小説・妖精エウリーシリーズ

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【45・最終回】

 その際に私をチラと見、
「……ああ、君、泥だらけじゃないか。洗濯するからウチへ」
「ちょっとあなた。こんな……大体なんでこの女が……」
 口を挟んだ母上を父上は一喝しました。
「馬鹿者。どう考えてもこの方は豊を助けてくれたぞ。大体目下大事なのは豊の身体じゃないのか……申し訳ない。妙な体裁ばかり拘泥する愚妻で」
 すると。
「……何さここぞとばかり偉そうに父親面して。ゆたかちゃん、大丈夫?この女に何かされなかった?あんな禁止の洞穴なんか」
 母上は眉根を屹立させて夫君に反駁し、私を一瞥。
 それから柔らかい表情を豊君に向け、頬に手を当てました。
「母さん……」
 豊君は目を開けて、掠れた声を出しました。
「あらゆたか、なぁに。母さんはここよ」
「馬鹿……」
 母君、絶句。
 そこへ車が到着し、豊君を乗せます。
「ああ、毛布が欲しいなあ」
「こんなのでよろしければ」
 私は手品の流儀であの糸玉を取り寄せました。
 車の後席に押し込み、形を整え、豊君の身体を横たえて包み込みます。
「ど、どうやって。……まぁいい。ああ、暖かだ。冴子。この方にシャワーに浴びてもらいなさい。朝倉君、出して」
「はいっ!」
 私と母上を残して、豊君を乗せた車は走り去りました。
 もちろん、私としてはシャワーをお借りする気はありません。
「ねえあんた」
 母上は私を見て言いました。
「はい?」
「ゆたか、急に家の前から逃げ出したのよ。あの穴に入ってたの?」
 母君は顎で洞穴を示して言いました。洞穴入り口、有刺鉄線の柵の脇には看板が立っています。
 私は超常の視覚でその字を読み取り、頷きました。
「ええ、何か怖い目にあったみたいで」
「ったく、クモ好きにも程があるわ。あんな気持ちの悪いモノ」
「彼のクモに関する知識は学者並みですよ。街灯のそばに巣を張るといった人間社会への順応や、繊維を高速で綴る仕組みなど、人間がクモから得られる知見は計り知れません。ああ、ちなみにさっきの毛布はそのクモの糸です」
「えっ!」
 母上が驚いて車の方向を振り向いた途端、私はそこから姿を消しました。

 最後に、洞穴の看板に書いてあった説明をかいつまんで書いておきます。

 -土蜘蛛伝説-

 古代この穴から人を食う大クモが出入りしていた。ある日英雄が現れて対決を挑み、クモは穴の奥に封じられた。土地の人はたたりを恐れて聖域とし、退治した田畑の昆虫を年に一度捧げた。禁足地につき立ち入るべからず。

管理社寺名

クモの国の少年/終

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【44】

「ゆたか君、起きてゆたか君。お母様方が探しに来ている」
「うーん……」
 ゆたか君は唸るように声を出しましたが、目を開けません。
 頬に触るとすごい発熱。
 ……伝説の怪物を見たり、神隠しに遭った後、重い病気になるという民話は良くあります。精神のショックが神経系に影響を与えるのは当然のこと。
「あの、瑞穂豊君ならここに」
 私は彼を抱いてぬかるんだ洞窟をいざり、有刺鉄線の中から声を出しました。
 それこそテレポートすればいいのですが、彼が超能力の発現に当てられて発熱したなら、再度の発現は少し怖い。
「豊?何でこんな所に。どうやって。あんたは」
 峻厳な母上。
「雨の中気絶していたのでここへ雨宿りに。すごい熱を出しています。救急車を」
 説明は後。果たして母上の顔色が変わりました。
「わ、判ったわ。あなたー!」
 あなた、とはご主人、豊君の父上のことでしょう。母上が私に背を向けて声を出したその刹那、私は手のひらの石で有刺鉄線を断ち切ります。
「豊がいたわ!こっち!病気らしいのよ!」
「おお!おお豊どうした。ああ、そんなところに入ったのか!」
 口ひげが立派な印象の男性がカサを放り出し、走ってきます。雨のせいか気温が低く、息が白く見えます。
 私はトガで彼の身を隠して雨よけとし、走り寄る男性に近づいて行きました。
 母上がいつの間に?という目で見ますが、説明はしません。
「低体温か」
「いいえ、ショックを受けたようでひどく発熱しています。意識はもうろう。呼吸は浅く心拍は早い」
 私は父上が医者であると判断し、いわゆるバイタルサインに属する情報を伝えました。
「豊、おい豊、聞こえるか、父さんだ。もう大丈夫だぞ」
 声を掛け、頬を打ち、脈を取り、瞼を指で押し開く。
「おとう……」
 豊君は目を開けました。
「あれ……クモは……」
「何を言って……」
「大丈夫。君のおかげでみんな助かった。私もね」
 父上の言葉を遮って、私は言いました。
 豊君は私にゆっくりと目を向け、そっと笑顔を見せ、再び目を閉じます。
 もう一人の男性がカサを掲げて走ってきました。
「瑞穂先生……ああ豊君」
「車を回してくれ。私の医院へ連れて行く」
「判りました」
 男性がきびすを返す。
「お嬢さん、私が引き受けよう」
 父上は両腕を広げ、豊君の身体を引き取りました。

次回・最終回

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【43】

 雨の音。
 重く湿った空気がトガをも重くし、身や髪にまとわりつくかのようです。
 クモの国からテレポートして。
 失神したのか眠ったのか、少し時間が経っているようです。私はひんやりとした固いものに寄りかかり、座った状態。
 目を開くと暗闇。
 いいえ左側からうっすらと光が入る。
 生物的な暗順応より早く、超常感覚の暗視眼の方が働き出します。トンネルと思しき円形の断面の中に私たちはおり、その円形の壁天井には、コオロギの仲間のカマドウマがびっしり。
〈妖精さんが男の子連れてる〉
〈起きたぞ〉
〈すっげー。本物だ〉
 男の子……ゆたか君は私の膝枕で目を閉じています。こちらは間違いなく失神しています。
 さて、洞窟ということは判りました。クモではなくカマドウマがいるので、クモ達の国ではありません。異常な状況でテレポートしたので、妙なところへ飛ばされたのでしょうか。
 光来るその方向に目を向けます。トンネルの出口です。薄暗い空が煙っています。サーッという雨の音からして、草むらが広がっている様子。
 そして、出口部分に紐のようなものが横たわっていて、良く見ると有刺鉄線。
 有刺鉄線……人間の造作物。
「……ゆたか」
 声が聞こえました。掠れていて、切迫していて。
「おーい、みずほくーん」
 彼のフルネームはみずほ・ゆたか。
 彼を捜す大人達の声です。つまり、ここは人間の世界。
 〝クモの国〟は天国エリアに属しますから、エリア内の移動であるテレポートでは人間世界へ飛んだりはしません。なのに、テレポートの呪文で人間世界へ飛んだ。しかも、私たちの属するフェアリーランドを経由せずに。
 ということは、一瞬であれ天国と人間世界とが繋がったことを意味します。ブラックホールとホワイトホールで離れた空間が接続されるイメージです。当然、次元が異なるので接点に存在する意識精神には大きなエネルギー準位差が加わる……失神しておかしくない。
 そして、あのクモの国には、風であれ手であれ、少なからず人間の恣意が流れ込んでいた。
 ……理屈っぽい話は止めましょう。ゆたか君を親御さんに返さなければ。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

妖精エウリーの小さなお話

●妖精エウリーの小さなお話集

~手のひらサイズの翅娘のお話を、あなたの手のひらで~

All llustration by TAC.(TAC's DDDD)

魔法のりぼんheart

若きフェアリーテールの悩みheart

枯葉の森の小さな事件heart

命のバリアheart

昆虫界の大異変heart

もう一人の私heart

すて犬物語heart

heart

大河のようにheart

蛇の道は。heart

heart

僕に魔法をheart

翅のちぎれたちょうちょの物語heart

人魚と出会うheart

私が怒ったことheart

プレゼントheart

瑠璃色の翅は青い空にheart

heartクモの国の少年
【1】 【2】 【3】 【4】 【5】 【6】 【7】 【8】 【9】 【10】
 【11】 【12】 【13】 【14】 【15】 【16】 【17】 【18】 【19】  【20】 【21】  【22】 【23】 【24】 【25】 【26】 【27】 【28】 【29】 【30】 【31】 【32】 heart【33】 【34】 【35】 【36】 【37】 【38】 【39】 【40】 【41】 【42】 【43】 【44】 【45・完結】new(9/19)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【42】

 まるで虫を捕まえようとする手です。私たちは逃げ、捉えそこねた手のひらは遺骸の大地を叩き、その都度、遺骸が砂塵のようにザァッと舞い上がる。
 数回繰り返した時、私たちの前に割り込む大きな影。
 コバルトブルー。
 そして、手の甲へ飛びついたのはギガノトアラクネ。
 谷に渡した糸の橋を通って、来てくれたのでしょう。
 でも、彼ら巨大クモより尚、その手は大きい。
 彼らは獲物狩るための巨大な牙を突き立てました。しかし、ナイフが爬虫類のウロコを滑るようで、文字通り歯が立ちません。
「目だ!目を狙って」
 ゆたか君のアドバイスに、大グモ達は、巨大な牙の先からサッと霧のようなものを噴き出しました。
 クモの毒。
 カニの脚を無理にもぎ取るような、メキメキという耳に痛い音。
 それは、毒のもたらした痛みでしょうか、渾身の痙攣でしょうか。震えながら、コバルトブルーを握り潰さんばかりの手のひら。
 手のひらの中で、歩脚を折られつつも抗う、コバルトブルー。
〝我らに構うな〟
 ギガノトアラクネが動きます。握られたコバルトブルーもろとも、手を糸でぐるぐる巻き。
 糸で白くなった手が、2匹のクモを抱え、或いは載せたまま、高く持ち上げられる。
 手の甲にある目が、糸の隙間から、こちらを覗きました。
「テレポートなさい!」
 アラクネが言います。でも、あなたやクモ達がいるのに。
「これの目的がアンタだったら、アンタがいなくなれば、自ずと消える」
 アラクネは、8本の手足を広げ、手の甲の視界に立ちふさがりました。
「お前は、欲望の権化」
 睨んで言い、その尾部の糸イボから糸を紡ぎ、遺骸の大地に絡みつかせる。
 それは狩る前のクモが、命綱を用意する動作。
「少年、何を言われても今は耐えろ。クモが獲物を待つように今はただ機会を待て。お前だけが知ることは、いつかお前にとって利となる。臆することはない。君なら出来る」
 アラクネが、大地駆って飛び上がる。
 私は、意を決しました。
「リクラ・ラクラ・テレポータ」
 二つの出来事が同時に起こります。
 アラクネは、手先から、この地の住人として魔法を使い、火を放ったのです。
 彼女は人間。そして、人間を他の動物から一線を画す存在に変えた原動力こそは、火。
 炎は糸と遺骸の大地を波のように広がり、一瞬で火の海に変えます。表面フラッシュ。
 大きなクモが3匹、三方に飛び去る姿を最後に、私の視界は切り替わりました。
 テレポーテーション。
つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【41】

 ゆたか君の言葉が正解でした。
 手。人の手。
 それは見る間に大きくなってきました。確かに手です。巨大な手が天から降りて来ます。
 まるで不躾で、闇雲に、何かを鷲掴みにするように。
「ボケッと見てる場合じゃないよ」
 アラクネは言いました。その通り、私たちはこの少年と子グモ達を守る義務がある。
「クモ達は私の所へ。君は妖精さんの方へ」
 子グモ達が糸引いてアラクネの元へぴょんぴょん跳びしがみつき、私はゆたか君としっかり手を繋ぎました。
 巨大な手が風圧を伴って降りてきます。巨人の手です。このアラクネの糸の工房を充分押しつぶせる大きさ。
 この糸の館は安全ではない。
「潰れるよ!」
 アラクネは糸を出し、その手が作った風圧に糸を載せ、自らを空中へ。
 私は私でゆたか君を抱いて翅で。
 私たちが脱出するのと同時に、巨大な手はアラクネの工房を叩き潰してしまいました。
 ちなみにその手は手首から先だけです。切れたトカゲの尻尾のように、手首だけが動いている。
 手は潰した工房を握り、持ち上げ、〝手のひら〟を開き、あたかも中身を見て確認するように動き、バラバラになった工房を捨てるように落としました。
 巨人の手と書きましたが、手先だけは見えて後は透明な巨人がいるよう。
 その巨人が、〝獲物を捕らえ損ね、落胆〟。
 手のひらが再び下に向けられます。何を捕まえ……
「うげっ!」
 ゆたか君が言い、対して私は息を呑みました。
 5つの手指、指紋の渦巻きが出来る部分に〝目〟が現れたからです。
 指先に目を持った手のひらの怪物。
 風が人の悲しい思いであるなら、この怪物は人のどんな思い。
 手指が、その目を、一斉に、こちらへ向けました。
 目が合います。つまり、ターゲットは私。
 ゴオッと唸り立てて捕まえに来ます。私は羽ばたいて逃れます。
 目線から離れようと手の後ろ、すなわち手の甲へ回ります。
 ところが、そこにもスーッと裂け目が生じ血が流れ、大きな目が現れました。
 〝手のひらを返して〟襲ってきます。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【40】

 つまり、生態は似ています。実際、同じような場所に、同じような巣を張って生きています。従って、
 オオヒメグモがいない場所で、気候の条件さえ整えば、ゴケグモ類が日本で暮らすことは可能。
 そして現在、その条件が整い、何らかの原因で日本に入り込んだ彼らが暮らし始めているのです。
 だから、もしも、人間さんが、不快だから、それだけの理由でオオヒメグモ達を駆除したならば。
 オオヒメグモのいた場所に、入ってくるのは。
 ヒメグモ科。学名はTheridiidae……ごちゃごちゃ網のクモ。
 同じようなクモに、方やクモ自体の姿から姫の名を与え、こなた網の形でそう分類。つまり、クモの姿はどうでも良かったのかも。
 それだけではありません。実は、先にゆたか君が挙げた日本唯一の毒グモ、カバキコマチグモを漢字で書くとこうなります。

 樺黄小町蜘蛛。樺黄色の小町蜘蛛。小町、すなわち、美人。

 愛されなければ、やがて毒ばかり。
 アラクネ。あなたが言いたいのは、そういうこと?
 でも何故、私たちに。
「風が止まるとか、変なことばかりだからさ」
 アラクネが、言いました。
「ここは、人の気持ちが、現象になって表れる」
 アラクネは私を見、目線を手元に戻し、作業を続けようとしました。
「何だか見づらいねぇ。ウチは明かりが無いから暗くなると店じまいだよ」
 言われて気が付きます。辺りが暗い。
 ただ、遠くの方には明るさが残っています。夕暮れや天気の暗転というより、日食の暗さ。
 何か変です。
〈おばさん!〉
〈翅のおねえちゃん〉
 子グモ達が慌てた様子で戻ってきました。
 外に出て見上げると、黒い何かが空を覆っています。
 それは超巨大なクモが高みにいるような形をしています。ただしそれは、この国に住まうクモ達と雰囲気が違います。
 脚が……5本。
「あんなクモは見たこと無いよ」
 アラクネが天井伝いに出てきて外を見上げ、言いました。
「なぁ、あれ、手、じゃねえの?」

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【39】

 歌の通りなら悲しき主はアラクネということになりますが、何て寂しい歌なのでしょうか。
「私の仕事はね。ここで糸を紡ぐこと。風で上がってきた虫の命を食ってゼロに返すこと。そう、この死体の山は全部私が食ったモノさ」
 アラクネは言いました。
 自虐的な告白に聞こえたのかも知れません。
「そんな風に言うなよ」
 ゆたか君が言いました。
「クモが虫食って何がいけない」
「ありがとね」
 アラクネは言って、8つの瞼を伏せるように閉じました。
「温暖化だってね」
 突然話題を変えます。
 でも、それは最初にゆたか君が言ったこと。
「うん」
「足下の命を顧みなくなると、足下から忍び寄る命の変化に気付かない。言ってる意味が判るかい?」
 アラクネは8つの目を見開いてゆたか君を見ました。
 すなわちそれは彼女の核心。確信の核心。
 温暖化で生き物の分布が変わる。それは最前言われていること。
 ある生き物はいなくなり、別の生き物が住み着くようになる。
 でも、それだけじゃない。
 虫たちの分布に〝人間さんのそばにいる〟ことが関係しているなら。
 人間さんのそばにいるから、毒を持つ必要がなかったならば。
 人が虫を締め出してしまえば、虫を遠ざけてしまえば。
 彼らの生きる場所はない。
 対して。
 〝毒虫〟は愛されるために生まれた虫ではない。
 ひたすらな防御能力を進化させた結果。
 いつの間にかいなくなる。
 いつの間にかそばにいる。
 気が付けば毒虫だらけ。
「セアカゴケグモ」
 私はそんな毒虫の例を挙げました。
 ゴケグモ。後家蜘蛛の意味で、交尾後メスがオスを食べて〝後家〟になることに由来します。但し本来日本にはいません。日本以外で分布した毒グモです。世界一の猛毒とされるクロゴケグモを含んだ一族です。セアカゴケグモは〝背中が赤い〟ゴケグモ。の意味。 実は、同じ仲間が日本にもいます。玄関先にボロボロの網を張る、小さな丸っこいクモを見たことのある方も多いでしょう。オオヒメグモです。名前の通り姫蜘蛛です。どちらもヒメグモ科のクモです。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【38】

「それはヘビだろう。でもヘビを入れてもその程度。違うかい」
 アラクネはニヤリと笑いました。
 言われれば確かに日本という土地に毒のある生き物は少ない気がします。
 でも。
「どういう意味なんですか?」
 私は思わず訊きました。
「クモに対する敬意を感じる。だけでなく、日本の虫たちは愛されている。昆虫の大家ファーブルは故郷じゃ変人扱いだってね。何で毒虫が毒を持つかって考えたことがあるかい?」
 アラクネはゆたか君に問いかけました。
 不思議な時間を過ごしていることを私は意識します。人間であるゆたか君と、元より異世界の住人である私と、そのどちらでもあるアラクネと。
 同一の空間を共有している。
 その状況でこの問い。まるでアラクネは千載一遇と捉えているよう。
 彼女は何か伝えたいのでしょうか。
 それとも知りたいのでしょうか。
 急いでいる。
 焦っている。
「そ、そりゃ身を守るためだろ」
 ゆたか君は答えました。実に当然な回答です。
 すると。
「じゃぁ他と同じくらい毒を持つものがいてもいいだろ?少ないと思わないかい?」
「わかんないよ」
 ゆたか君は困惑して答え、
「あ、でも」
「でも、何だい?」
「必要なかった、ってのは考えられる」
 彼の言葉にハッとしたのは私の方でした。
 毒が身を守るために備わる物であるなら、
 攻撃されない生き物は毒で武装する必要がない。
「日本人は生き物たちと上手に折り合って生きてきた。だから、生き物たちは毒を捨て去った」
 導き出される結論をゆたか君は言葉にしました。
 アラクネは安心したように8つの目を穏和にしました。
 もちろん、そんなの学者も学会も相手にはしないでしょう。
 ただ、虫たちが子ども達の友達であり続けたことは事実。
「妖精さん」
 アラクネは織る手を止めました。
「はい」
「悲しみの風吹く谷の 風を呼ぶのは悲しい思い 悲しみの風は命を惜しみ その故に天へと戻す 谷の主は悲しき主 誰も主を求めぬ悲しき。ってね」
 アラクネは歌うように言いました。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【37】

 でもそんなの大人向けの科学雑誌でやっと出てくる話。
 オトナの皆さんが〝子どもにさせたいこと〟と、子ども達が興味を持つものは得てして違う。
 そして多くの場合、子ども達の興味の対象を大人達は理解しない。
「だから温暖化が本当なら怖いんだ」
 ゆたか君は言葉を繋ぎました。
「酸素濃度の違いとかありかもだけど、そんな大きなクモがもう一度地上に現れたら、人類の天敵になりうる。人類のことだから爆弾とか言い出すだろうだけど、原子爆弾でも追いつかないような途方もない火山噴火や、噴火で毒ガスが充満した世界を彼らは生き延びてきた」
「いいことを教えてあげようか」
 アラクネは編む手を休めず、別の手で虫をつまんで口に運びお茶を一口。
「気ぜわしいオバサンでごめんなさいよ。日本から来たんだよね」
「うん……ってあんた日本語うまいなぁ」
「ここにいると言葉は魔法でね。知識豊富な少年よ、日本で有毒とされる虫、昆虫と節足動物、挙げてみな」
「陸生?」
「ああ」
「じゃぁまずサソリ、ムカデ、カバキコマチグモ、刺すハチ。ドクガとかその辺の毒毛。あと止まられるとかぶれを起こすのいたよな。ハネカクシだっけ」
「アリガタハネカクシ(蟻形翅隠し)だね。有毒というより人間さんの皮膚との相性問題に近いと思うけど」
 これは私。ちなみに、カバキコマチグモはススキなどの長い葉を巻いて巣を作る徘徊性のクモで、唯一〝有毒〟という言葉が使える日本産のクモです。子グモが親を食べて育つという特異な習性を持ちます。
 そう、〝日本の毒グモ〟は事実上この種だけです。もちろんクモ一般に狩猟用の毒を持ちますが、人間さんに向かって行使することはまずありません。噛むことはありますが、威嚇だけです。ジョロウグモ、オニグモ、コガネグモは当然のこと、大型さ故に知られるアシダカグモですら。
「他には?」
 アラクネは聞きました。私もお茶をもらいます。ジャスミンティーです。
「えーっと。あ、ハブとマムシとヤマカガシと」

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【36】

 空っぽに見えたガラスのポット。しかしテーブルのカップを並べて傾けたら、中から紅茶が出てきました。
 この種の魔法はこの世界の住人の流儀です。私がちょっと驚いた顔をしたら。
「つまり私は人間には戻れないってことさ。悪いけど仕事させてもらうよ」
 アラクネは言うと、テーブルの前に座り、ゆたか君の持ってきた糸玉から糸を引き、手足を駆使して凄い勢いで織物を始めました。
「戻れないって?」
 溜息混じりの悔恨の言に、ゆたか君は心配そう。
「古い話さ。知らないなら訊かないこった。それよりお前さんの話はどしたい。まともな人間は3623年ぶりでさ。食べたいほどウズウズしてんだ」
 アラクネは牙を見せてニヤッと笑うと、テーブル中央に手の一本を突っ込み、中から何かつまみ出して口にしました。
 くちゃくちゃくちゃ、ぺっ。
 吐き出して屋外に転がったそれは昆虫の殻。
 この〝遺骸の大地〟……まさか。
「ああ、大昔日本は暖かかったっていうから、大型のクモがいても別に変じゃないよなって。例えばカブトガニってクモに近いって言われててデカイだろ。あれは今でも日本に住んでる。海にカブトガニがいて陸上にはクモがいた。変じゃないと思う」
「化石なんかは出たのかい?」
「ないよ。ただ、化石で残る固い部分もないし。化石がないからいなかったっていうのは証拠にはならない。それに、日本では火山噴火が多いせいか、人間や他の動物の化石自体少ない。ただ、ひょっとするとでかすぎてアノマロカリスみたいに何かの部分だって思われてるだけかも知れない」
 等々と喋る彼の口調は子どもの物言いではありませんでした。
 ピアノを弾く彼とは大きなギャップを私は感じました。虐げられる自分と、嫌われるクモに共感を覚え、興味を持って飼うようになった。でも、彼はそれ以上に自ら進んで、そこまで知った。
 自ら進む。これが何より大事ではないでしょうか。ちなみに、アノマロカリスはカンブリア紀の大型肉食生物で、当初カマ状の腕、口周りの化石が見つかったのですが、それぞれ別の生物と考えられていた、という経緯があります。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【35】

「大昔大きなクモがいて人間に殺された」
 彼は答えました。
 私は翅の羽ばたきが止まって落ちそうになりました。それはちょっと。ええ絶対に多分。
 ……いや私もギリシャ神話に起源を求められる種族なので詳しくは知りませんが。
 違うことだけは確かなような。
「そんな話かい?妖精さん……って、アンタもニンフ系だったっけねぇ」
 私が答えに窮していると。
「先生は違うって言ったよ。縄文人って人たちが手足が長くてクモみたいだったからだって。でも、そっちの方が間違いだよ」
 彼の発言に私は自分でも判るほど目を剥きました。
 だってそれは〝定説〟に対して小学生が異を唱えてるということ。
 ただ、突拍子もない子どもの妄想……という感じはしません。何故でしょう。
「ご高説賜りましょうかね。ほれ、アレが私の家だよ」
 行く手に白い〝建物〟が見えてきます。違います。
〝人家の形に作られた巣〟
 近づいて圧倒されます。サイズは決して大きくないのですが、糸だけで全てが編み上げられ、緻密そのものです。
「こんなナリだけどさ、困ったことに人間の生活が必要らしいんだよ」
 中に入れてくれます。これも糸でしょう、テーブルに茶器と、
 奥の方には出来上がった装束がズラリとぶら下がっています。
「あの……これ……」
 ゆたか君が指さす糸玉。
「ああ、その辺に置いておいてくれ。子ども達好きなように。アンタらにはお茶でも出すかね。お茶だけは認めてくれてさ。ああ、そっちのソファに座っておくれ」
 クモの子達にとっては糸の城です。みんな喜んで部屋の各所に散らばって行きます。
「届け物の上で粗相だけはやめてくれよ」
 アラクネは言うと、壁から天井へ登って、天井裏からガラスのポットを出してきました。
「そうか、壁も天井も普通に使えるんだ。宇宙ステーションみたいだ」
 ゆたか君の感想にアラクネは大笑い。
「いちいち面白い子だね。さてお説を伺おうかい。土蜘蛛は本当に大グモのことだって?」

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【34】

 ですから。
「バケモノだって言わないのかい?」
 ニヤッと笑ったイメージ。表情を作ったのは額まで含めた左右の耳朶の間に並ぶ8つの目、大きく裂け、牙を持った口。
 髪の毛は乱れ縮れ、大きく広がり、長く垂れています。
「ゲームででも見かけたかい。張り合いがないね」
「あんた、〝土蜘蛛〟かい?」
 アラクネが私たちを糸の網で包み込もうとした時、ゆたか君がそんなことを言いました。
 ツチグモ。日本の神話や後の英雄譚に登場するクモの怪物です。準えて、でしょう、現生の地面徘徊性の大型クモ〝タランチュラ〟の和名として〝オオツチグモ〟と付けられています。コバルトブルーも分類上はオオツチグモ。
「これは珍しい物言いを聞いたよ」
 アラクネは8つの目を一様に大きく開いて、驚きの表情。
 糸をぐるぐる巻いてカゴを作ると、中にゆたか君を入れてしまい、するすると巻き上げます。
 牙を見せて8つの目でじろり。
 わざと怖がらせている感じ。
「本当に私が怖くないのかい」
「翅のねーちゃん昆虫の化身だろ。あんたはクモの化身だ」
 アラクネは耳まで裂けた口を開いてニヤリと笑いました。
 しかしゆたか君は本当に平気なようです。
「ぶ、ぶすオンナだとは思うけどさ」
 これにアラクネは毒気を抜かれたようにアハハと大笑い。
「気に入ったよ。妖精さん、あんたたちを私の家に招待していいかい。小さい子達もおいで。よく頑張ってこの人達を助けた」
 アラクネはそう言うと、私が何か答える前に、ゆたか君を入れた糸篭をぶら下げ、歩き出しました。
 8本の手足が〝遺骸の大地〟をかなりの速さで進んで行きます。彼女は根本的に人間のままですから、ゆたか君以上に体重があるはずです。でも、その重さが8本の手足で分散されているため、潜り込まずに済んでいるのでしょう。
「坊主、お前は土蜘蛛の話をどこまで知ってるんだい?」
 アラクネは歩きながらゆたか君に尋ねました。
 ギリシャ神話の住人が日本の伝承について訊くのは不思議な感じ。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【33】

〈助け糸を出します〉
 子グモ達が中から出てきて糸を流します。風によって運ばれて、誰かがそれに気付いたなら、糸をたどって助けに来てくれる。
 私の指より小さなクモ。縮んだ時の私より小さなクモ。
「誰か助けて!」
 私は叫びました。
 声が響き、広がり、吸い込まれて行くのが判ります。生まれて……200年以上……初めてかも知れません、誰かに助けてと頼んだのは。
 かろうじて見えるあまた細い糸の煌めき。
 遺骸の大地が流砂のように少しずつ動いて行くのが判ります。
 このままだと私たちは流されて落ちる。潜り込む。
 私は目を閉じます。そうなった時でも、脱出する手段はないか。
 顔に触れるわずかな感覚。
 私の身体から伸びた糸が数本、リズミカルに引かれます。
 そうリズミカルに。
「え……」
 近づいてくる間違いなく足音。誰か来ます。複数でしょうか。この〝大地〟でも歩き回れる存在。
 〝対岸の住人〟私が受け取ったイメージはそれです。
 よぎる頭上の影。
「つかまりなさい」
 流麗な人語と共に目の前に糸が降りてきました。いえ、降りてきたと言うより、投網の要領で投げ込まれた糸の束です。
「ありがとう」
 私は答え、糸を掴み、〝人語〟の意味するところに気づき、振り仰ぎます。
 人間型生命体。
 しかし、私たちに掛かる影の姿は。
「すげぇ…」
 ゆたか君は影の主を見上げ、思わず、といった感じでそう呟き、目を見開き、黙り込みました。
 織り姫アラクネ。
 腕前が完璧すぎて女神アテナの怒りを買い、クモの姿に変えられたというギリシャ神話の機織り娘。
 しかし、私たちの上に糸を下ろしたそのひとは、人間の女性の象徴である豊かな乳房を持っています。
 ただ、その乳房の両脇からは、人間さんの腕が左右2本ずつ4本。足が、左右2本ずつ4本。
 つまり8本の脚は人間の手足の形。しかも、普通の人間さんサイズの2倍の長さ。
 腹部だけはクモです。それ以外は、クモの特徴を備えた人間の身体。

Arakune1

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【32】

 まるで降り積もった新雪に踏み込んだ時のように。
「うわ!」
「あっ」
 私は彼より遥かに軽いと書きました。伸縮自在ですから、人間サイズの時、密度は低いわけです。水に浮かぶ船と同じ。
 だからこの〝大地〟に立っていられた。対し彼は普通の人間。
 彼はとっさに糸玉を掴み、私も腕を伸ばして彼の手首を掴み。
 彼は首までズブズブ潜ってようやく止まりました。
 しかしそこまで。密度の低い私と、密度の低い糸玉で、彼を支えるのが精一杯。
「翅を使う。目を閉じて少しの間息を止めて」
「妖精さんこれ昆虫の死体だ」
「え……」
 言われて、すぐ目の前の〝土〟に焦点をずらします。
 彼は続けて、
「カブトとか、スズムシとか、色はみんな茶色だけど、これ、そうだよ」
 セミの抜け殻を見たことがありますか。あんな感じの、虫の形をした殻。
 セミの抜け殻を手で握るとどうなるでしょう。さっき私の服や髪に付いていたのは、そんな、バラバラになった、虫の外殻。
 この赤茶けた〝大地〟を構成するのは、夥しい数の虫の遺骸。
 虫の遺骸の大地。
「あっ……」
 ザラッと音を立て、ゆたか君の身体が沈み込もうとします。
 驚いている場合じゃない。
「目を閉じて」
「うん」
 背中の翅にモノを言わせます。羽ばたいて彼をここから……。
 しかし。
 私はすぐに自分の失敗に気付かされます。私のしたことは、さながら砂の山で扇風機。
 羽ばたいて虫たちの遺骸がバサーッと舞い上がり掘り返され、
 舞い上がった遺骸は私の翅にぶつかって羽ばたきを妨げ、気流が不十分。
 幾千幾万の遺骸に包まれ、まるで水の中で手足ばたつかせてもがくのと一緒。
 掘り返されていっそう深くなった穴に私たちは落ち込みます。自分の翅で穴を掘って、そこに落ちる。
 手足広げて、翅も〝大地〟に張り付けて、どうにか沈むのが止まりました。
 でも、そこまで。
 それ以上何も出来ない。ペンダントを引き出そうにも、手を動かすことも出来ない。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【31】

