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2009年6月

気付きもしないで【23・完結】

 花に思いを込めたなら、花に言わせるのがセオリー。何も言わない雄弁。
「みんなありがとう。よろしくお願いします」
 古淵さんは言い、白い頬を薄紅に染めて、そっと頭を下げた。
 オレ達はもう一度拍手。拍手に混じって野太いヒソヒソ。
「っげーかわいいじゃん」
 何を今更、彼女の可愛らしさに気付かなかったのは、オマエラの損。
 でもオレの実力の前に、そう、花たちの縁。
「では姫、お手をどうぞ」
 オレは繊手に向かい手を伸ばした。この瞬間を花たちに感謝して。
 彼女が手を載せた。女の子の手は、女の子の肌は、肌理が細かい。
 ああだから「肌」の「理」か。
 彼女がオレの手を握る。
 握られた手から身体へ向かって何か矢が走る。
 背筋がゾクゾクする。
 同時に、息苦しくて、息苦しいその部分が熱い。
「あ、タイキ!ズルいぞテメェ!」
 すかさず野太い声。
 オレはその時「演出」と返すつもりだったが、
「役得!」
 突いた言葉はそれだった。
 すると、雪乃ちゃんは、薄紅の頬に笑みを浮かべ、オレの方を見て。
「喋っちゃったの?私たちのこと」
 オレはその意味に気付かなかった。
「えっ?」
「じゃぁ、隠すことないね」
 彼女は立ち止まると、学生カバンから花を一輪。
「グラジオラス?」
「ううん、イキシア。槍水仙。ありがとうタイキ君。あなたのおかげ」
 槍水仙。花に黙って語らせるならば。槍水仙、槍水仙の花言葉は?
「タイキ……」
 聞いたことのない成瀬の声が後ろから聞こえたのはその時。
「え?」
 オレは多分、ヘラヘラにやにやしながら振り返ったに相違ない。
 気が付く。成瀬の目に涙一杯。
「どうした?あ、オレ運賃返してねーじゃん」
「幸せにね」
 成瀬は言うと、仲間達の間をすり抜けて走り出した。
 突然泣き出して何事か。オレが唖然としていると。
「町田君」
 矢部。同じく涙目。
「何だよ」
「成瀬さんはね……」
 気付きもしないで。


気付きもしないで/終

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【33】

〈助け糸を出します〉
 子グモ達が中から出てきて糸を流します。風によって運ばれて、誰かがそれに気付いたなら、糸をたどって助けに来てくれる。
 私の指より小さなクモ。縮んだ時の私より小さなクモ。
「誰か助けて!」
 私は叫びました。
 声が響き、広がり、吸い込まれて行くのが判ります。生まれて……200年以上……初めてかも知れません、誰かに助けてと頼んだのは。
 かろうじて見えるあまた細い糸の煌めき。
 遺骸の大地が流砂のように少しずつ動いて行くのが判ります。
 このままだと私たちは流されて落ちる。潜り込む。
 私は目を閉じます。そうなった時でも、脱出する手段はないか。
 顔に触れるわずかな感覚。
 私の身体から伸びた糸が数本、リズミカルに引かれます。
 そうリズミカルに。
「え……」
 近づいてくる間違いなく足音。誰か来ます。複数でしょうか。この〝大地〟でも歩き回れる存在。
 〝対岸の住人〟私が受け取ったイメージはそれです。
 よぎる頭上の影。
「つかまりなさい」
 流麗な人語と共に目の前に糸が降りてきました。いえ、降りてきたと言うより、投網の要領で投げ込まれた糸の束です。
「ありがとう」
 私は答え、糸を掴み、〝人語〟の意味するところに気づき、振り仰ぎます。
 人間型生命体。
 しかし、私たちに掛かる影の姿は。
「すげぇ…」
 ゆたか君は影の主を見上げ、思わず、といった感じでそう呟き、目を見開き、黙り込みました。
 織り姫アラクネ。
 腕前が完璧すぎて女神アテナの怒りを買い、クモの姿に変えられたというギリシャ神話の機織り娘。
 しかし、私たちの上に糸を下ろしたそのひとは、人間の女性の象徴である豊かな乳房を持っています。
 ただ、その乳房の両脇からは、人間さんの腕が左右2本ずつ4本。足が、左右2本ずつ4本。
 つまり8本の脚は人間の手足の形。しかも、普通の人間さんサイズの2倍の長さ。
 腹部だけはクモです。それ以外は、クモの特徴を備えた人間の身体。

