました。
 ガイア様、ありがとうございます。これを使ってみることにします。

 

3

 

 その晩。もう夜明けに近い頃。
 私は再び、カエルのお母さんが卵を産んだ池に来ました。
〈妖精さん〉
 同じお母さんが私を見つけて声を掛けてくれます。そして傍らには別のお母さん。
「こんばんは、初めまして。エウリディケといいます」
 私はもうひとりのお母さんに挨拶しました。そして。
「あのね…」
 と、生き残った卵の処置について、ふたりにテレパシーで伝えます。そして別のお母さんには、今日は一旦産卵を待ってもらうか一時的に同じ処置にして、原因と対策をきちっと施してから安心して…。
〈ああ。それなら彼女、さっき自分の卵を…〉
 先のお母さんが言いました。
〈はい…〉
 もうひとりのお母さんが頷きます。お母さんは更に。
〈それで…彼女から聞いたんですけど…異常について調査なさってらっしゃるとか?〉
「うん」
 私は頷くと、借り受けた文明の利器を袖の中から取りだしてふたりに見せました。
「異常検出装置」
〈はあ…〉
 ふたりはまるで蒸気機関車を初めて目にした幕府の役人みたいな顔。
〈それで…判るんですか?〉
 と、もうひとりのお母さん。
「私ひとりよりはマシだと思う。とにかくこれで調べてみたい」
 私は言いました。ちなみに画面を開くと…びっしり並んだ文字と数値の中に、恐らく排気ガスの成分でしょう。難しい名前の物質が検出されていますが、異常な数値ではありません。
〈私の卵で調べていただけますか?〉
 もうひとりのお母さんが言いました。
「え…」
〈みんなのためです。ひょっとすると私の卵は全滅かも知れない。でもみんなの卵がダメになるよりはずっといい〉
「そんな…いいよ。これで一日の大気の成分調べるだけだから。あなたの卵はまだ産んでいなかったことにして私が…」
〈それではいけません。私のだけなんて不公平です。それに、機械の反応と卵の反応は違うかも知れない〉
 もうひとりのお母さんは言うと、私の傍ら、土のくぼみに身を丸めました。
〈そうそう。さあしっかり見届けましょう〉
 それを見て先のお母さんも土を掘り始めます。どうやらふたりとも何を言っても聞く耳を持たないみたいです。仲間の、種族の将来のためなら。

 

 “母親”てなんて強いんでしょう。

 

「…判りました。でも」
〈判ってます。無理はしません。時間がかかるようなら彼女と交代で見に来ますよ〉
 先のお母さんが掘った穴に入りながら言いました。
 ふたりと一緒に監視を始めることにします。機械があるので身体を小さくすることは出来ません。高い草の間にしゃがんで、コンピュータにデータの記録を開始させます。ちなみにこの装置、画面に出てきた説明によれば“標準値を越えたり下回った場合、警告音を出す”とあります。私はデータの異常はコンピュータに任せることにし、昨日同様目を閉じ、超感覚で命の変化を追いかけます。
 時間が経過。
 夜が明けます。確か昨日変化が生じたのは、朝と昼の中間、10時くらい。
 私は待ちます。人間さん達の生活の音。
 行き過ぎる幼稚園バス。
 子供達を送り出したお母さん達がそれぞれ家に向かいます。
 その時でした。
 コンピュータがブザー音を発します。
 警告!
「えっ!」
 卵に異常はありません。私は何ごとかと慌てて画面を見ます。
 すると。
 “異常値観測・UV”
 UV…UltraVaiolet(ウルトラバイオレット)。
 紫外線。
「…」
 再び警告音。今度は前よりブザーが長い。
 途切れる。少ししてまたブザー。もっと長い。
 以降、だんだんブザーの鳴る時間が長くなり、途切れる時間が短くなります。
 そしてついには鳴りっぱなし。
「…」
 私はそれから一つの可能性…疑いと言うべきでしょうか…を抱きます。
 それはそう、この池で生じた、“卵が孵化しない”事件の犯人がこの紫外線ではないかということ。
 実は紫外線は生物にとって無害ではありません。エネルギーが強く、細胞の奥まで入り込み、細胞の最も重要な部分、遺伝子を破壊してしまいます。これにより細胞は正常な分裂が出来なくなったり死んでしまったりします。このため、生物たちはその対策と言える機構を進化論的に獲得していて、例えばカエルの場合、光分解酵素という酵素で紫外線の影響を抑えているのですが…。
 こうした、自然に得た防衛機構が効力を有するのは、自然のままの、すなわち、“標準的な”紫外線に対して。
 ご存じの方も多いと思いますが、現在地表に降り注ぐ紫外線量は着実に増加しています。これは、地球自身が大気の中に持っている紫外線吸収層…オゾン層が破壊されつつあるせいです。
 なおかつ、現在…すなわち20世紀末は、11年周期で訪れる太陽活動が最も活発な時期にあたります。すなわち太陽自身が放射する紫外線量も増えているのです。
 オゾン層…言うなれば地球が用意した“命のバリア”が薄くなったところへ、紫外線が増加する。
 全地球規模で起こっている“カエルの激減”と、全地球規模で進んでいる命のバリアの破壊。
 両者を結びつけるのは、早計でしょうか。
「…」
 程なく私は昨日と同様、卵の成長が次々停止してゆくのを感じ取ります。
〈妖精さん、ダメですよ〉
 思わず立ち上がった私を制したのはもうひとりのお母さん。
〈あなたのお気持ちはとても嬉しい。でもそれはあなた達に許されてはいないはず〉
 その言葉に、私は意に反して足を大地に釘付けにされた気分になります。
 お母さんの言う通り。私は卵を救い出したい…しかしそれは許されない。
 なぜなら、オゾン層破壊は意図的になされたものでないから。
 確かに人間さんの活動に起因した現象かも知れません。しかしそれは破壊を意図した活動の結果ではないのです。人間さんは人間さんで、暮らしを豊かに、生活を楽にしようとしただけ。それは生き物として当然の意識であって。

 

 すなわち、それも、自然の成り行きの一部。

 

