小説

桜井優子失踪事件【16】

【呼1】
 
「…ええ、はい」
 現在の彼氏と元の彼氏とが存在する。それは優子自身から聞いて知っていたが、大人の世界を垣間見たようでちょっとドキッとした。
 さておき、戻ってきた答えは「ごめんなさい」
「親として知ってなくちゃいけないんでしょうけど。前が前だしね。でもだからって……」
 母君は目を伏せ、首を左右に振った。
「そうですか…」
 理絵子は思わずため息をついた。確かに異性の友人掌握するのは親の責務とは思うが、だからって正面切って年頃の娘に聞くのはヤボというものだろう。
 他にツテは。これで手詰まりなのか。
 いや。
 桜井宅の固定電話が着信し、電子音を響かせる。
 テレパスの娘二人は、それが〝来る〟ことは、地震速報よろしく直前に判じたが、静寂を割いての聞き慣れない大きな音は、心臓に悪いことに変わりなかった。
 結局3人は一様に驚き、次いで母君が慌てて立ち上がり、廊下へ。
 その和な背中を見送る。
「何か感じる?」
 理絵子は登与に訊きながら、ノートパソコンの画面を閉じた。
「電子的な手がかりはここまで」
 無論、超常感覚が何か囁いたか?という問いかけ。
 今ここに二人だけだから出来る会話。母君は理絵子の能力を知るが、まだ中身を聞かれたくない。
「…何も。ごめん。もう少し力になれるかと思ったのに。テレビの心霊探偵とか見てて能無しとか思ってたけど」
 登与はしょげたように目を伏せた。
「私も無い。多分誰がやっても無理でしょう。何らかの状況で彼女は意識がない状態。彼女の〝考え〟が止まっている。私たちはアンテナと受信装置に過ぎないから、放送が止まっている状態では」
 理絵子の発言に登与はハッと息を呑み、顔を上げ目を剥いた。
「意識がないってまさか…」
「いる。いるけど。見えない。だから、答えにならない」
 それは確信。自分が慌てつつも、パニックまでにはならない理由。母君に言えない理由。
 ただ、残された時間はそう多くない。
 優子。あなたどこにいるの?
 廊下から母君の声。受話器を片手に顔を覗かせる。
「あの……理絵ちゃん。千葉からだけど、代わってもらえないかって……」
「私、ですか?」
 それは当然、理絵子の能力を踏まえての要望であろう。理絵子が千葉へ行ったと書いたが、その理由は端的には〝お祓い〟だ。

(つづく)

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町に人魚がやってきた【4】

 自分だけ異邦人の気分。
「おじさん」
 オレは鼻歌ハンドルのおじさんに訊いた。
「あんだよ」
「何でみんな人魚なのに驚きもしねぇんだ?」
「驚いてどーすっだ?お前」
 その答えにオレが驚いた。
「だって人魚だぜ?いるわけがないってのがいたんだぜ?科学の常識を根底から覆す…」
「あに大げさ言ってっだおめぇは。干からびそうだから助ける。それだけじゃねぇか。科学の常識なんかどーでもええんだよ。干物にしたら世界中から非難だぞ」
 いや、そーなんだけど、そーじゃないだろ。
 どう言えばいいのか。
「人魚って現実を受け入れてるわけ?」
「おめ、さっきからおかしいぞ」
「だって人魚……」
「それが何かマズイんか?驚いたところでこのねーちゃん目を醒ますんか?目に見えてるモノをイチイチこれは本当けえ?とかインテリくせぇこと思ってるうちにどんどん干からびるぞ。おめぇには現実即応能力が身についてねーな。早くヨメ娶れ。父ちゃんやってるとなぁ、判断する前に考える余裕なんか与えられないこともあんだよ」
 何だこの説得力。
 言い返すセリフを考えるが、ジョン・カーペンターの映画みたいに殴り合いになっても困るし。それにまぁ、第一に考えるべきはこの人魚の命だろうから、ここで色眼鏡は邪魔だ。
 オレはあっさり試合放棄した。そのうち岩窟のトンネルをくぐって、咲間診療所の看板「ようこそ!」
 ……病院にウェルカムボードが適切けえ?という話はさておき、診療所の前では先生と作間さんが待機している。ストレッチャー(車輪付きベッド)に、石けんのCMで乳タレントが入ってるようなバスタブを載せ、中では湯だか水だかゆーらゆら。
 何だこの用意周到。
 軽トラックを横に着ける。
「暴れてる……ようだが……?」
 バシャバシャという音にコメント有り。ゆる~い声はここの医師、咲間花一郎先生、御年92。ひょろっとして白衣の上に聴診器。老眼鏡。頭は山崎豊子の超大作。
「マグロマグロ。人魚は寝とるよ」
 おじさん軽トラから飛び降りながら軽く一言。確かにおじさんはちょいと早口だとは思うが。

(つづく)

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桜井優子失踪事件【15】

【鍵7】
 
 しかし、祖父母宅には一度も姿を見せていない。
 当然、どうやって、となる。理絵子が持っていた推論は。
 訊きたい母君が捜査員氏と共に戻って来た。
「君たち何か判ったかね」
「ファイルの更新は13日前。連絡が取れなくなった日の1日前です。彼女が尋ねたのは製鉄遺跡を中心に下総6つ、上総も1つ。その後、安房へ向かうような示唆を残してレポートは切れてます」
 理絵子の説明に捜査員氏は首を左右に振った。
「それは『それだけ行きました』だけに過ぎない。まぁ後々の捜索の邪魔にならないようにな。こんなコト本来は許されないんだが、お母様が仰るには、君たちが来てくれて少し動揺が収まったそうだから、今日の所は無罪放免にするがね。ではお母様、これは確かに」
「はい。よろしくお願いいたします」
 捨て台詞を残し、書面を見せてポケットに戻し、捜査員氏は玄関へ向かう。
「ちょっとお送りしてくるわね」
「はい」
 革靴が三和土を鳴らし、引き戸が開き、閉じる。
 聞こえてくるため息一つ。
「嫌みな人……しょうがないんでしょうけど」
 母君はそう言いながら部屋に戻ってきた。
「私一人で警察へ行くなんて心細くてしょうがなかったと思う。あんな言い方したけれど、そんなの嘘。あなたたちが来てくれて太陽が射したように違う」
 母君は袖口を目に持っていった。
「何かあったら飛んできてくれる……とても幸せなこと……あなたたちにもきっといつか……いえ、そんなことがあっちゃだめね……ああごめんなさい調べ物邪魔して」
 狼狽があり、突如センチメンタルになり。極端な感情の動き。
 不安定なのである。この母君を一人きりに出来ない。邪魔だろうが真似事ママゴトだろうが、
 自分たちが来たのは間違いではなかった。
「母親失格ね。何も把握してないし何も動けないんだもの」
「黒野さん何か訊きたいことがあったんじゃ?」
 登与に言われて理絵子は思い出した。
「あのお母様すいません、優子の彼氏さんの連絡先をご存じないですか?」
 それは体のいい話題転換にもなる。
「今の?」
 母君は袖下から目を見せて尋ねた。

つづく

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桜井優子失踪事件【目次】

あらすじ

理絵子にとって夢とは、超常感覚の発動による何らかの示唆。
年明け新学期、寝汗にまみれて残った感触は「ごそっと抜け落ちた」。
しかし正体に対する示唆がない。腑に落ちぬまま学校へ行き、最大の友人が消息不明になったことを知る。
理絵子の知る限り、彼女は、伝承の足跡を求めて千葉へ向かったはずだが。

【1】 【2】 【3】
【4】 【5】 【6】
【7】 【8】 【9】
【10】 【11】
【12】 【13】
【14】 【15】
【16】
new(11/06)


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町に人魚がやってきた【3】

 水槽の上まで担ぎ上げ、さて。
「よし、入れろ」
「入れろって」
「ドッポン入れればいいが。他にどーすんだ」
「でも出来ればそーっと浮かべて……」
 半分人間なんだし。しかし水槽の中を覗き込むと、水面は水槽の縁よりかなり低いところ。
「あにグズグズしてっだよ。魚ひからびたら死んじまうべよ。ホレ行くぞ」
 おじさんは言うが早いか、人魚の魚の方を手放してポイッとやった。
 いやそっちはサカナかも知れないがこっちはオンナそのものなわけで。
 しかし脚立の上に立った状態でニョタイを上半身だけで支えるってのは重い。
 あーだめ。
 ドッポン。マグロが驚いて飛び上がってバッシャン。
 人魚、仰向けの状態で微動だにせず沈んで行く。水面に落ちたくらいじゃ失神から回復しないってどんだけ。
 って、水に飛び込むのは多分日常茶飯事。
「溺れてるみたいだ」
「ん?平気だ平気だ。人魚だし。ホレ、お前も乗れ。一緒に咲間(さくま)先生んとこ持ってくぞ。携帯かけろや。人魚持ってくで診てくれって」
 おじさんは水槽のフタを戻し、脚立を畳んで荷台から飛び降りる。
「……判った」
 オレは携帯電話掛けながら助手席へ。おじさんはエンジンを掛けて軽トラ発進。
 隣の集落の咲間診療所。呼び出し3回。
『はい』
 アニメの女の子みたいな可愛い声を想像して欲しい。ここの看護師作間(さくま)さん。
 勤めて40年。
「あ、あの松浦の佐久間ですけど。えーとですね、人魚なんです」
 よく考えたらすごい馬鹿なことを言ったオレ。
 ところがどっこい。
『人魚かい。そら難儀だろう。乾かないように注意してやって。往診するかい?連れてくるかい?』
 あっさり対応。
 拍子抜けしてオレも普通に反応。
「連れて行きます。今その佐久間旅館のおじさんと一緒で、水槽に入れて輸送中ですわ。もうすぐ着きます」
『そうかい判った。先生に言って準備しておくよ』
「ああ、じゃあ、よろしく」
 作間さんは電話を切った。
 これ現実?

つづく

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桜井優子失踪事件【14】

【鍵6】

「さてお邪魔は消えました、と」
 対する登与の物言いも大した物だ。「何も知らないタダの大人」という彼女の感想はあからさまであって、テレパシー使いでなくても気付く人は気付くであろう。そんな時の彼女の微笑みには魔女のような一面が覗く。
 その根底には大人への敵視があると理絵子は知っている。超感覚の故もあり大人以上に物知りなのに、大人からの視線はいつも一緒。すなわち、通り一遍ステレオタイプの〝所詮子ども〟。
 大人が小馬鹿に見える気持ちは判る。
「うわべばっかり。見ても?」
 登与は言いつつ、理絵子の傍らに膝行(いざ)ってパソコンを覗き込む。
「もちろん。見解を聞かせて」
「判った。えーっと……」
 理絵子は膝行って座位置をずれ、登与に画面の正面を譲った。登与は両手指でタッチパッドを器用に操作し、レポート文面を上下。
「まず単純にグーグルして、下総(しもうさ)のでいだらぼっち足跡由来とか製鉄遺構を回ってるね。その後は安房(あわ)へ行ってる。でも……安房ってもっと古いよ。日本武尊の頃」
 高千穂登与は独り言のように呟くとネット地図を呼び出した。そして、あくまで私見と前置きした上で、
「彼女は製鉄遺構を巡るうち、何かヒントを得て、より起源に近い情報が必要と感じて上総(かずさ)、更に安房へ向かったんじゃないかな」
 ここで少し説明を加える。千葉県は房総半島の南端側から旧国名が安房、上総、下総となる。東京から見ると上下逆のように感じるが、これは西国の人々が海路で半島先端から入ったためだ。伝承の時代、日本の中心は畿内であって、箱根以東は蝦夷と呼ばれる辺境。房総半島への上陸最短ルートは三浦半島より海路であった。ちなみにこの海路で日本武尊は愛する者を失っているが、その際詠んだ歌に由来する地名が「木更津」「袖ヶ浦」などである。
 従って房総半島を先端へ向かうことは「過去」へ遡る。
 なるほどと理絵子は頷いた。
「だとしたら余計に足が必要だね。房総半島って直線距離でも長さ100キロ有るから。電車の本数も少ないし」
 知っているのは行ったことがあるから。
「一人で回るのは大変です、と。普通に考えたら、おじい様のお宅を基地にして、出来れば車で移動したくなるね」
 登与の理解に理絵子は頷く。房総半島を広範囲に動くのであれば、祖父母宅を拠点に各遺跡へ行き来するのが効率良い方法であろう。一日二日で巡れる話ではない。現にここまでのレポートで2週分の休みを使っている。

つづく

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町に人魚がやってきた【2】

「ベッピンだなぁ。乳もオレのかあちゃんよりでけぇ」
 おじさんは上半身。脇の下に腕を入れて抱き上げる。
「前にも人魚を?」
 オレは下半身。ヒレ持ったら破れそうなので、それこそマグロか、でかいタイみたいに脇に抱える。
「んなわきゃねぇだろ。お前人魚だぞ人魚」
 じゃぁ何で当たり前のように反応するんだ佐熊のおじさん。
「ホレ乳ばっか見てねぇで運べ」
 見てないって。
 今は。
 傍目には睡眠薬を嗅がせて略取誘拐。或いは共謀して遺棄。
 警察が来たらどうしよう。
 懸念は杞憂。どうにかこうにか軽トラの荷台に上がる。
「フタ開けるから持っとれ」
「持っ…」
 持つってどこを。
 しょうがないので縦抱っこ。波打つ金髪は塩水乾いてガビガビ。人体の部分は寒いのか鳥肌でザラザラ。そしてサカナの部分は乾いてウロコのとげが立つ。
「重い…」
「ひっひっひ。オンナの身体の重さを感じる豪華さを知らんけ。チョンガーは悲しいのぉ」
 おじさんはバカにしながら水槽のフタを開けた。小さな円形のフタが3つ有るのは知っていたが、更に横の留め金を外すことで全体ががばっと外れるらしい。
 中でばっしゃばっしゃ音がする。
「何かいるの?」
「マグロだ」
「一緒にして大丈夫かなぁ」
「大丈夫だべよ。どっちも海の生物だしよ」
 オレは頷こうとしたが海の中にも食物連鎖はある。
 〝彼女〟が生きてるマグロをガツガツ食うとは思わないが、マグロは肉食なわけで…
 怖い考え。
「人魚気絶してるべ?動かないなら平気だよ。おめぇんなこと心配してやっぱりやめたって波打ち際にドッポン放り込むのか?ケガか病気かも知れねぇじゃねぇか。医者に診てもらうってのがスジってもんだろ」
「そう…だけど…」
 何かズレてる気がする。しかし医者に診せたいのは賛成だ。脚立を2つ立てかけ、二人左右に分かれて担ぎ上げる。今度はオレが上半身。
 
つづく

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桜井優子失踪事件【12】

【鍵4】
 
 次にレポートのドラフトが無いか探す。相談を受けた際、「体裁はどうでもいいので、まずは調べたことを全部書き出して」と彼女には提案した。タッチパッドに指先を滑らせ、スタート、最近使ったファイル、
 するとワープロソフト「一太郎」にて作成したファイル「でいだらぼっち」が存在する。
 開くと、尋ねた場所の日時と写真、現地の説明看板の写し、土地の人に尋ねた結果のメモ書き。
 すなわち、彼女は千葉に出かけたことは出かけ、数カ所回った。
「これを…優子ちゃん一人で…」
 母君は感慨深げに言った。
「優子、千葉まで行ってる事は行ってます」
 プロパティを見たら最終編集は13日前。
 クリスマス前から不在という母君の話と一致する。試験後の土日や、天皇誕生日周辺の連休を利用してここまで調べ、書いた、ということだろう。少なくとも言えることは、ここまで作ったのに、いきなり調査を放棄して云々は考えにくい。
「来る」
 と言ったのは登与。
 え?と尋ねながら、理絵子は登与が超感覚で察知したのだと確認した。何者かが、この家に来訪した。
 警察。今、門扉の呼び鈴が押された。
 ベル音。ジリリン。
「あら、ちょっとごめんなさい」
 母君が立って退室する。警察は自発性が無い旨先ほど聞いたところだ。ならば、父親の差し金か。
「どちらさまで……はい、門は開けましたので中へどうぞ」
 インターホンで母君が答え、部屋の二人に警察の方が、と声を掛け、玄関へ。
 しばらくして玄関引き戸が開閉し、革靴が三和土を打ち、男の声。
「娘さんの部屋はどちらで」
「その明かりの漏れている……」
 程なくアルミ襖の向こうに現れた長いもみあげの男。スーツをまとい、整髪料とタバコのニオイ。
 少女二人は男を見上げる。二人して、敵だ、と視線に表したかも知れないが仕方がない。
 何せ相手がこっちに好意を持っていない。
「何だね君たちは。学校はどうしたのかね。奥さん、関係ないのを勝手に入れてもらっちゃ……ああ、君があれか、黒野……」
 不機嫌そうに矢継ぎ早。そして、自分の名が出る辺り、やはり父親の仕掛けか。
「はい、黒野の娘です。いつも父がお世話になっております。今日は学活だけですので、終わり次第心配して飛んできました」
 理絵子はまずは尋常に答えた。

つづく

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町に人魚がやってきた【1】

 冬の波打ち際。
 ビンに入った手紙でも流れ着いていれば物語の始まりだが、オレの拾ったモノはちょいと違った。
 一見したところでは鯉のぼりを下半身に穿かされたマネキン。
 それにしちゃ上半身が妖艶に過ぎる。ここだけの話だが指先でつんつんした。
 俯せだったので背中を。
 柔らか。えっ?
「きゃ」
「わっ」
 ぴちぴち跳ねる。巨大魚に食われる途中で海岸に打ち上げられたオンナという訳でもなさそう。ヘソから下は完全にサカナ。
 砂の上に腕を立てて身を起こし、オレのことを見ていたが、程なく失神したか卒倒。
 人魚、であれば、陸に上がるなんざ自殺行為だろう。
「ちょ、ちょっと待てよ」
 水に入れなくちゃ。さりとて尾びれ掴んで海の中までズルズル引っ張って行くわけにも。
 誰か手助けを、思って見回すと、防潮堤沿いの道を走ってくる軽トラック。
 市場帰りの旅館のおじさん。荷台には活魚輸送用の水槽を載せている。
「おーい」
 オレは道へ出て腕を振り、おじさんの軽トラを止めた。
「佐久間(さくま)の若いのじゃないか。どーしたいきなり」
 おじさんの名前は佐熊(さくま)である。日焼けの顔はしわだらけ。白髪の角刈り、ねじり鉢巻き。
「あ、あれが」
「人魚じゃねぇか」
 佐熊のおじさんはこともなげに言った。って人魚だぜおじさん。に・ん・ぎょ。
「生きてるのか?」
「多分。声出した」
「じゃぁ運ぶぞ」
「ど、どこへ」
「こいつの水槽に決まっとろうが。殺す気かオメエ」
「あ、はい…」
 まるで溺れた我が子を助けるような気迫。
 人魚慣れ?した感じはさておき、二人で砂浜に降り、前後に分かれて〝彼女〟を持ち上げる。裏返して仰向けにし、せーのでどっこいしょ。

つづく

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桜井優子失踪事件【11】

【鍵3】
 
 ステレオの傍らには携帯電話の充電器があるが、そこに電話機はない。念のため再度発呼するも、お掛けになった携帯電話は…。
 切る。それにしても物品が少ない。女の子として以前に、子どもとして物品が少なすぎる気がする。この部屋で子どもっぽいものといえば、押し入れの鴨居にハンガーで下げられたセーラー服一式。および、畳の上の手提げカバンと、きちんと畳まれたマフラー、添え置かれた手袋。
 自室というより下宿、シングルユースのアパート、そんな感じ。
「好きに使ってくれていいのに、何故か遠慮しちゃってるみたいで。どうぞ座って」
 母君はお盆に湯飲みとせんべいを載せて持ってきてくれた。電車の絵のあるパッケージで〝濡れせんべい〟とある。
「あ、これ、修理代が足りないからせんべい買ってくれって会社の奴ですね」
 登与が言い、せんべいに手を伸ばす。
 理絵子は部屋を見回しながら座卓に腰を下ろし、ノートパソコンの画面を開き、電源を入れた。
 彼女は家出を繰り返すと母君は言った。対してこの整理されすぎた部屋は〝いつでも出て行ける〟様相を呈する。下宿の印象はそことシンクロする。
 一方でキチンと準備された制服類は、彼女がここから、新学期の教室へ登校しようとしていたことを表す。
 この表裏一体。
「アドミン権限で入る?」
 パソコンの起動がパスワード要求画面で進行停止。基づく登与のコメント。
「大丈夫」
 理絵子は答えてキーボードを叩く。パスワードはyuko_rieko。@が入って自分たち二人の出席番号。
 他人様のパソコンの中身を見るなど日記や手帳を覗くに等しいが、現在ここにある、唯一の、彼女を追う鍵。
 デスクトップの表示が整うまで待つ間に、登与がせんべいを千切って口に入れてくれる。濡れせんべいと名乗るだけあってふにゃふにゃ。ただ、味自体は程よい醤油と甘みでじんわり美味しい。
 その柔らかさと程良い味に少し、ホッとした。
 パソコンの準備が終わり、無線LANが接続完了と出た。まずメールを開いて受信操作。更に最近のやりとりをチェック。洋服屋のメルマガ位でヒントになるような内容のものはない。遺跡を調べると言っても、研究家や資料館などへ問い合わせ、まではしていないようだ。
 のみならず、重要と思しきメールは見あたらない。確かに自分も彼女のパソコンアドレスにメールを打ったことはない。即座に知りたい重要なものは携帯で。気が向いたときに見る類はパソコンで。携帯は一通ずつ課金されるから当然と言えば当然だが。

つづく

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桜井優子失踪事件【10】

【鍵2】 

 母親は次第に早口になって声を震わせ、自身の頭を両手で抱え込むような仕草を見せた。
 どうして良いか判らないのである。パニック寸前だ。
 理絵子は唇を噛み、言葉を紡ぐ。
「私たちで動けるだけ動いてみましょう」
 理絵子は母君の目を見て答えた。手をこまねいて見ている必要はどこにもない。
 そして、自分の言ったこの言葉は、強い。
「ありがとう…」
 母君に抱きすくめられる。
「あなたは、優子ちゃんの、優子ちゃんの、本当の友達…」
 頬に感じる熱い流れ。
 そこまでされる理由を理絵子は感じ取ったが、自ら開く扉ではない。
「ああ、ごめんなさいこんな寒いところで。お茶を出しましょうね」
 案内され、玄関から入って廊下を行く。コンベンショナルな日本家屋のつくりであり、土壁、竹と木が組み合わされた仕切りなど目に付く。すり足で歩く母君の姿がなんとも似合う。
 対して。
 何よりの手がかりである優子の自室には鍵。
 テンキー式のロックが襖と柱に組み込まれ、施錠されている。
 日本家屋に不似合いな、女子中学生の自室に不相応な、最新かつ強固な鍵。
 しかも木と紙で作られた真正の襖ではない。襖紙の意匠を施されたアルミ戸である。
 更には敷居と鴨居に細工してあり容易に外れない。女の非力で蹴破ることも不可能。
「入っても?」
 理絵子の問いかけに母君は一瞬も躊躇無く頷いたが。
「ええ、でも番号をご存知なの?これ…」
 対し理絵子は母君の言葉が終わる前に、〝襖〟を引き開けた。
 カラリと開く。テンキーを押したわけではない。ただ、手掛けに指を載せ、引いただけ。
「あら…閉まっていたと思ったけど。いいわ、中に入ってらして」
 正直、お茶という気分ではないのだが、母君も何かしていないと落ち着かない気分なのは承知。
 自分がそうなのだから。
 中に入る。桜井優子と会うのは屋外が多いが、自室を訪ねたことが無いわけではない。
「これって…」
 ギョッとした。中を見た登与の感想。
 さあっと部屋から流れ出てくる冷たい空気。
 1月初旬の東京多摩地区は最寒期…だけでは説明できない冷感がこの部屋にはある。
 6畳間であり、小さな座卓と電気スタンド。ノートパソコン。カラーボックスには教科書が収まり、その天板上にはポータブルステレオ。

つづく

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桜井優子失踪事件【9】

【鍵1】
 

 桜井家は住宅街の最奥に建つ大きな邸宅である。その千葉在住祖父殿が実力者で、方々に土地と人脈を持つ。
 潜り戸に瓦葺きという門を通ると、玄関にたどり着くには庭園を横切る要がある。しかし、街路の角を曲がり、門の構えを視界に捉えた時点で、和服姿の女性がその前に立っていた。
 結い上げた髪に白髪混じり。桜井優子の母親である。理絵子の父母と〝ひとまわり〟年齢が違う。
「ああ、理絵ちゃん」
 母君が理絵子たちを見つけて声を掛けた。小走りで向かって来ようとする姿が危なっかしく、逆に理絵子たちの方が走った。
「優子が、優子が、あなたといるとばかり…あらそちらは?」
 母君は、理絵子の両の手を手のひらで包みながら、高千穂登与に目を向けた。
「高千穂と言います。黒野さんから話を聞いて。心配で思わず一緒に」
 高千穂登与は頭を下げた。長い髪がサラリと前に落ち、身を起こしながらすくい上げる。
 その所作にはそれこそ巫女・依り代の神秘的な雰囲気が漂う。
「あらそう…優子ちゃんは幸せね。でもあなた、学校は?」
「いいです。どうせ…」
 登与は反射的に言って目を伏せた。それは、日蝕時の光足らない陰りに似て。
「さ、どうぞどうぞとにかく入って」
 促され、庭園飛び石を歩いて行く。
「警察から何かコンタクトは…」
 庭園の〝道中〟で理絵子は訊いた。
「電話はあったの。でもね…」
 
・まず捜索願を出せ
・手続きの方法
・受理したら全国の警察に情報が送られて
 
「見つかったら連絡しますって。探してくれる訳じゃないのよ」
 そんなバカなと理絵子は思った。通話ログの調査、クレジットカードの履歴、Nシステム(自動車ナンバー自動読取装置)の参照…聞き及ぶ不明者捜査と異なる。
 それとも、その手の報道は一部の特別な捜索だけか。理絵子は父親に直接連絡しようとし、母君が繋いだ言葉に手を止めた。
「あの子、何度か家出したことがあってね。その度に…だから警察も『またか』って思ったんじゃないかしら」
 つまり、オオカミ少年状態。
「でも、でも今回は違うの。何か違うの。あの子はあなたと出会って以降、一度も家出していない。だから絶対、あの子の意志じゃない。怖い」

つづく

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桜井優子失踪事件【8】

【覚4】
  
 テレパシーで呼ばれたのである。金髪のイメージは理絵子へのメッセージ。己れは何者か。
 当然、理絵子も彼女を知っている。この学校でそんな芸当が出来る娘は一人だけ。
 その娘は、顔を上げた理絵子を見て、〝我が子を守る母ネコ〟という感想を持ったようだ。
 対し、理絵子の感想を書くならば、クリスタルの無垢さを備えた細面。
 高千穂登与(たかちほ・とよ)という。同学年で別クラス。巫女のような名だが、両親が願ったかどうかさておき、実際巫女のような能力を備えた。彼女とは先の北村由佳の件で対立したが、その後和解した。今は超能力つながりの理解者だ。金髪は二人が共有する秘密。
「私の心配は……」
 登与は語尾を濁すように言い、学生カバンを持つ手をギュッと握りしめ、うつむいた。
 事情を知らぬ者が二人を見ていたら会話が突飛に聞こえるであろう。登与は今、理絵子が浮かべた懸念に対し、言葉で答えた。
 理絵子の懸念。
 始業チャイムが鳴ってからの登校は当然遅刻である。だが、それには理由があって、なるべく他の生徒達と一緒になりたくない、というものだ。
 登与は自らが霊能者であると公言していた。当初もてはやされたようだが、応じて言動が高飛車になったようで、次第に疎外されるようになった。
 そこで理絵子と〝験比べ〟を呈す有様となり、吹聴するほどの霊能ではないと周囲は認知。今は級友達の視線が刺さって痛いので時間をずらしている、というわけだ。
「あなた自身大変なのになんで私に気を遣って……そんな優しい……」
 登与は続けてそう言うと、ぽろりと涙ぐんだ。次いでカバンから左手を離し、目元を拭う。
 彼女は桜井優子が失踪したと具体的に察知している。しかし、理絵子がそれでも自分の方を気遣っていると知り、心揺さぶられたようだ。
 瞬間、意識を刺し貫くような感覚が理絵子を捉える。直感という矢が突き刺さり、貫き、同時に登与をも刺し貫いた。
 二人同時に感じ取ったそれの正体。
 私たちの、このたった今の出会いは、用意された。
 抜け落ちたものへ抗うため、用意された。
「手伝っていい?」
 波紋広がるようなイメージと共に、登与は訊いてきた。
 力になりたいという強い気持ちが波のように広がり出ている。
 もちろん、今ここで出会った意図を登与も感じ取ったのである。薄く笑みを浮かべ、その瞳は黒水晶のように深々と漆色に輝く。
「あなたには助けてもらった。あなたがいてくれるから私はそれでも学校へ来ようと思う。この瞬間が運命であるなら私はあなたをサポートしたい」
 超感覚のコミュニケーションは不可思議そのものである。
 そして、超感覚の答えは一瞬で明快だ。
「来て」
「うん」