 慌てて立ち上がると、霧に巻かれたように真っ白で、方角も判りません。
「ゆたかくーん!」
 私は幾度か、いろんな向きに叫びました。
 歩きにくい〝地面〟です。書いた通りのフワフワ。色合いは鉄さびを思わせる赤茶色。服や髪に幾らか付いていて、指でつまむと、しっとりしていてパサパサ崩れます。
 伸びる細い糸の先から反応有り。
「妖精さん」
 小さな声。
「ゆたか君!」
 私はあらん限りの声で言いながら、糸を引きます。糸は水平に伸びていて……ああ、霧のような物が晴れてきました。
「妖精さん、大丈夫か!」
 細い糸の向こうに見えたのは、元いた向こう側の崖と、そこに落ちた糸玉。
 彼はその糸玉の中から這い出して来ました。
 糸玉クッション。
「ケガはない?」
「オレは平気。糸玉の中に潜ったから。あんたは?」
「大丈夫。私は反対側に降りた」
 いい知恵だ。私が思ったら、服の中もクモ達も同意。
〈彼はクモの生態をよく知ってるようだ。我々は卵のうを糸でくるむからね。伝えて下さい。私たちがその糸を頼りに行き来して網を張る。そのまま動くなと〉
「判った」
 崖のあっちとこっち。
 小さなクモ達の地道な作業が始まります。糸を引いて彼の元へ渡り、糸を引きつつ、糸玉の糸を引き出しつつ、私の元へ戻ります。
 繰り返し、繰り返し。
 途中また風が吹きましたが、クモの糸は丈夫です。
 細い糸はロープとなり、やがて糸の橋になりました。
「そっちに行くよ」
 彼は言い、糸の橋に足を載せますが。
 やはり人間の子どもは苦しいようです。足がズボッと突き抜けてしまいました。
 すると。
 彼は再び糸玉に潜り込み、〝大玉転がし〟の要領で橋の上をゴロゴロ。
 こちら側へ渡ることに成功します。
「クモの卵を思い出してさ、オオヒメグモとかナガコガネとか、糸で刳るんで吊るじゃん……」
 ゆたか君は言いながら、糸玉から再び出てきて、赤茶けたフワフワに足を下ろし。
 しかし。
 そのまま落とし穴のように、フワフワにズボッと潜り込んでしまいます。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【30】

 次の変化に私は気付く。
「みんな、私の服の中へ」
〈はい〉
 クモ達がトガの中に潜り込んで程なく、風がピタリと収まりました。
 体が風の力を失い落ちて行きます。私は身体に絡んだ糸の隙間から翅を差し伸ばし、
 滑空して、
 私の身体から長く伸びる、幾重もの糸の束を、力一杯引きます。
 子どもさんを、人間の子どもさんを、私自身の翅の力で抱え飛んだことが過去に一度だけある。
「ゆたか君!」
 私は叫びました。言伝のみ?そんなこと気にしている事態じゃない。
 私の声は谺を伴い谷間に広がって行きます。
 しかし返事がない。
 ゆたか君からの返事はない。
 天国の誰すらも知らぬ谷底へ……
 いいえ。ただ、遠いだけ。
 私は信じて糸を引きました。
 そう。勇気ある者の勇気が報われない世界ではない。
 天国であるが故に。
 私は祈って糸をたぐりました。たぐりよせ、ゆるんだ分を口にくわえ、再びたぐり、口にくわえ。
 それは糸の長さを調整するそれこそクモの流儀。私は何もかも忘れ、ただ糸の伸びる先一点を見つめて。
〈妖精さん〉
 クモの子から声があり、私は作業を中断します。
 ふと見ると地面。
「あっ!」
 私は思わず声を出しましたが、土の上に叩き付けられ、という感じではありません。
 豪雨の後の腐葉土……それとも濡れたスポンジの中に、ドサッと落ちた。そんな感じでしょうか。
 どちらにせよ言えること。元の地面じゃない。
 対岸。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【29】

 糸玉が風をはらみ、落ちてくる雨の滴のように扁平になり、ゆたか君の身体を上方へ持ち上げます。
 言わば凧。
「妖精のお姉ちゃん!」
 こちらを見て叫びます。私に追いつこうというのでしょうか。
「今行くから!」
 落下する危険を顧みず、何という勇気でしょうか。
 でも、私の方が遥かに身体が軽い。
 距離は逆に開きます。
 すると。
 彼は再度背後に手を回し、糸玉に突っ込みました。
 無造作という感じで糸を塊ひとつかみ。
 彼の意図を私は悟りました。その糸の塊には子グモ達。
 私よりも軽いもの。その糸と子グモ達。
「先行け!」
 子グモ達はお尻から糸を放ちました。
 私の顔に糸が触れる。
 私は掴みました。しかし、ゆたか君の身体はどんどん視界の向こうに小さくなって行きます。
 細い細い糸を伝って、子グモ達が登ってくる。
 飛ばされながら、浮きながら登ってくる。
〈妖精さん。今……〉
 小さな囁き。
 クモ達は、私に、追いつきました。
 凄い勢いで糸出して私の身体をぐるぐる回ります。風を孕みはためくトガを身体に巻き付けてくれているのです。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【28】

 私は言いました。要するに生き物がいつ死ぬかなんて判らない。
 ただ、正確なことを言うとこのセリフには嘘があります。交尾した後メスに食べられるオスはいますし、アリのオスは女王と結婚飛行に臨んだ後、数時間以内に死を迎えます。
 すると。
「糸だけみんな出しておいてくれよ」
 ゆたか君は言いました。
〈フワフワするだけなんだけど〉
「判ってる。ちゃんと飛び出さないようにこうしておくよ」
 糸がキラキラ光りながら流れ出し、ゆたか君は手のひらを包むように閉じます。
 大事なものをそっと手で包むように。
〈暗いぞ〉
〈でも、あたたかいね〉
 繰り出された糸が伸びて行きます。
 まるで綿毛が伸びて行くかのようです。
 その時。
 風が吹きます。
 超感覚が多くの悲しみの訪れを告げます。
 つまり。
 言伝だけは許される。
「危ない!」
 私は叫びました。
 ただ、その危機の正体は、彼でも、クモ達でもなく。
 私自身。
 寄って立つこの大地の底が抜けます。Vの字の崖になっていると書きました。それは裂けて落ちる可能性が常にあるということ。
 足の下の土が消え、出来た空間からドッと風が吹き上げてきます。私の身体は投げ出され、その気流に乗り、持ち上げられます。
 背中の翅で飛べるということ。それだけ身体が軽いということ。
 飛ばされる……逃げる……どうやって。
 翅……広げれば余計に風を受けるだけ……テレポーテーション……自分だけ?
 私は次第に持ち上げられて行きます。先ほど谷底を気にしましたが。
 上は上で、どこへ?
 すると。
〈人間!妖精さんを助けるんだ!〉
 それはカミラがゆたか君の手の中から発した〝命令〟。
「おう!」
 ゆたか君は応じ、下ろしていた糸玉を背負い、何ら躊躇無く、風の中に身を投げました。
〈クモになれ!少年!〉
 ゆたか君は背中の糸玉に手を突っ込みました。
 次いで引き抜くと、滑空するクモのように、両の手足を広げました。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【27】

〈私らの糸を流すだけでいい?向こうに渡る?〉
「いや、飛んで戻れなくなったら大変だから。流すだけで」
 すると、小さなオオジョロウグモはちょっと驚いたような。
 しかしすぐにツンツンした態度に戻って。
〈お優しいことで。でもね、私ら小さいから何かあったら身体ごと持って行かれるの必定なわけで〉
「オレの手から糸だけ出せばいいさ」
〈そういうこと……〉
 子グモ達は一斉に私の手からゆたか君の手のひらへ移動。
 めいめい驚きの意志を示します。
〈ひっひっひ、カミラが仕切りだよ〉
 異口同音にそんな感じ。私はオオジョロウグモの子が〝カミラ〟という名前らしいとゆたか君に教えます。
「カミラ……」
 すると。
〈気安く呼ばないでもらえる?〉
 それは言葉の平手打ち。
〈人間でここにいるってことは、嫌われ者の弱虫って事じゃない。失礼だよ。で?はいみんな揃ったけど?糸出していいの?〉
「嫌われ者……」
 ゆたか君、呆然
 正直、それはカミラには言って欲しくなかった。
〈いちいちウジウジするんじゃないよ。私ら率いて糸を運ぶんでしょうが。忘れてもらっちゃ困るよ〉
 その両極端。その強さ。むちゃくちゃな叱咤激励。
 何だか張り詰めた姉のようです。
 しかし、ゆたか君は傷付いただけのよう。
 見かねてか、ムカデが近づいて来、……その毒のある尾でゆたか君の肩を軽く叩きました。
「え?」
〈これでこうされても怖がる気配が微塵もない。弱虫と私は思わない。さ、私は去っても良いか〉
 ゆたか君は、肩の上にある巨大な毒の尾を見上げます。
 更に触ろうとしたところで、ムカデの方が尾を引っ込めました。
〈君は私を信じた。私も君を信じているよ〉
 ムカデは言い残し、機械のように音を立てて歩き出しました。
 ゆたか君は手のひらの子グモ達を見つめます。
 何か考えているようです。
 そして。
「妖精さん」
「はい」
「風は、風はいつ来るか判るかい?」
「死とその悲しみの故により、その時にならないと判らない。死は予定されて訪れるものではないから」

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【26】

 ジョロウグモの巣で、大きなクモの周囲に小さなクモが何匹かいて、という光景を目にされた方は多いと思います。この小さいのがオスです。メスの食べ残しを頂戴しながら虎視眈々とメスとの逢瀬を狙います。……そしてクモには良くありますが、往々にしてメスに食べられます。
「クモはクモ……」
 ゆたか君は言い返そうとしたようですが、その表情が曇りました。
 よぎるフラッシュバック。
 ピアノ教室で女の子を突き飛ばそうとした記憶。
〈で、どうすりゃいいんだい英雄君〉
 オオジョロウグモの子はゆたか君の心理に気付かないかのように問いかけました。
〈呼び出して何も言わずダンマリはあんまりじゃないかい?まぁこの妖精さんからあらかた聞いたけどさ〉
「ようせい……」
 ゆたか君は今さらのように目を円くして私を見ました。
 この天国にいてゴマカシ否定でもないでしょう。
「です」
 背中の翅を広げてみせます。
「ああ、だからあんた背中に翅が……」
〈〝あんた〟は失礼じゃない?人間!〉
「うるせぇチビ」
〈チビにチビといわれても全然。踏みつぶせるようなのにトサカに来てどうすんのさ〉
 私は苦笑しました。どうにもこの爪に乗るような女の子の方が何枚も上手のようです。
 しかし、ゆたか君は更に言い返そうとはしません。
「妖精ってさ」
 瞳が揺らいで見えたのは気のせいでしょうか。私を見て何か訊きたげ。
「はい?」
「虫の味方。だよな。化身って言うか」
「そうだよ」
「虫を殺すヤツに仕返しをする……」
「私は君に何もしないよ。君を守って欲しいという声によって」
 私は先回りして言いました。彼は山ほど身に覚えがある。
 ゆたか君は私をまっすぐ見ました。
「それってさっき言ったオレのクモ達の……」
〈あんたに所有された仲間は可哀想だね〉
 ゆたか君の声を遮って小さなオオジョロウグモが言いました。
「お前つくづく嫌なヤツだな」
〈クモだからね。キライで結構、好かれて迷惑。それより用事早くしてくれない?〉
「ああ……」

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【25】

 そして糸の細さは身体相応。仔グモの糸は見えるか見えないかの細さ。でも地べたが見えないほどに集まって、その数で糸を出されれば話は別。私の足下はあっという間に糸で真っ白。
 ……ゆたか君の目したところが理解できます。同じように数にモノを言わせて橋を架けよう。
 少し遅れてギガノトアラクネが到着しました。
 事情を説明し、許可を求めます。
〈行ってみたい子!〉
 呼びかけに今度はそれこそクモの子を散らす、そのもの。あれほどいた子グモは怖い怖いと逃げてしまい、残ったのは十匹ほど。
 クモは本質的に臆病な生き物です。クモが巣にいる時、わずかな振動にはエサかと飛んできますが、振動がある程度の大きさを越えると逆に逃げ出してしまいます。黄色いシマシマのナガコガネグモは巣を揺らして威嚇しますが、更に飛びかかってくるような事はありません。威嚇が無効と判れば、巣から糸引いてぶら下がり、草の裏などに隠れます。
 だから、残った十匹は余程好奇心旺盛か、勇気があるのか。
 ところが。
〈おや、一番臆病な子がいるよ〉
 十匹いますが、その子だけ少し離れて脚先が微妙に震えて。
〈やめとけ〉
〈怖いぞ。死ぬかも知れないんだぞ〉
 意地悪そうに他の子が言いますが。
〈人間に出来てクモに出来ないなんてくやしいじゃんか〉
 見上げた?心構え。
〈妖精さん。この子も連れて行ってもらえるかい?〉
 ギガノトアラクネの問いかけに私は当然OK。
「沢山味方に付いてくれてゆたか君喜ぶよ」
 両の手のひらに充分収まる十人力。
 風圧で飛ばされないよう、私は子ども達をしっかり包んで山の上へ戻ります。
 おもねりの揉み手のように、両の手を合わせた姿にゆたか君が笑顔。
「何人?」
 彼はそういう訊き方をしました。
「十人」
 当然こう答えて、そうっと、手のひらを開きます。
「大きな味方だぜ」
 ゆたか君は苦笑混じりに言いました。
〈人間のクセに生意気だぜ〉
 言い返したのは弱虫君。お椀型にした私の手のひらを動き、親指の先っぽへ。
「オマエ種類は?」
 ゆたか君は弱虫君の顔先に小指を出して訊きました。
〈Nephila maculata(ねふぃーりあ・まくらーた)〉
「オオジョロウグモか。へへ、信じられないな、そんなちっこいのが手のひらくらいになるなんて」
〈オレもオマエみたい人間がこんな所にいるなんてウソみたいだぜ〉
「お前オスか?」
〈メスだよ。オスなんかメスの巣にぶら下がっているだけじゃんか〉

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【24】

「クモの糸を集めて橋を架ければいい」
〈ほう?〉
「アミシノ、だっけ。クサグモの皿網みたいになってるじゃん。糸を集めて同じようにすれば。小さいクモ達に集まってもらって。仔グモなら風が無くてもすぐに落ちたりしないだろうし」
 良くありませんか?道を歩いていたら突然顔にクモの糸。それは巣を張るためか、糸を風に任せ、その力で飛ぼうとしている小型のクモか、大体、どちらかです。
「なるほど。私は悪くないと思うけど」
 私はムカデの意見を求めました。
 それは多分、風が強い状態では逆に出来なかったことでしょう。
〈コバルトブルーに掛け合う価値はありそうだな〉
 ムカデは言いました。〝言伝のみは許される〟ので、私がコバルトブルーへの伝令を買って出、背中の翅にモノを言わせ、鷹の流儀で斜面を急降下。
 アミシノに降り立つと、仔グモ達が入り口で遊んでいます。
〈妖精のお姉ちゃんひとり?〉
「コバルトブルーさんは見えるかな?」
 判っているよ、という反応がテレパシーで戻ってきました。程なく、大きな青い身体が巣の中から出てきます。
 私はゆたか君の作戦を説明しました。コバルトブルーはおおむね了解。但し、
〈子ども達に危険が及ぶ心配はないかね?〉
「そこに私の超感覚を使う分には、掟に抵触しないと思いますが」
 仮にコバルトブルーが人間型の生命であったなら、ニヤリと笑った、になるでしょうか。
〈狡い。いや、命のためには手段を問わず、と評す方が適切かな?〉
「ご想像に」
〈人間世界がお長いようだな。よろしい。子ども達はギガノトアラクネ、と貴女は呼んだな。彼女の担当だ。好奇心持つ者を選んでもらい連れて行って構わない〉
「ありがとうございます」
 私が答えると、コバルトブルーは前足で土をリズミカルに叩きました。クモの子を散らす、といいますが、この場合は逆の現象が30秒。
 私の脚の周りは小さなクモ達でいっぱい。
〈翅のお姉ちゃ~ん〉
 クモは種類によらず、歩く時には糸を出しながら進みます。不意の事態が生じた時の落下防止が主旨のようです。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【23】

〈生き物は生まれ死ぬ。どこかで生まれ、どこかで死ぬ。ここの風は、その死によって、周りが感じた悲しき思い〉
 その言葉に乗った重々しさ、威厳。
 それは〝イノチ〟の一部始終を幾度も見てきた存在の、
 都度傷付き、ようやく癒える。それを幾度も繰り返して来た心の放つ言葉に似て。
「だから悲しみの風」
〈そうだ〉
 すると、ゆたか君が、
「その風が吹かないってコトは、悲しみが無い……」
〈そうだ。これまでは途切れることなく吹いていた。いつも吹いていたから風に乗って流れれば良かった。悲しいと思ってくれる。その思いが集まり集まり風となり、紡がれた糸を運んだ。それが途切れているわけだよ〉
「死ぬ、という現象が減った……わけではないね。絶滅危惧とか、レッドブックとか、聞いたことあるでしょ」
 私は自問半分、ゆたか君に言いました。現代はいろんな生き物が減っています。
 つまり〝死〟そのものは増えている。
 でも、風は減った。
「悲しみの方が減った?」
 ゆたか君の言葉はゾクッとさせる認識を私に与えました。増えているのは、
「悲しくない死」
 つまり。
「殺すってことか。殺される生き物が増えてるってことか」
 ゆたか君は目を見開きました。
「そういえば聞いたことある。可愛くなくなったから捨てたとか、要らなくなったけど、捨てるよりは殺した方がマシだとか変な話」
〈そういうことなんだろうな。君のクモたちは幸せだ。気持ち悪いと言われているのに愛されている。ああ来た。風が来たぞ〉
 私の超感覚より早く、ムカデが兆候を捉えて言いました。
 風が吹きます。それは悲しみの根源が愛情だからでしょうか、暖かい気流です。
 しかしなるほど弱い。ゆたか君が背中の玉から糸を繰り出したら、それこそクモの子が空を飛ぶので精一杯。しかも長く続かない。
〈糸だけ送るかね?一本二本なら何とかなるだろう。しかし、それだけの糸を運ぶとなると難しい〉
 すると。
「ぼくにいい考えがある」
 ゆたか君は言いました。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【22】

 降りたそこは、一言で言えば、大地の裂け目。
 Vの字に切り取られ、赤茶けた土が急峻な斜面となって向かい合っています。
 底は真っ暗でどこまで続いているのやら。
 但し。
「風なんか全然……」
 ゆたか君が言います。そう、名前のわりに風がない。
〈吹いているべきなのだ。本来は。何も草木がないだろう。これは風が強すぎて植物が根付かないからなのだ〉
 ムカデの説明によると、この谷は、基本的には裂け目の底から空に向かって常時風が吹き上がっているのだとか。だから糸を背負って飛び降りると、糸玉がその風を帆のように受け止め、浮いていられる。それを利用して対岸と行き来していたとのこと。そして、本来の運搬手順では、山頂までムカデが運び上げ、クモが引き受け、8本の脚を広げてムササビのように滑空して反対側へ。
 ところが、その風が近年徐々に弱くなり、やがて途切れ途切れになり、ついには滅多に吹かなくなってしまった。
〈風が吹くのをじっと待ち、吹いたと同時に飛ぶ。ところがたどり着く前に風がなくなって落ちてしまう〉
「落ちたクモたちはどこへ?」
 ゆたか君、当然の質問。
〈判らない〉
「死ぬってこと?」
 ここはそもそもが〝天国〟の一部です。
 この谷底に落ちることは何を意味するのでしょう。
〈ただ明らかなのは〉
 ムカデは、身体の向きを山麓の方へ反転しながら言いました。
〈落ちて後、戻った、という話を聞かない。だから、クモの連中も、依頼されたそれ以外の奴らも、飛ぼうとしない〉
「戻らない。行方不明になる?」
 私は訊きました。
〈その通り〉
「それって……」
 消えてしまう。私の意識に浮かんだ思いを、率直に言葉にすればそれです。
 死んだ後の世界で行方が判らなくなる。……死ぬのでなければそれしかない。
 でも、まさか。
「そもそも風はどうやって」
 するとムカデは、山裾に向けた頭を私たちの方へ戻しました。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【21】

 しかしムカデは、やかましく音を出しつつも、ゆたか君の独白をただ黙って聞いていました。
「それでオレ、そういう連中のこと調べたんだ。クモが電灯のそばに巣を作るとか、あんたらムカデも長い身体をぐるんと丸くして子どもを守ったりとか、人間は気持ち悪いってだけで殺すけど」
 何も知らないクセに勝手に決めつけて殺している。
〈確かに人間は差別が上手だな〉
 ムカデはそうコメントしました。
〈何か違う。それを理由に傷つける。命ある者が理由もなく他の命を傷つけるのは無意味だし非生産的だ。非生命的と言った方がいいか。人間さんは自分も生き物であることを認めたくないのかね〉
「難しくてわかんないよ。……ってか、オレ達お前たちのこと虫けらって言い方するけど、何かすげー」
「知性は人間だけのモノじゃないって言えばいいかな?ムカデにクモもそうだけど、特に肉食の生き物は絶対にアタマ使わないと生きて行けない。本能だけで狩りが出来ると考えるのは人間さんの大きな間違い」
 私の言葉にゆたか君は何も言いませんでした。ムカデの背中でただじっと前を見たまま、何か考え込んでいます。
「翅のねーちゃん」
 私のこと。
「はい?」
「あんた、見てたんだよな。オレが何してたか」
「君が気にも掛けなかった全ての動物と虫たちが私に教えてくれた。君がひどいことをしている。そして君を助けてあげてと」
〈それがクモたちか〉
「そう。だから私は君を助けた。君は傷付いている。そのせいだ。そう思ったから」
「なのかなぁ。オレ自分で自分のことが判らない。でも、悪いことをしたな、とは思うんだ」
〈なら、それでいいではないか〉
 ムカデが言いました。
「え?」
〈起こってしまったことは仕方がない。元に戻らないからだ。しかし、二度同じことを起こさないようには出来る。今後、君に大切なのはそういうことだろう。さぁ私の約束はここまでだ。君はここをどう越えるかね?〉
〝悲しみの風吹く谷〟

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【20】

 黒光りする連なる胴体に真っ赤な頭。トビズムカデです。アオズムカデという種類もあるので、鳶色をした頭のムカデという意味でしょうか。鳶頭、青頭です。
〈ほほう。人間か〉
 まるで大型旅客機の着陸、といった風情で、巨大トビズムカデは私たちの所へ走り込み、足を止めました。
「すっげー!恐竜みてえー」
〈私が怖くないのかね?〉
 トビズムカデ氏が訊きました。
「毒があるから悪い生き物ってことはないじゃん。人間の方がよっぽど……」
 ゆたか君は言いかけ、ハッとしたような表情で言葉をちぎり、笑顔一転うつむきました。
 〝悪い生き物〟の悪いことを、他ならぬ自分自身がしていた、と気付いたのです。
〈なるほど、だから君は資格があるわけだ〉
 トビズムカデ氏はそう、言いました。
「えっ?」
〈まぁいい。いずれ判ることだ。優しさは口で説明するものではない。それと同じこと。乗りたまえ少年〉
 最前の元気は火が消えたよう。ゆたか君はしょんぼり、ムカデの背中に上がって、座りました。
「オレってヘンな子なんだろうな。やっぱ」
 独り言のように、ゆたか君は言いました。
 衝撃的な自己認識が、冷静な自己分析に……難しく書けばそういうこと。簡単に書けば、一度、悪いと思い始めると、どんどん悪いことを考え始める。
 お医者にかかれば〝鬱の兆候〟と言われるでしょう。
 ゆたか君の〝思い出したくない記憶〟が、さーっと走馬燈のように私のテレパシー領域を流れて行きます。
 彼は転入してきた。
 教室に出たゴキブリを、〝すごいと思ってもらおう〟と踏みつぶした。
 しかし戻った反応は〝気持ち悪い〟。あまつさえは〝ゴキブリ野郎〟。
「クモとか、ゲジとか、それこそムカデとかさ、キショいって言われる奴らの気持ちが判ったような気がしたんだ」
〈ほう……行くぞ〉
 がしゃがしゃがしゃ……身体が大きいので動けば音がします。まるで機械か、鎧を着た古代戦士の集団が歩いているよう。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【19】

「わかったよ」
 私の声を遮って、ゆたか君は不満げ。
「一つにするよ」
 オオジョロウグモが作業を再開します。少し書きましたが、ジョロウグモの糸は、集めれば魚が捕れる網になるほど丈夫です。
 大きなランドセルのように、腕を通せる輪を付けて、荷物が出来上がりました。
〈持てるかな男の子〉
 オオジョロウグモがするすると降りてきて、ゆたか君の背中に糸玉をあてがいます。ゆたか君が輪に腕を通して出来上がり。
「なんかゲームの主人公みたいだ」
 ああなるほど。ゆたか君の言葉に私はふっと納得しました。彼はここを単純に〝クモの国〟と捉えています。異次元・異世界なのですが何の抵抗も持っていません。ここは何処、家へ帰してと言いません。
 その理由がこれということ。もちろん、〝逃げたい〟結果としてここへ来たというのはあるでしょうけど。
 出発準備完了。
〈妖精の君〉
 コバルトブルーが私を呼びました。
「はい」
〈今一度確認しておくが、古き伝えにより決してあなたは手を出してはならない。ただ、言伝のみは許される〉
「判りました。してどの方向でしょうか」
〈この山を登るのだ〉
 先にも書きましたが、アミシノは山裾にあります。その山を登って行け。
 見上げる山は上に行くほど坂が急になり、頂上は雲の中。
「これ、歩いて登るのか?普通はどうしているんだ?」
〈いつもは、ムカデさんが来てくれていました〉
 オオジョロウグモが言いました。
 妖精は、言伝のみは許される。
〈……はい、私を呼ぶのはどちらさまでしょう〉
 〝近くに糸運びをしていたムカデさんはいますか?〟の問いに対する答えがこれ。
 言伝。すなわちテレパシー。
 用件を伝えます。
〈山登りだけならいいでしょう。でもそこから先はお断り〉
〈構いません。そこまで男の子を一人〉
〈判りました〉
〈妖精の君、あなたは狡くていらっしゃる〉
〈いいえ、何か乗りたいというのは彼のアイディア〉
 程なく、地鳴りのような響きが聞こえて来、やはり巨大なサイズのムカデが森の中から歩いてきました。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【18】

 ゆたか君は屋根網の下から走り出して言いました。2本の木の幹の間に、大きな網がひとつ作られ、黄色と黒の縦縞模様の手のひらサイズ。
〈……あら妖精さん。え?人間?〉
「すっげぇ初めて見た。あ、お前成熟個体じゃん」
 ゆたか君はオオジョロウグモの懸念などお構いなしです。巣の表へ裏へ回ってクモの体を観察します。
〈その少年が糸を届ける〉
 コバルトブルーが言いました。
〈でも……〉
〈自ら名乗り出たのだ。地上の者達の推薦という。だったらお手並み拝見だ〉
〈判りました。では荷を作ります。幾つ運べますか?〉
〈少年。一つ持ってみよ。幾つなら持って行けそうだ〉
「待てよ……」
 ゆたか君が糸玉に手を伸ばします。
 どのくらいの重さなのでしょう。私にも手伝えれば……そう思って私が糸玉に近づいたその時。
〈あなたは触れてはならぬ。妖精の君〉
〈え……〉
 理由を言うからゆたか君に取り次ぐな。コバルトブルーはそう言ってこう伝えてきました。ひとつ、アラクネが織り上げたもの……トガとして完成したもののみ触れて良い。糸は布となって初めて天のものとなる。それまでは地のものであり、天の生き物である妖精が触れることは禁忌。
 そしてもうひとつ、この糸を運ぶ者には条件と権利がある。今の場合ゆたか君にしか許されていない。
 運んでいいのはゆたか君だけ。妖精は触ってはならない。
〈判りました〉
「3つだな」
 頷き、少し距離を取る私の横で、ゆたか君が糸玉を両手で抱えて言いました。
 距離を取ったのは、彼がポンポンと弄んでいるので、転がり落ちれば私が触ることになるから。
 オオジョロウグモが巣から降りてきて、糸玉に糸をかけ始めます。ゆたか君が背負えるように輪を作る由。
 その作業をギガノトアラクネが制しました。
〈3つ?軽いと思って甘く見ないほうがいい。閉ざされた道を開くだけだ。ひとつにしておけ〉
「平気だよ」
「私もそこで何が起こっているのか様子が判らない。イザという事態になっても私が手を出すことは出来ない。一回織り姫のところまで行き着くことが……」

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【17】

 死んでいる。私と同じタイミングで気付いたようで、ゆたか君の身体がぎくり。
〈趣味嗜好で命をコントロールし弄ぶのが人間か、少年よ〉
 コバルトブルーは言いながら、屋根網を切り開きました。この屋根網は、〝兼〟失われた命を受け止めるために。
 落ちてきたクモたちの亡骸を、集まったクモたちが食べます。
 凄惨な状況です。詳しくは書きません。ただ、獰猛で血に飢えた、というより、悲しい儀式、と私は受け取りました。
〈その通り、母の中に戻すのだ。妖精の君。彼らは殺されたのではなく、母の元へ帰ったのだ〉
 コバルトブルーは重く言いました。
〈だから、私のように巨大になる〉
 次いで、ギガノトアラクネが告白するように。
 このクモたちが大きくなるということ。それはその分、多くのクモが命失うこと。
 悲しい儀式が終わりを告げました。
〈さて、何の用事かな?少年〉
 コバルトブルーの問いかけに、ギガノトアラクネが次第を説明。
〈君が糸を持って行くというのか?〉
「そうだよ。糸はどこにある?」
〈ちょこざいな。真の勇気を持たない者があそこを通ると命を失う。帰れ〉
 それはコバルトブルーの試みであると私は気がつきました。つまり、ゆたか君の真剣さを推し量っている。
〈恐怖と驚きと悲しみがお前を襲う。お前のような小僧がそれに耐えられると私は思わぬ〉
「やってみなくちゃわかんねぇじゃんかよ。あんたそこ行ったことあんのか?」
 ゆたか君はそう応じました。
 コバルトブルーは……笑った。になるのでしょうか。そんな意志で、
〈よかろう。但し怖じ気づいて戻ってきたら取って食う。そこでお前が命落としたり、別の世界へ飛ばされても我らは関知せぬ〉
「判ったよ。糸はどこだい」
〈案内しよう。こちらだ〉
 私たちはコバルトブルーの後について、アミシノの恐らく反対側へ出ました。
 屋根網の外側に糸玉が沢山積んであります。届けられない在庫なのでしょう。
〈あっ。族長様。申し訳ありません。請け負ってもらえる方がなかなかその……〉
「オオジョロウグモだ!」

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【16】

「温暖化って南方系のクモには有利になると思ったけどそうじゃないんだな」
〈むしろ逆だな。さぁ、狭くて暗いが中へ〉
 私たちは製糸工房アミシノの中へ入って行きます。中には糸で作られた通路が入り組み迷路のよう。所々に袋小路のような部分があって、種類も大きさも様々なクモがいて糸を尾部から繰り出しています。それをボール状にしてそばに置いておくと、徘徊性(はいかいせい:巣を作らず歩き回るタイプのクモ)のクモが持って行く、そんなシステム。
 かなり奥まで進むと、広場のような場所。
「コバルトブルーのでけぇヤツだ」
 ゆたか君がまず言い、それから私も気がつきました。
 青いクモです。しかも金属光沢を帯びていて、そんな形に作ったロボットのよう。
 コバルトブルー・タランチュラ。但し自家用車のサイズ。人間さんの世界に住んでいるのは、もちろんせいぜい手のひらサイズですよ。
〈族長殿〉
〈人間の子どもではないか。よりにもよって〉
 ギガノトアラクネの声に対し、コバルトブルーはトゲのある、苛立ったような意志の声を返しました。
〈悲しみの風吹く谷の件で、協力をいただける、勇気ある……〉
 ギガノトアラクネは言いかけ、何かに気付いたように立ち止まりました。
〈また、仲間が意味もなく命奪われた〉
 コバルトブルーは溜息付くように言い、地面を脚でドンドンと叩きました。
 周辺からせわしく走ってくる足音が聞こえ、多くのクモが集まります。種類は様々、クサグモ系、ハシリグモ系、アシダカグモ、そしてタランチュラ……ツチグモ系。
 ただ、どれもとにかく大きな身体。
〈来た〉
 ギガノトアラクネが呟いて〝屋根〟の上を仰ぎ見、程なく、屋根の上にドサドサ、バサバサと何かが落ちてきました。
 屋根網越しに見るそれは種類様々なクモの身体。
 〝その辺にいるクモ〟から〝ペットとして飼われる大型種〟まで。しかも相当な数。
 ただ、動かない。トランポリンの上に放り出されたオモチャのように、数回バウンドして、止まると、それっきり。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【15】