 そういう場合、私たちは手を施すことは許されないのです。なぜならここはフェアリーランドではない。
 人間さんの住む世界。
〈妖精さん〉
 もうひとりのお母さんが続けて言います。
〈あなたが今考えているように、卵を運んでくださるのだとしたら、あなたは種族全ての卵を運ばねばなりません。私たちは種族の繁栄のために生きているのであって、私の卵だけが助かって欲しいのではないのですから…〉
 私はゆっくり頷きました。
「ごめんなさい…」
 思わず口をついて出る言葉。すると先のお母さんが。
〈どうしてあなたが謝るのですか。あなたは私たちのために可能な最大限をしてくれました。私たちはそれをとても嬉く思います〉
 その言葉に私は思わずお母さんを見ました。
「でも…」
〈私たちはオゾン層がどうのという難しいことは良く知りません。でも、人間さん達はそのことに気付いているのでしょう?卓越した技術でここまでの世界を作り上げた種族です。きっと何とかしてくれますよ〉
 慰めてくれてる…私は気付きます。恐らく、お母さん達には私が今思っていることが見えているのでしょう。
 すなわち。
 オゾン層が形成されたのは6億年前であり、地球が生まれてから実に40億年もの歳月を要していること。
 未だ科学で制御不能な大自然が、それだけかかって作り上げたものが、科学の力で簡単に元に戻るとはとうてい思えないということ。
 悲観するなと言われても、希望は持てない。
 と、思った。
 その時、でした。
「あ」
 私は、もう一つの解決の道が突如示されたことに気付きました。
 そこに目を向けます。それは、死滅してしまったと思われた卵の塊。
 その中に、わずかはありますが、この強力な紫外線が降り注ぐ環境下でも生き延びているものがあるのです。
 それは、葉っぱの下に入っていたとか、そういう偶然の産物ではありません。この紫外線を受けながらもしっかり耐え、生まれ出るための細胞分裂を続けている個体があるのです。
 もう一つの解決の道。
 それは地球生物、DNAを遺伝に使う生命体特有の現象。
 “突然変異”。
 すなわち、“進化の予兆”。
「…」
 私は涙でも出そうな気持ちでその認識に頷きます。そう。生物がこのように多種多様に分化・進化し、地球のどこにでも住み着けるようになったのは、この突然変異がもたらす“進化”という能力のゆえ。
 過去幾度となく訪れた“大量絶滅”の危機を乗り越え、この地球を“生命満ちあふれる星”にしたのは、命が持つ進化の力。
 他ならぬカエル達だってそうです。白亜紀末の大絶滅、度重なる氷河期…彼らはそれらをくぐり抜け、ここにこうして生きている。
 なら、多分…
「頑張ってる…」
 私は呟きます。そして涙を引っ込めてゆっくり深呼吸します。
 諦める必要はない。
 そう多分、いいえ恐らくない。
「命の潜在能力に任せてみようか」
 私はお母さんの達に向かって言いました。
「命は…そう、思ったよりも弱くない。だから、今、あなた達の種族は減り続けてるけれど、なくなることは絶対にない。一時的に少なくなったり消滅する種もあるかもしれないけれど…。
 また、そこから増え続ける。実際、あなた達の種族は幾度も訪れた大量絶滅の危難を乗り越えてここにこうして生きている」

 

「だから、大丈夫」

 

 私はお母さん達と共に、私自身にも言い聞かせるように言いました。
 命は強い。
 その旺盛な環境適応力が有効に作用するうちは。
 だから、望みは捨てなくていい。
 命という名のパンドラの箱にも、“希望”は最後まで残ってくれている。
 私は、それを信じたい。ううん、信じていい。
 命は常に進化している…。

 