Arakune1

つづく

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ブリリアント・ハート【33】

『今どこだい?』
「バスで会場に着いた」
『そうか。いや検問突破の不審車を追跡中と速報出たから。…でも注意な、その車、会場方向へと行ってるみたいだぞ』
 “犯人”がいた!もちろん、別の犯罪である。しかし今の彼女たちには、少しの間だが、注意がそこに向く分好都合。ただ、警察屋さんが大挙してここに来るのは勘弁。
 すなわち、追跡が続く間にここを離れるが吉。
「わかった。ありがとう」
 電話を切る。
 そして乗り場へ向け歩き出そうとする彼女たちを、老年の男性が呼び止める。ボランティアのガイドである。
「会場はそっちじゃないよ」
 行く手を遮る。親切心からであろう。最も、ここまでバスで来てまたバスに乗るのは、確かに不自然。
 と、後方からパトカーのサイレン大合奏。
 その逃走車を追う警察であろう。本当にこちらに来るのか。
 あすかちゃんが前に出た。
「いいんです。間違えて乗ってしまって…判らないからいっぺん会場引き返した方がいいかなって」
 あすかちゃんはそのままバスセンター行きの乗り場を聞いた。
 上手だ。レムリアは安堵と感心。
「そういうことかい。えーっと、じゃぁ案内しよう。こっちだ」
 ガイド氏が歩き出す。乗り場は砂州のごとく細長く円弧を描いており、バスセンター行きはその先端に近いところから出発する。
 パトカー軍団が急速に近づくのを聞き取る。振り向くと、丘陵斜面の広い道を駆け下りて来る幾つもの赤色灯。丘を越えたので、音が直接届くようになったのだ。追われるのは見るからに暴走車。
「新幹線間に合う?」
 あすかちゃんは言った。
 それはガイド氏に聞こえるように、わざとであるとレムリアは気付いた。
 ガイド氏が時計を見、そして。
「…そりゃまずい。急いで!」
 果たしてガイド氏が走り出す。待機するバス群の向こうに、まるで峠越えの山里のように、バスセンター行きのバスを見た時、バスは丁度発車しようとするところ。右方向へウィンカーを出し、排気ガスを噴いて…
 しまった、とレムリアはパトカー群を一瞥して思う。万事休すか。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【32】

 まるで降り積もった新雪に踏み込んだ時のように。
「うわ!」
「あっ」
 私は彼より遥かに軽いと書きました。伸縮自在ですから、人間サイズの時、密度は低いわけです。水に浮かぶ船と同じ。
 だからこの〝大地〟に立っていられた。対し彼は普通の人間。
 彼はとっさに糸玉を掴み、私も腕を伸ばして彼の手首を掴み。
 彼は首までズブズブ潜ってようやく止まりました。
 しかしそこまで。密度の低い私と、密度の低い糸玉で、彼を支えるのが精一杯。
「翅を使う。目を閉じて少しの間息を止めて」
「妖精さんこれ昆虫の死体だ」
「え……」
 言われて、すぐ目の前の〝土〟に焦点をずらします。
 彼は続けて、
「カブトとか、スズムシとか、色はみんな茶色だけど、これ、そうだよ」
 セミの抜け殻を見たことがありますか。あんな感じの、虫の形をした殻。
 セミの抜け殻を手で握るとどうなるでしょう。さっき私の服や髪に付いていたのは、そんな、バラバラになった、虫の外殻。
 この赤茶けた〝大地〟を構成するのは、夥しい数の虫の遺骸。
 虫の遺骸の大地。
「あっ……」
 ザラッと音を立て、ゆたか君の身体が沈み込もうとします。
 驚いている場合じゃない。
「目を閉じて」
「うん」
 背中の翅にモノを言わせます。羽ばたいて彼をここから……。
 しかし。
 私はすぐに自分の失敗に気付かされます。私のしたことは、さながら砂の山で扇風機。
 羽ばたいて虫たちの遺骸がバサーッと舞い上がり掘り返され、
 舞い上がった遺骸は私の翅にぶつかって羽ばたきを妨げ、気流が不十分。
 幾千幾万の遺骸に包まれ、まるで水の中で手足ばたつかせてもがくのと一緒。
 掘り返されていっそう深くなった穴に私たちは落ち込みます。自分の翅で穴を掘って、そこに落ちる。
 手足広げて、翅も〝大地〟に張り付けて、どうにか沈むのが止まりました。
 でも、そこまで。
 それ以上何も出来ない。ペンダントを引き出そうにも、手を動かすことも出来ない。