 クサグモの巣に似た、と書けば判る方もあるかも知れません。ツツジなどを糸のベールで覆ってしまい、良く見ると隅っこにクモがいる。息をフッと吹きかけるとサッと逃げる。あれがクサグモです。
「わぁ、巣なんだあれ」
 ギガノトアラクネの背中から、ゆたか君が言いました。もやの正体はびっしりと敷き詰められた糸です。糸の下はクモたちが糸を紡ぐ工房。
 アミシノ。糸は覆う屋根、兼。
 近づくに従い、屋根糸の上をクモたちが行き来する様が見えてきます。このギガノトアラクネ程ではありませんが、ゆたか君並のサイズはある大型のクモたちです。
〈エウリディケさんもここは初めてでしたな〉
 〝屋根〟のそばまで来て、ギガノトアラクネは一旦止まりました。そのまま中に入ると、上に乗っているゆたか君が屋根網に引っかかってしまう。
〈降りてもらえるか?〉
 ゆたか君が歩脚を降りている最中、工房の中から〝ざわざわ〟とばかりに無数の小さなクモたちが出てきて、ぴょんぴょんと糸引きながら跳ね、ギガノトアラクネに飛びついて行きます。
〈わあいお帰りなさい〉
〈あそぼあそぼ、ねぇあそぼグランパ〉
「子グモ……」
〈ああ、地上で生まれることが出来なかった、な。君がさっき言った通りさ〉
「え……」
〈あ、にんげんだ〉
〈わぁほんとうだ。グランパ、なぜこんなのつれてきたんだよぉ〉
〈この子は違う。族長様のお客様だ。遊ぶのはその後だ子ども達〉
〈ちぇ〉
〈つまんなーい〉
〈でもしかたないか。やい、にんげん。ここでみょうなことしたら、おれたちがゆるさないぞ〉
「しねーよ」
 ゆたか君は答え、
「オレが言った通り?」
 と、子ども達に遮られた言葉の続きをギガノトアラクネに尋ねました。
〈君はさっき言ったね。突然動けなくなると。この子達はその結果生まれる機会を失い、ここに送られたのさ。今、地上ではいつまでも夏が続き、突然、冬に変わる。産卵のタイミングを失ってしまう。君はどうやらそのことに気付いているらしい。だから私もエウリディケさんも感銘を受けたのだよ〉

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【14】

〈名前は?〉
 ギガノトアラクネは尋ねました。
「瑞穂豊(みずほゆたか)」
〈ではゆたか君。話した通り織り姫に届ける糸が届けられず困っている。君なら〝悲しみの風吹く谷〟を通れる。糸の運搬を君に頼めればと思うんだが〉
 ゆたか君は目を真ん丸。恐怖?いいえ違います。
 見込んで頼まれたことが過去にないから。
「私も一緒に連れてってくれると嬉しい」
 私は言いました。この件は初耳なので妖精の仲間で谷の状況を見た者はないはずです。それに、妖精一人で行こうとすれば、軽くできてるこの身体が吹き飛ばさてしまうでしょう。彼に任せるに近い形になりますが、住人として理由を知り、後始末を見届ける義務がある。
「要するに糸持ってその谷越えて姫様の所へ行けばいいんだな?」
〈その通り。頼まれてくれるだろうか〉
「オレのクモたちが推薦してくれたんだよな」
〈そうだ。君には優しさと勇気がある、と〉
「断ったらクモたちの期待を裏切るじゃねぇか」
 ゆたか君は歯を見せてニッと笑いました。
 その自信に満ちた表情はさっきの自暴自棄ぶりがまるで別人のようです。揺れる心。わずかな変化で両極端にこっちからこっちへ。
 感度の良すぎる振り子のように。
〈心強い。我らの族長も喜ぼうぞ。契約をしたいのでアミシノまで共に来てくれぬか?〉
 ギガノトアラクネは大きな身体を動かして傾け、歩脚を二本ピタリと揃えて彼に向けて伸ばし、スロープ状にしました。
 つまり、ここを昇って身体の上に乗ってくれ。
「すげぇ!」
 ゆたか君はひとこと言うと、早速脚を昇り始めました。
 背中(頭胸……とうきょう……部の上)に乗ったところでギガノトアラクネが糸を出して〝シートベルト〟。
 巨体が快速を飛ばして草の上を走り始めます。私は背中の翅でついて行きます。手のひらサイズのクモであるアシダカグモは、逃げ足の速いゴキブリを捕らえることで知られます。同等のすばしっこさをこの巨体で備えています。
 森と草原の境を走り、見えてきた山の中腹に、何だかもやが掛かったような一帯。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【13】

「これ!」
 男の子は興奮気味に大グモさんを指さしました。
 さぁ、男の子にも、読んでいらっしゃる皆さんにも、お話ししなければならないことが沢山あります。中で、最初に申し上げたいのは、呪文に対してここへ送られたのは、恐らくガイア様のお考えに基づくということ。
「クモたち、ありがとうね」
 私は、まず言いました。
「え……」
 男の子は驚いた表情。
「なんで……」
 クモの存在を知っているのか。
 私は答えず、代わりに、男の子の手を持ちます。
 男の子、気付きました。
「あんたそれって翅……」
〈礼を言う。少年よ〉
 それはギガノトアラクネの意志。持った手を通じて、私の仲介で彼に伝わった。
 ギガノトアラクネは毛だらけの黒い歩脚(ほきゃく・要するに脚のこと)を一本、彼に向けて伸ばします。
〈幼き者よ、貴殿は地上の同胞たちの紡いだ思いによってここに降り立った〉
 言葉にすれば厳かで硬いです。でも、その意図は直接伝わっています。
〈一つ問う。貴殿が我ら同胞を集めて育む理由は如何に〉
「寒いのに卵産んでないから」
 男の子は即答しました。
「突然寒くなると動けなくなるじゃん。だからだんだんヒーター切る時間を長くしようか、って思ってたとこ」
 感慨深いため息……人間さんに喩えるならそんな感じでしょうか。
 ギガノトアラクネは、物腰も言葉も、柔らかくなりました。
〈これは大したもんだ。そう思いませんかエウリディケさん〉
「ええ」
 私は頷きます。何がどう、は、追って説明する機会があるでしょう。
「てかお前何者?」
 思い出したような彼の問いに、私は黙って翅を広げました。
 妖精という概念は要らない。虫寄りの生命体とだけ判ってくれればいい。
「ここはクモ達の国」
 私は言いました。
「クモの……」
〈私が説明しよう〉
 ギガノトアラクネはこの国の存在意義と、クモたちの糸と織り姫の話。そして、糸を姫の元へ届ける仕事を、そうした〝不快〟というだけで命奪われた虫たちが担っている、と話しました。
〈ところが〉
 姫の元へ向かった虫たちが最近事故に遭う。途中狭く細い岩場の道を行く。そこは常に強い風が吹いているので、小さいがある程度の重さのある身体を必要とする。このためムカデやサソリが好適なのだが、どうやらその細い道で何かと遭遇し、傷つけられて帰ってくる。
 それは私も初耳。
「ガイア様のお力でもどうにもならない?」
〈守り許す力ではないと判断されたようです〉
「それで……」
 私たちは男の子を見ました。
「……お、オレ?」
 ガイア様のお考えに基づくということ。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【12】

「リクラ・ラクラ・シャングリラ」
 この呪文はいわゆる天国の一部、妖精の国フェアリーランドへと飛ぶためのもの。
 私たちは基本的にそこの所属。それぞれに大地の女神・地球自身の精霊ガイア様の任務を帯びて、地上世界へと〝派遣〟される。
 もちろん、人間さんを連れ込むなど禁忌中の禁忌。
 だけど、男の子の心が壊れることと、クモたちの願いと、禁忌と、三つを比べたならば。
 だから、私は、ガイア様に。
 どさっ。
 音を立てて草の上に倒れ込む私たち。
「いてっ!なんだおめえ!」
 男の子が先に立ち上がり、私を見下ろして怒鳴ります。私はまだ起き上がるために手を突いたばかり。
「あ……」
 男の子の目が、私の背後の何かに気付いて、真ん丸に大きく見開かれます。
 彼が何を見たのか、私は私の身体に落ちた影で知ります。
 草の上をゆっくりと歩く恐竜サイズの巨大なクモ。
 トンボが70センチもあった時代、当然、クモにも巨大な身体を持つものがいました。ただ、何せ〝骨〟がありませんから、地上でこのサイズの化石発見という話は聞きませんが。種の名前ですか?私たちは大グモさんと呼んでいますが、メガアラクネより大きいですから恐竜に倣ってギガノトアラクネとでもしましょうか。
「大丈夫、連中は私ら取って食ったりしないから」
 私の声に、巨大なクモが足を止めました。
 8つの目でこちらをギョロリ。
〈その子は人間では?〉
「大丈夫。彼はあなたたちを気持ち悪いと言わない」
〈ああ、先ほどお願いという声を聞いた。そうですか、エウリディケさんがその子を〉
 妖精の服はクモの糸、そんな話を聞いたことのある方もあるでしょう。
 ここはクモに代表される〝不快害虫〟……外見がグロテスクという理由で忌み嫌われる節足動物たちのための天国。
 私たちの服はここに住まうクモたちの糸を集め、織り姫アラクネの手で織られ、丈夫で質の良いフェアリーシルクの布地になります。クモの網で魚が捕れる。先に書きましたね。そのくらい丈夫なのです。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【11】

「あらぁ……どうする?今日はテストやめる?いいのよ。無理しなくても。先生がおうちに電話してお母さんに説明してあげるから」
 前かがみで女の子の顔を覗き込み、先生が尋ねます。まぁ、動揺した心に緊張を強いることもありません。
「でも……」
 女の子は困った顔。早く上手になりたい、そんな積極性を感じます。
 ならば。
「よし、お姉ちゃんが魔法をかけてあげる」
 私は言いました。電線で見ているスズメたちに肩越し指先おいでおいで。
〈えっ?〉
〈妖精さん何を?〉
〈いいからちょっと来て〉
 スズメたちは私の両手指と肩に止まりました。
「わぁすごい」
「あら」
 私はウィンクして。
「この鳥たちの歌声を女の子の指先に」
 口にして、手を握る。
「じゃぁ、頑張ってね」
 私は言って、走り出しました。
 急げという示唆。その理由はひとつ。テレパシーが教える男の子の意識の暴走。そう、先程来の自暴自棄。
 角を曲がって身体を縮めて飛び立つ。テレポーテーションは距離が稼げない。
 と、私の意識を貫く、強いショックを受けた心が放つ衝撃波。
 男の子の心。今彼の目に映っているのは。映っているのは。
 翅が私をその場に運びました。
「ウチのゆたかがそんなコトするはずありません!」
 玄関前の人だかり。囲みの中で声を荒げるゆたか君のお母様。
「いいえ!お宅のお子さんです。これで違うとでも!?」
 大きな声の女性が、携帯電話の画面を開こうとしています。写真を撮ったと言うことでしょう。その女性の傍らには、三角巾で腕を吊った女の子。
 その女の子が後ろを振り返る。
「あの子だ!」
 指さす先には男の子。
 電信柱の陰から様子を窺っていたのです。
 彼は壊れる。
 虚偽、嘘、隠蔽。
 装っていた〝優しいいい子〟。
〈助けてあげて〉
 意志飛ばしてきたのはクモたち。
 12月だからとヒーターを入れて生かしているクモたち。
 判った。私は舞い降ります。身体を伸ばし、翅を広げ、彼の背後に降り立つ。
 集まる瞳が見開かれる。
 私は彼を背後から抱きすくめ。
 ガイア様あなたの裁量に委ねます。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【10】

(承前)

 教室のドアが激しく開かれました。
「二度と来るもんかくそばばぁ!死んじまえ!」
 ドアの中に向かって声を限りに怒鳴っているのは確かにあの男の子。
 手にしたカバンを教室の中へ投げつけます。
 ドアを蹴って閉じ、駆け出そうとすると。
 ピアノ教室へ入って行こうとする女の子と鉢合わせ。
 彼より幼い感じです。幼稚園の年長さん、そのくらいでしょうか。
 女の子は立ち止まり、想像を絶する事態に恐らく何事かと彼を見たのでしょう。
 ……危険。それは私の予知。
「じろじろ見てんじゃねぇ!」
 リクラ・ラクラ・テレポータ。
 彼は女の子を突き飛ばし、
 女の子の身体が宙に舞い、
 背中から落ちるその下に私の翅が入り込む。
 彼は既に背を向けて走り出しています。突き飛ばした結果が何を招くかなんて考えていない。どうでもいい。すなわち自暴自棄。
 私は翅が女の子を捉えたことを確かめ、腕を添えて翅を縮めます。良かった。どこもぶつけていない。
 突然突き飛ばされた女の子が泣き出しました。
「大丈夫だよ」
 ピアノ教室のドアが開かれ、銀髪にパーマの先生が出ていらして、目にしたのは、白装束の女が女の子の後頭部を撫でている図。
「通りがかったもので……」
「あらあらすみません。今の男の子の仕業ね。今日という今日は我慢できないわ」
 見れば先生の頬にアザ。
「今の男の子は精神的に不安定なのでしょうか」
 尋ねると、不安定どころじゃない、病的だ。旨、先生は仰いました。お怒りのせいもあり、かなりきつい表現です。そして、練習もして来ないで指摘に対して反抗する、と。
「……全く親の顔が。あら、ごめんなさいね。見ず知らずの方に愚痴なんか言ってしまって」
「いえいえこちらこそ。ただ、子どもさんにしてはちょっと余りにもと思って」
「『一番にして下さい』あの子の母親にはそう言われたわ。でも……」
「義務や義理の音楽は楽しくないですね」
 と、女の子が。
「先生、こわかった……」
「あらぁ……どうする?今日はテストやめる?いいのよ。無理しなくても。先生がおうちに電話してお母さんに説明してあげるから」

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【9】

(承前)

 その時でした。
〈あの……〉
 ムクドリの隣に降りてきたのはスズメ。
 助けて欲しい。電線に止まった仲間達に石を投げつける子どもがいる。
〈殺し屋少年ですよ〉
 スズメの記憶の映像をテレパシーで見る限り、確かにそのようです。
 信じたくない。信じられない。
 飛んで行くと、スズメたちは電線に数羽いて、男の子の姿はありません。
 妖精が来たと知るや、スズメたちが口々に訴えます。うるさいと言われ石を投げてきた、と。
〈バカにするのか。って〉
 思い浮かんだ言葉は被害妄想。
 何もかもが自分への攻撃に思えてしまう。
 あそこへ入った。と、スズメたちが示すその先は、表札の下にピアノ教室、とあります。
 翅を広げて音集め。先ほどもしましたが簡単にご説明。人間の皆さんも小さな音を聞く時に手のひらを耳に添えますね。私たちは手のひらの代わりに翅を広げます。
 聞こえてきたのは、ああ、ああ、痛々しいピアノ。
 女性の叱責が聞こえてきました。不合格です。……進級テストだったのでしょうか。
 対し男の子は怒鳴り返しました。うるせぇくそばばぁ……彼が好きでピアノをやっていたわけではない。少なくともこれで明らかです。
 女性が怒鳴り返し、何か割れる音、壊れる音、女性の悲鳴。
 男の子が怒りにまかせて物を投げたり壊したり。
 教室のドアが激しく開かれました。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【8】

(承前)

 比して彼の弾く音の悲しさ。
「あーもう、ムカつく」
 ひっかかりもっかかり。先に進みません。でも悲しい感じはそれだけじゃない。
 曲想が短調というわけでもない。譜面通り音が出ている時でも、調べに弾んだ感じがない。
 彼はピアノを〝やらされて〟いるんじゃないのか。それが私の率直な感想。
「いいや、もう!」
 彼は吐き捨てるように練習を打ち切り、ピアノの鍵盤の蓋を閉め、カバンを持って出て行きました。
 行ってきます、の声と、玄関ドアをバタンと閉める音。
 主のいなくなった部屋を私はぐるりと見回します。木の温もりに包まれたはずの部屋なのに、ひんやりとよどんだ空気。冬のせい?
 ベランダへ出られるガラス戸をコン、コンと叩く音。
 私はギョッとしました。今は手のひらサイズですが、気付かれたんでしょうか。
 違いました。さっきのムクドリです。
〈大丈夫ですか?見つかって捕まったんじゃないかと〉
〈違うよ。心配してくれてありがとう。その、ちょっと気になってね〉
〈彼は、〝殺し屋〟ですよ〉
 物凄い言葉。
〈何か見たの?〉
 行列しているアリを一匹ずつ潰す。
 凄惨なので略させていただいて。
 あまつさえは、小さい子を、行きずりに、叩く。
 優しいね。彼のお母さんはそう言いました。
 クモをヒータまで用意して飼う……優しさがなければ出来ないことでしょう。
〈でもね、妖精さん〉
 ムクドリは一呼吸置いて。
〈優しさが無くても生き物を生かしておくことは出来るんですよ〉
 鳥類なので喩えは鳥です。人工光で生体産卵機械にされたニワトリの話。フォアグラはガチョウに無理矢理エサを食べさせた結果の脂肪肝。
 無理矢理エサ……倉庫のクモたちが頭をよぎります。
 その時でした。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【7】

(承前)

 原理に従う捕食の場に妖精があってはならない。私は最も厳格な掟に従い、倉庫を出ました。そして、空っぽの虫かごを持った男の子の後について、家の中に入って行きます。
「あげてきた」
 リビングに戻ってゆたか君は言い、空になった虫かごをお母さんに渡しました。
「ピアノの予習は?」
 氷のような。それが私の抱いた声のイメージ。
 ゆたか君のお母さん。細身の眼鏡を掛けた、峻厳な顔立ちの女性です。
 いえ顔立ちが峻厳なのではありません。それを醸しているのは女性の〝目〟。
「うん……」
 ゆたか君は言うと、リビングを出て階段を上がって行きます。その階段を一段上がるごとに、彼はうなだれ、表情が沈んで行きます。
 木のドアを開けて彼の部屋。
 マホガニー色したフローリングのその部屋は、まるで学者の書斎です。調度と言えばアップライトのピアノに本棚と勉強机。本棚には偉人伝と百科事典。
 ハッと気がつきます。おもちゃはどこ?
 子どもさんに飼われる虫たちとも話すので、子ども部屋はちょくちょく見ます。おもちゃがあって、好きな乗り物のポスターが壁に貼ってあったりします。
 しかし、この、ゆたか君の部屋の壁に張ってあるのは、地図と、時間割と。
 時間割じゃない。
 スケジュール表です。習い事と、病院と。一週間に七日。つまり、一日中家にいるという日がない。
 ピアノが鳴り始めます。バイエル、つまり全くの初歩です。私もバイオリンを弾きますが、全くの手慰み、お遊びです。楽器……楽する器。そのままです。友達と月明かりの下今日はやろうか、そんなノリです。曲も即興。そのうち動物たちが近所の森から出てきたり。
 比して彼の弾く音の悲しさ。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【6】

(承前)

 倉庫の外へテレポーテーション。……瞬間移動。
 何か両極端な二面性を持つ男の子、そんな印象です。小さい子どもが無邪気な顔して虫の翅や脚をちぎって遊ぶ。人間さんも〝狩り〟で食を得てきた種族ですから、それは躊躇無く命を奪うためには逆に必要な部分なのかも知れません。
 でも、この男の子の示した二面性は、そういうのとはまた少し違う。
 私は翅を広げて音を収集。この男の子のお宅は、倉庫が置けて中で子どもが自由にクモを飼える程ですので、土地もそれなり家屋もそれなり。富裕層という表現が使えるかも知れません。
 リビングの声が聞こえてきます。ゆたかちゃんは優しい子だね。
 ぼく、クモたちにエサあげてくる。
 つまり男の子ゆたか君、再度出てくるようです。私は倉庫の屋根から見守ります。
 程なく、リビングの庭に面した窓が開き、ゆたか君が出てきます。
 抱えているのは虫かごと、中にたくさんのコオロギ。
 捕食用としてペットショップで売られているコオロギ。
 後ろ足をちぎられ、跳べる状態ではありません。
〈自分たちの考えが判る何かがいるぞ〉
 彼らが私を見つけて寄越した意識はそんな内容でした。
 〝妖精〟という存在は動物や虫たちに遺伝子レベルで刻み込まれています。しかし、非・野性の環境下で複数世代ブリーディングされると、それは退化してしまう。
 彼らが私のことを知らなかったのは、数分後の運命を考えた時、良いとは書けないにせよ、……いいえ、私にとって体のいい逃げだったのかも。
 原理に従う捕食の場に妖精があってはならない。私は最も厳格な掟に従い、倉庫の外に暫くとどまりました。
 そして、空っぽの虫かごを持った男の子の後について、家の中に入って行きました。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【5】

(承前)

 扉が閉まって真っ暗になる。
 暗闇に閉じこめて。……いや、違います。突然オレンジ色の光に満たされました。
 織りなされた幾重もの網が、糸が、人工演色に照らし出され、見たこともない光景を作り出しています。
 ここは一体どこ?
〈そのうち温度が上がってきますよ〉
 オレンジ色の光の正体。ハロゲンヒーター。倉庫の隅っこに、扇風機の外見に似て、それはゆっくりと首を左右に振っています。
〈ずーっと点いています。ずーっとね。そして私たちはここにずーっといる〉
〈暖かいですよ。エサも不足無くくれます。私たちを見て下さい〉
 私は一匹の近くに飛んで行きます。成熟したメスは糸イボの周辺が赤くなりますが、確かに見事な赤、そして大きな身体。
 生きている、分には飼育されていると言って間違いではないでしょう。ただ、生き物の生き様としては、私には腑に落ちない。
〈お腹には卵があるんじゃ?〉
 ジョロウグモの産卵は秋の終わりの主に夜間。
 寒くなると日中でも産卵する個体もいますが。
〈ええ、でもそのようにならない〉
 命にタイミングを見計らう地球生命は人間さんだけです。
 私はどうするべきでしょう。彼女達を逃がすことは当然可能です。でも、それでは、男の子は別のクモを捕ってくるだけ。
〈待っててもらえる?〉
〈ええ〉
 私は倉庫から外へ出ます。胸もと金のチェーンをたぐり寄せ、青い石のペンダント。
「リクラ・ラクラ・テレポータ」
 倉庫の外へテレポーテーション。……瞬間移動。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【4】

(承前)

 男の子はムクドリたちに向かってクラブを振り回します。
 もちろん野鳥がその程度でどうにかなるわけではありません。いともあっさり飛び立って、クラブの一撃をかわします。
「狙ったって無駄だぜ」
 男の子は電話線に止まったムクドリたちをにらみつけ、クラブを元の位置に戻しました。
〈ほら、ね〉
 私たちの言う通りでしょ。ムクドリからのメッセージ。確かにムクドリはクモを食べますが。少々、度が過ぎる気がします。
〈妖精さん……〉
 こちらクモからのメッセージ。怖い。
 男の子は〝彼女〟のいる二股を再び手にし、電話線のムクドリをにらみつけつつ、プレハブ倉庫のドアをガラガラと開けました。
 感じたのはクモの驚愕。
〈仲間がたくさん。たくさんいます妖精さん〉
 男の子の後ろに回り込み、目にした光景は想像を絶しました。
 プレハブ倉庫の中には十指を下らない数のクモの巣。
 ジョロウグモがたくさん〝飼われている〟。
 確かに、クモ合戦の風習がある地方では家の中でコガネグモを飼い育てます。しかし、巣と巣の干渉は避けますし、風を通し日に当てるなど、なるべく自然環境に近づける努力をすると聞きます。また、タランチュラをペットにしている場合も〝徘徊スペース〟は確保してあげるのが基本。
 その点でこの倉庫の光景は少々疑問。
「さぁ行け」
 男の子は言うと、天井からぶら下がった四角形の枠に、二股のクモの巣を引っ掛けました。枠の材料は割り箸。ここをベースに三重網を張りなさいということでしょうか。
 中のクモたちが私に気付きました。
 とりあえずエサは潤沢にある。
 ただ、この空間にずっといる。その状態が理解できず困惑している。
 私の経験上、昆虫は人に愛されるという状態を理解している場合が多いようです。クモも長く飼えば少なくとも〝飼育下はオイシイ環境〟であることに気付く。
 でも、ここのクモたちからは、そのどちらの気持ちも感じません。
「じゃ、後でな」
 男の子が倉庫から出る代わりに、私は倉庫の中へ入り込みました。
 扉が閉まって真っ暗になる。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【3】

(承前)

 それが男の子の意思。
 なんのために。私は男の子の心深くを読み取っても良いのでしょうか。もちろん可能です。でもそれは心の中に土足で入り込むのと同じ。
 クモ自身は敵意はないと言っているのです。昆虫もそうですが、虫たちの脚には細かい毛が生え、敵意や恐怖に連動した発汗や小さな震えを敏感に感じ取ります。つまり、虫にはその人が虫好きかどうか判るということです。
 クモが二股の枝に絡げた巣に身を落ち着かせます。男の子はそれを見届けると、鼻歌と共に道を歩いて行きます。私は少し距離を取り、男の子の後ろから飛んで行きます。
 男の子は角地の家に入って行きます。広い庭のある家で、プレハブの倉庫が建っています。手入れされた垣根の潜り戸から中へ。
 庭には赤い実を付けたナナカマドの木があり、ムクドリが2羽。
 1羽がギャーと鳴いて、その意志は。
〈妖精さん、この子は危険です〉
 それはクモと全く逆の反応。
「ちょっと待てな」
 男の子はクモのいる二股を別の庭木に立てかけると、家の壁に立てかけてあったゴルフクラブを手にしました。
 振り返ったその顔は、優しくクモを手のひらに載せた男の子ではありませんでした。
 まるで太陽が北風になったような雰囲気の急変。
 ハッと息を呑んだ。ひょっとすると私のその音が聞こえたかも。
 次の瞬間。
「出て行けクソ鳥っ!」
 男の子はムクドリたちに向かってクラブを振り回します。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【2】

(承前)

 私は彼がジョロウグモをどうするつもりか、声を掛けて遮ろうか、そんな思いで見つめていました。
〈敵意は感じないのですが〉
 意識が飛んできました。
 巣の持ち主たるクモの心の声です。もちろん、クモが人語を話すわけではありません。言葉に直すとこうなるだけ。私の存在と気持ちに気付いて答えてくれたのです。
 テレパシー。妖精族必須の超常能力。
 巣が壊れます。ジョロウグモの巣を十重二十重に集めて網とし、魚を捕る……南国の漁法として今も行われているようですが、ここは勿論違います。そして書いた通りジョロウグモは本来南方系のクモです。日本列島が例外的に北の方まで住んでいるのです。
〈妖精さん……〉
 助けを求めるように、壊された巣からクモが糸を引いてスーッと下がります。
 そこに差し出された男の子の手のひら。
「おいで」
 男の子は降りてきたクモを手のひらで受けます。
 戸惑いながらも降り立ったクモ。
 大きな身体で巣にある時は俊敏な動きを見せるジョロウグモですが、性質はかなり繊細で、あまり人の手で触りすぎるとストレスを感じて弱ってしまいます。
 でも、男の子はどうやらそのことを知っているようです。巣を巻き取った竹の二股にクモの身体を戻します。
 -持って帰る。
 それが男の子の意思。

(つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】クモの国の少年【1】

 最低気温が10度を切るようになると、冬支度の合図です。
 同時に「春から秋」を生きる虫たちは、子孫に未来を託して命尽きて行きます。
 お話の中には出てきませんが、尽きた命が蔑ろに扱われないよう気を配るのも、私たちの使命です。時々道ばたのそうした命を土に戻してくれる子ども達がいてくれます……どうもありがとう。

 だけど、その男の子を見た時には、感謝というより驚いて声が出そうになりました。
 二股に分かれた竹の枝を持った男の子でした。その二股の枝先を、電信柱の電話線近くでくるくると回していました。
 紡いだ糸を巻き取るように。
 そこにジョロウグモの巣があることを私はすぐに思い出しました。ジョロウグモ。山間やその近くで豪快な三重網を掛けるあの艶やか至極な大型のクモです。漢字で書けば女郎蜘蛛。名は体を表すならば、なるほどと思う方もあるでしょう。但し、ここで言う〝女郎〟は、高い地位に上り詰めた女性を指す尊称です。侮蔑語として眉をひそめ、親御さんが子どもさんに意味を説明するのに悩む必要もありません。そもそも、日本は神話にクモが出てくる国です。目立つこのクモの和名も、言葉が確立する頃には早々に付けられたことでしょう。だとすればその時代、豪奢な装束を纏った宮中の女官こそが、〝女郎〟さんだったはずです。
 ただ、縁はさておきクモはクモです。クモが好きという人間さんはそうそうはいません。
 私は彼がジョロウグモをどうするつもりか、声を掛けて遮ろうか、そんな思いで見つめていました。

(つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】妖精ですがブログ始めました

エンヤさんの「Fairytale」が流れてますが。

まずはご挨拶。ここに話いっぱい貼ってある翅娘ことエウリーでございます。リアルな名前はもうちょい長くてエウリディケ。こと座の神話で知られるニンフさんの名前をもらってます。実際ニンフの系統で、基本的には妖精といっても人間さんサイズ。でも伝承がそうであるようにフェアリの血も混じって結果伸縮自在。この辺はまぁ折々で書かせてもらってる通りです。名前のスペルは現在一般に通りがいいのはeurydiceでしょうか。

ここはブログといえどお話ばかり貼ってある、ゆえに「出張所」だそうですが、「ココログ小説」の条件は週に一度程度は更新だとか。でもご覧の通り応じた小出しやってませんので持ち主。

穴が空くタイミングもあるでしょだったら貸してということで、そういうインターバルには私自身のブログとして使わせてもらうことにしました。振り返って全体が「お話」として通用するかは判りませんが、エピソードの集合体にはなるかと思います。「妖精のブログ」というわけで。他にやってる仲間がいるかどうか知りませんけどね。ココロちゃんに対抗して?はははまさか。

さて今週ですが、フェアリーランドの方に少し戻ってました。折々でそちらの方に連絡を入れるのです。緊急事態の場合は飛んで帰ることもありますが、ここ2~3週は落ち着いた状態。でも、朝の気温が急に10度を切るようになってしまい、慌てて地上にとんぼ返り。

え?10度に慌てる理由があるのか?