命のバリア/終

妖精エウリーの小さなお話・一覧

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【妖精エウリーの小さなお話】枯れ葉の森の小さな事件

 11月。
 山の斜面に広がる森は、敷き詰められた枯れ葉がまるでカーペットのよう。
 そして、枝だけになった木立の間からは、青く、高く、澄んだ空が、遠いところまで、ずっと、ずっと続いています。
 そんな、良く晴れた日。もうすぐ夕方かな、くらいの時刻。
「ね。何してんの?」
 かわいい声が後ろから掛かったその時、私は、木の幹にあいた穴に、上半身を突っ込んだ状態でした。
 その瞬間の率直な感想は“しまった!”。…というのも、本当ならそういう場合、逃げるか消えるかしなくちゃいけないからです。でも、体勢上、それはちょっと無理。
 仕方ありません。とりあえず身体をそこから出すことにします。肘を使ってずるずる下がって。
 穴の入り口に手を掛けてぶら下がり、振り返ります。
 すると、私を見つめる、好奇心の強そうな、黒く輝く大きな目。
 小学校の2年生くらいでしょう。黄色い帽子にスモックを着、小脇にスケッチブックを抱えています。そして、スモックの下からは、高級そうな生地で出来たブレザースカート。
 どこの私立校でしょうか。ショートカットの女の子。
「ねえ」
 彼女はその黒い瞳に、白い服の私を捉えたまま、もう一度尋ねます。この時、彼女が“夢か幻”とでも思ってくれれば、私としても“夢か幻のように”消えることが出来たんですが、彼女はそのようには思っていません。
 まるで、図鑑でしか見たことのない鳥に出会った、そんな感じで私を見てます。
 それはつまり、私が何か判っているということ。いつか会えると思っていてやっぱり会えた、そんな風に思ってくれてるということ。
 しょうがないな…私は少しの間、彼女の好奇心に付き合ってあげることに決めます。もちろん掟破りで、“管理部門”にバレれば大変なことになるんですが、ここで消えたら多分彼女泣いちゃうでしょう。私も分類上は女の子のなれの果てですので、そっちの方がイヤです。
 私は笑うと、
「ん?ちょっとね。これ、リスの巣なんだけど、ちゃんと冬に向かって食料持ってるかなって」
 私は答えます。すると、女の子は瞳をそれこそ星のようにキラキラと光らせ、スケッチブックを枯れ草の上に置き、私に向かって右の手のひらをそっと出しました。
「妖精さん、だよね」
 ささやき声。
「そう」
 私は答えて女の子の手のひらに乗りました。その通り。私は人間さんと同じ姿の違う生き物、妖精です。今の私の身長はわずかに15センチ。
「ホントにいたんだ」
 嬉しそうな彼女に私は笑顔で頷きます。それでは自己紹介。
「私はエウリディケ。あなたは?」
「佐藤郁子(さとういくこ)」
 女の子は答えます。そして、左手の小指を、握手のつもりでしょう、私の前にそっと出します。
 私はその指を両手で掴んで握手みたいにシェイクします。まあ最も、私の場合妖精といってもギリシャ神話のニンフに起源を置くタイプなので、人間サイズになって普通に握手することも出来るんですが、郁子ちゃんのイメージはティンカーベル的“小さな妖精”…イメージを壊すのは可哀想です。
「可愛い」
 郁子ちゃんは私を載せた手のひらを、壊れ物でも扱うみたいにそっと動かし、目元に近づけてじっと見つめます。私も私でバレリーナみたいに彼女の手のひらでくるりと回転。
「あ、髪の毛長いんだ。綺麗。わあ、翅(はね)、ホントに翅持ってる。若草色なんだ」
「私のものはね」
 私は翅を彼女の指に触れさせて答えます。クサカゲロウのによく似てる、と言えば、判る人には判るでしょう。透明で細長く、緑がかっていて、葉脈のような細い筋がたくさん。
「温かいんだ」
「血の透明な成分が流れてるからね。でも、ノースリーブで腕出してるみたいなもんだから、寒い時は縮めちゃう」
「へえ…。あ、ねえ、この服なんて言うの?この…女神様みたいな白くてだぶだぶの」
「トーガ(toga)だよ。動きやすくていいよ。簡単だし」
「ふーん」
 郁子ちゃんは答えます。そしてその目がだんだん、細かいところまで見ようという観察者のそれに変わってきます。
 彼女の手がスケッチブックに伸びました。
「ね、モデル…やってくれない?」
「え?」
 私は目を瞠ります。妖精を、しかも本物をモデルに使うなんて話はおそらく史上初。
「だめ?」
 予想外のことに私が驚いていると、郁子ちゃん、拒否されたと思ったのか、ちょっと悲しげ。
 私は慌てて笑顔を作って。
「いいよ。いいけどね。本当にいいの?写生でしょ?怒られない?」
 私は言います。そしてずっと右の方、斜面のもっと下の方を見ます。そこには彼女と同じ格好の子供たちがいて、スケッチブック広げてわいわいやっています。
 私はそのことは知ってました。だから、まさかここまで来るだろうとは思わなかったんです。それで普通に“仕事”してたら郁子ちゃんに見つかっちゃったと。
「いいよ。どうせ郁子の絵、変だっていつも怒られてるから」
 郁子ちゃんは唇をとがらせ、ちょっと膨れて言うと、手にしたスケッチブックをぱらぱらとめくります。そして何枚か、着色の終わった絵を私に見せてくれます。
「ホラ、変でしょ」
 ところが。
「…へえ」
 私はそう言ったっきり、少しの間言葉を失いました。
 だってその絵は、変どころか、郁子ちゃんが大変想像力豊かな女の子であることを物語っていたからです。それはたとえば、どこか遠い、寒い国の氷のお城。森の中で秘薬を探す魔法使いの女の子。私から見ても妙にリアルな妖精。
 そういったモチーフが…技法は良く知りませんが大変緻密なタッチで文字通り“描写”されています。
 思わず見つめてしまう。そんな感じ。
「素敵…」
「ありがと」
 郁子ちゃんは小さく笑いました。でもすぐに笑顔は消えて。
「私はさ、『描きたいもの描きなさい』って先生が言うから、描きたいもの描いたんだよ。そしたら『もっと普通の描きなさい』って。そんなのあり?」
 郁子ちゃんは膨れました。なるほどなあと私は頷きました。昨今のガッコーキョーイクとやらは“個性の尊重”を声高に叫ぶ一方で、“違いを目立たすことはコンプレックスの発生やいじめに繋がる”とか言って、なるべくみんな同じになるようにしているそうです。具体的には、運動会の競争をやめたり、通知票への学習進度の記述を中止したり。
 でも、これは要するに相反することを同時に行おうとしているわけで、当然、その矛盾はどこかに出てきます。そして多くの場合、優先されるのは“みんな”の方で、郁子ちゃんのような本当の個性が潰されることになりがち。
 オトナの皆さん。大事なのは違いを出さないことじゃなくて、違いを認識したらそれにどう対処すべきか、ではないですか?
「でもいいんだ。私怒られても描くもんね。だってこーゆーの描いてる方が楽しいもん。みんなと同じなんて。描きなさいと言われたの描くなんて、全然面白くない」
 郁子ちゃんは言いました。ということは、私のいる方まで来たのは、描いてる時に先生にとやかく言われたくないからでしょう。
「じゃ、いい?」
 郁子ちゃんが言います。そしてスケッチブックをもう一度めくり、新しいところを出して鉛筆を用意。
「始める?」
「うん。とりあえずその辺立ってみて」
 私は、郁子ちゃんが指先で“その辺”と指示した辺りに立ちます。
「何かポーズ取る?」
「ちょっと待って。…枯れ葉だらけのところにひとりでいると寂しい感じなんだよね…リスか何か隣りに描こうかな」
「呼ぼうか」
 郁子ちゃんの言葉に、私はそう提案しました。
 すると、今度目を瞠ったのは郁子ちゃんの方。
「呼ぶって…リスを呼べるの?」
「もちろん。妖精ですから色々魔法持ってますよ」
 私は答えます。そして、首に掛かっている金のチェーンをたぐると、さっき穴の中で引っ張り出せなかった、青い石のペンダントを手に取ります。
 それはいわゆる“魔法の石”。仕組みの説明は…理屈っぽいからやめましょうね。
「ちょっと待ってね…」
