小説・恋の小話

携帯電話で読める「恋の小話」heart

みどりの駅の小さなみどりの

小さな駅で大きなお世話

いつかきっと

声が見えない

男三十路の魔法使い

気づきもしないで

四つ葉に託してclover
【希望】 【誠実】 【愛情】 【幸運】

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四つ葉に託して【幸運】

 折り返しの電車に乗ったら忘れ物。ハンドバッグ。くまちゃんのストラップが下がった女もの。
 誰か取りに来る気配無く。車掌に渡す人もなく。
「誰のものやら」
 仕方なく、ひとりごちて手にして降りる。駅の清算窓口に声を掛け、拾った場所の説明をしていると、息せき切って走りこんできた、あなた。
「すいません、さっき、ここで降りた電車に、バッグを忘れたんですけど…」
 濃紺のリクルートスーツ。髪は丸めて項の辺りのネットの中。
「くまのストラップが…」
「これ?」
「ああ、それです…よかった…」
 本当なら忘れた場所の心当たりと中身を聞いて本人の物か確認をするのだろうが。
 抱きしめてへたり込んでえぐえぐ泣き出して、他人のだ、でもあるまい。
「良かった…面接の…地図が入っていて…眠れなくて、寝過ごしそうになって…」
 小さなころから不運続き。ようやくのチャンスなのに過度の緊張。この期に及んでまたかと思った、
 と、あなたは言った。
 とはいえ、それこそこの期に及んで忘れ物では、どんな結果か推して知るべし。
「良かったら、コレ、おまじないにどうぞ」
 四つ葉のしおり。留学先のキャンパスで寝そべったら、顔のそばにあった物。
「四つ葉…のクローバーですよね。え、いいんですか?珍しい物…」
「持ってるオレがバッグを見つけた。今日のあなたが幸運の証。さぁ、行った行った」
「じゃぁ、はい。ありがとうございます」
 クローバーを携帯電話に挟み込み、慌てて飛び出すあなたを見送る。
 そして、一ヶ月が過ぎただろうか。
「あのう」
 改札を抜けたところで、女性がオレに声を掛けた。髪が長くてキュロットスカート。
「自分っすか?」
 良く見ると、手にはくまちゃんのバッグ。そして、見たことのある四つ葉のしおり。
 ああ、あなたか。
「おかげさまでこういう者になりました」
 頭を下げて名刺を出される。会社員の挨拶もすっかり板についたようで。
「おめでとう。四つ葉の真価発揮かな?」
「緊張してダメになりそうだったけど、今までと違う、四つ葉のお守りがあるって思ったら、フッと気が楽になりました」
「そうか、それは良かった。こっちも嬉しいよ。ああ、自分こういう者です。どうぞこれからも頑張って」
 同じく会社員の挨拶で去ろうとした自分に、あなたは。
「待って。あのう…お礼というか、とにかく嬉しかったので、お食事でも。だめ…ですか」
「へ?」
 サラリと去るのがカッコいいのだろうが、余程の気持ちじゃなければ、一期一会の馬の骨を待ったりはするまい。
 その謝意、ありがたく。
「判りました」
 応じて駅中のイタリアン。ピザとパスタを待ってる間に名刺を渡すと、何故かあなたは小悪魔の微笑。
「やっぱりね」
「え?」
「私こと覚えてる?」
 希望?、誠実?、はたまた愛情?
 そしてこの出会いは…
 幸運?

四つ葉に託して/終
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四つ葉に託して【愛情】

 意識していたわけじゃない。
 むしろオトコみたいなオンナで、友達感覚。
 お前は、二人残って卒論を作っていた研究室で、突然訊いてきた。
「ねぇ、四つ葉のクローバーって見つけたことある?」
 おかっぱの髪型。いつでも真剣さをたたえた大きな目。
「確率1万分の1じゃなかったか?」
「夢もロマンもカケラもないオトコだね」
「あるよ」
 そこで言ったら、お前のひそめていた眉は、驚きで弧を描いた。
「えっ…」
 自分から尋ねたくせに。
 でもすぐに笑顔になって。
「それで、何かいいことあった?」
「ねえよ」
 自分でも判るぶっきらぼう。フラッシュバックする二つのツメクサ。
 するとお前は、自分自身のことのように、しょげた表情を見せた。
「そう…」
 明るさが身上のお前にしては珍しくしおらしい。
「何?誰かにあげようっての?いいんじゃね?一般にラッキーアイテムだし。嫌いだってヤツはいないと思うよ」
「あんたも?」
「えっ…」
 今度は僕が口ごもる。
「…ツメクサに恨みはないよ。頼った、信じたオレがバカだっただけさ。オレはオレ、気にせずプレゼントすりゃいいって。テーブルの上でちょこんと4枚広げてるの可愛いもんだよ」
 オレはパソコン作業に戻った。
 背後にお前のコロンの香り。
「はい」
 差し出された小さな鉢植え。
 花咲いたツメクサ。葉っぱは四つ葉。
「私から、あなたへ」
 声と共に鉢が震える。視線を外した目元に涙が粒つく。
「これを。オレに?」
「心臓バクバクなんだからね。…花言葉知ってる?」
「私を…」
「言うな!すっごい恥ずかしいんだから!初めてだから、初めてだから、ストレートに言えないんだよ」
 まるで少女のように。
 オトコみたいなオンナで、友達感覚。
 意識していたわけじゃない。
 しかも。
「私…嫌い?」
「そうじゃない。ただオレ、卒業後留学するからさ」
「え…」
 受け取って消えることなんて出来なかった。手に触れることなく行き過ぎた、3枚目。

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四つ葉に託して【誠実】

 高校に入り、2枚目を見つけた時、彼女は隣の席のおっちょこちょい。
 数学が苦手。
 何度も間違えて消しゴムを使い、その消しゴムが手につかず床に転がる。
「あの、良かったら、説明、しようか?」
 見かねて言った僕の顔を、彼女は不思議そうに見つめた。
「女の子苦手なのかと思った。女子と喋ってるの見たことないから」
「そんなことないよ」
 苦手なんじゃない。ただ、ちょっと、怖い。
 だから、僕は、ゆっくりと丁寧に教えた。
「わかりやす~い」
 それからは、彼女の方から訊いてくるようになった。僕はその都度、難しい場合は放課後も使って、彼女に教えた。
 図書館で試験勉強。
「家庭教師状態だね」
 子どもっぽい、大きな瞳が、笑顔を悪戯に彩る。
 模擬テストは良い結果。
「でもおかげで自信がついたよ。勉強が面白いってこういうことかって。いっつも彼氏が『お前のアタマじゃ大学は無理』ってバカにするからさ」
「えっ…」
 僕は後ろ手のクローバーを握って隠す。用意していた葉っぱを手のひらに押し戻す。
 喉もとの言葉と共に、ぎゅっと握って。
「そりゃ、教えた甲斐があるってもんだよ。受験、頑張りな」
「うん。じゃぁね」
 しわくちゃになってしまった、2枚目のクローバー。

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四つ葉に託して【希望】

 一枚一枚に意味があると教えてくれたのは、あの日の君。
 転校してきて、友達もなく何も知らない僕に、色々と優しくしてくれた。
「オレ、そんなの信じないよ」
「まぁね、男の子はね…」
 突如走り出した君。春の公園で制服のスカートと長い髪が揺れて。
 ツメクサの原っぱにスカートがふわりと舞い降りる。
「見つけた」
 君が手にして僕に見せた。
 それが僕の初めての四つ葉。
「あげる」
「えっ?」
「好きな女の子ができたらあげるといいよ。花言葉は〝私を想って〟」
 四つ葉のクローバーは幸運の証。
 そのせいか。
 君のおかげで僕は溶け込み。
 君の味方で僕は孤立から救われた。
 ただ、君は味方の理由を言わなかった。
 僕もしつこく訊く気にはなれなかった。
 なぜなら、君という好きな女の子ができたから。
 訊いて、壊れるのが怖かったから。
 だから、最後の桜の木の下で、僕はようやく君を呼び止めた。
 取り出したあの日の四つ葉。
 3年前を封じた、押し花のしおり。
 望みを託して。
「ごめんなさい。家が近いからって頼まれてさ。勘違いさせるつもりは無かったんだけど」
 桜吹雪にまぎれて散った、僕の最初のクローバー。

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気付きもしないで【目次】

あらすじ

古びて荒んだ駅の片隅に鉢植えの花。
ちょくちょく変えられていることに気付いたオレ。
そこは、無人になった駅で、ただ一カ所、「生きていた」場所。
その花がしおれているのに気付いた朝。
オレは、足を止めた。

【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】【9】【10】【11】【12】
【13】【14】【15】【16】【17】【18】【19】【20】【21】【22】【23・完結】

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気付きもしないで【23・完結】

 花に思いを込めたなら、花に言わせるのがセオリー。何も言わない雄弁。
「みんなありがとう。よろしくお願いします」
 古淵さんは言い、白い頬を薄紅に染めて、そっと頭を下げた。
 オレ達はもう一度拍手。拍手に混じって野太いヒソヒソ。
「っげーかわいいじゃん」
 何を今更、彼女の可愛らしさに気付かなかったのは、オマエラの損。
 でもオレの実力の前に、そう、花たちの縁。
「では姫、お手をどうぞ」
 オレは繊手に向かい手を伸ばした。この瞬間を花たちに感謝して。
 彼女が手を載せた。女の子の手は、女の子の肌は、肌理が細かい。
 ああだから「肌」の「理」か。
 彼女がオレの手を握る。
 握られた手から身体へ向かって何か矢が走る。
 背筋がゾクゾクする。
 同時に、息苦しくて、息苦しいその部分が熱い。
「あ、タイキ!ズルいぞテメェ!」
 すかさず野太い声。
 オレはその時「演出」と返すつもりだったが、
「役得!」
 突いた言葉はそれだった。
 すると、雪乃ちゃんは、薄紅の頬に笑みを浮かべ、オレの方を見て。
「喋っちゃったの?私たちのこと」
 オレはその意味に気付かなかった。
「えっ?」
「じゃぁ、隠すことないね」
 彼女は立ち止まると、学生カバンから花を一輪。
「グラジオラス?」
「ううん、イキシア。槍水仙。ありがとうタイキ君。あなたのおかげ」
 槍水仙。花に黙って語らせるならば。槍水仙、槍水仙の花言葉は?
「タイキ……」
 聞いたことのない成瀬の声が後ろから聞こえたのはその時。
「え?」
 オレは多分、ヘラヘラにやにやしながら振り返ったに相違ない。
 気が付く。成瀬の目に涙一杯。
「どうした?あ、オレ運賃返してねーじゃん」
「幸せにね」
 成瀬は言うと、仲間達の間をすり抜けて走り出した。
 突然泣き出して何事か。オレが唖然としていると。
「町田君」
 矢部。同じく涙目。
「何だよ」
「成瀬さんはね……」
 気付きもしないで。


気付きもしないで/終

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気付きもしないで【22】

「町田君の悪口だけは言わなかったからね。ショックなんでしょ」
 どこからかそんな声。
「わかったよ」
 オレはまず言った。
 矢部が真っ赤な目でオレを見る。
 とっちめてもいいのだが、それで女の子一人村八分になったとしたら。
 オレの脳裏で雪乃ちゃんの笑顔が曇る。
「矢部一人に責任おっかぶせるのは簡単だけどさ」
 オレはいつの間にか来ていて事態を見ていた、この2クラスの担任も含めて言った。
「言われるままに根も葉もないこと信じて、ウワサにしてたオレら全員にそれなりの責任があんじゃね?」

 月曜日。
 1輛こっきりのディーゼル列車がプラットホームへと入ってくる。
 窓際の彼女は、こちらに目をやり立ち上がろうとし、
 その目が、真ん丸に見開かれるのが、手に取るように見えた。
 列車のドアが開いた。
「いえーい!」
 オレ達は一斉に声を上げて拍手で迎えた。
 驚き見回す彼女。それは作戦が成功したという証明。彼女が見ているのは本校の2クラス全員の姿と、
 飾れるだけ飾った、鉢植えの花。
「あ、あの……」
「待ってたよ」
オレと成瀬は進み出て言った。
「これ……」
「花いっぱいで迎えましょう作戦。改めまして本校へようこそ。これが用意した最後の一鉢」
 オレは言い、後ろ手に持っていた鉢植えを彼女に渡した。
「ランタナ」
 彼女は言い当て、そっと笑った。
 ランタナ。花の姿と付き方はアジサイに似て。ただ咲く花は色とりどり。図鑑によればピンクからオレンジから、一つの茎からいろんな花が出てくる。そのためだろう、和名を〝七変化〟。ちなみに、オレから彼女に手渡したのは、ピンクと、黄色と、オレンジ。
「合意・協力」
 古淵さんは言い。
「確かな計画性」
 成瀬が付け加える。二人が言ったのは、当然、ランタナの花言葉。

次回・最終回

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気づきもしないで【21】

「そうだよ。まず役に立ちたいってね。で、オレが彼女に言って聞かせたことは間違ってるかい?」
 オレは一同に尋ね。矢部の前に顔を突き出した。
「勝手に盗み聞きして勝手に決めつけてそればらまいて。お喋り詮索ウワサ好きってのは元々好きじゃなかったけどな。こうなると大っ嫌いだぜ。お前と、お前のばーちゃん。ぶん殴っていいか?」
 矢部は泣き出した。ちなみに、盗み聞きばーちゃんは、若林のおじさんの言った、ヨメさんがお喋りのウワサ好き、当人であると考えて間違いないらしい。
「だって……」
 矢部は何か言いたげのようだが堰切る涙が邪魔をする。
 廊下の方が騒がしい。
 覗いているのはオレのクラスの輩ども。
「おーい、タイキが矢部を泣かせてるぞ!」
 人聞きの悪い。
「タイキ」
 真面目な顔で俺を呼ぶ成瀬。
 その背後に女子3人いてオイデオイデ。
 矢部の傍らに向かう成瀬と入れ違いに、彼女らの方へ行ったら。
「庇わなくていいからね」
 クールに一言。……泣かせておけってことだろうか。
「は?」
「悪口ばかり言うから。彼女。いいきみだよ」
「いっつもこっちのクラスにいるでしょ?そっちで嫌われてるから」
 その言い様は悪し様。恐らく本人にも聞こえているだろう。
 だが、廊下からも、オレのクラスの方からも、矢部を庇う反応はない。
 ……ザマミロの意か。
「それって公然の話?」
「案外みんな言ってるよ?知らなかった?」
「気付かなかった」
 オレはため息付いて矢部を見た。
 成瀬は見守るだけで慰めるとか手を出したりしない。
 女同士のドロドロが結構根深いとか聞いたことはある。しかし正直な話オンナ同士の関係に思いをいたし気を揉む男っていないわけで。
「ごめんなさい……ごめんなさい……私……私……」
 しゃくり上げて声にならない。
 孤立無援で泣きじゃくる女の子。
 ぶすっ子じゃないんだが。イヤむしろウチのクラスでコイツと一番喋っていたのオレと違うか?
 そんな状況、気付かなかったから。