「10度」という温度自体は別に良いのです。問題は「急に」ということ。

実はこの背景にはどうやらご存じ「温暖化」の影響があるらしいのです。

初めてのインターミッションはこのくらいで。来週からそんな系統のお話

クモの国の少年

……あ、私に全部お任せというコトなので、少しずつ進めますよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】プレゼント

 妖精族は大きくフェアリ、ニンフ、ドワーフ、ピクシーなどの種族に別れています。私たちニンフ族のように人間さんにそっくりな種族もいれば、そのリリパットであるフェアリ達、逆に人間さんとは異なる姿を持ち、そのゆえに人間さんに忌避されてきた種族もいます。
 そうした中で。
 ちょっと特徴的なのが人間タイプの身体を持った種族である私たちです。何がどうというと、女性形が殆ど。翅娘はいても翅男(!)というのはあまり無いはずです。
 ただ。
 翅こそありませんが、世界で最も有名な人間型の妖精族は男性形です。
 サンタクロース。
 聖人ニコラスの音便変化が固有名詞に転じたもの。言ってしまえばその通りです。でも、“恵まれない境遇の子どもに、誰も知らない人がプレゼント”という故事伝承は世界のあちこちにあります。現代ではさすがに少なくなり、代わりに施設や慈善団体、他ならぬご両親の心づくしが幸せを補完していますが、無くなったわけではありません。
「そんなわけで、あなたにお願いしたい、いかがだろうか」
 “使節”を名乗る燕尾服の“男性”が私の顔を覗き込みます。私は“男性”の顔を見ますが読み取りたい顔色はそこにはなし。目は黒い点、口は赤い線。その身体はニスでテカテカ。
 だって手のひらサイズの木の人形ですから。
「初めてだからねぇ…」
「あなたなら、と、主人より言いつかっております。大丈夫、保証致します」
「変な感じ」
 私は言い、少し返事を保留します。ややこしい背景があるのでちょっと説明します。そんなわけで使節や慈善団体に“サンタクロース”が訪れ、おもちゃを配って行く…というのは、半ば定番化しつつあるのですが、それが逆に、“自分はかわいそうな子”という認識を強調させるという側面も出てきているらしいのです。なぜでしょう。今の子ども達がサンタクロースに頼むものと言えばビデオゲームやそのソフト…善意の範囲で用意するには高額すぎるのです。貰えるものの差、わざとらしいサンタクロース…“違い”を強調してしまう。
 そこでお声が掛かったのが私たちニンフです。人間社会のそばにいるのを利用し、古来伝承に戻り、プレゼントをあげられないかというわけ。もちろん全員には無理なので、選ばれた子どもだけに。不公平な気がしますが“奇跡的”だからこそ、夢と希望と信じる心を維持できるのだとか。本当かしら。
「自信はないけど光栄な話ですから、お受け致しましょう」
 私は答えました。木の人形がギシギシ言いながら小躍りします。リアクションがオーバーなのは普段の仕事が夢の演出。
「あすかちゃん、でいいのね?」
「はい。一番ふさわしいだろうという主人の判断です」
「判りました。なんとかやってみます。ご主人様に了解した、と伝えて下さいな」
「はい。では早速に」
 人形使節はマントをくるりと翻し、そこから消えました。
 あすかちゃん…彼女は町はずれの保護施設に住む小学校2年の女の子で、この雑木林によく遊びに来ます。目的は虫たちと遊ぶこと。採集ではありません。観察し、手に乗せて遊ぶ程度。ただ。
 “自分たちのことを本当によく知ってる”それが虫たちの評判です。クラスならさしずめ虫博士といったところでしょうが、背景はちょっと胸が痛くなります。
 彼女には友達と遊ぶ“自宅”がない。
 おもちゃも限られ、それゆえに友達がいないに等しいのです。以前、友達とは“本人”がいれば良かった。でも、今の基準はその子が“どんなガジェットを持っているか”。
 …友人とする判断基準として、これはどうなのでしょう。
 それはさておきそんな理由で彼女は“虫”です。虫博士なのは、生い立ちに伴う心理的負い目を、“他にはない何か”で、自ら埋めようとする意識の働きでしょう。そして、友達のいない自学区ではなく、隣の学区に属するこの林までやってくるのは、誰かに見られても、知らない子どもばかりだから、何言われようと気にならないから。
〈何をお悩みですか妖精さん〉
 オオカマキリが枯れ葉揺れる枝の上から問いました。大きなおなかは産卵間近の証。なお、彼らと私との会話は意志だけ…すなわちテレパシーです。
 私はわけを話して。
〈何をあげようか悩んでるの〉
〈なるほど…彼女はいい子ですからね。空き缶やゴミを拾ってくれたり、業者がほじくり返しに来る前にカブトムシの卵を集めたり。最近はスケッチしに来ることが多いですよ。穴が開くかと思うくらいじーっと観察しながらね〉
〈観察か…〉
 恐らく、彼女の基本。
 すると。
〈私たちみたいな小さいの描くのに苦労してるようですよ〉
 これはナミテントウ。つまり、翅の星にバラエティが多い普通のテントウムシ。
 クヌギの幹を根元へ向かって歩いています。彼らは日当たりの良い朽ち木の中や、枯れ葉の裏で冬を越します。
 クリスマス…それはすなわち冬の到来、昆虫が少なくなる季節。
 彼女にとってはツマラナイ季節。
 でも、それを乗り切れるような何かがあれば。
「観察ね」
 私はひとりごちました。それこそ虫の名が付く観察用具を思い出したのです。

 12月24日。
 冷たい風吹く曇りの日。
 すっかり葉の落ちた雑木林に、あすかちゃんは姿を見せませんでした。
 だったら施設に行って、彼女の靴下の中にでも入れて来ようか。私がそう思い、クヌギの梢を飛び立とうとしたその時でした。
〈エウリディケさん!〉
 ヒヨドリが血相変えて飛んできました。
〈どうしたの?〉
〈女の子…施設からいなくなっちゃった〉
 あわてて向かいます。すると丘の上、施設周辺の草むらを探し回る大人達の姿。
 私は手のひらサイズだった身体を伸ばします。ギリシャ神話のニンフは人間サイズ。その直系であり、フェアリとの混血を経た私たちは、身体の大きさを変えられるのです。
〈エウリディケさん何を…〉
〈情報収集〉
 私は言うと、地上に降りて翅を縮めました。
「あのすいません、あすかちゃんっていう女の子はこちらの施設に…」
 メガネの男性に問いかけます。
「えっ?…ああそうだが、あんたは?」
 いらだった口調、刺すような目線。
 私の服装は神話の妖精そのままの白い貫頭衣、togaです。非常事態にその姿、異様に見えて当然。
「教会のクリスマスの劇に来てくれる、という話だったんですが」
 これなら不自然じゃないでしょう。
「…そうかい。いや実はいなくなってしまってなぁ。クリスマスなんか嫌いだって」
 男の人の声音が困惑を含みます。その手には金の色紙で折ったお星様。…でも握りつぶされたようにくしゃくしゃ。
 ヒモが付いていてペンダントになっています。

『メリークリスマス!』
『こんなのいらない!』

 強いショックと共に、その映像は男性の記憶に刻まれていました。
「すいません、そのお星様、お借りできますか?」
「え?ああいいが」
 差し出された星のペンダントを私は手にします。何をするのかって?
 持ち物から心理情動の残した波紋を追いかける超常感覚、サイコメトリ。
 女の子がこの星を叩きつけた瞬間、脳裏に浮かべた風景を、私は星から読み取りました。
 河原。何か思い出があるのでしょうか。
〈近くにある?〉
 柿の木に止まって見ているヒヨドリに尋ねます。
〈…女の子が歩いて行く距離じゃないですよ〉
〈だからこそ。案内して〉
〈…判りました。こっちです〉
 飛び立つヒヨドリを私は走って追います。
「あっ!ちょっとあんたどうするんだそれ!」
 背後からの声。
 でも説明はしません。ちょっと待ってて下さい。私は風のように草むらを駆け抜け、人々の視線の届かないところで、上空へと飛び上がります。
 飛ぶこと少々。距離にしたら2キロはあるでしょうか。川があり鉄道の橋が架かっている場所に出ます。確かに、女の子が歩いて行く距離じゃない。
 でも。
〈あ、いました。本当にいました。あそこです〉
 ヒヨドリが興奮したように叫びました。その河原、流れのそばに、女の子がひとりぽつんと立っています。
 それは確かにあすかちゃん。
 私は彼女の背後に、音もなく降り立ちます。
 但し、太陽を背にして影を伸ばして。ある程度の風を起こして。
「…だれ?」
 気付いて、あすかちゃんが振り返ります。
Pre2  どう思ったでしょう。そこにいた女の背中には翅がある。しかもその翅は、彼女ならすぐ、クサカゲロウのそれと判るはずです。
 ヒヨドリが私の肩に止まりました。
「妖精…」
 あすかちゃんが私を見上げます。円い目で、輝く目で。
 私は何も言わず、星のペンダントを取り出します。あすかちゃんは目を伏せ、その表情が曇ります。それは悪いことをした、という認識が彼女にある証拠。
 でもそう、そんな顔しないで…私はそれを指さして。
「ワン、ツー、スリー」
指をぱちんと鳴らすと。
 手品の要領で、用意してきたプレゼントにすげ替えます。
 虫眼鏡。
 レンズは水晶。柄とレンズの枠は樫材。但し、柄の途中には虹色に輝く別の材料が組み合わされ、その材料の特性上、若干反っています。
 ベレムナイト(チョッカクガイ:白亜紀)の化石がオパール化したもの。
「…置換化石?」
「そう」
 私は言いながら、着ているtogaのだぶだぶ裾口を、細くくるりと引き裂きました。
「あっ…」
「気にしないで」
 切り裂いた裾を柄の先端に開けた穴に通し、輪になるように結ぶと。
「メリークリスマス」
 私は彼女の首にそれを掛けました。
「え?」
「いつも虫たちのこと気に掛けてくれてありがとう。…それはみんなからの気持ち」
 あすかちゃんは声が出ません。
「知ってるよ。あなたがカブトムシの卵を守ってくれたこと。畑のモンシロチョウを施設の庭で育ててくれたこと。セミの子を狙うヒキガエルを勇気を出して連れてってくれたこともあったね。他の子がアリを踏み潰して遊んでいるのをかばってくれたこともあったかな?。みんなみんな、虫たちに聞いたよ」
 私は彼女の前にしゃがみ、その手を握り、瞳を見つめて言いました。
「素敵な女の子に巡り会えて、みんな、幸せだよ。また春になったら、それで、いっぱい観察してあげて」
「…うん!」
 あすかちゃんは頷きました。涙の滴光る目に微笑み。
「施設の人たち探してるよ」
「うん、帰る。あ、さっきの星のペンダントは?」
 私はポケットからそれを出し、破れ目から、中に何か粒状のものが入っていることに気付きました。
「何か入ってるよ」
「え?」
 あすかちゃんが早速虫眼鏡でその粒を観察します。
「…星の砂。妖精のお姉ちゃん。これ星の砂だよ。あれ?」
 あすかちゃんが見回しても、私の姿は見えなかったでしょう。
 私が呼んだ施設の飼い犬、ベンが、所長さんを引っ張って河原まで来たのは、それから3分後のことです。

プレゼント/終

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】私が怒ったこと

〈見つかりません〉
〈間に合いません〉
〈おなかがすきました〉
 と、テレパシーで送られたのだと、書いたらあまりにも唐突かも知れません。
 ビジュアル的にも変です。コナラの木梢、そのちょうど幹から枝が分かれる部分に、タイワンリス3匹。
 そして、彼らと向かい合う位置には、白い衣をまとった身長15センチの女がいます。
 その背中には、膝裏まで伸びた長い黒髪と、カゲロウのそれに似た翅2枚。
「困ったねぇ」
 翅持つ女…私は腕組みしてため息をつきました。昆虫と動物たちの相談相手が私たち妖精ニンフ族の主な仕事です。今日は冬を前にリスたちの冬眠準備を拝見、なのですが。
 ご承知の方も多いかと思いますが、彼らは主としてドングリなど木の実を冬のエサとしてため込みます。ところが今年は長梅雨と梅雨寒が響き、そうした木の実が少ない地域が多いのです。最も、最近の傾向として、毎年なにがしか夏に異常があり、木の実が極端に多い少ない、地域偏在というパターンが続いているのですが。
〈妖精さんに頼めば貰えると聞いたんですが〉
〈配って歩いてるってホントですか?〉
〈ありかを教えてくれるんでしょ?〉
「その前に出来るだけのことはしたの?」
 私の口調はちょっと怒気をはらんだかも知れません。というのも、最近、こうした小動物達、野性のたくましさというか、必死さが薄れ、ズルイというか怠惰な傾向が見て取れるのです。
 なぜかというと。
「りすさんおいで~」
 下から幼いかわいい声。ここは雑木林を切り開いた住宅地にある公園。先ほどから保育園の小さい子達が下で遊んでいます。
〈行こうぜ!〉
 リスたちが私を見捨てたように駆け下りて行きます。そう、彼らは人間から労せずエサをもらえることに味を占めてしまったのです。で、姿形が同一である私に対しても同じようにちょうだい、というわけです。
 子ども達がきゃーきゃー言っています。他の子ども達も駆け寄ってきて大騒ぎ。
半分呆れていると、背後上方に舞い降りてくる翼。
〈こんにちは、エウリディケさん〉
 鋭い目線の持ち主は、最近都会暮らしも板に付いてきた小型の猛禽、チョウゲンボウ。ちなみに女の子です。
「お元気?」
〈まぁ、何とか。…うーん、これは我々にとっては都合のいいことかも知れないのだけど、あなたには知らせておいた方がいいでしょう〉
 彼女が言うには、最近この辺のネズミ類が“肥満”していると。
「人間さんの残飯のせいだね」
〈動きが鈍い分には我々には好都合なんですけどね。野性の有り様(ありよう)としては、恐らく良くないのではないかと。結果として連中早死にして数が減るし〉
 私はまたまた、ため息をついてしまいました。
「ありがとう…そう、言う通り、最近おかしくなってきてる。動物たちが人間さんによって変わっていってしまう。でも難しいんだ。私たちは人間さんの前に姿を見せることが出来ない…同じ格好しているのにもかかわらずね」
 私は人気アイドル状態のリスたちを見下ろして言いました。妖精族は基本的に人間さんとのコミュニケーションを禁止されています。これは人間さんが妖精などいないと決めているから。私たちにその禁を破る権限は与えられていないのです。だから…妖精って見えた瞬間に消えてしまうでしょ?
 ただ、だからって何も出来ないでは事態はどんどん悪化するでしょう。人間さんにもそれに気づき、歯止めを掛けねばと思って下さる方が大勢います。でも、それ以上に、そうした風潮を利用している方のほうが、残念ながら多い状態。
 ため息をつくなと言う方が…待って下さい。
 “悪意”
 割り込んできたその認識は、私たち妖精族に備わった超常の感知能力、テレパシーの警告。
 悪魔的、残酷な意識。それは陰惨な雰囲気となり、比重の重いガスのように、地面近くを忍び広がって行きます。
〈エウリディケさん!〉
 気配を察知したのでしょう。リスたちがあわてて駆け戻って(登って)きます。
 チョウゲンボウの姿を見てギョッ。でも妖精の前で野性の行動は原則禁止。
「この子なら今は大丈夫。判ってる。私も感じてる」
 リスたちに私は言いました。下の方では子ども達が怒っています。リスが突然いなくなり、不平不満。
 “解き放たれた”
「来る」
〈ええ来ます。早い〉
「あなた達はそこにいなさい」
〈私も手伝います〉
 リスたちを残し、私はチョウゲンボウと共に動きます。彼女には上空から見てもらって私は地上へ。
 上を見上げる子ども達のまにまに飛び降ります。
 禁忌とされている人間さん達の前に姿を見せたわけです。でも理由…この子ども達が危ないとなれば、話は別。
 そう、この子ども達に危害が及ぼうとしているのです。現時点で判るのはそこまで。
「あ、てんしさま」
 無邪気な声が私を迎えます。突如木の上から降りてきた白装束の女。
 驚き目を剥く保育士さん達。ただ、私が女の外見をしているせいか、怪しさや危険という印象は持たれていないようです。
 近づいてくるもの。
 そのものの行く手に立ちふさがるように、私は幼子達の前で腕を広げます。
 聞こえてきたのは犬の鳴き声。
 ようやく危機の内容が知れます。凶暴な犬が何匹か解き放たれ、けしかけられた。
 この子ども達に!。
「わんわんだ」
「逃げてっ!」
 私は保育士さんに言いました。
「えっ?」
「子ども達が危ない!」
 と、木立の間を抜けて走ってくる猛悪そのものの顔、顔、顔。
ドーベルマン・ピンシャー。ボクサー。
 大型で力ある犬種ばかり。
「みんなこっち!」
 保育士さん達がようやく事態に気付きました。私はチョウゲンボウと共に動きます。彼女が上方より威嚇し、私は私で回り込み行く手をふさぎ、そして翅を伸ばし、羽ばたいて顔をはたいたり、地面の砂をまきあげて掛けたり。
 当然噛みついてこようとしますが、反射神経と動く早さは私たちの方が数段上。
 行く手をふさぎ、追い返し、すり抜けようとする者の前に回り。
〈やめなさい!〉
Okotta2 意識に直接言葉を放り込みます。頭の中に稲妻が落ちたようなショックはあったはずです。
 でも彼らは一瞬びくっと震えるものの、行動を止めようとはしません。一般に動物や昆虫は妖精が何者か遺伝子的に知っていますが、人間によって何世代も“培養”され、人間しか知らないような生き物の場合、その情報が不要とされ、欠落していることがあります。
 鼻にシワを寄せくってかかってきます。その鼻面を掴み、口を閉じるように両手で圧迫します。…書くと簡単そうですが、前述のように反射神経の故です。実際には統制されないオオカミの狩りのように闇雲に噛みついてきているわけで、普通の方は避けた方が無難。
「いい加減にしなさい!」
 その状態で一喝し、かなり乱暴に地面に組み伏せます。これは太古、彼らがオオカミであった時代、群れの首魁、専門家が言うところの“アルファ”が、聞き分けのない構成員を黙らせるために取っていた行動です。但しもちろん、彼らには手はないので、口で口に噛みついてふさぎます。
 結果、その捕まえたドーベルマンは、私の方が上位存在と認識したか、きゃんきゃん言いながらどうにかおとなしくなりました。
 しかし犬はまだ5頭ほどいます。保育士さん達が子ども達と逃げまどい、チョウゲンボウが威嚇していますが、このままでは危険。彼女と私の連係プレーでどうにか逃れているだけなので、とても一頭一頭組み伏せる暇はありません。
 仕方ありません。
 私は胸元の金のチェーンを引き上げます。
 その先にはサファイアを思わせる青い石。
 石を手のひらに載せ、握ります。
 保育園の一行は大きな栗の木の下に小さくかたまりました。
 子ども達に保育士さんが覆い被さるように体を張り、犬が周囲から吠え立てます。一気に攻撃、と行かないのは、前進すると阻む存在…私がいることを学習したから。
「リクラ・ラクラ・テレポータ」
 私はその場所へテレポーテーション、すなわち瞬間移動。
 突然現れた私の姿にボクサー犬の一頭がひるみます。
 その鼻先に石持つ手のひらでタッチ。
「テレポータ!」
 ボクサー犬、消滅。
 翻ってシェパードを、以下間髪を入れず次々に犬の姿をかき消します。
 とはいえ命を奪うとか、傷つけたわけではありません。彼らの行き先は天国の片隅、私たち妖精の国フェアリーランド。
 悪魔の者かと思わせる吠え声が消えました。
「大丈夫?みんな大丈夫?」
 私は子ども達に、保育士さん達に尋ねます。
 恐る恐る振り返る保育士さん。
 その血の気を失い、凍り付いた表情。震える身体。
 唇をガチガチ鳴らしながら、それでもどうにか頷きます。
 事態が去ったと知ったのでしょう。火がついたように子ども達が泣き出します。なんで、なんでこんな幼い子達がこれほどまでに怖い目に遭わなくてはならないのでしょう。
 保育士さん達が自らを鼓舞するように首振って、頬を叩いて動き出し、子ども達を慰めに掛かります。まずは任せて大丈夫でしょう。
 残った問題は。
〈どこに〉
 私はチョウゲンボウに尋ねます。
〈息を潜めています。場所は判らない〉
〈来なさい〉
 私は組み伏せた犬に命じました。犬はしっぽを股に挟み、すごすごという感じでやってきました。
〈何か…〉
〈お前の飼い主は〉
 犬の意識が指し示したのは公衆トイレの向こう側。
目を向けると、そもそもは壁の影から隠れて見ていたか、驚愕に茫然とした顔の若い男。
 どうすべきでしょう。れっきとした犯罪者です。目撃者はいますので立件できます。しかし、面白そうに犬をけしかける者に、子ども達が命落とすかも知れないという状況でも平気でそうする人間に、労働奉仕を基本とした人間さんの更正システムが有効なのでしょうか。
 かといって当然、私にそんな権限はありません。ただ、正直なことを言えば、同じ恐怖を味わわせ、思い知らせてやりたい。
 大地の女神ガイア様、私は一体どうすれば。
「待ちなさい!」
 逃げ出そうとする男を、私は指で指し示します。
 それで、男はまるで空間に釘付けになったように動けなくなります。こんなことしたの、何年ぶりでしょう。
 男が目に見えてうろたえ、自分を見回し、次いで自分を見ます。上半身は自由です。でも腰から下は石のように動けないはず。
 逃げるのは阻止しました。でも、この後どうすれば。
 その時。
「あ!あの男!」
 高所から放たれた女性の声が周囲に響きました。
 向かいのアパート5階のベランダ、手にした布団はたきで男を指さす熟年女性。
「放火魔でーす!ちょっとー!誰か公園の男捕まえてー!」
 その声に開く戸建ての家屋の玄関ドア。バットを片手の白髪の男性。
 そして。
 私の傍らを風のようにすり抜ける長い髪がありました。
 保育士さんの一人です。対人制圧用具“さすまた”を手に走って行きます。恐らく不測の事態に備えて散歩にも携行していたのでしょう。たった今まで、自らが危機であったにもかかわらず、であればとばかりに買って出る…それは庇護者持つ存在、母の強さでしょうか。

 …新聞によると、孤独な男が無職であることを親に咎められ、自宅周辺で犯罪行為を繰り返していたようです。徐々にエスカレートし、人目をはばかることなくなり、そしてついに選択した犯罪が、それ。

私が怒ったこと/終

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】人魚と出会う

 妖精の中には任務というか使命を持つ者もございまして。
 たとえばニンフ族である私の場合は、昆虫とか動物など、人間さん以外の陸生生物の相談相手、というのが基本です。植物はケルトの神話でおなじみ、ちょうちょの翅のフェアリ達が主たる担当です。
 しかし生き物がいるのは陸上だけではありません。むしろ、生きとし生けるもの海にて誕生し、陸でも生きられるよう進化して来たというのが真実です。この結果として、陸の生き物は内部に海を蔵しています。人間さんも含めて個々に“小さな海”を持っているのです。
 前置きが長くなりました。
〈ありがとうございます。どなたか存じませんがありがたいことです〉
 セリフ…というよりそれは意志です。意志を発した当事者はウミガメのお母さん。それを私がテレパシー能力で言葉に変えただけ。
 彼女はこの砂浜を産卵場所にしています。しかし、人間さんにはそんなことどうでも良い輩がいるようで、重いクルマで夜な夜なこの海岸を走っているようなのです。
 被害にあった卵も多くあります。ただ、別のカメが昨日産んだ卵は、誰か人の手によって埋めかえられ、事なきを得ました。彼女の意志はその見知らぬ誰かに対してのもの。
 そして。
Ningyo2「人間さんって最近、両極端な気がする」
 くるくる巻き毛の豪奢な金髪をたたえた美女が、低いトーンで呟きました。
 カメの背をゆっくりと撫でさする彼女は、一見、人間ですが、その足にはひらひらしたヒレのような部分が存在します。
 海の妖精…古来、人魚と呼ぶ存在です。月夜なので海岸にあがっています。私がまとっているのと同じ白い布の着衣…貫頭衣を身につけています。今夜は彼女と会う約束があったので、お貸しした次第。
「どっちが本当なのか、判らない」
 彼女は続いて、呟きました。
「見える限りではね」
 私は応じます。足下、カメのいる砂地には、クルマのタイヤ跡が幾重にも重なってあります。一方で見渡すと、棒とひもで円形に柵された部分があり、小さなカンバンが下がっています。“穴あり危険、立ち入り禁止”…でも実際には穴などなく、カメの卵が埋まっています。卵があると書くと逆にイタズラされるため、このようにしているのです。要は嘘です。つまり彼女が言いたいのは、命を無視する側も、守る側も、少々やりすぎなのではないか。逆に言うと、ナチュラルさが失われ、そこまでしないとあるべき姿を守れない。
「大切にされないとね、大切にしようという気持ちも沸かない」
 私は言いました。でもため息が出て、
「こうしなさい、と押しつけてもダメなんだって最近思ってる。そういう気持ちは、自然と抱くもの。最もね、たまたま宝物が生き物だった、というだけで異常に大事にしている場合もあるけどね。それはそれで大事にされすぎてかわいそう」
「ペット溺愛か…それはこっちにはないからね。…ねぇリディア。こういうのどう?エサ豊富、敵なし。でも一生箱なり敷地の中」
 リディアと呼ばれたウミガメのお母さんは、そんなのいや、と一言。
 人魚の彼女もため息をついて。
「汚れが漂う海の中より、陸にいるあなたを羨ましいと思ったこともあったけど、…なまじ人間さんの活動空間だから、見たくない物一杯見える…」
「でも、誰かがいないと」
〈誰か来ますよ〉
 ウミガメの母リディアの警告に私たちは緊張します。基本的に妖精が人間さんとコミュニケーションを持つのは御法度。なぜなら、人間さんが“そんな物存在しない”と決めているから。私たちは存在してはならないのです。
「こんな時間に」
 人魚の彼女が一言。今は午前3時。
 しかしリディアの産卵はまだ終わってはいません。
 私たちは彼女を見守ることにします。この状況で、そのどちらか極端な人間さんが来ているというのに、彼女だけ残して姿を隠せますか。
 と、遠く海沿い道に人影が現れ、砂浜に飛び降り、気付いたように動きを止めます。
「気付かれた」
「みたいね」
 私たちは言い合い、次いで程なく、ほぼ同時に気付きました。
 緊張と拒否があります。私たちが何をしているか確認したいが、コミュニケーションは拒みたい。
 “強く出られる”ことを極端に恐れている。
 でもその心の中には。
「カメなら大丈夫ですよ」
 私は自分から声を出しました。
 彼…人影の主である男性の緊張が少しレベルダウンするのを感じます。ちなみにこうして私たちが彼の心の動き、情動を感じ取れるのは、言うまでもなく妖精の能力、テレパシーのゆえ。
 彼がゆっくり歩いてきました。私たちが女の属性を備えていると知り、“強く出られる”可能性が低いと考えたようです。…妙に詳しく描写しているようですが、それは彼が“傷つけられる相手かそうでないか”あらゆる方向から検討を加えている…強く考えているから、私たちも手に取るように判ってしまうのです。
 それは傷つきやすい人、繊細で敏感な人に多く見られる情動。
 遠い過去、私たちの存在に気付いた人たちは、そんな性格の持ち主が多かった気がします。
 だから多分、その時私たちが、二人とも“妖精”の属性を物語る外見上の特徴を隠そうとしなかったのは、そうした過去…私たちと人間さんとが共存できた時代への思いがあったからでしょう。
 彼が少し離れたところで止まりました。
 背が高く、色が白く、メガネを掛けています。年齢的には青年と言っていいでしょう。
その目がまばたきすら出来ない状態であると私たちは感じています。どう見えたでしょう、背中にカゲロウのそれと同じ翅を持った女と、その傍らに座する足にヒレの構造を持つ女。
「昨日は、カメの卵を埋め変えて下さって、どうもありがとう」
「い、いや…」
 裏返った声。朱が走る頬。
 女性と話す、という行動自体が、意を決す必要があるほど大変なようです。どんな言葉遣いをすればよいか判らない。
 繊細で、繊細すぎて。女性は皆女神性を備えた高貴な存在で、僕なんかがおいそれと話しかけるような…。
「毎晩、こうして見回って下さっているんですか?」
 人魚の彼女が尋ねました。
「月が、月がきれいだったから…たまたま…です」
 正直なことを言うのは照れる。だからごまかしてみた。
 夢だろうかという意識が彼にあります。自信が無く、世間では悪口雑言の対象になり、働いても長く続かない。何の取り柄もない。そんな自分がこんな…。
 と、彼が口をあんぐりと開きます。ようやく、私たちが人類ではないことに気付いたようです。
「…ニンフ」
「月光の蠱(まじ)かもしれませんよ」
 私は言いました。はいそうですと即答しなかったのは、彼があまりにもあまりにも私たちに対してロマンチックな印象を抱いているから。
 すると。
「変なこと…言いますけど…」
 彼は躊躇いがちに口にし、続いて。
「触れようとすると消えますか?振り向くと二度と会えませんか?」
 それは事態の認識と、知識を付き合わせた結果による彼の意志表示でしょう。
 そしてその言い回しは、ともすれば、『何言ってんだバカ』と一笑に付されることの多い昨今でありますが。
「見続けないと流星は見られない。見えなくても星は流れる」
 私はこう応じました。何も彼のイメージ、私たちに対し抱いているクリスタルガラスのイメージを、叩き割ってしまう必要はありません。
「光と影の狭間のあなたは幻影?」
「姿無くして影あるのみか。姿あっても触れられないか」
 これは人魚の彼女。
「震える。高鳴る鼓動が止まらない。その思いは漸近線に似て近づけど交わらず」
「無と無限が表と裏であるかのように」
 まるで連作詩です。この辺はまぁ、私たちもニンフの血を引く以上、嫌いではない、というのが背景にあります。
 激しい雰囲気の乱れを感じたのはその時です。
 野卑そのものの機械音、無駄に消費されるエネルギー。
 刺し込んでくるような高輝度ライトの光芒。
 堤防上から段差を乗り越え、四輪駆動車が荒々しく砂浜に降り立ちます。
 ライトを…剥き出しという語がピッタリするでしょうか、上向きにし、窓から身を乗り出し、拳突き上げ、奇声発しながら、私たちめがけて突進してきます。
「リディア」
 人魚の彼女がリディアの甲羅に手を掛けました。
 私は胸元から金のチェーンを引っ張り上げます。その先にはサファイアによく似た青く透明な石。
「いい?」
 私は人魚の彼女に問いました。私たちの立つ空間一帯を一種のバリアで包んだ上、天国の一部に存在する私たちの国へ瞬間移動しようというのです。すなわち、妖精が姿を消す。
 その時でした。
 彼が、繊細で傷つきやすい彼が、まるで自らのダムを壊すように、ありったけの勇気を持って、腕を広げ光芒に向かい歩き始めたのです。
「君たちやめたまえ!」
 聞こえるとも思いません。聞こえても言う通りにするとも思えません。
 どころか、彼もろとも対処しないと彼が酷い目に合うでしょう。
「戻って!」
 私は叫びました。バリアはシャボン玉のような形態で生じますが、彼の位置までは届きません。
「あなたがたは逃げて!」
 彼は叫んで返しました。
 勇気は買いますが正直無謀です。相手はクルマで、しかも大人数。
 でも、その勇気、騎士の勇気を無にするのは…。
 その時。
「エウリ、リディアをお願い」
 声に振り向いた時、彼女の姿は既に波間にありました。流麗な女の身体が圧倒的とも言える速度で沖へ向かい、そして潜ります。
 どうしようというのでしょう。私はとりあえず出来る行動に出ようとします。リディアを抱えて彼の元へ…
〈待って〉
 それは海からのテレパシー。
 よぎる影。
 浮かび上がったシルエットに私は瞠目しました。
 海面に立ち上がる竜…
 に、似ていますが、鱗も手足もありません。ヒレがあり滑らかな身体はむしろ魚類。
 …シーサーペント。
 それは繊細な彼が浮かべた意識です。シーサーペント。伝説の海獣。海神の怒りの遣いとも。
 ちなみにその姿は私と彼にしか見えていないようです。実際、シーサーペントは影がありません。
 シーサーペントが動きます。尾びれを持ち上げ、鞭のようにしならせ、海面をはたきました。クジラ類が行うヒレ打ち、スラッピングをイメージしてもらえば近いでしょうか。
 すると超常の変化が生じます。仁王立ちする彼と、接近するクルマの間に突如海が割り込んだのです。砂浜がすげ替えられたように水面に変化。あたかも聖書の海割れと逆の現象。
 突然の変化にクルマはすべなく水中へ入り込み、そして止まりました。水が駆動装置へ回ったのでしょう。更に程なく沈み始め、乗っていた者どもがあわてふためいた様子でクルマから海へ飛び込みます。着衣でうまく泳げない者もいるようで相当なパニック状態。
 この時、シーサーペントの姿はもう見えませんでした。
 人魚の彼女も。気配すらありません。
 ただ。
 波打ち際には貸した私の服と。
 手のひらサイズの、透明な板のような物。
 板のような物は、薄いガラスの皿のように若干湾曲し、年輪に似た模様があります。
 私は服を手にすると、透明なそれを彼に渡しました。
「これは私の服。だとすれば、これはあなたにということでしょう」
「…僕に?」
 彼が手にしたそれを見回します。
「これは一体?」
 私は彼の手のひらにあるそれを、ペンダントの石で軽く弾くように触れました。
 それこそ薄いガラスを弾いたような、小さく、トーンの高い音。
 彼は声が出ません。ただ目と口を「O」の字に開いて、僅かに震える手のひらの透明を見ています。
 その繊細の正体は。
「答えは、あなたが思っている通り…リクラ・ラクラ・テレポータ」
 私は言い、呪文を唱え、瞬間移動でそこから姿を消しました。

