「それ私に対する当てつけ?」
「女の子の家に男の子一人は心細かろうとか、有り難くも助言したのはどこの誰だよ」
勝った。
そこへお母さん。
「今日は雪乃のためにわざわざどうも。はい、これ、町田さんがお持ち下さったグラジオラスよ」
釣り竿ケースから茎をむしられてミネラルウオーターじゃぶ付けにされるところ、救われて師範代に花瓶に移され女の子の机の上へ。
お前、幸せな花だなぁ。
「あ、白いヤツ大好き。どうもありがとう」
雪乃ちゃんはニコッと笑った。
「いえ、たいしたことじゃ」
照れるぜ。
「飲み物は冷たい方がいいかしらね。アイスクリームもお出しできますが……」
「いえお構いなく」
この受け答えは成瀬。オレには出来ない芸当。
「お茶を用意しますね。座ってらして。雪乃。何か当てるのを出して差し上げて」
「恐れ入ります」
なんでこういうセリフがスッと出てくるんだろうこいつ。
雪乃ちゃんはベッドの下から座布団を出してオレ達に勧めた。
「お二人はお友達なの?」
成瀬の所作を見よう見まねでオレも正座。
「朝学校に行こうとドアを開けると、コイツの顔が向かいの家のドアから出てくる」
「お互い様」
「じゃぁ、幼なじみ?」
「自分の意志で選ぶことの出来ない友達とも言う」
「ウチの大樹と遊んであげてねって」
オレ達のやりとりに彼女はころころ笑った。
いや半分マジなんだが、彼女が笑ったのなら、この場は恐らくそれでいいんだろう、と思った。
ウワサに心痛めて出てこられなくなった……この笑顔見る限り、そんな印象は受けない。しかし、それは束の間の認識。
「わざわざ、ありがとね」
彼女はオレ達から目線を外し、外を見て言った。
「男が女の子の家に合法的に来るチャンスってのはそうそう無くてね」
オレは言った。
成瀬がオレを誘ったその意図、買った。
「え……」
彼女はハッとしたような丸い目でオレを振り向いた。夕暮れ間近い残暑の陽光と、髪を揺らす風。
背後でノック。お母さんだ。
(つづく)
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黒光りする連なる胴体に真っ赤な頭。トビズムカデです。アオズムカデという種類もあるので、鳶色をした頭のムカデという意味でしょうか。鳶頭、青頭です。
〈ほほう。人間か〉
まるで大型旅客機の着陸、といった風情で、巨大トビズムカデは私たちの所へ走り込み、足を止めました。
「すっげー!恐竜みてえー」
〈私が怖くないのかね?〉
トビズムカデ氏が訊きました。
「毒があるから悪い生き物ってことはないじゃん。人間の方がよっぽど……」
ゆたか君は言いかけ、ハッとしたような表情で言葉をちぎり、笑顔一転うつむきました。
〝悪い生き物〟の悪いことを、他ならぬ自分自身がしていた、と気付いたのです。
〈なるほど、だから君は資格があるわけだ〉
トビズムカデ氏はそう、言いました。
「えっ?」
〈まぁいい。いずれ判ることだ。優しさは口で説明するものではない。それと同じこと。乗りたまえ少年〉
最前の元気は火が消えたよう。ゆたか君はしょんぼり、ムカデの背中に上がって、座りました。
「オレってヘンな子なんだろうな。やっぱ」
独り言のように、ゆたか君は言いました。
衝撃的な自己認識が、冷静な自己分析に……難しく書けばそういうこと。簡単に書けば、一度、悪いと思い始めると、どんどん悪いことを考え始める。
お医者にかかれば〝鬱の兆候〟と言われるでしょう。
ゆたか君の〝思い出したくない記憶〟が、さーっと走馬燈のように私のテレパシー領域を流れて行きます。
彼は転入してきた。
教室に出たゴキブリを、〝すごいと思ってもらおう〟と踏みつぶした。
しかし戻った反応は〝気持ち悪い〟。あまつさえは〝ゴキブリ野郎〟。
「クモとか、ゲジとか、それこそムカデとかさ、キショいって言われる奴らの気持ちが判ったような気がしたんだ」
〈ほう……行くぞ〉
がしゃがしゃがしゃ……身体が大きいので動けば音がします。まるで機械か、鎧を着た古代戦士の集団が歩いているよう。
(つづく)
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「あのね健太君」
「黒野さんあのさ」
二人は同時に声を出した。
「先に」
「レディファースト」
これも同時。理絵子は父親とのやりとりを思い出し、小さく笑った。
「前言撤回」
しかし、理絵子が譲るより先に、彼の方が言った。
「え?」
「この間の件。君が好きだって話」
どき、っと、心臓が文字通り音を立てた。
鞄を握る手に、自然に強く力が入り、固くなる。
それは、言わなくちゃだけど。
だから、言おうとしたのだけれど。
「一旦、撤回させてくれ。でも、嫌いになったんじゃない。ますます好きだ。だけど」
理絵子は彼を見返した。
予想外の展開。
ひょっとして、これも、あなたの手練手管の一つ?
しかし、彼の目は自分を見ていない。そのふたご座をバックに、街のクリスマスイルミネーションを瞳に映して。
理由を待っていると。
「思ったんだ。もし万が一、君にイエスと言ってもらったところで、オレって君を楽しませるネタ何もないんだなって。ちやほやしてくれる女子いるけど、オレってそれだけなんだなって」
彼に関して、ずっと心に引っかかっていた事実がひとつ。
彼の母親がつぶやいた一言……部屋に女の子が来たことがない。
その理由が判る。かっこいいと言われ、それを本人も把握している。でもカノジョがいるわけではない。
自室というのは、自分の中身の反映という側面もあろう。カバンも然りだ。
女の子にモテること。それが彼のレゾンデートル。
しかし中身を見せるには抵抗。
つまり、彼も、自分に自信がなかった。
「だから」
彼は沈黙を嫌うように言葉をつないだ。
「男を磨いて再挑戦する。その権利を僕に与えて欲しい」
理絵子を見る。
理絵子は彼を見返し、小さく笑った。
「それって2回目の告白そのものに聞こえるけど」
多分手練手管。だがしかし。
「ちっ。バレたか」
彼が歯を見せる。言ったことは、恐らく、ウソではない。
実際問題、イエスと言ったところで、それ以上進まず、止まる気がする。
今のままでは。
「いいでしょう。あなたの言葉を一旦ログから消します」
理絵子は自分の頭を指さして言い、次いで、まさにツンデレよろしくお高くとまると。
「権利与えます。学年イチの美少女と誉れ高いわたくしを落としてご覧なさい」
スカーレット・オハラの流儀。
……誰も、見て、ないよね。
「ありがとう」
彼はまず言い、
「この背中に翼生やして必ず追いつくから。その時まで、君は僕の憧れの天使」
彼女は彼女を天使と呼んだ/終
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「そんなことないよ。あのままではあなたに失礼だもの。質問は、『どうしてそこまで出来るの?』だったよね」
レムリアは確認した。
「…はい」
あすかちゃんが頷く。消え入りそうな声。
レムリアは彼女の目を見て。
「お答えします。それは、出来る範囲で出来るだけのことを、と思って動いたら、こうなった、です。私みたいな小娘でも、動き出せばけっこう行けてんじゃん、ということ」
その言い回しは、少なからず母娘を驚かせたようである。
内容的に、砕けた言葉遣いに。
“お姫様”が“じゃん”、その肩の力を抜く効果をレムリアは良く心得ている。
「…動いたら」
あすかちゃんは反芻した。即座に応答があるあたり、おずおずおどおどという感じはなくなってきたようだ。砕けた言葉が奏功したか。
「そう、動いたの。恵まれた環境にいて、実情を目の当たりにして、このまま“のほほん”と過ごしていいのかと思った。誰かのためになりなさいという家訓もあった。そこで私は動いた。まず資格をきちんと得ようとした。それは勉強次第だから楽だし。少なくとも勉強して知識を得る程度なら、誰かに迷惑が掛かるわけじゃないから」
レムリアは言った。家訓が、その力を有するがゆえに、という理由からであるのは、論を持つまい。
「失敗したら?」
あすかちゃんが問うた。その言葉に、レムリアは全てを知り、頷いた。
失敗への恐怖、否定され傷つく事への恐れ。
彼女の気弱さ…行動を制限する中枢である。恐らく彼女は生来その性質を持っており、色々言われていたのだろう。しかしそれが逆にプレッシャーとして働き、余計に、失敗して何か言われることを恐れるようになってしまった。
そんな彼女が全く位相を異にする自分に興味を持った。判らないではない(※レムリアは月の満ち欠けが自分に大きく影響する関係で、月の丸みの程度を角度になぞらえ、位相という言葉で表すことを知っており、その概念を理解している)。
母親がロールケーキを持ってきた。
(つづく)
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25
お開きの後も残った理絵子達に、橘氏は露骨にいやな顔をしたが。
理絵子がひとこと非礼を詫びたら一転笑顔になって、ビルの9階レストラン街で夕食をご馳走してくれた。
「骨のある子は少なくなったな。おちおち叱ることもできん」
述懐、と書くに相応しい口調で、橘氏は言った。聞けば、夜の街をPTAのタスキ掛けて巡回してるとか。
「ケンカしませんからね。初めてのケンカが殺人になったり。負けたくないですからね。絶対の武器を手にしたがる。で、手近な刃物でとりあえず斬りつける」
「コペルニクス的転回が必要ってわけか」
「それって地動説が天動説とかいう……」
健太君のセリフに、理絵子は逆、と言いかけ。
「周りが動いてやらなくちゃいけないってことでは、彼の言った通りかも知れませんね」
「教員の鬱が増えるわけだ」