つづく

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気付きもしないで【20】

「私は……矢部さんから」
 女子のひとりが〝一点〟の名を口にした。
 お喋り女矢部。
 でもオレはトサカに来るより疑問の方が先に立った。オレにせよ、成瀬にせよ、このオンナには一言もナニも言ってない。
 果たして当人。
「わ、私は……」
「彼女、その地区におばあちゃんがいるって言うからてっきり」
 教室中がざわつき始める。オレをぶら下げているやんちゃ大男も、オレをぶら下げたまま事態の推移を見ている。
「下ろせよ。根も葉もない話に踊らされてんじゃねーよ」
 オレはドサッと落とされた。
「矢部さん」
 成瀬が怖い。でも、矢部はオレのクラスの女。
 オレは成瀬を制して。
「おばあちゃんか誰だか知らないが、聞いたこと洗いざらい話してもらおうか。確かにオレ達古淵さんトコ行ってるよ。打ち解けてくれて、来週から通いたいって言ってるよ。なのにそれをぶち壊したい理由は何だ?」
「だって……」
 矢部は目を真っ赤にして小さく一言。そして鼻をすすって続けて。
「だって……あの子が……本校を怖がってるって……おばあちゃんから」
「いきなり見知らぬ所放り込まれるのは抵抗があるって言った。確かにね。でもそれは誰にでも多かれ少なかれ有ること。違うか。で?他におばあちゃんソースは何と?」
「声が聞こえて……町田君達の……『町田君達と喋るなら楽しい』って」
「彼女はオレ達の漫才面白がってただけだが。初対面に笑いでツカミ取っちゃいけないか?」
「本校の子は誰も手を出さないって……」
「駅の花に誰もイタズラしようとしないって話だな。彼女は彼女に関わるウワサを知っていた。だからオレ達は、それは誰かのゲスの勘ぐりで、本当はそんなこと思ってる奴は一人もいないと教えた。その証拠に彼女が交換している花を誰も触ろうとしないだろって聞かせた。それで彼女は本校の連中に対して安心したと言ってくれたわけだが」
「え?あの花って分校のその子が……」
 聞いてた女子の誰かが言った。

つづく

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気付きもしないで【19】

 まぁ、この事態の背景が何かは、想像がつく。
 遠巻きの目線。避けるというか、攻撃的というか。
 ウワサであり、ウワサに基づく誤解であり。
 ちょっと待て。
 気がつく。オレがこうなら成瀬は。
「え?何であたしが?」
 壁の向こうから聞こえてくる、彼女の怒鳴る声と、
 早口で、責めるような、トゲのある女子達の声。
 危険を察知してオレは教室を飛び出す。
「あっ!町田!逃げんのか!」
「待てテメー」
 待つ気があるなら動かねーよ。
 廊下を走り、成瀬の教室。
「大丈夫か!」
 飛び込むと、成瀬と向かい合い、厳しい顔つきの女子が何名か。
 一斉にオレを見る男子の顔女子の顔。
 冷たいことは自分のクラスと同じ。
 その自分のクラスから追いかけてきた足音が背後で止まる。
「あ、タイキ」
 振り返った成瀬の顔は、幼い頃一度だけ見たことがあった。
 公園に野犬が入ってきた時、オレを振り向いた顔だ。
「あんた成瀬の向かいの」
 言ったのはお喋り女の矢部。
 待て何だその言い方。わざわざ改めて口に出さなくても知ってるクセに。
 アニメの説明キャラじゃあるまいし。何かの当てつけか?
「だから何だよ……こいつ何かしたのか?」
 オレが訊くと答えは別の方向の男から。
「オメエラ分校の奴に無視すりゃいいとか言ってんじゃねぇぞ!」
「はぁ?」
 どこからそんな話が。
「とぼけんじゃねぇよ」
 とぼけるもナニも、ナニもしてないから言い返すネタがないだけ。
「悪い。マジで全っ然わっかんねんだけど。成瀬とオレってナニしたことになってんの?」
「ざけてんのか?」
 オレはそのクラスで一番やんちゃな大男に襟首掴まれ吊り上げられた。
「表へ出る話だったら成瀬は抜きで頼むぜ」
「待って」
 救いの女神は成瀬。
「待って。カッコ付けるような事じゃない。確かに私たち、先生に頼まれて古淵さんの所に行ってる。でも、そこでどんな話をしてるか、誰にも話していないし、私たちに尋ねてきた人も誰もいない。教えて。みんなは誰から何を聞いたの?」
 成瀬の声は教室に響き、張り詰めた雰囲気を変え、生徒達は皆互いの顔を見合わせ。
 その作業の後、みんなの目線は、教室の一点に収斂した。

つづく

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気付きもしないで【18】

「大樹君は義理なの?」
 一瞬ドキッ……と書きたいがリアル義理じゃないのでそんなことはない。ってか、義理の方を忘れてた。
「義理はこれ。数学のプリント預かって来たの忘れてた」
 それは一学期のおさらいテストみたいなヤツで、先生にパソから出してもらった。
 取り出して見せたら。
「ゲッ」
 両手を挙げて眉根を潜める有様は、まるで時代劇のお姫様が唐突にスイーツ言い出したような唐突ぶり(なんだこの二重表現)。
 オレは当然驚いた、が、同時に嬉しくも思った。そういうおどけた身振りは〝素のまま〟じゃないと出てこないからだ。
 安心してくれている。オレはそう思い、フッと笑って、
「そんなキャラ?」
「うん」
「なんかスズランとか月見草みたいなイメージがあったから……」
「お上手。名前のせいでしょ。花で言えば……どれっていうとスミレかな。パンッて弾けるけど貧血で真っ青になって倒れたり……」
 彼女はどうも他人をノセるのが上手なようだ。オレはこのようなペースで彼女にそれこそ月見草が花咲く頃までお喋りに巻き込まれ。
 プリントをすっかり忘れた。
 そのかわり、『来週から本校に通いたい』という彼女の言葉をもらってきた。
 そして翌日。
 登校時間を使って成瀬と情報交換。キャラ弾けて喋り倒したと言ったら、羨ましいと返ってきた。
「でもそれ、タイキのこと『よそ行き顔』で見てないって事だよね。彼女、心開いてくれたわけだ」
「ああ、まぁな」
 オレはこの時成瀬の顔をこれっぱかしも見なかったと思う。
 頭の中は彼女のことばかり。その笑顔、その声、その仕草。
 夢中になったのだ。
 だから。
「おまえらおはよー」
 成瀬と別れ、妙にハイテンションで自分の教室に入り、自分の席にカバンをぶら下げて、教科書を机に押し込み、ひょっと顔を見上げるまで、クラス中の特殊な目線に気付かなかった。
 右を見る。目を逸らす。
 左を見る。目を逸らす。
 みんな黙り込み、オレの周囲だけ空気が冷たい。

つづく

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気付きもしないで【17】

 出任せとかではなく、素直に同意の表明。
「え?」
「誰も知らないし、自分を知る人もいない。ただでさえ、知らない世界に飛び込むのは勇気が要ることだからね。男が一人で花屋に入るみたいにね。しかもオレは自分でそう決めたのにそうだった。雪乃ちゃんの場合、自分で選んだんじゃなくて仕向けられたんだ。もっと勇気が要るし、怖いと感じて当然だと思う」
 廊下にお茶を持ったお母さん。
「周りに同年代の子がいないでしょ」
 出されたお抹茶。
「それにホラ、世間様ではネットいじめとか……そこへご存じのウワサが」
「ああ、聞きました。少なくともオレや成瀬はアホかオマエラ状態です。ただ、触れて回るとかえってムキになって火消しと思われて……だから、学校ではまだ蔓延してます。すいません」
「あら」
「そんな」
 母娘から同時に声。
「お気遣い嬉しいです。ありがとうございます」
「いえそんな……自分こそ友達らしいコトしてあげられなくて」
 オレはギョッとする羽目になった。
 雪乃ちゃんの目に輝くもの。
 えーこういう場合何言えばいいんだ?
 ……成瀬がこーなるのは大抵、ケンカしてオレが手を上げた時で、20分ほどするとオレがオカンにひっぱたかれて目が輝く羽目になって。
「小さい頃が嘘みたい」
 雪乃ちゃんは言った。
「男の子は……違うのかなぁ。『お友達になって』『うんいいよ』とかさ。すごく簡単なことだったのに。こんなに苦労かけて」
 その言葉に、オレはある可能性の存在に思い至った。
「先生にそう言われた?」
 自分で仲良くなれ。そりゃ、受け入れてもらう努力ってのも必要なのかも知れないが。
「見知らぬところに放り込まれて仲良くしなさい。その、『お友達になってね』ってうんいいよって返ってくるのは小学校低学年まででしょ。オレらは大丈夫かなぁってまず心配になる。親やセンセにはひとくくりに〝コドモ〟なのかも知れないけどさ。同じコドモでもつぶらな瞳とニキビでブツブツはチト違うって。多分、成瀬もその辺判ってて、オレ引っ張り込んだんだと思うし」
 成瀬は義理で雪乃ちゃんに会いに来たわけではない。一応フォロー。

つづく

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気付きもしないで【16】

 靴を脱いで上がり込む。成瀬ん家じゃない女の子の部屋。
 歩いているのに地が足に着いていないこの感じ。
「座って座って、あのね」
 成瀬以外の女子がオレを笑顔で迎えてくれる。
 オレは言われるまま部屋に入ってカーペットの上に腰を下ろす。
「楽にしてよ。お友達なんだし」
「あ、じゃぁ」
 あぐらを掻く。〝相手の家で屁をすりゃ親友〟ってのがオレ達の地区で伝えられているが(なんだそりゃby作者)、これはもちろん、そういうんじゃない。
 友情を越えた、親友とは違う、この何かは。
「あのね、来週から学校行こうかなと思うんだ」
 雪乃ちゃんはベッドに腰掛け、足をぶらぶらさせながら、笑顔で言った。
 その意味の重要さに気付き、オレの頭は浮かれ気分から強制着陸。
「あ、そう。そうなんだ。それは良かった。成瀬には?」
「まだ。大樹君に先にと思って」
 オレは、言葉に撃ち殺された。
 この胸の詰まりや浮ついた感じ、何より、彼女の声を喜んで聞いてる理由が何か、自分で答えが出たからだ。
 オレは彼女が好きなんだ。
 あの、可愛いと思った昨日あの瞬間、オレはフォーリンラヴしたのだ。
「成瀬さんもありがとうと思うけど、大樹君は本当にお友達になってくれたと思うし」
 雪乃ちゃんは言い、駅の花を気に掛けていたのが嬉しかったと言った。
「花好きな男の子に悪い人はいないって母さんも言ったし」
 そ、そうかいな。
 逆に言えば雪乃ちゃんはそういう感性であって、例のヘンなウワサは根も葉もない、なのは言うまでもないだろう。
 実際彼女から聞いたのは、それまでたった一人の生徒であり、対していきなり大人数の学校に通う不安があった。あと、小さい頃、人込みに出た時、過換気症候群の発作が出たことがあった。その辺で医師の薦めもあって先延ばし。ただ、その半年は週に一日、様子見がてら本校に通っていたとのこと。
「この地区、こういう場所でしょ。みんな雪乃ちゃん雪乃ちゃん可愛がってくれるからさ。でも変だよね。人が多くなるのに逆に心細くなるって」
「変じゃないでしょ」
 オレは思わず言った。

つづく

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気付きもしないで【15】

 古淵雪乃ちゃんと仲良くなった。
 この結果を成瀬は学校に報告した。今回の訪問が学校の依頼による〝任務〟なのは事実だからだ。
 すると、学校は雪乃ちゃんの復帰準備委員をオレ達に任命して寄越した。コミュニケーションの充実と、ブランク期間の勉強をバックアップしろ。
 別に構わねーよ。てか。
 これで大手を振って〝遊び〟に行ける。天下御免のライセンス。
 そして放課後。
「今日はひとりけぇ。ボーイフレンド」
 オレの影が横切って気付いたか、若林のおじさんは草むしりを中断して、田んぼから顔を上げた。
 またおいで。……昨日確かにおじさんは言った。
 言った通りになったのだとオレは気付かされた。
 実は予言者か。
「はぁ、まぁ」
「女の子の仲立ちはもういらんのけ?」
「て、てゆーか、あのオンナ数学苦手だし。だったら、オレ一人で充分かなって」
「ひっひっひ。そうけぇそうけぇ、そら引き留めて悪かったよ。行って行って。いいってコトよ。行ってやって。行きてえんだろ?言わないよ。言えねぇよ」
 おじさんは〝津軽海峡冬景色〟を口ずさみながら草むしりに戻った。
 その歌詞を含め、何か意図の介在を感じるがまぁいい。オレは彼女に数学のカテキョ(家庭教師)に来たに過ぎない。
 着いたらお母さんが玄関で打ち水。
「雪乃。大樹君よ」
 かしこまった挨拶も抜き。
「ど、どうも」
 軽やかな足音が走ってきて、サンダルをつっかけて。
「こんにちは」
 白昼の満月が引き戸の影から顔を出し、オレに向かって微笑んだ。
 ポニーテールで、首が細いから、なおさら満月。
 何だろ、息苦しい。
「その、成瀬から……」
「聞いてる。ありがと、入って」
 違う、胸が詰まるってやつ。
 オレを待ってる女の子がいてくれるという現実。
 そしてそう、オレは彼女に会いに来た。
 会いたくてここに来た。
 確かに数学の家庭教師も否定しない。でもメインは彼女に会うこと。
 主客転倒?いいや。
 最初からこうだったんだ。