人魚と出会う/終

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】僕に魔法を

 ネコ集会というのは、一般に夜であると共に、私たち妖精族にとっては、様々な情報を彼らから得られる絶好の機会でもあります。
〈行橋(ゆくはし)のばぁちゃん入院しちゃったよ〉
〈マジかよ。明日から食いっぱぐれじゃないか〉
「そこは冒険でしょ。人間さんに頼ってばかりじゃだめだい」
 私はちょっと意地悪な気持ちで言います。実際には、ネコたちの野生の喪失という、やや由々しき問題を踏まえての提案です。ちなみに、彼らと私との会話は、基本的にはテレパシーでのやりとりです。
「自分でとっつかまえてきなさい」
〈めんどくさい〉
〈ネコですから〉
〈あーあ、エウリーさんに何かもらえると思ったのに〉
〈妖精さんは冷たい〉
〈行こ行こ〉
「あのねぇ…」
 集会はお開きになってしまいます。“ネコですから”安楽指向。そりゃまそうでしょうけど。
 と、一匹残って私を見ています。その子は名をミミと言い、最近越してきた近くのお宅で飼われている三毛猫です。ちなみに三毛ですのでメスです。まだ生まれて10ヶ月ほど。
〈エウリディケさん…〉
 それはさしずめ人間さん的に言うなら“泣きそうな声”。
「どうかしたの?」
 問いかけると、彼女は座っていたブロック塀の上から飛び降りました。
 ネコは高い位置を取った者が強い者という序列を持ちます。そのネコである彼女が私の足下へ。あ、ちなみに申しておきますと、私は妖精ではありますが、手のひらサイズのケルトのフェアリーと、人間サイズのギリシャのニンフ、双方の血筋を引いており、身体の大きさをそのどちらにも変えられます。そして現在は人間サイズ。
〈いきなりで申し訳ないんですけど…〉
 ミミちゃんは言いました。
〈私に魔法を掛けてもらえませんか?〉
「えっ?」
 その訳を聞くとこうです。最近小学校3年生の“同居人”たくや君に元気がない。引っ越してきてから友達が出来ず塞ぎがち。いつも自分のことをかわいがって、遊び相手にして過ごしている。だったらいっそのこと自分が話し相手になってあげられれば。
〈たっくんだって素敵だなって思ってくれるだろうし、そうしたら嫌なことも忘れられるかなって〉
 私はため息。
 ミミちゃんの望み通りにすることは、生物学的にあり得ない、やってはいけないこと。
〈やっぱりだめですよね。いいです。無理言ってすいませんでした〉
「あーちょっと待って」
 私は気落ちする背中を呼び止めます。
「そのまんまは無理だけど…」
Boku2
 翌日、昼下がりの住宅街に、男の子の声が響くことになりました。
「ミミー。どこ行ったとねー?」
 探しながら走り回る彼を、私は手のひらサイズで中空を飛びながら見ています。この状態、よーく目を凝らすと髪の長い小さな女が空中を移動しているという図ですが、まぁ、見つかることはないでしょう。え?ミミちゃんですか?一時的に妖精の国、フェアリーランドに隠れんぼ。
 …たくや君が誰かに声を掛けざるを得ない状況を作ったのです。友達を作るには、得てして待っているだけではだめ。
 道行く彼の向こうから、ランドセルの少女が二人、お喋りしながら歩いてきます。
「ミミー。何も怒りよらんから出てきー」
 声を出す彼に女の子達が気付きます。
 そしてうわさ話をするようにクスクス。
 その動作を見た彼は立ち止まりました。
 去って行く女の子達の背中を寂しそうな目で見つめます。
「ミ…」
 声を出そうとし、口ごもってしまいます。
 と、交差点の陰から同年代とおぼしき男の子達が3人。
「おいイナカモン!」
「ミミー。どこ行ったー?」
 彼の口まねをし、ゲラゲラ笑います。
 説明は不要でしょう。方言をバカにされて話すことすらままならない。
 友達が出来ないのは彼のせいじゃない。
「ネコのことはネコに聞いたら?」
「ほらあそこにいるぜ」
 道ばたで顔をぬぐうノラネコ…集会所にいたニャゴ助…を指さします。
 私は最初、自分が彼にひどいことを強いたと思いました。
 でも、この展開なら話は別。
〈ニャゴ助、ちょっと〉
 私はテレパシーで話しかけます。
 ニャゴ助は応じ、道を横断してたくや君の足下に座りました。
 ニャゴ助がたくや君を見上げます。
 その隙に私はたくや君のズボンのポケットへ。
〈僕で良ければ聞きますが?〉
 これは私。さもネコが喋ったかのように。
 たくや君は驚愕のあまり声も出ず。
〈たくや君でしょ。ミミちゃんとこの。ミミちゃんどうしたの?〉
「…いなくなったと」
 たくや君は反射的に言いました。
 これに大笑いしたのは3人の男の子達。
「バカじゃねぇの?」
「ホントにネコに訊いてるぜ」
〈無視して。いなくなっちゃったんだね?待って。みんなを集める。口笛を吹いて手を2回ぱんぱんと叩いて〉
 それは私がネコたちに呼びかけるやり方。但しテレパシーを併用します。
 たくや君は猫と会話していると認識したと見え、その通りにします。私はネコたちを呼びます。
 …あちこちからネコたちが集まってきます。
 男の子達の表情が変わってきました。
〈ミミちゃんがいなくなったらしい〉
〈え?本当に?〉
〈手分けして探そう〉
「にゃぁ〈たくや君は僕と一緒に。心当たりがある〉」
 ニャゴ助はひと鳴きすると、しっぽを立て、ちょっと振り、颯爽と歩き出します。
〈まぁ見付けるから心配しないで〉
「ありがとお」
 たくや君が言うと、ネコたちはさっと散って行きました。
 ニャゴ助と共に、たくや君が歩き出します。男の子達は夢でも見ているような表情で、たくや君を後ろから付けて行きます。
 ブチネコの甚五郎が脇から出て来ました。
〈5番地にはいないよ〉
「わかった。サンキュー」
 甚五郎がニャゴ助、たくや君の二人に加わります。たくや君とネコ2匹。歩いているのは通学路。向かう方向は小学校。
 次にアメショとチンチラのミックス、リリア。
〈2番地から空き地までは見た。見あたらない。悪いけど抱いていってくださる?〉
「よかよ。おいで」
 たくや君はリリアの前に両手を出しました。リリアが進み出ると、抱き上げて歩き出します。
 以降更にネコが加わり、程なく、たくや君とネコ集団…。
 これには帰り道の子供達も目を剥かざるを得ません。そして、ネコ集団の後ろに、次第に子供達の列も出来て行きます。
〈そのまま学校へ向かって。私はミミちゃん連れてくるから〉
 私はニャゴ助に伝えると、一旦その場を離れます。
 小学校は住宅街から雑木林を挟んだ向こう。
 その雑木林の中を行く通学路に、私は人間サイズでミミちゃんを抱いて立っていました。
 …妖精族は人間とコミュニケーションを取ってはいけません。なぜなら人間さんが、そんな生物はいない、と決めているからです。私たちは虫や動物達の相談相手にすぎず、人間さんのことにとやかく口を挟むことは出来ません。
 だから本来なら、姿を見られることも良くない。でも、この神話の女神様と同じ白い装束(貫頭衣…toga:トーガといいます)が、この場合多分効果的。
 “一行様”が私を見つけて立ち止まりました。
〈あら、ミミちゃんよ。私はお邪魔ね〉
 リリアが言って、たくや君の腕から飛び降りました。
 私は進み出、ミミちゃんをそのまま、たくや君の腕に託します。
「ミミちゃんは幸せね。飼い主さんがこんな人ばかりなら、ノラネコなんか一匹もいないのにね」
 私は言うと、togaの裾を細長く指で裂き、たくや君の手首に巻き付けました。
 そして巻き付けた手首を両手で握り、手を放す。ちょっと魔法。
 ミサンガのできあがり。本来ならりぼんに結びますが、男の子でりぼんでもないでしょう。
「ミミちゃんは、あなたに元気がないって、とっても心配していました。でも大丈夫。これであなたは元気になれる。後ろを見てみて」
 たくや君を見つめる驚きの瞳。
「ネコたちにお礼を言ってあげて」
「あ、うん、おかげで見つかったばい。ありがとね」
 彼が言うやいなや、ネコたちは一斉に走り出しました。一緒に付いてきた子供達の間を駆け抜け、元来た道を戻って行きます。
 子供達の目線がネコたちを追います。その隙に、私は小さくなって木の上へ。
 子供達とミミちゃんが残されます。みんなして狐につままれたような表情。
 “不思議”が起こったのだと誰もが認識しています。でもそれは多分、大人に言っても信じてもらえないこと。
 子供達が互いに目を見合わせます。こういう、“経験の共有”は仲間意識、そして友情へとつながる第1歩。
「にゃ」
 これはミミちゃん。
「お。よーし、帰ろうな。あ、みんなも探してくれたとね?ありがとお」
 たくや君は嬉しそうに言い、ぺこっと頭を下げました。
 子供達は“不思議”の中枢である彼に対し、自動的な動きで、通れるように道を作ります。
 たくや君がバカにされることはなくなったと、後にミミちゃんに聞きました。

僕に魔法を/終

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】狼

 明治期に絶滅した、と調べればすぐに答えが出て来ます。
 ニホンオオカミ。
 家畜を狙うので駆除の対象とされ、報奨金が付いた。その結果、最後の一頭まで撃ち殺された。それが定説になっています。
 その一方で“生き残っている”と主張する人たちもたくさんいます。確かに人跡未踏、とまでは言わないまでも、それに近い深山幽谷が日本にはまだまだ残っており、そこで人目を避けてひっそりと暮らしている、というわけです。
 そんな状況ですから、私が彼らと出会ったのはただの一度きり。
 なお、内容の性質上、場所や時期をここに書くことは出来ないことをお断りいたします。
 ただ、夏から秋へ移る頃、時間は昼下がり、とだけは書いておきましょうか。
〈人間の飼い犬にしては、ここはちょっと場所的に変だね〉
 そんな意識を捉えた時、私がいたのは梢の上。
 ニホンザルたちと話をしていました。と、書くと、サルと会話なんてと訝る方もあるかもしれません。確かに、人間さんでそういう能力を持つ方は極めて稀です。
 しかし私たちには必須の能力です。なぜなら、私たち種族の使命として、昆虫や動物達の相談相手、というのがあるからです。
 妖精。そう書けば多くの方々は一定のイメージをお持ち頂けるでしょう。外見は人間さんとよく似ていますが、翅を持ち、手のひらサイズ。多く女性の姿を取る。私もそうです。ただ私の場合、体のサイズを手のひらサイズと、人間さんと同一サイズと、自由に変えられます。これは元来手のひらサイズであるケルトのフェアリーと、人間さんと同一サイズであったギリシャのニンフとが混交を経た結果。
〈あんたの出番じゃないのかね。妖精さん〉
 ボスザル“ロゴ”が言いました。
 木の下では子ザルたちが遊んでおり、その子イヌに似た動物にちょっかいを出したくて仕方がない様子。
 子イヌに似た動物は恐怖と不安の気持ちでいっぱい。
 でも、イヌじゃない。
「じゃぁ、ちょっと」
〈ああ〉
 ロゴが地上の子ザルたちに行動を制す声を出します。私は梢からひょいと飛び降ります。
 翅を広げて、子イヌに似た動物の前に着地。この間に身体のサイズは人間さん並み。
「どうしたの?」
 私は声を掛け、そして気付きました。
 彼(オスです)がイヌに似ているがイヌでないことを。
 オオカミ。
 私がそういう認識に達したと知るや、上方のサルたちが慌てて梢の更に上方へと逃げて行きます。近くに親がいるのでは、というわけです。耳に痛いほどの警戒の鳴き声。
大丈夫だから…私はサルたちに意思表示をし、その場にしゃがみ込みます。
「おいで。迷子なんだね」
 しかしオオカミの子は震えながら私の目を見るだけ。
 異常なまでの恐怖を覚えています。私はその子の心を、備わった能力であり、動物達との会話を可能とした能力であるテレパシーでそっと見てみます。
 悲しい記憶がその心にはありました。両親を撃ち殺されているのです。
 両親は人間さんの接近を知り、この子を草むらに隠した上で、人間さんに立ち向かいました。
 しかし銃が相手ではなすすべ無く。
「私は人間じゃないから」
 私は言いました。オオカミの子はハッと気付いたように私を見ました。
〈そういえば…〉
 判ったようです。トコトコと歩いてきます。
 私はこの子が事件の後、同じ群れの別のオスによって引き取られ、そこで暮らしていたものの、狩りの最中に再び人間に出くわして怖くなって逃げ出し、そのまま迷子になってしまったと知ります。
 ニオイで帰れそうな気もしますが、川に落ちて流されたとのこと。
「ちょっと行ってくるよ」
 私は樹上のサルたちに言いました。
〈ああ、我々はいつでも構わないから〉
 ロゴが答えます。私はオオカミの子を抱き上げ、木の虚へ入ります。空腹らしいので手品の手法で取り出す大豆ハンバーグ。
 必死にパクつく間、私は外へ出て耳を澄ませます。
 次いで超常感覚。聴覚と心と、両方の知覚を使って。
 呼ぶ声はないか、探す心はないか。
 皆無。距離があるということでしょうか。
 でも、それをオオカミの子に知らせる気は起こりません。
 木の虚に戻ります。オオカミの子はすっかり食べ終わり、しっぽを振って私を迎えてくれました。
 こうなるとこの子の記憶が頼り。
「ちょっといいかな?」
 私は言って、額でオオカミの子の額に触れます。そう、ちょうど発熱の有無を確かめるように。
 見えてきました。記憶は断片の集合体であり、連続ではありません。
 遡ってみます。私、サルへの恐怖。長い上り坂。その前にヘビが怖くてちょっと長い距離を走ったようです。
 別の木の虚。寒さと濡れた身体への不快。太陽を右に見ての上陸。太陽の高度からして昼前のようです。つまり川の流れは東から西。
 この辺の主河川は南北方向に流れています。従ってそこへ流れ込む支流のひとつと推察できます。該当する支流は幾つもありますが、この子の記憶によれば途中流れが速く、岸に上がる直前に緩やかになっています。更にもう一つのヒントとして、そのヘビがどうやらヤマカガシであるらしいと判ります。
 ヤマカガシはカエルを専門に狙うヘビです。この辺りにカエルが好む池等はなく、カジカガエルが一部に棲む程度。逆に言えばその限られた場所を彼は通った。
 …絞り込めました。
 その子を抱いて背中の翅で飛翔します。目指すは尾根3つ向こう、わき水を源流とする岩場の清流。
 後はどこから流されたか、の問題。しかしそこまでは私の能力では判りません。むしろ彼の嗅覚に頼った方が良い。
 流れを逆にたどり、上流へ向かいます。翅を縮めて倒木をくぐり、逆に伸ばして岩場を、滝を飛び、足場を捜してあっちの岸辺こっちの岸辺。
 そんなことを2時間もしたでしょうか。
 彼の嗅覚と、私の感覚が、同時に気付きました。
 人間と火薬の匂い。
 待ち伏せ。人間さんの狩猟です。
「仙女じゃっ!食えば不老不死だ!」
「仙女がヤマイヌの子を連れてるぞっ!」
 すかさず上がった声に、私は彼を抱きます。
 一瞬たりとも止まることは許されません。走り出し、背中の翅を伸展し。
 ここで発砲。しかし背中の翅が既に私たちをその場から舞い上がらせています。流れの両岸から覆い被さる梢。その間を、身体を回転させながら通過します。通過しながら、首から下がるペンダントの金のチェーンを引き上げる。
 後は、このチェーンの先にある青い石を手にして、呪文を唱えれば。
 その時。
 信じられない代物が私の視界に広がり、そして私の身体を拘束しました。
 カスミ網。要するに野鳥を捕らえるために使われるネットのことです。非常に多くの鳥が捕まるため、密猟防止の観点から、1990年代以降禁止されています。
 その網に私は自らの翅で引っかかった。
 しかも。
 銃弾が右の翅を撃ち抜きます。
 私の翅は伸縮自在。その仕組みは血液の透明成分…漿液の出入りによります。
 つまり、翅を傷つけられるのは事態としては最悪。不死身といって良い妖精族ですが、傷つけられて平気なわけではありません。
 力が抜けて行きます。視界がぼやけてきます。
〈僕を離して身体を小さくすれば…〉
 そんなこと…できますか…。
 火縄銃を抱え、蓑をかぶり、肌にカモフラージュの泥を塗った男達が4人ほど、ニヤニヤと白い歯を見せながら近づいてきます。
 その時。
 大地の神がと表してもあながち間違いでない、突き抜けるような咆哮が一帯に谺しました。
 男達の顔から一瞬で笑みが消えます。
〈とうさん…〉
 白銀の稲妻の如きものが、私たちの視界を横切りました。
 男の悲鳴がし、顔を押さえて後方へ倒れて行きます。
 強い力がカスミ網に掛かり、私たちは地上へと落ちます。
 雄々しく大地に立錐する白銀の主を私は見ました。
 怒りに震え、低く唸る雄の狼。…彼の義父です。
 父狼が跳躍します。夜通し山野を疾駆する脚の俊敏さは人の及ぶものでなく。
 獲物の首に食らいつき、短時間で息の根を止める顎の力は人腕の比ではなく。
 怒りのままに猛る彼を、本当は、本当は私は止めなくてはいけない立場。
 しかし極度の貧血に等しく、身体が動かない。
〈これを〉
 子狼が言い、口にくわえていたものを、投げ出された私の手のひらに置きます。
 それは父狼の戦闘の間に、私の首から引っ張り出したペンダント。その深い海色に輝く石を、私はどうにか手の中に収めます。
 そこで男の一人が火縄銃の準備を整えます。
「リクラ・ラクラ・テレポータ」
 私は銃を構えた男の背後に瞬間移動し、銃を取り上げ、流れへ捨てました。
 でもそれが精一杯。もう、立っていられません。
「とうちゃん!」(そういう意味の吠え声)
 子狼が叫び、男が私の方を振り返り、その背後から父狼が宙高く舞い上がる姿まで、私は確認しました。

 目覚めると、朽ちかけた古い祠の下で朝を迎えていました。身体が縮んで手のひらサイズですので、恐らく失神したのでしょう。
 縮んでしわくちゃの右の翅が濡れています。水滴の跡が谷底へ向かって点々と続いています。
 ああ、と私は合点が行きます。その流れはミネラル分を豊富に含みます。飲めば身体に良く、いわゆる“養老伝説”に出てくるのもこの種の水です。
Ookami2 狼の父子は私をこの祠に運び、傷ついた翅に夜通し、その水を運んで掛けてくれていたわけです。父子の姿はもうありませんが、父子が無事であった証拠。
 立ち上がります。翅は暫く使えませんが、行動できないわけではない。
 私は祠に、狼たちの代わりに礼を述べようとし、ハッと気付きました。
 祀られているのはイヌカミ。すなわちこの祠は、山野の食物連鎖の頂点に立つ犬神…狼…大神に対し、その獲物の一部を人間が頂戴することについて、許可の願いと感謝を込めた、いにしえの聖所。

狼/終

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】蛇の道は

 ヒバカリという種類のヘビがいます。
 小型のヘビで、大人になっても50センチ程度にしかなりません。色は黒褐色と地味。
大人しい性格で、田んぼや湿地でカエルや小魚を食べて生きています。
 そんな生態ですので、川沿いや、田んぼと同居している新興住宅地などでは、人家近くでひっそり暮らしていたりします。
 ただ、ヘビはヘビです。
 “彼女”の証言によれば、いつもの田んぼに田植えの機械が入ったので、たまたま、道を挟んだ反対側にある家の玄関先にいたのだそうです。
〈あっという間でした〉
 彼女は言いました。
 言う、といっても音声ではありません。そういう意志を持っただけ。そして、私はその意志を意識で直接読み取っただけ。
 常識を外れてきたので自己紹介をしておきます。私はエウリディケと申しまして、いわゆる妖精と呼ばれる種族です。身長は現在15センチほど。仕事は主として虫や動物たちの相談相手。今日は一帯の田んぼが田植え期に入ったので、環境が変わることから様子を見に来たのです。そして見つけたのが彼女。ヒバカリのメスの個体で、なんと、尾や胴に包帯が巻かれています。
〈小学生…ですよね。ランドセルの男の子達に見つけられて、つかまりました。最初は面白そうにあちこち触ってるだけだったんですが、そのうち私が何もしないと知ってか、エスカレートしてきて〉
 首を絞められ、振り回され、逆向きに身体を反らされて。あとは書けません、残酷で。
〈でも、女の子が助けてくれました。ヘビいじめるとたたりがあるよって。ランドセルで男の子達をどかんどかん殴って。病院にまで〉
 女の子は通院し、動物園に飼い方を尋ね、介抱してくれたそうです。
〈なのに、ですよ〉
 その後の話に、私は呆れるを通り越し、ただ唖然とするより他ありませんでした。
 女の子に殴られた男の子達の親が大挙し、教員を伴い、女の子の家に押しかけたというのです。
「理由は?」
〈危険な子どもがヘビなんていう危険な生き物を飼っている〉
 男の子達は“勇気を出して”そのヘビを退治している最中だった。女の子はそれを暴力を持って邪魔した。
「学校の先生は?あなたが危険なヘビではないことはちょっと調べれば」
〈名前の由来が由来だから、可能性がある、と言ったんです。女の子泣き出しましたよ。誰も彼女の味方じゃないんですから〉
 その状況を理解するのに超自然的な感覚は不要でしょう。男の子達は自分たちの行為を正当化するため、示し合わせて女の子を悪者に仕立て上げたのです。ちなみに“ヒバカリ”とは“噛まれたらその日ばかり”という迷信から来ています。歯はありますが無毒ですし、滅多に噛みません。
〈女の子は、私のこと心配しながら、まだ完治してないって心配しながら、でもせめて元いた場所にって、ここに逃がしてくれました。私は、このまま女の子を泣き寝入りさせるのが可哀相で、どうにか〉
「なるほど、判った」
 私は言うと、背伸びと同じ姿勢を取ります。
 これで15センチの身長は人間サイズの170。この伸縮自在性は、血筋をたどるとギリシャ神話のニンフに行き着くことによります。
「一緒に」
 私は彼女に手を伸ばし、腕に巻き付かせました。
 治っていないのは確かなので、しばらく行動を共にすることにします。
 彼女が心配するので学校へ向かいます。女の子がそのままいじめのターゲットにされている可能性が高いというわけです。どれだけのストレスが今の子ども達をそうさせるのか判りませんが、学校で失敗をし、それが知り渡るところとなれば途端にいじめのターゲットです(そして恐らく、それが失敗できないという更なるストレスを加える悪循環)。今回の男の子達は動物を虐待し、それを隠蔽するための正当化…そんな性格の持ち主が、それで以降何もせずそのまま終わりであるわけがない。
 授業終了のチャイム。
 校舎から運動場を挟んだ雑木林。その松の木の梢に私たちは座ります。
 運動場には放課後を遊ぶ子ども達。そして下校する子ども達。
 すぐわかりました。
 一人だけ、うつむいて、とぼとぼと歩く女の子。
 背後から黒や青のランドセルを背負った半ズボン…男の子達でしょう、一団がこづき、はたき、ランドセルを蹴ります。
 女の子は転びました。
 浴びせかける罵詈雑言。私は動こうとしました。
 その時。
〈妖精さん〉
 彼女が決意を秘めた意思表示。
〈私に魔法を掛けて下さい。大きく、とびきり大きく〉
 曰く大蛇にしてくれ。男の子達を怖がらせるつもりでしょうか。
「でも…」
 私は躊躇います。この場合肝心なのは男の子達に取った行為のあくどさを理解させ、女の子に謝罪させること。
〈お願いです。ここは私にやらせて下さい〉
 彼女なりの考えがあるようです。そこまで言うなら。私は彼女を尊重し、その場まで跳躍しました。
 とはいえ、実際に大きくすることは出来ません。ただその代わり、“大蛇に見える”ようにすることはできます。
 校門の陰に隠れて様子を見ます。上級生でしょう、ポニーテールの少女が男の子達を咎めています。しかし男の子達はアカンベェをするなど聞く耳は全くなし。
〈お願いします〉
 言われて、私は彼女を離し、私自身は身体を小さくして植え込みに潜みます。
 胸元のペンダントを引き上げて呪文。
「リクラ・ラクラ・ヒプノティア」
 簡易な催眠術。
 かくて男の子達の顔が恐怖で凍り付きました。
「うわっ!」
「大蛇!大蛇だっ!」
 但し、50センチの彼女が胴回り1メートル体長5メートルに見えているのは彼らだけです。女の子含め、その場にいる他の子ども達には普通に小型のヘビです。
 女の子はすぐに気付きました。
「…お前元気だったんだね」
 彼女がぺろりと舌を出します。
 しかしその仕草は、男の子達にはまさに“大蛇今自分たちを丸飲みにせんとす”の図。
 逃げ出したいのでしょう。でも、腰が抜けてしまってへたり込み、動けません。
 男の子達の大声で人だかりになります。上級生の少女は大げさな怖がりようにくすくす笑い、女の子はヘビを撫でています。
 そこに大人の男性。
「どうしたっ!」
 教員でしょう。不審者と思ったのか、制圧用の“さすまた”をかついでいます。
「ヘビ…」
「大蛇…」
 顔中涙でぐしゃぐしゃにして訴える男の子達。
 私は催眠術を解除しました。もう充分でしょう。
 男性教員はあきれ顔で手を腰に。
「どこにだ。よーく見てみろ」
 男の子達が振り返ると、女の子の手のひらにヘビ。
 男の子達は言葉もありません。
「…でもさっき」
 そこで教員はイタズラっぽく笑いました。
「お前達ヘビをいじめたことがあるんじゃないか?元々ヘビは水の神様だ。神様に失礼を働けばタタリがあって当然だゾ」
「え…」
 そのセリフは、教員としては冗談のつもりで言ったのでしょう。
 でも自覚ある当人達にはあまりにショッキングだったようです。見る間にガクガク震え出し、そして。
「なんだその怖がりようは、お前らまさか本当に…あーあ、みっともない。ちょっと来い。着替えろ」
 教員の指摘に衆目が気付き、どっと笑いました。
 男の子達のズボンの前が濡れています。そう、恐怖の余り。
 教員が自らのジャージや彼らのランドセルで恥ずかしいところを隠し、連れて行きます。見ていた子ども達は残酷そうに小笑いしながら帰路へ部活へ。ひそひそ、くすくす。
 …学校において失禁は恐らく、最大の“いじめの理由”でしょう。男の子達は間違いなく明日から“お漏らし”です。机にそういう落書きがされ、黒板にイラストまで描かれて囃し立てられる。その影で女の子への攻撃は忘れ去られる。
 でも、これでいいのでしょうか。
 彼女、が戻ってきました。
 植え込みに入り、私の元へ。
 女の子は彼女を追って校門より外へ出、探しますが、植え込みの中にまでは目が向きません。
「今のは偶然?それとも…あなたの意志?」
 私は彼女に尋ねました。
〈ヘビですから〉

Hebi2

                                                                    蛇の道は/終

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】大河のように

 夕刻近く。
 ここに来ていつも思うのは、なぜ、わざわざ、彼らがいることを大々的に表示しなくてはならないのか、ということ。
 法律で表示しろということになっている、ようです。だから無闇に汚してはならないし、そういう行為に及ぶ者を拘束する権限が発生すると。要するに注意喚起になるからというわけです。
 でも私は反対です。現代は“大事なもの”をわざと破壊して困らせる、そういう人間さんが跋扈しています。ここだって農村地帯だからいいものの、そういう人間さん達の目に触れたら。
〈まぁ、そう、ピリピリしないで〉
 ゆっくりした調子の意識を私は受け取ります。
 流れの中で揺らぐ影。
 ゆらりと姿を現したのは、ここのヌシ、と言っていいでしょうオオサンショウウオ氏。
Taiga2  御歳45歳とか。全長は60センチを越え、悠然たるものです。
 水面に顔を出した平たい岩の上にあがり、まずは首を出して一呼吸。
 私は、というと、川岸の護岸ブロックの上に腰を下ろして彼を見ています。
 ここは某所…とさせて下さい。オオサンショウウオの生息地として知られる場所で、周辺は畑とまばらな人家。住宅地として造成することは法で規制されています。
 その畑の中を流れる綺麗な小川、それが私たちのいるところ。
 そんな場所ですから、こうやって手のひらサイズの翅持つ娘がサンショウウオと喋っていても、見られる心配はありません。翅持つ娘…ご想像の通り、私は妖精と呼ばれる種族の生き物です。役割は動物や昆虫たちの相談相手。その会話に用いるのは心と心で直接意識を交わすテレパシー能力。
「最近どうですか?」
 私は彼に体調を訪ねます。
〈相変わらず〉
 彼は答えました。まずは安心です。でも、周囲には壊れた炊飯器やら錆びた自転車のタイヤやら。
 ただ、炊飯器は砂に埋もれ、タイヤには枯れたガマの葉がからみついています。先に台風がありましたから、その際上流から流されてきたものでしょう。
「片付けるね」
〈すいません〉
 さて私の身長は15センチ。炊飯器は別にお人形さんのものではありません。人間さんの一般家庭向けごく普通のサイズです。それではどうやって?と疑問を持たれる方もあるかも知れませんが。
 大丈夫です。私は背伸びと同じ動作をします。目を閉じて、深呼吸しながら背伸びをし、そして目を開く。
 視点が一変します。この動作によって私の身長は170センチ。
 伸縮自在。ついでに言うと、背中にありますクサカゲロウとよく似た翅も、縮めて皮下に格納出来ます。これは元より手のひらサイズのケルトのフェアリと、元々人間サイズだったギリシャ神話のニンフとが混交を経た結果であると共に、本来、人間さん達と一緒に暮らしていたためです。ちなみにフェアリはフェアリでご承知のように現存していて、主として植物の方を担当しています。
 伸張終わり。手品の要領で取り出す“不燃ゴミ指定袋”。およそ妖精族の持つものでは無いと言われそうですが、どうにも仕方ありません。
 翅を縮めて流れの中へ入ります。炊飯器を取り出し、砂を払って袋の中へ。
 あと乾電池も見つけたのでこれも入れておきます。屋根瓦のカケラ、錆びた鉄骨が見えたので引っ張り出してみるとコンクリートブロックがイモみたいに出てきました。
 来るたびにこれです。サンショウウオの住む環境として如何なものかと思います、が、人間さんにそういう認識がない以上、どうにも仕方ありません。
 さて問題は自転車のタイヤ。引っ張り出したら本体も一緒。
 手をこまねいていると、サンショウウオ氏がぼちゃんと水中へ。
〈人間ですよ〉
「あ、お掃除ですか?」
 快活で華やかな声に振り向くと女の子。
 小学生…もう少し幼いでしょうか。髪の毛を左右でまとめ、ゴムで留めています。
「お姉さんどこからきたの?」
 尋ねるその手には、私と同じく指定袋と“ゴミはさみ”。
 実は、私たちは人間さんとコミュニケーションを持ってはいけません。“妖精なんかいない”という人間さんの常識を壊してしまうからです。だからもし、私たちを見つけて目の前で消えられたとしても、怒らないでやって下さい。
「相当遠いところ、になるかな」
 私は言いました。ゴミ残して消えるわけにも行きませんので。ちなみに、仮にもし、このようにコミュニケーションしても、妖精族であるとバレなければ、基本的におとがめはないようです。なし崩し的に。
「ふーん。…なんか女神様みたい。あ、服濡れてるよ。大丈夫?」
 女の子は堤防の上から飛び降り、私を上から下まで見つめて言いました。私は今トーガ(toga)と呼ばれる貫頭衣を身につけています。要するにシルクの1枚布をぐるぐる巻き付けただけのもので、神話の挿絵や女神の彫刻でおなじみのスタイル。
「大丈夫。私はエウリディケ。初めまして」
 私は言いました。女の子は少し驚いたよう。
「私、酒井優理子(さかいゆりこ)。外人さん?」
「まぁ、そう、かな?」
「へぇ、良くここ知ってるね」
「自然保護活動してるからね。あ、この辺のゴミは全部取ったよ。残ってるのはこれだけ」
私が自転車を指差すと女の子は呆れたようにため息。
「わざと捨てていくんだよね。どうしよ」
「とりあえず引き上げようか」
 その自転車を私が腰掛けていた護岸ブロックの上へ、というわけです。しかし、護岸の高さは女の子の背丈以上優にあります。
 普段なら翅を使ってしまいますが。
「じゃぁ手伝う」
 女の子が上に上がって二人がかり。
 しかし…実際やって頂くと判りますが、自分の足より下にある物体を引き上げるのは結構至難の業です。
 サンショウウオ氏から意思表示。
〈出ますからその間に〉
 程なく、右後方で水音。
 見なくても判ります。サンショウウオ氏が呼吸のために顔を出したのです。
「あっ!」
 女の子の目線がそちらに向けられます。
 その間に私は翅を伸ばしてひと羽ばたき。バレたら最後です。スリリングじゃないと言ったらウソつき。フッと目線を向けられたらおしまいなのです。非日常は日常から目線を外した位置にあるとか、目に見えるものだけが真実じゃないとか書くと、多少は文学っぽくなるでしょうか。
 果たして、女の子が目を戻すと、私が自転車を伴って隣に立っているという状況。
「ねぇねぇ今あそこに見…あれ?」
 女の子が不思議そうに私を見ます。
「どうやって…」
「よいしょって。出たね、呼吸だね」
「ふ、ふーん」
 女の子は訝しげ。そして思い出したように。
「あ、どうもありがとう。市役所の人に電話して引き取ってもらうよ」
「そう。じゃぁ置いておいていいの?」
「うん」
 で、あれば、片づけは完了です。私はゴミ袋の口を縛ります。
「あ、それ私が持っていっていい?」
 女の子が言いました。
「え?でもゴミだよ」
「いいの。毎回内容調べてレポートしてるの。学校のホームページに載せて…」
 と、どこからか聞こえてくる夕焼け小焼け。
 防災無線を使って5時の時報代わりに流しているのです。
「あ、帰らなくちゃ。じゃね、これは持って行くよ。どうもありがとう」
 女の子は言い、ゴミ袋を持ち、手を振って風のように走り去りました。
 サンショウウオ氏が出てきます。
〈あの子にもありがとうと伝えられたらいいんだがね〉
「ん?だったら」
 私は指をパチン。何をしたのかは後で。
「あーあ。あんな子ばかりなら」
 私は言い、再び護岸に腰を下ろしました。
〈エウリディケさん〉
 サンショウウオ氏が改まって言います。
「なんでしょう」
〈貴女、急ぎすぎてやいませんか?〉
「え?」
 いきなりのその指摘に私はハッ、としました。それは全身が一回びくんと震えるような。それは冷たい水をいきなり浴びせられたような。
 言われてみれば。しかし、声にはなりません。
〈…でしょう。しなくちゃしなくちゃしなくちゃ。貴女から感じるのはそんな意識ばかり。そりゃ、判りますよ。背負ってる義務の重さもね。でもね、でもですよ。いいですか。私はそれでもここでこうして生きてます。取って食う者、売り飛ばす者までは出ていない。そこに目を向けて下さい。ましてやあの子みたいに自主的に掃除しようなんて子どもさんは今までなかった。確かに今は最悪かも知れない。しかしその果てに行き着く状況が何であるかを、子ども達は初めは知識として、そして自然の中に出ることによって、体感として、得つつある。だから、何とかしなくちゃと心から思って動いてくれている。
 要するにですね、種は蒔かれたんだと言えばいいですかね。でも、急に育つ大樹はない。小川はいきなり大河にならない。大事なのは言い続けること。なのに貴女は今すぐに何とかしようと考えている。そんな気がしてならない〉
 サンショウウオ氏は一気に言いました。
 私は、力が、抜けました。
〈失礼な物言いじゃ…〉
「いいえ」
 私は即答しました。それこそ急いでそう言った?いいえ。
「人間さんで困ったという話が多いから、無意識に焦っていたかもね」
 フッとため息が出ます。空回りしていたことに気付いた、そんな気持ち。
 自分が間抜けに見えてきて、自嘲の笑いが出てしまいます。
〈悪いことは目立つもの、でも良いことはそれで当然だから目立つことはない〉
「そうね。…もう少し、ゆったりと構えてみるよ。あなたのように」
〈私ほど悠長に構えられるとまた困ってしまうんですけどね。ああ、その笑顔。それが貴女だ〉
 一番星が輝き出しました。
 彼女の学校宛てに、サンショウウオ差出人でお礼のはがきが届くのは、3日くらい後のことです。
                                                                大河のように/終