つづく

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ブリリアント・ハート【32】


 
 検問は拍子抜けするほどあっさり通過した。調査は運転手にのみなされ、しかも、“女の子を連れた不審者を見なかったか?”と訊かれただけだったからだ。それは東京の言う通り、バスの中など端から疑っていないことを意味する。一般乗用車がトランクの中まで調べられているのとはえらい違いだ。これはもちろん、“誘拐”が前提にあるためであるが、レムリアとしてはそうした乗用車の皆さんに対し少々胸が痛い。原因は自分だからだ。“犯人”なぞ絶対いないにしてもだ。
 通過許可を示す長々としたホイッスル。警察官達も炎天下にご苦労さまである。
「お待たせしました」
 放送があってバスが発車加速する。通過してしまえば、検問が一種のフィルターの役目を果たしているので道はガラガラ、後は早い。観覧車が見えて歓声が上がり、会場内を行き交うロープウェイのゴンドラが姿を見せ、そしてバスは発着場へと到着した。ぐるぐると導入路を走り、ボランティアのガイドが手招きする降車場へ停止する。
『到着です』
 ドアが開いて降車が始まる。発着場は高台の上にあり、マイカー規制でバス輸送が重視された結果、そのスペースはかなり広い。中央に滞留している発車待ちのバスもかなりの台数だ。降りた人々はやや小走りに、そして笑顔で、高台の下へと伸びる長い下りエスカレータへと向かう。入場ゲートはその先に続く半地下構造の広場にある。
 二人は降りると列から離れて立ち止まる。手を伸ばせば触れられるほどすぐ先に、会場の喧噪。そこは半年の間だけパラダイス。
 でも、自分たちの目的は違う。バスセンター行きバス乗り場は…
「ねーちゃん、ありがとな」
 先の男性が通りすがりに言った。
「ホント、どうもありがとうございました」
 これは目の前の席にいたお母さん。手を引かれた男の子が手を振る。
「ばいば~い」
 後ろにいた姉妹。母親が会釈。
 レムリアは手を振って彼らを見送ると、乗り場の案内看板を見つけ、歩き出した。
 電話が呼ぶ。東京から。再度立ち止まって受ける。

つづく

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気付きもしないで【22】

「町田君の悪口だけは言わなかったからね。ショックなんでしょ」
 どこからかそんな声。
「わかったよ」
 オレはまず言った。
 矢部が真っ赤な目でオレを見る。
 とっちめてもいいのだが、それで女の子一人村八分になったとしたら。
 オレの脳裏で雪乃ちゃんの笑顔が曇る。
「矢部一人に責任おっかぶせるのは簡単だけどさ」
 オレはいつの間にか来ていて事態を見ていた、この2クラスの担任も含めて言った。
「言われるままに根も葉もないこと信じて、ウワサにしてたオレら全員にそれなりの責任があんじゃね?」