つづく

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桜井優子失踪事件【7】

【覚3】
 
『理絵ちゃん?授業中じゃないのかい?』
 驚きに満ちたマスターの声。
「優子が行方不明なんです。彼氏さんに連絡取りたいんですけど番号ご存じじゃありませんか?」
 さすがにそこまで自分の携帯電話に記憶させていない。…入れたら入れたで優子としてもあまり気分のいいものではあるまい。
『あいつ……今日は技術講習会か何かで終日お台場だぞ。メール入れておく。他にメッセージは?』
「冬休み優子と一緒でしたか?って」
『判った』
 伝言を託したので電話を切り、再度桜井家にかけ直す。マスターは過去に傷持つ男であり、理絵子との関わりは父親を介して、すなわち〝警察のご厄介〟である。珍走団の名誉会長みたいな役どころであるが、行き場のない心の相談相手でもあり、実質のところ更正活動と言って良い。
 桜井家の電話は今度は繋がり、ベル音を聞く前に相手が取った。
『ああ理絵ちゃんねごめんなさい。優子が、優子が…』
 お母様。いつも和服で上品なイメージであり、娘がいわゆる不良でも全く動じないという不思議な感性の持ち主。「大人になってからそんなことしたらアホだけど」
 それは不思議な信頼関係を母娘の間に築いたようで、フラッといなくなっても、帰ってくる前にはきちんと連絡してくるという。
 が、音信途切れて2週間。
『迷惑なのは判ってるの。でも、優子の一番の友達はあなただから…』
 取り乱しぶりは電話を通じてというレベルではなさそうだ。探査行の詳しい予定や、同じく彼氏の連絡先を訊こうとしたのだが。
「警察には私の父を通じて連絡してあります。あの、今からお邪魔しても構いませんか?」
 理絵子は思わず言った。この母親自身が心配に思えてきたのだ。親として当然の憂慮であろう、娘の関わる人間たちの向こうには、日の目を避けるアンダーグラウンドが繋がっているのは確かなのだ。
 達観を装って常在した不安が、この母君の中で今、爆発している。
『いいの?いいの?来てもらえるの?だったら…待ってるわ…』
 母君は言い、即座に電話は切れた。すぐ次の電話を掛けたのだろう。
 ともあれ連絡が付いた。理絵子は携帯電話を閉じて小さく一息ついた。しかしそこで〝抜けた〟感覚がぶり返して戦慄を覚える。今それは危機感の象徴に変じている。超常の感覚持つクセに何も判らないという焦りと悔しさ。
 振り払うように走り出そうとした時、制服スカートの影が視界を横切る。
「黒野……さん」
 弦の震えに似た、澄んだ声と共に、超感覚にイメージ一閃。金色の髪の毛一束。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【45・最終回】

 その際に私をチラと見、
「……ああ、君、泥だらけじゃないか。洗濯するからウチへ」
「ちょっとあなた。こんな……大体なんでこの女が……」
 口を挟んだ母上を父上は一喝しました。
「馬鹿者。どう考えてもこの方は豊を助けてくれたぞ。大体目下大事なのは豊の身体じゃないのか……申し訳ない。妙な体裁ばかり拘泥する愚妻で」
 すると。
「……何さここぞとばかり偉そうに父親面して。ゆたかちゃん、大丈夫?この女に何かされなかった?あんな禁止の洞穴なんか」
 母上は眉根を屹立させて夫君に反駁し、私を一瞥。
 それから柔らかい表情を豊君に向け、頬に手を当てました。
「母さん……」
 豊君は目を開けて、掠れた声を出しました。
「あらゆたか、なぁに。母さんはここよ」
「馬鹿……」
 母君、絶句。
 そこへ車が到着し、豊君を乗せます。
「ああ、毛布が欲しいなあ」
「こんなのでよろしければ」
 私は手品の流儀であの糸玉を取り寄せました。
 車の後席に押し込み、形を整え、豊君の身体を横たえて包み込みます。
「ど、どうやって。……まぁいい。ああ、暖かだ。冴子。この方にシャワーに浴びてもらいなさい。朝倉君、出して」
「はいっ!」
 私と母上を残して、豊君を乗せた車は走り去りました。
 もちろん、私としてはシャワーをお借りする気はありません。
「ねえあんた」
 母上は私を見て言いました。
「はい?」
「ゆたか、急に家の前から逃げ出したのよ。あの穴に入ってたの?」
 母君は顎で洞穴を示して言いました。洞穴入り口、有刺鉄線の柵の脇には看板が立っています。
 私は超常の視覚でその字を読み取り、頷きました。
「ええ、何か怖い目にあったみたいで」
「ったく、クモ好きにも程があるわ。あんな気持ちの悪いモノ」
「彼のクモに関する知識は学者並みですよ。街灯のそばに巣を張るといった人間社会への順応や、繊維を高速で綴る仕組みなど、人間がクモから得られる知見は計り知れません。ああ、ちなみにさっきの毛布はそのクモの糸です」
「えっ!」
 母上が驚いて車の方向を振り向いた途端、私はそこから姿を消しました。

 最後に、洞穴の看板に書いてあった説明をかいつまんで書いておきます。

 -土蜘蛛伝説-

 古代この穴から人を食う大クモが出入りしていた。ある日英雄が現れて対決を挑み、クモは穴の奥に封じられた。土地の人はたたりを恐れて聖域とし、退治した田畑の昆虫を年に一度捧げた。禁足地につき立ち入るべからず。

管理社寺名

クモの国の少年/終

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桜井優子失踪事件【6】

【覚2】
 
「じゃぁ私から桜井さんとこ直接電話してみる。何かあったら。…判った」
 電話を切り、担任代行に状況を説明する。級友達にはどうせ聞こえるのでそれで説明の代替とする。仮に心当たりがあれば嬉しいだけ。
 まず背景として、著名なアニメで〝でいだらぼっち〟が出てきたのが全ての始まり。
「あれは古代製鉄につきものの伝説で、千葉は飛び抜けて足跡の言い伝えが多いと言ったら、面白そうって。足跡調べて自由研究にしようかなって。それで彼女、冬休みは千葉のおじいちゃんおばあちゃんのところへ行くって言ってたんですが」
「千葉にはいつまで?」
「それが、おうちの方の話では、千葉には顔を出してないそうです。それで私の家の方に来ていないかと逆に問い合わせがあった次第で。家はクリスマス前から空けているとか」
 クラスがざわつき始める。事件性の認識と、しかし、相手が相手だけに少し距離を置きたい。そんな雰囲気。
 現在理絵子として確認すべきは2点である。まず、彼女は実際に足跡調査に着手したのか。そのアニメを見に行ったのは期末試験後、冬休み向け封切り直後。
 次に、調査していたとして、千葉県内を回る〝足〟はどう確保したのか。
 思いつくのは年上の彼氏である。外見はともかく律儀な男であって、彼女と過ごした翌朝はクルマで校門へ直送して来る。もちろん、理絵子の〝アリバイ要求〟を彼氏も良く理解してくれている。そのこともあって、理絵子は桜井優子の行方や挙動をリアルタイムで追ったりはしていない。
 一般にクルマ持ちの彼氏がいるなら、広域移動が必要な場合は頼るのが自然だろう。自分ならそうする。体の良いデートの動機である。今回、彼氏は調査には同行していないのか。
「父親を通じて警察も把握していると思います。私は私で判る範囲調べてみようかと」
 それはマンガよろしく中学生が授業サボって探偵ごっこ。
 問答無用で却下されて当然だが。
「判ったわ。あなたも気になって学校どころじゃないでしょう。どうせ今日は学活だけだし、校長には私から言っておくからこのまま外れてくれていいわ。何か動いたら連絡頂戴」
 担任代行は腕組みして若干、胸を張った。
 それは教師の反応としては落第かも知れないが、大人の対応としては極めて心強い。
「判りました。ではお言葉に甘えて失礼します」
 理絵子は頭を下げ、学生カバンだけ持って昇降口へとって返す。走りながら桜井優子の携帯に発呼すると〝掛かりません。電波が届かないか、電源が……〟。
 次いで、始業のチャイム23秒を待ち、靴を履き替えながら桜井宅に電話。
 話し中。思いつく限りの手がかりに電話をされていると見られる。
 であれば、と発呼したのは学校近くの喫茶店マスター。
 桜井優子とその彼氏を構成員に有する珍走団〝たこぶえ〟のリーダー。
 当然、構成員達のたまり場であって、学生達は接近禁止が原則。

つづく

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ブリリアント・ハート【45・最終回】

「そうですか…でも、何か悪い気もするので勝手な行動を謝罪致します。お騒がせしてすいません」
 レムリアはここだけは心から言い、支配人に向かって頭を下げた。すると支配人は滅相もないとばかりに手と首をパタパタ左右に振り、ウェイトレスに何事か手振りで指図した。
 レムリアは、ここに戻ることさえ出来ればどうにでもなると、なんとなく楽観していた理由を洞察した。
 大人達の事なかれ主義。
 丸く収まれば、最初から何もなかったことになり、責任追及は発生しない!
 程なく、二人の座るテーブルにゴージャス至極なプリンアラモードが運ばれた。
「どうぞ」
 と、支配人。
「頼んで…」
「わたくしからの奢りです。姫君に余計なお手間を取らせたお詫びでございます」
 何か悪い気もするが、断るのも不自然。
「いいんですか?ありがとうございます。あと、ちょっと資料を取ってきたいので、エレベータのカギを」
「かしこまりました」
 レムリアはその後、普段持ち歩いている自分の活動記録…救援活動の自己レポートが収まった半導体記憶装置(USBメモリ)をあすかちゃんに渡し、電子メールのアドレスを教えた。
「パソに挿せば見えるはず。但し英語。そこは勘弁」
「もらっちゃっていいの?」
「コピーあるし、あなたなら持ってもらって構わない。またお会いしましょう」
「うん。楽しかった。あなたとの夏を忘れない」
 二人は握手をして別れた。
 そしてレムリアは夜会服に身を包み、晩さん会へ向かった。

 9月に入ってから、あすかちゃんからメールが届いた。

やっほー\(^O^)/
元気?あなたとの大冒険、「魔法の姫様大脱走」ってタイトルで創作童話にして、自由研究の代わりに提出したんだ。そしたら「すっごいリアル」てほめられちゃった。
あと、レポート、訳しながら読んでる。あなたすごいね。とても一つしか違わないように見えない。

本物の魔法使いみたい。

ブリリアント・ハート/終

★魔法少女レムリアシリーズ(カッコ内の数字は原稿用紙換算枚数)

アルゴ・ムーンライト・プロジェクト(現在進行中 1000枚? HTML仕様 携帯不可)
ミラクル・プリンセス(280枚 HTML仕様 携帯不可)
マジック・マジック(短編 HTML仕様 携帯は機種次第)
魔女と魔法と魔術と蠱と(ココログ仕様)
ブリリアント・ハート(本作)
夏の海、少女(但し魔法使い)と。(短編 HTML仕様 携帯は機種次第)
東京魔法少女(短編 HTML仕様 携帯は機種次第)
Good-bye Red Brick Road(グッバイ・レッド・ブリック・ロード) (560枚 HTML仕様 携帯不可)
豊穣なる時の彼方から(短編 HTML仕様 携帯は機種次第)
博士と助手(但し魔法使い)と。(短編 HTML仕様 携帯は機種次第)

現在ここまで。以下、彼女次第!

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【44】

「ゆたか君、起きてゆたか君。お母様方が探しに来ている」
「うーん……」
 ゆたか君は唸るように声を出しましたが、目を開けません。
 頬に触るとすごい発熱。
 ……伝説の怪物を見たり、神隠しに遭った後、重い病気になるという民話は良くあります。精神のショックが神経系に影響を与えるのは当然のこと。
「あの、瑞穂豊君ならここに」
 私は彼を抱いてぬかるんだ洞窟をいざり、有刺鉄線の中から声を出しました。
 それこそテレポートすればいいのですが、彼が超能力の発現に当てられて発熱したなら、再度の発現は少し怖い。
「豊?何でこんな所に。どうやって。あんたは」
 峻厳な母上。
「雨の中気絶していたのでここへ雨宿りに。すごい熱を出しています。救急車を」
 説明は後。果たして母上の顔色が変わりました。
「わ、判ったわ。あなたー!」
 あなた、とはご主人、豊君の父上のことでしょう。母上が私に背を向けて声を出したその刹那、私は手のひらの石で有刺鉄線を断ち切ります。
「豊がいたわ!こっち!病気らしいのよ!」
「おお!おお豊どうした。ああ、そんなところに入ったのか!」
 口ひげが立派な印象の男性がカサを放り出し、走ってきます。雨のせいか気温が低く、息が白く見えます。
 私はトガで彼の身を隠して雨よけとし、走り寄る男性に近づいて行きました。
 母上がいつの間に?という目で見ますが、説明はしません。
「低体温か」
「いいえ、ショックを受けたようでひどく発熱しています。意識はもうろう。呼吸は浅く心拍は早い」
 私は父上が医者であると判断し、いわゆるバイタルサインに属する情報を伝えました。
「豊、おい豊、聞こえるか、父さんだ。もう大丈夫だぞ」
 声を掛け、頬を打ち、脈を取り、瞼を指で押し開く。
「おとう……」
 豊君は目を開けました。
「あれ……クモは……」
「何を言って……」
「大丈夫。君のおかげでみんな助かった。私もね」
 父上の言葉を遮って、私は言いました。
 豊君は私にゆっくりと目を向け、そっと笑顔を見せ、再び目を閉じます。
 もう一人の男性がカサを掲げて走ってきました。
「瑞穂先生……ああ豊君」
「車を回してくれ。私の医院へ連れて行く」
「判りました」
 男性がきびすを返す。
「お嬢さん、私が引き受けよう」
 父上は両腕を広げ、豊君の身体を引き取りました。

次回・最終回

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桜井優子失踪事件【5】

【覚1】
 
 切羽詰まった顔の担任代行。
 何かあったのである。察して静まりかえった教室内を見回し、自分を見つけ、真っ直ぐ目線を合わせ、タイトスカートの裾を直す。
「黒野(くろの)さん、桜井(さくらい)さんとは今朝は…」
 それは空席の主。
 そして。
「は…」
 理絵子は絶句する。〝抜け落ちた〟本質こそは桜井優子(ゆうこ)の事だと合点が行ったのだ。
 桜井優子は〝2度目の2年生〟である。反体制的な外見もあって疎外されがち。だからこそ理絵子は彼女を理解し、良き友である。件の事件以前、理絵子の超常を知る友は彼女のみであった。
 桜井優子に何かあった。彼女の存在は自分を構成する一部であり、だから〝抜け落ちた〟のである。
「優子に何か」
 声が震える。超能力を持ちながら最大の存在を喪失したことに気付かない自分の愚かさ。
「家の方から電話があって、どこにもいないらしいのよ。今朝は一緒じゃなかったみたいね」
「ええ。はい」
 桜井優子は前述の状況から〝きちんと〟学校に通うタイプではない。そこで存在証明と学業補填を理絵子が保証している。そのせいもあり、理絵子は桜井優子が登校しなくても特段気にしたことはない。ただ、出席日数が足りない事態は避けるようにはしている。
 だから今朝も気に留めなかったのであるが、良く考えたら、彼女は新学期だけはきちんと顔を出していたのだ。「りえぼーがアリバイを要求するから」
 ポケットで携帯電話が呼ぶ。なお、この中学では理絵子たち学級委員が同盟組んで校長に談判し、授業妨害をしないとの約束に基づき携帯持ち込みを許可させた。
 緊急連絡はもちろん、それが一縷のコミュニケーションという深刻な子もいるからだ。
 着信は自宅から。
「失礼して」
 その場で受ける。恐らく、桜井優子のことに相違ない。
 着信ボタンを押すなり母親の焦った声。桜井さんがいなくなっちゃったって?
「今先生に聞いたところ…父さんは…うん判った…千葉の方は?」
 千葉は千葉県である。桜井優子の父方実家は同県の農家であって、理絵子の知る限りこの冬休みはそちらに行っていた可能性が高いのだ。
 しかし。
 どうやら祖父母宅には行っていない。

つづく

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ブリリアント・ハート【44】

 その間に、“部屋にいないように見えた”、最もらしい理由を考える。
 お役人、仕切り直しの咳払い。
「外へなどお出になっては?」
「まさか。あ、携帯が電波拾わないもんでベランダには出ましたけどね。外と言えば外ですね。…まずかったですか?」
 ウソではないが正確でもない。
 更に突っ込まれるか?しかし、男達は心理的にほぐれた様子を見せ、顔を見合わせて笑いあった。
 うまく誤魔化せたようである。レムリアは“多感な少女のつぶらな瞳”で、そうした彼らを見ながら、壮麗に盛りつけられたモンブランを一口頬張った。
 男達の表情が安堵に変わった。
「事件性は、ないようですな…」
 警官の表情が緩む。
「はい、そのようです。お手数を」
「いえいえ、何事もなくて何より。では、本部に報告を致しますので」
「承知しました」
 お役人が頭を下げて答え、警官は敬礼して辞した。
 支配人とお役人が一礼して警官を見送る。お役人はレムリアに目を戻すと、何か言いたげ。
「何か?」
 すっとぼけ。
 あすかちゃんは顔を伏せてモンブランを口に運ぶ。…笑いをかみ殺しながら。
 お役人は腰をかがめ、レムリアの耳元に口を寄せ、
「…姫様、実は姫様が御在室でいらっしゃらないので、誘拐事件の疑いが発生、非常線を敷いて捜索が行われました。横浜とか鎌倉とか、次は唐突にここの隣の市とか…いろいろ情報が飛び交いました。もう一度お伺いしますが、ずっと当ホテルにいらしたのですね?」
「ええ」
 うそつき。
「…でも相当な騒ぎになったのですね。わたくしの軽率な行動が原因でしょうね」
「あ、いえ、そういうことはございません。姫様はご無事でいらっしゃった。それで結構です。お友だちとのお約束や、携帯電話のご使用を制限させて頂くような必要性は全くありません。ホテルの方にも、国賓級の方にお泊まり頂くとあってか、過度の緊張で勘違いが重なったようです」
 お役人、支配人をじろり。

次回・最終回

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【43】

 雨の音。
 重く湿った空気がトガをも重くし、身や髪にまとわりつくかのようです。
 クモの国からテレポートして。
 失神したのか眠ったのか、少し時間が経っているようです。私はひんやりとした固いものに寄りかかり、座った状態。
 目を開くと暗闇。
 いいえ左側からうっすらと光が入る。
 生物的な暗順応より早く、超常感覚の暗視眼の方が働き出します。トンネルと思しき円形の断面の中に私たちはおり、その円形の壁天井には、コオロギの仲間のカマドウマがびっしり。
〈妖精さんが男の子連れてる〉
〈起きたぞ〉
〈すっげー。本物だ〉
 男の子……ゆたか君は私の膝枕で目を閉じています。こちらは間違いなく失神しています。
 さて、洞窟ということは判りました。クモではなくカマドウマがいるので、クモ達の国ではありません。異常な状況でテレポートしたので、妙なところへ飛ばされたのでしょうか。
 光来るその方向に目を向けます。トンネルの出口です。薄暗い空が煙っています。サーッという雨の音からして、草むらが広がっている様子。
 そして、出口部分に紐のようなものが横たわっていて、良く見ると有刺鉄線。
 有刺鉄線……人間の造作物。
「……ゆたか」
 声が聞こえました。掠れていて、切迫していて。
「おーい、みずほくーん」
 彼のフルネームはみずほ・ゆたか。
 彼を捜す大人達の声です。つまり、ここは人間の世界。
 〝クモの国〟は天国エリアに属しますから、エリア内の移動であるテレポートでは人間世界へ飛んだりはしません。なのに、テレポートの呪文で人間世界へ飛んだ。しかも、私たちの属するフェアリーランドを経由せずに。
 ということは、一瞬であれ天国と人間世界とが繋がったことを意味します。ブラックホールとホワイトホールで離れた空間が接続されるイメージです。当然、次元が異なるので接点に存在する意識精神には大きなエネルギー準位差が加わる……失神しておかしくない。
 そして、あのクモの国には、風であれ手であれ、少なからず人間の恣意が流れ込んでいた。
 ……理屈っぽい話は止めましょう。ゆたか君を親御さんに返さなければ。

つづく

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桜井優子失踪事件【4】

【序4】
 
 自分のクラスの反応は何か変わったわけではない。超感覚なんて盗聴のデパートと取られておかしくないのだが、対するみんなの反応は書いた通り〝お前を守る〟だ。要するに信頼してもらえているらしい。仲間っていいもんだ。逆に言えば教員たちは口先と底意は異なると言える。これでも教員と生徒の仲まずまずの学校だと思うが、まだまだか。
「つまんなそうだね」
 背後から女子生徒の声が掛かった。
 大人しそうな細っこい娘は北村由佳(きたむらゆか)という。〝事件〟の引き金であり、過程で喧嘩したが、その後の印象は正直〝なれなれしい〟。
「糸は解けたの?」
 理絵子は訊いた。二人だけの秘密に属する。
「全然。…っていうか、何だか醒めて来ちゃった。そこまでしてって感じじゃ無くなってきた」
 北村由佳はそれこそつまんなそうに口をとがらせた。
「理絵ちゃんは恋したことないの?」
 秘密はつまりそういうことだ。理絵子はこの娘に恋敵と勘違いされ、嫉妬されたのである。
「まだ」
 まっすぐ目を見てあっさり答える。恐らくは嫉妬が完全に抜け切れていない故の質問と思うが、事実として経験がないのであっけらかん。
「理想高いんじゃない?」
「無理にするものでも無し。ハイ予鈴が鳴ります」
 追い払う、という程でもないが、自席に戻ってもらう。このやりとりで判るように、北村由佳の馴れ馴れしい言動を訝り、避けるよう勧める級友もある。
 だが、現在の彼女には、自分以外に気軽に話せる存在が無くなってしまったことを理絵子は知っている。だったら、必要な存在であるだけ。
 チャイムに合わせてクラスを見渡し、出席状況を確認。
 空席が一つ。
 超感覚が働く〝開く〟。無論、空席の主と関わりがある。
 バタバタとせわしない足音が走ってきて、教室の戸が性急に引き開けられた。

つづく

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ブリリアント・ハート【43】

 レムリアは言うと、お冷やを口にした。
 あすかちゃんは夢見る少女の表情。
「魔法に掛かった気持ち」
 と一言。レムリアはドキッとした。あすかちゃんは続けて、
「全然遠い遠い存在だったのに、うちに来てくれて、一緒に逃亡して、こうやってお喋りまで…。真夏の昼間の、お姫様との大冒険。多分私の一生の思い出」
 レムリアは微笑した。但しその魔法は私じゃなくて。
「多分、その魔法は、あなたを全然違う女の子に変えた」
 レムリアは言った。もう目の前のあすかちゃんは、おずおずと質問した引っ込み思案で臆病な女の子ではない。自信がもたらすオーラの煌めきを纏い、大人の入り口に今しっかりと立ち、ドアノブに手を掛けた少女に変わった。
「結局、目的意識なんだと思う…」
「お待たせしました。…あの、お客様ちょっとよろしいでしょうか」
 レムリアのセリフを遮ってウェイトレス、それに続いて渋面のホテル支配人、真剣そうな警官、困った顔のお役人。
 まず、紅茶とケーキがテーブルに置かれる。その作業を見つめる困った顔の面々。
「あのう、失礼ですが」
 支配人が声を掛けた。
「はい。まだ時間には少々あると思いますが?もう準備の必要がありますか?」
 多くを語る必要はない。これで主旨は伝わる。
 果たしてお役人がため息…それはまるで娘にプチ家出された父親。
「どこにいらしてたんですか?」
 小声で尋ねる。
「…は?」
 レムリアはまずは尋常にとぼける。
「お部屋にいらっしゃらなかったようですが」
 丁寧だが怒りを含む。しらじらしいこと言うなこのガキャ。そんなところか。
 対しレムリアは“姫”の品格を意識して至極丁寧に。
「先ほどからこちらのラウンジに。あ、お友だちと待ち合わせがあったのでちょっと下まで迎えに行きまして、今はご覧の通りの状況ですが。何か?」
「何か…って、姫様あのですね」
 お役人が怒り通り越して苦笑する。会話がちぐはぐ…で、良いとレムリアは思う。意図してそうしているからである。そもそもの前提条件が違うので、そうならなくてはならない。

つづく

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桜井優子失踪事件【3】

【序3】
 
 田島綾(たじまあや)という。甘いもの大好きで反映した体型。隣のクラスだが文芸部の活動仲間。
「体調悪い?」
「違う。ちょっと悩んでる」
「…何か感じたんだ」
 理絵子は首を左右に振る。能力のことは学友たちには秘密にしていたが、先に事件があって解決に用い、露見した。田島綾の言葉は、基づく問いかけ。
 ただ、〝その場〟を見知った彼達は、自分の力を口外しないと言ってくれた。
 〝誰かを守るための力〟であると。テレビのような見せ物扱いは何か違うと。
「感じなくなった、というのが正確かな?」
「エスパーなくなっちゃった?」
 友の高い声に周囲の目線が集まる。〝うわさ〟の伝搬は承知している。
「あ、ごめん」
「いいよ。そっちは問題ないんだ。ただ違和感がある。いつもあるものがなくなった、みたいな」
 理絵子は慌てるでなく淡々と答えた。周囲の好奇より不明の悩みの方が気に掛かる。
「ふーん。良く判らないけど…。あんたがそう言うなら相当なもんだと思う。でもね」
 田島綾はまじめくさって前置きして、
「一人で悩むとハゲるぜ。悩むときは一人より二人だ。一緒に悩み考え青春を謳歌しよう我が友よ。その調べではだめなのだ~」
 唐突に陽気になって言うと、理絵子の背中に回り、ぐいぐい押して歩き出す。ハミングするのはなぜかベートーベン第九冒頭。
「ちょ…綾…」
 こうやって、無茶苦茶な方法で気を紛らわせてくれるのが、あなたのやり方なのかもね。
 校門をくぐり、昇降口で上履きに履き替え、推進機関車綾と分かれ、職員室へ向かう。
「今日の文芸部は白状コーナーだから」
 田島綾は念押しして、自分の教室へ向かった。
 ひとり階段を上って職員室。出席簿を取りに行き、連絡事項を聞いてくる。毎朝のこと。
「おはようございます」
 引き戸を開いて感じる目線。〝事件〟の結果、自分の力を知るに至った教員が何人かいる。同様にウワサが伝搬したのだと力駆使せずとも容易に判る。
 羨望の対象として書かれる超能力者だが、実際そうなった側の状況はこんなもんだ。〝異常者〟扱いであり、忌避の対象。
 あ、新年の挨拶を忘れ。
 まぁいいか。
 担任代行の女先生は不在。連絡事項があるならホームルームで言ってくれるだろう。
「失礼しました」
 取るもの取って教室へ行く。ドア開けて、笑顔と挨拶、あけおめことよろ……。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【42】

 まるで虫を捕まえようとする手です。私たちは逃げ、捉えそこねた手のひらは遺骸の大地を叩き、その都度、遺骸が砂塵のようにザァッと舞い上がる。
 数回繰り返した時、私たちの前に割り込む大きな影。
 コバルトブルー。
 そして、手の甲へ飛びついたのはギガノトアラクネ。
 谷に渡した糸の橋を通って、来てくれたのでしょう。
 でも、彼ら巨大クモより尚、その手は大きい。
 彼らは獲物狩るための巨大な牙を突き立てました。しかし、ナイフが爬虫類のウロコを滑るようで、文字通り歯が立ちません。
「目だ!目を狙って」
 ゆたか君のアドバイスに、大グモ達は、巨大な牙の先からサッと霧のようなものを噴き出しました。
 クモの毒。
 カニの脚を無理にもぎ取るような、メキメキという耳に痛い音。
 それは、毒のもたらした痛みでしょうか、渾身の痙攣でしょうか。震えながら、コバルトブルーを握り潰さんばかりの手のひら。
 手のひらの中で、歩脚を折られつつも抗う、コバルトブルー。
〝我らに構うな〟
 ギガノトアラクネが動きます。握られたコバルトブルーもろとも、手を糸でぐるぐる巻き。
 糸で白くなった手が、2匹のクモを抱え、或いは載せたまま、高く持ち上げられる。
 手の甲にある目が、糸の隙間から、こちらを覗きました。
「テレポートなさい!」
 アラクネが言います。でも、あなたやクモ達がいるのに。
「これの目的がアンタだったら、アンタがいなくなれば、自ずと消える」
 アラクネは、8本の手足を広げ、手の甲の視界に立ちふさがりました。
「お前は、欲望の権化」
 睨んで言い、その尾部の糸イボから糸を紡ぎ、遺骸の大地に絡みつかせる。
 それは狩る前のクモが、命綱を用意する動作。
「少年、何を言われても今は耐えろ。クモが獲物を待つように今はただ機会を待て。お前だけが知ることは、いつかお前にとって利となる。臆することはない。君なら出来る」
 アラクネが、大地駆って飛び上がる。
 私は、意を決しました。
「リクラ・ラクラ・テレポータ」
 二つの出来事が同時に起こります。
 アラクネは、手先から、この地の住人として魔法を使い、火を放ったのです。
 彼女は人間。そして、人間を他の動物から一線を画す存在に変えた原動力こそは、火。
 炎は糸と遺骸の大地を波のように広がり、一瞬で火の海に変えます。表面フラッシュ。
 大きなクモが3匹、三方に飛び去る姿を最後に、私の視界は切り替わりました。
 テレポーテーション。
つづく

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四つ葉に託して【幸運】

 折り返しの電車に乗ったら忘れ物。ハンドバッグ。くまちゃんのストラップが下がった女もの。
 誰か取りに来る気配無く。車掌に渡す人もなく。
「誰のものやら」
 仕方なく、ひとりごちて手にして降りる。駅の清算窓口に声を掛け、拾った場所の説明をしていると、息せき切って走りこんできた、あなた。
「すいません、さっき、ここで降りた電車に、バッグを忘れたんですけど…」
 濃紺のリクルートスーツ。髪は丸めて項の辺りのネットの中。
「くまのストラップが…」
「これ?」
「ああ、それです…よかった…」
 本当なら忘れた場所の心当たりと中身を聞いて本人の物か確認をするのだろうが。
 抱きしめてへたり込んでえぐえぐ泣き出して、他人のだ、でもあるまい。
「良かった…面接の…地図が入っていて…眠れなくて、寝過ごしそうになって…」
 小さなころから不運続き。ようやくのチャンスなのに過度の緊張。この期に及んでまたかと思った、
 と、あなたは言った。
 とはいえ、それこそこの期に及んで忘れ物では、どんな結果か推して知るべし。
「良かったら、コレ、おまじないにどうぞ」
 四つ葉のしおり。留学先のキャンパスで寝そべったら、顔のそばにあった物。
「四つ葉…のクローバーですよね。え、いいんですか?珍しい物…」
「持ってるオレがバッグを見つけた。今日のあなたが幸運の証。さぁ、行った行った」
「じゃぁ、はい。ありがとうございます」
 クローバーを携帯電話に挟み込み、慌てて飛び出すあなたを見送る。
 そして、一ヶ月が過ぎただろうか。
「あのう」
 改札を抜けたところで、女性がオレに声を掛けた。髪が長くてキュロットスカート。
「自分っすか?」
 良く見ると、手にはくまちゃんのバッグ。そして、見たことのある四つ葉のしおり。
 ああ、あなたか。
「おかげさまでこういう者になりました」
 頭を下げて名刺を出される。会社員の挨拶もすっかり板についたようで。
「おめでとう。四つ葉の真価発揮かな?」
「緊張してダメになりそうだったけど、今までと違う、四つ葉のお守りがあるって思ったら、フッと気が楽になりました」
「そうか、それは良かった。こっちも嬉しいよ。ああ、自分こういう者です。どうぞこれからも頑張って」
 同じく会社員の挨拶で去ろうとした自分に、あなたは。
「待って。あのう…お礼というか、とにかく嬉しかったので、お食事でも。だめ…ですか」
「へ?」
 サラリと去るのがカッコいいのだろうが、余程の気持ちじゃなければ、一期一会の馬の骨を待ったりはするまい。
 その謝意、ありがたく。
「判りました」
 応じて駅中のイタリアン。ピザとパスタを待ってる間に名刺を渡すと、何故かあなたは小悪魔の微笑。
「やっぱりね」
「え?」
「私こと覚えてる?」
 希望?、誠実?、はたまた愛情?
 そしてこの出会いは…
 幸運?