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】鴉

 カラス。
 この鳥に、人間さんで良いイメージを持つ方は少ないでしょう。ゴミを荒らし、人を威嚇し、追い払う努力の裏をかく。
 私たち妖精ニンフ族の主な仕事は、動物たちの相談相手。ですが、ことカラスに関する限り、相談は少ない方と言っていいでしょう。生活の場が人間さんによって改変されても、他の鳥類と生息域がバッティングしても、どうにかして生き抜いて行く、彼らにはそれが可能だからです。
 しかし。
 ここ最近、そんな彼らから深刻な話が寄せられるようになりました。端的に言えば、人間さんが命を狙い始めたというのです。
 そして今日は、ついに正式に相談要請を受け、彼らのねぐら……“鎮守の森”に来ています。ちなみに私たちは、妖精といってもギリシャ神話のニンフの血が入っている関係で、身体の大きさを手のひらサイズと人間サイズ、二態に取れます。今の私は人間サイズ。それはビジュアル的には、白服の女が梢に腰掛け、傍らのカラスと見つめ合っている、という状況。
〈空気銃で撃たれること自体は前からあったんですがね〉
 ボス、というと変ですが、地区のハシブトガラスたちのまとめ役、相談窓口を買って出ている彼が、言いました。
 言いました。……但しもちろん彼らに人語は話せません。そういう意志を持っただけ。私はその意志を直接感知し、言語に置き換えているだけです。
 超常感覚の一つ、テレパシー。
 彼が続けます。
〈大抵は子どもの些細なイタズラで、それで当たったとしても、大したことにはならなかった。でも〉
 私は頷きました。今、私の膝の上には、話す彼の他にもう一羽、身体を横たえ苦しそうなメスのカラスがいます。
〈子ども、子ども達が……〉
 意識混濁、しどろもどろ。ヒナを案じているようです。しかし。
〈立てず、飛べない〉
 彼(ボス、としましょう)が付け足します。撃たれた場所は翼の付け根、人体で言うなら脇の下。
 直接的な状態としては、身体に異変が生じて動けない。翼が持ち上げられず、げっそり痩せ、食欲もない。
「鉛中毒」
 私は言いました。それは主として、猟銃の散弾を受けた野鳥・動物たちに見られる症状。
 町中のカラスたちを猟銃で撃ったというのでしょうか。
〈あの、それで彼女は助かる……〉
 ボスが訊きました。
 即答出来るだけの情報を、私は経験から有しています。しかし……それが示す内容は、あまりに残酷。
「待ってね」
 私は彼女に手のひらを載せ、目を閉じます。超感覚のなせる技で、これだけで大体のことは判ります。ちなみに、治療行為を意味する“手当て”という言葉がありますが、あれは本来、患部に手のひらをあてがい、“生命力”を注ぐことによって、自然治癒力を高めた行為を言う言葉です。私がしているのは、その一つ前のステップに当たる行動。
 筋肉のけいれん。感じたのはまずそれ。消化器がマヒしている。
 私たち妖精族は言わば魔法の一種としてその“手当て”を行う能力を持ちます。しかし太古に得た能力であって、鉛中毒のような、人工……自然の状態では起こり得ないケガや病気に対しては、自然治癒力そのものが低下しているので。
「少し、楽になったでしょう」
 私は言いました。その筋肉のけいれんを抑えたのです。ちなみに、消化器系のダメージは、鉛中毒においては最後に現れる症状です。
 メスのカラスは小さく頷きました。
 次いで、小さなガラスの小瓶で持参した、ブドウ糖の溶液を彼女の口に流し、栄養を補給します。本当の鉛中毒の薬はエデト酸カルシウム2ナトリウム…CaNa2EDTAというのになるのですが、それでも、こうなってしまうと…。
 今は、これが、精一杯。
〈ありがとう……妖精さん〉
 メスのカラスは言い、眠りに落ちます。
 私は草を重ねて作ったクッションの上に彼女を横たえます。単純に眠っただけです。
 ただ。
 そのまま目を覚まさない可能性がある。いえ、その可能性も高い。
〈エウリディケさん!?〉
 ボスがギョッとし、私を見ました。眠りを勘違いしたか。
 それとも、私の意識を読み取ってしまったか。
「眠らせてあげて」
 私はただ言うだけ。そう言うことしか、出来ないから。
〈判りました〉
 ボスが言い、人間への悪態を口にします。
〈どうにかして、人間ぎゃふんと言わせること出来ませんか?〉
「調べましょうか」
 怒りも新たなボスに私は言いました。この鉛中毒が猟銃で撃たれたものだとするならば、人間さんが組織的にカラスを攻撃しているか、違法な発砲の可能性があります。
 カラスたちにも、人間社会にとっても、良いことではありません。
〈じゃぁ犯人に注意を?〉
 彼が希望の目を私に向けます。ニンフ族は、神話中で人間さんと世帯を持つことでも判るように、外見は基本的に人間さんと同一です。私も伸縮する翅さえ見えなければ、単なる女に見えます。従って、人間として注意することは不可能ではありません。
でも、それで聞き入れられるかは別の話。聞き入れるくらないなら、恐らく最初からカラスを撃ったりはしないから。
「まず見つけましょう」
 具体的な策は見えないまま、私は、言いました。

 地域の生ゴミ回収日。
 私は彼らと行動を共にし、“定番”の集積場を回ります。
 最近は集積したゴミにネットを掛け、彼らにつつかれるのを防ぐ、というパターンが一般的です。しかし、人間さんはなまじ対象が“ごみ”だけに、取り扱いは殆どなおざり。ネットで覆いきれず下の方がはみ出していたり、破れていたり、掛けてなかったり。
〈意味あると思っているのかねぇ〉
 引っ張り出し、つついて破り、食べ散らかす。
 私が後片付けをしたのか?いいえ。この場だけ私が片付けても意味はないと思いますがどうでしょう。人間さんがカラスの習性を研究し、彼らにつつかれない方法を選択し、維持管理する。それがあるべき姿と思うのですがいかがでしょうか。
 そもそも、彼らがこうしてゴミを漁るのはそれが楽だからであり、
 彼らの生息域に人間さんが住むようになったから。彼らは単に、野生のままに行動しているだけ。
 そして。
 団地の集積場に来た時でした。
 どぶ板の上に輝く粒。
 朝陽に照らされ、光沢を放つ金属粒子。
 手に取ると大きさは5ミリ少々でしょうか。銀色に鈍く輝き、表面は滑らかです。磨いた形跡があります。
 件の銃弾でしょうか。
 分析してみます。神話の女神様達と同じ、白い貫頭衣(トーガ)の袖から取り出すのは、手のひらサイズのコンピュータ。
 妖精がコンピュータ。違和感があるかも知れません。でも、私たちが持って生まれた知識情報だけでは、もはや現代には通用しなくなって来ているのです。
 画面脇の小蓋を開けて粒を入れ、ボタンを押します。輝点が左から右へ走り、折れ線グラフを描きます。途中2カ所、大きくとんがったポイントが現れます。
 間もなく、2本のツノ持つ鬼の頭……そんなグラフが出来ました。そしてツノの部分に、Sn及びPbと表示されます。
 それぞれ錫、と、鉛。直径は5.993ミリ。次いで、成分比から予測される人工物質の一覧がリスト表示。
 リストのトップは気になる名前、solder。
 すなわち、はんだ。錫と鉛の合金で、金属同士の接合に使います。特に電子部品を組み付けるのに多用され、ホームセンターなどでも容易に手に入ります。形状は柔らかい糸状か、インゴット。摂氏183度を境に一瞬で液体になったり固体になったり。
「まさか!?」
 私はある可能性に気付いて一人つぶやき、コンピュータから取り出して手のひらに握ります。
 サイコメトリ、すなわち、この“はんだ弾丸”の製作者が、何を思いながらこれを作ったか、超常感覚で読み取ろうというのです。
 可能性は的中しました。どうやら空気銃の弾丸、“BB弾”と呼ばれるプラスチック弾を元に、ゴムか何かで型どりをし、そこにはんだを流し込んで弾丸を“鋳造”したらしい。
 慄然とします。人を傷つけ、動物なら容易に死に至らしめる代物を平然と作り…
 実行。
〈…さん、エウリディケさんってば!〉
 気付いた時、傍らでボスが大きな声で鳴いていました。
 人間の気配。
 どこ?
 上。団地4階かそこいら。
 突如背筋に寒いものを感じます。この思わず震えが出るような感覚、冬の屋外に放置された金属のような意識
 これは……
Karasu2  殺意!
〈あなたが撃たれてたまるか〉
 目を向けると、ボスが飛び立ちました。
 その人間が自分たちを狙っており、私に当たっても構わないと考えている。
 私と同じく、彼もそのように感じたようです。
 しかしその時、殺意の源から、信じられない現象が発生しました。
 朝の団地に、電動メカニズムの耳障りな作動音が響き渡り、次いで、方々のコンクリートやアスファルトで、金属粒子が当たり弾むバラバラという音が聞こえます。
 そして。
 私をかばって舞い上がった羽ばたきは中空に投げ出され、黒い羽根が、千々に乱れて飛び散りました。
 同時に、プラスチックのオモチャを力任せに叩き付けたような破壊音と、複数の男の子の悲鳴。
 痛いよ痛いよお母さん…泣き叫ぶその声を聞きながら、私は落下してきた羽ばたきの主を両の手で受け止めました。
 血が飛び散り、私の貫頭衣に赤い飛沫が点々。
 次いで、何やら機構部品らしい、黒いプラスチック片が幾つかと、2本のバネをまとめて一つにしたもの。

 ……1分間6千発という、まさかと思うような数の弾丸を発射出来る機関銃があり、その電動モデルガンが存在し、それを改造して強力にし、動物を無差別に撃っていた子どもがいた。そして、改造で無理が加わった銃が壊れてケガをした。そんなニュースが翌日の新聞に載りました。
 私は2体の黒い亡骸を、森の片隅に埋めました。

                                                                          鴉/終

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】すて犬物語

私の名はエウリディケ。背中に翅持つ人間型生命体。
その使命、動物や虫たちの相談相手。

それは、ある暑い夏の日の、午後の出来事。
私は、犬を見た。
人家を離れた山の中腹、急斜面の森の中。
彼は、ちょっとした崖の上から、小さな川の流れる岩場の中へ、落ちようとしていた。
私は声を掛けながら、彼の元へと飛翔した。
足を踏み外す彼を抱え、そのまま平らな岩の上へ。
彼は一見して健康を害していると判った。
ひどい臭い。乱れて汚れた毛並み。そしてやせ細った身体。
骨折を放置したため変形した足。
ぼろぼろの首輪。
それは、長い時間何も食べず、この山野を彷徨い歩いていた証。
なぜ?
私は気付いた。
彼の瞳に光がない。
私の問いに彼が口を開く。飼い主はそれを知り、自分を遺棄したのだと。
ただ、自分をそれまで食べさせてくれたと。遺棄はしたけど殺しはしなかったと。
それが、飼い主の優しさなのだと、彼は語った。
私にはそうは思えなかった。彼の栄養状態は劣悪だった。
なぜ彼が視力を失ったか。私には判ったけれど、可哀想でここには書けない。
私は彼に大豆ハンバーグをあげた。川の水で身体を洗い、ブラッシングした。
そして首輪を切り、捨てた。
白い犬がそこにいた。ただ…、ううん、書かない。
私は、彼と行動を共にしようと言った。彼は逡巡の後、首肯した。
それから、私たちは共に森を歩き、動物たちの声を聞き、虫たちの悩みに答えた。
動物たちは一様に彼の境遇に同情し、飼い主を、人間を批判した。
彼は反論はしなかった。だけど、それでも自分は幸せなのだ、とだけ言った。
なぜなら、食べるには困らなかったから。
夏が終わった。
タヌキの家族と出会った。
子どもがいて、すくすくと育っているようだった。
父タヌキは、彼に自分たちと一緒に生きないかと提案した。
彼は拒絶した。人と共に生きた自分では迷惑がかかるからだ、と彼は言った。
理解できないとタヌキは言った。食事の供給はじめ、好条件を提示した。
しかし彼は固辞した。頑なな彼にタヌキは去った。
メスの熊がいた。
冬を前にエサを探していた。しかし中々集まらないようで、彼女はいらだっていた。
そのせいか、彼と私に当たった。
野生であるなら命はないよ。彼女は彼に言い放った。
自分で生きる力が無ければ、それはすなわち命の終わり。
野生の掟。
私は彼女に木の実を分けた。
彼女は、私が彼といることに対して、苦言を呈して去った。
不公平なひいきだと思う者もいるよ、と。
それを彼はとても気にした。自分の存在が私には迷惑なのだと言い始めた。
そんなことはないと私は否定した。
タヌキも提案したように、イヌ科は傷ついた仲間を群れで養う。
私は言った。私とあなたは群れなのだ。
彼は瞠目した。光はない。しかし、彼はたしかに見開かれた瞳を私に向けた。
その晩、彼は遠吠えをした。
山間に向け、朗々と声を放った。
まるで、遺伝子に刻まれた野生が目覚めようだった。
遠く近く、仲間たちの声が返った。彼は喜んでいるようだった。
翌日、私たちは高地の草原へ出た。
ここなら行く手を遮るものはない。存分に走っていいよと私は言った。
でも、彼は走ることを拒否した。
ただ、風の中に座り、白い毛をその風になびかせ、遠く連なる山並みへ顔を向けていた。
遙かな声を聞いているようだった。
その姿は飼い犬ではなかった。その始祖…そう確かに座する狼の姿だった。
そんな彼を見つめる私の背後。
まだですかと問う者があった。
ネズミであり、シデムシであった。
私はその意味するところを判っていた。たとえ彼らが出てこなくても判っていた。
答えは時が用意していた。
私は何も言わず、再び彼と歩き出した。
季節が巡った。
彼に戻ったわずかな野生の輝きは、何かの合図であったのかも知れない。
間もなく、彼は食事を残すようになった。
動く速度が遅くなり、動ける距離が短くなり、体重が目に見えて減り始めた。
そして、彼は動けなくなった。
私は彼を木の虚へ運んだ。そこで寝泊まりし、辺りを回った。
近づく冬の気配に動物たちは忙しかった。
私はリスやヤマネの木の実探しを手伝い、チョウがサナギになるのを見守った。
彼は鳥たちと語っていた。
しかし、そんな鳥たちも、長く彼の元にはいなかった。
南へ去り、人里へと移動した。
木の葉が茶色くなり、散り始める。
吐く息が白い。
夜が来た。
冷たい雨が降り出していた。
私は彼の傍らに腰を下ろし、彼の背中をさすっていた。
彼は口を開き、行動を共にした理由を尋ねた。
群れとして、仲間として、あなたを必要と感じたからだ、と私は答えた。
そうですか、と彼は言った。
私も一つ、彼に訊きたいことがあった。
でも、訊かなかった。
その直後。
私は天の狼と呼ばれる星へ向かい、冬の夜空を駆け上る、白く大きな犬を見た。
Suteinu2 手のひらに感じる、鼓動が途絶えた。
私の名はエウリディケ。背中に翅持つ人間型生命体。
その使命、動物や虫たちの相談相手。
私は、彼が崖から落ちるのを、黙って見ていることができなかった。