 月曜日。
 1輛こっきりのディーゼル列車がプラットホームへと入ってくる。
 窓際の彼女は、こちらに目をやり立ち上がろうとし、
 その目が、真ん丸に見開かれるのが、手に取るように見えた。
 列車のドアが開いた。
「いえーい!」
 オレ達は一斉に声を上げて拍手で迎えた。
 驚き見回す彼女。それは作戦が成功したという証明。彼女が見ているのは本校の2クラス全員の姿と、
 飾れるだけ飾った、鉢植えの花。
「あ、あの……」
「待ってたよ」
オレと成瀬は進み出て言った。
「これ……」
「花いっぱいで迎えましょう作戦。改めまして本校へようこそ。これが用意した最後の一鉢」
 オレは言い、後ろ手に持っていた鉢植えを彼女に渡した。
「ランタナ」
 彼女は言い当て、そっと笑った。
 ランタナ。花の姿と付き方はアジサイに似て。ただ咲く花は色とりどり。図鑑によればピンクからオレンジから、一つの茎からいろんな花が出てくる。そのためだろう、和名を〝七変化〟。ちなみに、オレから彼女に手渡したのは、ピンクと、黄色と、オレンジ。
「合意・協力」
 古淵さんは言い。
「確かな計画性」
 成瀬が付け加える。二人が言ったのは、当然、ランタナの花言葉。

次回・最終回

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【31】

 慌てて立ち上がると、霧に巻かれたように真っ白で、方角も判りません。
「ゆたかくーん!」
 私は幾度か、いろんな向きに叫びました。
 歩きにくい〝地面〟です。書いた通りのフワフワ。色合いは鉄さびを思わせる赤茶色。服や髪に幾らか付いていて、指でつまむと、しっとりしていてパサパサ崩れます。
 伸びる細い糸の先から反応有り。
「妖精さん」
 小さな声。
「ゆたか君!」
 私はあらん限りの声で言いながら、糸を引きます。糸は水平に伸びていて……ああ、霧のような物が晴れてきました。
「妖精さん、大丈夫か!」
 細い糸の向こうに見えたのは、元いた向こう側の崖と、そこに落ちた糸玉。
 彼はその糸玉の中から這い出して来ました。
 糸玉クッション。
「ケガはない?」
「オレは平気。糸玉の中に潜ったから。あんたは?」
「大丈夫。私は反対側に降りた」
 いい知恵だ。私が思ったら、服の中もクモ達も同意。
〈彼はクモの生態をよく知ってるようだ。我々は卵のうを糸でくるむからね。伝えて下さい。私たちがその糸を頼りに行き来して網を張る。そのまま動くなと〉
「判った」
 崖のあっちとこっち。
 小さなクモ達の地道な作業が始まります。糸を引いて彼の元へ渡り、糸を引きつつ、糸玉の糸を引き出しつつ、私の元へ戻ります。
 繰り返し、繰り返し。
 途中また風が吹きましたが、クモの糸は丈夫です。
 細い糸はロープとなり、やがて糸の橋になりました。
「そっちに行くよ」
 彼は言い、糸の橋に足を載せますが。
 やはり人間の子どもは苦しいようです。足がズボッと突き抜けてしまいました。
 すると。
 彼は再び糸玉に潜り込み、〝大玉転がし〟の要領で橋の上をゴロゴロ。
 こちら側へ渡ることに成功します。
「クモの卵を思い出してさ、オオヒメグモとかナガコガネとか、糸で刳るんで吊るじゃん……」
 ゆたか君は言いながら、糸玉から再び出てきて、赤茶けたフワフワに足を下ろし。
 しかし。
 そのまま落とし穴のように、フワフワにズボッと潜り込んでしまいます。