つづく

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気づきもしないで【14】

「お待たせしました」
 泡だらけの緑色。新種のエスプレッソ……じゃない。
「わぁお抹茶だ」
 成瀬がゴツゴツした茶碗を手にして言った。抹茶……オレの脳みそに記録されているのは、苦いってのとアイスクリーム。確か作法があって決まり文句があって……
「け、結構なお点前で」
 オレが言ったら、女性陣が揃って大笑い。
「それ素?ギャグ?念のため聞くけど〝ごちそうさまでした〟って意味だよ。判ってるよね」
 成瀬が言った。そのセリフはオレの頭を銃弾のように撃ち抜いた。耳まで真っ赤とはこのことか。
 成瀬の顔は笑いすぎたか垂れ目になっており、目尻には涙の玉まで浮かべている。
 てめー涙が出るほど可笑しいか。思ったが、彼女なりのフォローだとも思った。
 それならば。
「お前オレのことナメてるだろ。オレほどになるとな、見れば判るんだよ」
「何が?銘柄?」
「馬鹿者。茶は心だ。お母様の温かい心遣いがひしひしと伝わって来る」
 すると……これは援護射撃なのか?
「氷で冷やして持ってきたんですが」
 お母さん。
 お母さん。それ、わびさびならぬわさび効き過ぎ。
「すいませんボクが嘘つきでした」
「あはははははっ!」
 枕抱えて笑い転げたのは雪乃ちゃん。
「男の子って……もっと女の子の前ではええかっこしいだと思ってた」
 それこそ目尻の涙玉を指でこすってオレを見る。
 オレはそんな彼女の瞳を見返す。
 これは、何かの、始まり?
「雪乃と遊んでやってくれますか?」
 お母さんの問いに。
「はい」
 オレは何のてらいもなくスッと答えた。

つづく

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気づきもしないで【13】

「それ私に対する当てつけ?」
「女の子の家に男の子一人は心細かろうとか、有り難くも助言したのはどこの誰だよ」
 勝った。
 そこへお母さん。
「今日は雪乃のためにわざわざどうも。はい、これ、町田さんがお持ち下さったグラジオラスよ」
 釣り竿ケースから茎をむしられてミネラルウオーターじゃぶ付けにされるところ、救われて師範代に花瓶に移され女の子の机の上へ。
 お前、幸せな花だなぁ。
「あ、白いヤツ大好き。どうもありがとう」
 雪乃ちゃんはニコッと笑った。
「いえ、たいしたことじゃ」
 照れるぜ。
「飲み物は冷たい方がいいかしらね。アイスクリームもお出しできますが……」
「いえお構いなく」
 この受け答えは成瀬。オレには出来ない芸当。
「お茶を用意しますね。座ってらして。雪乃。何か当てるのを出して差し上げて」
「恐れ入ります」
 なんでこういうセリフがスッと出てくるんだろうこいつ。
 雪乃ちゃんはベッドの下から座布団を出してオレ達に勧めた。
「お二人はお友達なの?」
 成瀬の所作を見よう見まねでオレも正座。
「朝学校に行こうとドアを開けると、コイツの顔が向かいの家のドアから出てくる」
「お互い様」
「じゃぁ、幼なじみ?」
「自分の意志で選ぶことの出来ない友達とも言う」
「ウチの大樹と遊んであげてねって」
 オレ達のやりとりに彼女はころころ笑った。
 いや半分マジなんだが、彼女が笑ったのなら、この場は恐らくそれでいいんだろう、と思った。
 ウワサに心痛めて出てこられなくなった……この笑顔見る限り、そんな印象は受けない。しかし、それは束の間の認識。
「わざわざ、ありがとね」
 彼女はオレ達から目線を外し、外を見て言った。
「男が女の子の家に合法的に来るチャンスってのはそうそう無くてね」
 オレは言った。
 成瀬がオレを誘ったその意図、買った。
「え……」
 彼女はハッとしたような丸い目でオレを振り向いた。夕暮れ間近い残暑の陽光と、髪を揺らす風。
 背後でノック。お母さんだ。

つづく

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気づきもしないで【12】

「あははは……」
 背後から聞こえてきたのは転がるような軽やかな笑い声。
「面白いひと……」
 オレに対するその言葉が聞こえたその時、何かがオレの中で「ころん」と音を立てた。
 背後にスススー。
「あら雪乃ったらお友達立たせたままで。……あの、どうぞ、あら町田さんどうして後ろを?」
「恥ずかしがってます。浴衣姿の雪乃ちゃんが可愛いって」
「ば、バカお前……」
 思わず振り返って成瀬にツッコミの一つでも。……って、否定したら可愛くないって意味じゃないか。
「正直、可愛いです」
 オレは直立不動で彼女に言った。全身が熱くて頭がボーッとする。多分、耳まで真っ赤ってヤツなんだろう。
「ありがとう。入ってください。別にうつすような病気してるわけじゃないんで」
 彼女はカーディガンを羽織り、そうやってオレ達を招き入れた。
 お母さんの手には花瓶。
 〝一息付いた〟そんな顔で生き生きと花開くグラジオラス。同じ花でこうも変わるモノか。
「散らかってますけど」
 確かに転入生紹介で聞いたあの声だ。ただ、その時よりずっと弾んで聞こえる。
 ころころ……ころころ……。
 ドアを開けると不思議な空間。ひとくくりに〝古民家〟と呼ばれる系統の古い日本家屋なんだと思う。大黒柱に太い梁を骨格として組み立てられている。
 そんな太い梁がドーンと一本、頭の上を横切り。
 でも中は水色が主体のポップな空間。勉強机に本棚に、ぬいぐるみに大切な本や写真。窓際にベッドがあって、彼女はそこに腰掛けた。
 和洋折衷というか、時間すらも交錯した〝接点〟。
「女の子の部屋だよなぁ」
 オレの素直な感想。

つづく

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気づきもしないで【11】

 オレは手の中のグラジオラスをじっと見つめた。そんな家の子にこんな花。
 成瀬の声が途切れた。
「町田……さん?」
 お母様がオレを呼んだ。
「は?はい」
「そちら、長い時間持ってられました?」
 グラジオラスのこと。
 炎天下持ったままうろついたせいか、少しぐったり。
「ちょっと拝借。まぁ、お上がり下さい。雪乃は部屋にいます。どうぞ。雪乃ぉー。お友達がお見舞いに来てくれましたよ」
 お母さんは振り返りながら言い、がちゃ、とドアが開いて、ツインテール……いや、おさげ髪と書くべきだろうか、白い浴衣の女の子。
 屋内の薄暗さも手伝っただろうか、透き通るような白い肌の女の子。
 小柄で、驚いて真ん丸になった瞳の幼さ。
 ぽけー……オレの行動を端的に書くとこうなる。
 目が離せない。彼女を上から下まで全部見つめてしまう。古淵雪乃……ちゃん。
 かわいい。
「えっ?あの……その……」
 果たして雪乃ちゃんはオレを見返しつつ、慌てて浴衣の前を合わせつつ。
 彼女のその仕草は、オレという〝男〟が来るとは知らなかったことを意味した。
 てゆーか浴衣の下下したシタ下って下着だろ。
 回れ右。
「突然ごめん。オレ隣のクラスの町田と言います。駅の花が枯れかけてるのを見てそれが古淵さんだってコイツから聞かされてそれで……」
 何だこのセリフ。まるで成瀬のシナリオみたいじゃないか。
「ぐ、グラジオラスにグラジオラスじゃ芸がないけど、と、とりあえず同じなら少なくともキライじゃないだろうって」
 後ろを向いて、直立不動でそう言うオレの視界を、おばあちゃんが一人横切って行く。
「あれこんにちは」
 おばあちゃんオレ見てニッコリ。古淵さんちの家の中から外へ向かって選手宣誓みたいな学生一名。
「はい、こんにちは、です」
 オレは言い、激しいバカをしていることに気付いてそのまま引き戸を閉めた。

つづく

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気づきもしないで【10】

 そこで犬に吠えられて話が続かない。怖くはないがやかましくて近所迷惑。オレ達は走って犬の庭先を過ぎ、その先の古風な家の玄関先に立った。
 手入れされた垣根に囲まれ、引き戸の前には打ち水がしてあり盛り塩。表札は御影石。
「立派そうな。なんか緊張するな」
 オレが言うと。
「だからあらぬ誤解を招いたのかもね」
 成瀬は言い、引き戸を開いた。呼び鈴もないのでこうやって「ごめんください」。
 下駄箱の上に生け花。
「うわすごい。それでか……」
 成瀬が目を剥くがオレには何が何だか。
「何が?」
「この花だよ」
「いらっしゃいまし」
 奥から上品そうな女性の声がして、着物姿が廊下をスススー。
「ああ、若林さんからお話があった成瀬さんね。雪乃がいつもお世話になっております」
 ということはお母さんか。
 どこか出かける直前……病気の娘を置いてそれはあるまい。
 てぇことはこの時代に母親が家で着物を着ている?
「そちら……ウワサの雪乃のボーイフレンドさんとか」
「ち、ちが」
「隣のクラスなんですけどね。是非お見舞いにと。雪乃ちゃんが代えてた駅の花を気にしてて」
 とりあえず自己紹介。
「町田大樹……です。今日はこいつの付きあ……でっ!」
 頓狂な声の理由。成瀬がオレの足を踏んだ。
「私に一人じゃ照れくさいから付き合えってうるさくて。まぁ女の子の家に男の子一人じゃ心細かろうとエスコートして参りました。幼なじみのよしみと言うことで。しかしこのお花すごいですね。思い出したんですが古淵さんって……」
 マシンガントークから聞き取れたのは「師範代」というコトバ。
 華道の先生。だからいつも着物。

つづく

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気づきもしないで【9】

 真っ白な最新型音楽携帯電話。タッチパネルでいじるヤツ。発売直後、都会の店に行列が出来てニュースになった。
「すっげー」
 オレは思わず言った。使ってるヒトを初めて見た。
 すると男性は隙っ歯だらけの口で笑って
「カッチョエエだろ。これ鳴らしながら仕事するとはかどるんだわ」
 若手演歌歌手のファンとか。mp3でダウンロードして突っ込んでる。
 ナントカ節mp3。
 演歌って〝昭和くさい〟んだけど、この辺り21世紀なんだろうなぁ。
 男性の華麗な指さばきで一発接続。
「……ああ、さくらさんかい?若林だがね。お宅の雪乃ちゃん。……え?ああ、それでかね。本校からボーイフレンドさんがお見舞いに」
「ちょ、ちょっとおじさん!」
「いない?女の子さんも一緒だがよ」
「成瀬、と言います」
「成瀬さん……そうらかね。案内……え?いいよ。オレが連れてっちゃるって。オレの田んぼの門とこだし。あい、あい、判った」
 男性は携帯をランニングの下に戻した。
「べ、別に付き合ってるわけじゃないっす。成り行き上ここにいるだけで」
 オレは早速言った。
「んじゃその花は何だべや?まぁええ。この後ろの軽トラの向こうの角を右曲がって3軒目だ。庭に犬がいてワンワン吠える。そのもう一軒向こうだ。どっちも古淵だから間違うでねーぞ。犬がいる方はヨメさんがお喋りのウワサ好きでな。彼氏が来たとかあること無いこと言うでな。飼い主に似るとはよく言ったもんだて」
 男性は肩越しに背後の軽トラックを指さして言った。〝あることないこと〟がやや引っかかるが。
「判りました。ありがとうございました」
「ええってことよ。またおいで」
 〝また来る〟ことがあるのかどうか知らないが、オレ達は言われた通り軽トラの向こうを曲がった。
「オレが花を知られたくない理由が判ったか?」
「全っ然」

つづく

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気づきもしないで【8】

 運賃を借金して改札から出る。アスファルトのひび割れた細い道が延び、国道の向こうは田んぼ、その向こうは里山。
「えーと……」
 成瀬はネット地図のプリントアウトを開いた。
 地図上の赤い十字が目的地……。
 なの、だろうが。
 地図はえらく大ざっぱで、この駅前から国道へ続く道すら載っていない。
「あれ?どうやって行くんだろ」
 しかも南北逆さまに見てるし。
 オンナだねぇ。
「お前何でこんなデカイ縮尺で出すんだよ」
「だって駅から家まで全部入るようにしたら……」
「でかすぎると細い道出てこないんだぜ?……貸せよ」
 こうなったら〝その方向〟へ行くしかない。線路と国道を基準に地図の向きを回し、赤十字の方へ近づく道を探して国道を南東へ。
「ちなみに1キロあるから」
「キロ!?」
 頓狂な声は考え違いの裏返しだろう。
 オレは成瀬に地図を見せ、スケールと長さの説明。指の長さでこれだけ分は……。
「あ、本当だ……」
「しかも直線距離で、だかんな。曲がって曲がってだと三平方の定理になる」
「数学キライ」
「お前みたいなのが詐欺に遭うんだよ」
「それ幼なじみに言うセリフ?」
 よく言う。
 ともあれ、喋りながら歩くのは、1キロの距離感を余り感じさせなかったようだ。
「お喋り娘もたまにはいいことあるな」
「何それ」
「男の秘密」
 地図中の水の流れが用水路だと思うんだが。そこから先の道が描いてない。
 途中水門の所に男性がいたので道を尋ねる。ランニングシャツに日焼けした肩腕。首には手ぬぐい。足下には刈り取ったらしい雑草が山積み。田んぼの手入れだろう。
「すいません。この辺りに古淵さんってお宅は」
 オレが尋ねると。
「古淵ならいっぱいあるが?どこの古淵だい?お前さん達見かけない子だな。ここらでお前さん達と同じなのは雪乃(ゆきの)ちゃんくらいだからな」
「あ、その雪乃ちゃんのお見舞いです。本校から来ました」
 成瀬が言った。
「そうけぇ。お前さん達本校地区の子かえ。ちょっと待てな。案内するで」
 男性はそう言うと、ランニングシャツの下からストラップを引き上げた。