四つ葉に託して/終
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ブリリアント・ハート【42】

 レムリアはソファに座るようあすかちゃんを促した。高級で知られるホテルの喫茶室であり、使用している調度類もそれなりに洒落たものだ。見るからに町中の喫茶店とは一線を画す。
 あすかちゃんは遠慮がち。
「え?いいの?高い…」
「気にしない気にしない。問題と感じるほどならお誘いしません。紅茶でいい?」
「あ、うん」
 ぎこちなく腰を下ろすあすかちゃん。背後で着座を待っていたウェイトレスが二人を一瞥し、目を円くする。
 その円くなった理由をレムリアはよく判っている。でも無視。
「オーダー、よろしいですか?」
 お上品に。
「え?ああはい」
 ウェイトレスは戸惑いながら、しかし冷水とおしぼりをテーブルに置き、発注機を取り出す。
「アールグレイのアイスをストレートで2つ。あと日替わりケーキを」
「…かしこまりました」
 タッチパネルを操作して一礼し、ウェイトレスが辞する。キッチンカウンターに向かい、主任らしき男性にひそひそ耳打ち。
 バレました。
 冒険の終了。レムリアは多少残念に思うと共に、もうこれで誰にも迷惑を掛けることもないと少し安堵した。ジェームズ=ボンドは無事帰還した。Mならぬ東京には後で言っておこう。
「今日はありがとうございました」
 レムリアは改めてあすかちゃんに頭を下げた。時刻午後4時12分。晩さん会は5時にお迎えの約束なので、ゆっくりは出来ないがまずまずというところか。
「いいえ。こちらこそ、なんか私のためにえらい騒ぎで…」
「ううん。私が勝手にやったことだし、それに第一、私は今ここにいる。ずっと居たと言い張れば、言い出しっぺ以外に責任が及ぶことはなし」
 ちなみに言い出しっぺは恐らく、自分の目付役である外務省の見下し役人氏。
 …あの目線はカチンと来たし、篭の中の鳥的なスケジュールを組まれた腹いせもあるから、いいや。
「そんなもん?」
 と、あすかちゃん。
「そんなもん。終わってしまえば『なぁ~んだ、まぁいいか』よ。映画と一緒。夏の幻。過ぎ去れば気にしない」

つづく

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桜井優子失踪事件【2】

【序2】
 
「まぁ、悩むときは一人より二人だ。でもオレの出る幕じゃなさそうだけどな」
 父親は軽く言った。その言葉の軽さの故か、理絵子も少し気分が軽くなった。示唆的であるなら、必ずまた何か来るはず。
「いや。父さんの言う通りだよ。多分何か私に関係があること。家族でなければ学校でしょう。行ってくるよ」
 理絵子は笑みを浮かべて言った。彼女は凛とした印象を見る者に与える、古風な雰囲気を残した娘であるが、今朝は、瞳に浮かべた憂いが輝きをスポイルしている。ただ、セーラー服をまとった姿は清楚そのものだ。コートに腕を通し、マフラーを巻く。携帯電話はスカートのポケット。
 学級委員。
「行ってきます」
「氷で転ぶな。見えるぞ」
「スパッツ履いてるもん」
 正月明け、3学期初日。
 松の内であり、玄関先に飾りをつけてはいるが、父親が何ら勤務形態に変化が無いせいか、正月という印象は薄い。
 丘陵斜面の住宅地をようやく顔を出した弱い日差しが暖め始める。公園の冬姿をした木の陰では霜柱が伸び、電線のスズメが鳴きもせず身を膨らませている。昨日の木枯らしこそ収まったが、わずかな気流が肌に痛い。
 気がつけば霜柱を見るのは何年ぶり、ではなかろうか。温暖化と耳タコ状態だったせいか、少しの冷え込みでも心底寒い。都内多摩地区だが、「お前が生まれる前には、洗濯物を干したら即座に凍ることもあった」と母親から聞いたことがある。それでも、その頃に比べれば、大したことないのだろう。
 学校に近づくにつれ、制服の姿が目につき始める。道ばたには、そこここに首からプレートを下げた大人が立ち、道行く生徒に声をかける。
「おはよう理絵ちゃん。あけましておめでとう」
「おめでとうございます」
 不審者監視である。家族に通学者がいるといないとにかかわらず、ご近所有志による持ち回り当番。
「お寒い中ご苦労様です」
「いいってことよ。安全第一」
 おばあちゃんが歯のない口で快活に笑う。
 いつもの朝。冬の光景。新学期というちょっぴり新鮮。
 いつも通りだが、何か違うこの感じ。
「りえぼーあけおめことよろおはさむ…どうした?」
 果たして親しい友人は一瞥しただけでそう問うてきた。

つづく

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桜井優子失踪事件【1】

【扉】
 
 ごそっと抜け落ちた。
 そんな感覚に理絵子(りえこ)は深夜の自室で身を起こす。汗に濡れたパジャマと、東の空低い月齢23。
 息づかいが荒い。夢を見ていたのだろうが、しかし思い出せない。
 残っているのはその〝抜け落ちた〟という感覚だけ。だが、肝心な抜け落ちた実体が何なのか、ピンと来ない。
 夢は起きてから覚えていないと言うが、理絵子の場合、夢は多く何らかの〝示唆〟であって、忘れてしまっては意味をなさないのである。なお、示唆とする理由は後述する。
 何の示唆だったのか。気になるので少し考える。思い出そうと試みる。濡れた手のひらを開くと、弱い月明かりにキラキラ光っている。文字通り手に汗握っていたのである。
 しかし記憶の断片よりも先にくしゃみが出てしまった。
 室内とはいえ真冬の夜明け前。
 とりあえず、布団に戻って考える。
 
【序1】
 
 考えているうちに再度寝たらしい。
 母親に起こされると奥歯に違和感、顎の痛み。
 夢の続きか、何か我慢か、寝ながら歯を食いしばっているとこうなる。歯ぎしりもその中で起こる現象と聞く。
 はちみつトーストを囓りながら、純白携帯電話を見つめる。
「どうした。何か感じたか」
 コタツの向かい側、マグカップ片手の父親が、広げた新聞の傍らから顔をのぞかせた。
 よくある家庭の朝の光景、と書きたいが、父親は夜勤明けであり寝る前の食事。警察官であり、勤務形態は一概に不安定だ。
「わからない…」
 理絵子は呟くように答える。何か失ったのだ。失ったのだが、重要なのだが、それが何なのかは、抜け落ちたゆえに見当が付かない。
 長い髪が隠す白い横顔に憂いが影差す。理絵子は14歳であるからして、憂いと言うには相応しくはない。しかし困惑の深さは、彼女を大人びてみせる。
「お前にしては不思議な解答だな」
 父親は新聞を閉じ、理絵子を見つめた。この発言及び〝何か感じたか〟は、理絵子の持つ特殊な感覚を踏まえてのこと。
 超常感覚。言わずと知れた超能力の一種である。彼女には距離を隔てて、時間を隔てて、見えなくても判ることがある。要するにテレパシー使いだ。
 夢が示唆となる理由はこれである。だから〝ごそっと抜け落ちた〟は何らかの問題提起に相違ないのだが、中身の示唆が全く得られないので落ち着かないのだ。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【41】

 ゆたか君の言葉が正解でした。
 手。人の手。
 それは見る間に大きくなってきました。確かに手です。巨大な手が天から降りて来ます。
 まるで不躾で、闇雲に、何かを鷲掴みにするように。
「ボケッと見てる場合じゃないよ」
 アラクネは言いました。その通り、私たちはこの少年と子グモ達を守る義務がある。
「クモ達は私の所へ。君は妖精さんの方へ」
 子グモ達が糸引いてアラクネの元へぴょんぴょん跳びしがみつき、私はゆたか君としっかり手を繋ぎました。
 巨大な手が風圧を伴って降りてきます。巨人の手です。このアラクネの糸の工房を充分押しつぶせる大きさ。
 この糸の館は安全ではない。
「潰れるよ!」
 アラクネは糸を出し、その手が作った風圧に糸を載せ、自らを空中へ。
 私は私でゆたか君を抱いて翅で。
 私たちが脱出するのと同時に、巨大な手はアラクネの工房を叩き潰してしまいました。
 ちなみにその手は手首から先だけです。切れたトカゲの尻尾のように、手首だけが動いている。
 手は潰した工房を握り、持ち上げ、〝手のひら〟を開き、あたかも中身を見て確認するように動き、バラバラになった工房を捨てるように落としました。
 巨人の手と書きましたが、手先だけは見えて後は透明な巨人がいるよう。
 その巨人が、〝獲物を捕らえ損ね、落胆〟。
 手のひらが再び下に向けられます。何を捕まえ……
「うげっ!」
 ゆたか君が言い、対して私は息を呑みました。
 5つの手指、指紋の渦巻きが出来る部分に〝目〟が現れたからです。
 指先に目を持った手のひらの怪物。
 風が人の悲しい思いであるなら、この怪物は人のどんな思い。
 手指が、その目を、一斉に、こちらへ向けました。
 目が合います。つまり、ターゲットは私。
 ゴオッと唸り立てて捕まえに来ます。私は羽ばたいて逃れます。
 目線から離れようと手の後ろ、すなわち手の甲へ回ります。
 ところが、そこにもスーッと裂け目が生じ血が流れ、大きな目が現れました。
 〝手のひらを返して〟襲ってきます。

つづく

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四つ葉に託して【愛情】

 意識していたわけじゃない。
 むしろオトコみたいなオンナで、友達感覚。
 お前は、二人残って卒論を作っていた研究室で、突然訊いてきた。
「ねぇ、四つ葉のクローバーって見つけたことある?」
 おかっぱの髪型。いつでも真剣さをたたえた大きな目。
「確率1万分の1じゃなかったか?」
「夢もロマンもカケラもないオトコだね」
「あるよ」
 そこで言ったら、お前のひそめていた眉は、驚きで弧を描いた。
「えっ…」
 自分から尋ねたくせに。
 でもすぐに笑顔になって。
「それで、何かいいことあった?」
「ねえよ」
 自分でも判るぶっきらぼう。フラッシュバックする二つのツメクサ。
 するとお前は、自分自身のことのように、しょげた表情を見せた。
「そう…」
 明るさが身上のお前にしては珍しくしおらしい。
「何?誰かにあげようっての?いいんじゃね?一般にラッキーアイテムだし。嫌いだってヤツはいないと思うよ」
「あんたも?」
「えっ…」
 今度は僕が口ごもる。
「…ツメクサに恨みはないよ。頼った、信じたオレがバカだっただけさ。オレはオレ、気にせずプレゼントすりゃいいって。テーブルの上でちょこんと4枚広げてるの可愛いもんだよ」
 オレはパソコン作業に戻った。
 背後にお前のコロンの香り。
「はい」
 差し出された小さな鉢植え。
 花咲いたツメクサ。葉っぱは四つ葉。
「私から、あなたへ」
 声と共に鉢が震える。視線を外した目元に涙が粒つく。
「これを。オレに?」
「心臓バクバクなんだからね。…花言葉知ってる?」
「私を…」
「言うな!すっごい恥ずかしいんだから!初めてだから、初めてだから、ストレートに言えないんだよ」
 まるで少女のように。
 オトコみたいなオンナで、友達感覚。
 意識していたわけじゃない。
 しかも。
「私…嫌い?」
「そうじゃない。ただオレ、卒業後留学するからさ」
「え…」
 受け取って消えることなんて出来なかった。手に触れることなく行き過ぎた、3枚目。

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ブリリアント・ハート【41】

「…これから孫達が米寿のお祝いに来てくれると言うから。料理をちょっとね」
 年齢の近い彼女たちがおいしいというなら、まず間違いないだろうと思う。老婦人はそういった主旨のことを、孫達の解説を加えながら話し、にっこり笑った。
 そしてこれには店のおばちゃんもにっこり。売り上げに繋がって二人は安堵。
「可愛い子には声かけてみるもんね。ありがとう。また来てね」
 笑顔でレムリア達を送り出してくれる。
「いいえ、では」
 二人は辞して売り場を横切る。私鉄の地下改札前を通り、やや狭い連絡通路を経由。
 そして、階段を上がればそこはホテルのエントランス。2階ロビーへ通ずるエスカレータが懐かしい(?)。真っ直ぐ10メートルも行けばJR切符売り場であり、警官が立っているが、そちらへ行く必要はない。
「着いたね」
 あすかちゃん。
「うん。あ、お茶でも飲んでいって。付き合わせて申し訳なくって」
「いいの?」
「もちろん、この暑い中何も飲まずに歩かせちゃってごめん」
 レムリアは言い、彼女の手を取ってホテルの敷地へ。
 警備員が立つエントランスを通過する。警備員はチラと見たが、二人が喋りあっていたこともあり、疑いは一瞬。単なる女の子の二人組と判断した様子。
 ゴールインと判断する。安心すると共に、あとはどうとでもなれ、だ。エスカレータで上がり、ホテルのフロントロビーへ。
 雑踏から抜けて音量が低くなる。人の数自体が違うし、絨毯が吸音しているせいもある。
 足先をその絨毯に埋めて歩きながら、フロントカウンターに目を向ける。女性従業員がすぐさま自分を見、ギョッとした顔になる。
 気付いたようである。レムリアは軽く頭を下げ、目線を戻してそのまま通過する。フロント従業員はしかし、半信半疑なのだろう声を掛けようとはせず、行き過ぎる自分の背中を目で追う。その視線を強く感じる。
 フロントロビー奥、喫茶ラウンジへ。
「座ってくださいな」

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【40】

 つまり、生態は似ています。実際、同じような場所に、同じような巣を張って生きています。従って、
 オオヒメグモがいない場所で、気候の条件さえ整えば、ゴケグモ類が日本で暮らすことは可能。
 そして現在、その条件が整い、何らかの原因で日本に入り込んだ彼らが暮らし始めているのです。
 だから、もしも、人間さんが、不快だから、それだけの理由でオオヒメグモ達を駆除したならば。
 オオヒメグモのいた場所に、入ってくるのは。
 ヒメグモ科。学名はTheridiidae……ごちゃごちゃ網のクモ。
 同じようなクモに、方やクモ自体の姿から姫の名を与え、こなた網の形でそう分類。つまり、クモの姿はどうでも良かったのかも。
 それだけではありません。実は、先にゆたか君が挙げた日本唯一の毒グモ、カバキコマチグモを漢字で書くとこうなります。

 樺黄小町蜘蛛。樺黄色の小町蜘蛛。小町、すなわち、美人。

 愛されなければ、やがて毒ばかり。
 アラクネ。あなたが言いたいのは、そういうこと?
 でも何故、私たちに。
「風が止まるとか、変なことばかりだからさ」
 アラクネが、言いました。
「ここは、人の気持ちが、現象になって表れる」
 アラクネは私を見、目線を手元に戻し、作業を続けようとしました。
「何だか見づらいねぇ。ウチは明かりが無いから暗くなると店じまいだよ」
 言われて気が付きます。辺りが暗い。
 ただ、遠くの方には明るさが残っています。夕暮れや天気の暗転というより、日食の暗さ。
 何か変です。
〈おばさん!〉
〈翅のおねえちゃん〉
 子グモ達が慌てた様子で戻ってきました。
 外に出て見上げると、黒い何かが空を覆っています。
 それは超巨大なクモが高みにいるような形をしています。ただしそれは、この国に住まうクモ達と雰囲気が違います。
 脚が……5本。
「あんなクモは見たこと無いよ」
 アラクネが天井伝いに出てきて外を見上げ、言いました。
「なぁ、あれ、手、じゃねえの?」

つづく

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ブリリアント・ハート【40】

 手近の佃煮屋の商品を見つめる。さもおみやげを探している風に。
 店のおばちゃんがそんなレムリアを発見。
「あらお若いのに珍しい。こういうの好き?」
「ええ。貝類とか特に」
 出任せだがウソというわけでもない。
「ちょっと食べてみる?」
「いいんですか?」
「あなた可愛いからサービス」
 おばちゃんは小さな発泡トレイに山盛りのアサリ佃煮をくれた。
 折角なのであすかちゃんと山分け。爪楊枝でつつく。
 美味。
「ご飯が欲しいね」
「そそる。幾らでも行けそう」
 二人の背後を警官が通過する。レムリアは特殊能力でその意識を読む。
〈似てるな。でも違うな〉
 欧州の姫様という触れ込みである。佃煮を好んで食べるとはまさか思わない。
 警官は柱を過ぎて曲がり、エスカレータの向こうへ姿を消す。
 大成功。佃煮万歳。
「行こう」
 あすかちゃんが言った。このまま行ってしまうのはおばちゃんの厚意を無にするようで忍びないが…。
「これから友達とサテライト会場のナイトパレードなんですよ。佃煮持ってパレードもあれなんで…」
 あすかちゃんはさも申し訳なさそうに言った。彼女の言うサテライト会場とは、この駅からほど近い場所に設営された博覧会のサブ会場であり、要は遊園地である。
「ああ、そうかい。いいよいいよ」
 おばちゃんは言うが表情には一抹の寂しさ。
 …このくらいならいいか。
「(我が心の苦しみを喜びへ昇華せよ)」
 魔法のつぶやきにあすかちゃんが首を傾げる。その心に“不思議”が生じたことにレムリアは気付く。
 まずい、と一瞬思ったが、直後、相当なお歳だろう。すっかり腰が曲がった老婦人が、あすかちゃんの肩を、とん、とん、と、ゆっくり叩き、生じた不思議を追いやってくれた。
「これ、おいしいかい?」
 老婦人は尋ねた。
「ええ。あ、おみやげでしたらおすすめですよ」
 あすかちゃんが答える。
「じゃぁ…」
 老婦人はなんと、15人分の佃煮を注文した。

つづく

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四つ葉に託して【誠実】

 高校に入り、2枚目を見つけた時、彼女は隣の席のおっちょこちょい。
 数学が苦手。
 何度も間違えて消しゴムを使い、その消しゴムが手につかず床に転がる。
「あの、良かったら、説明、しようか?」
 見かねて言った僕の顔を、彼女は不思議そうに見つめた。
「女の子苦手なのかと思った。女子と喋ってるの見たことないから」
「そんなことないよ」
 苦手なんじゃない。ただ、ちょっと、怖い。
 だから、僕は、ゆっくりと丁寧に教えた。
「わかりやす~い」
 それからは、彼女の方から訊いてくるようになった。僕はその都度、難しい場合は放課後も使って、彼女に教えた。
 図書館で試験勉強。
「家庭教師状態だね」
 子どもっぽい、大きな瞳が、笑顔を悪戯に彩る。
 模擬テストは良い結果。
「でもおかげで自信がついたよ。勉強が面白いってこういうことかって。いっつも彼氏が『お前のアタマじゃ大学は無理』ってバカにするからさ」
「えっ…」
 僕は後ろ手のクローバーを握って隠す。用意していた葉っぱを手のひらに押し戻す。
 喉もとの言葉と共に、ぎゅっと握って。
「そりゃ、教えた甲斐があるってもんだよ。受験、頑張りな」
「うん。じゃぁね」
 しわくちゃになってしまった、2枚目のクローバー。

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四つ葉に託して【希望】

 一枚一枚に意味があると教えてくれたのは、あの日の君。
 転校してきて、友達もなく何も知らない僕に、色々と優しくしてくれた。
「オレ、そんなの信じないよ」
「まぁね、男の子はね…」
 突如走り出した君。春の公園で制服のスカートと長い髪が揺れて。
 ツメクサの原っぱにスカートがふわりと舞い降りる。
「見つけた」
 君が手にして僕に見せた。
 それが僕の初めての四つ葉。
「あげる」
「えっ?」
「好きな女の子ができたらあげるといいよ。花言葉は〝私を想って〟」
 四つ葉のクローバーは幸運の証。
 そのせいか。
 君のおかげで僕は溶け込み。
 君の味方で僕は孤立から救われた。
 ただ、君は味方の理由を言わなかった。
 僕もしつこく訊く気にはなれなかった。
 なぜなら、君という好きな女の子ができたから。
 訊いて、壊れるのが怖かったから。
 だから、最後の桜の木の下で、僕はようやく君を呼び止めた。
 取り出したあの日の四つ葉。
 3年前を封じた、押し花のしおり。
 望みを託して。
「ごめんなさい。家が近いからって頼まれてさ。勘違いさせるつもりは無かったんだけど」
 桜吹雪にまぎれて散った、僕の最初のクローバー。

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【39】

 歌の通りなら悲しき主はアラクネということになりますが、何て寂しい歌なのでしょうか。
「私の仕事はね。ここで糸を紡ぐこと。風で上がってきた虫の命を食ってゼロに返すこと。そう、この死体の山は全部私が食ったモノさ」
 アラクネは言いました。
 自虐的な告白に聞こえたのかも知れません。
「そんな風に言うなよ」
 ゆたか君が言いました。
「クモが虫食って何がいけない」
「ありがとね」
 アラクネは言って、8つの瞼を伏せるように閉じました。
「温暖化だってね」
 突然話題を変えます。
 でも、それは最初にゆたか君が言ったこと。
「うん」
「足下の命を顧みなくなると、足下から忍び寄る命の変化に気付かない。言ってる意味が判るかい?」
 アラクネは8つの目を見開いてゆたか君を見ました。
 すなわちそれは彼女の核心。確信の核心。
 温暖化で生き物の分布が変わる。それは最前言われていること。
 ある生き物はいなくなり、別の生き物が住み着くようになる。
 でも、それだけじゃない。
 虫たちの分布に〝人間さんのそばにいる〟ことが関係しているなら。
 人間さんのそばにいるから、毒を持つ必要がなかったならば。
 人が虫を締め出してしまえば、虫を遠ざけてしまえば。
 彼らの生きる場所はない。
 対して。
 〝毒虫〟は愛されるために生まれた虫ではない。
 ひたすらな防御能力を進化させた結果。
 いつの間にかいなくなる。
 いつの間にかそばにいる。
 気が付けば毒虫だらけ。
「セアカゴケグモ」
 私はそんな毒虫の例を挙げました。
 ゴケグモ。後家蜘蛛の意味で、交尾後メスがオスを食べて〝後家〟になることに由来します。但し本来日本にはいません。日本以外で分布した毒グモです。世界一の猛毒とされるクロゴケグモを含んだ一族です。セアカゴケグモは〝背中が赤い〟ゴケグモ。の意味。 実は、同じ仲間が日本にもいます。玄関先にボロボロの網を張る、小さな丸っこいクモを見たことのある方も多いでしょう。オオヒメグモです。名前の通り姫蜘蛛です。どちらもヒメグモ科のクモです。

つづく

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「ブリリアント・ハート」【39】

 運転士が行く先を訊くので、デパート、と答えると、5メートル先の下り階段を教えてくれる。
「では…」
 二人は会釈し、階段へ向かう。警官の視線に急ぎたい気持ちが生じるが、ダッシュは禁物。逸る気持ちを抑え、やや顔を伏せ、しかし至極ナチュラルに、デパートへ続く下りの階段へ。
 階段の中間から文字通り脱兎の如く走り出し、売り場フロアへ到達。階段を振り返る。追っ手なし。一安心。
「ふぅ」
「変装しなくて平気?あ、こっち」
 あすかちゃんがエレベータホールへ案内しながら尋ねる。現在レムリアはカムフラージュ一切なしである。報道のままの少女が、報道のままの服装で、駅前デパートに入った形。
「色々考えたんだけどね」
 レムリアは、一般には誘拐された旨放送されていること、ゆえに駅前の雑踏に女の子といきなり現れても、まさかと思われるだけで簡単には判らないという推論から、逆に堂々としていようと決めた。と話した。
「仮に追っ手に掛かっても、目と鼻の先でしょ。ずっとここにいましたが何か?で話済むしね」
「そういうもの?」
「そういうもの。私はこの土地を知らないもん。いつの間にか出てしまったの」
「それって俗に言う確信犯」
「そう」
 レムリアのセリフにあすかちゃんは笑顔。
「面白い姫様ですこと」
「それ以前に単なるオテンバですので」
 エレベータで地下へ。
 地下は総菜とみやげ物の売り場。ここまではスムーズ。
 しかし。
「警官!」
 あすかちゃんが見つけた。制服警官が一人来る。方々に目を向けており、明らかに自分を探している。
 レムリアは警官をチラと見る。こっちに来る気配がある。
 王女某はとらわれの身である、という前提があるため、大丈夫とは思う。しかし、目を合わせない方がいいのは確か。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【38】