つづく

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ブリリアント・ハート【31】

「いいええ」
 レムリアは会釈した。
「おもしれーな、ねーちゃん」
 頭髪に白いものが混じる、小柄で色黒の男性が言った。
「ありがとうございます」
 この手のマジック…言うまでもなく“特殊能力”のなせる技である。すなわちタネなしの本物のmagic…
 文字通り“魔法”である。あすかちゃんが唖然となるのもある意味当然。
 衆目を感じる。期せずしてマジックショーになったと感じる。
 両手を祈るように組み合わせる。一旦離し、左手だけ握ると、各指と指の間に細長いスナック菓子“プレッツェル”がニュッと顔を出す。
 プチ喝采。周囲が何事かと覗き込んだので、もう一度。
 成功し、どよもす。
「はいどうぞ」
 あすかちゃんはじめ、近隣に配る。
「あなた何者?」
 プレッツェルをかじって問うあすかちゃんに微笑み返し。
「よろしかったら」
 その男性にも差し出す。
「ああ、ありがとうよ。そうか、ねーちゃんニュースの姫様に似てんだ」
「は…」
 男性はあっさりいい、プレッツェルをかじった。
 レムリアは一瞬返す言葉がない。周囲の人々もそのニュースは知っているようで、自分の顔に視線が集まる。
 これはまずい。
 一計。
「そうなんですワ、あの子がテレビに出るたび、似てる似てるあちこちでいわれるデ、かなわんのですワ~」
 この地の方言。
 なんか、おばさん臭い響き。
 衆目が黙ってしまう。接尾語、イントネーション、付け焼き刃だから間違えた?どこか変だった?
 一瞬の後、男性はガハハと笑った。沈黙は“王女某”のイメージで自分を捉えたため、方言とのギャップにリアクションできなかっただけ。
「そうかそうか、そりゃ間違うワ。でもそうするとあれだな。その検問か?ねーちゃん見つかると面倒だワナ」
「あ、それいかんワ。そっくりダデ降ろされるかも」
「それいかんいかん」
「隠せ隠せ」
「こっちおいで」
 周囲の大人達が勝手に動く。かくてレムリアは文字通りSPに保護される王女の如く、人垣に埋め立てられた。
『検問です。少々お待ち下さい』
 運転手が放送した。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【30】

 次の変化に私は気付く。
「みんな、私の服の中へ」
〈はい〉
 クモ達がトガの中に潜り込んで程なく、風がピタリと収まりました。
 体が風の力を失い落ちて行きます。私は身体に絡んだ糸の隙間から翅を差し伸ばし、
 滑空して、
 私の身体から長く伸びる、幾重もの糸の束を、力一杯引きます。
 子どもさんを、人間の子どもさんを、私自身の翅の力で抱え飛んだことが過去に一度だけある。
「ゆたか君!」
 私は叫びました。言伝のみ?そんなこと気にしている事態じゃない。
 私の声は谺を伴い谷間に広がって行きます。
 しかし返事がない。
 ゆたか君からの返事はない。
 天国の誰すらも知らぬ谷底へ……
 いいえ。ただ、遠いだけ。
 私は信じて糸を引きました。
 そう。勇気ある者の勇気が報われない世界ではない。
 天国であるが故に。
 私は祈って糸をたぐりました。たぐりよせ、ゆるんだ分を口にくわえ、再びたぐり、口にくわえ。
 それは糸の長さを調整するそれこそクモの流儀。私は何もかも忘れ、ただ糸の伸びる先一点を見つめて。
〈妖精さん〉
 クモの子から声があり、私は作業を中断します。
 ふと見ると地面。
「あっ!」
 私は思わず声を出しましたが、土の上に叩き付けられ、という感じではありません。
 豪雨の後の腐葉土……それとも濡れたスポンジの中に、ドサッと落ちた。そんな感じでしょうか。
 どちらにせよ言えること。元の地面じゃない。
 対岸。