つづく

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気づきもしないで【7】

 待ち時間は15分程か。
 やがて日暮れな時間であって、さりとて夕方帰宅ラッシュには早すぎて。今から山奥へ向かう列車に乗ろうという客は皆無。
 成瀬は〝うわさ〟の流布状況について訊いてきた。
「オレが知ってるのは遅らせた疑惑だけ。他の連中はもっと知ってるかも知れねーけどな。でも、オレにはそんなことどうでもイイし、関係ねーし気にしねーし」
「彼女と喋ったことは?」
「始業式の挨拶で声聞いたっきり。廊下ですれ違ってるかも知れねーけど、顔覚えてないから判らねー」
「男の子の無頓着って都合いい時はホント都合いいよね。ますます結構」
「なんだそりゃ」
「女の秘密」
 到着した列車は1輛。学校と交流のある高齢者施設の職員の方が降りて、代わりにオレ達が乗ると、車内はオレ達だけ。
 整理券を取って、ボックスシートに適当に陣取る。ちなみに冷房なんて贅沢装備とは縁のないローカル線なので、とりあえず窓全開。
 エンジン全開1輛編成発車。
「でも何でコソコソやってるわけ?」
 座るなり、成瀬はいきなり訊いてきた。こういう唐突と言うか、思いつきというか、
 女の子の言動だなぁ。
「花なんかいじってるの見られたら何て言われるか」
「いーじゃん何で?」
「男が花だぞ」
「華道やってる男性いるよ?」
「お前、この学校だぜ?」
「じゃぁあんたが『花男』見たら何て言うわけ?あー花なんかやってるひゅーひゅーって?」
「違う。こう、なんつーかな。男ってポリシーがあるだろ?花は男のポリシーじゃねーんだよ。ナヨっぽい。女々しい」
「それワケわかんない。植物学者とか、樹木医とか。虫捕まえようと思ったら植物の知識必要だと思うけど」
「虫取りはお子様の遊び」
「お子様がよく言うよ。じゃぁ男の子は覚えた知識捨てるわけ?ポリシーが違うからって」
 何だろうこの言葉の暴力!
「お前さぁ」
「何?」
「お前が幼なじみじゃなきゃ、うるせぇバカヤロー状態だぜ」
「言えばいいじゃん。うるせーバカヤローって。幼なじみに遠慮は要らないと思うけど」
「オレいじめて楽しい?」
「楽しい」
 しかし良く喋るオンナだねお前。
 短いトンネルの間だけ成瀬はお喋りを止め、トンネルを出たら駅へ着いた。

つづく

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気づきもしないで【6】

 目線を一旦外し、オレに戻す。
「だから、一緒にお見舞い」
「でも……」
「隣のクラスの男の子が花持ってお見舞いに来る。これ重要。ちゃんと彼女を見てる男の子がいてくれる。しかも隣のクラスなのに」
「ちょ、ちょっと待てよ。オレはただ単に花を」
「どうして交換しようと?誰がやってるか判らない花を変えようと?あんた小遣い少ないっていつも言ってるのに」
 ……どうもこう、幼なじみというか、母親もそうだが、〝知りすぎているオンナ〟ってのは先回りしてやりにくい。
「別に……どうでもいいだろ」
 動機の説明が面倒くさい。
「そうかなぁ。どうでもいいヒトが待合室の片隅見たりしないと思うけどね。知ってるよ、毎朝見てたの」
 何で知ってるんだか。ああやりにくい。
「だからって男の子が花買うなんて相当なコトだと思うんだけど?ワタシは」
「そこだけ生きてるからだよ。この駅で」
 オレはとうとう言ってしまった。
「え……」
 意外にも?成瀬は目を円くして凝固した。知りすぎてる割には予想外だったようだ。
「駅員いなくなった。ベンチも便所も無くなった。朝電気が消えて、夜電気が付くだけ。それでこの花まで無くなったら本当にただの出入り口じゃん。それが嫌なだけ」
 オレはクモの巣張り放題、そのクモの巣すらも朽ち果てたようにホコリの付いた天井を見上げた。薄い青緑に塗られた梁と板。ぶら下がる蛍光灯は傘がサビだらけ。
「いいとこあんじゃん」
 成瀬はそう言った。そして、
「だったら、アンタのその心意気で、マジで付き合ってくれると嬉しいんだけど。クラス代表お義理のお見舞いって思わせたら彼女可哀想だし」
 真っ直ぐに見つめてくる。オレを気圧する方法を知っているから困る。どこで聞いたか忘れたが、女の子の視線はビームとはよく言ったもんだ。
「しょうがねぇな。でもオレ今80円しか持ってないぞ」
「しょうがねぇな。イイよワタシが貸してやっから」
「付き合ってやる駄賃に奢りじゃないのか?」
「マックスコーヒー一本付ける」
「いらねぇよあんな甘いの」
「その甘さからコーヒー本来の味わいを見出すのが本物の男」
 成瀬は訳の判らんことを言いながら、元の花瓶と、しおれた花と、オレの使ったペットボトルまで持ってきたビニールに収めた。
「それはオレが……」
「別にいいよ。ゴミの処理までやってあげる優しい女の子だからワタシ」

つづく

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気づきもしないで【5】

 サイテーとでも何とでも言え。判ってくれなくていいんだぜ。
 ところが、成瀬はフフンと鼻で笑った。
「これだからダメなんだよ男の子わ」
 〝わ〟は敢えて〝わ〟。そんなイントネーション。
 なんか底意地の悪い姉貴に叱られてる弟みたいな気分のオレ。誕生日はオレの方が17日早いんだが。
「この花タイキだったの?違うね、まさかね」
 成瀬はオレが何か言う前に勝手に結論して、手にしていたビニール袋の口を開いた。とりあえず、オレが今まさに及んでいた行為が〝花の交換〟だとは見抜いたようだ。
「同じ花連続で使ったりしないし」
 言いながら取り出したビニールの中身は……良く判らないが要するに生け花だ。
「この花ってお前だった?」
「違うよ。ウチのクラスの古淵(こぶち)さん。この作品は恐らくアンタと同じ動機で華道部が作った」
 成瀬は花瓶の代わりに華道部の花を置いた。
「グラジオラス貸して。で、ちょっと付き合って欲しい」
 成瀬はオレの手からグラジオラスを抜き取ると、花屋でもらった包装に包み直した。
「はい」
 と、オレに寄越す。
「はいって……」
「その古淵さんが調子悪いからお見舞いに行くの」
「オレもかよ……知らねぇぞそんなヤツ」
「ホラ4月に分校から移ってきた彼女だよ」
「ああ、お前のクラスの?」
「そう」
 分校。このおんぼろ列車で2つ先の駅にあった。少子化で廃止が決まり、この春から本校へ合流、良くあるパターン。ただ、背景にもう少々複雑アリ。その分校は彼女たった一人が生徒だったわけだが。
「例のウワサ彼女も知っててさ」
 廃校が半年延びたのは、唯一の生徒であった彼女が本校を〝ガラが悪い〟と嫌ったためだというウワサ。
 それによって少なからず彼女を受け入れる本校側の雰囲気が悪かったのは確かである。
 でも、実際ガラ悪いわけで。
 ただ。
「それで何で駅に花?」
「一発目は実はワタクシ。ガラ悪いなんて思って欲しくないじゃん?だから彼女が来る最初の日に花瓶置いたの。そしたらあの花誰?って訊かれて、じゃぁ私がやるって以降彼女が……彼女なりに溶け込む糸口が欲しかったんじゃないかと思うけどね」
「ふーん……で、体調崩したから枯れちゃった、と」
「溶け込めなかったみたいでさ」
 成瀬は呟くように言った。

つづく

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気づきもしないで【4】

 だらだらした上り坂が続くが、隣町へ行くほどハードな峠道じゃない。ただ、原則として自転車通学は禁止。理由……通る車が少ないので、途中で何かあっても誰にも見つけてもらえない可能性があるから。
 駅へ着く。人に見られたくないわけで、列車で来るわけに行かないわけで。
 次の列車まで30分。今のうち。
 ……悪いコトしてるわけじゃないのになんか後ろめたい。
 花瓶からしおれた花を抜き取る。水に浸かっていたせいか腐り始めていてちょっと臭う。
 ってこのしおれた花どうしよう。駅のゴミ箱はとっくの昔に撤去済み。その辺に捨てる?
 腐りかけの花持って突っ立っていること10秒。
 後回しにして新しい花を移すことにする。まずは水……。
 どこで入れよう。トイレはとっくの昔に封鎖済み。オレの学校のバカ共って本当に必要なモノを次々とこのバカチンが。
 思い出す。確か前の自販機にミネラルウォーターがあった。
 残金200円から120円でお買い上げして花瓶に注ぐ。
 で、釣り竿ケースから取り出したる新品グラジオラス。
 花瓶に挿し……。
 長い!このまま花瓶に入れれば頭が重くてコテンと倒れる。ああ、そういや良くテレビの花を生けてるシーンで茎切ってるよな。
 結論。男が思いつきで花買っちゃいけない。
 どうしよこれ。茎、折れるかな。
 オレは両手で茎を持ち、じわじわと力を加えて行く。……でもなんかこれって植物虐待の気が。
 その時。
「あれタイキ!?うわお前何やって……」
 目も口も真ん丸に開いて立っていたのは、それこそ向かいの家の幼なじみ、成瀬。
「ハサミなんか……持ってねぇよな」
 オレは隠していた何もかもを忘れて、思わず訊いた。
 対し、成瀬の瞳に映っているのは、今まさに植物に虐待を加えんとする幼なじみの男、床に置かれたしおれた花、空っぽの水ペット。

つづく

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気づきもしないで【3】

「こちら……ですが」
 お姉さんにもそう見えたようで、今にも携帯で110番しそうな顔で売場に案内。
 ……値段高っ!
「ひょっとしてデート、かな?彼女さんが好きなの?」
「ち、違います僕花を見るのが好きでその白いのと紫色っぽいの1本ずつ下さい」
 小遣い。パー。
 店を出て自転車に走り、釣り竿ケースに収めてしまえばもう見えない。とりあえず一安心。
 来た道をとって返す。夏のように暑くても9月。片道40分の自転車行路。行って帰れば日も傾く。ツクツクボウシに重なるヒグラシ。
 峠越え。問題はこの先だ。花持って学校行けるわけもなし。今日中に駅まで行って取り替えなくちゃ。それには地区を端から端まで突っ切らなくちゃならない。知ってる誰かに見られたら一巻の終わり。
 回り道もないのにどうすればいいか。考えた挙げ句は正面突破。超短時間で通り過ぎればいいのだ。
 下り坂使って目一杯加速。ヘタな原付より速いんじゃないか。地区はざっと南北1キロ。信号もないのでこのままの速度が保てれば、1分位で通過できる。
 六地蔵があって消防団の半鐘があって。
 超高速で地区へ突入。と、路地から出てきた杉山(すぎやま)のおばあちゃん。うわいきなり知ってる人だ。ごめんごめん渡るの待って。
「……おや」
 通過。と思ったら軽トラが曲がってきて新見(にいみ)のおじさん釣り仲間。
「おータイキ……」
 何で気付くんだよ。聞こえません見えません駆け抜けて行く私は光。
 小学校の校庭には何でこんな日に限って向かいに住んでる成瀬(なるせ)の妹。姉が要するにいわゆる一つの幼なじみなもんだから、この妹と来たらオレを呼び捨て。
「あータイキだ……」
 違います人違い。一瞬で通過。
 もう誰も会わないだろうな……何で同じクラスの女子が3人固まって歩いてんだよ。
 しかも一番おしゃべりな矢部(やべ)とか混ざってるし、横に広がってはみ出て邪魔だし危ないな。
 ……通過するからこっち見るなよ。
 オレが右に進路を振って道路の真ん中からブッちぎろうとした瞬間。
「あ、町田じゃん」
 矢部ー!振り向きもせずいきなり当てるな!テレパシー少女かお前は!
「おーいタイキー!」
 呼ばれたが知らん顔。
「まちだたいきー!」
 だからでっけぇ声出すんじゃねぇっての。
「あれぇ?違うのかなぁ……」
 そんな声が遠ざかる。そう、違うの。私はこの地区の人でないの。通り過ぎる風なの。
 学校までは10キロ。

つづく

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気づきもしないで【2】

 帰って着替えて、釣り竿のケースを背負って自転車にまたがる。
「タイキ!釣りより先に勉強だろうが!」
 とりあえず母親は無視して川とは逆にこぎ出し、峠越え。一気に600メートルを越えるので道はつづら折りだ。ところどころ木立の向こうに線路が見え隠れ。付かず離れず。
 昔この道はケモノ道同然で、トンネルでぶち抜く線路の方が〝砂利で整備された近道〟だったから、列車のない時間を見計らい、自転車やリヤカー引いてトンネルを歩いたんだとか。
 オレもそうすれば良かったかなと思って程なく峠のてっぺん。ここまでは心臓破りだが、越えてしまえば下る一方。
 隣町には病院があって、そばに花屋がある。目的地はそこ。
 いやもちろんオレの住んでる地域にも花屋はあるんだが、地元密着の商店だからして、どう考えてもオレが買ったとすぐバレるし、そうなったら「なんで?」とアッという間に広がるに決まっている。質問責めになって理由を喋る羽目になる。そんなことになったが最後、絶対面白半分に花抜くバカが出るに決まっているのだ。そうか〝言わぬが花〟ってこういう場合に使うのか(何か違うぞby作者)。
 横断歩道を渡って店先へ到着。用心に越したことはないので、誰もいないことを確認してから店に入る。
「いらっしゃいませ。お見舞いですか?」
 いかにも花屋向きって感じのパッチリした目のお姉さん。
「ぐ、グラジオラス下さい」
 キョロキョロ見回しながら早口でボソボソっと。
 ……世間一般は挙動不審と言うだろう。