「だからこそ、みんなで一緒に力を合わせる必要があるんですよ。犯人捜しと責任のなすり合いでは何の解決にもならない。何もかも先生先生では先生がすり切れてしまいます。みんなで何とかしなくっちゃ。こうなっちまったと後悔しても、現実が変わる訳じゃない」
「そうだな。動こう。で、無知で申し訳ないんだが、その黄色いりぼんに込めた意味は?」
「ぐぐれ……ウソです。ティーンエイジャーの自殺防止」
終わって橘氏と別れ、駅前広場の天蓋をなすペデストリアン・デッキの上。
冬至間近いこともあり、見上げる空はキラ星の宝石箱。都下だが山裾に位置する分、見える星の数は都心より多いと理絵子は思う。
「ふたご座流星群ってさ」
健太君が駅ビル上方を見上げて言う。
「過ぎたよ」
理絵子は言った。活動のピークは月の半ば、といつぞや調べたことがある。
彼が自分を振り返る。
その表情の悲しそうな。
気づく。今まで自分は、彼の言動のことごとくを、先回りし否定してきたかも。
いや、きたかも、ではない、確実にしてきた。そしてそれは、小さいが尖った針となり、都度少しずつ、彼を傷つけてきたに違いない。
無意識に。
なぜなら自分が同じ立場なら、傷つくだろうと思うから。
特定の気持ちの介在の故に。
されど。
(次回・最終回)
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「あははは……」
背後から聞こえてきたのは転がるような軽やかな笑い声。
「面白いひと……」
オレに対するその言葉が聞こえたその時、何かがオレの中で「ころん」と音を立てた。
背後にスススー。
「あら雪乃ったらお友達立たせたままで。……あの、どうぞ、あら町田さんどうして後ろを?」
「恥ずかしがってます。浴衣姿の雪乃ちゃんが可愛いって」
「ば、バカお前……」
思わず振り返って成瀬にツッコミの一つでも。……って、否定したら可愛くないって意味じゃないか。
「正直、可愛いです」
オレは直立不動で彼女に言った。全身が熱くて頭がボーッとする。多分、耳まで真っ赤ってヤツなんだろう。
「ありがとう。入ってください。別にうつすような病気してるわけじゃないんで」
彼女はカーディガンを羽織り、そうやってオレ達を招き入れた。
お母さんの手には花瓶。
〝一息付いた〟そんな顔で生き生きと花開くグラジオラス。同じ花でこうも変わるモノか。
「散らかってますけど」
確かに転入生紹介で聞いたあの声だ。ただ、その時よりずっと弾んで聞こえる。
ころころ……ころころ……。
ドアを開けると不思議な空間。ひとくくりに〝古民家〟と呼ばれる系統の古い日本家屋なんだと思う。大黒柱に太い梁を骨格として組み立てられている。
そんな太い梁がドーンと一本、頭の上を横切り。
でも中は水色が主体のポップな空間。勉強机に本棚に、ぬいぐるみに大切な本や写真。窓際にベッドがあって、彼女はそこに腰掛けた。
和洋折衷というか、時間すらも交錯した〝接点〟。
「女の子の部屋だよなぁ」
オレの素直な感想。
(つづく)
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だったらもう少し。
「21世紀の今は〝勝ちか負けか〟が判断基準の時代です。誰のせいか知りませんが。だからこそ……橘(たちばな)さん、ご記憶にあるでしょう、昭和の学生みたいに共通の価値観持てる時代じゃない。心をトゲで鎧って、そのトゲでお互い削り合って、ギザギザになった心でさらに削り合う。もうみんなボロボロなんです。そんな時代に必要なのは、守る力ではないでしょうか。橘さんの世代の言葉で言うならネットのガキ大将ですよ」
「ガキ大……」
白髪老眼鏡橘氏の声から、トゲが消えた。
ガキ大将。理絵子はその概念を父親から言葉で聞き、マンガのキャラクターに見た。
それは、遊び道具がゲームで、コミュニケーションがネット空間、では育たない、子ども社会の地位。
なぜならリアル人間同士コミュニケーションを経て生まれる存在だから。強弱関係の中で求められる、弱い子の味方であり、大人の強圧にすら立ち向かう義。
ガキ大将がなぜそのように振る舞えるか。そんな己れを支持する多くの子どもがあり、その義の故に大人も一目置くから。
恐らくは父性の早熟な発露。
父が言った、警察官を選んだ理由が、そこでシンクロした。
「なるほど」
ガキ大将。その言葉の持つノスタルジーと真意は、橘氏の目尻を下げた。
仕掛けた意図が伝わった。
なら、あと一押し。
その地位に立候補する。とした時、お願いが一つあるのだ。
「我が校の主張をまとめます。我々学級委員は全員の味方を出来る立場にあるということです。どのくらいの力があるかは今示しました通り、教育委員会さんもたじたじ。だったら、そんな日陰でコソコソやってるようなゴキブリ同然の悪意からクラスメート守るくらいできるはず。ただ、本校校長は了解いただけましたが、同様な、イザというときの私たちの盾を、教員の皆さんにお願いできればってことです」
理絵子はそこで傍ら健太君の肩先を指で突いて促した。
男決めろ。
「何かあったらオレに言ってこい。どうにかしてやる」
「かっこいいじゃん」
理絵子は言った。少し野望的な響きを含むかも知れないが、黄色いりぼんや、或いは、かたどったバッジやネクタイピン。それがこの街の学生を象徴するアイテムになれば。
自分自身が後々何を言われようと。
「以上です」
理絵子は目を閉じて言い、着席した。
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「そういう大人の皆さんの思惑、無言の子どもの大量生産。それが諸悪の根源。押さえられて動きが取れず、鬱憤の行き先がないからネットに吐き出す。ブラックホールの始まりはそこでしょう。それ抜きにして一足飛びに携帯禁止はそりゃぁ大人の皆さんおいし過ぎます。ってか、因果が逆じゃないんですか?」
「何だと!黙って聞いてりゃ図に乗りおって子どものくせに!」
白髪老眼鏡は理絵子を指さし、糾弾の構え。
対し理絵子はポニーテールの黄色いりぼんを外し。
机の上に真っ直ぐに置き。髪を流し、手を櫛にして少し梳き。
ポケットから、くるくる巻かれた黒いりぼんを取り出し。
黒いりぼんをくるくるほどく。
中身は純白携帯電話。黒いりぼんは黄色の隣に真っ直ぐに伸ばして並べ、電話をスライド。
「電話ならお貸ししますのでどうぞ。このまま発呼で校長のポケットに直結です。でも、ああそうですかって言うだけでしょうけどね。校長とはこの会に参加するに辺り、充分に意見交換をしてきました。私がどのような意見をここで述べるか先刻ご承知です。対して再三再四失礼ですが、私たちの物言いに感情的で一方的な押しつけは如何なものでしょう。見ようとしない聞こうとしない。私たちの世代敏感ですからね。おざなりされると感覚的に判っちゃうんですよ。ええこの会の趣旨は理解してます。ネットいじめ問題に対して、生徒が、どうあるべきか。……というわけで集まってくれた皆さん、やってみました。私たちが自ら率先して攻撃の盾となる。それを先生方が理解して味方してバックアップ」
種明かし。
暴露の言に58人がどよもし、避けていたみんなの目が、逆に自分たちに集まる。
校長了承済み。その説得力の強さは良く心得ている。
「担任校長どころか教育委員会なんかに目をつけられたらお先真っ暗。それは判るよ。でも、それにビクついて携帯全面禁止に渋々賛成。したが最後、後々あいつらのせいだ伝説みたいに言われる。でもそれならまだいいよ。通り越して、携帯がなかった為に緊急連絡もできないなんて事故が起きたら責任が取れない。自分たちのために同じ制服着た誰かが危険な目に。そんなの冗談じゃない。臭い物に蓋の論理で携帯禁止なんて私は断固反対。紫外線は危険だからって太陽禁止?それと同じこと。まずは正確に知って、自分自身の判断基準を持つのがあるべき姿。ただ、私たちだけじゃ無理で、経験豊富な大人の皆さんのサジェスチョンがいただければ。何か間違ったこと言ってますか私」
理絵子は喋りながら髪の毛をツインテールに変え、片方を黄色の、片方を黒のりぼんで結んだ。
すると隣席、市立一中のブレザーの娘が席を立った。
「ずれてるよ」
りぼんを直してくれる。
「ありがとう」
「りぼんの色で主張するのって伝わらなく無くない?」
逆に言えば、この彼女は気付いたということ。
そして、白髪老眼鏡氏のボルテージが下がってきたと理絵子は感じた。
失礼な物言いが単なる噛みつきではなく、真意があったと伝わり始めたのだ。
段丘を越えた。
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希望を持たせるように言ってみる。
しかし白髪老眼鏡氏の〝フィルタ〟は次の行動を既に決めていたようであった。
「バカバカしい。学校は仲良しクラブじゃない。何度も言わせるな、会はお開きだ。君は学生の本分というものを……」
その顔は〝権力者の余裕〟というか、説教モードというか。
でも、手綱を渡す気はない。
「学生が何より鬱陶しいのは唯々諾々と先生の言う通り、です。上っ面だけの〝いい子のカタチ〟を押しつけられるより、耳の穴かっぽじって意見聞いてもらった方が余程嬉しいですよ。打てば響く。判ってくれてんじゃんって実感が持てるんです。自分たちの学校だって意識と愛着が沸くってもんです。この手の事件で私たちの仲間が命を絶ったのは、言い出せるような環境じゃなかった、ってのが背景にあったのはご存じの通り」
多少、いや相当に嫌みな物言い。漱石じゃない、誰の流儀だっけか。
再び白髪老眼鏡の頬が朱色。
「失敬!き、君は失敬だ!」
理絵子を指さし吠える。そこまで言わないと判らないくせに、判った瞬間火が付く。
真ん中がないから冷静な議論にならない。
要するに我慢の限度を超えるか、私論崩壊の危機を感知すると、一足飛びに力ずくで幕引きに走るのだ。
人はそれをキレると言うのでは?