 私は青い石を手に目を閉じます。さあ、一緒に想像してください。空に浮かぶように視点の高度を上げます。山の周辺一帯が見えるくらいまで。
 すると…すぐに見つかります。場所はコナラの木を6本離れた、コンクリート舗装の登山道の向こう。ゆっくり進むリュックサックの老夫婦を、木の根元に身を隠してじっと見ているシマリスが一匹。
 私は想像の視点から、そのリス君をじっと見ます。
 そして。
〈ねえ、悪いんだけど、頼みたいことがあってさ。ちょっと来てくれない?〉
 と、心の中で言葉を紡ぎ…、最近はテレパシーと書くだけで意味が通じるんですよね。
〈はい。ああ、妖精さんですね。いいですよ。どこです?〉
 私は私達のいる場所をイメージの映像で教えます。
〈ここ〉
〈判りました〉
 リス君走り出します。私達妖精に呼ばれた場合、大抵の動物がこうした反応を示します。これは私達の仕事が基本的に彼らの相談相手で、たまに命を救ったりすることもあるので、彼らとしても妖精の要請(シャレじゃありませんよ)にはなるべく応えたい、という意識があるみたい。
 と、程なく、リス君が枯れ葉の上をカサカサ言わせながら、全力疾走でこちらへやってきました。
「あ、本当にリスだ。へえ」
 郁子ちゃんが驚き半分、感心半分でリスを見ます。
 そこで私は魔法の石に太陽の光を受け、郁子ちゃんのおでこにキラリと反射。もちろん小細工。
 リス君が私達を見付けて止まりました。
〈で、なんです?ゲ、人間の女の子じゃないですか〉
〈そうだよ。お友達だもん〉
〈いいんですか?〉
〈いいんですよ。それでね、頼みたいのは、私と一緒に、彼女が絵を描くモデルをして欲しいってことなの〉
 私の言葉に、リス君、立てていたふさふさの尻尾が“呆れました”とばかりに地面にパタリ。
〈何を言い出すかと思ったらよりによって何たることを〉
〈いいじゃない。減るもんじゃなし。ちょっと協力してよ。世界唯一だと思うよ〉
〈だめですよ。私エサ集めてる最中なんだから〉
〈そこを何とか。ね〉
〈勘弁してください。知ってるでしょう。今年天候不順で木の実少ないんだから。なるべく時間の許す限り探したいんですよ〉
 リス君必死です。確かに彼の言う通り、この年は、暑い、雨多い、加えて秋になっても夏のまま、という全くの天候不順で、ドングリなどの木の実は不作。
 おかげで冬眠する動物たちは大苦労。特に身体の大きなクマなんか、“ついうっかり”人間さんの村や町にエサ探しに行ってしまったりして、私達も大変です。
 私がリスたちの巣を回っているのもそのため。
 だから。
〈…お願いですから勘弁してください。他の妖精さんに言いつけちゃいますよ〉
〈タダとは言わないからさ〉
 解放されたくて焦るリス君に私は言うと、だぶだぶトーガの袖口に手を入れて、ドングリを一個取り出します。
 そして右手に持って彼に見せます。
〈これでもダメ?〉
 リス君、一瞬目の色変化。
〈買収…ですか?〉
 私は頷きます。そしてそれを見て郁子ちゃんがくすくす笑い。
 実は、私達のテレパシーの会話は彼女に筒抜けになっています。先ほど彼女に光を当てた小細工はそのため。
〈…いやいやダメです。本当に今年は探すの大変なんですから〉
 リス君去りかけます。そこで私は、手品の手法ですかさず2個目。
〈う…。でもウチでカミさん待ってますし…〉
〈あと、あっちの木のウロにクリのイガが隠してあったりするけど〉
〈判りましたやりましょう〉
 リス君はコロッと言葉を換えて私を見ました。さっき、言いつけるとか何とか言ってましたが、本当は動物たちだって人間さんと遊ぶことそのものは嫌いじゃないんです。
 郁子ちゃんは大笑い。
「ゾーシューアイ事件だね」
「新聞社に売り込む?」
〈本当にイガもらえるんでしょうね〉
 リス君、私達の方に近付きながらちょっと心配げに訊きます。
〈もちろん。これ終わったら巣まで持ってってあげるよ…はい、とりあえず前渡し金代わりにこれあげるから、怪しいお金は頬袋の中にしっかり隠す〉
 私は手にしているドングリを先に彼にあげることにします。私が差し出し、リス君が近付き、そして私から受け取ろうと小さな手…前足を伸ばします。
 その瞬間。
「ちょっと待って。そのまま」
 ピンと来るものがあったのでしょう。郁子ちゃんは私達を止め、スケッチブックに鉛筆を走らせ始めました。
 その時の彼女の変化と言ったら驚き以外の何ものでもありません。少し前まで楽しそうに笑っていた女の子が、何も言わず、息もしていないかと思うほど張りつめた面持ちで、一心不乱に鉛筆を走らせているのです。特に違ったのは目の色。出来るだけ詳細にディティールを切り取り、それを克明に描写しようとするせいでしょう。力のこもった視線は目が合うとたじろぎを覚えるどで、まさに“画家”の目そのものです。
 鉛筆の走る音が聞こえること大体5分。
「こんなもんか」
 郁子ちゃんが言い、ニコッとした女の子の顔に戻って、スケッチブックを私達に見せます。
 そしたら。
「!」
 私は、息を呑んでしまいました。
 それは確かにリス君と私です。しかも、輪郭を鉛筆で描いてある、というのじゃなくて、陰影の間に私達の姿が浮かび上がっているのです。
 輪郭とは面と面との境目、だから輪郭自体は線ではない…。理屈っぽく言うとそういうことを、郁子ちゃんはちゃんと知っているのです。
「すごい…他に表現思いつかないけどすごいよ。自信もっていい。この方向で頑張っていい」
「そうかな」
 郁子ちゃん、ちょっと照れた感じ。
 と、その時。
 ピーというホイッスルの音が聞こえます。そして、「集まってー」という、先生でしょう、女性の声。
「あーあ。彩色するヒマないや。見てもらいたかったのに」
 郁子ちゃん。スケッチブックを閉じて立ちます。そして私を見て。
「また会えるよね」
「うん」
 私は答えました。ただ、正直言って私はもう一度会えるという予感はしません。でも、彼女の目は信じているんです。今日会えたように、また会える、と。
 だから、私は頷きました。
「今度学園祭で展示するんだって…それには間に合わすから…」
 そこで先生の佐藤さーんと言う声。
「はーい行きます。…見に来てね。今日はありがとう。リス君もね」
 郁子ちゃん、私達に手を振って走り出しました。
 その後ろ姿に、リス君がホッとしたようにため息。
〈終わり?〉
〈うん、もういいよ。ごめんね、ありがと〉
〈いいえ。じゃ、忘れないでくださいよ…あ、日暮れまでまだあるな〉
 リス君は言うと、まだ木の実探しをするのでしょう。走り出して行ってしまいました。
 さあ私も行動です。日暮れまでに彼にクリのイガを届けないといけません。ちなみに人間の皆さん。もし、木のウロに木の実がいっぱい詰まってるのを見つけても、持って行かないでくださいね。それは多分、私の仲間が、動物たちにあげるために、町中に落ちてるのを拾って集めたものですから。
 その時でした。
「?」
 走っていった郁子ちゃんが立ち止まったのです。
 そして引き返してきます。忘れ物か何かでしょうか。
 私を見付けて笑顔。
「ああ、良かった。まだいてくれて…あのね」
 郁子ちゃんは言うと、スカートのポケットを探って何か出しました。
 それは青いちょうちょの形をした、小さな髪飾り。
 裏はクリップになっています。恐らく、髪の毛を少しまとめて、そのクリップを噛みつかせて使うものでしょう。彼女の小指の先に乗るような、本当に小さなものです。
「あげる」
 郁子ちゃんは言って、私にそれを差し出しました。
 私はびっくり。
「いいの?」
「うん。モデルしてもらったし。あなたならちょうどバレッタになるでしょ?」
「でも…郁子ちゃんのお気に入りじゃないの?」
 さもなければ持ち歩いたりしません。
「もう一個あるもん。あなたとお揃い」
 郁子ちゃんは手のひらを開き、緑色のを見せてくれます。
「それに、こうすれば、また会えるかも知れないしさ。おまじない」
 そこでちょっと怒ったような先生の声。
「じゃね」
 郁子ちゃん。今度こそ、振り返らず、立ち止まらず、走ってゆきました。