                                                                  すて犬物語/終

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】もう一人の私

Watasi2 山懐の高原に、1軒だけ建つ白壁の別荘。
 その2階の窓から、白いワンピースのうら若き乙女が外を見ている。
 なんて書き出したら、ちょっとロマンティックな物語の始まり、という印象がありますよね。
 でも、私が見つけた彼女は、次の瞬間、とんでもない行動に出ました。
 その窓から身を乗り出し、虚空にわが身を放ったのです。
 まるで、乱雑に捨てられた白いランの花のように。
 飛び降り自殺。
 私はどうするべきでしょう。実は、詳しいことは後で書く機会があると思いますが、私たち種族は人間さんと触れ合うことを許可されていません。でも、だからと言って、放って置くわけには行かない。
「リクラ・ラクラ・テレポータ!」
 私はほぼ反射的に、そう叫んでいました。胸元のペンダントを手の中に握り締めて。
 一瞬の後、私は彼女の落下点直下に出現します。
 それは超心理学の用語を使えば瞬間移動、すなわちテレポーテーションと呼ばれる現象。
 彼女が落ちてきます。滞空時間1秒と少し。
 彼女と目が合います。そしてその時、彼女は私の身体の両側に薄く膜状に広がり、陽光に煌く何かを見たはずです。
 その煌く薄膜がぶんと羽ばたきます。
 突然の竜巻を思わせる暴風が生じます。その風は下から上へ向かって吹き、落下する彼女の体を重力に逆らわせます。
 次いで、私の身体が地上を離れます。
 私は浮き上がり、両腕を広げ、落下速度にブレーキの掛かった彼女の体を抱き止めます。
「何すんの!」
 強い声が私の耳を捉えます。そして続いて。
「何で助けるの?死なせて!どうせ治らないし生きてる価値なんかないんだから!」
うつぶせ状態のまま、彼女は叫びます。ウェーブの掛かった黒髪を振り乱し、いかにも“怒りに任せて”という感じで、もがきながら声を限りに叫びます。
「私の病気は治らない!天使が奇跡でも起こさない限り私はどうにもならない!!こんなのイヤ!ただ生きてるだけなんてイヤ!!お願いだから私を死なせて!」
 彼女が暴れつづけます。このままでは本当に彼女を落としてしまいます。
 私は彼女を小脇に抱えるようにして、そのまますーっと降下しました。
 足がガレージのコンクリートに着きます。
「余計なことを!やっと死ねると思ったのにッ!!」
 彼女の声は喉張り裂けんばかり。
 その直後です。彼女が激しく肩を上下させながら、苦しげな呼吸を始めたのは。
 身体は呼吸の動作をしている。だけど空気が入ってこない様子。
 病気の発作のようです。
「大丈夫」
 私は彼女を抱き締めます。そして背後、首の部分に手を当て、そのままゆっくりと背中の上部をなでるようにします。と言っても医学的知識からそうしているのではありません。私達種族の流儀に従い、患部に手のひらを当て、治って、おさまってと願っているだけ。
 彼女が落ち着いてきました。
「息…できる?」
 私は彼女に尋ねます。喉に何か詰まったような、いかにも苦しそうな呼吸音が、子どもの寝息のように、静かで、優しい音に変わって行きます。
「死なせて欲しかったのに」
 彼女が呟くように言いました。
 声音からして、普段は情緒が安定し、しかも頭の回転が結構早いお嬢さんのようです。
「私の病気は治らない。治れば奇跡だって医者に言われた。ここが天国であなたが天使なら納得が行くのに」
「天使ならあなたが言うように奇跡を起こしてあなたを治してしまいます。あなたが治りたいと願い、そのための努力を続けていれば、天使はあなたに力を貸すでしょう」
 私は言いました。確信を持って言いますが、彼女は本当の自殺志願者ではありません。“絶対に治らないんだから”はイコールだから何とかしてという心の叫び。さもなければ、発作がおさまったこの状況を安心を持って受け入れたりはしないでしょう。“天使”という発言も、救って欲しい気持ちの裏返しだと思います。
 彼女が顔を上げました。
「あんた新興宗教?」
 私に向けられる糾弾のまなざし。
 ところが。
「へ?…」
 私を見た瞬間、彼女の顔から毒気が抜かれ、糾弾の目は驚愕に真ん円く見開かれました。
 そして、…それは恐らく私も同じ。驚いて彼女を見ている自分がいます。
 なぜなら。
 二人はそっくり。
 違うのは、彼女の髪がウェーブなのに私のはストレートであること。
 あとは私の衣服がギリシャ神話の挿絵でおなじみ、白い貫頭衣(toga…トーガ)で、白い革のサンダル履きであること。
 それ以外は、背格好から顔かたちから本当にそっくりです。まるで双子の姉妹のよう。
 だから、彼女が、ほっそりした感じの美人であると書いたら、いわゆるひとつの自惚れでしょうか?。年の頃は従って18か19。
 思わず見詰め合ってしまいます。お互い声が出ません。
 しかし。
「あのう…」
 彼女が小さい、私より上品なトーンの発声で沈黙を破りました。最前の怒りに満ちた声がウソのような、あくまでソフトな、いわゆる“お嬢様”風の声音。
「あの…ぶしつけで悪いんだけど、ひとつ聞かせてね。あなたは一体誰?なんで私とそっくりなの?どうやって私を助け…てか、あなた空中で私受け止めなかった!?」
 質問はひとつどころか矢継ぎ早。
 無理もありません。しかし、私が答えを準備する時間はありませんでした。
 邸内から声が聞こえたのはその時です。
 人を呼ぶ声。アキラ、アキラ、どこなの?中高年の女性です。
 その声に、彼女が困ったような顔をしていることに私は気付きました。その目が語るには、自分を見つけられては困る、と。
「いらっしゃい」
 私は何の躊躇もなく彼女の手を取ります。…ああなんて華奢で折れそうな手でしょうか。きめ細かくて滑らかな肌は、外に出て陽光に当たっていないし水仕事もしていない。
 私は手の中のペンダントを握りなおし、唱えます。
「リクラ・ラクラ・テレポータ」
「え?」
 彼女の声が終わらぬうち、私はもう一度唱えます。
 もう一回、更にもう一回。
 瞬間移動は一回につき10メートルがいいとこ。私たちは別荘の庭の隅、別荘へ向かう未舗装の細い坂道、そして道を外れた雑木林の入口と、3度跳躍しました。
 しかしまだ別荘から目が届きます。
「あなた走れ…ないよね」
 彼女は素足。しかも、呼吸器系の病気なら、激しい運動は非常な負担。
 となれば。
「ムリかな?」
 私は彼女を両腕で抱えあげます。結婚式場の広告で新郎が新婦にするような…いわゆる“お姫様抱っこ”。
 腕にずっしり。さっき落ちてくる彼女を受け止めるのは何ともなかったのは、夢中だったせいでしょうか。
「ほっ!」
 あらやだおばさん臭い。
 それでも何とか抱えられます。彼女はその背格好からすればずっと軽いです。推定体重38キロ。ただ、私自身がもくろんだ移動方法はムリ。
「走るよ」
 私は言い、地を蹴ります。
 といっても“新婦運びレース”のようにドタバタ走るのではありません。
 “風になる”と言ったほうが適切でしょうか。地面すれすれを高速で滑ってゆきます。彼女には、自分が風になって木々の間をすり抜けて行くように感じられるはずです。木の葉のざわめきが耳元をかすめて後方へと流れます。
 木立の向こうに空を映した水面が見えてきました。
「湖」
 と彼女。
「うん」
 私はうなずくと、その湖水のほとりまで風となり、止まりました。
 湖の周囲は一面の草原です。まるで手入れされた庭園のように綺麗な緑一色の広場です。普通草むらには、ススキとか、ガマとか、他に低い木が混じって生えていたりするものですが、ここではそういうことはありません。高地なので高く伸びる草本がないのです。
草の上に彼女を降ろします。裸足ですが、そういうわけでケガする要素はないので問題ないでしょう。
 彼女がおっかなびっくり、草の上でバランスを取ります。
「大丈夫だよ」
 私は言いました。そして続けて。
「自己紹介をしないといけないよね。ごめんね。驚かして」
「ううん。えーと、とりあえずありがとう…」
 彼女は言い、再び私を見ます。不思議そうな光をたたえたその目は、まるで幼い女の子のよう。
 そして、その目が…気付いたのでしょう、ハッと大きく見開かれます。
「あなたは一体…」
「右手を出して、手のひら広げて」
 私は言いました。口で言うより手っ取り早い説明方法がある。
「はい」
 彼女が手を出したのを確認し、私は“縮こまろう”と頭に思い浮かべます。…寒い夜に布団の中で円くなるイメージですね。
 そして。
「こういう者です」
 私は、彼女に言いました。
 彼女の手のひらの上で。
 “縮んだ”私の身長は15センチ。背中には彼女が気付いたもの、陽光に煌いた薄膜。
 それは私達種族の象徴、カゲロウのそれに似た1対の翅。
「妖精…」
 私は頷きます。
「名をエウリディケといいます。よろしく」
「うそ…」
 彼女は言葉が出てこない。
「嘘じゃないよ。天国に来たわけでもない。ごめんね、天使じゃなくて」
 私は彼女の手から飛び降りました。
 と、同時に今度は“背伸び”します。
 これで私の身長は元通り170センチ。
 伸縮自在です。妖精というと手のひらサイズという印象があるかと思います。確かにケルト直系のフェアリー達はそうです。でも私達にはギリシャ神話で知られるニンフの血が入っているのです。なので双方の特徴を備え、結果伸縮自在。
 ちなみにこの“人間サイズ”になれるのは、私達が元々人間さん達と共に暮らしてもいいようになっている…からのようです。実際、神話のニンフ達は…私の同じ名前の彼女がそうですが…人間さんと結婚したりしてますからね。でも、今は暮らすどころか姿を見られることすら許可されません。なぜなら、人間さんが私たちを存在しないと決めているからです。もし私達が“当たり前のように”存在したら、人間さんたちの世界観を壊してしまうのでます。
 ですから本来、私は彼女を助けたら即姿を消すべきだったのです。まぁ最も、今この状態を監視されていて、程なく連れ戻されるのかも知れませんが。
 しかし。
「こうして会ったのも、私達がそっくりなのも、何かの意味があるのでしょう。だから、奇跡を起こすことは出来ないけれど、お友達になら、なれると思う」
 私は言うと、背中の翅を縮めました。ええ一部の昆虫と同じく翅も伸縮できます。この大きさで翅を引っ込めたら絶対にそれと判りません。
「お友達…」
 彼女はあんぐりと口をあけたまま、オウム返しのように言いました。オトモダチ、18かそこいらの女性には少し幼なすぎる言葉でしょうか。
 彼女はそのまま、しばらく私の姿を見詰めました。
 そして、瞳に揺らめきを浮かべたかと思うと。
 弾けたゴムのように私に抱きついて来ました。
「…!」
 わぁわぁ大声で、それこそ幼い女の子のように、彼女が泣きます。それはまるで、抑えていたものが、誰かに言いたくて言い出せなかったこれまでの全てが、洪水となって溢れ出したかのよう。
 私は彼女の首の後ろを撫でさすりながら、洪水が行きすぎるのを待ちます。確か発作の類は精神状態も影響を与えるはず。だったら我慢してとは言いません。心赴くままに、心満たされるまで、思いの全てを洗い流して。
 数分後。
 彼女がやっと顔を上げます。
「ごめんね。いきなり泣いたりして、びっくりしたでしょ。ごめんね」
「そんなことない。気にしないで」
 私の言葉に、彼女は真っ赤な目で笑顔を作って答えます。
 …なんてすっきりした、晴れやかな笑顔でしょう。私は思わず微笑んでしまいます。
 彼女が姿勢を改めました。
「今度は私が自己紹介しなくちゃね。私はあきら。水晶の晶であきらと読ませる。姫野晶(ひめのあきら)。18歳です」
「晶…」
 私はそれを聞いて目が円くなりました。女の子で、晶の字使って。読みはあきら。
「かっこいい~」
 私は思わず言いました。だって水晶の晶で結晶の晶ですよ。文字が持つ透明感とか無垢なイメージは天使とか女神につながるもの。そのくせ読感は全く男性的でシンプル。
総じてクールでスマートな印象です。やや古典的ですが女性の名前としてはめちゃ(!)かっこいいんじゃないですか?
「そ、そう?」
 私のセリフに、晶(呼び捨て書きの方がしっくり来ますね)が、ちょっとはにかんで、そして少し驚いたように言います。
「私自身は好きじゃないけどね。病院でいっつも怪訝な顔される」
「そりゃ相手のセンスがないだけ。私は好きだよ。それに、名前の読みがこうだから男性だ女性だって考え方は差別じゃない。あなたは堂々としてればいいと思う。そうすれば相手だって自分の方が間違ってたって思うよ」
 晶は目を見開いて私を見ました。
「あなたみたいなこと言う人は始めて」
「そう?最も私は人間さんじゃないからね。違うのかも知れない」
 私は言いました。
 不思議、不思議な気持ちが私を支配します。何だかいつもと違います。瓜二つだからでしょうか?あまり種族の違いを意識しません。
 一方晶も不思議そうな目でじっと私を見ています。
「つくづくそっくりだよね。でも…あなたは人間じゃない。人間じゃないあなたが実在して、そのあなたとそっくりで、平気で喋ってる私。何なのこれ」
「さぁ。ただね、あなたとこうして喋ってること自体は、すごくしっくり来るよ」
「それは私もそう。しっくりくる。何て言うの?元々友達で、しばらくぶりに会った、みたいな。私、小さい頃からここにいて、友達らしい友達なんかいないはずなのに…」
「小さい頃から?」
 私は目を瞠りました。ここは別荘地。しかもその外れです。一番近い人家ですら10キロはあるでしょう。
 人が常時いるところではないのです。…だから私も平気で人間サイズでいられるくらいで。
「あなたの発作ってかなり頻繁なのかな?」
 私は訊きました。そこまでしなくてはいけないものなのでしょうか。
「うん」
 晶は頷きます。そして、小さい頃からのいきさつをからめて理由を説明してくれました。
彼女の病気はアレルギー反応の一種で、気管が腫れあがり、その結果空気の出入り口が塞がれ、呼吸困難に陥るというものです。
 そして彼女の場合は慢性で、気管が空気中の僅かなアレルゲン(アレルギー反応を起こす物質)にも反応してしまうため、空気がキレイで、なおかつホコリを撒き散らす生物…“人”のいないところに行くしかなかったのだそう。しかも、過度に興奮したり、急激な、或いは長時間の運動も良くないのだそう。
「だから小学校も1ヶ月行ったかな?くらい。あとは通信教育の文字通り一人っ子。親は海外だし、さっきあたしのこと呼んでた叔母と、もろもろの配達の人が来るだけ。まぁ最初は、一応学校行ったんで、クラスメートってことでクラスの子たちも手紙くれてたけど、一人減り二人減り…ぷっつん。退屈?確かに誰もいないし運動も出来ないけど退屈自体はしてないんだ。オモチャはやたらあったし最近ならインターネットあるしね。でも…あれって知りすぎちゃってかえってダメだね。あんなのもある、世間じゃこんなものが流行ってる。でも私はだめなんだってことになっちゃう。逆にストレスたまってね。結局私はただここでただ生きてるだけだって思い知らされてさ。それで…」
 晶は私に手首を見せてくれました。
 躊躇い傷。
 ここまで聞けば判らぬではありません。でも…ここにいるというだけなら単なる“現状維持”。治療自体はどうなっているんでしょうか。
「治らないの?」
「無理。と医者には言われた」
 彼女はそれだけ答えて目線を外します。
 横顔によぎる諦念の影。
 私は唇をキュッと噛みます。それは多分私であれば、相手に絶対言わない言葉。
「それって絶対の話?」
 その言葉で、私は彼女を再び振り向かせることに成功します。
「え?」
「治らないのは証明されたことなの?」
「証明って…」
 晶はちょっと困ったような表情。
「じゃぁ医者が勝手にそう言ってるのをあなたは信じてるだけってわけだ」
 晶は目を瞠りました。
「確かに慢性疾患かもしれない。でもイコール絶対治らないって誰が決めたの?。そもそも病気の治る治らないって決めるもの?違うでしょ。治った治らなかったっていう、結果はあるかも知れない。でも、その結果は最初からあるものではない」
 晶はしばらく声が出ません。私の言葉が彼女の心の中の塊…治らないという固定観念、前提を叩き割ったことは間違いありません。
 少し経って。
「そんなこと考えたこともなかった…医者に言外にそう言われた瞬間、そうなんだって思っただけ」
 晶は呟くように言いました。
 全くもう、と私は思います。病気を治すのは薬や外科手術そのものではありません。身体そのものの治癒力です。薬はそれを手助けし、手術は復帰不可能な部分を排除するというだけ。どっちも“アシスト”に過ぎません。従って万能ではないし頼るものでもありません。それどころか。
「心身相関現象って知ってる?」
 私は晶に問います。
「神経性胃炎とか、学校がイヤだイヤだ思ってると朝お腹が痛くなるとかいうあれでしょ。気持ちの持ち方で…」
 晶はそこまで話して言葉をちぎりました。
 ハッと気付いたような目で私を見ます。
 判ったようです。
「私が治らないと決め込んでるから治らない…あなたはそう言いたいわけ?」
 晶は言いました。
 私は頷きます。
「そう。単に気分的な問題じゃなくて、前向きな姿勢は血の巡りをスムーズにし、体の機能を活性化させる。だから当然、病気の治りも早くなる」
 晶はしばらく私の目をじっと見つめます。
 が、ふっと目を伏せます。
「ありがとう。でもね、親にはずっと治る治ると聞かされてたの。私も信じて薬飲んで、色々やった。でもね、治らずにここにいる自分があるわけ」
「あきらめちゃったわけだ」
「でも10年。10年だよ。10年頑張った。それなのにどうにもならなかった。もう疲れちゃったよ」
「10年か」
 私は言いました。
 確かに、それだけ頑張って何も変化がなければ、あきらめたくなる気持ちも判ります。
 でも、でもです。
「きついこと言うよ。そんなの、頑張ったうちに入らない」
 その言葉に、晶は、最初会った時を思い出させる、きつい目で私を見ました。
「まだまだ頑張れる。今まではただ言われた通りにやっただけでしょ?それ以上のことしてみた?」
「なにそれ…」
 晶の声が糾弾の色を帯びます。憤慨と悲しさ。裏切られたという気持ち。
「死ぬほどの勇気を、あなたは生きるために使ってみた?」
 何か言い出そうとする晶の機先を制して、私は言いました。
「知ってるでしょう。あなたの病気の症状改善の心構え。言ってみて」
 彼女は九九でも暗誦するかのように唱えました。きれいな空気、適度な運動、体質改善、ストレス回避と情緒安定…。
「やろうよ」
 私は言いました。
 晶が呆気に取られたような表情。
「やる…って?」
「その通りやって、でもそれだけじゃなくて、もっとできること探して、体質変えようよ。あなたに合った運動方法を探そうよ。きれいな空気はある。あとはあなたの行動次第」
「そうは言ってもねぇ。歩いたりとかしたんだよ。でも毎日ただ歩くだけじゃ…」
「この大自然の中、歩くだけじゃもったいない」
 私は言って、足元の小さな花を指さします。
 小さくて黄色いキスゲの一種。
「可愛い花」
「この花ね、本当はもっといっぱいここにあったの。一面黄色く見えるくらいここに咲き誇ってた。でも、今はこうやって草に埋もれてる。それだけじゃない。本当はこんな雑木林、ここにできてちゃいけない」
「どういうこと?」
「本当はもっと低い土地、平地にあるべき植物がここに生え、ここに元々生えていた植物が消えているということ。この花の群落はもっと標高の高いところに移ってる」
 晶は少し考え、答えを提示しました。
「地球温暖化」
「その通り」
「なるほど…」
 晶は頷き、周囲をぐるりと見回します。雑木林と、その途切れたところに広がる草原、湖沼。別段不思議な情景ではないかもしれません。
 でもここは以前、潅木がまばらに生える湿地帯だったのです。
「一見ただの自然の風景。でも調べてみればってわけ。ただ歩くんじゃなくて、例えばそういう…」
「あのー」
 晶が私の声をさえぎりました。
「なに?」
「あのさ。話の腰折って悪いんだけどさ、あれって…クマ、だよねぇ」
「え?」
「あ、子熊もいる。可愛い。あれ?」
 晶の見ている方向…湖を挟んだ少し離れた位置…に私は目を向けます。
 すると確かに親子のツキノワグマ。
 ただ、母親の方が変です。足元がふらふらしており、まっすぐ歩けません。
 どお、と倒れます。
「行ってみよう」
 私は晶に言います。
「大丈夫なの?」
「それが私の仕事。大丈夫、向こうも心得てる」
 私は晶の手を取り走り出します。呼吸の状態を見ながら池を回り、数十秒。
 横たわる母グマ。寄り添う子グマ。
 子グマが私達を見つけます。
 逃げ出そうとするのを母グマが前脚…手で制します。
〈大丈夫、この方は敵ではない。妖精さん〉
 それは母グマの意識です。
 私はそれを私自身の意識で直接感じ取りました。
 私達はそうやって動物達とコミュニケーションが取れます。すなわち精神感応…テレパシー。
 その状況は握った手を通じて晶にも伝わっています。晶が驚いているのが文字通り“手に取るように”判ります。
〈妖精さん。お母さんがおかしいの〉
 子グマが訴えました。
〈判った〉
 私は答えて母グマを診ます。と言っても、手のひらをあてがってテレパシーを働かすだけ。
 震え、呼吸困難、四肢の麻痺。
〈妖精さん、私には追っ手が付いています。私はいいからあなたはここから離れて。人間に見られてはいけないのでしょう?〉
〈そんなこと言わないで。それにこの彼女は人間です〉
 私は言い、母グマの身体を手のひらで当たって行きます。どうも神経が何かに侵されているようです。毒草でも食べたのでしょうか。
 違いました。
 わき腹に出血が固まり、毛がこわばっている部分があります。
「いや…」
 傷を見つけたのでしょう。“むごい”と言いたげな晶。
 ここから何か毒物質が体内に侵入したのでしょう。かくなる上は…妖精なのになぜと思われるかもしれませんが。
 手のひらサイズ液晶コンピュータ。
 手品の手法で登場したそれに、晶が感心の面持ち。
 どうして、私が、およそ妖精にあるまじきこんなものを持たされているか、説明しなくてはいけないでしょう。私達の仕事は動物・昆虫の相談相手、だから当然、関係するもろもろの基礎知識は備えています。
 でも、この現代地上世界には、それだけでは対応出来ないさまざま物質があふれています。更に言うと、私達に備わった本能、超常感覚では感知出来ない危険が存在しているのです。
 そこで、こうした事態に対処するため持たされたのがこれです。
 逆に言えばそのくらい、この地上世界には自然ならざる(しかも危険な)状況に置かれているわけです。
 元に戻って。
 私はクマの傷口に出来たカサブタをめくり、新たに滲み出た血液を一滴、コンピュータで分析しました。
 画面にズラリと棒グラフが伸び、答えがすぐ出ます。
 鉛。高濃度の鉛。
 このクマは鉛中毒なのです。そして、なぜそうなったかと言うと。
〈撃たれたのはいつ?〉
 私は母グマに訊きました。
〈3日くらい前〉
 母グマは言い、ついで言外に人間の畑まで食べ物を取りに行った旨伝えてきます。
 そして今日も、ここより低い位置にある、10キロ離れた有名別荘地に生ゴミを探しに行った。そこで目撃され、今逃げてきたところ。
 私達の会話に晶が疑問の意。曰くどういう意味?
「散弾銃で撃たれて鉛中毒を起こした」
 私は言いました。散弾銃は多量の鉛の小粒を獲物に撃ち込むものです。ですので、急所を外れて生き延びても、その鉛が血液中に溶けて身体を巡り、鉛中毒を起こすのです。同例はやはり標的にされるシカ、イノシシ、カモの類でも確認されているほか、“標的”を外れて飛び散った鉛弾を、鳥が砂と間違えて食べてしまい、中毒を起こすという別のパターンも多く起きています。
 ついでに書いておくと、私が今回この地を訪れた理由はまさにそれ。クマが、その10キロ向こうの別荘地に出没、撃たれたり事故に遭ったり。
 と、母グマの意識が途切れました。
 すぐに復活。いえ、途切れ途切れ。
 脳障害。鉛中毒の症状のひとつ。
〈お母さん、お母さん〉
 子グマが呼びかけます。
〈妖精さん、お母さん死んじゃうの?妖精さん…〉
 私は唇を噛み締めました。私達の受ける相談には、病気や怪我といったものもあります。ですので、そういう動物に遭遇した場合、治すこともあります。
 ただ、それは、あくまで自然の中で、あるがままの状態での怪我や病気だけ。
というのも、私達にできるのは、自然治癒力を高めること、だけだからです。
 もちろん仲間には(私もそうですが)薬草の幾つかを心得ていて、それを使う場合もあります。
 しかしどちらにせよ、対応できるのは“自然”の範囲内。
 それしか能力として与えられていないのです。なぜなら、コンピュータもそうですが、自然に生きるものを相手にする以上、本来はそれで充分なはずだし、そこから外れてしまうと、死ぬはずの者まで生き延びて、生態系が混乱するから。
 妖精族として人間さんの言ういわゆる超能力は一通り備えています。でも、キリストのような、天使のような、万能さまでは与えられていない。生殺与奪の権限階級ではない。
「死んじゃうの?」
 晶が言いました。今にも泣き出しそうな声です。
 と、母グマの瞳が、振り絞るように見開かれました。
 晶を見ます。ハッとする晶。
〈死なないよ、人間のお嬢さん。死んでたまりますか。私にはこの子がいるんだ。死ねと言われても死なないよ。撃たれようが何されようが私はこの子のために生きる。だって私はこの子が育つのを見極めるために生まれてきたんだから。生まれて、生きたからには、徹底的に生きる。生まれるのは生きるため。そうでしょ?違うかい人間のお嬢さん。簡単に命を奪う人間なんかに生まれちゃったお嬢さん〉
 母グマは言いました。
 晶の瞳が揺らぎます。揺らぐ瞳で、まばたきすらせず、母グマを見つめます。
 母グマの上半身に力が入ります。筋肉が盛り上がり、前脚が動き出します。
 震える前脚が大地に立ちました。
 体を起こそうというのです。
 銃で撃たれた身体は、鉛中毒である上、どうやら内部に大量の出血もあるようです。瀕死に近い重傷といっても良い。なのに、何というすさまじい生命力でしょうか。なんという生への強い気持ちでしょうか。
〈襲ったりしないよ〉
 これは母グマが晶にむけた言葉。
 晶は頷きます。
 母グマに向けたその瞳を震わせて。透明なしずくをたたえて。
 私はその間に、何か中毒を除く方法はないか、コンピュータで探ります。
 あるにはあります。薬で体内の鉛を分解し、普通の排せつ生理で体外に出す。
 しかし。
 しかし。
 それでは間に合わない。
「もっと即効性のある方法は…」
 私は歯噛みします。奥の手というのもあるにはあります。それはフェアリーランド…すなわち私達妖精の国に連れ去ってしまうこと。天国の一部です。どうにかなります。
ただそれは最大の禁忌。なぜ?同じような状況の動物はいっぱいいるのにこのクマだけ助かってしまう。
 …結局、私にできるのはただこのクマを撫でさすることだけ。
 妖精族の流儀に従い、患部に手のひらを当て、治って、おさまってと願うだけ。
「あたし、ネットで探して来ようか?」
 晶が提案したのはその時です。
 私はハッと彼女を見ます。インターネット…
「結構医学的に深い情報も載ってるんだ。見てくるよ。あなたはクマさん見てて」
 晶は言うと、走り出そうとし、
 足を止めました。
〈来たね〉
 クマのお母さん。
 その意味がやっと判ります。立ち止まった晶の目線の先、
 銃を構えた猟師さんが何人か。
 それに、先ほど聞いた晶を呼ぶ女性の声。
「晶!あんた…ちょっと何してるの!?」
 驚愕しているその女性…晶の叔母様の傍らには、制服姿の警官が二人います。驚いた様子で私達を見ています。
 そりゃそうでしょう。人を襲うかも知れぬ手負いのクマの近くに、女が二人いるのですから。
「撃つの?」
 晶が誰にでもなく問いました。
「お嬢さん。お気持ちは判るんですがねぇ、そのクマは何度も下に出没してるんですよ。危険ですし、役所の許可も出てるし」
 警官の一人が答えます。しかし晶は動じません。
「危険?私ここでこうしてて、このクマは私に何もしません。第一ひどい怪我をして動けないんです。危険どころか保護するべきじゃないですか?それに子グマもいるんですよ。この子をどうしろと?」
「そりゃ動けねーだろ。そのひどい怪我はどうせ致命傷なんですよ。内蔵がもう大概どうにかなってるはずだ。俺が撃ったから間違いない。だから安楽死の意味も込めて」
 猟師さんの一人が言いました。
 晶が私を振り返ります。
「そうなの?」
 さっきも書きましたが大変な出血なのは確か。
 頷かざるを得ません。
 しかし。
〈私の身体がズタズタで何も食べられなくても、この子に食べるものは上げられる〉
 母グマが言いました。その言葉は私を通じて晶へ。
 晶は小さく頷きます。そして、意を決したように、再度猟師さんたちを振り返ります。
 彼女は、大の字に、両腕を広げました。
「帰りなさい。このクマを撃つことは私が許さない。撃ちたければ私を撃ちなさい」
「晶!」
 叔母様が叫びます。猟師さんたち、警官に戸惑いの表情。
「お嬢さん、そんなムチャな」
「ムチャはあなたたちでしょう。クマだからみなしご作っていいわけ?それに大体、別荘地に出没して危険ってゴミの回収ちゃんとしないからでしょ?…確かにそうね、人間って簡単に命を奪う!放っといても生きられるから一生懸命生きるって言葉もないし意味も知らない!どうせ死ぬ?安楽死?楽に死ぬなんて言葉なんかあるもんか。生きるより死ぬほうが怖いし苦しいにきま…」
 晶は怒鳴るように言いました。そして、そのまま胸元を押さえて倒れこみます。
「晶!」
 私と叔母様は同時に叫びました。
 発作です。私は反射的に彼女の元へ身を向けました。
 …つまり、クマから見れば、晶という盾と、私という壁がなくなったのです。
 散弾銃の撃鉄が引き起こされる。
〈お姉ちゃん大丈夫?〉
 子グマの意識が届き、ついでお姉ちゃん…晶の方へ走り出します。
 それを猟師さん達は危険…子グマが晶に襲いかかると取ったようです。
 銃口が子グマに向く。
 危ない。その瞬間。
 野生の雄たけびが背後から沸き起こりました。
 母グマが、お母さんグマが、後ろ足で仁王立ちになったのです。
 銃口は再び母グマに向けられました。
 撃つな…私は猟師さん達に命じるように念じました。
 私の思いが、強い思いが、念動力となり、衝撃波を形成して私の身体から放射されます。
 同時に、ペンダントに手を伸ばし、瞬間移動の呪文。
「リクラ・ラ…」
 しかし、衝撃波も呪文も、その瞬間には間に合いませんでした。
 撃鉄が薬莢を叩きます。
 忘れることの出来ない、爆竹のそれに似た乾いた破裂音が、数発、山間にこだましました。
 遅れて、猟師さんたちが相次いで仰向けにひっくり返ります。
 念動力が作用したのです。しかし、それは既に手遅れ。
 終末の時。
 野生が、倒れます。
〈お嬢さん、あなたの優しさに感謝しますよ…最後の最後に…私は…人間を信じられた…ありがとう…〉
 母グマは意志で伝えて来、そのまま“途切れ”ました。
 地鳴りと共に、野生の巨体が、草の上に崩折れます。
 広がる重々しい余韻。その消滅。
 晶が母グマを見ます。声が出ません。ただ、ただ、涙がぼろぼろと、ぼろぼろと。
〈お母さん…〉
 母を呼ぶ子グマ。
 しかし母からの返事は来ない。
 晶が子グマを抱き締めます。そしてわぁわぁと泣き始めます。
 なんというひどい結末でしょう。やはり、私はさっき、この母子を禁を侵してでも天へ上げておくべきだったのでしょうか。
 猟師さん達と警官が歩いてきます。私達を遠巻きに見、そして母グマの身体に寄ります。
 猟師さんの一人が母グマの生死を確認しようと手を伸ばします。
 その時でした。
「触るな!」
 晶が一喝しました。
 猟師さんが驚いて手を引っ込め、晶を見ます。
「お嬢さん、我々はね、決して命を弄んでるわけじゃないんだよ。ただ、あなたや、下の別荘の人たちの危険を考えると…」
「判ってる。でも…触って欲しくない。判ってるけど、触って欲しくない…。だって、このお母さん、一生懸命生きようとしてた…。人間が、他の生き物の命を犠牲にして生きていることは知ってる。でも…」
 晶の言いたいことは判る気がします。恐らくそれは、人間さんの生まれながらの罪であり、そしてその断罪は人間という存在自体の否定。
〈お姉ちゃん〉
 クマの子が呟きます。それは晶に宛てた言葉。
〈ありがとう〉
 ふわりと温かいメッセージに、晶はゆっくり、身体を起こしました。
 そして私に意志。伝えて欲しい、それはどういう意味?
〈お姉ちゃん、お母さんをかばってくれた。僕のこと、心配してくれた〉
〈でも私は何も出来なかった。君のお母さんは…君は一人ぼっちになってしまった〉
〈それなら大丈夫、こっちのお姉ちゃんが新しくお母さんになってくれるひとを知ってる〉
 私は晶に頷きます。ちょうど逆に…やはり不幸なことですが、交通事故で子どもを失った母親がいるのです。
〈僕のことを守ってくれて、人間さんにかばってもらえて、僕は僕のお母さんを誇りに思うよ〉
 クマの子は言いました。
 晶は、ゆっくり、頷きます。
〈それに僕はひとりぼっちじゃない。新しいお母さん探してもらえるし、お姉ちゃんもいるもん〉
 楽しそうな、弾むような言葉。
 晶は真っ赤な目で、小さく、微笑を浮かべました。
 私を見ます。
「える…えう…」
「エウリーでいいよ」
「じゃエウリー。私…今、これだ、って思ったんだけどね。こういう、一生懸命生きている動物たちの手助けが出来たらと思うんだ。病気がどうなるかは判らない。でも私は今、あなたの手伝いとまでは言えないけど、多少でもこんな出来事がなくなれば、そのために動ければいいなと強く思った。動物たちはただ単に野生のままに行動しているだけ。それが人間にはたまたま邪魔であったり迷惑であったり危険だったりしてるだけ。でも、動物たちにはそんな事判らない。あなたのような能力の持ち主ばかりじゃない。だったら、人間の方が理解して動くべきだと思う。追い出すとか殺すとかいう方法じゃなくてね。元々ここは彼らの棲みかであって、そこに立ち入ってるのは私達人間の方、なのに彼らの方を排除するなんて本末転倒」
「お嬢さん」
 と、猟師さんの一人。
「あたしもね、まぁ時々こういう依頼受けるんですけど、忍びないのは忍びないんですよ。連中エサ探しに来ただけだしね。どうだろ、町の議員に知り合いがいるんで、何ができるか、一度話してみるかい?」
「本当ですか?」
「もちろんだ。町としても安全な別荘地にしたいしね」
「判りました。ありがとうございます。よろしくお願いします」
 晶はそれこそ水晶が弾いた陽光のような笑顔で言い、頭を下げました。
「じゃぁ、このクマ、調べていいかな?」
 晶は頷きます。
 その瞬間、天国へ連れて行ったほうが良かったか、回答が与えられます。連れて行かなくて正解。もし連れて行ったなら、晶はこんなこと思わなかったでしょうし、猟師さんはまた忍びない仕事を引き受けることになったでしょう。
 その猟師さん達と警察官が母グマを取り囲み“検分”を始めます。本当は土に還したいところですが、この人たちもそれが仕事なのです。邪魔はできません。
 でも、子グマは渡しませんよ。
 行きましょうか。
「晶」
 私は新しい道を見つけ出した友の名を呼びます。
 そして、トーガの裾回りを少々破り取ります。
「どうするの?」
「後ろ向いて」
 私は彼女の髪を束ねると、破った裾周りをくるりと結びつけました。
 ちょうちょ結び。
「希望に向かって歩む人に、歩みつづける力を与える魔法のりぼん」
「え…」
「私にできることはそれだけ。ありがとう。あなたのことは忘れない」
「行っちゃうの?」
「この子のお母さん探さなくちゃ。それに、私には、私を待つ多くの生き物たちがいる。あなたに救うべき多くの動物たちがあるように」
「…そうか、そうだね」
 晶は言うと、笑顔で右手を差し出しました。
「ありがとう。私にもやることが出来た。もう死んだりしないよ」
 その言葉、待っていました。そして。
「こちらこそ。あなたのおかげで今回私が依頼された問題が解決しそうだよ」
 私は彼女の手を握り返して言いました。
 大丈夫。これでどっちも大丈夫。
「じゃね」
 私は言うと、“ごく普通”に、子グマと共に歩きだします。この親子が現れた湖の向こう、雑木林に向かって。
 と、後ろから追って来る足音。
「…おいちょっとあんた、待った!そのクマどうするんだい」
 警察官に猟師さんたち。気づかれたようです。
 私は子グマを抱き、走り出します。
「あ、おい、こら!」
 風となります。追っ手を振りきり。
 そして。
「リクラ・ラクラ・テレポータ!」

 その後、彼女のいる有名な別荘地で、クマが出没する問題が解決されたか、直接の結果は私の耳には入ってきません。ただ、猟師さんたちが忍びない仕事をしたという情報もまた入って来ません。
 もしあなたがテレビや街頭で、動物たちの保護運動に取り組む、白いりぼんの美人(!)を見かけたなら。
 それは、もう一人の、わたし。
 名前は、晶。結晶の晶。
                                                                もう一人の私/終

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】昆虫界の大異変

 3ヶ月ぶりに訪れた通称“たぬき森”。
 木々の間を歩いて少々、私はその異様な光景に目を瞠り、立ち止まりました。
 昆虫の遺骸が散らばっているのです。
 しかもどれも頭部がありません。切断されています。
 調べると遺骸の多くは樹の根元、しかも広葉樹の根元に集中して落ちています。あっちのクヌギの根元に、こっちコナラの根元に、という状況。
 人間の子供たちの度を越したいたずら…あり得る原因として最初はそれを考えました。
 でも、そうじゃないと判ったのは、たった今、足元に、子供たちなら相手にしない虫まで、その状態にされていたのを見つけたから。
 私はため息をつき、コナラの根元にしゃがみこみます。
 そして、その状態にされた遺骸を手にします。
 オオスズメバチ。
 人間の子供たちが、無邪気さ故の残酷さから、虫の身体を損壊したり、意味もなく殺すという、むごい遊びに興じるのを知る方は多いと思います。
 でもそういう場合、“遊び”の対象は容易につかまり、危険のない虫に限られます。バッタやチョウ、ダンゴムシ…そういったあたりでしょう。決して、高速で飛行し、攻撃的で致死毒も持つ虫…スズメバチなんかを捕まえて、そうやって“遊ぼう”なんて思わない。
 一体何が…考えていると、甲虫のブーンという羽音が頭の上で聞こえました。
 動くエメラルドのペンダント…のような、グリーンも鮮やかなアオカナブンです。コナラの木に止まり、染み出る樹液で早速お食事。
 何か知らないか訊いてみましょう。え?虫と話すのかって?その通りです。
〈あのちょっと訊きたいんだけどさ〉
 私は言葉にすればそういった意味の気持ちを、意識に浮かべました。
 声には出しません。これだけで通じ、いやむしろこの方法でないとコミュニケーションが取れません。
 カナブンが私に意識を向けました。そして同様に気持ちだけで、
〈妖精さんでしたか〉
〈です。大きくてごめんね〉
 私は言いました。
 彼(オスです)の言葉通り、私は人間ではありません。妖精族…童話伝説でおなじみの翅(はね)持つ種族です。
 ただ、今は身体のサイズが妖精としてよく知られる指先サイズではなく、人間並になっています。これは、私が妖精と言ってもギリシャ神話の自然の精霊、ニンフの血が入っているためで、これにより身体の大きさを変えられるのです。立ったり座ったりするのと同じく、“こうしたい”と思うだけで、指先ほどのフェアリーサイズか、この人間サイズか、どちらかになれます。ちなみに、ビジュアル的には、その神話の女神様と同じく、白い貫頭衣(トーガ)をまとった、髪の長い女です。
 仕事は虫や動物たちの相談相手。なお、妖精族には他にケルト直系のフェアリーたちがいて、花や木の方を担当しています。あ、申し遅れましたが名前はエウリディケです。
元に戻って。
〈これなんだけどさ〉
 私はカナブンの彼に、スズメバチの遺骸を見せます。
 普段自分たちを攻撃する大型のハチに、彼は一瞬嫌そうな意志。
〈…死んでるんですね。びっくりした。それがどうかしました?〉
〈誰がやったとか、知らない?〉
〈何も…というか私、たった今初めてここに来たものですから〉
〈そう。それじゃ判らないね。いいよありがとう。引き止めてごめんなさい〉
 私は頷くと、彼のいる木を離れました。
 遺骸をアリの巣の近くに置きます。埋めないのか?虫の遺骸はアリやバクテリアが処理します。私達に自然の摂理に反する行動は許されていません。
「はぁ」
 思わずため息が出ます。やりきれなさと後悔の気持ちで胸がぎゅーっと痛くなります。確かにこのところ、昆虫の羽化や動物の出産手伝い、人間さんの開発事業に備えてみんなを逃がす…などで忙しく、なかなかここに来られなかったのは事実です。それに、普通は事件が起これば虫たちから訴えがあるのに、それがなかった。というのもあります。
 不可抗力と言えばそれまで。でも、もう少し早く、ここに来ることが出来れば、この子たちが死なずに済んだかも…というのも確か。
 ごめんね…私は遺骸になった虫達に言うと、他の昆虫たちにも、何か知らないか聞き込みをしてみました。同じく樹液を吸うチョウであるオオムラサキ、そしてオレンジ色した翅のキタテハ、コメツキムシに似たヨツボシケスキスイ、赤いマフラーをしているみたいなムネアカアリ、シロスジカミキリ。
 しかし、返事は一様に“知らない”。
 再び羽音が近づきます。
 見上げると、勇ましい大顎のミヤマクワガタ。
〈ちょっといいかな〉
 私は彼に来てもらいます。ミヤマクワガタは昼でも比較的活動するタイプ。大顎の後ろがグッとせり出したいかつい姿をしており、恐竜を思わせます。もちろん、子供たちにも大人気。
〈妖精さん?〉
 頷くと彼は下りて来、差し出した私の指先に止まりました。
〈わぁ珍しい。何でしょう〉
〈あのね〉
 私は彼にいきさつを説明し、何か知らないか訊きました。
 と、彼は納得した風に。
〈関連するかどうか判りませんが、このたぬき森に夜行くと帰れないという噂がありますね〉
〈帰れない?〉
〈現にここに樹液探しに行って、それっきりの奴がいっぱいいるらしいんですよ〉
 ふーん、と私は頷きます。と同時に、それだ、と直感します。
〈具体的に何が起こってるかって話は…〉
〈さぁ〉
 彼は(人間風に書くなら)首を傾げました。ここに来たけど帰ってこない。
 今ここにいる虫たちは何も知らない。
 何かが起こっているのは確かです。だけど、その何かに遭遇した当事者が見当たらない。いない。
 それが何を意味するか。
 私は背中にゾクっとするものを覚えながら、足元の遺骸を見下ろします。
 当事者がいないのは、当事者が全てそのまま戻ってこない。イコール、
 命を落としているからではないか。
 すなわち、その何かに遭遇すると、みな殺しにされてしまう…。
 一体何が起きているのでしょう。調べるには、私自身がここにいるのが手っ取り早い。
 一晩ここで過ごすことに決めます。ただ、たぬき森はかなり広く、虫が多く集まる場所、つまり樹液が出る木は数多くあります。ある程度、樹液を出す木の位置を把握しておき、そこを中心に見て回るのがいいでしょう。
 私は早速、ミヤマクワガタ君の嗅覚を頼りに、樹液を出す木を探して回ります。もちろん、遺骸がないかも同時に確認します。
 するとあります。全部ではありませんが、比較的大規模に樹液が出ているところには、必ずと言っていい程虫たちの痛ましい姿があります。カブト、クワガタ、カナブン、スズメバチ、オオムラサキの翅だけ…
 無差別そのものです。しかも、甲虫の身体を引き裂くのですから、“犯人”は相当な力の持ち主である事は確かです。触った方はご存知と思いますが、甲虫の身体は相当に強固で、人力でも「首を切る」のは難しいほどなのです。
 そんな動物として何が考えられるでしょう。人間並ならサル、それ以上ならクマでしょうか。でも、彼らであればちぎって放置するなんてことはしません。そのまま食べてしまいます。
 考える範囲では犯人を思いつきません。とにかくこのまま待つことにします。ミヤマクワガタ君と確認した樹液の出る木は26本。そのうち12本で遺骸が確認出来ました。