「それはヘビだろう。でもヘビを入れてもその程度。違うかい」
 アラクネはニヤリと笑いました。
 言われれば確かに日本という土地に毒のある生き物は少ない気がします。
 でも。
「どういう意味なんですか?」
 私は思わず訊きました。
「クモに対する敬意を感じる。だけでなく、日本の虫たちは愛されている。昆虫の大家ファーブルは故郷じゃ変人扱いだってね。何で毒虫が毒を持つかって考えたことがあるかい?」
 アラクネはゆたか君に問いかけました。
 不思議な時間を過ごしていることを私は意識します。人間であるゆたか君と、元より異世界の住人である私と、そのどちらでもあるアラクネと。
 同一の空間を共有している。
 その状況でこの問い。まるでアラクネは千載一遇と捉えているよう。
 彼女は何か伝えたいのでしょうか。
 それとも知りたいのでしょうか。
 急いでいる。
 焦っている。
「そ、そりゃ身を守るためだろ」
 ゆたか君は答えました。実に当然な回答です。
 すると。
「じゃぁ他と同じくらい毒を持つものがいてもいいだろ?少ないと思わないかい?」
「わかんないよ」
 ゆたか君は困惑して答え、
「あ、でも」
「でも、何だい?」
「必要なかった、ってのは考えられる」
 彼の言葉にハッとしたのは私の方でした。
 毒が身を守るために備わる物であるなら、
 攻撃されない生き物は毒で武装する必要がない。
「日本人は生き物たちと上手に折り合って生きてきた。だから、生き物たちは毒を捨て去った」
 導き出される結論をゆたか君は言葉にしました。
 アラクネは安心したように8つの目を穏和にしました。
 もちろん、そんなの学者も学会も相手にはしないでしょう。
 ただ、虫たちが子ども達の友達であり続けたことは事実。
「妖精さん」
 アラクネは織る手を止めました。
「はい」
「悲しみの風吹く谷の 風を呼ぶのは悲しい思い 悲しみの風は命を惜しみ その故に天へと戻す 谷の主は悲しき主 誰も主を求めぬ悲しき。ってね」
 アラクネは歌うように言いました。

つづく

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ブリリアント・ハート【38】

 コース取りとしては、駅を通った方が早いは早い。しかし、東京の言う通りであれば、避けた方が無難であろう。
「だったら」
 あすかちゃんの提案でデパートの地下へ出、系列の私鉄駅改札前を横切り、ホテルの1階へ顔を出す。の方を選定する。やや複雑であるが、追っ手と遭遇する率は低い。
 …彼女が来てくれて助かった。
 バスから降りることにする。相談している間に他の客が通路に並び終えたため、二人は列のしんがり。
 すると。
「ああ、君たち」
 運転手が立ち上がりながら呼び止めた。
 驚かないはずがない。予想外もいいとこ。
 自分に言い聞かせる。冷静に、冷静に。
「はい?」
 応じ、外に目をやる。ドア前プラットホーム上に交代運転士がおり、降車した客を駅方面へ案内中。客の殆どはその方向。
 と、その行く手から走ってくる制服姿2人前。
 警官。
「みなさ~ん、少々よろしいでしょうか~」
 言いながら走ってくる。これは先頭切って降りたらアウトだったということか?
 幸運、とはいえのんびりもしていられない。視界の向こうの状況を捉えながら、運転手のセリフを待つ。あの、急いでいるんですが…
「ああ、いやね。君たちを待ったおかげでトラブルに巻き込まれずに済んだみたいだと。盗難車が逃げていたらしい」
 運転手は室内ミラー脇に掲示された自分の名札を外し、椅子の座布団を取り外しながら、言った。
 レムリアは胸をなで下ろす。そのことか。
「そうですか?」
「ああ、君たちは幸運の女神様だよ。ありがとね」
 笑顔を見せる運転士と共にバスを降りる。レムリアはそれが、乗る際に自分たちに不機嫌顔を見せた“詫び”を兼ねている、と気付いた。
「いいえ、こちらこそ待って頂いてありがとうございました…」
 バスを降り、頭を下げる。視界向こうでは警官が乗客をチェック中。こちらを見るが、運転士と話しているせいもあろう、疑いの意識は感じられない。これも幸運?
「どこへ?」

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【37】

 でもそんなの大人向けの科学雑誌でやっと出てくる話。
 オトナの皆さんが〝子どもにさせたいこと〟と、子ども達が興味を持つものは得てして違う。
 そして多くの場合、子ども達の興味の対象を大人達は理解しない。
「だから温暖化が本当なら怖いんだ」
 ゆたか君は言葉を繋ぎました。
「酸素濃度の違いとかありかもだけど、そんな大きなクモがもう一度地上に現れたら、人類の天敵になりうる。人類のことだから爆弾とか言い出すだろうだけど、原子爆弾でも追いつかないような途方もない火山噴火や、噴火で毒ガスが充満した世界を彼らは生き延びてきた」
「いいことを教えてあげようか」
 アラクネは編む手を休めず、別の手で虫をつまんで口に運びお茶を一口。
「気ぜわしいオバサンでごめんなさいよ。日本から来たんだよね」
「うん……ってあんた日本語うまいなぁ」
「ここにいると言葉は魔法でね。知識豊富な少年よ、日本で有毒とされる虫、昆虫と節足動物、挙げてみな」
「陸生?」
「ああ」
「じゃぁまずサソリ、ムカデ、カバキコマチグモ、刺すハチ。ドクガとかその辺の毒毛。あと止まられるとかぶれを起こすのいたよな。ハネカクシだっけ」
「アリガタハネカクシ(蟻形翅隠し)だね。有毒というより人間さんの皮膚との相性問題に近いと思うけど」
 これは私。ちなみに、カバキコマチグモはススキなどの長い葉を巻いて巣を作る徘徊性のクモで、唯一〝有毒〟という言葉が使える日本産のクモです。子グモが親を食べて育つという特異な習性を持ちます。
 そう、〝日本の毒グモ〟は事実上この種だけです。もちろんクモ一般に狩猟用の毒を持ちますが、人間さんに向かって行使することはまずありません。噛むことはありますが、威嚇だけです。ジョロウグモ、オニグモ、コガネグモは当然のこと、大型さ故に知られるアシダカグモですら。
「他には?」
 アラクネは聞きました。私もお茶をもらいます。ジャスミンティーです。
「えーっと。あ、ハブとマムシとヤマカガシと」

つづく

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ブリリアント・ハート【37】

 シャトルバスは市街地の道こそやや混んだが、検問等に掛かることはなく、駅前バスセンターへの登坂スロープを目前に信号待ち。
『ご利用ありがとうございました…』
 運転手が放送し、バスが動き出す。乗客達が準備を開始。
 そこで電話。東京。あまりいい予感はしない。レムリアは再びカーテンの陰。
「…何?」
 言って生唾を飲み込む。
『今どこだい』
「あと1、2分ってとこ」
 その回答に東京は黙った。レムリアは焦りを感じた。その沈黙は手遅れと呼ばれる諦めの意思表示?
「…やばい?」
 返事を急くように尋ねる。東京は一回う~んと唸って。
『…かも判らん。手品が上手でウェストポーチを身につけた良く似た娘を、会場行きのバスで見かけたと』
 バスが交差点を横切り、カーブしているスロープを登りに掛かる。その車窓、今しがた横切った交差点を、パトカーがサイレン鳴らして駅へ急行。
 ビルの中に組み込まれた立体ターミナルにバスが乗り入れる。薄暗いコンクリートの空間に反響するエンジン音。
『警察は…』
 東京が言いかけたそこで電話が切れてしまう。コンクリート構造物に入り、780キロ彼方からの衛星電波が遮られたのである。
 心臓がドキドキ言い始める。バスの速度が落ち、他の乗客達が降りる準備を始める。
 と、前方に別の乗り場からのバスがニュッと顔を出し、シャトルバスは一旦止まる。
 降車場とおぼしき場所では、運転士と同じ制服の男性がこちらを見、手招きしている。手に座布団抱えているあたり交代の運転手なのだろう。そこまでバス数台分の距離だ。
 じれったいと思う。すぐそこじゃん早く着いてよ。
 着くバス出るバス交錯し、バスはなかなか前に行かない。
 降車場すぐ手前からバスが出発し、ようやく前方に進路が出来る。バスは最後の一ふかしとばかり加速し、降車場に停車する。
『到着です。JR方面は前方の…』
 ドアが開いて客が降り始める。
 降車客は2方向に進路を取れる。駅コンコースか、バスの系列会社の駅前デパートか。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【36】

 空っぽに見えたガラスのポット。しかしテーブルのカップを並べて傾けたら、中から紅茶が出てきました。
 この種の魔法はこの世界の住人の流儀です。私がちょっと驚いた顔をしたら。
「つまり私は人間には戻れないってことさ。悪いけど仕事させてもらうよ」
 アラクネは言うと、テーブルの前に座り、ゆたか君の持ってきた糸玉から糸を引き、手足を駆使して凄い勢いで織物を始めました。
「戻れないって?」
 溜息混じりの悔恨の言に、ゆたか君は心配そう。
「古い話さ。知らないなら訊かないこった。それよりお前さんの話はどしたい。まともな人間は3623年ぶりでさ。食べたいほどウズウズしてんだ」
 アラクネは牙を見せてニヤッと笑うと、テーブル中央に手の一本を突っ込み、中から何かつまみ出して口にしました。
 くちゃくちゃくちゃ、ぺっ。
 吐き出して屋外に転がったそれは昆虫の殻。
 この〝遺骸の大地〟……まさか。
「ああ、大昔日本は暖かかったっていうから、大型のクモがいても別に変じゃないよなって。例えばカブトガニってクモに近いって言われててデカイだろ。あれは今でも日本に住んでる。海にカブトガニがいて陸上にはクモがいた。変じゃないと思う」
「化石なんかは出たのかい?」
「ないよ。ただ、化石で残る固い部分もないし。化石がないからいなかったっていうのは証拠にはならない。それに、日本では火山噴火が多いせいか、人間や他の動物の化石自体少ない。ただ、ひょっとするとでかすぎてアノマロカリスみたいに何かの部分だって思われてるだけかも知れない」
 等々と喋る彼の口調は子どもの物言いではありませんでした。
 ピアノを弾く彼とは大きなギャップを私は感じました。虐げられる自分と、嫌われるクモに共感を覚え、興味を持って飼うようになった。でも、彼はそれ以上に自ら進んで、そこまで知った。
 自ら進む。これが何より大事ではないでしょうか。ちなみに、アノマロカリスはカンブリア紀の大型肉食生物で、当初カマ状の腕、口周りの化石が見つかったのですが、それぞれ別の生物と考えられていた、という経緯があります。

つづく

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ブリリアント・ハート【36】

 自分が意識していた自分と、今の自分とにギャップがあり、頭の中の整理が付かない…自分の認識の変更が即座に出来ないのである。ただ、これらは自分にとってポジティブで有利な変化であるから、脳の中の認識変更作業は積極的かつ短時間で完了する。そしてその完了の合図は、“変わったのだ”という認識として、嵐明けの澄み渡った空のように訪れ、当人を成長過程における新たなステージに立たせる。
 電話が来る。東京。バスの中だが事情が事情につき受ける。マナー違反2回目。
「はい」
 カーテンに隠れてコソコソ。
『情報を少し。まず、タクシーの運転手は無罪放免。野球の試合を思い出して急発進させたんだと。カーチェイスは警察から逃げたんでなくて、“六甲颪”をガンガン鳴らしていて気付かなかったと』
東京が少し笑って言う。レムリアも笑いながら頷く。高坂運転手…大変世話になったと思う。できればもう一度会いに行ってお礼を言いたい。
『それと』
「はい」
『検問突破。こっちは盗難車で無関係と判明。警察は引き続き捜索中。今のところの警察見解は、動くのを控え、情勢をどこかで見ているのではないか。夜になって動くつもりではないかと。大きな国道、高速道路インターチェンジ、JRの主要駅に重点を絞って警戒中。こんなところだ。まぁバスセンターまでは行き着けるだろう。関門はそこからホテルだな。ラスト200メートルをいかに白々しく乗り切るか。ああちょっと待った』
「え…」
 レムリアは背筋がサッと冷えるのを感じた。新しい情報を彼がキャッチしたのは間違いない。
「なに?」
『今何着てる?』
「ブルーのスカートに白いカーディガン」
『脱げ』
「…は」
 そのセリフは、真意は判っているが、なまじ成人男性に言われただけにちょっとドキッとした、とだけは書いておこうか。
「目撃?」
『そう。可能であれば変えるべし。似たような女の子を博覧会行きバス乗り場で見かけた証言があるらしい』
「わかった。そうする。ありがとう」
 レムリアは言うと、電話を切った。
 スカートとカーディガンを脱衣に掛かる。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【35】

「大昔大きなクモがいて人間に殺された」
 彼は答えました。
 私は翅の羽ばたきが止まって落ちそうになりました。それはちょっと。ええ絶対に多分。
 ……いや私もギリシャ神話に起源を求められる種族なので詳しくは知りませんが。
 違うことだけは確かなような。
「そんな話かい?妖精さん……って、アンタもニンフ系だったっけねぇ」
 私が答えに窮していると。
「先生は違うって言ったよ。縄文人って人たちが手足が長くてクモみたいだったからだって。でも、そっちの方が間違いだよ」
 彼の発言に私は自分でも判るほど目を剥きました。
 だってそれは〝定説〟に対して小学生が異を唱えてるということ。
 ただ、突拍子もない子どもの妄想……という感じはしません。何故でしょう。
「ご高説賜りましょうかね。ほれ、アレが私の家だよ」
 行く手に白い〝建物〟が見えてきます。違います。
〝人家の形に作られた巣〟
 近づいて圧倒されます。サイズは決して大きくないのですが、糸だけで全てが編み上げられ、緻密そのものです。
「こんなナリだけどさ、困ったことに人間の生活が必要らしいんだよ」
 中に入れてくれます。これも糸でしょう、テーブルに茶器と、
 奥の方には出来上がった装束がズラリとぶら下がっています。
「あの……これ……」
 ゆたか君が指さす糸玉。
「ああ、その辺に置いておいてくれ。子ども達好きなように。アンタらにはお茶でも出すかね。お茶だけは認めてくれてさ。ああ、そっちのソファに座っておくれ」
 クモの子達にとっては糸の城です。みんな喜んで部屋の各所に散らばって行きます。
「届け物の上で粗相だけはやめてくれよ」
 アラクネは言うと、壁から天井へ登って、天井裏からガラスのポットを出してきました。
「そうか、壁も天井も普通に使えるんだ。宇宙ステーションみたいだ」
 ゆたか君の感想にアラクネは大笑い。
「いちいち面白い子だね。さてお説を伺おうかい。土蜘蛛は本当に大グモのことだって?」

つづく

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気付きもしないで【目次】

あらすじ

古びて荒んだ駅の片隅に鉢植えの花。
ちょくちょく変えられていることに気付いたオレ。
そこは、無人になった駅で、ただ一カ所、「生きていた」場所。
その花がしおれているのに気付いた朝。
オレは、足を止めた。

【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】
【13】【14】【15】【16】【17】【18】【19】【20】【21】【22】【23・完結】

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ブリリアント・ハート【35】

「でもうらやましい。何でも出来て」
 あすかちゃんは言った。その目には憧れの色がある。
「そうでもないよ。だからって何でもやっていいってわけじゃないし。現に質問ひとつに答えるのに大冒険」
 そのセリフにあすかちゃんの表情が曇った。
「…ごめん私が」
「ああそんな顔しないで。あなたのせいじゃない。私の趣味。たまには好き放題やらせろっての。それに、
…表面だけ姫ひめ慇懃無礼な大人達からかって煙に巻くのは大変面白うございますし」
 レムリアは後ろ半分囁き声で言った。
「…確かに」
 あすかちゃんが同意し、二人して小さく笑う。
 自分たちに大人達が振り回されキリキリ舞いしている。普段、子どもをコドモとして捉え見下し、偉そうにしている彼らのあわてふためきぶりは、滑稽でないと言ったらウソになる。
「でも」
 と、あすかちゃん。
「ということは、普段は、好き放題じゃない、んだよね」
 レムリアは頷く。
「まぁ、そうね。制約は多いかも知れないね。私が何かするとコッカのコケンというヤツに直結するから。恥掻くのは国と国民。これは重荷」
 あすかちゃんがため息をつく。
「難しいなぁ…。それだけいろんなことできるのに。神様って意地悪なのかな」
「いたら文句の一つも付けたいとは思うね。私は子どもらしくありたい」
「私はあなたみたいに素敵で積極的になりたい」
 そのセリフに、レムリアは小さく笑った。
 もう充分積極的。頃合いだろう。変化に気付かせて良い。
「そのなりたいオテンバと一緒になって冒険してるのはどこの誰?同じ事出来ているのはどちらのお嬢様?おかしいなぁ、あすかちゃんは引っ込み思案だと聞いたけど」
 そのセリフに、あすかちゃんは身体をびくりと震わせ、目を見開いた。
「え…」
「そう、今のあなたはすごく輝いている…。やればできるんだよ。私をって言う責任感があなたの底力を引き出した」
 この指摘にあすかちゃんは言葉がない。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【34】

 ですから。
「バケモノだって言わないのかい?」
 ニヤッと笑ったイメージ。表情を作ったのは額まで含めた左右の耳朶の間に並ぶ8つの目、大きく裂け、牙を持った口。
 髪の毛は乱れ縮れ、大きく広がり、長く垂れています。
「ゲームででも見かけたかい。張り合いがないね」
「あんた、〝土蜘蛛〟かい?」
 アラクネが私たちを糸の網で包み込もうとした時、ゆたか君がそんなことを言いました。
 ツチグモ。日本の神話や後の英雄譚に登場するクモの怪物です。準えて、でしょう、現生の地面徘徊性の大型クモ〝タランチュラ〟の和名として〝オオツチグモ〟と付けられています。コバルトブルーも分類上はオオツチグモ。
「これは珍しい物言いを聞いたよ」
 アラクネは8つの目を一様に大きく開いて、驚きの表情。
 糸をぐるぐる巻いてカゴを作ると、中にゆたか君を入れてしまい、するすると巻き上げます。
 牙を見せて8つの目でじろり。
 わざと怖がらせている感じ。
「本当に私が怖くないのかい」
「翅のねーちゃん昆虫の化身だろ。あんたはクモの化身だ」
 アラクネは耳まで裂けた口を開いてニヤリと笑いました。
 しかしゆたか君は本当に平気なようです。
「ぶ、ぶすオンナだとは思うけどさ」
 これにアラクネは毒気を抜かれたようにアハハと大笑い。
「気に入ったよ。妖精さん、あんたたちを私の家に招待していいかい。小さい子達もおいで。よく頑張ってこの人達を助けた」
 アラクネはそう言うと、私が何か答える前に、ゆたか君を入れた糸篭をぶら下げ、歩き出しました。
 8本の手足が〝遺骸の大地〟をかなりの速さで進んで行きます。彼女は根本的に人間のままですから、ゆたか君以上に体重があるはずです。でも、その重さが8本の手足で分散されているため、潜り込まずに済んでいるのでしょう。
「坊主、お前は土蜘蛛の話をどこまで知ってるんだい?」
 アラクネは歩きながらゆたか君に尋ねました。
 ギリシャ神話の住人が日本の伝承について訊くのは不思議な感じ。

つづく

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ブリリアント・ハート【34】

「おーい待ってくれ!」
 ガイド氏が声を張り上げた。
 その声が届いたのだろう。バス停にいた別のガイドが、発車せんとするバスに向かって何事か叫ぶ。
 バスがガクンと停止。
 バス停のガイドが二人を見つけて手招き。
「ありがとうございます!」
 二人はガイド氏に頭を下げ、走った。
 バス車中からの視線を感じながら乗り場に駆け込む。
「すいませんでした」
「いいよ、また来てね」
 笑顔で言うバス停ガイド氏に、ついでやや不機嫌な運転士に謝りながら、バスに乗り込む。すると丁度、フロントガラスの向こうで大捕物。
 会場バスターミナルに、黒いフィルムで目隠しされた外国車が乱入しようとする。
『発車少々お待ち下さい』
 運転手が放送、落ち着くまで待とうというのだ。バスの進路は捕り物の方向であり、そのまま走らせると、乗客が危険に直面する可能性も否定できないからである。
 滞留していたバスが数台動く。外国車はジグザグ運転し、植え込みに入り込むなどして逃げ回る。その行く手を巨体が塞ぎ、袋小路を形成。
 ゴツンと音がして外国車が止まる。いずれかのバスにぶつかったのだろう、即座にパトカーが周辺を包囲し、退路を断つ。
 捕り物の舞台はターミナル内に移動し、ジ・エンド。
『発車します』
 大勢が決まったところでバスが動き出す。さぁ、あとは駅まで一直線。
 落ち着いた気持ちで二人は座席に腰を下ろす。ちなみに、夕刻には早い時間の出発であり、空席も見受けられる乗車率。
「ふぅ」
 期せずして同時にため息。
「飲み物買えば良かったね」
 レムリアは言った。
「出せないの?」
 あすかちゃんは言った。それは手品を魔法と思いこんだ幼女の目でありコメント。
 レムリアは笑った。
「あれは手品。モノが手元にないと」
「え?手品なの?なんだ。余りにも鮮やかだから魔法でも使ったかと思った」
「あはは」
 はぐらかす。うそつきに胸が痛い。でも、こればかりは容易に口に出来ない。ごめん。

つづく

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気付きもしないで【23・完結】

 花に思いを込めたなら、花に言わせるのがセオリー。何も言わない雄弁。
「みんなありがとう。よろしくお願いします」
 古淵さんは言い、白い頬を薄紅に染めて、そっと頭を下げた。
 オレ達はもう一度拍手。拍手に混じって野太いヒソヒソ。
「っげーかわいいじゃん」
 何を今更、彼女の可愛らしさに気付かなかったのは、オマエラの損。
 でもオレの実力の前に、そう、花たちの縁。
「では姫、お手をどうぞ」
 オレは繊手に向かい手を伸ばした。この瞬間を花たちに感謝して。
 彼女が手を載せた。女の子の手は、女の子の肌は、肌理が細かい。
 ああだから「肌」の「理」か。
 彼女がオレの手を握る。
 握られた手から身体へ向かって何か矢が走る。
 背筋がゾクゾクする。
 同時に、息苦しくて、息苦しいその部分が熱い。
「あ、タイキ!ズルいぞテメェ!」
 すかさず野太い声。
 オレはその時「演出」と返すつもりだったが、
「役得!」
 突いた言葉はそれだった。
 すると、雪乃ちゃんは、薄紅の頬に笑みを浮かべ、オレの方を見て。
「喋っちゃったの?私たちのこと」
 オレはその意味に気付かなかった。
「えっ?」
「じゃぁ、隠すことないね」
 彼女は立ち止まると、学生カバンから花を一輪。
「グラジオラス?」
「ううん、イキシア。槍水仙。ありがとうタイキ君。あなたのおかげ」
 槍水仙。花に黙って語らせるならば。槍水仙、槍水仙の花言葉は?
「タイキ……」
 聞いたことのない成瀬の声が後ろから聞こえたのはその時。
「え?」
 オレは多分、ヘラヘラにやにやしながら振り返ったに相違ない。
 気が付く。成瀬の目に涙一杯。
「どうした?あ、オレ運賃返してねーじゃん」
「幸せにね」
 成瀬は言うと、仲間達の間をすり抜けて走り出した。
 突然泣き出して何事か。オレが唖然としていると。
「町田君」
 矢部。同じく涙目。
「何だよ」
「成瀬さんはね……」
 気付きもしないで。


気付きもしないで/終

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【33】

〈助け糸を出します〉
 子グモ達が中から出てきて糸を流します。風によって運ばれて、誰かがそれに気付いたなら、糸をたどって助けに来てくれる。
 私の指より小さなクモ。縮んだ時の私より小さなクモ。
「誰か助けて!」
 私は叫びました。
 声が響き、広がり、吸い込まれて行くのが判ります。生まれて……200年以上……初めてかも知れません、誰かに助けてと頼んだのは。
 かろうじて見えるあまた細い糸の煌めき。
 遺骸の大地が流砂のように少しずつ動いて行くのが判ります。
 このままだと私たちは流されて落ちる。潜り込む。
 私は目を閉じます。そうなった時でも、脱出する手段はないか。
 顔に触れるわずかな感覚。
 私の身体から伸びた糸が数本、リズミカルに引かれます。
 そうリズミカルに。
「え……」
 近づいてくる間違いなく足音。誰か来ます。複数でしょうか。この〝大地〟でも歩き回れる存在。
 〝対岸の住人〟私が受け取ったイメージはそれです。
 よぎる頭上の影。
「つかまりなさい」
 流麗な人語と共に目の前に糸が降りてきました。いえ、降りてきたと言うより、投網の要領で投げ込まれた糸の束です。
「ありがとう」
 私は答え、糸を掴み、〝人語〟の意味するところに気づき、振り仰ぎます。
 人間型生命体。
 しかし、私たちに掛かる影の姿は。
「すげぇ…」
 ゆたか君は影の主を見上げ、思わず、といった感じでそう呟き、目を見開き、黙り込みました。
 織り姫アラクネ。
 腕前が完璧すぎて女神アテナの怒りを買い、クモの姿に変えられたというギリシャ神話の機織り娘。
 しかし、私たちの上に糸を下ろしたそのひとは、人間の女性の象徴である豊かな乳房を持っています。
 ただ、その乳房の両脇からは、人間さんの腕が左右2本ずつ4本。足が、左右2本ずつ4本。
 つまり8本の脚は人間の手足の形。しかも、普通の人間さんサイズの2倍の長さ。
 腹部だけはクモです。それ以外は、クモの特徴を備えた人間の身体。

Arakune1

つづく

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ブリリアント・ハート【33】

『今どこだい?』
「バスで会場に着いた」
『そうか。いや検問突破の不審車を追跡中と速報出たから。…でも注意な、その車、会場方向へと行ってるみたいだぞ』
 “犯人”がいた!もちろん、別の犯罪である。しかし今の彼女たちには、少しの間だが、注意がそこに向く分好都合。ただ、警察屋さんが大挙してここに来るのは勘弁。
 すなわち、追跡が続く間にここを離れるが吉。
「わかった。ありがとう」
 電話を切る。
 そして乗り場へ向け歩き出そうとする彼女たちを、老年の男性が呼び止める。ボランティアのガイドである。
「会場はそっちじゃないよ」
 行く手を遮る。親切心からであろう。最も、ここまでバスで来てまたバスに乗るのは、確かに不自然。
 と、後方からパトカーのサイレン大合奏。
 その逃走車を追う警察であろう。本当にこちらに来るのか。
 あすかちゃんが前に出た。
「いいんです。間違えて乗ってしまって…判らないからいっぺん会場引き返した方がいいかなって」
 あすかちゃんはそのままバスセンター行きの乗り場を聞いた。
 上手だ。レムリアは安堵と感心。
「そういうことかい。えーっと、じゃぁ案内しよう。こっちだ」
 ガイド氏が歩き出す。乗り場は砂州のごとく細長く円弧を描いており、バスセンター行きはその先端に近いところから出発する。
 パトカー軍団が急速に近づくのを聞き取る。振り向くと、丘陵斜面の広い道を駆け下りて来る幾つもの赤色灯。丘を越えたので、音が直接届くようになったのだ。追われるのは見るからに暴走車。
「新幹線間に合う?」
 あすかちゃんは言った。
 それはガイド氏に聞こえるように、わざとであるとレムリアは気付いた。
 ガイド氏が時計を見、そして。
「…そりゃまずい。急いで!」
 果たしてガイド氏が走り出す。待機するバス群の向こうに、まるで峠越えの山里のように、バスセンター行きのバスを見た時、バスは丁度発車しようとするところ。右方向へウィンカーを出し、排気ガスを噴いて…
 しまった、とレムリアはパトカー群を一瞥して思う。万事休すか。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【32】

 まるで降り積もった新雪に踏み込んだ時のように。
「うわ!」
「あっ」
 私は彼より遥かに軽いと書きました。伸縮自在ですから、人間サイズの時、密度は低いわけです。水に浮かぶ船と同じ。
 だからこの〝大地〟に立っていられた。対し彼は普通の人間。
 彼はとっさに糸玉を掴み、私も腕を伸ばして彼の手首を掴み。
 彼は首までズブズブ潜ってようやく止まりました。
 しかしそこまで。密度の低い私と、密度の低い糸玉で、彼を支えるのが精一杯。
「翅を使う。目を閉じて少しの間息を止めて」
「妖精さんこれ昆虫の死体だ」
「え……」
 言われて、すぐ目の前の〝土〟に焦点をずらします。
 彼は続けて、
「カブトとか、スズムシとか、色はみんな茶色だけど、これ、そうだよ」
 セミの抜け殻を見たことがありますか。あんな感じの、虫の形をした殻。
 セミの抜け殻を手で握るとどうなるでしょう。さっき私の服や髪に付いていたのは、そんな、バラバラになった、虫の外殻。
 この赤茶けた〝大地〟を構成するのは、夥しい数の虫の遺骸。
 虫の遺骸の大地。
「あっ……」
 ザラッと音を立て、ゆたか君の身体が沈み込もうとします。
 驚いている場合じゃない。
「目を閉じて」
「うん」
 背中の翅にモノを言わせます。羽ばたいて彼をここから……。
 しかし。
 私はすぐに自分の失敗に気付かされます。私のしたことは、さながら砂の山で扇風機。
 羽ばたいて虫たちの遺骸がバサーッと舞い上がり掘り返され、
 舞い上がった遺骸は私の翅にぶつかって羽ばたきを妨げ、気流が不十分。
 幾千幾万の遺骸に包まれ、まるで水の中で手足ばたつかせてもがくのと一緒。
 掘り返されていっそう深くなった穴に私たちは落ち込みます。自分の翅で穴を掘って、そこに落ちる。
 手足広げて、翅も〝大地〟に張り付けて、どうにか沈むのが止まりました。
 でも、そこまで。
 それ以上何も出来ない。ペンダントを引き出そうにも、手を動かすことも出来ない。

