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2009年5月

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【29】

 糸玉が風をはらみ、落ちてくる雨の滴のように扁平になり、ゆたか君の身体を上方へ持ち上げます。
 言わば凧。
「妖精のお姉ちゃん!」
 こちらを見て叫びます。私に追いつこうというのでしょうか。
「今行くから!」
 落下する危険を顧みず、何という勇気でしょうか。
 でも、私の方が遥かに身体が軽い。
 距離は逆に開きます。
 すると。
 彼は再度背後に手を回し、糸玉に突っ込みました。
 無造作という感じで糸を塊ひとつかみ。
 彼の意図を私は悟りました。その糸の塊には子グモ達。
 私よりも軽いもの。その糸と子グモ達。
「先行け!」
 子グモ達はお尻から糸を放ちました。
 私の顔に糸が触れる。
 私は掴みました。しかし、ゆたか君の身体はどんどん視界の向こうに小さくなって行きます。
 細い細い糸を伝って、子グモ達が登ってくる。
 飛ばされながら、浮きながら登ってくる。
〈妖精さん。今……〉
 小さな囁き。
 クモ達は、私に、追いつきました。
 凄い勢いで糸出して私の身体をぐるぐる回ります。風を孕みはためくトガを身体に巻き付けてくれているのです。

つづく

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ブリリアント・ハート【29】

 彼女たちを含め5名ほどが乗り込む。そもそも定員乗車の観光バスに、立ち客が掴まれる手すりの類は少ないが、彼女達は母子連れの座る座席の手すりにどうにか掴まった。それでもまだ積み残しが出たが、彼らは混んだバスへの乗車を拒否した。
『出発します。揺れますのでご注意下さい』
 運転手は言うと、ドアを閉め、バスを出した。この種のバス特有のふわふわとした乗り心地であり、揺れながら駅前広場のロータリーを回り、博覧会対応で整備された広い道へと出る。
 バスが加速する。エンジン音に加えお喋りで中は喧噪。会場へ向かう興奮も手伝っているであろう、乗客達は饒舌だ。加えて観光バスには想定外の超満員であるせいか、エアコンの利きが甘く、車内は暑い。
 立っている側にはしんどい状況。乗車15分と言われたが、その辺が限界であろう。しかし、5分ほどは好調に走ったものの、そこで突如ペースが落ちた。頭と頭の隙間から前方を見やると、渋滞している。
『お知らせします。検問のため渋滞しています。混雑しておりますところ申し訳ありませんが、ご辛抱願います』
 車内に満ちる諦念のため息。ちなみに博覧会会場は高速道路と直結しており、インターチェンジへのアプローチも兼ねるこの道に検問設置は当然。
「大丈夫なの?」
 あすかちゃんが小声で言った。検問の内容は王女某なのでしょう?というわけだ。
「大丈夫でしょう」
 レムリアは答える。どう見ても見学客だけのこのバスを探すとは思えない。そういう予感もしない。
「一応、念のため」
 あすかちゃんは自らのメガネを取ってレムリアに渡そうとした。
「あ、大丈夫。ていうか逆にそっちの方が知られてるから」
 レムリアはウェストバッグのダテ眼鏡を見せた。
「もはやどっちでも一緒」
 苦笑する。レムリアにはそれよりも時間の方が気に掛かる。5時までにホテルに戻れるか?ジェームズ=レムリア=ボンド!
 しかしそのまま5分。更に5分。

