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彼女は彼女を天使と呼んだ(26)

 〝判りすぎる〟が、得てして良くない結果につながるのは、よく自覚している話。
 自分の能力を知った両親が、高尾山(たかおさん)に集う修験者を訪ねたのは、正しい判断だったと思うし、この能力が絶対権力に近いものだと即座に見抜き、ゆえに制する必要があると認識した父親は大したものだ、と後に感心した。
 雄弁は銀、沈黙は金。力の扱いに関して、修験者の言葉をまとめればこうなる。この言葉の出自はケルト神話という説も聞いたが、どっちも形而上という点では共通しており、この辺り、〝で、あるがゆえ〟の不思議な説得力がある。
『知りたいという気持ちを御するのは、人間ゆえに困難なことだ』
 修験者は言った。人は根本的に知りたいと思う生き物。自然に生じる感情にそれを実現する能力が加わる。コントロールするのは通常以上に難しくなって当然。そこで理絵子は、この点を徹底的に鍛えることになった。
『女子(おなご)だから勝手に判ってしまう、ことはある。だがそれは女子のゆえとて気にするな』
 いわゆる〝女の勘〟についての言及。要するに怖いのは恣意的な〝知りたい〟であり、〝ピンと来る〟ことは自体は仕方がない、ということ。ちなみになまじ念動力(サイコキネシス)なんか持ってしまうと、その力を使って〝変えたい〟という欲望が更に出てきて尚難しいとか。……そんなインチキ行者をとっちめたことが以前あるが。
 さておき、他人の言う自分の〝クール〟な部分が、この鍛錬の副作用であろうことは承知している。「えっ?ナニナニ?何の話?」……女の子に良くあるコレが自分にはないのだ。深入りしないし、当然ある意味公平な立場に収まる。そして、それは学級委員として必要かつ十分な条件。ただ前にも書いたが、その替わり〝ぴったりくっつく〟系の付き合いはない。なお、男子に言わせると、自分クールそうだが恋に落ちればラブ・イズ・ブラインド……いわゆるツンデレに見えるらしい。

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