つづく

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気づきもしないで【1】

 花があるのは知っていた。時々変わっているのも知っていた。花が絶えることはなく、枯れたりしおれたりすることもなく。
 古びた土壁の駅で、そこだけは生き続けていた。閉ざされた窓口はガラスが割られ、挙げ句板が貼られて塞がれ、ベンチは腐って処分され、人が列車を待つ場所では既にない。
 ほんのわずかな時間のために、1日8本の列車のために、誰がわざわざ?
 だから、グラジオラスがしぼんでもそのままになっているのを見たとき、オレは思わず足を止めた。学校へ急ぐ仲間達の流れの中で、オレだけ岩に引っかかった流木のように、立ち止まって隅を見つめた。
「あんだよ」
「邪魔だろ」
「ああ、わりい」
 カバンと、ズボンと、ミニスカートの向こうで、赤と黄色が下を向いていた。
 オレは駅が空になるのを待って、ケータイのカメラを花たちに向けた。
 実は、グラジオラス、と判ったのは、この時の写真を手に図書室で図鑑を探したからだ。その辺で咲いてる花じゃないけど、花屋では売っていそうだ。
 花なんて興味はなかった。
 だけどあの駅のあの有様で、あの花が枯れてしまったら。
 うまく言えないけど、〝終わり〟な気がする。

(つづく)

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【恋の小話】男三十路の魔法使い

 隣の席の相田(あいだ)さんは、オレより入社が5年早い。短大卒だというから、オレにとってはリアルお姉さん年齢。
 そのオレが、ネットスラングによるところの魔法使い……すなわちつまり彼女イナイ歴30年当然純潔チェリーボーイ……やかましいわ……であるから、レディに対する礼儀として、あとは計算してくれと書いておこう。大振りなメガネをかけ、基礎的な物以外の化粧・装飾品の類は皆無。特におしゃれなわけではなく、髪型もさっぱりしたショートカットで普通に黒髪。服装もリクルートスーツそのまんまに社員IDを付けただけ、全く持って地味なお姉さんである。
 担当は事務。オレらは“庶務ギャル”と呼んだりする。主な仕事は電話の取り次ぎ、客人の接待、伝票の整理。募集要項に“一般職”と書かれる職務だ。ただ、こまごま気が付くところは女性ならではというか。一度、出張に持って行く書類を忘れていつもより30分早く出社したことがあるが、相田さんは課員全員の執務机を拭き、職場唯一の緑である応接室の花を取り替えていた。陰で支える女性のおかげ、なんて時代劇の女房だが、まんまのイメージが相田さんにはつきまとう。ただ、いかんせん、地味。
 夜7時。
「は~あ」
 相田さんは隣でパソコン叩く手を止めて、肩をゴリゴリ言わせた。本来庶務ギャルさんは残業と無縁だが、総合職で入ってきた入社2年目が寿退社したため、その2年目に一部振り分けていた事務が全て彼女に回されることになり、このところ残業続き。
「一服しません?」
 オレは30分前に冷蔵庫から出して放置しておいた“神戸の生チョコ”のパッケージを開いた。
「いいの?わぁ、美味しそう」
 ニッコリ微笑んでひとつまみ。ちなみに、課内にいるのは、他全員男で全員年上で全員既婚者。すべからく彼女とのコミュニケーションは率先してオレがやるような役どころになってしまっている。理由は
『後から入った女子社員が先に退社という例が今回だけではないから、彼女に“結婚”を意識させたくない』
てなもの。正直な話、既婚者連中変に気を回し過ぎじゃないかと思うし、それに大体、そんなことをすれば、女性ってのは往々にして敏感なので逆に避けてると気づき、それはそれで一種のセクハラなのではないかという気もするが。……おっとそんな事考えるオレが失礼かな。
 とか思ったら。
「美味しい。口に入れると溶けちゃうね。……おばさんくさい?あたし?」
 相田さんはオレの目をじ~っと見て、訊いた。
「へ?」
 そんな目で彼女を見ていたのかオレ。
「いやいや、疲れてるなぁと思って」
 口から出任せ。変な否定語はこういう場合逆効果。そのくらいはさすがのオレでも判ってる。それに、些細な仕事をいつも色々彼女にさせてしまっているという、お詫びと労いの気持ちもある。
「そうかもねぇ、何せ行かず後家だからはつらつ感がいまひとつ」
 ため息混じり。
 その発言に対し、オレに集まる既婚者共……じゃない“諸先輩方”のじろり。
 わーわーわー!変な事言ってないのにないのにないのにっ!
「が、眼精疲労が肩に回ってるんですよ。ちょっと肩いいですか?」
 もっともらしいが嘘でもない。オレは立ち上がって“肩たたき”のジェスチャーをしながら、彼女の背後に回った。
 これすら相手の捉えようによってはセクハラになるというが。
「あら?やってくれるの?」
「ガキの頃から母親ひっぱたいてますから」
 男三十路のなおも純潔は魔法使いと冒頭書いたが。
 魔法とは言えないまでも、これには自信がある。なりゆきだし、単なる会社の同僚。適当にひっぱたいてなおざりに済ませてもいいのかも知れないが、手を抜く必要はないし、抜けば傷つくだろうし、ヘタにやっつけだと却って痛む。
 普通にやる。まず両の手のひらを両肩に載せる。
「え……」
 相田さんは思わず、という感じでそう言い、上半身をびくっと震わせた。
 その反応で判ったことが一つある。
「リラクゼーションとか、アロママッサージとか、行ったことないですか?」
 問いかけながらしばらくそのまま。手のひらで温められた肩の側の反応を見る。
「うん、ない」
 相田さんは頷いた。……つまり誰かに肩たたき、という経験がないのだ。“びくっ”は異次元感覚に対する身体の驚きである。
 少し手を当てていると手のひらの下が柔軟になってくる。それに今度はオレがハッとさせられる。
 柔らかい感じが母親の肩と異次元なのだ。
 女の人の身体、なのだと気付く。柔軟で、しなやかで。
 ふわっ。
 認識した途端心臓がドキドキしてくる。なんだこの感覚。ええい手元が震えて出来へんやないかい。
 落ち着けオレ。
「首を前に倒して」
「はい」
「ゆっくりと」
「はい……」
 うつむいた姿勢に髪がさらりと左右に流れる。現れるうなじ。
 その色白さは少女のような。……おいおいオレ。
「白髪が目立つって?」
「いいえ全然」
 頸椎の両脇の筋を指でなぞる。堅い。眼精疲労は嘘ではない。そのまま筋に沿って軽く圧迫しながら指を下ろし、鎖骨のすぐそばへ。そこで向きを変え、今度は肩を指先で押して行く。少しずつ押す位置を変え、肩の先まで。……ずっと堅い。肩全体が張っている。
「気持ちいい……」
「頭上げていいですよ」
 “ユーロビート叩き”と呼んでいるが、ディスコサウンドばりの相当速いテンポで細かい“チョップ”を繰り出し、今指先で当たった筋を叩いて行く。次に拳を作ってもう一度。次に男っぽく、肩の筋を握力任せとばかり文字通り手で握り、親指の腹でツボを押して。このツボもただ押すでなく、ぎゅーっと押してからすーっという感じで抜く。再びユーロビートに戻り、今度は脊髄両脇を背中半分まで下ろして行き、とって返して肩まで行ったら、今度は両腕の方へ動いて二の腕をわしづかみの要領。肩を中心として周辺一帯へ広げる、がミソ。これは凝った肩をフォローしようとして、周囲の筋肉にも負担がかかるため。
 相田さんは何も言わない。その代わり、首から上……つまり頭が、されるがままという感じでガクガク動く。
と、“諸先輩方”の驚くような目線。手抜きどころか“オプションフル装備”で彼女をマッサージしていた自分に気付き、恥ずかしい、と感じる。
 他方、未経験だという彼女、やりすぎると“もみ返し”で逆に痛む。こんなもんか。
「はいおしまい」
 軽くポンと肩を叩いて終了宣言。
 反応がないので覗き込むと、寝ているかと思うようにまぶたを閉じている。
 もう一度声をかけようかと思った直後、相田さんは数秒程時間をかけ、閉じていたまぶたをゆっくりと開いた。その潤んだ瞳、愁いをたたえた横顔。力が抜けた証拠だろう。
 その目をオレへ。ニコッと笑顔のいつもの彼女、と、思いきや。
「ありがとう」
 相田さんは意に反し、真っ直ぐオレを見、まじめな顔で言った。
 ちょっとドキッとする。何せ魔法使いだからこういうシチュエーションは過去にない。
「……い、いいえ。結構凝り性かも、ですね」
「うん……」
 相田さんは目を伏せ、自らの肩に手のひらを載せ……自分で書いていいのか、感触を思い返すように、そっとさすった。その伏し目がちの表情。余韻を引くような口調。そっと手を載せるその仕草。
 “しおらしさ”という言葉があったっけ。しっとりしていて女性らしさに満ちている。とりあえず、口先だけの“ありがとう”ではなさそうな感じ。
 確かにお姉さん、なのだが、ここまで“女性”を意識させられるとさすがに照れる。
「……よ、よかったら、いつでもどうぞ」
 勢いのままに口をついて出る。この状況で一回こっきり、ってのもなんだか。だろう。
「いいの?」
 およ?
「もちろん」
 提案しておいてやっぱりダメってあるかよ。
「それじゃぁ……」
 その日以降、7時まで残業したら肩たたき、が何となく定着した。繰り出す技(?)も次第に増加し、肩に肘を立てたり、頭のてっぺんをぐりぐりしたり。対象範囲も拡大して指先、手のひらマッサージも追加。手指の肌が荒れ気味なのは、母親もそうだったが水仕事のせいか。
 一方で、“諸先輩方”に言われるようになったのがこれだ。
「お前最近相田さんと仲良さそうだな」
 言われると意識するもの。フラッシュバックで思い浮かぶ潤んだ瞳、白いうなじ。
 でも、見慣れた(!)せいか、取り乱すとか、耳まで真っ赤、なんて事はなく。
「そう……ですかね」
「彼女も生き生きしてるしな」
 これは小学校ならひゅーひゅーと冷やかされたシチュエーションなのかも知れない。が、“諸先輩方”は何も言わなかったので、オレは何も気にしなかった。
 そして12月22日。
 明日から3連休、諸先輩方は家族サービスでさっさと帰宅。オフィスに残ったのは何度目か、オレと相田さんだけ。年末だけあって仕事が山盛りなのと、……彼女もそうかも知れないが、街行く幸せな人々の間を縫って歩く気になれず、仕事にいそしむ。
 いつもの時間。
「今日は顎の付け根から目の下辺りまでしてみましょうか」
 親しげな所を見られる必要がない、という意識が働いた結果の発言……じゃないと言ったら、嘘になる。
 何せ、女の人の顔に手で触れようというのだ。
「はい」
 相田さんはいつものようにオレに背中を向け、メガネを外した。
 いつものように肩に手を載せ、筋に沿って肩から首へ、手のひら指先。そして。
「ちょっと失礼しますよ。痛かったら言ってくださいね」
「うん」
 首から耳の後ろへ指をずらし、顎の付け根へ、そして目尻へと指先を回す。少し、怖いような気持ち。オフィスは他に人はなく、揉んでいるだけなので音も無し。女の子と手をつないだことすらない自分が、こうして独身女性の顔に触れ、しかも密室二人きりで完全に信頼されているという事実。
 指を目の下に回す。両の頬を手のひらで包み、目の下の皮膚を引っ張るように。
 きめ細かい、ひたすらに柔らかな頬の感触。
 両手で顔を包んでいるので、自ずからオレの顔が彼女の頭の上に来る。香る髪。
 ……およ?
「シャンプー変えました?」
「判る?」
 相田さんは手のひらの感触でそれと判る微笑みを作って、言った
「そりゃ毎日……ですからね」
 オレは答えた。そこで、手先に感じていた相田さんの頬が少し緊張した。
「痛かった?」」
 オレは手を止めた。
「ううん……ひとつ訊いていい?」
「はい?」
「なんでこんな行き遅れの年増を毎晩?」
「え?」
「先に四十肩が来そうなのを見かねて?」
 なんちゅうことを言うか。
「母親が肩こり持ちですからね。同じ物を相田さんに感じた。それだけですよ。年齢がどうとか無関係。相田さんが心地よいと思って下さるならそれで結構」
 言いながらマッサージ再開。
「ウワサが立ってるの知ってる?」
「何のですか?」
「何のって……だから、私と、あなたが……」
「付き合ってる?」
 初耳。
「そう。……あなたまだ若いのに」
 その言葉に、オレは頭がぐらり、と揺れ動くような衝撃を受けた。
 何その自己否定。ウワサがオレにとってマイナスで、自分が迷惑をかけてるとでも?
 ただ、彼女がそう思ったのだとして、その気持ちは判らないじゃない。オレだって思ったことがある。好きだった学年イチバンの輝くような美少女。
 オレなんか不釣り合い。オレに好きだなんて言われたらかえって迷惑だろう。……自分に対する自信のなさのなせる技。
 でも、それが本当は、自信がないのじゃなくて、輝く物があることに、自分が気付いていないだけで……
 相田さんはぐすっと鼻をすすった……あれ?
「だから無理して続けなくても……いいよ」
 低いトーンの、落胆したような声と。
 目の下に回したオレの指を濡らす、何か温かいもの。
 自惚れたことを書く気はない。ただ、彼女の言動が、真意に沿ったものではない、とは書いていいだろう。「あっそ、じゃ、そゆことで」とオレが去るならば、もう二度と、オレは彼女の顔を正面から見ることが出来ないだろう。
「言いたいヤツには言わせておけばいいじゃないですか。僕は別に気にしませんよ」
 オレは言った。
「え……」
 相田さんは言い、オレの手の中で振り返った。
 多感な少女のような、涙たたえた瞳。
 オレは両の手で、彼女の頬を、もう一度、包むように挟んだ。
 もう一度。ただ、マッサージするのと、違う意図を込めて。
 途端、ぼろぼろ涙溢れ出す彼女の瞳。
「温かい……。あなたの手が温かい。教えて。どうして、どうしてここまで……」
 自信がないのじゃなくて、輝く物があることに気付いていないだけで……
「あなたを女の人だと意識してるからでしょう」
 相手の方が、その輝きを知っている場合は。
「え……」
「世の男どもは、見る目がない。細やかで、純粋で、人の気持ちを思うことの出来る、一番大切なものを心に持った女性がここにいるのに」
 言いながら、オレは不思議な気分になった。
 “好き”という感情を知ってる。ドキドキ、熱さ、頭くらくらするような夢中な気持ち。
 しかしこれはそれとは違う。彼女を受け入れているのは確かなのだが、恐らく一歩踏み出せばウワサの通りになることは承知なのだが。そうなっても別に構わないという冷静な判断がなされているのは確かなのだが。
 “気を引こう”“つなぎとめよう”という意識が働かないのは何故か。
 彼女の唇が震えわななく。
「……あなた、自分の言ってること判ってる?おばさんからかうとひどいよ」
「判ってるから、ここにこうしているんじゃないですか。それより僕は年下ですよ。いいんですか?」
 相田さんの涙目がキラキラと光を放つ。
 その笑顔のかわいらしさ。“お姉さん”じゃない。
 “女の子”のまま……
「負け犬だよ」
「魔法使いですよ」
「どんな呪文を使ったの?」
 涙目で笑顔。
「僕の呪文は魔法じゃないす」
 オレは言い、手のひらを彼女の頬から肩へ移動し。
 そのまま、引き寄せた。
「明日、空いてますか?」
「たった今、埋まった……あなたのせいで」