つづく

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ブリリアント・ハート【32】



 検問は拍子抜けするほどあっさり通過した。調査は運転手にのみなされ、しかも、“女の子を連れた不審者を見なかったか?”と訊かれただけだったからだ。それは東京の言う通り、バスの中など端から疑っていないことを意味する。一般乗用車がトランクの中まで調べられているのとはえらい違いだ。これはもちろん、“誘拐”が前提にあるためであるが、レムリアとしてはそうした乗用車の皆さんに対し少々胸が痛い。原因は自分だからだ。“犯人”なぞ絶対いないにしてもだ。
 通過許可を示す長々としたホイッスル。警察官達も炎天下にご苦労さまである。
「お待たせしました」
 放送があってバスが発車加速する。通過してしまえば、検問が一種のフィルターの役目を果たしているので道はガラガラ、後は早い。観覧車が見えて歓声が上がり、会場内を行き交うロープウェイのゴンドラが姿を見せ、そしてバスは発着場へと到着した。ぐるぐると導入路を走り、ボランティアのガイドが手招きする降車場へ停止する。
『到着です』
 ドアが開いて降車が始まる。発着場は高台の上にあり、マイカー規制でバス輸送が重視された結果、そのスペースはかなり広い。中央に滞留している発車待ちのバスもかなりの台数だ。降りた人々はやや小走りに、そして笑顔で、高台の下へと伸びる長い下りエスカレータへと向かう。入場ゲートはその先に続く半地下構造の広場にある。
 二人は降りると列から離れて立ち止まる。手を伸ばせば触れられるほどすぐ先に、会場の喧噪。そこは半年の間だけパラダイス。
 でも、自分たちの目的は違う。バスセンター行きバス乗り場は…
「ねーちゃん、ありがとな」
 先の男性が通りすがりに言った。
「ホント、どうもありがとうございました」
 これは目の前の席にいたお母さん。手を引かれた男の子が手を振る。
「ばいば~い」
 後ろにいた姉妹。母親が会釈。
 レムリアは手を振って彼らを見送ると、乗り場の案内看板を見つけ、歩き出した。
 電話が呼ぶ。東京から。再度立ち止まって受ける。

つづく

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気付きもしないで【22】

「町田君の悪口だけは言わなかったからね。ショックなんでしょ」
 どこからかそんな声。
「わかったよ」
 オレはまず言った。
 矢部が真っ赤な目でオレを見る。
 とっちめてもいいのだが、それで女の子一人村八分になったとしたら。
 オレの脳裏で雪乃ちゃんの笑顔が曇る。
「矢部一人に責任おっかぶせるのは簡単だけどさ」
 オレはいつの間にか来ていて事態を見ていた、この2クラスの担任も含めて言った。
「言われるままに根も葉もないこと信じて、ウワサにしてたオレら全員にそれなりの責任があんじゃね?」

 月曜日。
 1輛こっきりのディーゼル列車がプラットホームへと入ってくる。
 窓際の彼女は、こちらに目をやり立ち上がろうとし、
 その目が、真ん丸に見開かれるのが、手に取るように見えた。
 列車のドアが開いた。
「いえーい!」
 オレ達は一斉に声を上げて拍手で迎えた。
 驚き見回す彼女。それは作戦が成功したという証明。彼女が見ているのは本校の2クラス全員の姿と、
 飾れるだけ飾った、鉢植えの花。
「あ、あの……」
「待ってたよ」
オレと成瀬は進み出て言った。
「これ……」
「花いっぱいで迎えましょう作戦。改めまして本校へようこそ。これが用意した最後の一鉢」
 オレは言い、後ろ手に持っていた鉢植えを彼女に渡した。
「ランタナ」
 彼女は言い当て、そっと笑った。
 ランタナ。花の姿と付き方はアジサイに似て。ただ咲く花は色とりどり。図鑑によればピンクからオレンジから、一つの茎からいろんな花が出てくる。そのためだろう、和名を〝七変化〟。ちなみに、オレから彼女に手渡したのは、ピンクと、黄色と、オレンジ。
「合意・協力」
 古淵さんは言い。
「確かな計画性」
 成瀬が付け加える。二人が言ったのは、当然、ランタナの花言葉。

次回・最終回

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【31】

 慌てて立ち上がると、霧に巻かれたように真っ白で、方角も判りません。
「ゆたかくーん!」
 私は幾度か、いろんな向きに叫びました。
 歩きにくい〝地面〟です。書いた通りのフワフワ。色合いは鉄さびを思わせる赤茶色。服や髪に幾らか付いていて、指でつまむと、しっとりしていてパサパサ崩れます。
 伸びる細い糸の先から反応有り。
「妖精さん」
 小さな声。
「ゆたか君!」
 私はあらん限りの声で言いながら、糸を引きます。糸は水平に伸びていて……ああ、霧のような物が晴れてきました。
「妖精さん、大丈夫か!」
 細い糸の向こうに見えたのは、元いた向こう側の崖と、そこに落ちた糸玉。
 彼はその糸玉の中から這い出して来ました。
 糸玉クッション。
「ケガはない?」
「オレは平気。糸玉の中に潜ったから。あんたは?」
「大丈夫。私は反対側に降りた」
 いい知恵だ。私が思ったら、服の中もクモ達も同意。
〈彼はクモの生態をよく知ってるようだ。我々は卵のうを糸でくるむからね。伝えて下さい。私たちがその糸を頼りに行き来して網を張る。そのまま動くなと〉
「判った」
 崖のあっちとこっち。
 小さなクモ達の地道な作業が始まります。糸を引いて彼の元へ渡り、糸を引きつつ、糸玉の糸を引き出しつつ、私の元へ戻ります。
 繰り返し、繰り返し。
 途中また風が吹きましたが、クモの糸は丈夫です。
 細い糸はロープとなり、やがて糸の橋になりました。
「そっちに行くよ」
 彼は言い、糸の橋に足を載せますが。
 やはり人間の子どもは苦しいようです。足がズボッと突き抜けてしまいました。
 すると。
 彼は再び糸玉に潜り込み、〝大玉転がし〟の要領で橋の上をゴロゴロ。
 こちら側へ渡ることに成功します。
「クモの卵を思い出してさ、オオヒメグモとかナガコガネとか、糸で刳るんで吊るじゃん……」
 ゆたか君は言いながら、糸玉から再び出てきて、赤茶けたフワフワに足を下ろし。
 しかし。
 そのまま落とし穴のように、フワフワにズボッと潜り込んでしまいます。

つづく

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ブリリアント・ハート【31】

「いいええ」
 レムリアは会釈した。
「おもしれーな、ねーちゃん」
 頭髪に白いものが混じる、小柄で色黒の男性が言った。
「ありがとうございます」
 この手のマジック…言うまでもなく“特殊能力”のなせる技である。すなわちタネなしの本物のmagic…
 文字通り“魔法”である。あすかちゃんが唖然となるのもある意味当然。
 衆目を感じる。期せずしてマジックショーになったと感じる。
 両手を祈るように組み合わせる。一旦離し、左手だけ握ると、各指と指の間に細長いスナック菓子“プレッツェル”がニュッと顔を出す。
 プチ喝采。周囲が何事かと覗き込んだので、もう一度。
 成功し、どよもす。
「はいどうぞ」
 あすかちゃんはじめ、近隣に配る。
「あなた何者?」
 プレッツェルをかじって問うあすかちゃんに微笑み返し。
「よろしかったら」
 その男性にも差し出す。
「ああ、ありがとうよ。そうか、ねーちゃんニュースの姫様に似てんだ」
「は…」
 男性はあっさりいい、プレッツェルをかじった。
 レムリアは一瞬返す言葉がない。周囲の人々もそのニュースは知っているようで、自分の顔に視線が集まる。
 これはまずい。
 一計。
「そうなんですワ、あの子がテレビに出るたび、似てる似てるあちこちでいわれるデ、かなわんのですワ~」
 この地の方言。
 なんか、おばさん臭い響き。
 衆目が黙ってしまう。接尾語、イントネーション、付け焼き刃だから間違えた?どこか変だった?
 一瞬の後、男性はガハハと笑った。沈黙は“王女某”のイメージで自分を捉えたため、方言とのギャップにリアクションできなかっただけ。
「そうかそうか、そりゃ間違うワ。でもそうするとあれだな。その検問か?ねーちゃん見つかると面倒だワナ」
「あ、それいかんワ。そっくりダデ降ろされるかも」
「それいかんいかん」
「隠せ隠せ」
「こっちおいで」
 周囲の大人達が勝手に動く。かくてレムリアは文字通りSPに保護される王女の如く、人垣に埋め立てられた。
『検問です。少々お待ち下さい』
 運転手が放送した。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【30】

 次の変化に私は気付く。
「みんな、私の服の中へ」
〈はい〉
 クモ達がトガの中に潜り込んで程なく、風がピタリと収まりました。
 体が風の力を失い落ちて行きます。私は身体に絡んだ糸の隙間から翅を差し伸ばし、
 滑空して、
 私の身体から長く伸びる、幾重もの糸の束を、力一杯引きます。
 子どもさんを、人間の子どもさんを、私自身の翅の力で抱え飛んだことが過去に一度だけある。
「ゆたか君!」
 私は叫びました。言伝のみ?そんなこと気にしている事態じゃない。
 私の声は谺を伴い谷間に広がって行きます。
 しかし返事がない。
 ゆたか君からの返事はない。
 天国の誰すらも知らぬ谷底へ……
 いいえ。ただ、遠いだけ。
 私は信じて糸を引きました。
 そう。勇気ある者の勇気が報われない世界ではない。
 天国であるが故に。
 私は祈って糸をたぐりました。たぐりよせ、ゆるんだ分を口にくわえ、再びたぐり、口にくわえ。
 それは糸の長さを調整するそれこそクモの流儀。私は何もかも忘れ、ただ糸の伸びる先一点を見つめて。
〈妖精さん〉
 クモの子から声があり、私は作業を中断します。
 ふと見ると地面。
「あっ!」
 私は思わず声を出しましたが、土の上に叩き付けられ、という感じではありません。
 豪雨の後の腐葉土……それとも濡れたスポンジの中に、ドサッと落ちた。そんな感じでしょうか。
 どちらにせよ言えること。元の地面じゃない。
 対岸。

つづく

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気づきもしないで【21】

「そうだよ。まず役に立ちたいってね。で、オレが彼女に言って聞かせたことは間違ってるかい?」
 オレは一同に尋ね。矢部の前に顔を突き出した。
「勝手に盗み聞きして勝手に決めつけてそればらまいて。お喋り詮索ウワサ好きってのは元々好きじゃなかったけどな。こうなると大っ嫌いだぜ。お前と、お前のばーちゃん。ぶん殴っていいか?」
 矢部は泣き出した。ちなみに、盗み聞きばーちゃんは、若林のおじさんの言った、ヨメさんがお喋りのウワサ好き、当人であると考えて間違いないらしい。
「だって……」
 矢部は何か言いたげのようだが堰切る涙が邪魔をする。
 廊下の方が騒がしい。
 覗いているのはオレのクラスの輩ども。
「おーい、タイキが矢部を泣かせてるぞ!」
 人聞きの悪い。
「タイキ」
 真面目な顔で俺を呼ぶ成瀬。
 その背後に女子3人いてオイデオイデ。
 矢部の傍らに向かう成瀬と入れ違いに、彼女らの方へ行ったら。
「庇わなくていいからね」
 クールに一言。……泣かせておけってことだろうか。
「は?」
「悪口ばかり言うから。彼女。いいきみだよ」
「いっつもこっちのクラスにいるでしょ?そっちで嫌われてるから」
 その言い様は悪し様。恐らく本人にも聞こえているだろう。
 だが、廊下からも、オレのクラスの方からも、矢部を庇う反応はない。
 ……ザマミロの意か。
「それって公然の話?」
「案外みんな言ってるよ?知らなかった?」
「気付かなかった」
 オレはため息付いて矢部を見た。
 成瀬は見守るだけで慰めるとか手を出したりしない。
 女同士のドロドロが結構根深いとか聞いたことはある。しかし正直な話オンナ同士の関係に思いをいたし気を揉む男っていないわけで。
「ごめんなさい……ごめんなさい……私……私……」
 しゃくり上げて声にならない。
 孤立無援で泣きじゃくる女の子。
 ぶすっ子じゃないんだが。イヤむしろウチのクラスでコイツと一番喋っていたのオレと違うか?
 そんな状況、気付かなかったから。

つづく

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ブリリアント・ハート【30】

 渋滞は続いている。車内の暑さも相当なもので、お喋りも引っ込んだ。祭りへ向かう楽しさが苛立ちへと変わりつつあるのが如実に判る。ああ皆さんごめんなさい。
 後方で幼子が泣き出した。
 不思議なもので、この手のぐずりは伝染する。
 果たしてもう二人泣きだし、レムリア達の前に座る、4歳くらいだろうか、男の子も泣き出した。
「ママ~」
 子どもの泣き声。
 それは、進化の過程で、最も大人の関心を引き、自分を放っておけなくさせる音量と周波数分布に落ち着いた、と考えられる。
 すなわち、どうにかして泣き止ませたい、と思いたくなるようなパターンであり、要するに苛立ちを加速させる。
 車内の雰囲気が悪くなる。
 男の子のお母さんも困った様子。オモチャかお菓子くらい持っていないのかと思うが。
 ないなら自分が出すだけの話。
 レムリアはウェストバッグをごそごそした。ちなみに、参加している慈善団体で子どもを相手にすることが多く、いつもなにがしかのお菓子は所持している。ウェットティッシュで手を拭いて…
「ぼく、見ててごらん」
 男の子の顔の前に手のひらを出す。
 握って、開くと、市販のビスケット1枚。
 男の子が泣き止んだ。
 鼻をぐずぐずさせながら手のひらのビスケットを見つめ、手を出そうとする。
「ちょっと待って」
 レムリアは再び手を握る。
 開くとビスケットは2枚。
「あら」
 男の子が喜んでキャッキャと声を出し、母親がレムリアに微笑みを向ける。
 ちなみに…これがまた不思議なのだが、子どもは他の子どもが笑っていると、強い関心を見せ、自分が泣いていることを忘れる。
 後方から何事かと顔を出す姉妹あり。
 手の届く距離である。レムリアはビスケットを1枚見せ、
「ワン、ツー、スリー」
 指を鳴らすとその場で2枚。
 姉妹は大喜び。
 あすかちゃん、唖然。
 周囲の視線を感じながら、レムリアはビスケットをそれぞれ子ども達に渡した。
「すいませんありがとうございます」
 男の子の母親がぺこり。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【29】

 糸玉が風をはらみ、落ちてくる雨の滴のように扁平になり、ゆたか君の身体を上方へ持ち上げます。
 言わば凧。
「妖精のお姉ちゃん!」
 こちらを見て叫びます。私に追いつこうというのでしょうか。
「今行くから!」
 落下する危険を顧みず、何という勇気でしょうか。
 でも、私の方が遥かに身体が軽い。
 距離は逆に開きます。
 すると。
 彼は再度背後に手を回し、糸玉に突っ込みました。
 無造作という感じで糸を塊ひとつかみ。
 彼の意図を私は悟りました。その糸の塊には子グモ達。
 私よりも軽いもの。その糸と子グモ達。
「先行け!」
 子グモ達はお尻から糸を放ちました。
 私の顔に糸が触れる。
 私は掴みました。しかし、ゆたか君の身体はどんどん視界の向こうに小さくなって行きます。
 細い細い糸を伝って、子グモ達が登ってくる。
 飛ばされながら、浮きながら登ってくる。
〈妖精さん。今……〉
 小さな囁き。
 クモ達は、私に、追いつきました。
 凄い勢いで糸出して私の身体をぐるぐる回ります。風を孕みはためくトガを身体に巻き付けてくれているのです。

つづく

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ブリリアント・ハート【29】

 彼女たちを含め5名ほどが乗り込む。そもそも定員乗車の観光バスに、立ち客が掴まれる手すりの類は少ないが、彼女達は母子連れの座る座席の手すりにどうにか掴まった。それでもまだ積み残しが出たが、彼らは混んだバスへの乗車を拒否した。
『出発します。揺れますのでご注意下さい』
 運転手は言うと、ドアを閉め、バスを出した。この種のバス特有のふわふわとした乗り心地であり、揺れながら駅前広場のロータリーを回り、博覧会対応で整備された広い道へと出る。
 バスが加速する。エンジン音に加えお喋りで中は喧噪。会場へ向かう興奮も手伝っているであろう、乗客達は饒舌だ。加えて観光バスには想定外の超満員であるせいか、エアコンの利きが甘く、車内は暑い。
 立っている側にはしんどい状況。乗車15分と言われたが、その辺が限界であろう。しかし、5分ほどは好調に走ったものの、そこで突如ペースが落ちた。頭と頭の隙間から前方を見やると、渋滞している。
『お知らせします。検問のため渋滞しています。混雑しておりますところ申し訳ありませんが、ご辛抱願います』
 車内に満ちる諦念のため息。ちなみに博覧会会場は高速道路と直結しており、インターチェンジへのアプローチも兼ねるこの道に検問設置は当然。
「大丈夫なの?」
 あすかちゃんが小声で言った。検問の内容は王女某なのでしょう?というわけだ。
「大丈夫でしょう」
 レムリアは答える。どう見ても見学客だけのこのバスを探すとは思えない。そういう予感もしない。
「一応、念のため」
 あすかちゃんは自らのメガネを取ってレムリアに渡そうとした。
「あ、大丈夫。ていうか逆にそっちの方が知られてるから」
 レムリアはウェストバッグのダテ眼鏡を見せた。
「もはやどっちでも一緒」
 苦笑する。レムリアにはそれよりも時間の方が気に掛かる。5時までにホテルに戻れるか?ジェームズ=レムリア=ボンド!
 しかしそのまま5分。更に5分。

つづく

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気付きもしないで【20】

「私は……矢部さんから」
 女子のひとりが〝一点〟の名を口にした。
 お喋り女矢部。
 でもオレはトサカに来るより疑問の方が先に立った。オレにせよ、成瀬にせよ、このオンナには一言もナニも言ってない。
 果たして当人。
「わ、私は……」
「彼女、その地区におばあちゃんがいるって言うからてっきり」
 教室中がざわつき始める。オレをぶら下げているやんちゃ大男も、オレをぶら下げたまま事態の推移を見ている。
「下ろせよ。根も葉もない話に踊らされてんじゃねーよ」
 オレはドサッと落とされた。
「矢部さん」
 成瀬が怖い。でも、矢部はオレのクラスの女。
 オレは成瀬を制して。
「おばあちゃんか誰だか知らないが、聞いたこと洗いざらい話してもらおうか。確かにオレ達古淵さんトコ行ってるよ。打ち解けてくれて、来週から通いたいって言ってるよ。なのにそれをぶち壊したい理由は何だ?」
「だって……」
 矢部は目を真っ赤にして小さく一言。そして鼻をすすって続けて。
「だって……あの子が……本校を怖がってるって……おばあちゃんから」
「いきなり見知らぬ所放り込まれるのは抵抗があるって言った。確かにね。でもそれは誰にでも多かれ少なかれ有ること。違うか。で?他におばあちゃんソースは何と?」
「声が聞こえて……町田君達の……『町田君達と喋るなら楽しい』って」
「彼女はオレ達の漫才面白がってただけだが。初対面に笑いでツカミ取っちゃいけないか?」
「本校の子は誰も手を出さないって……」
「駅の花に誰もイタズラしようとしないって話だな。彼女は彼女に関わるウワサを知っていた。だからオレ達は、それは誰かのゲスの勘ぐりで、本当はそんなこと思ってる奴は一人もいないと教えた。その証拠に彼女が交換している花を誰も触ろうとしないだろって聞かせた。それで彼女は本校の連中に対して安心したと言ってくれたわけだが」
「え?あの花って分校のその子が……」
 聞いてた女子の誰かが言った。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【28】

 私は言いました。要するに生き物がいつ死ぬかなんて判らない。
 ただ、正確なことを言うとこのセリフには嘘があります。交尾した後メスに食べられるオスはいますし、アリのオスは女王と結婚飛行に臨んだ後、数時間以内に死を迎えます。
 すると。
「糸だけみんな出しておいてくれよ」
 ゆたか君は言いました。
〈フワフワするだけなんだけど〉
「判ってる。ちゃんと飛び出さないようにこうしておくよ」
 糸がキラキラ光りながら流れ出し、ゆたか君は手のひらを包むように閉じます。
 大事なものをそっと手で包むように。
〈暗いぞ〉
〈でも、あたたかいね〉
 繰り出された糸が伸びて行きます。
 まるで綿毛が伸びて行くかのようです。
 その時。
 風が吹きます。
 超感覚が多くの悲しみの訪れを告げます。
 つまり。
 言伝だけは許される。
「危ない!」
 私は叫びました。
 ただ、その危機の正体は、彼でも、クモ達でもなく。
 私自身。
 寄って立つこの大地の底が抜けます。Vの字の崖になっていると書きました。それは裂けて落ちる可能性が常にあるということ。
 足の下の土が消え、出来た空間からドッと風が吹き上げてきます。私の身体は投げ出され、その気流に乗り、持ち上げられます。
 背中の翅で飛べるということ。それだけ身体が軽いということ。
 飛ばされる……逃げる……どうやって。
 翅……広げれば余計に風を受けるだけ……テレポーテーション……自分だけ?
 私は次第に持ち上げられて行きます。先ほど谷底を気にしましたが。
 上は上で、どこへ?
 すると。
〈人間!妖精さんを助けるんだ!〉
 それはカミラがゆたか君の手の中から発した〝命令〟。
「おう!」
 ゆたか君は応じ、下ろしていた糸玉を背負い、何ら躊躇無く、風の中に身を投げました。
〈クモになれ!少年!〉
 ゆたか君は背中の糸玉に手を突っ込みました。
 次いで引き抜くと、滑空するクモのように、両の手足を広げました。

つづく

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ブリリアント・ハート【28】

 高架ホームから階段を下りて改札へ。パトカーがおり、警官が台の上に立っているが、行列に対する警備であって、王女某捜索とは無関係。
 人波に乗って駅前広場へ。
 真新しいアスファルトでそれと判る、急ごしらえのバスターミナルが出来ており、バスは1台。有料バスであるのでコインを用意する。ぞろぞろと乗り込んでいるが全員乗れるか?
 立つのは構わないが、乗れないのは少々困る。
 停留所の屋根からぶら下がる、電光掲示の発車案内をチラと見る。乗り過ごすと次は30分後。その下に電光ニュースが流れ、王女某の情報を表示。隣の市で目撃情報が複数あり、王女某誘拐容疑でタクシーを追跡したが、車は運転手ひとりのみ…。取り調べると共に、引き続き周辺を捜索中…。
「ああごめんなさい」
「え?」
 レムリアの言葉に、あすかちゃんが目を向けた。
「いや、ううん、ニュース見ただけ。大丈夫だってこと」
「…自転車で正解だったわけだね」
 あすかちゃんも同じニュースを見て言った。
 行列が動いたのでそれ以上は判らない。最も、新たな動きがあれば東京から電話が来よう。
 バスは順次客を飲み込んで行く。観光バスタイプであり、ドアは運転席横の1カ所のみ。座席は多いが、立つには狭い。
 席が埋まる。立ち客が後方に順次動いて行く。
 二人の前で、ドアの一杯いっぱいまで立ち客で埋まった。
 後方には自分たち含めまだ列が続いている。
 乗れないのか。
 運転手…若い男性に目で頼む(!)。すると運転手はミラーで、次いで立ち上がって身体をねじり、車内を見た。
『恐れ入ります。もう少々お詰め願えますでしょうか。また、本日は混雑しておりますので、補助席のご利用はご遠慮下さい。一人でも多くのお客様がご乗車頂けるよう、ご協力をお願いします。乗車時間は15分ほどです』
 マイクで車内放送すると、乗客がごそっと動き、ドア前に空間が出来た。

つづく

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気付きもしないで【19】

 まぁ、この事態の背景が何かは、想像がつく。
 遠巻きの目線。避けるというか、攻撃的というか。
 ウワサであり、ウワサに基づく誤解であり。
 ちょっと待て。
 気がつく。オレがこうなら成瀬は。
「え?何であたしが?」
 壁の向こうから聞こえてくる、彼女の怒鳴る声と、
 早口で、責めるような、トゲのある女子達の声。
 危険を察知してオレは教室を飛び出す。
「あっ!町田!逃げんのか!」
「待てテメー」
 待つ気があるなら動かねーよ。
 廊下を走り、成瀬の教室。
「大丈夫か!」
 飛び込むと、成瀬と向かい合い、厳しい顔つきの女子が何名か。
 一斉にオレを見る男子の顔女子の顔。
 冷たいことは自分のクラスと同じ。
 その自分のクラスから追いかけてきた足音が背後で止まる。
「あ、タイキ」
 振り返った成瀬の顔は、幼い頃一度だけ見たことがあった。
 公園に野犬が入ってきた時、オレを振り向いた顔だ。
「あんた成瀬の向かいの」
 言ったのはお喋り女の矢部。
 待て何だその言い方。わざわざ改めて口に出さなくても知ってるクセに。
 アニメの説明キャラじゃあるまいし。何かの当てつけか?
「だから何だよ……こいつ何かしたのか?」
 オレが訊くと答えは別の方向の男から。
「オメエラ分校の奴に無視すりゃいいとか言ってんじゃねぇぞ!」
「はぁ?」
 どこからそんな話が。
「とぼけんじゃねぇよ」
 とぼけるもナニも、ナニもしてないから言い返すネタがないだけ。
「悪い。マジで全っ然わっかんねんだけど。成瀬とオレってナニしたことになってんの?」
「ざけてんのか?」
 オレはそのクラスで一番やんちゃな大男に襟首掴まれ吊り上げられた。
「表へ出る話だったら成瀬は抜きで頼むぜ」
「待って」
 救いの女神は成瀬。
「待って。カッコ付けるような事じゃない。確かに私たち、先生に頼まれて古淵さんの所に行ってる。でも、そこでどんな話をしてるか、誰にも話していないし、私たちに尋ねてきた人も誰もいない。教えて。みんなは誰から何を聞いたの?」
 成瀬の声は教室に響き、張り詰めた雰囲気を変え、生徒達は皆互いの顔を見合わせ。
 その作業の後、みんなの目線は、教室の一点に収斂した。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【27】

〈私らの糸を流すだけでいい?向こうに渡る?〉
「いや、飛んで戻れなくなったら大変だから。流すだけで」
 すると、小さなオオジョロウグモはちょっと驚いたような。
 しかしすぐにツンツンした態度に戻って。
〈お優しいことで。でもね、私ら小さいから何かあったら身体ごと持って行かれるの必定なわけで〉
「オレの手から糸だけ出せばいいさ」
〈そういうこと……〉
 子グモ達は一斉に私の手からゆたか君の手のひらへ移動。
 めいめい驚きの意志を示します。
〈ひっひっひ、カミラが仕切りだよ〉
 異口同音にそんな感じ。私はオオジョロウグモの子が〝カミラ〟という名前らしいとゆたか君に教えます。
「カミラ……」
 すると。
〈気安く呼ばないでもらえる?〉
 それは言葉の平手打ち。
〈人間でここにいるってことは、嫌われ者の弱虫って事じゃない。失礼だよ。で?はいみんな揃ったけど?糸出していいの?〉
「嫌われ者……」
 ゆたか君、呆然
 正直、それはカミラには言って欲しくなかった。
〈いちいちウジウジするんじゃないよ。私ら率いて糸を運ぶんでしょうが。忘れてもらっちゃ困るよ〉
 その両極端。その強さ。むちゃくちゃな叱咤激励。
 何だか張り詰めた姉のようです。
 しかし、ゆたか君は傷付いただけのよう。
 見かねてか、ムカデが近づいて来、……その毒のある尾でゆたか君の肩を軽く叩きました。
「え?」
〈これでこうされても怖がる気配が微塵もない。弱虫と私は思わない。さ、私は去っても良いか〉
 ゆたか君は、肩の上にある巨大な毒の尾を見上げます。
 更に触ろうとしたところで、ムカデの方が尾を引っ込めました。
〈君は私を信じた。私も君を信じているよ〉
 ムカデは言い残し、機械のように音を立てて歩き出しました。
 ゆたか君は手のひらの子グモ達を見つめます。
 何か考えているようです。
 そして。
「妖精さん」
「はい」
「風は、風はいつ来るか判るかい?」
「死とその悲しみの故により、その時にならないと判らない。死は予定されて訪れるものではないから」