つづく

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気付きもしないで【20】

「私は……矢部さんから」
 女子のひとりが〝一点〟の名を口にした。
 お喋り女矢部。
 でもオレはトサカに来るより疑問の方が先に立った。オレにせよ、成瀬にせよ、このオンナには一言もナニも言ってない。
 果たして当人。
「わ、私は……」
「彼女、その地区におばあちゃんがいるって言うからてっきり」
 教室中がざわつき始める。オレをぶら下げているやんちゃ大男も、オレをぶら下げたまま事態の推移を見ている。
「下ろせよ。根も葉もない話に踊らされてんじゃねーよ」
 オレはドサッと落とされた。
「矢部さん」
 成瀬が怖い。でも、矢部はオレのクラスの女。
 オレは成瀬を制して。
「おばあちゃんか誰だか知らないが、聞いたこと洗いざらい話してもらおうか。確かにオレ達古淵さんトコ行ってるよ。打ち解けてくれて、来週から通いたいって言ってるよ。なのにそれをぶち壊したい理由は何だ?」
「だって……」
 矢部は目を真っ赤にして小さく一言。そして鼻をすすって続けて。
「だって……あの子が……本校を怖がってるって……おばあちゃんから」
「いきなり見知らぬ所放り込まれるのは抵抗があるって言った。確かにね。でもそれは誰にでも多かれ少なかれ有ること。違うか。で?他におばあちゃんソースは何と?」
「声が聞こえて……町田君達の……『町田君達と喋るなら楽しい』って」
「彼女はオレ達の漫才面白がってただけだが。初対面に笑いでツカミ取っちゃいけないか?」
「本校の子は誰も手を出さないって……」
「駅の花に誰もイタズラしようとしないって話だな。彼女は彼女に関わるウワサを知っていた。だからオレ達は、それは誰かのゲスの勘ぐりで、本当はそんなこと思ってる奴は一人もいないと教えた。その証拠に彼女が交換している花を誰も触ろうとしないだろって聞かせた。それで彼女は本校の連中に対して安心したと言ってくれたわけだが」
「え?あの花って分校のその子が……」
 聞いてた女子の誰かが言った。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【28】

 私は言いました。要するに生き物がいつ死ぬかなんて判らない。
 ただ、正確なことを言うとこのセリフには嘘があります。交尾した後メスに食べられるオスはいますし、アリのオスは女王と結婚飛行に臨んだ後、数時間以内に死を迎えます。
 すると。
「糸だけみんな出しておいてくれよ」
 ゆたか君は言いました。
〈フワフワするだけなんだけど〉
「判ってる。ちゃんと飛び出さないようにこうしておくよ」
 糸がキラキラ光りながら流れ出し、ゆたか君は手のひらを包むように閉じます。
 大事なものをそっと手で包むように。
〈暗いぞ〉
〈でも、あたたかいね〉
 繰り出された糸が伸びて行きます。
 まるで綿毛が伸びて行くかのようです。
 その時。
 風が吹きます。
 超感覚が多くの悲しみの訪れを告げます。
 つまり。
 言伝だけは許される。
「危ない!」
 私は叫びました。
 ただ、その危機の正体は、彼でも、クモ達でもなく。
 私自身。
 寄って立つこの大地の底が抜けます。Vの字の崖になっていると書きました。それは裂けて落ちる可能性が常にあるということ。
 足の下の土が消え、出来た空間からドッと風が吹き上げてきます。私の身体は投げ出され、その気流に乗り、持ち上げられます。
 背中の翅で飛べるということ。それだけ身体が軽いということ。
 飛ばされる……逃げる……どうやって。
 翅……広げれば余計に風を受けるだけ……テレポーテーション……自分だけ?
 私は次第に持ち上げられて行きます。先ほど谷底を気にしましたが。
 上は上で、どこへ?
 すると。
〈人間!妖精さんを助けるんだ!〉
 それはカミラがゆたか君の手の中から発した〝命令〟。
「おう!」
 ゆたか君は応じ、下ろしていた糸玉を背負い、何ら躊躇無く、風の中に身を投げました。
〈クモになれ!少年!〉
 ゆたか君は背中の糸玉に手を突っ込みました。
 次いで引き抜くと、滑空するクモのように、両の手足を広げました。

つづく

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ブリリアント・ハート【28】

 高架ホームから階段を下りて改札へ。パトカーがおり、警官が台の上に立っているが、行列に対する警備であって、王女某捜索とは無関係。
 人波に乗って駅前広場へ。
 真新しいアスファルトでそれと判る、急ごしらえのバスターミナルが出来ており、バスは1台。有料バスであるのでコインを用意する。ぞろぞろと乗り込んでいるが全員乗れるか?
 立つのは構わないが、乗れないのは少々困る。
 停留所の屋根からぶら下がる、電光掲示の発車案内をチラと見る。乗り過ごすと次は30分後。その下に電光ニュースが流れ、王女某の情報を表示。隣の市で目撃情報が複数あり、王女某誘拐容疑でタクシーを追跡したが、車は運転手ひとりのみ…。取り調べると共に、引き続き周辺を捜索中…。
「ああごめんなさい」
「え?」
 レムリアの言葉に、あすかちゃんが目を向けた。
「いや、ううん、ニュース見ただけ。大丈夫だってこと」
「…自転車で正解だったわけだね」
 あすかちゃんも同じニュースを見て言った。
 行列が動いたのでそれ以上は判らない。最も、新たな動きがあれば東京から電話が来よう。
 バスは順次客を飲み込んで行く。観光バスタイプであり、ドアは運転席横の1カ所のみ。座席は多いが、立つには狭い。
 席が埋まる。立ち客が後方に順次動いて行く。
 二人の前で、ドアの一杯いっぱいまで立ち客で埋まった。
 後方には自分たち含めまだ列が続いている。
 乗れないのか。
 運転手…若い男性に目で頼む(!)。すると運転手はミラーで、次いで立ち上がって身体をねじり、車内を見た。
『恐れ入ります。もう少々お詰め願えますでしょうか。また、本日は混雑しておりますので、補助席のご利用はご遠慮下さい。一人でも多くのお客様がご乗車頂けるよう、ご協力をお願いします。乗車時間は15分ほどです』
 マイクで車内放送すると、乗客がごそっと動き、ドア前に空間が出来た。