男三十路の魔法使い/終

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【恋の小話】声が見えない

~第1章~
 
初めて出会ったのは、天使が街に似合う季節。
あなたは……待ち合わせに10分遅れて現れた。
ちょっと恥ずかしそうに頭を下げて。
一歩よりも、やや短い距離に立って。
知っているはずなのに顔を見るのは初めて。
初めて聞く声なのになぜか口調は知っている。
肩口で切り揃えたサラサラの黒髪で。
躊躇いがちに、小さな紙袋を差し出した。
「頼まれたもの」
「同じく」
互いの袋を交換する。あなたがくれたのは……ぼくが持ち歩くにはちょっと恥ずかしかったのだけれど。
綺麗で可愛らしいから……そういう選択なんだなとぼくは思った。
だからその日は、少し離れて、後ろから、あなたの髪に天使のリングが輝くのを見ていた。
北風が、ちょっと寒そうだった。
 
~第2章~
 
次に出会ったのは、春風の海辺。
あなたは、笑顔で手を振りながら、駅の改札をくぐってきた。
新しく買ったという携帯電話。
カラー液晶のデジタルな画面に、ぼくの名前と番号が刻まれる。
「あなたとメールやりとりするの、すごく楽しい、だから……」
駅を発車する電車の音が、彼女の声を一旦かき消す。
「だから、お喋りもしたいかな。って」
陽射しの中の眩しい笑顔。
歩き出す灯台への狭い道。時々肩が触れ合うけれど。
「ごめん」
「ううん。いいよ。……そうだ、あのさ」
キラキラした瞳がぼくを見る。ぼくは目線と、言葉を返す。
言葉のない時間が、だんだん短くなって行く。
「ハイここです」
着いた古い灯台は、今はもう海岸の展望台。
中には博物館とレストラン。そしておみやげ屋。
静かなのが好きだから……と彼女が言うから、今日はお互い有給休暇。
誰もいない昼下がり。居眠りしているおみやげ屋のおばあちゃん。
「灯台のシステムはアレキサンダー大王の時代には確立していて、この『ファロス灯台』では……」
展示の模型に少し講釈。頷く彼女をふと見るとぼくと目が合う。
「展望台行こうよ」
彼女がぼくの手を握る。そして引っ張って歩き出す。
「ちょっと待……」
意表を突かれてつんのめるぼくを見て彼女が笑う。
「大丈夫?」
くすくす笑いながら、でも手を離さない。
ちょっと恥ずかしかったけれど、そのままにしておいた。
 
~第3章~
 
ひょっとして……と思い始めたのは、携帯の料金が1万円を超えたあたりから。
「ぼくと会っていて楽しい?」
「うん」
屈託のない笑顔で、彼女は美術館前の鳩に餌をやる。
離れたところから聞こえる電車の音。加速しながら行き過ぎる車輪のリズム。
通り過ぎる。
「どうしたの?」
「あのね」
鳩に手のひらを預けながら、ぼくに尋ねる彼女に、ぼくは……気持ちの兆しを口にする。
一斉に飛び立つ鳩の群。驚くほどの羽音のざわめき。
「どう……答えたら、いいのかな」
彼女はそっと立ち上がり、夕暮れ近い太陽に目を向ける。
逆光で顔が見えない。
「その……会っていて楽しいのは事実。あなたの気持ちも嬉しい。でもね……」
「……」
「自分がそういう気持ちを持っているかどうかなんて、考えてなかった」
「それって……」
「ううん。そういう意味じゃない。ただ、あなたと同じ気持ちも私も持っているかというと、まだ」
まだ……。
まだなら……。
「待つよ」
ぼくは言う。
「え?」
「待つさ。まだならね」
「ごめんなさい」
彼女は、小さく、言った。
 
~第4章~
 
誕生日。
予約していたレストランに、彼女は今度は時間通りに現れた。
「高そうね」
「君の記念日じゃん」
フランス語で書かれた今日のおすすめ。服装規定に関する断り書き。
ウェイターに呼ばれて店内へ入る。コースメニューなのでテーブルはセット済み。
「私……いいの?」
バッグを傍らに置き、ウェイターの引いた椅子に、彼女はゆっくりと腰を下ろす。
ちょっと遠慮がちに、肩身が狭そうに。
「いいのって?」
「だって、こんなさ。幾ら私の……」
「いや?」
「そうじゃない。だけど……」
目を伏せる彼女。……もう少し喜んでくれると思ったんだけど……。
彼女が顔を上げる。
「ごめんなさい。折角準備してくれたんだもんね。いただきます」
微笑む口元。
でもこの時、ぼくは彼女の瞳が、揺らめきながらぼくを見ていたことに気付かない。
 
~第5章~
 
「年度末で忙しいから、しばらく会えないよ」
携帯の留守電に、そんなメッセージが入っていたのは、それからしばらくのこと。
忙しいのか……ぼくは単純にそう考えながら、旅行のパンフを集めていた。
「彼女と行くんだけどさ、どこかおいしい店知らない?」
友達から情報を収集。彼女が好きなのは、柔らかく陽射しの入る静かなレストラン。
「つき合ってんの?」
「さあ~えへへ~」
バレバレだなーと思いつつ。
「悔しいヤローだな。仕置きしてやる……」
友が言うには、5人がかりでぼくをいじめてくれるらしい。
「へへ。何言ったって今更手遅れだよ。べぇー」
ぼくはそう言って、電話を切った。
何もかもが、うまく行っていた。
ただ、メールの返事と、電話が来ないのが、ちょっと寂しい。
 
~第6章~
 
久々に電話がつながったとき、22回目のコールで彼女は出た。
「なに……」
小さな声。疲れて眠いのか。
「どうしたの」
それきり何も言わない彼女にぼくは問う。
彼女は少し……良く聞き取れないけどため息だろうか。
「……いじめられたって?」
ぼくに問う。
「ああ、聞いたのか。それなら大丈夫」
「……」
彼女は何も答えない。どうしたんだろう。いつもと違う。
「ね……」
呼びかけたいが、何と言っていいのか判らない。
不安。これは何だろう。
彼女に何か?
「……どうかしたの?」
同じことを何度も訊いている気がする。
彼女はまた、少し黙って。
「……どうもしないよ。私はね」
鼻をぐすん……風邪かな?
「ねえどこか具合が……」
「切っていい?もう寝たい」
「……判った。じゃ」
何も訊けずに、通話は切れた。
 
~第7章~
 
いじめてやる……そう言った張本人から電話が来たのはそれから3日後。
「なんだよバカヤロ」
「お前さ。彼女に何かした?」
「は?」
気になるセリフ。それはどういう……。
「なんで?」
「いやあ、昨日会って話してたらさ『私のこと色々知ってるね』って。何か怒ってたぞ」「へ?」
意味が判らない。
言葉が紡げず、黙っていると、友人はエヘヘと笑い、
「何かしたんだろ。彼女にちゃんと訊いた方がいいぞ。じゃな」
と、電話を切った。
 
~第8章~
 
話があるから11時頃電話する……Eメールを出しておいたその晩、5回のコールで彼女は出た。
「なに?」
何かを期待するような、そんな声。
待っててくれたのかな?
「あのさ……」
ぼくは約束の取り付けを切り出す。映画の指定券が手に入った。
すると。
「……私、そんなこと頼んだ?」
「!」
脳の中が、カッと熱くなってるような衝撃。
「え?だって……」
「私……あなたに頼んでもいないことをしてもらうつもりない」
「……」
「どこへ行っても言われる。あなたとつき合ってるのかって」
「だって……会うの楽しいって……」
「言ったよ。でもね。私はあなたにつき合ってと言った憶えはない」
「それは……そうだけど……」
「あなた待つって言ったでしょ。だから私少し考えようと思ってた。あなた待った?」
「え?君、仕事が忙しいからって」
ぼくの答えを聞いた瞬間。彼女は電話を切ってしまった。
 
~第9章~
 
それ以降。電話も、メールも、全く途絶えた。
ぼくには、判らなかった。何がどう、……ひょっとして彼女に嫌われたのか。
「謝らないと手遅れになるよ」
これは友人のセリフ。
「彼女なら元気だよ……でも何でそんなこと私に訊くの?あなた一番そばにいて把握してるんじゃないの?」
これは彼女の友達の女の子のセリフ。
判らない。ぼくは答えを求めてさすらう。彼女に訊くのが一番早いという声はある。
でも、怖くて訊けない。だから、周りに訊いてみる。
「よう。関係ヤバイらしいな」
ラグビー部の先輩から電話が来たのはそれから程なく。
「……はあ。まあ」
「良かったら相談に乗るぜ」
頼れるような、安心できるような、力強い言葉。
「オレのハニーと行くからよ……」
ぼくは先輩に一縷の望みを託すような気持ちで、待ち合わせの場所をメモった。
 
~終章~
 
終着駅に着いた電車の扉が開くと、枯れ葉の舞い散るプラットホームに彼女は立っていた。「待った?」
「別に。時間判ってたから」
向かい合う、手を伸ばしても届かない距離。
でも、一歩が踏み出せない。
「ご用は?」
「その……ごめんなさい」
僕は頭を下げる。
「理由は?」
「その……ぼくはひどいことを君にした」
「どんな?」
「どんなって……」
平手打ち。じんとしびれる頬。歯を食いしばり、目を赤くしてぼくを見ている彼女。
「判ってない。あなた、全然判ってない」
「……」
ぼくは打たれた頬に反射的に手をやりながら彼女を見る。
「私に理由を言わせたいわけ。いいでしょう。言ってあげましょう」
彼女は背を向ける。そして。
「あなた、つき合ってもいない異性から、周辺に『つき合ってる』と言いふらされたい?」
「……」
「私はあなたにつき合ってと言った憶えはない。しかも、あなたは待つと言った」
「……」
「だから私は、待ってくれるなら考えようと思った。なのに……」
「ああ……」
「言わないで!聞きたくないし、もう言いたくない。二度も三度も同じ気持ちになるのはいや」
終わった……その瞬間、ぼくは思った。
予想は出来ていたような、しかし頭からすーっと血が引いてゆくような。
「ごめん」
ぼくには、それしか言えなかった。
彼女を見ることすら出来ない。
電車が折り返し発車することを知らせるチャイム。
ぼくは背を向ける。待って……否定でないことを勝手に肯定と解釈し、彼女が喜ぶ「だろう」という、勝手な確信を自分の中に作り上げていたことを知る。
扉が閉まる。
ぼくはドアに寄りかかり、風景と共にいろいろなものが崩れ去り、時の彼方へと消えて行くのを実感する。
 
ただ判っているのは、終点に着いた電車は、新たな行き先を得て走り出すと言うこと。
ぼくは切符を持って、その電車に乗っていると言うこと。
小さく笑みが出る。同時に、何か暖かなものが頬を伝う。
 