 その後、彼女が彩色した絵を、私が見る機会は結局ありませんでした。
 もちろん、会いに行こうと思えば行けたのです。でも、それを実行に移せば、今度こそ“大変なこと”…即座に管理部門によって人間さんの世界から退場ということになったでしょう。というのも、私は彼女に会って程なく、700キロも離れた別の場所に移るよう命じられているからです。それは恐らく、管理部門が私と彼女の出会いを本当は知っており、彼女の心情に配慮して、罰則軽減で済ませてくれただけに相違ありません(まあ、私にはもう少々“前科”があるのですが)。
 ちなみに、ここまで厳しい掟がある理由ですが、それはこうです。人間さんが“私達のような存在を認めない”、と決めたから。人間さんの決めたことに私達がとやかく言う権利はないのです。

 そして、21世紀に入って数年。
 私はある街のデパート外壁で、こんな大垂れ幕を見ました。
 “現代アートの超新星・佐藤郁子展示会”。
 小さな、緑のちょうちょの髪飾りをつけた、彼女の写真と一緒に。

Kareha2

枯れ葉の森の小さな事件/終

inspired from "KITANO JUNKO"s celestial art.

妖精エウリーの小さなお話・一覧

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【妖精エウリーの小さなお話】若きフェアリーテールの悩み

前編

 5月の終わり。
 朝もやの池のほとりで、私はトンボの一種、ギンヤンマの羽化を見ています。
 羽化…すなわち、これから翅を持った一人前のトンボに、成虫になるための脱皮です。
「頑張って」
 私は“彼”に話しかけます。彼は今、新しい身体で、幼虫体(ヤゴ)からのけぞる形でぶら下がっているところです。ちなみに…当然のことながら彼は人語を理解しません。だから同時にそういう“意志”を彼に送っています。
 心と心の直接の意志疎通…いわゆるテレパシーですね。
〈しんどい!〉
「だからここにいてこうして励ましておるのでしょうが…待って風が来る」
 私は苦しげに腹部で息をする彼を制します。これから彼はのけぞり状態にある身体を起こし、自らの脱いだ幼虫の殻に掴まって、翅を伸ばすのです。
 しかしその作業が極めて危険。ヘタをして落ちたりすれば、翅を伸ばすことに失敗し、飛べなくなってしまうこともあるのです。
 だから私は彼に動くなと指示したのです。気流が池を渡り、彼が掴まっているガマの草本がゆらりゆらりと大きく揺れます。
〈わ…わ…わ…〉
「耐える。大丈夫。危険になったら私が手を出す」
 私は立ち上がり、トーガと呼ばれる古代ローマの白い衣服の肩ひもを緩めます。そして…彼のものとよく似た背中の器官、翅を伸ばします。
 そう翅です。私は外見上は人間の女性と同じですが人間ではありません。今の私の身長はわずかに15センチ。
 妖精と呼ばれる生き物だと言えば判ってもらえるでしょうか。
〈エウリディケさあ~ん〉
「弱気な声出すんじゃないの。ちゃんとすぐ飛べるように待機してます」
 私は言いました。私の名前は彼が言いました。自己紹介終わり。
 その時です。
「ん?」
 私は背中に幼い視線を感じて振り返りました。
 女の子です。ただし彼女も人間さんではありません。もし彼女が人間さんだったら、私は逃げるか消えるかする必要があります。しかし幸いにも(?)、彼女はそうではありません。
 私達の親類…ちょうちょ型の翅を有した、ケルトの民話で有名な妖精、花のフェアリです。どうも私のことを…詳しいことは判りませんが、“話しかけたいけどどうしよう”そんな気持ちで見ています。
「おいで」
 私は女の子に話しかけます。木の陰からじっと見ているつぶらな瞳。ちらりと見える白い翅。
「いいの?」
「もちろん」
 笑顔を作って私は答えます。すると彼女は背中の翅をパタパタ動かし、こちらへ飛んできます。この時点で、私にはテレパシーにより、彼女について少々のことが判っています。
 すなわち、どうも彼女は深刻な悩みがあり、相談に乗ってくれる存在を捜している様子。
 彼女が隣にふわっと降りました。思った通り幼い子で…人間さんなら6歳くらいに相当するのでしょうか。本当の年齢は知りませんが。
「…」
 彼女がしゃがみます。しかしうつむいたまま何も言いません。どうも遠慮しているようです。
 こういう場合、こちらから訊いたり、急かして言わせるのは私の趣味じゃありません。彼女が私を“相談するに足る相手”と判断すれば、自発的に話してくれるでしょう。私はとりあえず、彼女の手だけ握っておきます。
 彼女が私を見ました。
 風が収まります。
「いいよ」
 私はそこでトンボに指示を出します。すると彼が気合い一閃、その細長い身体を起こすことに成功します。
「ホラ、うまく行った」
 私は思わず笑みを作りながら言いました。これで一安心、私も翅を用意しておく必要はありません。
「後は翅が伸びるだけだね。陽が昇るくらいには何とかなるか」
〈はい。ありがとうございます〉
 彼が答えます。この後、彼の濡れて縮んだ翅は、透明で長い、見慣れたトンボの翅に時間と共に変わって行くことでしょう。
 その時。
「…」
 傍らの彼女が何か言いました。
「なあに?」
「いいな」
 ボソッと、うらやましそうな一言。
「どうして?」
「なんで…あたしうまく行かないんだろう」
 彼女、目を伏せてしまいます。しかもその瞼がだんだん赤くなってきて…。
「一生懸命やってるのに、どうして…」
 目の中に輝きが一杯。…ああ泣かないで。
 しかし。
「…!」
 もう相当に長い間、誰にも何も言えずに感情を押さえ込んでいたのでしょう。彼女は全ての抑制が外れたみたいに泣き出してしまいました。
 あまり描写したくないので、私は彼女をしばらく抱っこしていた、とだけ書いておきます。その間に、ギンヤンマは翅をすっかり伸ばし、初夏の空へと飛び立ちました。
 ようやく彼女が落ち着いてきたのは、ミツバチたちが飛び始める時間帯になってから。
 柔らかい風の中で、彼女がゆっくりと顔を上げます。
「いきなり泣いたりしてごめんなさい…でもお姉ちゃん優しかったから…なんか安心しちゃって」
 真っ赤な目で彼女。
「そんなことないよ。どうしたのかなと思っただけ。私はエウリディケ。あなたは?」
「アイリス…」
 女の子は答えます。で、続けて何か言いかけますが結局それきり。
 まだ遠慮があるみたいです。私はもう少しリラックスしてもらおうと思い、近くに来たミツバチに手招きしました。
 ハチが飛んできます。そして私の前でホバリング…空中静止の状態…になったところで頼み事。
〈なんでしょう〉
「ごめん、ローヤルゼリー余ってたらちょっと…」
〈いいですよ。持ってきましょう。レンゲで作ったものですから栄養満点ですよ〉
 人間さんならさしずめ“OLさん”といったところになるのでしょうか。ベテランという印象の働きバチが答えて、巣に戻って行きます。
 そして程なく、今度は2匹で飛んできました。それぞれ口にはローヤルゼリー…要するに女王バチ向けの蜂蜜ケーキみたいなもの…をくわえています。
〈二つでよろしいですか?〉
「うん、どうもありがとう」
 私は2匹からローヤルゼリーを受け取り、ひとつアイリスちゃんにあげます。白くて…人間さん向けに表現するならお餅みたいな感触。
 ハチたちが飛び去ろうとします。
 その時でした。
「あ、待って」
 立ち上がって2匹を呼び止めたのはアイリスちゃん。
〈なに?〉
「あの…向こうに…シロツメクサ咲いてるから…」
 ローヤルゼリーのお礼なのでしょう。アイリスちゃんはちょっと恥ずかしそうに言いました。ちなみに、シロツメクサはご存じクローバーのことで、地面一杯に広がって群生し、小さい花が幾つも集まった構造の、白い花を咲かせます。
〈あ、そう。あれやっと咲いたの…おかしいなとは思ってたのよ。今年は全然咲かないから…どうもありがとね〉
 ミツバチたち、言うと飛び去りました。
 それを見送ったところで、アイリスちゃんが元通り腰を下ろしてため息。
「そう…。ホントはもっと早く咲くはずだった…でも、あたしのせいでどうしても咲かなくて…結局昨日仲間にやってもらった…」
 アイリスちゃんは遠い東の方を見たまま、話し始めました。
 さて、ここで彼女の話を理解していただくために、私達妖精が普段何をしているか、書いておこうと思います。まず、彼女たちフェアリの仕事は、端的に言って“花を育て、咲かせること”。具体的には「育ってね、きれいに咲いてね」と花に話しかけ、それにより花に生命力を与えることです。
 一方、私達はギリシャ神話の自然の精霊、ニンフに起源を持ち、その仕事は動物や昆虫の相談相手をすること…例えばギンヤンマの彼の場合、羽化するのに一人じゃ不安だからそばにいてくれ。
 つまり私達、同じ妖精だけど種族も仕事も違うのです。翅だって彼女のは小回りが利くちょうちょ型なのに対し、私のはハヤブサを追いかけることも可能な、トンボやカゲロウに似たタイプです。そして更に、私達ニンフ系は、神話の中のニンフと同じ大きさ…人間サイズになることも可能です。
 アイリスちゃんが続けます。
「シロツメクサだけじゃなくて、私が頼まれた花はみんなそう。みんなと同じようにやってるのに咲かないの。みんなに訊いて、教えてもらっても結局ダメで…もうどうしようもなくなったらお姉ちゃんがいて…トンボさんがお姉ちゃんのこと頼ってるのがすごくうらやましくて…ひょっとしてお話聞いてくれるかなって…」
 なるほど…私は彼女の悩みを大体把握しました。つまり「育って、咲いて」とみんなと同じようにやってるのに、花が咲いてくれない。教えてもらってもダメで、何がどう悪いのかも判らない。それで真剣に悩んでしまった。
「判るよ」
 私はひとこと言います。私達も相手は昆虫や動物ではありますが、相談内容が成長の手助けというのはちょくちょくあります。それがうまく行かない。
 成長させなくちゃいけないのにうまく行かない。…重大な責任が果たせないんだから悩んで当然です。でも、彼女がなぜうまく行かないのか、今の時点ではちょっと理由が判りません。
 どうしましょう。こういうノウハウはプロに訊くのが一番の近道です。そして育てのプロといえば?
「しばらく私と一緒にいる?」
 私はアイリスちゃんに提案しました。
 不思議そうに見返す茶色の目。
「私達も似たことするからあなたの悩みは判る。それでね、あなたがうまく行かないのは、やり方が合ってるんなら、多分…“コツ”みたいなことなんだと思う。でも、それは恐らく言葉や感覚じゃ伝えきれない。だから、とにかく一緒にいてもらって、育てのプロを…私の知り合いの“お母さん”達を見てもらって、話を聞いて、あなたが違うとすれば何なのか、考えたいと思うんだけど、どう?」
 アイリスちゃんはほぼ躊躇なく頷きました。
「うん。お姉ちゃんの迷惑じゃないなら…。あたし、このままずっと落ちこぼれなんて絶対いや」
 アイリスちゃん私をじっと見ます。私は頷き、笑顔を作ると彼女を抱き寄せました。
 アイリスちゃん、そのまま私に身を預けてきます。
 と、さっきのミツバチたちが帰ってきました。
 どうやらかなりの蜜が採取できた様子です。これから巣に帰ってみんなに教えると言っています。
「ね、蜜バッチリだったって…」
 私はアイリスちゃんに話しかけようとし、やめました。
 安心したのでしょう。ゆっくり、眠っています。