つづく

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気付きもしないで【19】

 まぁ、この事態の背景が何かは、想像がつく。
 遠巻きの目線。避けるというか、攻撃的というか。
 ウワサであり、ウワサに基づく誤解であり。
 ちょっと待て。
 気がつく。オレがこうなら成瀬は。
「え?何であたしが?」
 壁の向こうから聞こえてくる、彼女の怒鳴る声と、
 早口で、責めるような、トゲのある女子達の声。
 危険を察知してオレは教室を飛び出す。
「あっ!町田!逃げんのか!」
「待てテメー」
 待つ気があるなら動かねーよ。
 廊下を走り、成瀬の教室。
「大丈夫か!」
 飛び込むと、成瀬と向かい合い、厳しい顔つきの女子が何名か。
 一斉にオレを見る男子の顔女子の顔。
 冷たいことは自分のクラスと同じ。
 その自分のクラスから追いかけてきた足音が背後で止まる。
「あ、タイキ」
 振り返った成瀬の顔は、幼い頃一度だけ見たことがあった。
 公園に野犬が入ってきた時、オレを振り向いた顔だ。
「あんた成瀬の向かいの」
 言ったのはお喋り女の矢部。
 待て何だその言い方。わざわざ改めて口に出さなくても知ってるクセに。
 アニメの説明キャラじゃあるまいし。何かの当てつけか?
「だから何だよ……こいつ何かしたのか?」
 オレが訊くと答えは別の方向の男から。
「オメエラ分校の奴に無視すりゃいいとか言ってんじゃねぇぞ!」
「はぁ?」
 どこからそんな話が。
「とぼけんじゃねぇよ」
 とぼけるもナニも、ナニもしてないから言い返すネタがないだけ。
「悪い。マジで全っ然わっかんねんだけど。成瀬とオレってナニしたことになってんの?」
「ざけてんのか?」
 オレはそのクラスで一番やんちゃな大男に襟首掴まれ吊り上げられた。
「表へ出る話だったら成瀬は抜きで頼むぜ」
「待って」
 救いの女神は成瀬。
「待って。カッコ付けるような事じゃない。確かに私たち、先生に頼まれて古淵さんの所に行ってる。でも、そこでどんな話をしてるか、誰にも話していないし、私たちに尋ねてきた人も誰もいない。教えて。みんなは誰から何を聞いたの?」
 成瀬の声は教室に響き、張り詰めた雰囲気を変え、生徒達は皆互いの顔を見合わせ。
 その作業の後、みんなの目線は、教室の一点に収斂した。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【27】