「何様のつもりだ全く!」
でもそれは本音だろう。
言葉にするなら。
「子どもは特定の型枠に収まってろ。言うこと聞いて黙ってろ。波風を立てるな。余計なことしたら権力物言わすぞ」
「出て行け!こ、校長に、そうだお前たちの校長に連絡する!かわいい顔してとんでもない輩だ」
で、実際このように言われるから困る。その実全く人間的な感情的反射なのだろうが、それが生徒の立場からすると、権力背景にした脅迫に聞こえるという配慮が足りない。最も今の台詞の場合、露骨にセクハラでパワハラと思うが。
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「わかったよ」
私の声を遮って、ゆたか君は不満げ。
「一つにするよ」
オオジョロウグモが作業を再開します。少し書きましたが、ジョロウグモの糸は、集めれば魚が捕れる網になるほど丈夫です。
大きなランドセルのように、腕を通せる輪を付けて、荷物が出来上がりました。
〈持てるかな男の子〉
オオジョロウグモがするすると降りてきて、ゆたか君の背中に糸玉をあてがいます。ゆたか君が輪に腕を通して出来上がり。
「なんかゲームの主人公みたいだ」
ああなるほど。ゆたか君の言葉に私はふっと納得しました。彼はここを単純に〝クモの国〟と捉えています。異次元・異世界なのですが何の抵抗も持っていません。ここは何処、家へ帰してと言いません。
その理由がこれということ。もちろん、〝逃げたい〟結果としてここへ来たというのはあるでしょうけど。
出発準備完了。
〈妖精の君〉
コバルトブルーが私を呼びました。
「はい」
〈今一度確認しておくが、古き伝えにより決してあなたは手を出してはならない。ただ、言伝のみは許される〉
「判りました。してどの方向でしょうか」
〈この山を登るのだ〉
先にも書きましたが、アミシノは山裾にあります。その山を登って行け。
見上げる山は上に行くほど坂が急になり、頂上は雲の中。
「これ、歩いて登るのか?普通はどうしているんだ?」
〈いつもは、ムカデさんが来てくれていました〉
オオジョロウグモが言いました。
妖精は、言伝のみは許される。
〈……はい、私を呼ぶのはどちらさまでしょう〉
〝近くに糸運びをしていたムカデさんはいますか?〟の問いに対する答えがこれ。
言伝。すなわちテレパシー。
用件を伝えます。
〈山登りだけならいいでしょう。でもそこから先はお断り〉
〈構いません。そこまで男の子を一人〉
〈判りました〉
〈妖精の君、あなたは狡くていらっしゃる〉
〈いいえ、何か乗りたいというのは彼のアイディア〉
程なく、地鳴りのような響きが聞こえて来、やはり巨大なサイズのムカデが森の中から歩いてきました。
(つづく)
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「ケータイ取り上げて見れなくなっても、書かれた悪口グーグルのキャッシュとかログ残ってるんですけどね。中の人にメールして誰か消してくれるんですかね。それに、禁止と言っても、手のひらの窓取り上げても、ネット接続手段だって十指余るほどあります。ネット経由の対戦機能を備えたゲームやネットにつないだデジタルテレビ。フィルタリングのソフト作って撒きますか?家庭訪問してブックマークチェックしますか。でもその最中にアホ死ねって死体写真付きのメール叩き込まれるのがオチです。本人が見なくても裏では動き続けて広がるんです。光あれば影。光がダメならダイヤルアップ。再三失礼ですが、ネット接続されてますか?」
もう、全部言ってやった。
「会は終わりだ」
白髪老眼鏡氏の声が会議室に響く。早口で上ずったトーンには投げやりすら感じる。ただ、誰が見ても白髪老眼鏡氏の職権乱用であり、かつ、結論は明らかに無意味だ。
それが証拠に、オブザーバとして参加した校長代表という3人は、司会に加勢して自分に何か言うわけでなく。ノートパソコン広げた議事録担当のお姉さんも、書くべきかどうか、困った表情。
そして何より、他の生徒達が立とうとしない。理絵子から目を背けていた彼らが、この会の〝本質〟に気づき、自分の味方になりつつあると肌で感じる。
対し氏は〝電源スイッチの長押し〟を知らないようだ。
或いはデスクトップに爆弾でも出たか。リンゴかじったら血が出そうだが。
そこで矢面に立ったのは健太君。
「まぁそう脊髄反射すんなや。俺らアンタらの思惑通りにならなくて悪かったよ。でも俺ら携帯取られたら激しく困る。だから想定問答通りのイルカにはならない。そんだけさ」
その台詞に、彼は成長した、と理絵子はまず感じた。彼には自分を救ったという自負と自信がある。今彼を動かしているのは、その自信を礎とするナイト精神。
男子三日会わずんば、とはこのことか。
理絵子は努めて穏やかな口調で、
「私の髪の違反は学校側自体、百も承知です。でもこれは先ほどの、遺憾です、が元になっています。あの事件で私たちは生徒教員問わずみんな傷付きました。あの学校の生徒だ、というだけで白い目で見られ、教員というだけで罪人と思われたんです。でも教育委員会様は何もサポートしていただけない。
私たちは結束するより他ありませんでした。教師が上で生徒が下って構図でなくて、良い学校一緒に作るにはどうすればいいかって模索を始めたんです。家は親、学校は教員、通学途中がPTA。それがシンプルでしょって。その上で、言いたいことぜんぶ言えと言ってもらってます。お互い意見をぶつけ合って落としどころ探そうって。一般論ですが、家族が互いに言いたいこと言えなくなったらその家族終わりですよね。発展で学校も同じだろうって。クラスが家族のように居心地のいい空間であったら」
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教育委員会ってこんなもの?
校長会の上の組織ってこんなレベル?
先生の親玉集団が?
……いや、だから、さもありなん、と言うべきなのか。
さておき、激高させて感情先行では言いたいことも伝わらぬ。
それでは、この仕掛けの意味がない。
「お断りします。だってネット相手にする結論じゃありませんもん。一旦上がったら最後、誰かがそれに反応する限り、面白がっていつまでもコピーされ貼り付けられる。どころか、強制的にメールで送りつけられる世界ですよ。いつまでもいつまでも言われ続ける。残り続ける。見たくもないのに見せられる。ラジオを使った洗脳プロパガンダと一緒ですよ。子供のケンカの類似品とは訳が違う」
自分で言葉にしながら、理絵子はだんだん腹が立ってきた。
大体ネットなんて旬のオモチャ相手にするのに、こんなネット無知が出してくること自体そもそもおかしいのだ。父親の言う通り教育委員会が自作自演したいだけにしか見えない。
でも、現実は、そんな小手先で済むような軽い話ではないのだ。実際命に関わる事例が、報道されているだけでも年に十指を下らない。
対しお為ごかしとはまさにこのイベントのこと。
座する仲間たちに目を走らせると、目が合う直前に察知して逸らす。同意を求めるな、声を掛けるな。
まぁそんなとこだろう。そしてそれは、いじめられる子(この場合理絵子自身)が孤立するメカニズムそのもの。
そりゃそうだ。こんな教育委員会のお偉いさんに楯突く奴に味方しても、得るものは何もない。どころか、内申書に影響が出たら。
学級委員の加点がパーになったら。
最も、そこまで考慮済みでこの標語押しつけに来たならば、教育委員会殿あまりにあくどいが。
対して、自分この黄色いりぼん、ダテに黄色にした訳じゃない。
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「オトナの皆さんは楽ですね。聞きたくないことには耳をふさげばいい。聞かなかったことにすればいい。……学者の本によれば脳がそういうフィルタこさえるんですってね。でも、だからお前もそうしろと言われた生徒達が過去何人、更に深い傷を負って命を絶ったか。あまつさえは心が弱いとまで言われた。そんなの、いい大人が子ども傷つけてる以外の何物でもない。大人って子ども守ってナンボじゃないんですか」
かなりきついこと言った、つもり。
しかし。
「それが何の関係が?」
それこそフィルタが働いてる発言。自分の台詞の内容などどうでもいいのだ。もうあからさまに苛立っている。
教育委員会のお偉い提案を学生如きに否定抵抗されるのが気に入らないのである。お仕着せ結論早く飲んでシャンシャン終われ。
それって、子どもの心理、そのもの、じゃないのか?
「聞きたくないことが耳に入って傷つくのが思春期なんです。だから、些細なことも聞き漏らすまいとしてしまうのが思春期。そして、傷付くと、傷を補おうと別の傷を付けに行くのが思春期。そこにネットがある」
「だから、見に行くからいけないのだろうが」
どうにもそこに帰着させたいか。
「そうでしょうか。世界中から自分の悪口が丸見えって判ってるんですよ?学校帰りのひそひそ話とワケが違う。でも、やってる側は同じフィーリングで全世界に向かって誰々のバカ死ねって書くわけです。受け取った側は深刻ですよ。下手すると低俗雑誌の記事みたいにあることないこと書いてある。ウチの学校もいろいろ書かれましたよ。事件の内容が内容ですからね。でも教育委員会サマ何してくれました?記者会見で遺憾ですと言うだけ。私たちがどれだけ心細い気持ちになったか」
「君は教育委員会を糾弾しに来たのかね?」
「私の髪型が何の関係が?」
義務と権利、という論点ではこれで両成敗だと思うが。
「出て行きたまえ」
白髪老眼鏡氏はいきなり言った。
その高圧的かつ〝強制終了〟の反応は、臭い物に蓋、そのもの。
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実は彼女は屋内に入っていない。玄関ドアの前でもじもじしている。
「でも…」
恥ずかしがり屋さん。
どれほどの、どれだけの、精一杯の勇気を持って、彼女が自分に質問したのか、レムリアはよく判った。
来て良かった。あのままにしていたら彼女の勇気は無駄になっていたところ。
「自分の家でしょうがっ!」
母親が怒鳴る。
レムリアは小さく笑った。気が弱いというか、繊細な女の子なのだろう。
…そして多分、それがゆえに誤解を受けている。
手を差し伸べる。
「あなたの質問、嬉しかった」
手を差し出し、レムリアは言った。
果たして彼女は目を円くした。
「一方的に終わるだけかと終わっていたもん。ありがとう。だからきちんとお答えしたい」
「…あ、はい」
あすかちゃんは…まさかとは思うが…やや揺らめきを帯びた瞳を輝かせ、“帰宅”した。
レムリアは玄関を上がるあすかちゃんの手を取る。両手を持ってその目を見つめる。
「質問、どうもありがとう」
レムリアは、改まって、言った。
彼女にとって何もかもが初めての事態であるとレムリアは察する。同年代の相手に“ありがとう”と言われること。それがなかったからこそ、自信喪失に繋がり、更に気弱になるという悪循環。
あすかちゃんの手を引いてリビングに入る。母親がティーバッグに湯を注ぎ、ロールケーキをカット中。
「座って下さいね~」
母親の言葉に腰を下ろす。
あすかちゃんが向かい側に。
「わざわざ…すいません」
あすかちゃんはうつむき、小さく言った。そう口にするのにも勇気を要するのだと、レムリアは判ずる。
(つづく)
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もっと言えば、ネットイコール悪、および、にじみ出る〝学生は黙って従え〟。
固定観念、既成概念、先入観。
理絵子が把握した認識の段丘は2段だ。しかも、どっちも海溝型大地震で作られた第1級の高さ。
「君はどこの学校かね」
眉間にしわを寄せて訊いてくる。突然の話題変更には当然底意を感じるが、根本的に判ってないのは相手であるからして、論破できる自信はある。そして、論破しないと、この〝作戦〟の実証にならない。
理絵子は、自分の机に置かれた、三角アクリル板の名札を、氏に向けてやった。
どこの誰、まで言う必要はあるまい。女の子が教頭一人警察送りにした話、この辺の連中が知らないはずがない。最も、この街の中学30校中、女子の制服がセーラーなのは2校だけであって、わざわざ名札を見ないと名前ワカランというのも失礼な話と思うが。
「君の学校は長髪の場合三つ編みにするんじゃないのかね?」
そっち突っ込んだか。てか、そういうことは知っているのか。
「義務果たさず権利主張するのは感心せんな」
勝ち誇ったように。
それ、私に恥掻かせようとしてるんじゃないの?