つづく

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ブリリアント・ハート【27】

 電車が走る間に、レムリアはルート選択の主旨を説明した。
 あすかちゃんが納得する。
「そういうことか…」
「そういうこと。私もさ、一瞬アホかと思ったけど、確かに言われてみれば裏をかくルートかなぁと。持つべきはオタクの知り合い!?」
「あはは。でもすごいね。何かサスペンスドラマのアリバイトリックみたい。…でも日記に書いたらダメ、なんだよね」
「いいよ」
 レムリアは言った。
 あすかちゃんは拍子抜け。
「えっ?」
「構わないよ。だってどうせ誰も信じないし。っていうか、信じられないようにしようとしているわけで。そうなると、真面目に書くと逆にあなたが変に思われるかも」
「…あ、そうか、そうだよね。残念。私だけの秘密か」
 あすかちゃんはしかし、小さく笑った。
 その笑みは明らかに彼女が、事態を“楽しんでいる”ことを表す。
 レムリアは安堵の気持ちと共に、自分の頬が緩むのを感じた。うつむきがちで弱気な女の子はどこへやら。あすかちゃん、あなた、輝いてる。ブリリアントに光ってる。
 そんな自分に気付いてる?
「ふふ」
 あすかちゃんが笑う。くすぐったそうなその笑みは、何かいいことでも思いついたか、そんな風。
 二人して心理的に小休止の状態になる。その間に電車は時刻通りに進行。隣駅に着き、出発し、直線の高架線路を駆け、最高速度まで加速し、用水の調整池をコンクリート橋で渡り、減速してプラットホームへ。
 放送が流れ、会場シャトルバス乗り継ぎ駅である旨伝えられる。一見してそれと判る家族連れや、連れだってのお出かけ組が席を立つ。
 電車が止まってドアが開く。
「シャトルバスご利用の方は改札を出て右側へお越し下さ~い!」
 ホーム上では係員が拡声器で案内しており、降車客達がその案内に従ってぞろぞろ歩く。
 二人も流れに混じる。流れの中の人々はガイドブックを見たり、仲間同士のお喋りに興じており、誘拐王女某なんぞ端から頭になく、バレる心配はまずない。

つづく

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気付きもしないで【18】

「大樹君は義理なの?」
 一瞬ドキッ……と書きたいがリアル義理じゃないのでそんなことはない。ってか、義理の方を忘れてた。
「義理はこれ。数学のプリント預かって来たの忘れてた」
 それは一学期のおさらいテストみたいなヤツで、先生にパソから出してもらった。
 取り出して見せたら。
「ゲッ」
 両手を挙げて眉根を潜める有様は、まるで時代劇のお姫様が唐突にスイーツ言い出したような唐突ぶり(なんだこの二重表現)。
 オレは当然驚いた、が、同時に嬉しくも思った。そういうおどけた身振りは〝素のまま〟じゃないと出てこないからだ。
 安心してくれている。オレはそう思い、フッと笑って、
「そんなキャラ?」
「うん」
「なんかスズランとか月見草みたいなイメージがあったから……」
「お上手。名前のせいでしょ。花で言えば……どれっていうとスミレかな。パンッて弾けるけど貧血で真っ青になって倒れたり……」
 彼女はどうも他人をノセるのが上手なようだ。オレはこのようなペースで彼女にそれこそ月見草が花咲く頃までお喋りに巻き込まれ。
 プリントをすっかり忘れた。
 そのかわり、『来週から本校に通いたい』という彼女の言葉をもらってきた。
 そして翌日。
 登校時間を使って成瀬と情報交換。キャラ弾けて喋り倒したと言ったら、羨ましいと返ってきた。
「でもそれ、タイキのこと『よそ行き顔』で見てないって事だよね。彼女、心開いてくれたわけだ」
「ああ、まぁな」
 オレはこの時成瀬の顔をこれっぱかしも見なかったと思う。
 頭の中は彼女のことばかり。その笑顔、その声、その仕草。
 夢中になったのだ。
 だから。
「おまえらおはよー」
 成瀬と別れ、妙にハイテンションで自分の教室に入り、自分の席にカバンをぶら下げて、教科書を机に押し込み、ひょっと顔を見上げるまで、クラス中の特殊な目線に気付かなかった。
 右を見る。目を逸らす。
 左を見る。目を逸らす。
 みんな黙り込み、オレの周囲だけ空気が冷たい。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【26】

 ジョロウグモの巣で、大きなクモの周囲に小さなクモが何匹かいて、という光景を目にされた方は多いと思います。この小さいのがオスです。メスの食べ残しを頂戴しながら虎視眈々とメスとの逢瀬を狙います。……そしてクモには良くありますが、往々にしてメスに食べられます。
「クモはクモ……」
 ゆたか君は言い返そうとしたようですが、その表情が曇りました。
 よぎるフラッシュバック。
 ピアノ教室で女の子を突き飛ばそうとした記憶。
〈で、どうすりゃいいんだい英雄君〉
 オオジョロウグモの子はゆたか君の心理に気付かないかのように問いかけました。
〈呼び出して何も言わずダンマリはあんまりじゃないかい?まぁこの妖精さんからあらかた聞いたけどさ〉
「ようせい……」
 ゆたか君は今さらのように目を円くして私を見ました。
 この天国にいてゴマカシ否定でもないでしょう。
「です」
 背中の翅を広げてみせます。
「ああ、だからあんた背中に翅が……」
〈〝あんた〟は失礼じゃない?人間!〉
「うるせぇチビ」
〈チビにチビといわれても全然。踏みつぶせるようなのにトサカに来てどうすんのさ〉
 私は苦笑しました。どうにもこの爪に乗るような女の子の方が何枚も上手のようです。
 しかし、ゆたか君は更に言い返そうとはしません。
「妖精ってさ」
 瞳が揺らいで見えたのは気のせいでしょうか。私を見て何か訊きたげ。
「はい?」
「虫の味方。だよな。化身って言うか」
「そうだよ」
「虫を殺すヤツに仕返しをする……」
「私は君に何もしないよ。君を守って欲しいという声によって」
 私は先回りして言いました。彼は山ほど身に覚えがある。
 ゆたか君は私をまっすぐ見ました。
「それってさっき言ったオレのクモ達の……」
〈あんたに所有された仲間は可哀想だね〉
 ゆたか君の声を遮って小さなオオジョロウグモが言いました。
「お前つくづく嫌なヤツだな」
〈クモだからね。キライで結構、好かれて迷惑。それより用事早くしてくれない?〉
「ああ……」

つづく

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ブリリアント・ハート【26】

 東京。
「はい」
『何かあったか?無罪放免されたぞ』
「タクシーの運転手さんが犯人役を買って出てくれて警察を引きつけて。…今、用事自体は終わって、友達と駅まで着いたところ。これから帰る」
『あーそれだめ』
 東京は即座に言った。
「なんで?」
『誘拐が起こった時、警察が何を防ごうとするかって高飛びだ。高速道路と空港と新幹線は重点警備対象。君のホテルはどこにある?都心部へ向かう電車に乗るなんざもってのほか。その友達を犯人にしたい?』
「じゃぁどうすれば…ごめん、私のわがままなのに。でも…」
 ここまで来たならば、是が非でもジェームズ=ボンドとなって、誰も責任を問われない結末としたい。根拠もないし漠然としているが、きちんと戻りさえすればどうにかなるという楽観論が意識にある。少なくとも初期状態、すなわち、何もなかったのと同じ状態に戻りさえすれば、とりあえずシラを切り通せる立場にはなれる。そうなれば、多分、多分であるが、何とかなる。
 無論、独力で完遂出来れば何も問題はない。しかし現実には組織力と情報網を持つ必死な公営(?)団体が相手だ。そんな状況下でも唯一、わがまま言って迷惑掛けても良い(!)と思うのは東京だけ。
 と、東京は、とんでもないことを言った。
『裏をかく。二つ隣の駅から、博覧会会場行きのシャトルバスが出ている。それに乗って』
「は?」
 行きたいのは都心部ターミナルである。まるで逆に行ってどうしろと。
 思いながら耳を傾けると、東京は、会場に着いたら別のバスに乗り継げと言った。ターミナル駅のバスセンターへ向かう、やはりシャトルバスがあるというのだ。ちなみに、そのバスセンターは、レムリアの宿泊するステーションホテルの裏である。
 唖然、呆然、驚嘆。
「そんなこと良く考えつくね」
『ヲタクですから。それに、会場に行くバス、会場から来るバスには見学客しか乗っていない…。普通、そう考えるし気を回さないだろう。仮に、そこまで気にして警備の網を掛けたら大混乱だしね。そこを突く。さぁ行け。立ち止まるな。確かバスは30分間隔だ。一人で行けるかい?』
「それなら友達に訊きながら…あすかちゃん、二つ隣からシャトルバスに乗りたい」
 レムリアは主旨だけ伝えた。
「会場?いい…けど…?」
 意図を判じかねている様子。
「見学じゃないんだ。説明は後で。あ、これ持ってるよ」
 レムリアは件のカードを見せた。
「あ…うん、じゃぁとりあえずこっちへ」
 あすかちゃんが走り出す。
「ありがとう」
 レムリアは電話に向かって言い、彼女を追った。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【25】

 そして糸の細さは身体相応。仔グモの糸は見えるか見えないかの細さ。でも地べたが見えないほどに集まって、その数で糸を出されれば話は別。私の足下はあっという間に糸で真っ白。
 ……ゆたか君の目したところが理解できます。同じように数にモノを言わせて橋を架けよう。
 少し遅れてギガノトアラクネが到着しました。
 事情を説明し、許可を求めます。
〈行ってみたい子!〉
 呼びかけに今度はそれこそクモの子を散らす、そのもの。あれほどいた子グモは怖い怖いと逃げてしまい、残ったのは十匹ほど。
 クモは本質的に臆病な生き物です。クモが巣にいる時、わずかな振動にはエサかと飛んできますが、振動がある程度の大きさを越えると逆に逃げ出してしまいます。黄色いシマシマのナガコガネグモは巣を揺らして威嚇しますが、更に飛びかかってくるような事はありません。威嚇が無効と判れば、巣から糸引いてぶら下がり、草の裏などに隠れます。
 だから、残った十匹は余程好奇心旺盛か、勇気があるのか。
 ところが。
〈おや、一番臆病な子がいるよ〉
 十匹いますが、その子だけ少し離れて脚先が微妙に震えて。
〈やめとけ〉
〈怖いぞ。死ぬかも知れないんだぞ〉
 意地悪そうに他の子が言いますが。
〈人間に出来てクモに出来ないなんてくやしいじゃんか〉
 見上げた?心構え。
〈妖精さん。この子も連れて行ってもらえるかい?〉
 ギガノトアラクネの問いかけに私は当然OK。
「沢山味方に付いてくれてゆたか君喜ぶよ」
 両の手のひらに充分収まる十人力。
 風圧で飛ばされないよう、私は子ども達をしっかり包んで山の上へ戻ります。
 おもねりの揉み手のように、両の手を合わせた姿にゆたか君が笑顔。
「何人?」
 彼はそういう訊き方をしました。
「十人」
 当然こう答えて、そうっと、手のひらを開きます。
「大きな味方だぜ」
 ゆたか君は苦笑混じりに言いました。
〈人間のクセに生意気だぜ〉
 言い返したのは弱虫君。お椀型にした私の手のひらを動き、親指の先っぽへ。
「オマエ種類は?」
 ゆたか君は弱虫君の顔先に小指を出して訊きました。
〈Nephila maculata(ねふぃーりあ・まくらーた)〉
「オオジョロウグモか。へへ、信じられないな、そんなちっこいのが手のひらくらいになるなんて」
〈オレもオマエみたい人間がこんな所にいるなんてウソみたいだぜ〉
「お前オスか?」
〈メスだよ。オスなんかメスの巣にぶら下がっているだけじゃんか〉

つづく

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気付きもしないで【17】

 出任せとかではなく、素直に同意の表明。
「え?」
「誰も知らないし、自分を知る人もいない。ただでさえ、知らない世界に飛び込むのは勇気が要ることだからね。男が一人で花屋に入るみたいにね。しかもオレは自分でそう決めたのにそうだった。雪乃ちゃんの場合、自分で選んだんじゃなくて仕向けられたんだ。もっと勇気が要るし、怖いと感じて当然だと思う」
 廊下にお茶を持ったお母さん。
「周りに同年代の子がいないでしょ」
 出されたお抹茶。
「それにホラ、世間様ではネットいじめとか……そこへご存じのウワサが」
「ああ、聞きました。少なくともオレや成瀬はアホかオマエラ状態です。ただ、触れて回るとかえってムキになって火消しと思われて……だから、学校ではまだ蔓延してます。すいません」
「あら」
「そんな」
 母娘から同時に声。
「お気遣い嬉しいです。ありがとうございます」
「いえそんな……自分こそ友達らしいコトしてあげられなくて」
 オレはギョッとする羽目になった。
 雪乃ちゃんの目に輝くもの。
 えーこういう場合何言えばいいんだ?
 ……成瀬がこーなるのは大抵、ケンカしてオレが手を上げた時で、20分ほどするとオレがオカンにひっぱたかれて目が輝く羽目になって。
「小さい頃が嘘みたい」
 雪乃ちゃんは言った。
「男の子は……違うのかなぁ。『お友達になって』『うんいいよ』とかさ。すごく簡単なことだったのに。こんなに苦労かけて」
 その言葉に、オレはある可能性の存在に思い至った。
「先生にそう言われた?」
 自分で仲良くなれ。そりゃ、受け入れてもらう努力ってのも必要なのかも知れないが。
「見知らぬところに放り込まれて仲良くしなさい。その、『お友達になってね』ってうんいいよって返ってくるのは小学校低学年まででしょ。オレらは大丈夫かなぁってまず心配になる。親やセンセにはひとくくりに〝コドモ〟なのかも知れないけどさ。同じコドモでもつぶらな瞳とニキビでブツブツはチト違うって。多分、成瀬もその辺判ってて、オレ引っ張り込んだんだと思うし」
 成瀬は義理で雪乃ちゃんに会いに来たわけではない。一応フォロー。

つづく

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ブリリアント・ハート【25】

 ここから自転車を隣家へ出し、その敷地を横切ろうというのだ。
「待って」
 レムリアは金網によじ登り、両足で挟むように立ち、そこで自転車の前輪を持ってまず直立させた。
 その状態を保持している間に、あすかちゃんが隣家へ入り、前輪を引き込む。
 後は二人がかり。ガシャガシャ言わせながら自転車に金網を越えさせた。
「ここ、昼間は誰もいないんだ」
 あすかちゃんは言うと、勝手知ったる何とやら。慣れた手つきで、家屋脇の狭い部分をすり抜け、車庫のアコーディオン式門扉を開き、自転車を出した。
 遠くから聞こえてくるパトカーのサイレン多数。ああ高坂さんごめんなさい。
「乗って。駅へ行く」
 あすかちゃんは言い、荷台をぽんぽんと叩いた。
 二人乗りで行くつもりらしい。
「大丈夫?」
「馴れてるから」
 またがってしがみつく。違反だとか危険性だとか、躊躇している時間はあるまい。それに仮に何かあれば、特殊能力が事前にそれと反応するだけの話だ。
「行くよ」
「うん」
 彼女の漕ぎ出しに合わせ、地面を蹴る。40キロは重たいと思うが、駅へは坂を下って行く方向であり、苦労はなさそうだ。
 住宅街を抜け、“造成前なので道だけ通しました”、そんな場所を駆け下る。郊外であり、恐らくそういう場所を選んでいるせいもあろう、交通量は少なく、事故の発生や、発見される危険性などは感じない。
 カーブを曲がり、駅前ショッピングセンターの広告塔が見えてくる。
 来る時は駅に警官がいたわけだが、今は警官もパトカーの姿も見えず、いない様子。高坂さん追跡に駆り出されているのだろうか。
 あすかちゃんは自転車を置き場に収めた。
「ありがとう。あとは…」
「だめ、最後まで。私の方が土地勘があるし…」
 あすかちゃんが協力を申し出る。ここで普段のレムリアであれば、それでも固辞するのが筋である。
 しかし、この流れに置いては、あすかちゃんの協力を得ることにした。理由は、今、彼女は、とても積極的になっているから。更に“任務完遂(みっしょんこんぷりーと)”ともなれば、どんなに自信がつくか。
 携帯電話がレムリアを呼んだ。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【24】

「クモの糸を集めて橋を架ければいい」
〈ほう?〉
「アミシノ、だっけ。クサグモの皿網みたいになってるじゃん。糸を集めて同じようにすれば。小さいクモ達に集まってもらって。仔グモなら風が無くてもすぐに落ちたりしないだろうし」
 良くありませんか?道を歩いていたら突然顔にクモの糸。それは巣を張るためか、糸を風に任せ、その力で飛ぼうとしている小型のクモか、大体、どちらかです。
「なるほど。私は悪くないと思うけど」
 私はムカデの意見を求めました。
 それは多分、風が強い状態では逆に出来なかったことでしょう。
〈コバルトブルーに掛け合う価値はありそうだな〉
 ムカデは言いました。〝言伝のみは許される〟ので、私がコバルトブルーへの伝令を買って出、背中の翅にモノを言わせ、鷹の流儀で斜面を急降下。
 アミシノに降り立つと、仔グモ達が入り口で遊んでいます。
〈妖精のお姉ちゃんひとり?〉
「コバルトブルーさんは見えるかな?」
 判っているよ、という反応がテレパシーで戻ってきました。程なく、大きな青い身体が巣の中から出てきます。
 私はゆたか君の作戦を説明しました。コバルトブルーはおおむね了解。但し、
〈子ども達に危険が及ぶ心配はないかね?〉
「そこに私の超感覚を使う分には、掟に抵触しないと思いますが」
 仮にコバルトブルーが人間型の生命であったなら、ニヤリと笑った、になるでしょうか。
〈狡い。いや、命のためには手段を問わず、と評す方が適切かな?〉
「ご想像に」
〈人間世界がお長いようだな。よろしい。子ども達はギガノトアラクネ、と貴女は呼んだな。彼女の担当だ。好奇心持つ者を選んでもらい連れて行って構わない〉
「ありがとうございます」
 私が答えると、コバルトブルーは前足で土をリズミカルに叩きました。クモの子を散らす、といいますが、この場合は逆の現象が30秒。
 私の脚の周りは小さなクモ達でいっぱい。
〈翅のお姉ちゃ~ん〉
 クモは種類によらず、歩く時には糸を出しながら進みます。不意の事態が生じた時の落下防止が主旨のようです。

つづく

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ブリリアント・ハート【24】

 Tシャツ短パンを基本とする身に、カーディガンに長いスカートなんざガラでもないが。
「…かわいい」
 と、あすかちゃん。レムリアは照れた。が、そういう時間は今はない。
「準備OKです」
「じゃ、おいで。靴は持ったままだよ」
 中村の奥さんはレムリアに麦わら帽子を深めにかぶらせ、玄関ドアを開けた。
 3軒向こうの玄関ドアが開いている。
 あすかちゃんのお母さんが顔を出す。
 中村の奥さんと目配せ。
 あすかちゃんちのドアが閉まった。
「行きな!全力疾走」
 力強い囁き声に送られ、二人は廊下を走る。靴を履かずにコンクリートの廊下を走れば、足音はまず立たない。
ひたひたひたひた。
 あすかちゃん宅の前を通過。警官は気付かない。
 そのまま一気に階段を駆け下りる。高坂運転手がおり、指で“OK”のサイン。
 レムリアはタクシーへ向かおうとした。が、高坂運転手は腕で大きく“×”を作り、二人の後方を指差し、犬にでもするように“しっしっ”とやった。
 後方は自転車置き場。そういえばあすかちゃんはカギをもらった。
 二人は意を判じ、自転車置き場へ身を潜めた。
 高坂運転手がアクション映画さながら、アクセルを無闇に吹かしてエンジンを始動し、タイヤをスリップさせながら発進する。
 果たして上方にてドアの開く音。
「あっ!こら待てっ!」
 警官二人がドタドタと階段を下りてくる。
 囮である。高坂運転手は囮として車を出してくれたのだ。
 もちろん、実際レムリアが乗ったとしても、タクシー1台にパトカーわんさでは相手にならぬ。
 この判断は正しい。
 パトカーがサイレンを鳴らしてスタートする。角を曲がり、遠ざかって行くことを音で確認し、二人は靴を履いて自転車を解錠する。
 自転車を出そうとするが、サイレン音のせいか、表には近所の人たちが集まってきた。
「こっち」
 あすかちゃんがアパートの裏を指差す。そこは金網を挟んで隣家の裏手に当たるが。
 彼女は金網のそばまで自転車を引いて行くと、持ち上げて金網の上に載せ掛けた。

つづく

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気付きもしないで【16】

 靴を脱いで上がり込む。成瀬ん家じゃない女の子の部屋。
 歩いているのに地が足に着いていないこの感じ。
「座って座って、あのね」
 成瀬以外の女子がオレを笑顔で迎えてくれる。
 オレは言われるまま部屋に入ってカーペットの上に腰を下ろす。
「楽にしてよ。お友達なんだし」
「あ、じゃぁ」
 あぐらを掻く。〝相手の家で屁をすりゃ親友〟ってのがオレ達の地区で伝えられているが(なんだそりゃby作者)、これはもちろん、そういうんじゃない。
 友情を越えた、親友とは違う、この何かは。
「あのね、来週から学校行こうかなと思うんだ」
 雪乃ちゃんはベッドに腰掛け、足をぶらぶらさせながら、笑顔で言った。
 その意味の重要さに気付き、オレの頭は浮かれ気分から強制着陸。
「あ、そう。そうなんだ。それは良かった。成瀬には?」
「まだ。大樹君に先にと思って」
 オレは、言葉に撃ち殺された。
 この胸の詰まりや浮ついた感じ、何より、彼女の声を喜んで聞いてる理由が何か、自分で答えが出たからだ。
 オレは彼女が好きなんだ。
 あの、可愛いと思った昨日あの瞬間、オレはフォーリンラヴしたのだ。
「成瀬さんもありがとうと思うけど、大樹君は本当にお友達になってくれたと思うし」
 雪乃ちゃんは言い、駅の花を気に掛けていたのが嬉しかったと言った。
「花好きな男の子に悪い人はいないって母さんも言ったし」
 そ、そうかいな。
 逆に言えば雪乃ちゃんはそういう感性であって、例のヘンなウワサは根も葉もない、なのは言うまでもないだろう。
 実際彼女から聞いたのは、それまでたった一人の生徒であり、対していきなり大人数の学校に通う不安があった。あと、小さい頃、人込みに出た時、過換気症候群の発作が出たことがあった。その辺で医師の薦めもあって先延ばし。ただ、その半年は週に一日、様子見がてら本校に通っていたとのこと。
「この地区、こういう場所でしょ。みんな雪乃ちゃん雪乃ちゃん可愛がってくれるからさ。でも変だよね。人が多くなるのに逆に心細くなるって」
「変じゃないでしょ」
 オレは思わず言った。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【23】

〈生き物は生まれ死ぬ。どこかで生まれ、どこかで死ぬ。ここの風は、その死によって、周りが感じた悲しき思い〉
 その言葉に乗った重々しさ、威厳。
 それは〝イノチ〟の一部始終を幾度も見てきた存在の、
 都度傷付き、ようやく癒える。それを幾度も繰り返して来た心の放つ言葉に似て。
「だから悲しみの風」
〈そうだ〉
 すると、ゆたか君が、
「その風が吹かないってコトは、悲しみが無い……」
〈そうだ。これまでは途切れることなく吹いていた。いつも吹いていたから風に乗って流れれば良かった。悲しいと思ってくれる。その思いが集まり集まり風となり、紡がれた糸を運んだ。それが途切れているわけだよ〉
「死ぬ、という現象が減った……わけではないね。絶滅危惧とか、レッドブックとか、聞いたことあるでしょ」
 私は自問半分、ゆたか君に言いました。現代はいろんな生き物が減っています。
 つまり〝死〟そのものは増えている。
 でも、風は減った。
「悲しみの方が減った?」
 ゆたか君の言葉はゾクッとさせる認識を私に与えました。増えているのは、
「悲しくない死」
 つまり。
「殺すってことか。殺される生き物が増えてるってことか」
 ゆたか君は目を見開きました。
「そういえば聞いたことある。可愛くなくなったから捨てたとか、要らなくなったけど、捨てるよりは殺した方がマシだとか変な話」
〈そういうことなんだろうな。君のクモたちは幸せだ。気持ち悪いと言われているのに愛されている。ああ来た。風が来たぞ〉
 私の超感覚より早く、ムカデが兆候を捉えて言いました。
 風が吹きます。それは悲しみの根源が愛情だからでしょうか、暖かい気流です。
 しかしなるほど弱い。ゆたか君が背中の玉から糸を繰り出したら、それこそクモの子が空を飛ぶので精一杯。しかも長く続かない。
〈糸だけ送るかね?一本二本なら何とかなるだろう。しかし、それだけの糸を運ぶとなると難しい〉
 すると。
「ぼくにいい考えがある」
 ゆたか君は言いました。

つづく

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ブリリアント・ハート【23】

 二人分の靴を手に、慄然となるあすかちゃん。
 母親は即座に口に指を当て、“しーっ”とやった。
『警察の者ですが』
 ドア向こうの性急そうな声。
「は~い。少々お待ちを…」
 母親は作った声で答えると、電話台の下から財布を取り出し、紙幣を折りたたみ式の携帯電話に挟んだ。
 電話もろともあすかちゃんに渡す。
「姫様無事に届けるんだよ。何かあったら連絡」
 あすかちゃんは強く頷き、電話をポケットへ収めた。
 レムリアを見、指差して歩き出す。
「こっち」
 レムリアは従い、二人はサッシ窓からベランダへ出た。
 即座に母親がカギを掛ける。
「すいませんお待たせしまして。何でしょう…」
 玄関に向かうであろう母親のしらじらしい声。
「こっち」
 あすかちゃんは隣室ベランダとの間の壁を指差す。そこには“非常時にはここを蹴破って下さい”というステッカーがあり、
 下方に這えば通れる隙間。
 そこを通るとレムリアは判じた。
「ごめんね」
 と、あすかちゃん。姫様にこんなことさせて、というところであろう。
「気にしないで、原因は私だし、こういうの好きだし」
 レムリアはウィンクで応じた。あすかちゃんの表情に安堵の色。
 二人してぺたぺた這う。同じ要領で2部屋通り過ぎる。
 3つ隣の住人は、二人の姿を認めるなり、ベランダの窓を開けた。
 その電話の中村さん。お喋りしていた奥さんのひとりである。
「おいで。姫様はこれ着て。Gパンの上から重ね着。裾はまくってね。バレたら逆に脱いであすかちゃんに。あすかちゃんはこれ渡しておく。算段は運転手さんとしてあるから」
 中村の奥さんは、あすかちゃんにペーパーバッグと自転車のカギを渡し、レムリアには白いレースのカーディガンと、丈の長いブルーのスカートを身に付けるよう指示した。ペーパーバッグはそれらを脱いで収めるためのもの。
 何やらボソボソと声が聞こえる。あすかちゃんの母親と、警官であろう男の声。
 …携帯電話がハンズフリーモードで置いてあるのにレムリアは気付いた。
『確かにこちらに入ったという情報を頂いたんですが』
『存分にお調べ頂いて結構ですよ。先ほど家を空けてましたし、入ったかも知れません、その人』
 しらじらしいのが上手。レムリアは少し笑いながら、着替えを終えた。

つづく

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気付きもしないで【15】

 古淵雪乃ちゃんと仲良くなった。
 この結果を成瀬は学校に報告した。今回の訪問が学校の依頼による〝任務〟なのは事実だからだ。
 すると、学校は雪乃ちゃんの復帰準備委員をオレ達に任命して寄越した。コミュニケーションの充実と、ブランク期間の勉強をバックアップしろ。
 別に構わねーよ。てか。
 これで大手を振って〝遊び〟に行ける。天下御免のライセンス。
 そして放課後。
「今日はひとりけぇ。ボーイフレンド」
 オレの影が横切って気付いたか、若林のおじさんは草むしりを中断して、田んぼから顔を上げた。
 またおいで。……昨日確かにおじさんは言った。
 言った通りになったのだとオレは気付かされた。
 実は予言者か。
「はぁ、まぁ」
「女の子の仲立ちはもういらんのけ?」
「て、てゆーか、あのオンナ数学苦手だし。だったら、オレ一人で充分かなって」
「ひっひっひ。そうけぇそうけぇ、そら引き留めて悪かったよ。行って行って。いいってコトよ。行ってやって。行きてえんだろ?言わないよ。言えねぇよ」
 おじさんは〝津軽海峡冬景色〟を口ずさみながら草むしりに戻った。
 その歌詞を含め、何か意図の介在を感じるがまぁいい。オレは彼女に数学のカテキョ(家庭教師)に来たに過ぎない。
 着いたらお母さんが玄関で打ち水。
「雪乃。大樹君よ」
 かしこまった挨拶も抜き。
「ど、どうも」
 軽やかな足音が走ってきて、サンダルをつっかけて。
「こんにちは」
 白昼の満月が引き戸の影から顔を出し、オレに向かって微笑んだ。
 ポニーテールで、首が細いから、なおさら満月。
 何だろ、息苦しい。
「その、成瀬から……」
「聞いてる。ありがと、入って」
 違う、胸が詰まるってやつ。
 オレを待ってる女の子がいてくれるという現実。
 そしてそう、オレは彼女に会いに来た。
 会いたくてここに来た。
 確かに数学の家庭教師も否定しない。でもメインは彼女に会うこと。
 主客転倒?いいや。
 最初からこうだったんだ。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【22】