〈私らの糸を流すだけでいい?向こうに渡る?〉
「いや、飛んで戻れなくなったら大変だから。流すだけで」
 すると、小さなオオジョロウグモはちょっと驚いたような。
 しかしすぐにツンツンした態度に戻って。
〈お優しいことで。でもね、私ら小さいから何かあったら身体ごと持って行かれるの必定なわけで〉
「オレの手から糸だけ出せばいいさ」
〈そういうこと……〉
 子グモ達は一斉に私の手からゆたか君の手のひらへ移動。
 めいめい驚きの意志を示します。
〈ひっひっひ、カミラが仕切りだよ〉
 異口同音にそんな感じ。私はオオジョロウグモの子が〝カミラ〟という名前らしいとゆたか君に教えます。
「カミラ……」
 すると。
〈気安く呼ばないでもらえる?〉
 それは言葉の平手打ち。
〈人間でここにいるってことは、嫌われ者の弱虫って事じゃない。失礼だよ。で?はいみんな揃ったけど?糸出していいの?〉
「嫌われ者……」
 ゆたか君、呆然
 正直、それはカミラには言って欲しくなかった。
〈いちいちウジウジするんじゃないよ。私ら率いて糸を運ぶんでしょうが。忘れてもらっちゃ困るよ〉
 その両極端。その強さ。むちゃくちゃな叱咤激励。
 何だか張り詰めた姉のようです。
 しかし、ゆたか君は傷付いただけのよう。
 見かねてか、ムカデが近づいて来、……その毒のある尾でゆたか君の肩を軽く叩きました。
「え?」
〈これでこうされても怖がる気配が微塵もない。弱虫と私は思わない。さ、私は去っても良いか〉
 ゆたか君は、肩の上にある巨大な毒の尾を見上げます。
 更に触ろうとしたところで、ムカデの方が尾を引っ込めました。
〈君は私を信じた。私も君を信じているよ〉
 ムカデは言い残し、機械のように音を立てて歩き出しました。
 ゆたか君は手のひらの子グモ達を見つめます。
 何か考えているようです。
 そして。
「妖精さん」
「はい」
「風は、風はいつ来るか判るかい?」
「死とその悲しみの故により、その時にならないと判らない。死は予定されて訪れるものではないから」

つづく

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ブリリアント・ハート【27】

 電車が走る間に、レムリアはルート選択の主旨を説明した。
 あすかちゃんが納得する。
「そういうことか…」
「そういうこと。私もさ、一瞬アホかと思ったけど、確かに言われてみれば裏をかくルートかなぁと。持つべきはオタクの知り合い!?」
「あはは。でもすごいね。何かサスペンスドラマのアリバイトリックみたい。…でも日記に書いたらダメ、なんだよね」
「いいよ」
 レムリアは言った。
 あすかちゃんは拍子抜け。
「えっ?」
「構わないよ。だってどうせ誰も信じないし。っていうか、信じられないようにしようとしているわけで。そうなると、真面目に書くと逆にあなたが変に思われるかも」
「…あ、そうか、そうだよね。残念。私だけの秘密か」
 あすかちゃんはしかし、小さく笑った。
 その笑みは明らかに彼女が、事態を“楽しんでいる”ことを表す。
 レムリアは安堵の気持ちと共に、自分の頬が緩むのを感じた。うつむきがちで弱気な女の子はどこへやら。あすかちゃん、あなた、輝いてる。ブリリアントに光ってる。
 そんな自分に気付いてる?
「ふふ」
 あすかちゃんが笑う。くすぐったそうなその笑みは、何かいいことでも思いついたか、そんな風。
 二人して心理的に小休止の状態になる。その間に電車は時刻通りに進行。隣駅に着き、出発し、直線の高架線路を駆け、最高速度まで加速し、用水の調整池をコンクリート橋で渡り、減速してプラットホームへ。
 放送が流れ、会場シャトルバス乗り継ぎ駅である旨伝えられる。一見してそれと判る家族連れや、連れだってのお出かけ組が席を立つ。
 電車が止まってドアが開く。
「シャトルバスご利用の方は改札を出て右側へお越し下さ~い!」
 ホーム上では係員が拡声器で案内しており、降車客達がその案内に従ってぞろぞろ歩く。
 二人も流れに混じる。流れの中の人々はガイドブックを見たり、仲間同士のお喋りに興じており、誘拐王女某なんぞ端から頭になく、バレる心配はまずない。