 

後編

 

 夕刻。
 私は近所で営巣している鳥達の元を回り、アイリスちゃんの昼寝用に借りた、ヒバリの巣へと戻って来ました。
 すると、彼女はヒナたちと楽しそうに遊んでいるところ。
「あ、お姉ちゃん」
 輝くような笑顔。
「元気になった?」
「うん。…可愛いね。あたしのこと、お姉ちゃん、だって」
 くすぐったそうに言います。とりあえず心の傷は癒えた様子。
 であれば。
「ね、アイリスちゃん。私この後ノウサギのお母さんのところ行くんだけど…どうする?」
 私は訊きました。フェアリ達は普通、植物に合わせた生活のため夜は寝ます。ですから夜行くかどうかは彼女の選択。
「行く…一刻でも早く…その“コツ”を知りたい。寝てなんかいられない」
「判った」
 私は答えました。そして、前述のように身体の大きさを変えました。
 背伸びをするようにして…。
「わあ…」
 アイリスちゃんが目を瞠ります。こうなると私の身長は170センチ以上。
 女性としてはかなりの長身になるのではないでしょうか。背中の翅も同時に伸びるので、ハヤブサを追うくらいの速度で飛べることになるわけです。
 ただ、欠点は白装束でとにかく目立つのと、髪の毛が長いので飛ぶ際にちょっと困ること。
 本当は人間さんと一緒に、紛れて暮らせるように、この姿になっているらしいのですが、人間さんが私達を“非科学的だから存在しない”とする以上、私達は姿を現すことが出来ません。
「綺麗…素敵…」
「ありがと。さ、おいで」
 私は彼女を手に載せ、更に肩に座ってもらいます。
「飛ばされちゃうから翅は広げないでね」
「判った。ばいばい」
 アイリスちゃんがヒバリの子達に手を振ります。
 上の方で親鳥の鳴き声。
「挨拶して行こう」
 私は羽ばたきます。周囲にふわっと風が広がり、身体が浮きます。
 垂直上昇。
「わぁ」
 アイリスちゃんが目をまんまるに開きます。それは私達が浮かぶというより、地面の方が下に遠ざかる印象。視界が一気に地平の彼方まで広がります。
 すぐ近くにヒバリのお母さん。
 私は空中に静止し、手のひらを出してお母さんに乗ってもらいます。ちなみにヒバリは地上を歩く鳥なので、スズメのように指先に止まってもらうような脚の構造にはなっていません。
〈ありがとう。ごめんねいきなり頼み込んで〉
 私は言います。
〈いいんですよ。私も大助かりで。子供達気にしないでエサが探せますからね…。彼女はもう大丈夫なの?〉
〈うん。お邪魔しました〉
 アイリスちゃんが答えます。
〈いいえ。子供達と遊んでくれてありがとう。元気でね〉
〈はい。子供達も〉
 ヒバリのお母さん飛び立ちます。そしてそのまま巣へと降下。
「行こうか」
 私達も飛行に移ります。行く先は距離にして20キロほどでしょうか。山の中です。
 普段ならこういう移動は深夜にします。しかし周囲は草むらと湿原。途中に人家はないので、人目を気にする必要はありません。
「はや~い」
 アイリスちゃんが言います。
「大丈夫?息苦しいとかない?」
「うん。気持ちいい」
 アイリスちゃんスピード感を楽しんでくれてる様子。
 そして…そのまま30分は飛んだでしょうか。山間に入って程なく、目印にしている川が見えます。
 ここからは速度を落としてテレパシーを使います。つまり、ウサギのお母さん自身の思考を捕まえ、その所在を探すことにより、居場所を見付けるわけです。でなければ、ウサギの巣は土の中にあるので、見付けだすのはちょっと困難。
 ところがでした。
「!」
 テレパシーが捕まえたウサギのお母さんの思考は、非常に切迫したものでした。
〈苦しい…。子供が…。エウリディケさん。まだですかエウリディケさん〉
 その瞬間、私は恐怖にも似た、背中に闇が迫っているようなイヤな感じを覚えました。
 何か甚大なトラブルです。しかも、恐らく一刻の猶予もならない。
〈すぐ行く!〉
 私は答えると、お母さんの思考を追って飛びました。そして、ここぞと思う場所に降り立ち、走り出します。
 その時。
「そこだって」
 アイリスちゃんが突然言いました。
 私は立ち止まって彼女に意図を尋ねます。すると、
「その倒れた枯れ木の向こうが巣穴…ブナの木精さんが教えてくれた」
 アイリスちゃんが言います。そういえば彼女は花の妖精、植物と意志疎通できるのは当然と言えば当然。
 ご都合主義なんて言わないでください。とにかくこれで、私がテレパシーだけを頼りに探すよりは、大幅に時間は省けたんです。私は彼女が指差す、倒れて苔むした木を飛び越えます。
 すると…すぐありました。土に開いた穴です。地面から浅い角度で奥へ続いてゆく、ウサギの巣穴です。
 私はアイリスちゃんを下ろし、体のサイズを変え、再び小さくなります。
 これで二人同じ大きさ。
「行こう」
 アイリスちゃんの手を引き、巣穴トンネルの中に走って行きます。中は真っ暗。しかも、何度も掘って埋めてを繰り返しているので(ウサギのお母さんは巣を離れる際、入口を埋めて巣穴を隠します)、盛り上がった土で足場はでこぼこ。
 見づらいし、進みにくいので、魔法を使うことにします。首から下げてるペンダントのチェーンを引き上げ…
 金枠に嵌め込まれた青い石を手のひらに載せます。
 そして、音声で命令、すなわち呪文。
「リクラ・ラクラ・ソーラ」
 石が光ります。海色の光がトンネルの中を照らします。私達はその光を頼りに、でこぼこの間をぬって奥へ行きます。
 と、トンネルの広くなっている場所に出ます。まずはペンダントを壁面のでこぼこにぶら下げて照明代わり。
 それで、ウサギのお母さんを見ると…。
「…!」
 私はその光景に息を呑みました。
 それは子供達とお母さん。
 但し子供達は羊膜に包まれたまま地面に横たわり、動いていません。お母さんもぐったりとしていて、呼吸は早く浅く、いかにも苦しそう。しかも、そばには大量に血の流れた跡があります。
 頭が真っ白とはこの状態を言うのでしょう。どうしてという気持ちだけが意識の中を駆けめぐり、何をすべきかうまく思考が紡げません。
〈エウリディケさん…〉
 お母さんが私を見ます。その意識にあるのは一つだけ。子供達は?
「ねえ!」
 アイリスちゃんが子供の一匹を抱き上げて私を見たのはその時です。
「この子、生きてる」