 降りたそこは、一言で言えば、大地の裂け目。
 Vの字に切り取られ、赤茶けた土が急峻な斜面となって向かい合っています。
 底は真っ暗でどこまで続いているのやら。
 但し。
「風なんか全然……」
 ゆたか君が言います。そう、名前のわりに風がない。
〈吹いているべきなのだ。本来は。何も草木がないだろう。これは風が強すぎて植物が根付かないからなのだ〉
 ムカデの説明によると、この谷は、基本的には裂け目の底から空に向かって常時風が吹き上がっているのだとか。だから糸を背負って飛び降りると、糸玉がその風を帆のように受け止め、浮いていられる。それを利用して対岸と行き来していたとのこと。そして、本来の運搬手順では、山頂までムカデが運び上げ、クモが引き受け、8本の脚を広げてムササビのように滑空して反対側へ。
 ところが、その風が近年徐々に弱くなり、やがて途切れ途切れになり、ついには滅多に吹かなくなってしまった。
〈風が吹くのをじっと待ち、吹いたと同時に飛ぶ。ところがたどり着く前に風がなくなって落ちてしまう〉
「落ちたクモたちはどこへ?」
 ゆたか君、当然の質問。
〈判らない〉
「死ぬってこと?」
 ここはそもそもが〝天国〟の一部です。
 この谷底に落ちることは何を意味するのでしょう。
〈ただ明らかなのは〉
 ムカデは、身体の向きを山麓の方へ反転しながら言いました。
〈落ちて後、戻った、という話を聞かない。だから、クモの連中も、依頼されたそれ以外の奴らも、飛ぼうとしない〉
「戻らない。行方不明になる?」
 私は訊きました。
〈その通り〉
「それって……」
 消えてしまう。私の意識に浮かんだ思いを、率直に言葉にすればそれです。
 死んだ後の世界で行方が判らなくなる。……死ぬのでなければそれしかない。
 でも、まさか。
「そもそも風はどうやって」
 するとムカデは、山裾に向けた頭を私たちの方へ戻しました。

つづく

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ブリリアント・ハート【22】

「ほら、やっぱ“やるっきゃない”のよ。そういう不安と義務感の間で事を進めて行く能力を持ってる人間が“大人”ってやつ。経験しないとその能力も身に付かない、と。あなたはね、あすか、大人の入り口に立ったのよ。そして、このお姫様の講演を聴きに行くことで、一歩、踏み出したのよ」
 母親は言った。
「大人の入口…」
 あすかちゃんが呟く。
 電話が鳴り、母親が席を離れる。
「自分のあるべき姿を意識する。テツガクするってのは大人の始まりかもね」
 レムリアは納得しながら言った。母親の言葉は極めて正鵠を射ていると思う。教育ママ風と捉え、確かに熱心な様子だが、子どもに対する見方は“勉強一本槍”の悪い意味の教育ママとは一線を画するようだ。
 その時だった。
「え?」
 電話口の母親が声音を変え、こちらを向いた。

「警察来たって」
 驚いたのはレムリアよりもむしろあすかちゃん。
 レムリアは“まずい”とは思ったが、声に出すなどはしなかった。
 ここから去らねばと思う。“誘拐説”がある以上、ここに自分がいることは迷惑になる。
 要するに潮時ということである。こういうのは初期状態にリセットしてナンボ。
「すいません失礼します」
 麦わら帽子を手に、玄関へ向かおうとするレムリアの行方を、母親が腕で遮る。その意図は“ちょっと待ちなさい”。
 母親は電話に向かって頷いた。
「…うんそうする。判ったありがとう」
 電話を切らずに受話器を置く。そして。
「中村さんが手を貸してくれるというから、ベランダから回りなさい。あすか、案内してあげて。靴を取ってきて」
 母親が指示する。降って沸いた事態と指示に、あすかちゃんの目が真剣な色を帯びる。
「…はい!」
 あすかちゃんが走り出す。それは目覚めたというか、スイッチが入ったというか。
 玄関の呼びチャイムがピンポンと鳴った。

つづく

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気づきもしないで【14】

「お待たせしました」
 泡だらけの緑色。新種のエスプレッソ……じゃない。
「わぁお抹茶だ」
 成瀬がゴツゴツした茶碗を手にして言った。抹茶……オレの脳みそに記録されているのは、苦いってのとアイスクリーム。確か作法があって決まり文句があって……
「け、結構なお点前で」
 オレが言ったら、女性陣が揃って大笑い。
「それ素?ギャグ?念のため聞くけど〝ごちそうさまでした〟って意味だよ。判ってるよね」
 成瀬が言った。そのセリフはオレの頭を銃弾のように撃ち抜いた。耳まで真っ赤とはこのことか。
 成瀬の顔は笑いすぎたか垂れ目になっており、目尻には涙の玉まで浮かべている。
 てめー涙が出るほど可笑しいか。思ったが、彼女なりのフォローだとも思った。
 それならば。
「お前オレのことナメてるだろ。オレほどになるとな、見れば判るんだよ」
「何が?銘柄?」
「馬鹿者。茶は心だ。お母様の温かい心遣いがひしひしと伝わって来る」
 すると……これは援護射撃なのか?
「氷で冷やして持ってきたんですが」
 お母さん。
 お母さん。それ、わびさびならぬわさび効き過ぎ。
「すいませんボクが嘘つきでした」
「あはははははっ!」
 枕抱えて笑い転げたのは雪乃ちゃん。
「男の子って……もっと女の子の前ではええかっこしいだと思ってた」
 それこそ目尻の涙玉を指でこすってオレを見る。
 オレはそんな彼女の瞳を見返す。
 これは、何かの、始まり?
「雪乃と遊んでやってくれますか?」
 お母さんの問いに。
「はい」
 オレは何のてらいもなくスッと答えた。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【21】

 しかしムカデは、やかましく音を出しつつも、ゆたか君の独白をただ黙って聞いていました。
「それでオレ、そういう連中のこと調べたんだ。クモが電灯のそばに巣を作るとか、あんたらムカデも長い身体をぐるんと丸くして子どもを守ったりとか、人間は気持ち悪いってだけで殺すけど」
 何も知らないクセに勝手に決めつけて殺している。
〈確かに人間は差別が上手だな〉
 ムカデはそうコメントしました。
〈何か違う。それを理由に傷つける。命ある者が理由もなく他の命を傷つけるのは無意味だし非生産的だ。非生命的と言った方がいいか。人間さんは自分も生き物であることを認めたくないのかね〉
「難しくてわかんないよ。……ってか、オレ達お前たちのこと虫けらって言い方するけど、何かすげー」
「知性は人間だけのモノじゃないって言えばいいかな?ムカデにクモもそうだけど、特に肉食の生き物は絶対にアタマ使わないと生きて行けない。本能だけで狩りが出来ると考えるのは人間さんの大きな間違い」
 私の言葉にゆたか君は何も言いませんでした。ムカデの背中でただじっと前を見たまま、何か考え込んでいます。
「翅のねーちゃん」
 私のこと。
「はい?」
「あんた、見てたんだよな。オレが何してたか」
「君が気にも掛けなかった全ての動物と虫たちが私に教えてくれた。君がひどいことをしている。そして君を助けてあげてと」
〈それがクモたちか〉
「そう。だから私は君を助けた。君は傷付いている。そのせいだ。そう思ったから」
「なのかなぁ。オレ自分で自分のことが判らない。でも、悪いことをしたな、とは思うんだ」
〈なら、それでいいではないか〉
 ムカデが言いました。
「え?」
〈起こってしまったことは仕方がない。元に戻らないからだ。しかし、二度同じことを起こさないようには出来る。今後、君に大切なのはそういうことだろう。さぁ私の約束はここまでだ。君はここをどう越えるかね?〉
〝悲しみの風吹く谷〟

つづく

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ブリリアント・ハート【21】

「この子とにかく引っ込み思案でね。今回もあなた様の講演を聴きに行くと聞いて驚いたくらい。この子なりに克服したいと思っている、とは思うんだけど」
 レムリアは頷いた。彼女は“ダメ”とは言われないまでも、行動や存在意義を否定される言動を受けてきたのだろう。そこで、その対極にある“誰かのために役立ちたい”という衝動を持ったに相違ないのだ。だから自分の話を聞きに来たのである。
 至極立派な動機ではないか。自由研究のダシにされるよりよほど良い。そして何より、前へ進もうとするそのピュアなハートに乾杯。
 であれば、自分のなすべき事はエールを贈ること。ちなみにそれは、やや照れる表現だが、自分の放つ呪文無き魔法だ、と、東京は評する。
「失敗なんか考えない。但し無理しない」
 斯くしてレムリアは言った。
 あすかちゃんは目を円くした。
「もちろん場合分けが必要だけどね。例えば勉強。これは失敗したって幾らでもやり直す機会がある。やれるだけやればいいやで充分だと思う。でも…それこそ看護師の実技みたいなものは、自分が納得するまで充分に訓練を重ねる。そこに時間的期限を設けるのは大人の悪い癖。自分で自分が納得できるまでに要する時間は人それぞれ。早い遅いで優劣を付けるべきじゃない。訓練する側も、同期が早いのに、とか焦ったらダメ。本質は自分が充分な能力を持てるかどうかにあるから。そこを見失って時間に価値を求めると、肝心なものをつかみ損ねる」
 あすかちゃんは少し考えた。その目は一瞬煌めいた、が、すぐにまた重い陰を帯びた。
「それでも失敗を考えてしまう場合は?」
 問う。それはそうだろう。思考体系がそうなってしまっているから、今現在こうなっているのだ。
 ちなみに、会話が次第に丁々発止になりつつあることを、レムリアは把握している。
「少なくともモチベーションは維持すること。こうありたいという理想はずっと持っていること。そうすればいつか、失敗なんか考えてられない事態や、どうにもやらざるを得ない機会、“ここでやらなきゃどうするの”、ってのがきっと訪れる。或いは、そういう状況に自分で自分を追い込む…いただきます」
 レムリアは言い、紅茶を頂いた。
「どうぞ」
 母親が応じ、続けて。

つづく

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気づきもしないで【13】

「それ私に対する当てつけ?」
「女の子の家に男の子一人は心細かろうとか、有り難くも助言したのはどこの誰だよ」
 勝った。
 そこへお母さん。
「今日は雪乃のためにわざわざどうも。はい、これ、町田さんがお持ち下さったグラジオラスよ」
 釣り竿ケースから茎をむしられてミネラルウオーターじゃぶ付けにされるところ、救われて師範代に花瓶に移され女の子の机の上へ。
 お前、幸せな花だなぁ。
「あ、白いヤツ大好き。どうもありがとう」
 雪乃ちゃんはニコッと笑った。
「いえ、たいしたことじゃ」
 照れるぜ。
「飲み物は冷たい方がいいかしらね。アイスクリームもお出しできますが……」
「いえお構いなく」
 この受け答えは成瀬。オレには出来ない芸当。
「お茶を用意しますね。座ってらして。雪乃。何か当てるのを出して差し上げて」
「恐れ入ります」
 なんでこういうセリフがスッと出てくるんだろうこいつ。
 雪乃ちゃんはベッドの下から座布団を出してオレ達に勧めた。
「お二人はお友達なの?」
 成瀬の所作を見よう見まねでオレも正座。
「朝学校に行こうとドアを開けると、コイツの顔が向かいの家のドアから出てくる」
「お互い様」
「じゃぁ、幼なじみ?」
「自分の意志で選ぶことの出来ない友達とも言う」
「ウチの大樹と遊んであげてねって」
 オレ達のやりとりに彼女はころころ笑った。
 いや半分マジなんだが、彼女が笑ったのなら、この場は恐らくそれでいいんだろう、と思った。
 ウワサに心痛めて出てこられなくなった……この笑顔見る限り、そんな印象は受けない。しかし、それは束の間の認識。
「わざわざ、ありがとね」
 彼女はオレ達から目線を外し、外を見て言った。
「男が女の子の家に合法的に来るチャンスってのはそうそう無くてね」
 オレは言った。
 成瀬がオレを誘ったその意図、買った。
「え……」
 彼女はハッとしたような丸い目でオレを振り向いた。夕暮れ間近い残暑の陽光と、髪を揺らす風。
 背後でノック。お母さんだ。

つづく

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【20】

 黒光りする連なる胴体に真っ赤な頭。トビズムカデです。アオズムカデという種類もあるので、鳶色をした頭のムカデという意味でしょうか。鳶頭、青頭です。
〈ほほう。人間か〉
 まるで大型旅客機の着陸、といった風情で、巨大トビズムカデは私たちの所へ走り込み、足を止めました。
「すっげー!恐竜みてえー」
〈私が怖くないのかね?〉
 トビズムカデ氏が訊きました。
「毒があるから悪い生き物ってことはないじゃん。人間の方がよっぽど……」
 ゆたか君は言いかけ、ハッとしたような表情で言葉をちぎり、笑顔一転うつむきました。
 〝悪い生き物〟の悪いことを、他ならぬ自分自身がしていた、と気付いたのです。
〈なるほど、だから君は資格があるわけだ〉
 トビズムカデ氏はそう、言いました。
「えっ?」
〈まぁいい。いずれ判ることだ。優しさは口で説明するものではない。それと同じこと。乗りたまえ少年〉
 最前の元気は火が消えたよう。ゆたか君はしょんぼり、ムカデの背中に上がって、座りました。
「オレってヘンな子なんだろうな。やっぱ」
 独り言のように、ゆたか君は言いました。
 衝撃的な自己認識が、冷静な自己分析に……難しく書けばそういうこと。簡単に書けば、一度、悪いと思い始めると、どんどん悪いことを考え始める。
 お医者にかかれば〝鬱の兆候〟と言われるでしょう。
 ゆたか君の〝思い出したくない記憶〟が、さーっと走馬燈のように私のテレパシー領域を流れて行きます。
 彼は転入してきた。
 教室に出たゴキブリを、〝すごいと思ってもらおう〟と踏みつぶした。
 しかし戻った反応は〝気持ち悪い〟。あまつさえは〝ゴキブリ野郎〟。
「クモとか、ゲジとか、それこそムカデとかさ、キショいって言われる奴らの気持ちが判ったような気がしたんだ」
〈ほう……行くぞ〉
 がしゃがしゃがしゃ……身体が大きいので動けば音がします。まるで機械か、鎧を着た古代戦士の集団が歩いているよう。

つづく

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彼女は彼女を天使と呼んだ(110・完結)

「あのね健太君」
「黒野さんあのさ」
 二人は同時に声を出した。
「先に」
「レディファースト」
 これも同時。理絵子は父親とのやりとりを思い出し、小さく笑った。
「前言撤回」
 しかし、理絵子が譲るより先に、彼の方が言った。
「え?」
「この間の件。君が好きだって話」
 どき、っと、心臓が文字通り音を立てた。
 鞄を握る手に、自然に強く力が入り、固くなる。
 それは、言わなくちゃだけど。
 だから、言おうとしたのだけれど。
「一旦、撤回させてくれ。でも、嫌いになったんじゃない。ますます好きだ。だけど」
 理絵子は彼を見返した。
 予想外の展開。
 ひょっとして、これも、あなたの手練手管の一つ?
 しかし、彼の目は自分を見ていない。そのふたご座をバックに、街のクリスマスイルミネーションを瞳に映して。
 理由を待っていると。
「思ったんだ。もし万が一、君にイエスと言ってもらったところで、オレって君を楽しませるネタ何もないんだなって。ちやほやしてくれる女子いるけど、オレってそれだけなんだなって」
 彼に関して、ずっと心に引っかかっていた事実がひとつ。
 彼の母親がつぶやいた一言……部屋に女の子が来たことがない。
 その理由が判る。かっこいいと言われ、それを本人も把握している。でもカノジョがいるわけではない。
 自室というのは、自分の中身の反映という側面もあろう。カバンも然りだ。
 女の子にモテること。それが彼のレゾンデートル。
 しかし中身を見せるには抵抗。
 つまり、彼も、自分に自信がなかった。
「だから」
 彼は沈黙を嫌うように言葉をつないだ。
「男を磨いて再挑戦する。その権利を僕に与えて欲しい」
 理絵子を見る。
 理絵子は彼を見返し、小さく笑った。
「それって2回目の告白そのものに聞こえるけど」
 多分手練手管。だがしかし。
「ちっ。バレたか」
 彼が歯を見せる。言ったことは、恐らく、ウソではない。
 実際問題、イエスと言ったところで、それ以上進まず、止まる気がする。
 今のままでは。
「いいでしょう。あなたの言葉を一旦ログから消します」
 理絵子は自分の頭を指さして言い、次いで、まさにツンデレよろしくお高くとまると。
「権利与えます。学年イチの美少女と誉れ高いわたくしを落としてご覧なさい」
 スカーレット・オハラの流儀。
 ……誰も、見て、ないよね。
「ありがとう」
 彼はまず言い、
「この背中に翼生やして必ず追いつくから。その時まで、君は僕の憧れの天使」

彼女は彼女を天使と呼んだ/終

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ブリリアント・ハート【20】

「そんなことないよ。あのままではあなたに失礼だもの。質問は、『どうしてそこまで出来るの?』だったよね」
 レムリアは確認した。
「…はい」
 あすかちゃんが頷く。消え入りそうな声。
 レムリアは彼女の目を見て。
「お答えします。それは、出来る範囲で出来るだけのことを、と思って動いたら、こうなった、です。私みたいな小娘でも、動き出せばけっこう行けてんじゃん、ということ」
 その言い回しは、少なからず母娘を驚かせたようである。
 内容的に、砕けた言葉遣いに。
 “お姫様”が“じゃん”、その肩の力を抜く効果をレムリアは良く心得ている。
「…動いたら」
 あすかちゃんは反芻した。即座に応答があるあたり、おずおずおどおどという感じはなくなってきたようだ。砕けた言葉が奏功したか。
「そう、動いたの。恵まれた環境にいて、実情を目の当たりにして、このまま“のほほん”と過ごしていいのかと思った。誰かのためになりなさいという家訓もあった。そこで私は動いた。まず資格をきちんと得ようとした。それは勉強次第だから楽だし。少なくとも勉強して知識を得る程度なら、誰かに迷惑が掛かるわけじゃないから」
 レムリアは言った。家訓が、その力を有するがゆえに、という理由からであるのは、論を持つまい。
「失敗したら?」
 あすかちゃんが問うた。その言葉に、レムリアは全てを知り、頷いた。
 失敗への恐怖、否定され傷つく事への恐れ。
 彼女の気弱さ…行動を制限する中枢である。恐らく彼女は生来その性質を持っており、色々言われていたのだろう。しかしそれが逆にプレッシャーとして働き、余計に、失敗して何か言われることを恐れるようになってしまった。
 そんな彼女が全く位相を異にする自分に興味を持った。判らないではない(※レムリアは月の満ち欠けが自分に大きく影響する関係で、月の丸みの程度を角度になぞらえ、位相という言葉で表すことを知っており、その概念を理解している)。
 母親がロールケーキを持ってきた。

つづく

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彼女は彼女を天使と呼んだ(109)

25

 お開きの後も残った理絵子達に、橘氏は露骨にいやな顔をしたが。
 理絵子がひとこと非礼を詫びたら一転笑顔になって、ビルの9階レストラン街で夕食をご馳走してくれた。
「骨のある子は少なくなったな。おちおち叱ることもできん」
 述懐、と書くに相応しい口調で、橘氏は言った。聞けば、夜の街をPTAのタスキ掛けて巡回してるとか。
「ケンカしませんからね。初めてのケンカが殺人になったり。負けたくないですからね。絶対の武器を手にしたがる。で、手近な刃物でとりあえず斬りつける」
「コペルニクス的転回が必要ってわけか」
「それって地動説が天動説とかいう……」
 健太君のセリフに、理絵子は逆、と言いかけ。
「周りが動いてやらなくちゃいけないってことでは、彼の言った通りかも知れませんね」
「教員の鬱が増えるわけだ」
「だからこそ、みんなで一緒に力を合わせる必要があるんですよ。犯人捜しと責任のなすり合いでは何の解決にもならない。何もかも先生先生では先生がすり切れてしまいます。みんなで何とかしなくっちゃ。こうなっちまったと後悔しても、現実が変わる訳じゃない」
「そうだな。動こう。で、無知で申し訳ないんだが、その黄色いりぼんに込めた意味は?」
「ぐぐれ……ウソです。ティーンエイジャーの自殺防止」

 終わって橘氏と別れ、駅前広場の天蓋をなすペデストリアン・デッキの上。
 冬至間近いこともあり、見上げる空はキラ星の宝石箱。都下だが山裾に位置する分、見える星の数は都心より多いと理絵子は思う。
「ふたご座流星群ってさ」
 健太君が駅ビル上方を見上げて言う。
「過ぎたよ」
 理絵子は言った。活動のピークは月の半ば、といつぞや調べたことがある。
 彼が自分を振り返る。
 その表情の悲しそうな。
 気づく。今まで自分は、彼の言動のことごとくを、先回りし否定してきたかも。
 いや、きたかも、ではない、確実にしてきた。そしてそれは、小さいが尖った針となり、都度少しずつ、彼を傷つけてきたに違いない。
 無意識に。
 なぜなら自分が同じ立場なら、傷つくだろうと思うから。
 特定の気持ちの介在の故に。
 されど。

次回・最終回

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気づきもしないで【12】

「あははは……」
 背後から聞こえてきたのは転がるような軽やかな笑い声。
「面白いひと……」
 オレに対するその言葉が聞こえたその時、何かがオレの中で「ころん」と音を立てた。
 背後にスススー。
「あら雪乃ったらお友達立たせたままで。……あの、どうぞ、あら町田さんどうして後ろを?」
「恥ずかしがってます。浴衣姿の雪乃ちゃんが可愛いって」
「ば、バカお前……」
 思わず振り返って成瀬にツッコミの一つでも。……って、否定したら可愛くないって意味じゃないか。
「正直、可愛いです」
 オレは直立不動で彼女に言った。全身が熱くて頭がボーッとする。多分、耳まで真っ赤ってヤツなんだろう。
「ありがとう。入ってください。別にうつすような病気してるわけじゃないんで」
 彼女はカーディガンを羽織り、そうやってオレ達を招き入れた。
 お母さんの手には花瓶。
 〝一息付いた〟そんな顔で生き生きと花開くグラジオラス。同じ花でこうも変わるモノか。
「散らかってますけど」
 確かに転入生紹介で聞いたあの声だ。ただ、その時よりずっと弾んで聞こえる。
 ころころ……ころころ……。
 ドアを開けると不思議な空間。ひとくくりに〝古民家〟と呼ばれる系統の古い日本家屋なんだと思う。大黒柱に太い梁を骨格として組み立てられている。
 そんな太い梁がドーンと一本、頭の上を横切り。
 でも中は水色が主体のポップな空間。勉強机に本棚に、ぬいぐるみに大切な本や写真。窓際にベッドがあって、彼女はそこに腰掛けた。
 和洋折衷というか、時間すらも交錯した〝接点〟。
「女の子の部屋だよなぁ」
 オレの素直な感想。

つづく

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彼女は彼女を天使と呼んだ(108)

 だったらもう少し。
「21世紀の今は〝勝ちか負けか〟が判断基準の時代です。誰のせいか知りませんが。だからこそ……橘(たちばな)さん、ご記憶にあるでしょう、昭和の学生みたいに共通の価値観持てる時代じゃない。心をトゲで鎧って、そのトゲでお互い削り合って、ギザギザになった心でさらに削り合う。もうみんなボロボロなんです。そんな時代に必要なのは、守る力ではないでしょうか。橘さんの世代の言葉で言うならネットのガキ大将ですよ」
「ガキ大……」
 白髪老眼鏡橘氏の声から、トゲが消えた。
 ガキ大将。理絵子はその概念を父親から言葉で聞き、マンガのキャラクターに見た。
 それは、遊び道具がゲームで、コミュニケーションがネット空間、では育たない、子ども社会の地位。
 なぜならリアル人間同士コミュニケーションを経て生まれる存在だから。強弱関係の中で求められる、弱い子の味方であり、大人の強圧にすら立ち向かう義。
 ガキ大将がなぜそのように振る舞えるか。そんな己れを支持する多くの子どもがあり、その義の故に大人も一目置くから。
 恐らくは父性の早熟な発露。
 父が言った、警察官を選んだ理由が、そこでシンクロした。
「なるほど」
 ガキ大将。その言葉の持つノスタルジーと真意は、橘氏の目尻を下げた。
 仕掛けた意図が伝わった。
 なら、あと一押し。
 その地位に立候補する。とした時、お願いが一つあるのだ。
「我が校の主張をまとめます。我々学級委員は全員の味方を出来る立場にあるということです。どのくらいの力があるかは今示しました通り、教育委員会さんもたじたじ。だったら、そんな日陰でコソコソやってるようなゴキブリ同然の悪意からクラスメート守るくらいできるはず。ただ、本校校長は了解いただけましたが、同様な、イザというときの私たちの盾を、教員の皆さんにお願いできればってことです」
 理絵子はそこで傍ら健太君の肩先を指で突いて促した。
 男決めろ。
「何かあったらオレに言ってこい。どうにかしてやる」
「かっこいいじゃん」
 理絵子は言った。少し野望的な響きを含むかも知れないが、黄色いりぼんや、或いは、かたどったバッジやネクタイピン。それがこの街の学生を象徴するアイテムになれば。
 自分自身が後々何を言われようと。
「以上です」
 理絵子は目を閉じて言い、着席した。

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彼女は彼女を天使と呼んだ(107)

「そういう大人の皆さんの思惑、無言の子どもの大量生産。それが諸悪の根源。押さえられて動きが取れず、鬱憤の行き先がないからネットに吐き出す。ブラックホールの始まりはそこでしょう。それ抜きにして一足飛びに携帯禁止はそりゃぁ大人の皆さんおいし過ぎます。ってか、因果が逆じゃないんですか?」
「何だと!黙って聞いてりゃ図に乗りおって子どものくせに!」
 白髪老眼鏡は理絵子を指さし、糾弾の構え。
 対し理絵子はポニーテールの黄色いりぼんを外し。
 机の上に真っ直ぐに置き。髪を流し、手を櫛にして少し梳き。
 ポケットから、くるくる巻かれた黒いりぼんを取り出し。
 黒いりぼんをくるくるほどく。
 中身は純白携帯電話。黒いりぼんは黄色の隣に真っ直ぐに伸ばして並べ、電話をスライド。
「電話ならお貸ししますのでどうぞ。このまま発呼で校長のポケットに直結です。でも、ああそうですかって言うだけでしょうけどね。校長とはこの会に参加するに辺り、充分に意見交換をしてきました。私がどのような意見をここで述べるか先刻ご承知です。対して再三再四失礼ですが、私たちの物言いに感情的で一方的な押しつけは如何なものでしょう。見ようとしない聞こうとしない。私たちの世代敏感ですからね。おざなりされると感覚的に判っちゃうんですよ。ええこの会の趣旨は理解してます。ネットいじめ問題に対して、生徒が、どうあるべきか。……というわけで集まってくれた皆さん、やってみました。私たちが自ら率先して攻撃の盾となる。それを先生方が理解して味方してバックアップ」
 種明かし。
 暴露の言に58人がどよもし、避けていたみんなの目が、逆に自分たちに集まる。
 校長了承済み。その説得力の強さは良く心得ている。
「担任校長どころか教育委員会なんかに目をつけられたらお先真っ暗。それは判るよ。でも、それにビクついて携帯全面禁止に渋々賛成。したが最後、後々あいつらのせいだ伝説みたいに言われる。でもそれならまだいいよ。通り越して、携帯がなかった為に緊急連絡もできないなんて事故が起きたら責任が取れない。自分たちのために同じ制服着た誰かが危険な目に。そんなの冗談じゃない。臭い物に蓋の論理で携帯禁止なんて私は断固反対。紫外線は危険だからって太陽禁止?それと同じこと。まずは正確に知って、自分自身の判断基準を持つのがあるべき姿。ただ、私たちだけじゃ無理で、経験豊富な大人の皆さんのサジェスチョンがいただければ。何か間違ったこと言ってますか私」
 理絵子は喋りながら髪の毛をツインテールに変え、片方を黄色の、片方を黒のりぼんで結んだ。
 すると隣席、市立一中のブレザーの娘が席を立った。
「ずれてるよ」
 りぼんを直してくれる。
「ありがとう」
「りぼんの色で主張するのって伝わらなく無くない?」
 逆に言えば、この彼女は気付いたということ。
 そして、白髪老眼鏡氏のボルテージが下がってきたと理絵子は感じた。
 失礼な物言いが単なる噛みつきではなく、真意があったと伝わり始めたのだ。
 段丘を越えた。

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彼女は彼女を天使と呼んだ(106)