つづく

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気付きもしないで【18】

「大樹君は義理なの?」
 一瞬ドキッ……と書きたいがリアル義理じゃないのでそんなことはない。ってか、義理の方を忘れてた。
「義理はこれ。数学のプリント預かって来たの忘れてた」
 それは一学期のおさらいテストみたいなヤツで、先生にパソから出してもらった。
 取り出して見せたら。
「ゲッ」
 両手を挙げて眉根を潜める有様は、まるで時代劇のお姫様が唐突にスイーツ言い出したような唐突ぶり(なんだこの二重表現)。
 オレは当然驚いた、が、同時に嬉しくも思った。そういうおどけた身振りは〝素のまま〟じゃないと出てこないからだ。
 安心してくれている。オレはそう思い、フッと笑って、
「そんなキャラ?」
「うん」
「なんかスズランとか月見草みたいなイメージがあったから……」
「お上手。名前のせいでしょ。花で言えば……どれっていうとスミレかな。パンッて弾けるけど貧血で真っ青になって倒れたり……」
 彼女はどうも他人をノセるのが上手なようだ。オレはこのようなペースで彼女にそれこそ月見草が花咲く頃までお喋りに巻き込まれ。
 プリントをすっかり忘れた。
 そのかわり、『来週から本校に通いたい』という彼女の言葉をもらってきた。
 そして翌日。
 登校時間を使って成瀬と情報交換。キャラ弾けて喋り倒したと言ったら、羨ましいと返ってきた。
「でもそれ、タイキのこと『よそ行き顔』で見てないって事だよね。彼女、心開いてくれたわけだ」
「ああ、まぁな」
 オレはこの時成瀬の顔をこれっぱかしも見なかったと思う。
 頭の中は彼女のことばかり。その笑顔、その声、その仕草。
 夢中になったのだ。
 だから。
「おまえらおはよー」
 成瀬と別れ、妙にハイテンションで自分の教室に入り、自分の席にカバンをぶら下げて、教科書を机に押し込み、ひょっと顔を見上げるまで、クラス中の特殊な目線に気付かなかった。
 右を見る。目を逸らす。
 左を見る。目を逸らす。
 みんな黙り込み、オレの周囲だけ空気が冷たい。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【26】

 ジョロウグモの巣で、大きなクモの周囲に小さなクモが何匹かいて、という光景を目にされた方は多いと思います。この小さいのがオスです。メスの食べ残しを頂戴しながら虎視眈々とメスとの逢瀬を狙います。……そしてクモには良くありますが、往々にしてメスに食べられます。
「クモはクモ……」
 ゆたか君は言い返そうとしたようですが、その表情が曇りました。
 よぎるフラッシュバック。
 ピアノ教室で女の子を突き飛ばそうとした記憶。
〈で、どうすりゃいいんだい英雄君〉
 オオジョロウグモの子はゆたか君の心理に気付かないかのように問いかけました。
〈呼び出して何も言わずダンマリはあんまりじゃないかい?まぁこの妖精さんからあらかた聞いたけどさ〉
「ようせい……」
 ゆたか君は今さらのように目を円くして私を見ました。
 この天国にいてゴマカシ否定でもないでしょう。
「です」
 背中の翅を広げてみせます。
「ああ、だからあんた背中に翅が……」
〈〝あんた〟は失礼じゃない?人間!〉
「うるせぇチビ」
〈チビにチビといわれても全然。踏みつぶせるようなのにトサカに来てどうすんのさ〉
 私は苦笑しました。どうにもこの爪に乗るような女の子の方が何枚も上手のようです。
 しかし、ゆたか君は更に言い返そうとはしません。
「妖精ってさ」
 瞳が揺らいで見えたのは気のせいでしょうか。私を見て何か訊きたげ。
「はい?」
「虫の味方。だよな。化身って言うか」
「そうだよ」
「虫を殺すヤツに仕返しをする……」
「私は君に何もしないよ。君を守って欲しいという声によって」
 私は先回りして言いました。彼は山ほど身に覚えがある。
 ゆたか君は私をまっすぐ見ました。
「それってさっき言ったオレのクモ達の……」
〈あんたに所有された仲間は可哀想だね〉
 ゆたか君の声を遮って小さなオオジョロウグモが言いました。
「お前つくづく嫌なヤツだな」
〈クモだからね。キライで結構、好かれて迷惑。それより用事早くしてくれない?〉
「ああ……」