すると、
「似合ってればいいんじゃないすか?女の子だし」
シレッと言って味方してくれたのは健太君。
加えて、夕暮れ早い冬の西日がブラインドの隙間から差し込み、ポニーテールを結ぶ黄色いりぼんの黄金きらり。
織り込んだ髪の毛は、お守りではなく。
この手の事件で命を絶った仲間のために。
こんな、こんなおざなりでテキトーな〝臭い物に蓋〟で片付けられてたまるか。
「何という学校だ!」
健太君の台詞に、白髪老眼鏡氏は大げさなアクションで驚いてみせる。そっちから糾弾してウヤムヤという作戦ですか?
そうは行かない。
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オレは手の中のグラジオラスをじっと見つめた。そんな家の子にこんな花。
成瀬の声が途切れた。
「町田……さん?」
お母様がオレを呼んだ。
「は?はい」
「そちら、長い時間持ってられました?」
グラジオラスのこと。
炎天下持ったままうろついたせいか、少しぐったり。
「ちょっと拝借。まぁ、お上がり下さい。雪乃は部屋にいます。どうぞ。雪乃ぉー。お友達がお見舞いに来てくれましたよ」
お母さんは振り返りながら言い、がちゃ、とドアが開いて、ツインテール……いや、おさげ髪と書くべきだろうか、白い浴衣の女の子。
屋内の薄暗さも手伝っただろうか、透き通るような白い肌の女の子。
小柄で、驚いて真ん丸になった瞳の幼さ。
ぽけー……オレの行動を端的に書くとこうなる。
目が離せない。彼女を上から下まで全部見つめてしまう。古淵雪乃……ちゃん。
かわいい。
「えっ?あの……その……」
果たして雪乃ちゃんはオレを見返しつつ、慌てて浴衣の前を合わせつつ。
彼女のその仕草は、オレという〝男〟が来るとは知らなかったことを意味した。
てゆーか浴衣の下下したシタ下って下着だろ。
回れ右。
「突然ごめん。オレ隣のクラスの町田と言います。駅の花が枯れかけてるのを見てそれが古淵さんだってコイツから聞かされてそれで……」
何だこのセリフ。まるで成瀬のシナリオみたいじゃないか。
「ぐ、グラジオラスにグラジオラスじゃ芸がないけど、と、とりあえず同じなら少なくともキライじゃないだろうって」
後ろを向いて、直立不動でそう言うオレの視界を、おばあちゃんが一人横切って行く。
「あれこんにちは」
おばあちゃんオレ見てニッコリ。古淵さんちの家の中から外へ向かって選手宣誓みたいな学生一名。
「はい、こんにちは、です」
オレは言い、激しいバカをしていることに気付いてそのまま引き戸を閉めた。
(つづく)
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「何が言いたいのかね」
白髪老眼鏡氏は理絵子の言葉を遮り、語尾を荒げた。その口調、表情に見せる苛立ちは、故意にも取れる。すなわち、力をちらつかせた脅し。
こんな資料メールでばらまけ。
「何か言ったかね?」
ではなくて。
「ググりゃ出てくるってことです」
白髪老眼鏡氏。きょとん。
意味が判っていない。
これに生徒達はそこここでクスクス笑い。
対し白髪老眼鏡氏は、今、理解できていないのは自分だけ。という雰囲気を把握……
したのだろうか。
もう少し具体的にしてみる。
「自分の本名、そして〝死ね〟。二つ並べてネットで検索。ワラワラ出てくる自分の悪口。その状態でも見るな、それで済むことでしょうか」
「そうやって相手にするからつけあがるんだ」
「そうでしょうか?」
「だから、君は、さっきから、一体、何を言いたいのかね?」
細かく千切り、強く言う言葉に感じる、二重の苛立ち。
せっかく終わりにこぎ着けたのに。
及び、自分の発言が本当に理解不能。
でも今、主導権を与えてはならない。
「それが世界中に公開されているとしても、相手にするな放っておけということですか。それと、腹立つ相手に恥をかかせてやろうと思う心理は異常でしょうか。心理自体は当然で、子どもの頃から誰もがやること。ただ、この歳になったからにはもういけない。そう理解することこそ重要と考えますが」
生徒達がざわつき始める。明らかに会話が噛み合っていない。世界観について大きな認識のズレがあると誰にでも判る。
ネット社会への理解。思春期と白髪期(!)との乖離。
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「どういうことかね?多数決にて論は決した。これを君たちの総意として……」
「失礼ですが、教育委員会の皆様は、それで本当に解決するとお考えで、この提案をなされたのでしょうか?」
扉閉じられる前に核心を口にする。
すると、白髪老眼鏡氏は露骨に嫌悪感。
「何だって?」
「効果があると思えません」
「随分と失礼な物言いじゃないか」
だから失礼だと言ったじゃないか。
しかし、あんたも失礼だ。
「私たち年代の特有の心理、私たち世代の情報環境、それらを踏まえた有効な結論であるとは到底思えない」
敬語を略す。これで言葉が強くなる。
居並ぶ他校の委員達がざわつき始める。自分の言動は、傍目には、学校通り越して教育委員会に楯突く行為そのもの。
すると老眼鏡氏は、鼻の上の老眼鏡を下方にずらし、上目遣いでじろりと理絵子を睨んで寄越した。
「無知だと言わんばかりに聞こえるが」
「そう言ってます」
これもケンカだ。理絵子は思った。
ざわつきが一瞬にして氷のような沈黙に変わる。それはもしかして、みんなの拒絶か。
白髪老眼鏡氏は苦笑混じりに咳払いを一つ。
「ずいぶんと小馬鹿にされたもんだな」
「情報武装くらい中学生でも出来ます。それこそネットで幾らでも手に入りますから。不都合だから遮断できるってメディアじゃないですからね。良い子には良いものだけを。そんな操作ができる時代じゃないんですよ。対して頂戴したレジュメには『由々しき事態となっている。このままではインターネット接続そのものを校則で規制することになりかねない』と、まず書いてある。とてもネットの双方向性を背景にした資料とは思えませんし、それが議論の結論とまず決めてあるようにも読み取れる」
理絵子はホワイトボードのカルトゥーシュをボールペンの先で指し示した。
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「本当に素敵だと思うのは、弱きに味方して強くすることだ。『弱きを助け強きをくじく』ってな。最近じゃ……」
父親はプロ野球阪神球団を再生させた野球人の名を挙げ、
「その引き受けた理由のセリフが有名だけどな。オレが警察官を選んだ理由も要するに同じだ」
父親は少し熱っぽくそう言った。
それは男性原理の一つであろう。顕在化した英雄願望の一側面だ。だが、父の言葉に理絵子が真っ先に思い浮かべたのは、正義のヒーローではなく、自分のりぼんを髪にした遙かなる聖戦女。
あの方は敗者を魂の戦士としてオーディンの元へ導く。逆に言うと、勝利者にオーディンの元へ参じる権利はない。
その点で自分たち学級委員は一般に〝勝ち組〟と見られる。父親の言う通りアンナ・カレーニナの冒頭組だ。
だったらば?