 希望を持たせるように言ってみる。
 しかし白髪老眼鏡氏の〝フィルタ〟は次の行動を既に決めていたようであった。
「バカバカしい。学校は仲良しクラブじゃない。何度も言わせるな、会はお開きだ。君は学生の本分というものを……」
 その顔は〝権力者の余裕〟というか、説教モードというか。
 でも、手綱を渡す気はない。
「学生が何より鬱陶しいのは唯々諾々と先生の言う通り、です。上っ面だけの〝いい子のカタチ〟を押しつけられるより、耳の穴かっぽじって意見聞いてもらった方が余程嬉しいですよ。打てば響く。判ってくれてんじゃんって実感が持てるんです。自分たちの学校だって意識と愛着が沸くってもんです。この手の事件で私たちの仲間が命を絶ったのは、言い出せるような環境じゃなかった、ってのが背景にあったのはご存じの通り」
 多少、いや相当に嫌みな物言い。漱石じゃない、誰の流儀だっけか。
 再び白髪老眼鏡の頬が朱色。
「失敬!き、君は失敬だ!」
 理絵子を指さし吠える。そこまで言わないと判らないくせに、判った瞬間火が付く。
 真ん中がないから冷静な議論にならない。
 要するに我慢の限度を超えるか、私論崩壊の危機を感知すると、一足飛びに力ずくで幕引きに走るのだ。
 人はそれをキレると言うのでは?
「何様のつもりだ全く!」
 でもそれは本音だろう。
 言葉にするなら。
「子どもは特定の型枠に収まってろ。言うこと聞いて黙ってろ。波風を立てるな。余計なことしたら権力物言わすぞ」
「出て行け!こ、校長に、そうだお前たちの校長に連絡する!かわいい顔してとんでもない輩だ」
 で、実際このように言われるから困る。その実全く人間的な感情的反射なのだろうが、それが生徒の立場からすると、権力背景にした脅迫に聞こえるという配慮が足りない。最も今の台詞の場合、露骨にセクハラでパワハラと思うが。

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【19】

「わかったよ」
 私の声を遮って、ゆたか君は不満げ。
「一つにするよ」
 オオジョロウグモが作業を再開します。少し書きましたが、ジョロウグモの糸は、集めれば魚が捕れる網になるほど丈夫です。
 大きなランドセルのように、腕を通せる輪を付けて、荷物が出来上がりました。
〈持てるかな男の子〉
 オオジョロウグモがするすると降りてきて、ゆたか君の背中に糸玉をあてがいます。ゆたか君が輪に腕を通して出来上がり。
「なんかゲームの主人公みたいだ」
 ああなるほど。ゆたか君の言葉に私はふっと納得しました。彼はここを単純に〝クモの国〟と捉えています。異次元・異世界なのですが何の抵抗も持っていません。ここは何処、家へ帰してと言いません。
 その理由がこれということ。もちろん、〝逃げたい〟結果としてここへ来たというのはあるでしょうけど。
 出発準備完了。
〈妖精の君〉
 コバルトブルーが私を呼びました。
「はい」
〈今一度確認しておくが、古き伝えにより決してあなたは手を出してはならない。ただ、言伝のみは許される〉
「判りました。してどの方向でしょうか」
〈この山を登るのだ〉
 先にも書きましたが、アミシノは山裾にあります。その山を登って行け。
 見上げる山は上に行くほど坂が急になり、頂上は雲の中。
「これ、歩いて登るのか?普通はどうしているんだ?」
〈いつもは、ムカデさんが来てくれていました〉
 オオジョロウグモが言いました。
 妖精は、言伝のみは許される。
〈……はい、私を呼ぶのはどちらさまでしょう〉
 〝近くに糸運びをしていたムカデさんはいますか?〟の問いに対する答えがこれ。
 言伝。すなわちテレパシー。
 用件を伝えます。
〈山登りだけならいいでしょう。でもそこから先はお断り〉
〈構いません。そこまで男の子を一人〉
〈判りました〉
〈妖精の君、あなたは狡くていらっしゃる〉
〈いいえ、何か乗りたいというのは彼のアイディア〉
 程なく、地鳴りのような響きが聞こえて来、やはり巨大なサイズのムカデが森の中から歩いてきました。

つづく

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彼女は彼女を天使と呼んだ(105)

「ケータイ取り上げて見れなくなっても、書かれた悪口グーグルのキャッシュとかログ残ってるんですけどね。中の人にメールして誰か消してくれるんですかね。それに、禁止と言っても、手のひらの窓取り上げても、ネット接続手段だって十指余るほどあります。ネット経由の対戦機能を備えたゲームやネットにつないだデジタルテレビ。フィルタリングのソフト作って撒きますか?家庭訪問してブックマークチェックしますか。でもその最中にアホ死ねって死体写真付きのメール叩き込まれるのがオチです。本人が見なくても裏では動き続けて広がるんです。光あれば影。光がダメならダイヤルアップ。再三失礼ですが、ネット接続されてますか?」
 もう、全部言ってやった。
「会は終わりだ」
 白髪老眼鏡氏の声が会議室に響く。早口で上ずったトーンには投げやりすら感じる。ただ、誰が見ても白髪老眼鏡氏の職権乱用であり、かつ、結論は明らかに無意味だ。
 それが証拠に、オブザーバとして参加した校長代表という3人は、司会に加勢して自分に何か言うわけでなく。ノートパソコン広げた議事録担当のお姉さんも、書くべきかどうか、困った表情。
 そして何より、他の生徒達が立とうとしない。理絵子から目を背けていた彼らが、この会の〝本質〟に気づき、自分の味方になりつつあると肌で感じる。
 対し氏は〝電源スイッチの長押し〟を知らないようだ。
 或いはデスクトップに爆弾でも出たか。リンゴかじったら血が出そうだが。
 そこで矢面に立ったのは健太君。
「まぁそう脊髄反射すんなや。俺らアンタらの思惑通りにならなくて悪かったよ。でも俺ら携帯取られたら激しく困る。だから想定問答通りのイルカにはならない。そんだけさ」
 その台詞に、彼は成長した、と理絵子はまず感じた。彼には自分を救ったという自負と自信がある。今彼を動かしているのは、その自信を礎とするナイト精神。
 男子三日会わずんば、とはこのことか。
 理絵子は努めて穏やかな口調で、
「私の髪の違反は学校側自体、百も承知です。でもこれは先ほどの、遺憾です、が元になっています。あの事件で私たちは生徒教員問わずみんな傷付きました。あの学校の生徒だ、というだけで白い目で見られ、教員というだけで罪人と思われたんです。でも教育委員会様は何もサポートしていただけない。
 私たちは結束するより他ありませんでした。教師が上で生徒が下って構図でなくて、良い学校一緒に作るにはどうすればいいかって模索を始めたんです。家は親、学校は教員、通学途中がPTA。それがシンプルでしょって。その上で、言いたいことぜんぶ言えと言ってもらってます。お互い意見をぶつけ合って落としどころ探そうって。一般論ですが、家族が互いに言いたいこと言えなくなったらその家族終わりですよね。発展で学校も同じだろうって。クラスが家族のように居心地のいい空間であったら」

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彼女は彼女を天使と呼んだ(104)

 教育委員会ってこんなもの?
 校長会の上の組織ってこんなレベル?
 先生の親玉集団が?
 ……いや、だから、さもありなん、と言うべきなのか。
 さておき、激高させて感情先行では言いたいことも伝わらぬ。
 それでは、この仕掛けの意味がない。
「お断りします。だってネット相手にする結論じゃありませんもん。一旦上がったら最後、誰かがそれに反応する限り、面白がっていつまでもコピーされ貼り付けられる。どころか、強制的にメールで送りつけられる世界ですよ。いつまでもいつまでも言われ続ける。残り続ける。見たくもないのに見せられる。ラジオを使った洗脳プロパガンダと一緒ですよ。子供のケンカの類似品とは訳が違う」
 自分で言葉にしながら、理絵子はだんだん腹が立ってきた。
 大体ネットなんて旬のオモチャ相手にするのに、こんなネット無知が出してくること自体そもそもおかしいのだ。父親の言う通り教育委員会が自作自演したいだけにしか見えない。
 でも、現実は、そんな小手先で済むような軽い話ではないのだ。実際命に関わる事例が、報道されているだけでも年に十指を下らない。
 対しお為ごかしとはまさにこのイベントのこと。
 座する仲間たちに目を走らせると、目が合う直前に察知して逸らす。同意を求めるな、声を掛けるな。
 まぁそんなとこだろう。そしてそれは、いじめられる子(この場合理絵子自身)が孤立するメカニズムそのもの。
 そりゃそうだ。こんな教育委員会のお偉いさんに楯突く奴に味方しても、得るものは何もない。どころか、内申書に影響が出たら。
 学級委員の加点がパーになったら。
 最も、そこまで考慮済みでこの標語押しつけに来たならば、教育委員会殿あまりにあくどいが。
 対して、自分この黄色いりぼん、ダテに黄色にした訳じゃない。

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彼女は彼女を天使と呼んだ(103)

「オトナの皆さんは楽ですね。聞きたくないことには耳をふさげばいい。聞かなかったことにすればいい。……学者の本によれば脳がそういうフィルタこさえるんですってね。でも、だからお前もそうしろと言われた生徒達が過去何人、更に深い傷を負って命を絶ったか。あまつさえは心が弱いとまで言われた。そんなの、いい大人が子ども傷つけてる以外の何物でもない。大人って子ども守ってナンボじゃないんですか」
 かなりきついこと言った、つもり。
 しかし。
「それが何の関係が?」
 それこそフィルタが働いてる発言。自分の台詞の内容などどうでもいいのだ。もうあからさまに苛立っている。
 教育委員会のお偉い提案を学生如きに否定抵抗されるのが気に入らないのである。お仕着せ結論早く飲んでシャンシャン終われ。
 それって、子どもの心理、そのもの、じゃないのか?
「聞きたくないことが耳に入って傷つくのが思春期なんです。だから、些細なことも聞き漏らすまいとしてしまうのが思春期。そして、傷付くと、傷を補おうと別の傷を付けに行くのが思春期。そこにネットがある」
「だから、見に行くからいけないのだろうが」
 どうにもそこに帰着させたいか。
「そうでしょうか。世界中から自分の悪口が丸見えって判ってるんですよ?学校帰りのひそひそ話とワケが違う。でも、やってる側は同じフィーリングで全世界に向かって誰々のバカ死ねって書くわけです。受け取った側は深刻ですよ。下手すると低俗雑誌の記事みたいにあることないこと書いてある。ウチの学校もいろいろ書かれましたよ。事件の内容が内容ですからね。でも教育委員会サマ何してくれました?記者会見で遺憾ですと言うだけ。私たちがどれだけ心細い気持ちになったか」
「君は教育委員会を糾弾しに来たのかね?」
「私の髪型が何の関係が?」
 義務と権利、という論点ではこれで両成敗だと思うが。
「出て行きたまえ」
 白髪老眼鏡氏はいきなり言った。
 その高圧的かつ〝強制終了〟の反応は、臭い物に蓋、そのもの。

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ブリリアント・ハート【19】

 実は彼女は屋内に入っていない。玄関ドアの前でもじもじしている。
「でも…」
 恥ずかしがり屋さん。
 どれほどの、どれだけの、精一杯の勇気を持って、彼女が自分に質問したのか、レムリアはよく判った。
 来て良かった。あのままにしていたら彼女の勇気は無駄になっていたところ。
「自分の家でしょうがっ!」
 母親が怒鳴る。
 レムリアは小さく笑った。気が弱いというか、繊細な女の子なのだろう。
 …そして多分、それがゆえに誤解を受けている。
 手を差し伸べる。
「あなたの質問、嬉しかった」
 手を差し出し、レムリアは言った。
 果たして彼女は目を円くした。
「一方的に終わるだけかと終わっていたもん。ありがとう。だからきちんとお答えしたい」
「…あ、はい」
 あすかちゃんは…まさかとは思うが…やや揺らめきを帯びた瞳を輝かせ、“帰宅”した。
 レムリアは玄関を上がるあすかちゃんの手を取る。両手を持ってその目を見つめる。
「質問、どうもありがとう」
 レムリアは、改まって、言った。
 彼女にとって何もかもが初めての事態であるとレムリアは察する。同年代の相手に“ありがとう”と言われること。それがなかったからこそ、自信喪失に繋がり、更に気弱になるという悪循環。
 あすかちゃんの手を引いてリビングに入る。母親がティーバッグに湯を注ぎ、ロールケーキをカット中。
「座って下さいね~」
 母親の言葉に腰を下ろす。
 あすかちゃんが向かい側に。
「わざわざ…すいません」
 あすかちゃんはうつむき、小さく言った。そう口にするのにも勇気を要するのだと、レムリアは判ずる。

つづく

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彼女は彼女を天使と呼んだ(102)

 もっと言えば、ネットイコール悪、および、にじみ出る〝学生は黙って従え〟。
 固定観念、既成概念、先入観。
 理絵子が把握した認識の段丘は2段だ。しかも、どっちも海溝型大地震で作られた第1級の高さ。
「君はどこの学校かね」
 眉間にしわを寄せて訊いてくる。突然の話題変更には当然底意を感じるが、根本的に判ってないのは相手であるからして、論破できる自信はある。そして、論破しないと、この〝作戦〟の実証にならない。
 理絵子は、自分の机に置かれた、三角アクリル板の名札を、氏に向けてやった。
 どこの誰、まで言う必要はあるまい。女の子が教頭一人警察送りにした話、この辺の連中が知らないはずがない。最も、この街の中学30校中、女子の制服がセーラーなのは2校だけであって、わざわざ名札を見ないと名前ワカランというのも失礼な話と思うが。
「君の学校は長髪の場合三つ編みにするんじゃないのかね?」
 そっち突っ込んだか。てか、そういうことは知っているのか。
「義務果たさず権利主張するのは感心せんな」
 勝ち誇ったように。
 それ、私に恥掻かせようとしてるんじゃないの?
 すると、
「似合ってればいいんじゃないすか?女の子だし」
 シレッと言って味方してくれたのは健太君。
 加えて、夕暮れ早い冬の西日がブラインドの隙間から差し込み、ポニーテールを結ぶ黄色いりぼんの黄金きらり。
 織り込んだ髪の毛は、お守りではなく。
 この手の事件で命を絶った仲間のために。
 こんな、こんなおざなりでテキトーな〝臭い物に蓋〟で片付けられてたまるか。
「何という学校だ!」
 健太君の台詞に、白髪老眼鏡氏は大げさなアクションで驚いてみせる。そっちから糾弾してウヤムヤという作戦ですか?
 そうは行かない。

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気づきもしないで【11】

 オレは手の中のグラジオラスをじっと見つめた。そんな家の子にこんな花。
 成瀬の声が途切れた。
「町田……さん?」
 お母様がオレを呼んだ。
「は?はい」
「そちら、長い時間持ってられました?」
 グラジオラスのこと。
 炎天下持ったままうろついたせいか、少しぐったり。
「ちょっと拝借。まぁ、お上がり下さい。雪乃は部屋にいます。どうぞ。雪乃ぉー。お友達がお見舞いに来てくれましたよ」
 お母さんは振り返りながら言い、がちゃ、とドアが開いて、ツインテール……いや、おさげ髪と書くべきだろうか、白い浴衣の女の子。
 屋内の薄暗さも手伝っただろうか、透き通るような白い肌の女の子。
 小柄で、驚いて真ん丸になった瞳の幼さ。
 ぽけー……オレの行動を端的に書くとこうなる。
 目が離せない。彼女を上から下まで全部見つめてしまう。古淵雪乃……ちゃん。
 かわいい。
「えっ?あの……その……」
 果たして雪乃ちゃんはオレを見返しつつ、慌てて浴衣の前を合わせつつ。
 彼女のその仕草は、オレという〝男〟が来るとは知らなかったことを意味した。
 てゆーか浴衣の下下したシタ下って下着だろ。
 回れ右。
「突然ごめん。オレ隣のクラスの町田と言います。駅の花が枯れかけてるのを見てそれが古淵さんだってコイツから聞かされてそれで……」
 何だこのセリフ。まるで成瀬のシナリオみたいじゃないか。
「ぐ、グラジオラスにグラジオラスじゃ芸がないけど、と、とりあえず同じなら少なくともキライじゃないだろうって」
 後ろを向いて、直立不動でそう言うオレの視界を、おばあちゃんが一人横切って行く。
「あれこんにちは」
 おばあちゃんオレ見てニッコリ。古淵さんちの家の中から外へ向かって選手宣誓みたいな学生一名。
「はい、こんにちは、です」
 オレは言い、激しいバカをしていることに気付いてそのまま引き戸を閉めた。

つづく

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彼女は彼女を天使と呼んだ(101)

「何が言いたいのかね」
 白髪老眼鏡氏は理絵子の言葉を遮り、語尾を荒げた。その口調、表情に見せる苛立ちは、故意にも取れる。すなわち、力をちらつかせた脅し。
 こんな資料メールでばらまけ。
「何か言ったかね?」
 ではなくて。
「ググりゃ出てくるってことです」
 白髪老眼鏡氏。きょとん。
 意味が判っていない。
 これに生徒達はそこここでクスクス笑い。
 対し白髪老眼鏡氏は、今、理解できていないのは自分だけ。という雰囲気を把握……
 したのだろうか。
 もう少し具体的にしてみる。
「自分の本名、そして〝死ね〟。二つ並べてネットで検索。ワラワラ出てくる自分の悪口。その状態でも見るな、それで済むことでしょうか」
「そうやって相手にするからつけあがるんだ」
「そうでしょうか?」
「だから、君は、さっきから、一体、何を言いたいのかね?」
 細かく千切り、強く言う言葉に感じる、二重の苛立ち。
 せっかく終わりにこぎ着けたのに。
 及び、自分の発言が本当に理解不能。
 でも今、主導権を与えてはならない。
「それが世界中に公開されているとしても、相手にするな放っておけということですか。それと、腹立つ相手に恥をかかせてやろうと思う心理は異常でしょうか。心理自体は当然で、子どもの頃から誰もがやること。ただ、この歳になったからにはもういけない。そう理解することこそ重要と考えますが」
 生徒達がざわつき始める。明らかに会話が噛み合っていない。世界観について大きな認識のズレがあると誰にでも判る。
 ネット社会への理解。思春期と白髪期(!)との乖離。

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彼女は彼女を天使と呼んだ(100)

「どういうことかね?多数決にて論は決した。これを君たちの総意として……」
「失礼ですが、教育委員会の皆様は、それで本当に解決するとお考えで、この提案をなされたのでしょうか?」
 扉閉じられる前に核心を口にする。
 すると、白髪老眼鏡氏は露骨に嫌悪感。
「何だって?」
「効果があると思えません」
「随分と失礼な物言いじゃないか」
 だから失礼だと言ったじゃないか。
 しかし、あんたも失礼だ。
「私たち年代の特有の心理、私たち世代の情報環境、それらを踏まえた有効な結論であるとは到底思えない」
 敬語を略す。これで言葉が強くなる。
 居並ぶ他校の委員達がざわつき始める。自分の言動は、傍目には、学校通り越して教育委員会に楯突く行為そのもの。
 すると老眼鏡氏は、鼻の上の老眼鏡を下方にずらし、上目遣いでじろりと理絵子を睨んで寄越した。
「無知だと言わんばかりに聞こえるが」
「そう言ってます」
 これもケンカだ。理絵子は思った。
 ざわつきが一瞬にして氷のような沈黙に変わる。それはもしかして、みんなの拒絶か。
 白髪老眼鏡氏は苦笑混じりに咳払いを一つ。
「ずいぶんと小馬鹿にされたもんだな」
「情報武装くらい中学生でも出来ます。それこそネットで幾らでも手に入りますから。不都合だから遮断できるってメディアじゃないですからね。良い子には良いものだけを。そんな操作ができる時代じゃないんですよ。対して頂戴したレジュメには『由々しき事態となっている。このままではインターネット接続そのものを校則で規制することになりかねない』と、まず書いてある。とてもネットの双方向性を背景にした資料とは思えませんし、それが議論の結論とまず決めてあるようにも読み取れる」
 理絵子はホワイトボードのカルトゥーシュをボールペンの先で指し示した。

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彼女は彼女を天使と呼んだ(99)

「本当に素敵だと思うのは、弱きに味方して強くすることだ。『弱きを助け強きをくじく』ってな。最近じゃ……」
 父親はプロ野球阪神球団を再生させた野球人の名を挙げ、
「その引き受けた理由のセリフが有名だけどな。オレが警察官を選んだ理由も要するに同じだ」
 父親は少し熱っぽくそう言った。
 それは男性原理の一つであろう。顕在化した英雄願望の一側面だ。だが、父の言葉に理絵子が真っ先に思い浮かべたのは、正義のヒーローではなく、自分のりぼんを髪にした遙かなる聖戦女。
 あの方は敗者を魂の戦士としてオーディンの元へ導く。逆に言うと、勝利者にオーディンの元へ参じる権利はない。
 その点で自分たち学級委員は一般に〝勝ち組〟と見られる。父親の言う通りアンナ・カレーニナの冒頭組だ。
 だったらば?
「あのさ……」
 理絵子は健太君に発呼した。

24

 ホワイトボードには、大文字がマルで囲まれカルトゥーシュ。
〝ケータイは 見ない書かない 持って行かない〟
 既に標語。
 アホか。
「えーでは、教育委員会からの提案を生徒諸君が了承したものとし、携帯電話やパソコンからのこうした掲示板の閲覧と書き込みを禁止し……」
 市教委から派遣の司会役、白髪老眼鏡の男性が言いかけたところで、理絵子は噤んでいた口を開いた。
「異議があります」
 挙手して返ってきたのは、白髪老眼鏡氏のきつい目線。

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【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【18】

 ゆたか君は屋根網の下から走り出して言いました。2本の木の幹の間に、大きな網がひとつ作られ、黄色と黒の縦縞模様の手のひらサイズ。
〈……あら妖精さん。え?人間?〉
「すっげぇ初めて見た。あ、お前成熟個体じゃん」
 ゆたか君はオオジョロウグモの懸念などお構いなしです。巣の表へ裏へ回ってクモの体を観察します。
〈その少年が糸を届ける〉
 コバルトブルーが言いました。
〈でも……〉
〈自ら名乗り出たのだ。地上の者達の推薦という。だったらお手並み拝見だ〉
〈判りました。では荷を作ります。幾つ運べますか?〉
〈少年。一つ持ってみよ。幾つなら持って行けそうだ〉
「待てよ……」
 ゆたか君が糸玉に手を伸ばします。
 どのくらいの重さなのでしょう。私にも手伝えれば……そう思って私が糸玉に近づいたその時。
〈あなたは触れてはならぬ。妖精の君〉
〈え……〉
 理由を言うからゆたか君に取り次ぐな。コバルトブルーはそう言ってこう伝えてきました。ひとつ、アラクネが織り上げたもの……トガとして完成したもののみ触れて良い。糸は布となって初めて天のものとなる。それまでは地のものであり、天の生き物である妖精が触れることは禁忌。
 そしてもうひとつ、この糸を運ぶ者には条件と権利がある。今の場合ゆたか君にしか許されていない。
 運んでいいのはゆたか君だけ。妖精は触ってはならない。
〈判りました〉
「3つだな」
 頷き、少し距離を取る私の横で、ゆたか君が糸玉を両手で抱えて言いました。
 距離を取ったのは、彼がポンポンと弄んでいるので、転がり落ちれば私が触ることになるから。
 オオジョロウグモが巣から降りてきて、糸玉に糸をかけ始めます。ゆたか君が背負えるように輪を作る由。
 その作業をギガノトアラクネが制しました。
〈3つ?軽いと思って甘く見ないほうがいい。閉ざされた道を開くだけだ。ひとつにしておけ〉
「平気だよ」
「私もそこで何が起こっているのか様子が判らない。イザという事態になっても私が手を出すことは出来ない。一回織り姫のところまで行き着くことが……」

つづく

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彼女は彼女を天使と呼んだ(98)

 明らかに矛盾である。だが、それが実態ではないのか。傷つきやすい世代が尚のこと傷つきやすくなった。対し情報は過多に過ぎる。傷つける針は見えないほど小さく、しかしその先端は細く鋭く尖って奥深くへ突き刺さり、量も多い。なのに、オトナの世代はその情報とは少し離れた距離にあり、更には目立つナイフばかりを気にして針の鋭さに気付かない。
 となると、極めて超高感度の心のラジオ、黒野理絵子。修験者の声を聞き、意図を解したのは物心ついてから。
 その前はどうしていたのか。
 母親に尋ねたら。
「お前の役目は泣いている子に力を与えることだ。泣いてる子を見つけたら、でも君はこんだけ凄いんだよって言ってあげなさいって。お前の力はそれを見つけるためのものだって。そう教えた。そうか、さすがに憶えてないか。幼稚園に入る時の話だからねぇ」
 それは、今でもしていること。つまりは以来の習い性か。
 無論、その動きを学校に展開するのは問題解決の一つの道だろう。でも『あの子の良いところを、みんなで一つ一つ紙に書いてください』……中学生のやることだろうか。それはむしろ今の自分のやり方で活かすべきであろう。自分じゃ見えない背中の翼を、オフライン(!)で教えるのだ。
 それよりこの時代有効なのは、多分、超然性。裏オンライン(!)で何書かれようと超然としていられる心のタフネス。すなわち自信……何言われようとオレはオレだ……を与える方法。これは結局、幼時体験の必要性を示唆する。
 しかし現代、その必要は確率の支配下にある。すると、幼時体験の無い心は、自分に自信を持ちたい時、英雄が猛獣を狩るように、誰かを傷付けて優位性を確認する。幼時に終わっているべき衝突がなされていないため、思春期にまずそこから出てくるのである。ただ、10年育ったなりの〝知恵〟が働き、その手段は巧妙となる。結果が裏であり、働く力学が勝ち負けだ。勝ちと断じた方に与して、誰かを負けにする。しかも露見しないように。
 〝いじめ〟の構図である。この際、露見を防ぐ知恵は、逆転しないスパイラルを形成する。そのスパイラルはゴルディオンの結び目そのものであり、解くより断ち切る剣が求められる。

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彼女は彼女を天使と呼んだ(97)

23

 要するに。
 本来、人間同士のコミュニケーションというのは、自我すらあやふやな幼い時代から始まる。それはエゴとエゴとの壮絶な正面衝突であって、傷付くとかそんなコト関係ないから、本音でモノを言い合う。力任せに弱点コンプレックスを容赦なく突きえぐる。結果傷付けられる。或いは、相手を傷付けたと親から激しく叱責される。
 そうした繰り返しから、次第にココロの距離の取り方やアプローチ、禁忌を覚えて行く。引き替えに、コドモ社会における自分の地位・着地点を発見すると共に、自分について〝他にないオンリーワン〟を見出すこととなり、それが自信と自己確立の礎となる。
 切磋琢磨というヤツだ。糸は切れて補修を繰り返すうちに太くなる。ケガを繰り返した身体の部位は皮膚が分厚くなる。ココロも同じ。
 対し現代はどうか。
 まず根本的に子供が少ない。いたとして、外で遊ぶより家でゲーム。否、外でもゲーム。
 或いは週に7日習い事とか。
 どっちにせよ、〝勝ち負け〟だけのコミュニケーション。
 なまじケンカにでもなろうものなら、〝勝ち負け〟付けるために取り返しの付かないレベルまで行ってしまったり、或いは一足飛びに親が介入し、逆に謝罪の一つもない。
 で、思春期を迎える。
 自己確立。それはオトナ社会の中で、自分の居場所を発見すること。
 ただ、幼児期の切磋琢磨と違うのは、自分の望みに制約が加わって葛藤を伴うこと。すなわち、認めて欲しいことと、実際の周囲の認識に、すべからくズレがあること。
 しかも、望みは一つではない。結果、十重二十重のトレードオフに悩み、苦しみ、努力と妥協を繰り返し、心の傷と傷跡を増やしながら、次第に落ちついて行く。振り返る立場の人はその過程を青春と呼ぶ。
 その過程の中で。
 傷付けられる、という事態に遭遇した時を考える。容易に判るのは、取っ組み合いを繰り返し、何度も引っかかれた面の皮と、白い柔肌では、反応が相当異なるということ。傷が生じる感度、出来る傷の深さ、そして傷の復旧速度。
 全てが異なる。
 そこで、このラジオは壊れやすいからと、毒電波を拾ってはならないと、毒電波がすぐ見つかるように感度を極端に上げた結果、遠くから入感した僅かな毒電波でその通り壊れてしまう。

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彼女は彼女を天使と呼んだ(96)

 すなわち彼女もまた自信がないのだ。だから自分から動かず、自分を出さず、〝確実な何か〟を待ち、その何かに〝やってもらう〟のだ。頼むフリで頼るのである。
 ある意味魔を召還し命じるのと同じである。ただ、そんな彼女を否定はしないし、間違いとも今は言わない。自分を少しでも有利に……動機はただそれだけだからだ。そして、自分に自信があれば、そんな心理は生じない。
 だから、今後も自分は、彼女にとってクラス委員であり続ける。