 私はハッとして、残り2匹の子供達に手を触れます。
 身体が小刻みに震えています。確かにまだ生きています。しかし、呼吸をしていません。どうも身体のつくりがお腹にいる時のまま。要するに産声を上げていないのです。
 産声…この現象には重要な意味があります。
 ほ乳類の子供達は、お母さんのお腹の中で、新鮮な酸素をお母さんの血液経由でもらっています。それが、生まれると同時に、自分の肺での呼吸に切り替わります。
 この、自分の肺での呼吸によって、最初に出る声が産声です。また、産声を上げることにより、全身の筋肉が動き、身体のつくりを肺呼吸に対応したものに、急速に移行させるのです。
 だから、産声をあげていないということは、自分で呼吸していないということに他なりません。
 真っ白だった思考が照準を定めて動きました。
 今、私たちのなすべきことは一つ。
「アイリスちゃん!」
 私は彼女を呼びます。そしてテレパシーで必要な行動を具体的に伝えます。すなわち、身体の羊膜を取り、口から体内の羊水を吸い出し、マッサージを施して自発呼吸を促す。
「手伝ってくれる?」
「はい」
 彼女が答えます。二人して早速行動を開始…。
 しようと思ったその時。
「!」
 お母さんの身体を痙攣が捉え、意識が混濁します。
 心臓が止まった。
「お姉ちゃん!」
 アイリスちゃんも気付いたようです。狼狽したような目で私を見ます。
「あなたは赤ちゃんをお願い」
Wakaki2  私は赤ちゃんを彼女に託し、お母さんの傍らに身を移します。簡単なケガなら妖精の魔法でどうにか出来ますが、命そのものは天使様じゃないのでとても無理。
 医学的な方法に頼らざるを得ません。マウストゥマウスの人工呼吸と心臓マッサージを施します。大きく息を吹き込むこと2回。続いて全体重をかけて胸部を押すこと5回。
 これを繰り返します。大変な重労働ですが音を上げるわけには行きません。命が掛かっている以上、疲れても苦しくてもやめるわけには行かない。お母さん頑張って。赤ちゃんはアイリスちゃんが…。
 しかし、そのアイリスちゃんが伝えてきたのは、深刻な不安と焦燥でした。
「あれ…」
 慄然としたような声。
「泣かない…お姉ちゃん、言われた通りやってるのに泣かない…どうして…」
 彼女が目に涙を浮かべ、ぐったりしたままの赤ちゃんを私に見せます。しかし、彼女が私の指示通りマッサージをしているなら、私としてもこれ以上何を言えばいいのでしょう。
「もう少し頑張って」
「お姉ちゃん…私やだよ…私のせいで赤ちゃんまで…そんなのやだよ…」
 彼女の顔が白くなってきます。自分の手の中で、命の火が現在進行形で消えて行こうとしている事実。それを認知する、させられてしまう感覚…。
 その、背中が冷たくなるような恐ろしさは、私にも経験があります。しかも彼女の場合、花が育たないのと同じ事象がこんな時にも…。恐らく、悪夢でも見ている気持ちに違いありません。
 この子もだめなのだろうか…震えるような、悲しい諦めの気持ちが、彼女から伝わってきました。
 私は彼女を見ます。そうなる気持ちは判らないじゃない。しかし、その諦めだけは絶対、絶対持ってはいけない。
「アイリスちゃん!」
 私は蘇生動作を一旦止め、強い調子で彼女を呼びました。
 半ベソの彼女がこちらを見ます。
「諦めないで。絶対に諦めないで。出来るだけのことを出来るだけやってみる。可能性がある限り出来ると信じてやる。その子の命はまだ失われたわけじゃない。その子の命はあなたに掛かってる。あなたが助けなければ誰も助けることはできない。それを意識して」
 私は強く言いました。そう、私達は命を預かっているのです。その命を…勝手な憶測で諦め、途中で放り出すなんて絶対にいけない。
 アイリスちゃん、ぐっと涙をこらえるように唇を噛みしめ、私の目をじっと見ました。
「判った…とにかくやってみる」
 彼女は答えると、こらえた涙を振り払い、一心不乱にマッサージを始めます。生きてと願いつつ、赤ちゃんが鳴き声をあげることを信じて。
 私は私でお母さんの蘇生作業を再開します。脈を見、呼吸を見、心臓マッサージと呼吸を交互に繰り返します。子供達のためにも、絶対、“生き返って”もらわないとなりません。出せるだけの生命力全てを注ぎ込むつもりで、蘇生動作を繰り返し行います。
 更に。
「さあ生きて。目を覚まして。赤ちゃんは私達が助けるから…」
 私は呼びかけ、ひたすらに願い、祈りました。
 すると、心臓部に触れる手のひらに、わずかに反応あり。
「目覚めて!」
 私はその瞬間、全身を声にして強く呼びかけました。
 お母さん、身体をびくりと震わせます。と、同時に痙攣が停止。
〈あれ?…〉
 蘇生成功です。お母さん大丈夫。横になった状態で、目だけ私達を見てます。
〈とりあえず安静にしてて〉
 事態の説明は後です。私はお母さんにじっとしているよう促し、続いて他の赤ちゃんを助けるべく、振り返ります。
 すると。
 私は見ました。
 淡い、白のオーラライトに包まれた彼女の姿を。
 生きて、と、全身と全霊でそう願いながら、幼子を救おうと、一瞬も休むことなくマッサージし続ける彼女の姿を。
 オーラライト…それは心が放つエネルギーが強くなったとき、光の姿として目に見えるもの。
 心が放つエネルギー。それは心で受け取り、心を動かす、計測装置には感知されない、でも確かに存在する、強力なエネルギー。
 いわゆる“思い”。私は今、その思いが彼女から放射されている様子を、この目で光として見ている。
 程なくでした。
「あ」
 幼子が絞り出すように産声を上げます。アイリスちゃんの手の中で、幼い命が、自分の生の始まりを告げるように力強く泣き出します。
「お姉ちゃん…」
「OK。じゃあその子はお母さんに任せて。あとはこの子を。この子は私が」
「はい」
 私達は、同様にぐったりしている残りの2匹に同じようにマッサージを行います。今、自分の手の中で、失われかけた命の炎が、再び明るく燃え上がろうとしています。
 そして。
「ああ」
 今度は2匹ほぼ同時でした。私達はその2匹もお母さんに託します。
 大丈夫、泣き声聞く限り3匹とも元気いっぱい。
 一件落着。
「危なかった」
 私は安堵のため息と共に言うと、ドッと疲れてその場にぺたんと座り込んでしまいました。幼子とお母さん。今でこそ安心して見られる、思わず笑みを作ってしまう幸せな眺めです。