「あのさ……」
理絵子は健太君に発呼した。
24
ホワイトボードには、大文字がマルで囲まれカルトゥーシュ。
〝ケータイは 見ない書かない 持って行かない〟
既に標語。
アホか。
「えーでは、教育委員会からの提案を生徒諸君が了承したものとし、携帯電話やパソコンからのこうした掲示板の閲覧と書き込みを禁止し……」
市教委から派遣の司会役、白髪老眼鏡の男性が言いかけたところで、理絵子は噤んでいた口を開いた。
「異議があります」
挙手して返ってきたのは、白髪老眼鏡氏のきつい目線。
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ゆたか君は屋根網の下から走り出して言いました。2本の木の幹の間に、大きな網がひとつ作られ、黄色と黒の縦縞模様の手のひらサイズ。
〈……あら妖精さん。え?人間?〉
「すっげぇ初めて見た。あ、お前成熟個体じゃん」
ゆたか君はオオジョロウグモの懸念などお構いなしです。巣の表へ裏へ回ってクモの体を観察します。
〈その少年が糸を届ける〉
コバルトブルーが言いました。
〈でも……〉
〈自ら名乗り出たのだ。地上の者達の推薦という。だったらお手並み拝見だ〉
〈判りました。では荷を作ります。幾つ運べますか?〉
〈少年。一つ持ってみよ。幾つなら持って行けそうだ〉
「待てよ……」
ゆたか君が糸玉に手を伸ばします。
どのくらいの重さなのでしょう。私にも手伝えれば……そう思って私が糸玉に近づいたその時。
〈あなたは触れてはならぬ。妖精の君〉
〈え……〉
理由を言うからゆたか君に取り次ぐな。コバルトブルーはそう言ってこう伝えてきました。ひとつ、アラクネが織り上げたもの……トガとして完成したもののみ触れて良い。糸は布となって初めて天のものとなる。それまでは地のものであり、天の生き物である妖精が触れることは禁忌。
そしてもうひとつ、この糸を運ぶ者には条件と権利がある。今の場合ゆたか君にしか許されていない。
運んでいいのはゆたか君だけ。妖精は触ってはならない。
〈判りました〉
「3つだな」
頷き、少し距離を取る私の横で、ゆたか君が糸玉を両手で抱えて言いました。
距離を取ったのは、彼がポンポンと弄んでいるので、転がり落ちれば私が触ることになるから。
オオジョロウグモが巣から降りてきて、糸玉に糸をかけ始めます。ゆたか君が背負えるように輪を作る由。
その作業をギガノトアラクネが制しました。
〈3つ?軽いと思って甘く見ないほうがいい。閉ざされた道を開くだけだ。ひとつにしておけ〉
「平気だよ」
「私もそこで何が起こっているのか様子が判らない。イザという事態になっても私が手を出すことは出来ない。一回織り姫のところまで行き着くことが……」
(つづく)
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明らかに矛盾である。だが、それが実態ではないのか。傷つきやすい世代が尚のこと傷つきやすくなった。対し情報は過多に過ぎる。傷つける針は見えないほど小さく、しかしその先端は細く鋭く尖って奥深くへ突き刺さり、量も多い。なのに、オトナの世代はその情報とは少し離れた距離にあり、更には目立つナイフばかりを気にして針の鋭さに気付かない。
となると、極めて超高感度の心のラジオ、黒野理絵子。修験者の声を聞き、意図を解したのは物心ついてから。
その前はどうしていたのか。
母親に尋ねたら。
「お前の役目は泣いている子に力を与えることだ。泣いてる子を見つけたら、でも君はこんだけ凄いんだよって言ってあげなさいって。お前の力はそれを見つけるためのものだって。そう教えた。そうか、さすがに憶えてないか。幼稚園に入る時の話だからねぇ」
それは、今でもしていること。つまりは以来の習い性か。
無論、その動きを学校に展開するのは問題解決の一つの道だろう。でも『あの子の良いところを、みんなで一つ一つ紙に書いてください』……中学生のやることだろうか。それはむしろ今の自分のやり方で活かすべきであろう。自分じゃ見えない背中の翼を、オフライン(!)で教えるのだ。
それよりこの時代有効なのは、多分、超然性。裏オンライン(!)で何書かれようと超然としていられる心のタフネス。すなわち自信……何言われようとオレはオレだ……を与える方法。これは結局、幼時体験の必要性を示唆する。
しかし現代、その必要は確率の支配下にある。すると、幼時体験の無い心は、自分に自信を持ちたい時、英雄が猛獣を狩るように、誰かを傷付けて優位性を確認する。幼時に終わっているべき衝突がなされていないため、思春期にまずそこから出てくるのである。ただ、10年育ったなりの〝知恵〟が働き、その手段は巧妙となる。結果が裏であり、働く力学が勝ち負けだ。勝ちと断じた方に与して、誰かを負けにする。しかも露見しないように。
〝いじめ〟の構図である。この際、露見を防ぐ知恵は、逆転しないスパイラルを形成する。そのスパイラルはゴルディオンの結び目そのものであり、解くより断ち切る剣が求められる。
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23
要するに。
本来、人間同士のコミュニケーションというのは、自我すらあやふやな幼い時代から始まる。それはエゴとエゴとの壮絶な正面衝突であって、傷付くとかそんなコト関係ないから、本音でモノを言い合う。力任せに弱点コンプレックスを容赦なく突きえぐる。結果傷付けられる。或いは、相手を傷付けたと親から激しく叱責される。
そうした繰り返しから、次第にココロの距離の取り方やアプローチ、禁忌を覚えて行く。引き替えに、コドモ社会における自分の地位・着地点を発見すると共に、自分について〝他にないオンリーワン〟を見出すこととなり、それが自信と自己確立の礎となる。
切磋琢磨というヤツだ。糸は切れて補修を繰り返すうちに太くなる。ケガを繰り返した身体の部位は皮膚が分厚くなる。ココロも同じ。
対し現代はどうか。
まず根本的に子供が少ない。いたとして、外で遊ぶより家でゲーム。否、外でもゲーム。
或いは週に7日習い事とか。
どっちにせよ、〝勝ち負け〟だけのコミュニケーション。
なまじケンカにでもなろうものなら、〝勝ち負け〟付けるために取り返しの付かないレベルまで行ってしまったり、或いは一足飛びに親が介入し、逆に謝罪の一つもない。
で、思春期を迎える。
自己確立。それはオトナ社会の中で、自分の居場所を発見すること。
ただ、幼児期の切磋琢磨と違うのは、自分の望みに制約が加わって葛藤を伴うこと。すなわち、認めて欲しいことと、実際の周囲の認識に、すべからくズレがあること。
しかも、望みは一つではない。結果、十重二十重のトレードオフに悩み、苦しみ、努力と妥協を繰り返し、心の傷と傷跡を増やしながら、次第に落ちついて行く。振り返る立場の人はその過程を青春と呼ぶ。
その過程の中で。
傷付けられる、という事態に遭遇した時を考える。容易に判るのは、取っ組み合いを繰り返し、何度も引っかかれた面の皮と、白い柔肌では、反応が相当異なるということ。傷が生じる感度、出来る傷の深さ、そして傷の復旧速度。
全てが異なる。
そこで、このラジオは壊れやすいからと、毒電波を拾ってはならないと、毒電波がすぐ見つかるように感度を極端に上げた結果、遠くから入感した僅かな毒電波でその通り壊れてしまう。
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すなわち彼女もまた自信がないのだ。だから自分から動かず、自分を出さず、〝確実な何か〟を待ち、その何かに〝やってもらう〟のだ。頼むフリで頼るのである。
ある意味魔を召還し命じるのと同じである。ただ、そんな彼女を否定はしないし、間違いとも今は言わない。自分を少しでも有利に……動機はただそれだけだからだ。そして、自分に自信があれば、そんな心理は生じない。
だから、今後も自分は、彼女にとってクラス委員であり続ける。
だから、今後彼女は、絡んだ髪の毛を本気で解こうとする。彼女は手のひらの細く絡んだ黄金を、あるべき姿に戻そうとする。それは途方もなく時間を要し、要求された魔法の抑制は、事態と自己を冷静に見つめ直す時間を与える。
結果、彼女は解けるのであろうか?占いは嫌いだが。
ニーベルングは歌う。水底の黄金を指輪に出来る者は。
登与がその先を知り、目を見開いて自分を見た。
「それは……」
「ケニング。じゃ、由佳ちゃん頑張って。今、バトンを持っているのはあなただから。私の手には何もないよ」
理絵子は言った。これで同じコトを再三言った。信じるかどうかは最早彼女次第だ。テレパシーは希有の能力。しかし、判る力ではあっても、変わる力にはなり得ない。不定なことは〝不定〟としか判らない。
ただ、ここに少なくとも確定した事実一つある。友達がまた一人増えた。
能力繋がりの。いや、正しくは二人か。
遙かなる、馬上のひと。
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「ひ、姫様!」
あすかちゃんは苦労して、それだけ絞り出した。
レムリアは頷く。そして彼女が、あすかちゃんが、決して明るく楽しい学校生活を送っているわけではない、と感じ取る。但しその認識は決して“特殊感覚”で読み取ったわけではない。物腰と雰囲気からそう感じただけ。
…人付き合いが少ない気がしたのだ。
「ど、どうして…」
「お答えしてないから。あなたの質問に」
「え、でも、その…」
しどろもどろ。
驚かせてしまったか、とレムリアは思う。でも文書や電話では“真偽”の点で多分疑いを持たれる。
「あのう…」
母親が口を挟んだ。他の奥さん達が驚愕の表情を作っており、自分を見ている。
まぁ、会話の内容から自分が何者か明白であろう。そして、状態から、“お忍びで出てきた”と察したようである。奥様方3人で人垣を作ってくれる。
「…よろしかったら、お入りになりません?その、お姫様」
母親は階段の方を手で示した。こちらへどうぞ、の意。
「そうよそうよ。ここじゃ見られちゃうよ」
「いいなぁ、何か映画みたい」
奥さん達が付け加える。
言うそばからバイクが1台行き過ぎる。確かに、ここにいるのは全てぶちこわしに繋がる可能性が高い。