声が見えない/終

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【恋の小話】いつかきっと

 彼女は、僕のことだけは“君”付けで呼んだ。
 他の男子は呼び捨て。『ガキっぽいからだ』野郎共はそう僕を笑う。確かに僕は背は低いし童顔。声変わりだってまだだ。一方彼女は大人びてまるで“お姉さん”。長い髪で歩く姿なんか、とても綺麗だなと純粋に思う。
あこがれがないといえば嘘。でもそれは、到底かなうことのない、遠い、とおい夢。
 だから。
「倉橋君」
 初めて、学校の外で、彼女の方から声をかけられて、僕はとても驚いた。“君”付けイコール問題外の外、学校外では知らん顔、そう思っていたからだ。
 僕は河原に広がる草むらから、堤防道路を見上げた。水色ワンピースの彼女が、自転車から降りて手を振っている。別におしゃれしているわけでもないのだけど、とても似合う気がする。
「あ、やぁ」
 一方僕ときたら気の利いた挨拶の一つもできないふがいなさ。
「何してるの?弟さん?」
 彼女は自転車を押しながら、堤防の斜面を軽い足取りで下りてきた。買い物帰りらしく、前かごにスーパーのビニール袋。
「うん、そう」
 僕は再び気の利かない返事をすると、弟の方を見た。弟は5歳の幼稚園児。今日はこの草むらでバッタ取りに付き合い。
「お兄ちゃ~ん」
 その弟が僕を呼ぶ。呼んだ理由は一つ。好きなバッタ見つけたから捕まえてくれ。
「わかった。動くなよ」
 僕は言うと弟のところへ歩いた。弟が指差すトノサマバッタ。
 息を殺し、背を低くし、バッタの背後から手を伸ばす。一旦手を止め、ゆっくりと息を吸い、ゆっくりと吐きだし、吐き出し終わる前に手を伸ばす。
「捕った!」
 僕より先に弟が言った。確かに捕まえた。しかし手応えがおかしい。
「ちょっと待てな」
 言って僕は手を開く。普通、トノサマバッタは容易に捕まらず、驚くほど長距離を羽ばたいて逃げる。また仮に捕まえた場合でも、その強靱な筋力でじたばた暴れるものだが。
 捕まえたそいつはえらくおとなしい。しかもその身体は柔らかくふにゃふにゃ。
「これなぁ、逃がしてやろうよ」
 僕はまず言った。すると弟は口をとがらせ。
「えー、なんで?」
「皮脱いだばかりなんだよ。身体がまだ丈夫じゃないから。こんなんで虫かご閉じこめたらかわいそうだよ」
「どうして?ちゃんとご飯あげるし」
「飛び跳ねてかごにぶつかったら身体がつぶれるぞ。他にもいるから、こいつは逃がそう。な」
「……わかったよ」
 弟は不承不承、という感じで目を伏せて言うと、他のバッタを探し始めた。
「行っていいよ」
 僕は手のひらのバッタをチョンとつついた。バッタはピョンと跳ねて草の間に戻った。
「優しいね」
 彼女が言った。傍らに立つ彼女の腕がわずかに僕の腕に触れる。
「優しいというか、ムダに死なせることないじゃん、それだけ」
「夜、ネコにえさあげてるのもそれだけ?」
「え……」
 僕は絶句した。何で知ってるんだろう。確かに、生ゴミ回収日の前の晩、町ネコにえさをあげている。でも、いつも、誰もいないことを確認してからあげている。だから誰も知らないはず。
「どうして」
 尋ねても、彼女は笑うだけ。その時。
「お、お兄ちゃん!」
 バッタじゃない。明らかに危機を知らせる弟の声。
 見ると犬。茶色系のミックスであり首輪はない。その毛は乱れ汚れており、明らかに飼い犬ではない。弟に向かい、鼻にしわを寄せ、ウーと低い唸り声。
「くそっ!」
「ちょっと待って」
 石でもぶつけようかと思った僕を、落ち着いた声で彼女が制した。
 犬をまっすぐに見、手のひらを向ける。
 口元が動く。何か言っているようである。しかし何も聞こえない。
 犬の目が彼女に向いた。
 彼女は犬の目を引きつけながら自転車へ歩く。そして買い物ビニールから何か取り出す。
 ビーフジャーキー一本。持って走り出す。
 犬がその後を追う。僕はその間に弟を抱き上げる。
 彼女がジャーキーを対岸へ投げ、犬が流れの中に飛び込んだ。
「今のうち!」
 彼女は自転車を押して堤防を登る。僕は弟を抱えて彼女の後を追う。
 斜面と堤防道路との段差で、自転車が跳ね、はずみで彼女がバランスを崩して転んだ。
「いたっ!」
 駆け寄ると腕をすりむいて出血している。それを……なんと彼女はなめようとした。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
 僕はポケットから傷スプレーを取り出す。弟が良く転ぶので、遊びに出るときはいつも持っている。
 シュッとやって、まず傷口をきれいに拭う。もう一度やって、絆創膏を貼る。でも足らないのでハンカチも巻き付けて結んでおく。
 そのまま堤防の向こう側へ行く。これで犬から姿は見えない。
「ごめんねありがとう。もう大丈夫」
 彼女は言った。そして続けて。
「弟さん……ゆきおくんって言ったっけ。お昼にお肉食べたでしょ。匂いがしてゆきおくん自体を食べ物と思ったみたい。歯は磨かなきゃだめだよ」
 そのセリフに僕は瞠目した。弟の名前とか、お昼に……確かにフライドチキンを食べた。
 どうしてそこまで判る?
「君は……」
「ごめんね。怪しいよね私。なんだかスパイみたいだよね」
 夜な夜な闇に紛れて町中を嗅ぎ回る女スパイ……にはとても見えないが。
 迷ったような表情。そして。
「リナ、に、聞いたの」
「え……」
 その名を聞いて、ぼくが最初に思い浮かべたのは、赤い首輪に鈴つけた、ふんわりした毛並みの三毛猫。首輪にマジックで“リナ”と書いてある。
「あなた、毒エサ事件が起きた後すぐから、ネコたちにご飯あげてくれてるんだね。おかげで、毒エサ食べた子はいないって。それだけ伝えてくれって」
 そこまで聞いて、僕は彼女が何を言っているのか理解した。
 そして、何で弟の名前を知っているのかも、さっきの犬に対する行動も。
「僕がグチ言ってたって?」
「うん」
「数学のテストが最悪だったって?」
「うん」
「参ったなぁ……」
 僕は頭をポリポリかいた。ネコたちに言っていたグチが彼女に筒抜け。つまり。
「このお姉ちゃんは動物とおしゃべりできる」
「うそっ!」
 弟が目を円くする。でも他に言いようがない。
「道理で全部知ってるわけだ」
 果たして彼女は頷いた。
「ごめんなさい。聞かれたくないことまで多分知ってるね私。リナ、おしゃべりだからね。でも、でもね。リナも含めてネコたちが口をそろえて言うのは、あなたがとっても優しい男の子なんだってこと。つばめの子拾って帰ったことも、釣り糸からまったハトを助けたことも、車にはねられた野良犬を病院に連れて行ったことも、いっぱい、いっぱい、あなたの優しさを聞いたよ。だから私、あなたのことが知らない子に思えなくてね。一緒のクラスになったとき、ちょっと嬉しかったんだ」
 彼女は僕が照れるようなことを、桃色の頬ですらすらと言った。
「だからなんかなれなれしくしちゃって、ごめんね」
 ぺこっと頭を下げる。“君”付け。その理由を僕は知った。
「あなたのこと、話題にするとクラスのみんなは色々言う。気弱とかおとなしいとかね。でも、クラスのみんなはあなたが優しい男の子だってこと知らない。あなたの優しさは本当のあなたを隠してしまっているのかも知れない。だけど、最後に本当に必要なのは優しさなんだと私は思う。だから、今は色々言われていても、いつかきっと誰かが気付く。ネコたちが気付いたように。そして、私が気付いたように……」
「え……」
「じゃね。もう行かなくちゃ。ハンカチは明日返すね」
 僕が何も言えないうちに、彼女は自転車に乗って走っていった。
 そしてそれが、僕が彼女を見た最後になった。
 突然、学校に来なくなったのだ。しかも、学校に報告されていた住所が架空のものだったから大騒ぎ。確かに、住所録には、スーパーの番地プラス1で“桜木アパート”とある。単純には公園の位置になる。しかし公園は丁目がちがう。
 ちなみに、スーパーと公園との境目には大きな桜の木が一本あり、その木の根元は町ネコの集会所。“桜木アパート”は言ってみれば集会所だ。
 こんな住所書いて……僕は思いながら、学校の帰り、リナを捜しに、その住所“桜木アパート”に向かった。リナなら彼女の行方を知っているかも、と思ったからだ。僕がリナの話を聞けるわけではないが、メッセージは伝えてもらえる。
 見慣れたしっぽ。
「え……」
 僕は気付いた。
 “彼女”が、前足に、見たことのあるハンカチをまいているのを。

いつかきっと/終

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【恋の小話】小さな駅で大きなお世話

 美紀(みき)ってその女子はクラスの男子の嫌われ者だ。突っかかってくるような話し方をするし、何かってえと
「だから男子キライ」
 オレたちゃそんなお前が大っキライだよ。
 その大っキライな美紀とオレは週に一度必ず密室に押し込まれる。海沿いの街の塾まで行くのに一緒の列車に乗るからだ。ワンマン運転のレールバス1輛編成!それに乗らないと次の発車は1時間30分後。どうしても乗らなくちゃいけないのだ。ただ、美紀のヤツは塾まで一緒というわけじゃなくて、途中の駅で降りる。楽譜を出して右手を動かしたりしてるから、ピアノか何かなんだろう、と思う。
 で、今日は発車1分前になっても来なかったので、やったオレ一人か!と思ったら、列車の到着ギリギリに走って来て間に合った。駅は遠いので学校から直接歩いて来ないと間に合わない。家に寄ったのか?どうでもいいけど。
 美紀はハァハァ言いながら車両に乗り込むと、あっちの隅っこ座り、慌てたように楽譜を取り出して手をパタパタ始める。オレはこっちの隅っこで、美紀と顔を合わさないように外を見る。短い車両でもギリギリまで離れていたい。どうせ話すことなんかないし。
「発車します」
 運転手さんが放送してブザーと共にドアが閉まる。バウンとエンジンの音がして次に全開。ゴーゴー言いながらレールバスは走り出す。
 JRの電車なんかと違ってゆさゆさ揺れるしケツにゴツゴツする。そのくせ速度は出ない。でも冷房だけはついているのでまだいいのか。
 ゆっくり走る。緑色の畑が……うねるって言うヤツだろうか、なだらかに上がったり下がったりずっと続き、青い空には雲がぽわぽわ。田舎の風景で絵を描けって言われたら絶対オレ金賞取れる。
 2つの駅に止まる。どっちも乗る人なし。
「お降りの方ございませんか」
 いないよ。オレと美紀と、いつもオレと一緒に終点まで乗って行くおばあちゃんだけだもん。
「発車します」
 たまには全開でぶっ飛ばそうよ。ど~せ誰も乗ったり降りたりしないし。
 でものんびり走る。ヒノキの林をカーブで抜けると“桧山(ひやま)”って駅。大好きなタイガースの選手と同じ名前だし。
 ……美紀のヤツが降りるのでしっかり覚えてる。
「桧山でーす」
 キキーと音立ててレールバスが止まった。美紀が立ち上がって……オレはそこまで確認して窓の外。
 ……発車しないな。
「困りますねお客さん」
 イライラしてるみたいな運転手さんの声。
 見ると美紀が焦った顔で布のカバンに手を突っ込んでゴソゴソ探してる。
「あれ?あれ……おかしいな……お財布……」
 バカでぇ。
 と、思ったら美紀がオレのことを見た。
 お前まさかオレが取ったとか。
「無賃ですと一旦本社までおいで頂くことになりますが」
 運転手さん更にイライラ。
「お財布ないよ~。今日テストなのに……」
 半べそ。
 ……素直な話ザマー見ろなんだけど、あいつオレのこと知ってるわけで、ここでシカトしたら後で学校で何言われるか。
 列車も遅れるし。
 オレは立ち上がって運賃箱にここまでのお金を二人分入れた。
 ただ、それはオレもここで降りなくちゃいけないことを意味した。このまま街まで行ったら、帰りのお金が足らない。
「一緒です。ほら同じクラス」
 運転手さんに名札を見せると頷いた。
 するともちろん?美紀は目を円くした。
「でも……」
「いいから降りろよ。発車できないだろ」
「う、うん」
 美紀をせっついて降りるとレールバスはすぐにドアを閉めて発車。
 ここでオレが考えたこと。今日の塾は無断で休むことになる。当然親に怒られるわけで。
「あの……」
 美紀が言ってオレを見た。
 余計なお世話、とか言われると思ったら、困ったような顔。
 オレが見返したら照れたように目を外した。
 青春マンガみたいだ、と思ったけど、ここはミカン畑の中の小さな駅。狭くて短い土盛りホーム。駅舎は壊れかけていて、昔話の“貧乏なおじいさんとおばあさんの家”みたい。もちろん駅員なんかいなくて、“顔を見たら110番”のポスターと時刻表。
 戻る列車は今のヤツが町まで出て折り返してくる。
 70分待ち。
「いいから行けよ。テストなんだろ?今日」
 オレは言った。
「え、でも、真崎(まさき)君は……」
「遅れるんじゃねぇの?」
 すると美紀は何も言わずくるりと後ろを向き、錆びた改札口を抜けて田舎道を走って行った。
 さてと。
 親に何か言われる前に何か言っておこうと改札を出て公衆電話を探す……けど、んなものこんなヘンピな駅にあるわけがなかった。携帯電話は小学生には早いって言われて持ってない。しかも確かこの辺って圏外。
 駅前の道に出てみる。ずーっと向こうを走る美紀の姿が畑の緑に隠されるところ。
 見渡す限り家もナシ。……ああ、美紀にくっついてピアノ教室から電話させてもらえばいいのか。
 でも、絶対その途中が気まずいだろうな。話すこともナニもないし。
 で、オレがナニ始めたかってホームに腰掛けてノートに絵を描き始めた。青い空と緑の畑と、この線路、それだけの風景。もう少し詳しく言うと西側にはそのヒノキの林の一番はじっこの部分。それから……遠くには空と混じってるみたいに霞んでハッキリ見えないけど、海が見えてるっぽい。
 じゃ、ハッキリ海描いちゃえ。犬吠埼の灯台も勝手に移設して。九十九里は100メートルに圧縮。
 左が林で右に灯台。すると真ん中が寂しくなった。
 マンガだとこういう場合女の子だよな。
 幸い?毎週見てしまうので思い出しやすく、しかもついさっき見て記憶に新しい女の子がいる。横からならすぐ描ける。
 スカート履かせて少し背を高くして。
 本人そのままじゃ面白くないから三つ編みにでもしようか。
 熱中したらしく1時間。
「それってあたし?」
「んばう!」
 後ろから突然女の子の声がして、首筋に氷のような冷たさが走って、オレは思わず謎の生物みたいな声を上げた。
 振り返ると……美紀。ニコニコ顔。
 だったが、オレが相当怒った顔していたせいだろう。さっきみたいに困った顔になった。
「おどかしてごめん……」
「べ、別にいいよ」
 オレは慌てて絵を隠した。見られ…てるよな既に。すると美紀は手のひらの缶……首筋ヒヤリの正体をオレに差し出した。
 “マックスコーヒー”この地方でだけ売ってる缶コーヒーというかコーヒー牛乳というか。
「これ……そのお礼というか……とにかく助かったよ。ありがとう」
 って、言われても、何言えばいいんだろう。普段オレ聞こえよがしに最悪とか言ってるわけで。
 いらねーよそんなの……って言ったら?
「おかげでテスト間にあった。合格した」
 美紀は嬉しそうに布カバンから新品の楽譜を取り出した。ハノンと書いてある。
「ハノン?」
 オレはとりあえずそれだけ言って、マックスコーヒーを受け取るとじゃばじゃば振ってからフタを開けた。もちろん、ハノンってのがスゴいんだか何だか知らない。書いてるのを読んだだけ。
「そう。ツェルニー終わったから。薬指が吊るから覚悟してねって言われた」
 薬指をメチャクチャ使うという意味だろう。ケガするかも知れないような話をニコニコ……それほど嬉しいのか。
「先に飲めよ」
 オレはフタを開けたマックスコーヒーを美紀に差し出した。
「えっ?」
「お・め・で・と・さ・ん。オレに感謝しろよ」
 勝った。
 すると。
「ありがと」
 美紀は真っ赤になってうつむき、顔を上に向けて、
 飲み口が口に触らないように
 どきっ
 一口飲んで、オレに返した。
「もういいのかよ」
「うん」
 頷いた目が見る間に真っ赤になり、涙がぽろぽろ。
 泣き出したわけだ。そりゃビビッたさ。
「な、なんだよ。オレが何か……」
「違う。……嬉しい……」
 言って、泣きながら、こっち見てニコッ。
 どーしたらいいんだ?と、思っていたら。
「あたしって嫌われてるよね」
 違うって言ったらウソだろ……でも、オレは声に出すタイミングが無かった。
「このこと学校で話す?……いいよ、判ってるから。でもつい言っちゃうんだ。だって男子掃除とかサボるし……あたしピアノ真面目に頑張ってるのに全然合格しないし……今日も学校で練習してたら遅くなって……どこかでサイフ落としたみたいで」
「それって」
「うん八つ当たり。でも……なんかそんなでしょ。だから見てたらイラッとしてきてさ……そしたら最悪最悪って……自分がみじめになった」
 美紀はハンカチで一回目を拭いて、俺の方を見た。
 濡れた睫毛がきらきらしてる目で。
「だから。真崎君の親切驚いたけどすごく嬉しかった。そして助かった。テスト受かったのも、間に合ったってホッとした気持ちのせいもあると思う。どうもありがとう」
 気をつけの姿勢からぺこりと頭を下げられてしまった。
 そして、もう一度向き直って、オレのこと見てる目が、後ろからの夕方近い日射しで金色に光ってる。
 もう、最悪とか言う“材料”がないじゃないか。
「女の子って、かわいいんだな」
 何故か出てきたのがそんな言葉。
 言ってからものすご~い意味に気付いてオレが真っ赤になった。
「えっ!?」
「な、なんでもねーよ」
 ごまかしごまかし。えーとえーと。
「お前そのままそこで立ってろ」
 さっきのノートの次のページ。真ん中にホームと延びる線路。右側に金色の太陽。
 左側に金色の女の子。
「記念に描いてやるよ」
 真っ正面から見た美紀を描くのは当然初めてだけど、輪郭とか髪型とか知ってるし、別に苦労はなかった。
 胸に抱えたカバンに“ハノン”っと。
「ほれ」
「……これあたし?」
「明日から、男共に何か言われたらオレに言ってこいよ」
 かっこ付けて言って、マックスコーヒーを飲む。
「う~わチョー甘っ!」
 ……日本一甘い缶コーヒーだと知るのは、原材料名:加糖練乳と読めるようになってから。