つづく

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ブリリアント・ハート【26】

 東京。
「はい」
『何かあったか?無罪放免されたぞ』
「タクシーの運転手さんが犯人役を買って出てくれて警察を引きつけて。…今、用事自体は終わって、友達と駅まで着いたところ。これから帰る」
『あーそれだめ』
 東京は即座に言った。
「なんで?」
『誘拐が起こった時、警察が何を防ごうとするかって高飛びだ。高速道路と空港と新幹線は重点警備対象。君のホテルはどこにある?都心部へ向かう電車に乗るなんざもってのほか。その友達を犯人にしたい?』
「じゃぁどうすれば…ごめん、私のわがままなのに。でも…」
 ここまで来たならば、是が非でもジェームズ=ボンドとなって、誰も責任を問われない結末としたい。根拠もないし漠然としているが、きちんと戻りさえすればどうにかなるという楽観論が意識にある。少なくとも初期状態、すなわち、何もなかったのと同じ状態に戻りさえすれば、とりあえずシラを切り通せる立場にはなれる。そうなれば、多分、多分であるが、何とかなる。
 無論、独力で完遂出来れば何も問題はない。しかし現実には組織力と情報網を持つ必死な公営(?)団体が相手だ。そんな状況下でも唯一、わがまま言って迷惑掛けても良い(!)と思うのは東京だけ。
 と、東京は、とんでもないことを言った。
『裏をかく。二つ隣の駅から、博覧会会場行きのシャトルバスが出ている。それに乗って』
「は?」
 行きたいのは都心部ターミナルである。まるで逆に行ってどうしろと。
 思いながら耳を傾けると、東京は、会場に着いたら別のバスに乗り継げと言った。ターミナル駅のバスセンターへ向かう、やはりシャトルバスがあるというのだ。ちなみに、そのバスセンターは、レムリアの宿泊するステーションホテルの裏である。
 唖然、呆然、驚嘆。
「そんなこと良く考えつくね」
『ヲタクですから。それに、会場に行くバス、会場から来るバスには見学客しか乗っていない…。普通、そう考えるし気を回さないだろう。仮に、そこまで気にして警備の網を掛けたら大混乱だしね。そこを突く。さぁ行け。立ち止まるな。確かバスは30分間隔だ。一人で行けるかい?』
「それなら友達に訊きながら…あすかちゃん、二つ隣からシャトルバスに乗りたい」
 レムリアは主旨だけ伝えた。
「会場?いい…けど…?」
 意図を判じかねている様子。
「見学じゃないんだ。説明は後で。あ、これ持ってるよ」
 レムリアは件のカードを見せた。
「あ…うん、じゃぁとりあえずこっちへ」
 あすかちゃんが走り出す。
「ありがとう」
 レムリアは電話に向かって言い、彼女を追った。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【25】

 そして糸の細さは身体相応。仔グモの糸は見えるか見えないかの細さ。でも地べたが見えないほどに集まって、その数で糸を出されれば話は別。私の足下はあっという間に糸で真っ白。
 ……ゆたか君の目したところが理解できます。同じように数にモノを言わせて橋を架けよう。
 少し遅れてギガノトアラクネが到着しました。
 事情を説明し、許可を求めます。
〈行ってみたい子!〉
 呼びかけに今度はそれこそクモの子を散らす、そのもの。あれほどいた子グモは怖い怖いと逃げてしまい、残ったのは十匹ほど。
 クモは本質的に臆病な生き物です。クモが巣にいる時、わずかな振動にはエサかと飛んできますが、振動がある程度の大きさを越えると逆に逃げ出してしまいます。黄色いシマシマのナガコガネグモは巣を揺らして威嚇しますが、更に飛びかかってくるような事はありません。威嚇が無効と判れば、巣から糸引いてぶら下がり、草の裏などに隠れます。
 だから、残った十匹は余程好奇心旺盛か、勇気があるのか。
 ところが。
〈おや、一番臆病な子がいるよ〉
 十匹いますが、その子だけ少し離れて脚先が微妙に震えて。
〈やめとけ〉
〈怖いぞ。死ぬかも知れないんだぞ〉
 意地悪そうに他の子が言いますが。
〈人間に出来てクモに出来ないなんてくやしいじゃんか〉
 見上げた?心構え。
〈妖精さん。この子も連れて行ってもらえるかい?〉
 ギガノトアラクネの問いかけに私は当然OK。
「沢山味方に付いてくれてゆたか君喜ぶよ」
 両の手のひらに充分収まる十人力。
 風圧で飛ばされないよう、私は子ども達をしっかり包んで山の上へ戻ります。
 おもねりの揉み手のように、両の手を合わせた姿にゆたか君が笑顔。
「何人?」
 彼はそういう訊き方をしました。
「十人」
 当然こう答えて、そうっと、手のひらを開きます。
「大きな味方だぜ」
 ゆたか君は苦笑混じりに言いました。
〈人間のクセに生意気だぜ〉
 言い返したのは弱虫君。お椀型にした私の手のひらを動き、親指の先っぽへ。
「オマエ種類は?」
 ゆたか君は弱虫君の顔先に小指を出して訊きました。
〈Nephila maculata(ねふぃーりあ・まくらーた)〉
「オオジョロウグモか。へへ、信じられないな、そんなちっこいのが手のひらくらいになるなんて」
〈オレもオマエみたい人間がこんな所にいるなんてウソみたいだぜ〉
「お前オスか?」
〈メスだよ。オスなんかメスの巣にぶら下がっているだけじゃんか〉

つづく

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