「ジイは待っておりますので」
高坂運転手が笑顔を見せる。
「こういう時は遠慮しちゃだめ」
奥さんの一人がいい、背中を押した。
「そうそう、さぁ、行って行って。私たちがここで見張っておく」
「あ、はぁ、では…」
もう一人にも背中を押され、レムリアは階段を上がる。
205号室。母親が恐縮の表情で鉄扉を開く。
「ごめんなさいね、掃除も何もしてないから。汚くて…」
「いいえ申し訳ないです。こちらこそ、突然…」
レムリアは頭を下げ、お邪魔する。一旦座して靴を揃えて向きを変え、立ち上がって室内へ。
「…本当に日本人じゃないの?…ですか?」
その仕草を見て母親は言った。確かに一連の動作、外見、言語の面からすれば、彼女が日本人じゃないという方が疑義を招く。
「ええ。最も、先祖は東アジアの出なんですけどね」
「そういうこと…。さぁ、座ってらして。お茶でも出すわ。あすか、用事があるのはあなたでしょう。何してるのそんなところで」
(つづく)
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顔を見ての改まった、ではなく。
「いや。オマエラが何事もなくて良かったよ」
彼はさらりと返してのけた。それは期待通りの反応。
男の反応。
彼は自分たちを救うことにより、自信を得、結果、男になった。
このやりとりがいろんな意味で皮肉と事実の幕の内弁当になることは必定だった。
登与が洞察したと判る。
「人間関係ってまずは知ることから始まると思うのね。相手も、自分自身も」
登与は言いながら、理絵子と繋いだ手を離し、北村由佳に近づき、その足下に膝を突いた。
「北村さん」
登与は改まって呼び、顔を見上げた。
「お守りをあげる」
登与は手のひらから聖女の髪の毛を一本引っ張り出そうとする。すると引っかかり出てこず、尚も引っ張ったら、くるくる丸まって複雑に絡み合った。
それこそゴルディオンの結び目。
「これを解きなさい」
登与は丸く絡んだ髪の毛一本を北村由佳に渡した。
絡みを必然と解したのだ。
「解いたその時、あなたの望みは叶えられる。但し掟が一つ。あなたがそれを解くまでは、あなたはあなたの気持ちを誰にも明かしてはならない。あなたの秘密にしておかねばならない。但し、見つめることのみは許される」
登与はそれこそ魔術の手ほどきのように、北村由佳に告げた。
「え?」
唐突の成り行きに北村由佳は問い返した。しかし高千穂登与は何も言わず、絡んだ髪の毛を彼女にしっかりと握らせた。
「うん……わかった」
北村由佳は手のひらの髪の毛を見、作ったような笑みを見せる。
理絵子は判ってしまう。それさえ確実ならどうでもいい。そんな彼女の心理。
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「高千穂……黒野……おい……」
「女の秘密」
理絵子はひとことそう言った。
「右に同じく」
高千穂登与が言葉を繋ぎ、
微笑を浮かべる。元々整った顔立ちの娘である。微笑んだらそれこそ天使。
「秘密って……おい、あの……それだけか?」
メタボ氏は返す言葉無く、少女二人と空き家になった準備室を交互に見るのみ。
理絵子は登与と手を繋ぎ、メタボ氏の脇をすり抜け、部屋から出る。
廊下には担任竹内と、クラスメート達に付き添われた北村由佳。
かしこまったような顔をしていたが、二人が出てきたと知り顔を上げ、二人が手を繋いでいると知りハッと目を見開く。
彼女を襲った衝撃が見て取れる。対立していた霊能者二人が手を取り合うことの意味。
取り残された自分、仲間はずれ。
孤独、孤立。
表情の曇る北村由佳に、高千穂登与は微笑んで見せた。
「ごめんなさい。力になれなくて」
彼女はまず言った。
「あなたの願いは、人の心を変えること。でもね、人の心が判ることと、人の心が変わることは違うんだ。『か』の字と『わ』の字が入れ替わっただけなんだけどね。私はその辺思い上がってた。あなたや、みんなを振り回した。ごめんなさい」
高千穂登与の告白に、北村由佳はそこでまず理絵子を見た。彼女の関心が再び、〝理絵子と健太の関係〟に向いたことを、理絵子……
と、高千穂登与は知った。
彼女の関心は何があろうとそこへ帰着する。文字通りラブいずブラインド。
理絵子は音もなくため息。
判った。同様に振り回したことを詫びろとは言わない。アナタにはまず、その必要性を知る機会が必要だ。
「健太君いろいろとありがとう」
理絵子は斜め後ろの彼に向かってさらりと言った。
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手のひらの髪の毛。対し、砂が削り取っていったのだろう。魔法円やおどろおどろしい一切はその場に跡形もない。備品類も棚ごと吹き飛び、壁にその跡が影となって残っているだけ。
空っぽの部屋に自分たちだけ。
ただ、剣が消えている。
「え?吹き飛んだ?」
高千穂登与がうろたえた。
理絵子は彼女にゆっくり首を横に振って見せた。
「判るでしょう。心を澄ませて……」
ある。霊的な剣である。故に次元が高くて肉眼で見えず、手で触れることも出来ない。今さっき触れられたのは、アルヴィトの力。
そして剣は恐らく、本当に必要となった時取り出すことが許可される。
この処置はアルヴィトの封じであると理絵子は知った。容易なことでは剣を持てない。不用意に霊能を発揮するならば、悪意ある者にこの剣の存在を察知されることになる。それがどれほど危険なことかを自分たちは知っている。
秘密にせざるを得ないように仕向けたのである。
それは安易な行動への戒めであろうし、一般化して自分たちが〝特殊能力〟に頼りすぎることへの戒めを意味しよう。
しかも、二人共通の秘密。
理絵子は気付く。ヒミツの共有が意味するもの。
「言っちゃだめ」
聖なる名を口にしようとした高千穂登与を、理絵子は唇に指当て制した。
代わりに、ただ二人見つめ合い頷き合う。光発するかのような瞳が自分を見つめる。
それは認められ、自信を得た瞳。
彼女は脱した。
人々の足音。健太君が自分たちと彼らを交互に見ている。
「おーいりえぼー」
「これは……何があった?」
様相一変の部屋を見てメタボ氏が問うた。健太君と同じセリフなのは、他に言う言葉が無いとも言えた。
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そこで犬に吠えられて話が続かない。怖くはないがやかましくて近所迷惑。オレ達は走って犬の庭先を過ぎ、その先の古風な家の玄関先に立った。
手入れされた垣根に囲まれ、引き戸の前には打ち水がしてあり盛り塩。表札は御影石。
「立派そうな。なんか緊張するな」
オレが言うと。
「だからあらぬ誤解を招いたのかもね」
成瀬は言い、引き戸を開いた。呼び鈴もないのでこうやって「ごめんください」。
下駄箱の上に生け花。
「うわすごい。それでか……」
成瀬が目を剥くがオレには何が何だか。
「何が?」
「この花だよ」
「いらっしゃいまし」
奥から上品そうな女性の声がして、着物姿が廊下をスススー。
「ああ、若林さんからお話があった成瀬さんね。雪乃がいつもお世話になっております」
ということはお母さんか。
どこか出かける直前……病気の娘を置いてそれはあるまい。
てぇことはこの時代に母親が家で着物を着ている?
「そちら……ウワサの雪乃のボーイフレンドさんとか」
「ち、ちが」
「隣のクラスなんですけどね。是非お見舞いにと。雪乃ちゃんが代えてた駅の花を気にしてて」
とりあえず自己紹介。
「町田大樹……です。今日はこいつの付きあ……でっ!」
頓狂な声の理由。成瀬がオレの足を踏んだ。
「私に一人じゃ照れくさいから付き合えってうるさくて。まぁ女の子の家に男の子一人じゃ心細かろうとエスコートして参りました。幼なじみのよしみと言うことで。しかしこのお花すごいですね。思い出したんですが古淵さんって……」
マシンガントークから聞き取れたのは「師範代」というコトバ。
華道の先生。だからいつも着物。
(つづく)
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ともあれまずは円の解放。二重の力場が掛かっているので、先に自分の封印を解く。
「オン キリ キャラ ハラ ハラ フタラン バソツ ソワカ」
理絵子はこれを3回唱え。
「オン バサラ ドシャコ」
最後にこう付け足し、指先で小石を弾くように、中指で中空を弾いた。
円柱結界と直交軸をなす密教力場が消失する。
次に魔法円。
こっちは何も要らぬ。それこそゴルディオンのようにただ単にぶった切ればよい。
すると、高千穂登与が興味を示した。剣という頼れる存在のなせる技か、だったら〝処理〟したい。自分でケリを付けたい。そんな気持ちが少し。
「一緒にやる?」
問うたら、高千穂登与は頷いた。
二人手を合わせて剣を持つ。ゴルディオンの結び目……要するに通常の儀式次第では最早解きほぐせないほどグチャグチャだから剣で断ち切れ。
アレキサンダー大王の逸話。
床面に剣先を立て、血塗られた円を上から下まで一気に切り裂く。
軌跡に沿って流星が走る。そして。
爆発。と現象的には言って良かった。ガラスが割れ砕け、超常的にロックされていたであろう廊下ドアがへし折れて吹き飛ぶ。
凄絶な砂嵐が吹き込む。
さながらハルマッタン。但し勿論、近場に砂丘の類があるわけではない。
超常の少女二人は思わず目を閉じる。閉じつつも、剣を共に持ち、各々に託された黄金の髪の毛を胸に抱き、風から守る。
自分の胸の谷間が何かを守る……女神性と交信した影響もあろうか、理絵子は自分の〝女〟を強く激しく意識した。
砂嵐はひとしきり吹いて、去った。
上履きのゴムが床をこする音。
「これは一体何があったんだ?」
健太君である。人の肉声が懐かしい。
二人は全身を覆う砂を払い落としながら立ち上がる。キラキラと金色に跳ねながら砂が床に散る。
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死んでいる。私と同じタイミングで気付いたようで、ゆたか君の身体がぎくり。
〈趣味嗜好で命をコントロールし弄ぶのが人間か、少年よ〉