 横になっているお母さんが私を見ました。
〈何が起こっていたかようやく判りました。本当にもう。何とお礼を言って良いやら〉
「それだったら彼女に。初めてでいきなりだからね。私だけだったら手が足りなくて危なかったよ。アイリスちゃん、あなたは子供達を救ったよ」
 私は言い、アイリスちゃんを見ました。
 するとアイリスちゃん、口元をわななかせながら、自分の手のひらを見てます。
「どうしたの」
「あたしが…」
 信じられないという顔。
「あたしが…子供達を…お姉ちゃん、できたんだよね」
 私はゆっくり頷きます。焦りで火照った身体がクールダウンしてゆく感覚の心地よさ。緊張からの開放感。
「出来た…花を育てられないあたしが動物の赤ちゃんを…あたしの手でちゃんと…初めて…。でも、だったらどうして今まで…花を…出来なかったんだろ」
〈あなたから励まされるような力を感じましたよ。花の妖精さん〉
 その思い…テレパシーの主はウサギのお母さん。
〈あなた…私がエウリディケさんのおかげで息を吹き返した時、まず感じたのがあなたの強い思いです。あなたは真剣に、それこそあなた自身のことのように、私の子供達を助けようと思ってくれていました。そして、その強い思いがバイブレーションのように伝わってきて、心に力を与えてくれるのを、私はずっと感じていました〉
 お母さんのセリフに、アイリスちゃんが尋ねるような目で私を見ます。“そんなことあるの?”
「あるよ」
 私は答えました。そして、数瞬前の彼女を、オーラライトに包まれた彼女の姿をテレパシーで彼女に見せながら、こう言います。
「願うとは、心が自分以外の何かに対して、実現するべく働きかけること。そして、働きかけるんだから、当然、エネルギーをそのために注ぐ。それが、心の放つエネルギー」
 アイリスちゃん頷きます。
 私は続けます。
「心が放ったエネルギーは、やはり心で受け取ることが出来る。そして、受け取ったエネルギーは、受け取った相手の中で、いろんな力、状態へと姿を変える。それは例えば頑張ろうという気力であったり、包み込んでくるような優しさやいたわりであったり…」
〈そして生きるための力…生命力であったり〉
 私の言葉に、ウサギのお母さんが追加します。
 アイリスちゃん、ハッと気付いたような表情を私に見せます。そして目線をゆっくりとウサギのお母さんに移します。
〈花の妖精さん〉
「はい…」
〈あなたは、一生懸命な気持ちで、私の子供達に生命力を与え、無事こうして生きる道筋を与えてくれました。あなたの悩み…花達が育たないのはなぜで、どうすればいいか、これで多分判ったと思いますけれど〉
「…」
 アイリスちゃん、しばらくの間、まばたきをせずにウサギのお母さんを見つめました。
 そして、こくんと頷きました。
「私…一生懸命じゃなかったかも知れない」
 告白するように一言。
「教えられたやり方でただ単にやればいい。何も考えず、そう思っていたのかも知れない。育ってね、綺麗に咲いてねって、呼びかければそれでいいと思ってた…でも、それが間違いだった」
〈そう〉
 と、ウサギのお母さん。
〈生き物はただ言われた通りに、書いてある通りにすれば育つわけじゃないの。…だって生き物だから〉
 その言葉に、アイリスちゃんは深く頷くと私を見ました。そこで私は彼女に、テレパシーでこんなことを話します。それは恐らく…これを読んでる人間さんの皆さんにも経験のあること。
 すなわち。
 皆さんは、落ち込んでいるとき、お友達からかけられた優しい言葉に元気づけられたことはありませんか?
 しかも例えば、同じ言葉は他の友達からも聞いたけど、元気づけられたのはその人だけだった、なんてことはありませんでしたか?
 その時、皆さんはなぜ、その人からだけ、元気づけられたのでしょう。
 その人は、元気を出して欲しいという気持ちが真摯なものだった…皆さんはそう感じたはずです。では、口先だけの優しい言葉と、本当に心からの優しい言葉と、内容的には全く同じ言葉であり音波であるのに、皆さんはどこで両者を区別したのでしょう。
 心…以外にありませんよね。そうです。皆さんは言葉と共に送られる、心からの気持ちの有無を直感的に見抜いたのです。そして、受け取った気持ちが、見事に、元気という力に変わったのです。
 生きて欲しいという気持ちが動植物を育てる。元気になって欲しい気持ちがあなたを勇気づける。あながち的はずれなアナロジーじゃないと思いますが如何でしょう。
「一生懸命やってみる」
 アイリスちゃんが意を決したように言いました。
「私の花達が育つかどうかは私にかかってる。私に責任がある。そういう気持ちでちゃんとやってみる」
 アイリスちゃん私の目を見ます。
 私は彼女に笑って見せます。今回、私は最初に彼女の話を聞いたとき…先に書きましたがもう一度書きましょう。とにかくいろんな“お母さん”の姿を彼女に見てもらおうと、まず思いました。そうすればお母さん達に出来ることがなぜ彼女に出来ないのか、その違い、コツの部分が明白になるだろうと思ったのです。だからヒバリのお母さんのところに行ったし、ここに来たのです。
 そして、今、これ以上他のお母さんの姿を見せる必要はなくなりました。
「あたし…お姉ちゃんに相談してよかった。一緒にここに来てよかった…。
 ありがとうお姉ちゃん」
 アイリスちゃんは言いました。

 その後、私達は様子を見る意味も込めてそのまま巣穴で一夜を過ごし、翌朝、親子とも全く問題ないことを確認した上で巣を離れ、元の草むらで別れました。
 そして、昆虫たちから聞いたところによると、フキノトウが6月に出てきたり、7月にようやくツクシが出てきたりと、遅れを取り戻すよう頑張っているみたいです。
 だから、もし、全然咲く気配もなかったあなたの花が急に咲いたり、あなたの近くの草木が季節外れの花を付けたりしたら、それはひょっとすると、彼女の担当だったのかも知れませんよ。

 

若きフェアリーテールの悩み/終
inspired from "KITANO JUNKO"s fairys.

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