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【恋の小話】みどりの駅の小さなみどりの

 思わず鼻の穴が開くような、車内一杯に乗っていた女子高校生達も、野中の小駅に止まるごとに10人降り20人降り、峠越えの前の駅では、ついに一人もいなくなった。
 つまり、この先峠に向かう列車の乗客はオレ一人。列車といっても2輛だが、まぁ列なる車で間違いはない。
 その2輛の列車を構成する古ぼけたディーゼルカーはエンジンを全開にし、それでもモタモタと峠の勾配へ歩み始める。50トンからの鉄の塊にエンジンは220馬力。クルマが2トンもないのに100馬力はあるのだ。当然非力に過ぎ、これからの連続勾配に最高速度は30キロ程で頭打ち。側道を軽トラのおじさんが颯爽と抜いて行く。おかげさんで深呼吸して入ってくるのは女っ気ならぬ排気ガス。
『お客様にご案内致します』
 この先の峠越えのトンネルは抜けるまで20分。排気ガスを巻き込むので窓はお閉め下さいとのこと。
 今日びにして非冷房なのに閉めてられるかっての。
 構わず開け放しておくと、程なくそのトンネルに列車が飛び込む。
 全開エンジンの咆哮がトンネルの壁面で反響し、開いた窓から車内を圧し耳を聾する。
ただ、その有様はさながら声を限りに喚き散らすようで、オレにはむしろ心地よかった。
 センチメンタル・ジャーニーと言えば切なくて女性のイメージがあるが、男の場合やかましくて荒々しい方がむしろ良いのではないか。バカヤローとか、こんちくしょーとか、自暴自棄の雄叫びを、替わりにこの騒々しいエンジンが負ってくれている気がする。そう、オレは失恋したんだ。
 ヲタクっぽい人は嫌いなんだそうだ。悪かったな。“普通”はイコールありきたり、ってオレ自身は思ってたけどよ。
 さんざわがまま聞いた挙げ句、秋葉原デートとしゃれ込んで模型屋に連れて行ったらドン引きされた。……グチ書いてもしょうがないな。でも、薄汚れたトンネルの壁に浮かんでくるのは、信じていた日々ばかり。ああ、ああ、男って女々しいね。
 気付いたのは突然の気流の変化だった。見ればとっくにトンネルを出ているではないか。あの轟音の中でオレってばウトウトしたらしい。最もこの線唯一の“全線直通”であるこの列車を狙い、4時起きして始発の新幹線に乗ってきたのだが。
 かたたん、こととん。緩い下りなのだろう、列車はエンジンを切り、惰力で草原の中を駆けて行く。刻むリズムが細かいのは、決して高速なのではなく、都会や幹線と違って簡易工事で建設されたため、1本のレールが短いせい。当然デコボコしていて結構ギシギシ揺れる。
 高原の風景と冷房を不要にする冷涼な空気。向こうに連山が霞み、手前はひたすらな草原と所々キャベツ畑。ひらひらする白いチョウの姿が見て取れる。そんな中2輛の列車の影が進んで行く。
 貫通扉がガラガラと開く音。
 車掌氏。
「お客さん耳大丈夫でしたか?」
「ええ、慣れてますから」
 オレはTシャツ1枚にリュックサック。全国電気街でおなじみ、ヲタクスタイルである。鉄道ヲタクも大して変わりないと聞く。
「次で40分停車します。時刻表上は別れていますが、結局この列車がそのまま終点まで行きますので」
「判りました」
 知ってて乗ってます。時刻表上は“ここまで行き”と“ここから発”と別々表記。しかし実際には同じ車輛が惰眠をむさぼってそのまま先へ行くだけの“全線直通”。ちなみに、鉄ヲタ共はそういうのを“バカみたいに長時間停車する”ことから、“バカ停”と呼ぶとか。
 ガタガタ、ユサユサ、さび付いたポイントを幾つか渡り、キィキィ言いながら止まった“表面上の終着駅”はみどりのただ中。
 窓の外は線路際まで草。キリギリスがそこここで鳴いてる。
 対しホームは土盛りの砂利で、人の踏まない端の方はタンポポやら何やらかんやらでやっぱりみどり色。
 しかし駅舎はリッパ。どこのペンション持ってきたの?ってな三角屋根の瀟洒な建物。まだ新しいから建て替えたんだろう。
 40分も風無し車内にいる気は無いので降りてみる。その土盛り草だらけのホームは、大正の開通当時そのままなのであろう、そこに、無理矢理接続された現代工法。
 丸太積みログハウス風にサッシ窓の駅務室。顔出してオレを見ている委託のおばちゃんに“青春18切符”を見せ、待合いへ出る。おみやげショップは人の気配無く、弁当屋さんには割烹着のおばちゃん一人……おばちゃん後でね。他は周辺地図と観光案内、郷土の産業を紹介するパネルとか。駅舎を建て替えた理由が垣間見える。
 40分で行って帰れる……観光……一番近いところでナンタラ滝徒歩2時間ああそうですか。
 駅前へ出る。草むらをあっちから来て、こっちへと伸びて行く、細い道一本。
 以上。強いて言えばその道のアスファルトは亀の甲羅みたいにひび割れている。
 ただ待つ?いやいや、とりあえず歩く。
 左側へ伸びる道の脇を歩いて行く。草むらに踏み込むと一散にバッタが飛び、あちこちで何かがガサゴソ動く。とりあえずいろんなモノがいるのは判る。
 と、草むらから唐突に顔を出す腰掛けサイズの岩。
 別に岩山や川がそばにあるわけでもないのに、この手の岩がゴロンとしているのは、往時道しるべというか道程標に使われていたことが多い……のか?
 とりあえず座り、リュックサックを傍らに下ろすと、動くイキモノ。
地に置いたオレの両足の間にカエル。茶色でイボイボヒキガエル。要するにでっかいガマガエル。
 オレのことをじっと見る。田舎道でカエルとお見合いしているってのもなんだかなぁ。しかも良く見れば傷だらけで情けなさそうな表情に見える。
 ……男同士のシンパシーみたいなモノを感じたのは気のせいか。
「お前もオレと同じか……な?」
 背後でコソコソ動く気配。
 但し人間の質量ではない。首をねじると草の間に足のない爬虫類。
 ヘビ。しかもその鎖を焼き付けたような模様と三角頭はこともあろうかマムシ。
 死人も出る毒ヘビ。
 マムシはガマを食ったかどうか。図鑑的には思い出せないが、このガマ助を狙っているのは明らかだ。だから、カエルはカエルでじっと動かないのである。
 どうしようか。
「……わかったよ」
 オレはひとりごちると、リュックサックからミネラルウォーターのペットボトルを引っ張り出した。
 マムシ撃退しようというのだ。逆襲しに来るという懸念はある。でも、ヒキガエルはイボイボに毒腺を持っているので素手で触るにはアレだし、だからって見殺しにするのも。
 一撃必殺しか手はない。水はまだ少し残っているが仕方がない、足元の砂なり小石なりかき集めてペットに押し込み、重量を増やす。
 狙って投げる。すると、ヤツの顔の前でペットは一旦弾み、命中した。
 マムシがガサガサと派手な音を立て、草むらを線路の方へ逃げて行く。実は案外臆病だと判ったのはずっと後の話だ。
「追っ払ったよ。振られガエル」
 オレは草むらからペットボトルを回収すると、飲むわけにも行かぬ残った水をカエルに掛けてやった。ヨーロッパの湧き水だ。純国産のオマエラが口にすることはあるまい。まぁ一杯飲め。
 すると、ガマはさすがに口を開けてグビグビ、ということはなかったが、舌を出して濡れた自分の目玉をぺろりと舐め、次いで口の中から何か吐き出した。
 ころんと転がる白と緑の。
 それだけ見れば、子どもが二つのガムを口の中で丸めて吐き出したみたいだが。
 質感は石だ。しかも緑色の部分は透き通るかどうかのギリギリの色合いで、案外綺麗だ。
 カエルは背を向け、モタモタ歩き出し、道を横切って反対側の草むらへ。
「喉でも詰まったかこれ」
 オレはティッシュで石を拾った。白い部分も、緑の部分も、彼の体液とか、食べたものの残渣とか、そういうことはないようだ。そういう模様の石である。
 にしても緑色が綺麗だ。オレは正体を調べたいという欲求もあって、旅の記念に持って帰ることにした。来た道を駅へ戻り、『おばあちゃんの手作り弁当』なる駅弁とお茶を買い込み、“バカ停”している列車へ戻った。列車はエンジンがガラガラとアイドリング……このエコ時代にああ勿体ない、が、同時に、この長閑な光景にそこだけメカメカしいのはそれはそれで変に絵になる。
 停車中に食事を済ませ、空き箱を駅のゴミ箱に入れ、窓全開にしてボケーッとしていると、車掌の笛。
「待ってくださ~い」
 声がして、麦わら帽子を押さえながら女性が改札を抜け走ってくる。
「大丈夫ですよ~」
 車掌は言い、女性が乗るのを待って、ドアを閉めた。
 アイドリングしていたエンジンが一変、全開に転ずる。
 もったらくったら、再びディーゼル列車が走り出す。しかしこのオンボロぶり。鈍重で鈍足であか抜けせずうだつが上がらない。
「ここ、いいですか?」
 その声は実は一人残っていた女子高生……なわけない。
 しかし若い女の声に振り返ると、白いブラウスに麦わら帽子。リュックを背負ったメガネの……要するに今走り込んできた乗客だ。
 ボックスシートの斜向かいを指差している。曰く座っていいですか?
「駅から見えたんで……一人はどうにも……ご迷惑ですか?」
「あ?いえいえ、どうぞ」
 しまい忘れた雑巾のように窓枠に垂れ下がっていたオレは居住まいを正した。
 その拍子にドア脇テーブルからカエル石が転がり落ちる。
「これ翡翠(ひすい)じゃないですか?」
 驚いたように女性が言い、落ちた石を拾った。
「ちょっといいです?」
 その後の動作にオレはあっけに取られてしまう。女性はリュックから古風な字体の分厚い本を取り出し、小型のルーペで石を眺め、分厚い本をパラパラめくる。本は古いらしく、かすれたタイトルは“鉱物”。
 んなものリュックに背負って山道ハイクか。
「やっぱり翡翠ですよ。どちらで?加工して彼女さんか誰かにプレゼントですか?翡翠は巫女達も身につけた日本古来の宝石ですもんね……」
 オレもヲタク道その道語らせたら我ながら半端じゃないと自負している方だが、彼女がその後蕩々と説明した翡翠の話は、オレの認識するヲタク度のレベルを遥かに上回った。
 石ころ一つで日本列島の構造から生い立ちまで語る女性ってのもそうそうおるまい。ちなみに、この石を作った原動力は日本列島を東西に分かつ大断層“フォッサマグナ”の成因に伴うそうな。
 オレは一生懸命喋る彼女の話をゆったりとした気持ちで聞いた。オレ相手にこれだけ熱く何か言う女性ってのは……叱る母親以来だ。恐らく。
 すると彼女はハッと気付いたように“卑弥呼”のくだりで話をちぎり。
「ああすいません一杯喋っちゃいました。よく言われるんですワケワカランことべちゃくちゃ……」
「いやいや構いませんよ。するとこの石には数千万年の地球の運動が封じられている」
 オレがそう応じると女性は目を輝かせた。
「ええ。ちなみにどこで採集されました?」
「それがヘビに睨まれたカエルをどうにかしてやったら、カエルが口からペッと出しましてね。カエル石ってヤツですかね」
 すると、女性は小さく笑った。
 そんな面白いか、とオレはまず思い、イヤ違う、と思い直した。ヲタクってのは一般人には理解不能な内容を面白がったり非常な興味を持ったりする。同じかも知れぬ。
「翡翠の石言葉ご存じですか?」
「いえ」
「徳を高め願いを叶える。です。あなたはきっとお優しい方なんですね。……普通の男の人は私が喋るとドン引きですよ」
 ちなみに、翡翠が多く“蛇紋岩”から産出されることも、戻る新幹線で彼女に教えてもらった。
                                                  みどりの駅の小さなみどりの/終

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