コバルトブルーは言いながら、屋根網を切り開きました。この屋根網は、〝兼〟失われた命を受け止めるために。
落ちてきたクモたちの亡骸を、集まったクモたちが食べます。
凄惨な状況です。詳しくは書きません。ただ、獰猛で血に飢えた、というより、悲しい儀式、と私は受け取りました。
〈その通り、母の中に戻すのだ。妖精の君。彼らは殺されたのではなく、母の元へ帰ったのだ〉
コバルトブルーは重く言いました。
〈だから、私のように巨大になる〉
次いで、ギガノトアラクネが告白するように。
このクモたちが大きくなるということ。それはその分、多くのクモが命失うこと。
悲しい儀式が終わりを告げました。
〈さて、何の用事かな?少年〉
コバルトブルーの問いかけに、ギガノトアラクネが次第を説明。
〈君が糸を持って行くというのか?〉
「そうだよ。糸はどこにある?」
〈ちょこざいな。真の勇気を持たない者があそこを通ると命を失う。帰れ〉
それはコバルトブルーの試みであると私は気がつきました。つまり、ゆたか君の真剣さを推し量っている。
〈恐怖と驚きと悲しみがお前を襲う。お前のような小僧がそれに耐えられると私は思わぬ〉
「やってみなくちゃわかんねぇじゃんかよ。あんたそこ行ったことあんのか?」
ゆたか君はそう応じました。
コバルトブルーは……笑った。になるのでしょうか。そんな意志で、
〈よかろう。但し怖じ気づいて戻ってきたら取って食う。そこでお前が命落としたり、別の世界へ飛ばされても我らは関知せぬ〉
「判ったよ。糸はどこだい」
〈案内しよう。こちらだ〉
私たちはコバルトブルーの後について、アミシノの恐らく反対側へ出ました。
屋根網の外側に糸玉が沢山積んであります。届けられない在庫なのでしょう。
〈あっ。族長様。申し訳ありません。請け負ってもらえる方がなかなかその……〉
「オオジョロウグモだ!」
(つづく)
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髪の毛はアルヴィトが手にすると魔法の手際を持って黄金の糸で束ねられた。アルヴィトは馬から下り、登与の眼前に腰を下ろし、髪の毛をその手に持たせた。
戦女の手が殊の外温かいことに登与が驚いている。
〈怖くなったらこれを見て私を思え。それでも尚怖いのであれば私の名を呼べ。私はそなたに加勢しよう。必要とあれば仲間を伴い馳せ参じる。我が名はアルヴィト〉
すなわち、お守りであり、彼女の味方であることの証。
それは彼女的表現を使うならば、〝守護霊〟。
守護霊がヴァルキューレ。
その強靱な支持と理解は、心に大きな根を生やすであろう。
〈は、はい〉
登与は畏まって髪の毛を受け取り、胸に抱いた。
アルヴィトは次いで理絵子を見、同様に髪の毛を一束託した。
無論、お守り用途ではない。むしろ思い浮かべたギリシャ神話。
〈いつでも良い。いつか汝が戦の地を訪れた時、無名戦士の墓に供えて欲しい。我らは誰一人とも見捨てたりはしない。それは諸部族伝承に我らの名の有無を問わず。ヴァルハラは全ての戦士のために約束された地。それと、凜たる娘よ〉
アルヴィトは理絵子に大剣の隣、短剣を抜いて差し出した。
〈この円はゴルディオンと化している。これを用いて解放せよ。汝の無垢の花びらを汚す必要はない〉
アルヴィトは理絵子が手にしているりぼん……無垢の花びらを手に取ると、両の手で引っ張って、パン、と言わせた。
〈初見。その剣の代わりに我にくれぬか?〉
意外な言葉に理絵子はちょっと驚いた。ただ、断る理由はどこにもない。
むしろもらってくれるなら誇り高い。
〈髪結いにして飾りとするのがポピュラーです……高千穂さん手伝って〉
〈え?〉
〈この方の髪の毛バサバサでお帰り頂くわけには行かない〉
〈あ、うん〉
二人して、聖なる女性の髪に触れる。手を櫛にして少し梳き、残り髪を丁寧にまとめて結わえ、小さくポニーテールとする。
黄金の髪の毛を結ぶ白いりぼんの神々しさ。
〈凛々しくてございます〉
〈うむ。気に入った。先の者が霊界に達したようだ。後は任せて良いか〉
〈この剣に誓って〉
理絵子は剣に聖女の霊光(オーラ)を閃かす。
〈オーディンに伝え置く〉
理絵子が頭を下げると、ヴァルキューレ・アルヴィトは手綱を引き、円の彼方へと馬を駆って去った。
小さいがずっしり重い聖戦士の剣。全体がプラチナ。
十字架が今度は聖剣に変わった。それは剣そのもののように重い意味があるのであろう。が、だからって何か変えてはならないという認識がある。
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彼女が反射的にその姿勢を取った。すなわち〝和〟の礼儀をそれなりに仕込まれた娘なのだと理絵子は理解した。
和の誠意を携え、高千穂登与は惹き付けられるようにヴァルキューレアルヴィトを瞳に収める。白き聖女が彼女の瞳に結像する。
高位霊的存在との邂逅。
彼女がそもそも意識したキリスト教的〝天使〟ではない。但し、真にして聖なる天の使いであり、同位比肩する。
聖女アルヴィトは小さく笑った。
〈礼儀ありがたく受け取る。シャーマンの娘よ。そなたは強い。但し聞け。そなたに忠告がある。力を安易に用いるな。そなたの力は安売りするものではない。力は救うため、伝えるために備わったものだ。そもそもが特別なのだ。それはそなたさえ判っていればよい。あまつさえはこの凜たる娘はそなたを知った。凜たる娘は理解した。それ以上何か必要か。蓋然性を吟味せよ。
特別を認めさせるために利用するではない。本質を掌握せよ。奥深くへ格納せよ。なぜなら今後も有象無象がそなたを誘惑し利用しようとする。それはそなたが強いからだ。そなたは真か偽か見極め、都度選択をする必然に遭遇する。されば最初から隠しておけ〉
アルヴィトの言葉は文字に起こすと難しく、語彙は中学生が操るものではない。ただ、意図は伝わったはずである。
超常感覚の故に。
〈不安か〉
登与の動揺を見抜いて聖女アルヴィトは尋ねた。
ごっそり無くなった彼女の〝力〟。彼女はここに来て、その実質が魔性による心の蹂躙であったと理解した。
この聖女アルヴィトと対極をなすが故に。
そして当然訪れるのは、再度同じ事態へ陥る恐怖。
〈……はい〉
登与は素直なまでに頷いた。すなわち、三度書くであろうか、〝自信がない〟。
超能力を持っていても、心の堅牢さを証(あかし)しない。
力は決して堅牢な心を築かない。
堅牢な心を築くのは力ではない。
ただ、堅牢な心は強い。
聖女アルヴィトは登与の答えに頷き、理解を示した。
〈よろしい。ならば、これを持て〉
聖女アルヴィトは腰の大剣を抜いた。鮮烈な銀色に輝く剣。
次いで豊穣なる黄金の髪をたくし上げ、その中程を太刀で断ち切る。
肩の下でばっさりと切り落とした髪の毛。理絵子が思い出したのはギリシャ神話、〝かみのけ座〟の話。
聖女アルヴィトは、理絵子に唇の端で笑って寄越した。
〈ならば話が早い〉
剣を元通り腰の鞘に収め、切った髪の毛を二つに分ける。
〈シャーマンの娘。これを〉
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狼が剣を口にした。首をひねって器用にその場に突き立て、同様に鎧を咥えて再度二本脚で立ち、剣の柄へ引っ掛けた。
剣と鎧の墓標。これで彼を〝送った〟ことになるようだ。
すると、その時を待っていたように、狼と理絵子との間に、燦然たる白さの馬が蹄の音と共に降り立った。
馬の背には手綱持つ女性の姿があった。金色の髪をなびかせ、理絵子達を真っ直ぐに見ている。
古エッダのヴァルキューレ、アルヴィト。
全知という名の聖戦女。
〈異国の娘よ。汝の対応見事であった〉
碧眼の女戦士は理絵子を見て言った。
〈畏れ多きこと〉
理絵子は胸に手をして思わず跪く。霊的にとてつもなく高みの存在であることは、それを推し量ることすら失礼と感じるほどであった。
〈そちらの娘へ取り次いでもらえぬか〉
高千穂登与のこと。
〈彼女は恐れております。心開きますかどうか〉
〈手にあるそれで触れてくれればよい〉
ロザリオ。この場で唯一の聖具。円を切った動機。現在、霊界通信機。
〈承知しました〉
理絵子は答えると振り返った。部屋の隅、物理的に逃げられる限界の位置で小さく縮こまり、胎児のように丸くなり、両耳を押さえ臥している娘。
理絵子は彼女の傍らに膝立ちとなり、身を屈め、側頭部に十字架を触れさせる。高千穂登与は一瞬、身体をびくりと震わす。
しかしすぐに真実に気付いたようである。伴い彼女は縮めていた身体を夜明けの花のように少しずつ解き始める。
呼応して光が登与の身を照らし始める。その明滅し踊るような蛍光は、オーロラを思わせる。
オーロラは天翔るヴァルキューレの鎧煌めく姿という。
〈シャーマンの娘よ。恐れることはない。面(おもて)を上げなさい〉
怜悧にして穏和なトーンで、馬上の聖女は高千穂登与を呼んだ。シャーマン……一瞥で見抜くのは当然か。
「は、はい」
絞り出すような声。ただ、女神に近い存在であり恐怖の対象ではないとは、高千穂登与も認識したようである。
恐る恐る、顔を上げる。血の気が引いたのだろう、その顔の白いことは紙を思わせる。
次いで理絵子の背後に気がつき、ハッとしたように目を見開き、その場に正座の姿勢を取る。
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5
住所からすると彼女…あすかちゃんのお宅はアパートのようである。コート・イワフジ205。
一方通行が多く、たどり着くまでにやや要したが、どうにかアパートに行き着けた。
鉄筋コンクリート三階建てであり、駐車場脇エントランスでは、奥さん達が談笑中。
タクシーをその駐車場の空き区画に入れてもらい、降り立つ。奥さん達の目がちらりとこちらに向き、談笑が止まった。
…“誘拐王女”のことは知っているようである。但し、現時点では“似ている”程度の認識で、まさか、とすら思っていない。
しかしここまで来ればすぐにバレることだ。あえて隠す必要もない。
「…すいません」
あすかちゃんについて尋ねてみる。
意外な返事が返ってきた。
「あすかならウチの娘ですけど…今近所の公園に逆上がりの練習に行ってるの。何かご用?」