つづく

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気づきもしないで【21】

「そうだよ。まず役に立ちたいってね。で、オレが彼女に言って聞かせたことは間違ってるかい?」
 オレは一同に尋ね。矢部の前に顔を突き出した。
「勝手に盗み聞きして勝手に決めつけてそればらまいて。お喋り詮索ウワサ好きってのは元々好きじゃなかったけどな。こうなると大っ嫌いだぜ。お前と、お前のばーちゃん。ぶん殴っていいか?」
 矢部は泣き出した。ちなみに、盗み聞きばーちゃんは、若林のおじさんの言った、ヨメさんがお喋りのウワサ好き、当人であると考えて間違いないらしい。
「だって……」
 矢部は何か言いたげのようだが堰切る涙が邪魔をする。
 廊下の方が騒がしい。
 覗いているのはオレのクラスの輩ども。
「おーい、タイキが矢部を泣かせてるぞ!」
 人聞きの悪い。
「タイキ」
 真面目な顔で俺を呼ぶ成瀬。
 その背後に女子3人いてオイデオイデ。
 矢部の傍らに向かう成瀬と入れ違いに、彼女らの方へ行ったら。
「庇わなくていいからね」
 クールに一言。……泣かせておけってことだろうか。
「は?」
「悪口ばかり言うから。彼女。いいきみだよ」
「いっつもこっちのクラスにいるでしょ?そっちで嫌われてるから」
 その言い様は悪し様。恐らく本人にも聞こえているだろう。
 だが、廊下からも、オレのクラスの方からも、矢部を庇う反応はない。
 ……ザマミロの意か。
「それって公然の話?」
「案外みんな言ってるよ?知らなかった?」
「気付かなかった」
 オレはため息付いて矢部を見た。
 成瀬は見守るだけで慰めるとか手を出したりしない。
 女同士のドロドロが結構根深いとか聞いたことはある。しかし正直な話オンナ同士の関係に思いをいたし気を揉む男っていないわけで。
「ごめんなさい……ごめんなさい……私……私……」
 しゃくり上げて声にならない。
 孤立無援で泣きじゃくる女の子。
 ぶすっ子じゃないんだが。イヤむしろウチのクラスでコイツと一番喋っていたのオレと違うか?
 そんな状況、気付かなかったから。

つづく

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ブリリアント・ハート【30】

 渋滞は続いている。車内の暑さも相当なもので、お喋りも引っ込んだ。祭りへ向かう楽しさが苛立ちへと変わりつつあるのが如実に判る。ああ皆さんごめんなさい。
 後方で幼子が泣き出した。
 不思議なもので、この手のぐずりは伝染する。
 果たしてもう二人泣きだし、レムリア達の前に座る、4歳くらいだろうか、男の子も泣き出した。
「ママ~」
 子どもの泣き声。
 それは、進化の過程で、最も大人の関心を引き、自分を放っておけなくさせる音量と周波数分布に落ち着いた、と考えられる。
 すなわち、どうにかして泣き止ませたい、と思いたくなるようなパターンであり、要するに苛立ちを加速させる。
 車内の雰囲気が悪くなる。
 男の子のお母さんも困った様子。オモチャかお菓子くらい持っていないのかと思うが。
 ないなら自分が出すだけの話。
 レムリアはウェストバッグをごそごそした。ちなみに、参加している慈善団体で子どもを相手にすることが多く、いつもなにがしかのお菓子は所持している。ウェットティッシュで手を拭いて…
「ぼく、見ててごらん」
 男の子の顔の前に手のひらを出す。
 握って、開くと、市販のビスケット1枚。
 男の子が泣き止んだ。
 鼻をぐずぐずさせながら手のひらのビスケットを見つめ、手を出そうとする。
「ちょっと待って」
 レムリアは再び手を握る。
 開くとビスケットは2枚。
「あら」
 男の子が喜んでキャッキャと声を出し、母親がレムリアに微笑みを向ける。
 ちなみに…これがまた不思議なのだが、子どもは他の子どもが笑っていると、強い関心を見せ、自分が泣いていることを忘れる。
 後方から何事かと顔を出す姉妹あり。
 手の届く距離である。レムリアはビスケットを1枚見せ、
「ワン、ツー、スリー」
 指を鳴らすとその場で2枚。
 姉妹は大喜び。
 あすかちゃん、唖然。
 周囲の視線を感じながら、レムリアはビスケットをそれぞれ子ども達に渡した。
「すいませんありがとうございます」
 男の子の母親がぺこり。

つづく

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