“教育ママ風”そんな印象の女性が、やや強い口調で言った。余所者に対する警戒心。
「あの、今日の“救え世界の子ども達”の講演で質問を頂いたんですが、お答えする時間が無くて…」
母親は少し考え、背景を理解したらしく、ああ、と言った。
「…関係者の方?」
「…ええそうです」
「お子様スタッフ?リニア館みたいな?」
「あ、はい」
レムリアは答えてから、母親の物言いの意味を知った。その博覧会で、出展している鉄道会社が子どものアテンダントを募集し、自分もその類と受け取ったのだ。このあたりは特殊能力。
「あらそう、もう少しで帰ると思うんだけど」
あすかちゃんの母親が首を伸ばす。レムリアはその方向に意識を向け、そして察知し、視線を向けた。
「あら帰ってきた」
母親が言い終わる前に、レムリアは視線の先にあすかちゃんを捉えている。
「奈良井あすかさん?」
レムリアの問いかけに、メガネの少女は足を止めた。
訝しげに自分を見、程なくメガネの奥の目を円くし、更には口まであんぐりと開く。
「…!」
自分を指差して何か言おうとするが言葉が出ない。
「何ですかあすか!初対面の人指差してっ」
母親が叱る。
(つづく)
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真っ白な最新型音楽携帯電話。タッチパネルでいじるヤツ。発売直後、都会の店に行列が出来てニュースになった。
「すっげー」
オレは思わず言った。使ってるヒトを初めて見た。
すると男性は隙っ歯だらけの口で笑って
「カッチョエエだろ。これ鳴らしながら仕事するとはかどるんだわ」
若手演歌歌手のファンとか。mp3でダウンロードして突っ込んでる。
ナントカ節mp3。
演歌って〝昭和くさい〟んだけど、この辺り21世紀なんだろうなぁ。
男性の華麗な指さばきで一発接続。
「……ああ、さくらさんかい?若林だがね。お宅の雪乃ちゃん。……え?ああ、それでかね。本校からボーイフレンドさんがお見舞いに」
「ちょ、ちょっとおじさん!」
「いない?女の子さんも一緒だがよ」
「成瀬、と言います」
「成瀬さん……そうらかね。案内……え?いいよ。オレが連れてっちゃるって。オレの田んぼの門とこだし。あい、あい、判った」
男性は携帯をランニングの下に戻した。
「べ、別に付き合ってるわけじゃないっす。成り行き上ここにいるだけで」
オレは早速言った。
「んじゃその花は何だべや?まぁええ。この後ろの軽トラの向こうの角を右曲がって3軒目だ。庭に犬がいてワンワン吠える。そのもう一軒向こうだ。どっちも古淵だから間違うでねーぞ。犬がいる方はヨメさんがお喋りのウワサ好きでな。彼氏が来たとかあること無いこと言うでな。飼い主に似るとはよく言ったもんだて」
男性は肩越しに背後の軽トラックを指さして言った。〝あることないこと〟がやや引っかかるが。
「判りました。ありがとうございました」
「ええってことよ。またおいで」
〝また来る〟ことがあるのかどうか知らないが、オレ達は言われた通り軽トラの向こうを曲がった。
「オレが花を知られたくない理由が判ったか?」
「全っ然」
(つづく)
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以上自分の理解を待ち、自分の中に誰かが入る。狼に続いてたった今到着し、自分を霊媒に、顕れる霊的存在。
自分と同時にここにいるそのひと。
それは。
〈さよう。我が身に降りしはアルヴィト。我が言葉に従い、この者にその身任せるならば、汝オーディンの傍らに座することになろう。或いは永遠に封じられるか。選択せよ誇り高き戦士エインヘリヤル〉
〈おお、おお、ヴァルキューレのアルヴィト。いにしえのエッダに名を連ねるアルヴィト。やっと、やっと我が元に……〉
古代の戦士エインヘリヤルは歓喜の涙を流した。
太古の戦場。
それは破壊された人体片が累々と横たわる凄惨な状況であり、それら遺骸にはやがて狼が群がる。
潰えた戦士が狼に屠られる。それを、主神オーディンが天の戦へ召還する儀式と捉え、神聖化する。
ニーベルングの更に源流、北欧神話である。対して魔戦士の彼は敗残として晒し者にされ、放置され、故にその魂は行き場無く流離ったのだ。
単に〝助けて〟欲しくはない。戦士としてまっとうな最期を遂げたい。当然の反応であろう。
彼を救うのは誇り高き死だ。
「時は来た。選択せよ戦士エインヘリヤル」
理絵子は同時存在の意志を肉声で発した。彼が人間の戦士であったことへの敬意として。
〈オーディンの元へ〉
彼は間髪を入れず答えた。
「よろしい。屠れ狼」
理絵子は傍らの使者に命じた。
狼は応じると、牙を剥き駆け出し、魔法円へ突入した。
そして、二本の後脚で立ち上がると、見上げるような大きさで流浪の戦士へ躍りかかった。
巨大な灰色の身体が舞い飛び、首を振って戦士の四肢を食いちぎり、内蔵をえぐり出す。
血にまみれた戦士の昇天。
〈おおこの痛み我が喜び。喜んでこの身捧げようぞ〉
凄惨そのものの状況を呈して、戦士エインヘリヤルは血肉の塊となり、噛み砕かれ、人としての形象を失い、四散し、狼の餌となり、飲み込まれ、消えた。
身につけていた鎖の鎧がガシャンと音を立てて落ち、錆の付いた剣が横たわる。その中に偉躯の狼が四本の脚で立ってあり、血に染まった顔をこちらに向け、口の周りを舌なめずり。
儀式の終わりである。対し墓標を組めと指示する声があった。理絵子は魔法円へ手を伸ばし。
その必要はなかった。そういう意志を持つだけで良かった。
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純白の布。
ならばこれがある。理絵子は髪のりぼんを手にした。
戦士が察知した。己れは退路を断たれ、強制的に別の世界に送り込まれる。
ただ、理絵子は彼を魔界へ戻すつもりはない。なぜなら彼は元々〝人〟だからだ。ならば彷徨い来る〝訪問者〟達と同じで、本当に必要なのは慰謝と救いであるはず。
彼らと同様、救う道はないのか。
だが、魔戦士と化した彼に取り、助けられる、というのは屈辱であるらしい。
魔の軍門に下った故には、そうした虜囚の屈辱感もあるらしい。
そこを解除しないと彼は納得しない。
その方法は。力任せではなく。
意志:やめろ
「悪いけど返すわけには行かない。あなたが行くべきは魔界ではなくヴァルハラのはず」
理絵子は戦士の持つ神話的、欧州的イメージから、戦士が死して赴く場所として〝ニーベルングの指輪〟に出てくる聖地を引いた。
すると思いも寄らなかった反応を得た。以下会話の形式を用いる。
〈ヴァルハラ?なぜその地を知る異郷の娘よ〉
その時。
〈遠き狼と鴉の声による、ラグナロクにはまだ早い〉
理絵子は突如思い浮かんだその言葉をまず告げた。自分自身何を言っているのか意味不明だが、聖句に属し、言って良いとは判った。
続いて示唆が訪れる。異国の娘よ、まず言葉だけ先に送った。次に使い手が到着する。
今しばらく待て。
理絵子は知った。誰かがここへ来ようとしている。無論味方である。
程なく、背後から灰色の毛で覆われた獣が現れ、傍らに座した。
こちらを見て一回尻尾を振る。大きな狼である。もちろん霊的な存在、神格化された〝犬神=大神〟である。なお、狼の扱いに関するこの点は洋の東西を問わず不思議と共通。
この狼こそ先んじて到着したその使者。
狼は顔を魔戦士に向け、対し理絵子に尻尾を一回振った。
〝OK〟のサインである。狼は自分の命令を待っている、と理絵子は知った。その命令とは。
引き続き示唆が来たので言葉にする。
〈戦士エインヘリヤル。汝オーディンの裾に額を付けるを欲するか〉
〈そなたヴァルキューレ〉
驚愕を含んだ戦士の言葉を受け、狼は理絵子を見た。理解の有無を問うようであった。
十字架で九字切って、開いた世界がどこに繋がったか、理絵子はようやく理解した。
ルーン文字の世界。であればこの狼はケニング(暗喩)に言うヴァルキューレの馬。
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以上コンマ3秒。理絵子は鎖を手首に巻き付け、十字架を霊魂へ向ける。
これに、霊魂の戦士は少々の驚きと興味を示した。
意志:私と戦うつもりか?
霊魂の戦士。浮かんだイメージは、トドメ刺さんと腰の剣抜く古代の戦士。麻薬の煙で鼓舞され、血まみれの呪術で戦場へ送り出された殺戮人間。
意志:魔術など何も知らない小娘が
「悪いけど能書き垂れる趣味は無くてね」
理絵子はそれだけ言った。こっちはこっちの流儀で行くだけ。
手にしているのは十字架だが、形而上の世界に宗教紛争は存在するまい。
十字架を手にした手を左上。
そして真言と共に空を切る。
「臨、兵、闘、者、皆、陳、列、在、前(りん・びょう・とう・しゃ・かい・ちん・れつ・ざい・ぜん)」
空中にチェック模様を描くように、横・縦交互に直線を描く。横に五本、縦に四本。文字の発声と同期して線を描く。
凛と響く声で理絵子は九字を切った。
十字架で九字を切った。手指で印契を結ぶか、さもなくば独鈷杵(とっこしょ)を使うのが密教の流儀であるが、理絵子は今、十字架を使った。
聖なる道具に違いはないから。
意志:それが何の意味がある。オレはこの通り何ともないが?
ニヤリと笑った戦士のその顔は、泥と垢と食べ残しにまみれ、無精髭が野放図。
野卑で粗暴で不潔そのもの。それこそガストンをむくつけき男に移植したイメージ。
「その代わり何もできないでしょ。柔よく剛を制すってね」
理絵子が返すと、驚愕が戻ってきた。
彼は束縛されていた。やはり高天原に宗教紛争はないようだ。そして、因果は不明であるが、霊魂と記述した姿が、今は実像を有して眼前にいた。
それは、剣を振り上げたまま硬直した、神話世界のグラディエーター。
チャンスである。
「高千穂さん!」
「嫌だっ!」
「魔法円を消しなさい。そのくらいやりなさい」
「嫌だ。嫌だっ!」
この娘は。
理絵子は高千穂登与の意識に露骨に入り込み、泥棒よろしく意志の手を突っ込んで知識を漁った。魔法円が血染めの場合は純白の布で拭き取れ?汚れをそちらに移して後、火で焼け?
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