 日が暮れてきました。
 どこからか“夕焼け小焼け”のメロディが流れて来、カラスたちが夕日の中、シルエットを浮かべてねぐらに帰って行きます。
 そろそろ甲虫たちが本格的に活動を始める時間帯です。
私は身体を縮めました。15センチの指先サイズとなり、木の枝に腰掛け、目を閉じます。
 心の聴覚を最大限まで澄ませて、異変の出現を探知しようとします。
 虫たちのレストランのにぎやかな状況が意識の中に浮かんできます。場所取り争い、メスを巡るいざこざ、味に対する評価の声。更には樹液に含まれるアルコール分のせいでしょう、早々に酔っ払って木から落ちる虫もあります。ちなみに甲虫で朝方まで木にいる個体がありますが、彼らはそうした“べろんべろん”の連中です。
 そして、すっかり夜になった、時刻にすれば8時くらいでしょうか。
 異変を探知しました。
 何かが現れ、虫たちが悲鳴を上げます。多くが逃げ出しますが、中で一匹が勇敢に立ち向かいます。
 私は飛びます。妖精の象徴たる背中の翅を伸ばし、羽ばたき、梢の間を抜けて行きます。
 そして見つけます。クヌギの木の根元近く、樹液あふれる場所に集まる沢山の虫たち。
しかし、そこには人間のような力を発する動物はいません。
 いえ、動物じゃありません。
 昆虫です。甲虫やチョウたちに混じり、日本産にしてはあまりにも大きすぎるヒラタクワガタ。
 外国の虫です。熱帯の島に生息するオオヒラタクワガタの一種。
 体長は9センチはあるのではないでしょうか。日本はおろか、甲虫種全体を見渡しても、天然産でここまで大きくなるものはそうはいません。
 その巨大すぎるクワガタに今、日本のカブトムシが雄々しく立ち向かおうとしています。
 私は両者の間に割り込んでホバリング(空中静止)し、カブトムシを制しました。
〈妖精さん何を?〉
 びっくりしたようなカブトムシ。
〈ここは私に預けて。死ぬよあなた〉
 私は言います。そう、一連の“切断事件”の犯人はおそらくこの熱帯のクワガタ。
 非常に攻撃的であり、目の前を動く者はたとえ同種のメスであっても挟み殺してしまう巨大クワガタ。
 しかも恐らくはブリーディングされたものでしょう。日本は温暖化しているとはいえ、熱帯地域より比べればはるかに寒冷です。その寒冷な日本でここまで巨大になるには、整えられた環境と栄養剤で人工的に育ったとしか考えられません。そう、人間さんが意図して大きく育て、そして逃げ出したか、
 或いは、飼い主が、この森に意図して放ったか。
 私は眼前の巨大クワガタの意識を読もうとします。どこから来たのか。
 そして…最も懸念されるべき事態、本来ならあってはならない事態が起きていないか。すなわち、日本のクワガタと交配してはいないか。
 しかし読めません。樹液に酔い、意識が混濁しています。
 攻撃の意図。
〈変なカゲロウめ!〉
 顎を振りかざして襲ってきました。
 私は首から下げているネックレスのチェーンを引き上げます。そして、先端に輝く青い石を手にします。
 それは、私たち妖精のか弱い超能力を増幅する魔法の石。
 念動を使います。巨大クワガタの動きを固定。
 そして、怒鳴りつける感覚で強い意識を送り込みます。
〈何をしてるの!?〉
 ハッとするような反応。
 目が醒めたようです。しかし。
〈うるせぇ。離せ!〉
 何ということでしょう。私が地上で仕事をするようになって200年になりますが、昆虫からこういう反応を受けたことはありません。なぜなら、みんな、育つ過程のどこかしらで、私たちの存在とその役割を知るからです。
 しかし、今ここでいきり立っているこの外国昆虫は、私たちの存在を知らない。
 何世代かに渡って人の手で育てられた結果、私たちの存在が伝承されなかったに相違ありません。
 私は念動で彼を固定したまま、身体を人間サイズに変えます。
 そして手で捕まえ、持ち上げました。
〈人間か!?何しやがる〉
〈君はここにいてはいけない〉
〈うるせぇ。離せ。俺は…〉
 ここにいる全員を皆殺しにして樹液を独占。意志はそうです。しかし余りの興奮で言語に変換されない。
 束縛は興奮をあおるだけ。私は念動による拘束を解きます。幾ら力のある虫と言っても、人間サイズの手で掴んでいれば、何かされる心配はありません。
 彼が猛然と抗います。顎をアニメのロボットのように動かしてカチカチ鳴らし、首を後ろに反らしてギリギリ音を立てて威嚇します。更に脚をつっぱらかっていますが、これは樹皮の上に停まっている時、体を大きく見せるため。
〈離せ〉
〈やめなさい〉
 彼は続いて羽ばたいて逃げようとします。しかし今の私から逃げるのは無理。
〈くそっ!くそっ!俺をどうする〉
 どうする。そう問題はこのあとどうするです。彼自身をここから隔離するのは容易なことです。天国に隣接する私たちの国、フェアリーランドにでも連れて行ってしまえば良い。
 しかしそれではこの場がどうにかなるだけです。その問題の異種交雑…ミックス誕生という危険な芽は摘んでおかないとなりません。彼が交尾を行ったのか、行ったのなら、相手のメスも見つけて隔離する必要があります。更に怖いのは、彼が故意に放たれたのなら、他にも同様に放たれた個体があるかも知れないということ。
 人間の気配がしたのはその時です。
 超感覚の囁きと共に私は振り向きます。曰く、この時間にこの場所に来るのは、ここが樹液の出る場所と知る昆虫好き。
 その昆虫好きは、同時に、手の中にあるこの虫の飼い主。
 私たち妖精は本来、人間さんとコミュニケーションを持つことは許可されていません。なぜなら、人間さんが私たちを存在しないと決めているからです。無いものは姿を現してはいけない。
 でも今回は話が別。私はこの飼い主からさまざまなことを知らなくてはいけません。
 人間との接触。もし今、私たちを地上に派遣する存在が、私を監視していれば、私はフェアリーランドに強制送還です。しかしそれを恐れていては、この事態は解決しません。
腐葉土の上、細い枯れ枝をパキパキ折りながら歩く足音。
 懐中電灯が私を照らしました。
「…なんだ女か」
 灯火の向こうに見えるのは若い男。痩せていて色白。
 私はその目をじっと見詰めます。
「なんだよ…あ、それ俺が逃がした奴じゃん。何取ってんだよ。置いとけよ」
 男が言います。つまりは故意に逃がした。
「そうか。逃がしたのはあんたか。その結果がこうなったわけだ」
 私は努めて怖い声で言い、クヌギの根元を指差します。
 男はそこを見、
「だからどうだってんだよ」
 ニヤニヤ笑います。それは“王者の活躍”を面白がっている表情。
 その間に、私は男の意識から必要な情報を取り出すことに成功します。
 男はこの虫を故意に逃がした。目的は、この虫が日本の虫を次々と挟み殺す様が面白いので、森でもっと多くの虫を殺させようと思ったから。
 種の交雑については念頭に無い。ただ、その可能性は認識しており、この“大きくて強い虫”が増えるのは面白いとは思っている。
 この虫はその試みに逃がした一匹目。男は毎晩その“活躍”…強い虫の殺戮行為を“観戦”しに来ている。
 そして、今夜は虫を更に追加するつもり。
 見ると男の腰には金属網の虫カゴがあります。
「あんたがそうやって逃がしたこの虫が、他の虫を襲い、更にはあってはならない雑種を作り出す。それはあんた生態系に対する重大な犯罪だよ。判ってるの?」
「ボク難しいことわかんな~い」
 私の言葉に男はふざけてうそぶき、小バカにするようにニヤニヤ笑いました。
 私は歯をグッと噛み締めます。似たような事例でいわゆるブラックバスの問題をご存知かと思います。現在の生態系は地球が46億年かけて作り上げたもの。自然は自然のあるがままにするべきであり、自然界の一介の存在に過ぎぬ生物が、他の生物の分布を変えたり絶滅させるなどとんでもないこと。
 そのおこがましさ。仮に他の星雲系の生命が、邪魔だから、面白いからという理由で地球生命を、人間さんを連れ去ったり殺したりしたら、皆さんはどう感じますか?
「あんたは…」
「うるせぇなぁ。返せったら返せばいいんだよ!」
 話し合うつもりなどないのでしょう。男は力ずくでクワガタ回収に乗り出しました。
 取り返されては元の木阿弥。
 男が私に手を伸ばしてきました。
 来るな!…反射的に生じた私の思いは、手のひらの石を通じ、そのまま念動力に変換されました。
 私の身体から衝撃波の如きものが発生し、男の体を跳ね飛ばします。
「うっ!」
 等身大の板で正面からひっぱたかれたような感じになったはずです。男は低く短くうめき、後ろに飛び、別の木に背中から衝突しました。
 ゴツッ、という低く硬い音と共に、幹に後頭部をしたたか打ち付けます。
 失神します。懐中電灯が手から落ち、身体がズルズルと土の上に伸びます。一瞬まずいと思いましたが、木が撓ってショックを和らげたようで、緊急を要すものではないとすぐに判ります。まぁ、タンコブ位はできたでしょうが、介抱する気は起こりません。
 と、男の身体の下から這い出す黒いもの。
 他のクワガタです。どうやら虫カゴが衝撃で壊れたようです。数は3匹。
〈殺したりしない。でも君たちはここにいてはいけない。こっちにおいで〉
 私は彼らを捕まえると、服の一部を切り裂いて虫の数だけ袋を作り、彼らを一匹ずつ入れ、髪の毛で縛りました。
 後はフェアリーランドに戻って、南国を担当する仲間に渡せばとりあえずは終わりです。ちなみに、樹液に酔っていた彼は、日本産ヒラタクワガタのメスと交尾はしたものの、その場で皆挟み殺してしまった様子。事の善悪はさておき、懸念された事態の発生はなさそうです。
 すると残るはこの男。判らせなければ繰り返すでしょう。でも口で言って聞かない者をどうすればいい?
 その時。
〈妖精さん〉
 気配と共に呼びかけてきたのは、この森のそれこそ通称の元になったタヌキ数匹。
〈は~い。ごめんね、お騒がせで〉
 私が言うと、一匹が懐中電灯の照らすこの場に出てきました。
〈いいえ。それよりあのですね。途中から見てたんですけど、我々にお手伝いさせてもらえませんかね〉
 私は首を傾げます。
〈というと?〉
〈要するにこの人間がその虫を勝手に逃がすといけないんですよね〉
〈うん〉
〈私達に監視させて下さいな。こいつが来たらお知らせします〉
 それはとっても素敵な提案。
 でも。
〈ありがとう。でも、でもだよ。そうしたらあなたたちの誰かが、張りついて見張っていなくちゃいけない。それに、私が遠いところにいたら…〉
〈仲間はいっぱいいますし、毎晩ご飯探しに誰かしら歩いてますからご心配なく。それに、あなたが遠かったら私たちが虫を食べてしまうだけのこと〉
 タヌキは言いました。
 私はちょっと迷います。動物に何か手伝ってもらうのは別に違反ではないのですが、問題は長期戦になりそうだということ。この男が諦めるまで彼らに頼る?
 頭上にバサッという羽音。
〈我々も見ますよ〉
 ミミズク。
〈いつも妖精さんたちには助けてもらっている。たまにはお手伝いさせてくださいな〉
更に別の木の上の方からも動物が姿を見せます。こちらはムササビ。そのそばにリスもいる様子。
〈そうそう。誰かしらどこからか見てます。例え毎日であっても、例え何年であっても、みんなでやればどうってことない〉
 私は肩の力が解け、思わず小さく笑いました。
〈みんなありがとう〉
 見回して言います。するとミミズクたちだけではありません。多くの眸が闇の中で金色に輝き、こちらを見つめているではありませんか。
 これだけのみんなが手伝ってくれるなら、特定の誰かに負担…にはならないかもしれない。
 その時。
 雰囲気が変化し、動物達にサッと緊張が走ります。
 私もその変化に気付きます。
 男が目を覚ます。
 どうしてやりましょう。言うことは言わねばなりません。でも、人型生命体(ヒューマノイド)って、聞きたくないことは初めから聞く耳持たないもの。
〈大丈夫逃げないで〉
 色めきたつ動物達に私は言いました。
 男のまぶたが開きます。
「畜生痛ってぇ…なんだあの女は」
「私のことか?」
 私は言いました。
 男がこちらを見、私を見つけ、みるみる怒りの表情になります。
「先に手を出したのはお前じゃないか」
「うるせぇ!」
 男は立ち上がると今度は殴りかかってきました。
 その瞬間。
 私よりわずかに早く傍らのタヌキが動きます。ネコのような身ごなしで跳躍し、突き出された男の拳に噛みつきます。
「痛ぇ!」
 男が手を引っ込めます。
 タヌキが着地します。そして男に向い、牙を剥き、低い声で唸ります。
「なんだこいつ!」
 男は続いてそのタヌキを蹴ろうとしました。
 すると今度は、そこに音も無くミミズクが飛来、大きな翼で男の顔を叩き、猛禽の鋭い爪で男のシャツを引き裂きました。
 男が腰を抜かして尻餅をつきます。その表情には怯えの色。
 実は、襲い掛かるミミズクというのは、普段の物静かな顔つきからは想像出来ないほど怖いのです。広げた翼の大きさと鋭い爪、更に嘴は、生き物が生来有する危機探知本能を呼び覚まします。特に人間さんの場合、ふくろうやミミズクは置物やキャラクターとして可愛くデザインされた状態で接することが多く、そのギャップの大きさは想像以上のものになります。
「な、なんだよ…」
 干からびた声で男が不平を言います。数瞬前の怒気はすっかり殺がれ、叱られた子供のような目で、私の背後をキョロキョロと見回しています。私の背後には多くの動物たちの金色の眸。男はそれに気付いたのでしょう。
 更に、男がへたりこんで寄りかかる樹の上から、リスたち、及び長さ20センチはあろうかというトビズムカデ、手のひらサイズで知られるアシダカグモが降りて来ます。
 クモが男の肩の上、ムカデがポテッと落ちて男の足の間。
 男がひぃと小さく言い、肩で息をしながら私を見ます。いくら鈍感であっても、ここまで生き物たちが集まり、攻撃の意志をあらわにしていれば、それが偶然で無いことは判るでしょう。
「お前、動物使いか…」
 干上がったままの声で男が言いました。
 動物使い…男にはサーカスなどの飼育係のイメージがあります。私が動物たちをけしかけていると判断しているのです。
 それは、この事態をもたらしている諸悪の根源が私という意味。自分が悪いのかも…とは、カケラも頭にないようです。
 生態系への悪影響、そして他の虫が殺される様を面白がる…それがどれだけ重大な罪か、理解させるのは無理なのでしょうか。46億年かかってこうなっている住み分けが、一人の人間の自分勝手で崩される。種の純粋が崩される。それを“怖いこと”と感じさせるのは無理なのでしょうか。
 仕方ない。
「そうだとしたら?」
 私は努めて、硬く冷たい声で言いました。
「私の役目は、この子たちをあんたみたいなのから守ること」
 男の顔が引きつります。
「お前は一体…」
 言いながら後ろにずり下がろうとしますが、足の間にムカデがいるので動くに動けず。
「お前…オレをどうするつもりだ?脅迫か?」
「良く言うよ」
 私は言い、唇の端で冷たく笑いました。ええ200年も生きていればこのくらいの芸当は出来ます。
「その脅迫すらせずいきなり殺してるお前は何だよ。いるはずの無い虫を繁殖させよう、いるはずの無い虫が日本の虫を引きちぎる様子を眺めよう、要するにサディスティックな自己満足で大量に虫を殺しているお前は何だよ。
 お前昆虫好きなんだろ?そのくせして、よくそんな残酷なこと平気でできるな。昆虫好きってそういうもんか?好きならその素晴らしさをあるがままに伝え広めるってのが普通じゃないのか?昆虫好きだからこそ、素晴らしさが判る人を増やしたい。そう思うもんじゃないのか?誰か子供が虫取りに来て、自分の虫で他の虫をせっせと切り刻み殺すお前の姿を見てどう思うよ」
 私は言いました。いるはずの無い南国の大型クワガタが、日本のカブトムシを挟み殺す。その様子を眺めてニヤニヤ笑う男。
 私は意識に浮かんだその嫌な映像を、男にテレパシーで送り込んでやりました。
 私が言いたかったのはこれです。確かに私の一言でこの男をどうにでも出来る。
 でも、この男はその一言すら無く昆虫達にどんなことでもやっている。
 損壊して殺す。それを楽しむ。それが残酷であることに異論を持つ方はいないでしょう。
虫だから犯罪じゃない?損壊するという点では虫でも動物でも、
 …人間でも同じです。
「うわっ!」
 男が叫び声を上げます。私の送り込んだ映像が、虫を切り刻む男の映像でなく、人体にナイフを向ける男の映像にすり変わったようです。私の考えが流れてしまったのでしょう。
「何だよこれ。何者だおめぇ…」
 男が悪夢でも見ているように私を見、首を左右に振ります。
 その意識はただひとつ。早くこの場を逃れたい。そう、今もって悪いことをしたという認識は無い様子。
 自分は悪くない。徹頭徹尾この男の意識はそれです。排除されるべきは自分の行動を妨げる事物の方で、自分ではない。一体どこをどう育てると、ここまで歪んだ人格ができるのでしょう。
「それはお前の将来の姿だ。私はお前が殺戮と種の混乱を起こさないためにここに来た。お前がその重大さを知り、欲望がその心から消滅するまで、私はお前の前に現れ続ける」
 私は言い、男を睨みつけました。
 男がちょっとたじろいだように目線を外します。そして…逃げたい意思の表れでしょう、腕だけ後ろに動かしました。
 その腕が懐中電灯に当たります。電灯の向きが変わり、私の翅が照らされます。
 光を弾く薄緑の膜。その反射光に白く浮かび上がる男の顔。
「お前…化け物…」
 虫の妖怪、男がそう言う概念を抱き、言葉にした瞬間、思いもかけない虫が行動に出ました。
 男が飼っていた南のクワガタです。服で作った袋を破り、翅を開いて飛び立ちます。
「あ!てめぇいつの間に!」
 男が言い、腰の虫カゴが壊れているのを確認し、飛んだクワガタを捕まえようと手を伸ばします。
 その手にクワガタが止まります。
 男が安心したその瞬間。
 クワガタはその屈強な大顎で男の指を挟みました。
「ああーっ!」
 男が叫びます。大顎に付いた鋭いのこぎり構造が男の指に食い込み、瞬く間に出血します。
 人体に損傷を及ぼすほどの大顎…さしもの頑強なカブトムシも、これで間接を挟まれれば、ひとたまりもないわけです。
 元に戻って。
「血が、血が、畜生何しやがる!」
 男が喚き散らします。
「離して欲しかったらその今心に思っていることを捨てるんだね」
 私は言いました。自然繁殖だの大量殺戮だの、冗談じゃない。
「畜生…放せこいつ!…痛い痛い痛い痛い!」
 男はぎゃぁぎゃぁ言いながらそれでもしばらく耐え、そして一瞬の逡巡を持って、
 自らが育てた虫に手を出しました。
 挟むクワガタの腹部を持って引き剥がそうとします。
 しかし大顎はより一層食い込み、血の量が増すばかり。
「痛い痛い畜生!くそったれっ!」
 男は指を振り回します。
 そして、クワガタの身体を、木の幹に打ち付けようとしました。
 その時もう一匹の南のクワガタが飛び出し、男の別の手に噛みつきます。
 それだけではありません。
 事態を見守っていたこの森のクワガタやカブトムシたちが一斉に動きました。
 クワガタは噛みつきます。
 カブトムシは空を飛びながら男に糞を浴びせ掛けます。
 私が指示したのではありません。彼らが彼らの意志で動いたのです。
「わあぁ!」
 男が腕で頭を覆ってしゃがみこみました。
 その腕はあちこち噛み傷で血だらけ。
 頭や服には浴びせられた糞の茶色い染みが点々。
 虫たちは散々男を汚した後、戻ってきました。南のクワガタは私の肩へ。
 男が腕と腕の隙間から私に目を向けます。
 と、その視線の先にブンと音を立ててオオスズメバチ。
 顎をカチカチ鳴らし、腹の先の毒針を出し入れして威嚇のポーズ。
 虫たちは完全に堪忍袋の緒が切れてしまった。
Ihen2「立ち去れ。そして二度と来るな。お前が自分のしたことの酷さを理解しない限り、ここに いる誰もが、お前の接近を拒む」
 私は言いました。このままではこの男は虫達に殺されます。逆にこの男が危ない。
 ムカデが男の足の間から動きました。
 ミミズクがバサバサと羽ばたき。
「わぁっ!」
 男が立ち上がり、こけつまろびつしながら走り出します。
 男は騒々しく走り去り、やがて闇の向こうに姿を消しました。
 虫たちと動物たちは安堵の息。
 これでまず、この森の生態が守られたことは確かです。でも決して、あの男は己の行為を省みたわけじゃない。
 暴力で追い出すような真似はしたくなかった。できれば心から理解し、自らの意志で引き下がって欲しかった。
〈妖精さん〉
 呼んだのは…直前まで酔っていた南のクワガタ。
〈なに?〉
〈そう自分を責めないで下さいな。あなたがどういう存在か、ここにいる仲間に聞かされた。あなたはその範囲内で頑張ってくれた。あいつを追い出したのは我々の総意。あなたが自分を責めることは無い〉
〈でも…〉
〈何をどう言ってもわかりゃしませんよ。あいつ、幼虫の頃からうまくて栄養のあるものを食わせてくれた。ケージをしょっちゅう掃除してくれた。エアコンで温度を一定に保ってくれた。
 でも、それは俺たちを大事に思っていたんじゃない。大きくするための条件を整えただけだったんだ。虫とも、生き物とも思ってない。電池の代わりに高価な餌を食うオモチャってわけ。そんな奴に残酷だの生態系がどうの言っても判るわけが無い。俺たちは、同じ人間の手にかかるんなら、金かけたアホより必死に図鑑で勉強する子供たちの方がいいよ。俺たちを“生かす”ために頑張ってくれるからね〉
 私は頷きました。一昔前、昆虫の飼育という行為は、如何に人工環境で自然に近く…に力点が置かれていたはずです。それがいつから、自然界ではあり得ないような虫を作り出すことに血道を上げるようになってしまったのでしょうか。そしてそれを“楽しい”と感じるようになってしまったのでしょうか。
 ブリーディングしている皆さん。愛情持って育てることは否定しません。
 でも、自然ではあり得ない大きさに育った虫は、それで幸せなのでしょうか。
〈妖精さん〉
 今度はタヌキ。
〈私が思うに、あいつが事の重大さに気付くには、それこそ恣意的に殺される必要があったのかも、と〉
 私はため息をつきました。
 自分の行為が何を及ぼすか、考える事が出来ない。
 考えてもその重大さに気付かない。
 自分がされる身そのものにならないと判らない(えてして判ったときは手遅れ)。
 人間はその場の満足のみを考えるサルではないはず。
 何も知らない原始の時代を生きているわけではないはず。
 何でも出来る。だからって何してもいいわけではない。
 私は、間違ってますか?

                                                              昆虫界の大異変/終

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】命のバリア

1

 夜の草むら。
 月明かりに照らされて、私は、仔猫たちと遊んでいます。
「こっちだよ。ホラ走って」
 私は肉球可愛い手のひら(?)が、私に触れるのを寸前でかわしながら飛び続けます。
 飛ぶ…そう、私は今飛んでいる真っ最中。
 但し何らかの機械を使っているわけではありません。私自身に飛ぶ力が備わっているのです。
 自己紹介をしておきましょう。
 私の名前はエウリディケ。姿形は人間さんの女性そのもの。
でも背中にはカゲロウのそれに良く似た翅があります。俗に妖精と呼ばれている生き物なんです。
 身長は15センチ。ただ、有名なティンカーベルやケルトのフェアリ…花の妖精と異なり、私の血統にはギリシャ神話のニンフのものが含まれています。ですから体のサイズをニンフ同等…人間サイズに変えることが出来ます。
 そして、仕事も私は花関係ではなく、昆虫や動物たちの相談相手。あ、そうそう衣服は…そうですね、神話の女神様が着ているだぶだぶの白い服、トーガ(toga)を着せてくださいな。
〈すいませんありがとう〉
 言葉にすればこういう感じの“意思”が意識の中枢にパッと訪れます。くれたのは仔猫たちのお母さん。このお母さん、夜道で車に接触し、足を大ケガ。そこで私がお母さんの代わりに仔猫たちの遊び相手を…というわけです。ちなみに、私たちと動物たちとの意思疎通は、このように心と心で直接思念を交わす…いわゆる超能力の一種テレパシーで行います。超能力と魔法…妖精ですのでどちらも標準装備(?)。必要に応じて使っています。
 元に戻って。
「ううん。…しかし二人とも元気ね。私の方が疲れそう」
 私は2匹に代わる代わる追いかけられながら、お母さんにそう答えます。実は仔猫たちの追いかけっこは“狩りの練習”。半分遊びではあるものの手は抜けません。一生懸命、逃げないと。
 でもそろそろ捕まりましょうか。
〈捕まえっ!〉
 お兄ちゃんの方が私に肉球で触れることに成功します。私は“撃墜”されたように草の上に降下。
「負けた~」
〈勝ったー〉
 お兄ちゃん得意げ。
 すると妹さんが。
〈バカじゃない?捕まえさせてもらったのに〉
 つんとして言い放ち、ぷいとそっぽを向きます。それから長いしっぽを一回振ってお母さんの傍らに丸くなり“ねこだんご”。
〈…〉
 お兄ちゃんしょんぼり。
「まあまあ」
 私は小さく笑うと、うつむいて目を潤ませているお兄ちゃんをなだめます。感情の揺らぎが極端というか、感受性が強いのか。
 …誰か来る気配を感じたのはその時です。
〈あの〉
「待って」
 一気に緊張の度合いを高める猫の親子を私は制します。
 それから、ゆっくり、気配を感じた方へ移動。
「はあい。どうしました?」
 尋ねると、草の中からヒキガエル(通称ガマガエル)のお母さんが顔を出しました。
 重大な相談がある…私はすぐに察知します。でも、猫の存在が本能的な怯えを生んでいるらしく、それ以上動こうとしません。
〈妖精さん〉
 呼んだのは猫のお母さん。
「はい?」
〈あの、私達、失礼しますから…〉
「え?そんな、いいよ。私…」
 私は言いかけます。だからって親子がこの場を離れる必要はありません。私がカエルのお母さんと移動すれば済むだけの話。
〈じゃなくて…〉
「え?」
 猫のお母さんは“この子達を見て”という意思を送ってきました。
 私は言われた通り子供達を見ます。すると、遊び疲れたのか、子供達ふたりともお母さんのそばですっかりお眠。
 “遊んでるかと思ったら気が付くと寝てる”…猫を飼ったことのある方は経験ありますよね。
「あらら」
〈ですから。ね〉
「判った。じゃあ送って…」
〈いえいえ大丈夫です。ホラホラ起きて〉
 促されて、子供たち、不承不承体を起こします。
〈ぶー。…まだ眠ったばっかじゃん〉
〈だから帰るの。…妖精さん。どうもありがとう。また…〉
「いいの?本当に送って行かなくて…」
〈ええ。もうこの子達くわえて運ぶ必要ないですから〉
 猫のお母さんは(意思の上で)笑って言いました。
「判った。じゃあまた何かあったら呼んで」
〈はい、それでは…〉
 お母さん。子供たちを急かしながら、草むらを後にします。ちなみにこの一家、この近所の家をあちこちめぐりながら餌をもらって暮らしている、いわゆる“地域ネコ”。家によって呼ばれ方が違う彷徨(さすらい)猫、いますでしょ?
〈…行き…ました?〉
 恐る恐る尋ねたのはカエルのお母さん。
「ええ帰りましたよ。それで?どうされました?」
 私はカエルのお母さんを振り返ります。
 するとお母さんはゆっくり歩いて来ながら…
〈それがですね…私に限らず、私の仲間達みんなに共通することなんですが…〉
 ホッとしたように話し始めます。私はお母さんの方へ歩いて行き、小石の上に座ります。
と、そこでお母さんは立ち止まって。
〈最近卵が孵(かえ)らないんですよ〉
「は…」
 私は一瞬理解が遅れます。あっさり言われたとんでもないこと。
 そう、それはとんでもないこと。何ですって?卵が孵化しない?
「本当に?」
〈本当です。仲間達みんな言ってます。沢山産んでも孵るのはほんの僅か…これじゃ殆ど育たないよって〉
「それって…。あ、まさか…」
 私は考え込み、そしてハッと思い出します。
 実は…ご存じの方もおいでかも知れませんが、この20世紀末、世界のあちこちで“両生類無尾目”すなわちカエル類が激減中なのです。例えば、毎年春になると集団で産卵するのに、ある年を境に忽然と姿を消した。突然、ある種の卵が孵化しなくなった。エトセトラ、エトセトラ…。
 理由は色々言われていますが、これだというのはまだ見つかっていません。環境変化や水質変化、食物の不足や変成、“カエル”という種族そのものの寿命だという説もあります。ちなみに両生類自体の出現は4億年前。カエル類の出現は1億6千万年前です。
 同じ事例が、このカエルのお母さん達にも、起こっているというのでしょうか。
「あなたの卵もなの?」
〈判らないんです。だからちょっと躊躇があって、遅れて今日産んだのですが…どうなるのか不安でどうしようかと思って。そしたらあなたがいらっしゃって…〉
 その言葉に私はゆっくり頷きました。
 そういうことなら、するべきことは一つ。
「卵の場所へ連れてって」
〈は?ええ。それは構いませんが…でも見てお判りになるんですか?〉
「何か変化があれば感じると思う。だからずっと見てる」
〈ずっと?…ですか??〉
「うん。ずっと」
 驚くお母さんに私は答えました。先ほど書きましたように私には超能力(超感覚)があります。“命”に何か変化があればそれで察知できるはずです。
 だったら、ずっと見ていれば、いつか判る。
〈…それってものすごく大変な気がしますが…判りましたとにかくご案内します。こちらです〉
 カエルのお母さんは言うと、ゆっくりと歩き出しました。
 私はその後をついて行きます。本当はお母さん持って飛びたいところですが、何せヒキガエルは大きさが大きさですから、身長15センチの今の私にそれは不可能。かと言ってこんな住宅街のそばで大きくなるのは危険。
 危険…そう、私たちは人間さんに姿を見られてはならないのです。理由は一つ、人間さんが“妖精なんか存在しない”と決めているから。私たちは人間さんの意思に背くことは許されていないのです。
〈ここです〉
 お母さんの後について歩くこと10分ほど、案内されたのは休耕田に出来た水たまり。
但し深く、周りには水辺の植物が生え、水中には水草も結構目に付きます。恐らく出来てからかなり時間が経っているのでしょう。殆ど“池”と言って良い感じ。
〈それです〉
 示されて水中を見るとなるほど卵があります。ゼリー状のチューブの中に白い粒々が沢山。見たことある方、いらっしゃいますね。
「いつもここで?」
 私は訊きます。見た感じゴミはないし、油が浮いているような様子もありません。産卵場所として不適な感じは皆無。
〈…はい〉
「異変が起き始めたのはいつから?」
〈そうですね。みんなして『やっぱり何かおかしい』と意見が一致したのは去年ですね〉
 その言葉に私は頷くと、今度は水の中、水草の林の奥の方を覗き込みます。
真っ暗です。が、目を凝らすと黄昏というかセピアというか、そんな感じの色使いでおぼろげながら見えてきます。これも超能力…透視というには大げさですね、暗視と言っておきましょうか。水草に掴まるミズカマキリやミジンコなどの水生生物の姿が見えます。
「水は綺麗なんだ」
 私は言います。これで水質的には全く問題ないことを確認。
〈はい。だから安心してここに産んでいるのですが…〉
 カエルのお母さん、少し困惑したような言葉。
 私は頷きました。確かにこれでは卵に対して不安を持つ方が変です。
「で?みんなの卵っていうのは…どういうふうに…その、なっちゃうの?」
 私は訊きました。卵に生じる異変の内容が考えつきません。これが例えば水質に問題があるなら、汚染物質で卵自体に傷が付く…などと予想できるのですが…。
〈それが私もよく判らないんです。聞いた話だと、翌日見に行くと、あるいは気が付くともうだめ。つまりいつの間にか…そんな感じらしくて〉
「なるほど…」
 私は考え込みました。最も、この問題は世界中の動物学者、環境研究家が取り組んでいるのに明確な答えが見つかっていないもの。
 私ごときがちょっと聞いただけで判らないのは当然と言えば当然。
「とにかく見てみるよ。あなたはいつも通りにしていて」
〈いえ、おつきあいします。他ならぬ私の卵ですもの。あなたに任せっぱなしにするわけには〉
「…でも、いつ終わるか判らないよ。ひょっとすると何日も…かも」
〈構いません〉
「…勧めないなあ」
〈お願いします〉
 私はため息を付きます。この調子では幾ら断っても駄目でしょう。母の責任、そんな言葉が脳裏をチラッと走ります。
「判った。でも無理はしないでね」
〈ありがとうございます〉
 お母さんは言うと私の隣に穴を掘りはじめます。そう、ヒキガエルたちは、昼の間は穴や土の中で過ごし、夜に活動するのが普通。
 お母さん土の中に収まります。
 私はそれを確認すると目を閉じます。眠るのではありません。感覚を“超感覚”のみにして、僅かな変化を探ろうというのです。それは…例えるなら“雰囲気”を感じようと心の目を開き耳を済ます…そんな感じでしょうか。
〈妖精さん?〉
 お母さんがちょっとビックリしたように呟きます。お母さんとはテレパシーで心がつながっていますから、恐らく私の状態(超感覚の鋭敏化…難しい言葉でごめんなさい)が手に取るように判ったのでしょう。
 時間が過ぎて行きます。夜半が過ぎ、月が沈み、夜と言うより朝と言った方が良い時間を迎え。
 陽が昇ります。虫達が動き出し、動物たちが活動を始めます。
 人間さんの生活時間帯になります。学校へ行く子供達、幼稚園の送迎バス。
 竿竹屋さんのトラック。
 その時でした。
「…!!」
 私は感じます。沢山の卵が次々死んで行く。
 まるで悪夢です。何の前触れもなく、突然命がその活動を停止する。
「いやーっ!」
 私は反射的に叫んでいました。身体を人間サイズにし、走り出します。
 人の目も自分の立場も念頭にありません。夢中で池の中に飛び込みます。そして慌てて、掬えるだけの卵を掬ってだぶだぶの私の服で、トーガで包みます。
 生きてる…私が掬った卵は生きてる…。
 だけど…だけど…。
 言葉にしたくない。
〈妖精さん…〉
「判らない。判らない。でも確かに何かが起こった。そして今、生きているのは私が持っている…」
 私は言います。言葉が満足にまとまりません。こんな経験は初めてです。心が動揺しきってしまい、思うままにならない。
 自分で自分の心がコントロールできない。
 ただ判っているのはこの生きている卵達をここに戻してはいけないこと。
 絶対安全なところへ運ぶ必要があること…。
 絶対安全…。
「…」
 叫び出したい気持ちの中、どうにか残っている理性で私は必死に考えます。まず浮かんだのはこのままでは姿を見られるということ。でも、こうして卵を抱えている以上、身体を小さくするわけには行きません。しかしだからってこのままどこかに移動しようとすれば絶対目撃される。
 であるなら。
「ごめん。また後で来る」
 私はカエルのお母さんに向かって言います。お母さんは私の心の状況が理解できないらしく、困惑気味。
〈妖精さん…〉
「この卵は絶対守る!詳しいことは後で話す。じゃ」
 私はそれだけ言うと、妖精の魔法…跳躍の呪文を口にしました。跳躍する先、それは…
「リクラ・ラクラ・シャングリラ!」
 私は星のような輝きと、風船が破裂するようなバチンという音を残して、そこから、消えました。

2

 どこまでも、どこまでも続くひたすらな草むら。
 遠くの方には所々森の影が濃い緑色で見えています。風がないこともあって周囲は至って静か。少し離れたところでマルハナバチが蜜を集めていますが、その羽音が、心地よい感じで、さっきから耳に聞こえています。
「ふう」
 私はため息をつくと、サラダ用の木のボウル片手にしゃがみ込みました。しゃがみ込んだ手前は小さな池。そしてボウルの中はカエルの卵。
「ここなら大丈夫だから」
 私は卵に言い聞かせるように呟きながら、ボウルの中身を池に沈めます。そう。ここが私の思いついた絶対に卵を守れる安全な場所。しかも、人間さんに姿を見られる心配は絶対にありません。
 なぜなら。
 ここは私の家のすぐそば。
 そして。
 ここは人間さんには絶対に来られない場所。
 フェアリーランド。すなわち…妖精の国と呼ばれる、人間さんには異次元の世界だからです。
 位置的には天国の一部ということになりましょうか。時間の働きが違うのでここのみんなはとても長生き。
 私だってもう既に200年以上生きているのです。そして多分、あと800年は死なない。ケルト(紀元前イギリスに居住した民族)の伝説に出てくる常若の国ティル・ナ・ノーグと似た感じと捉えて下さい。
 説明はこれくらいにして。
「はあ…」
 私はもう一度のため息と共に、ボウルを戻しに家に向かいます。この卵はこれでいい。
だけど。
 今後の卵はどうしよう。
 それ以前に現象の原因は。解決法は…。
 その時。
〈どうしたんですか?悩める乙女って雰囲気ですけど〉
 ダイニングのテーブルにボウルをコロンと転がしたところで、軽妙な“声”がかかります。
玄関口に大きな鳥…猛禽。
 近所に住んでるトビ(とんび)の男の子。現在独り立ちの修行中でよく遊びに来てくれます。
「ちょっとジンセイに疲れちゃって」
 私は椅子に座って彼に言いました。私の家は…こういう言い方が適当かどうか判りませんが木造平屋建て。いわゆるログハウス風と捉えていただければ結構です。ただ古い家なのですでに柱も壁も材木が黒光りしてますが。
〈深刻そうですね〉
「まあね。どうやって解決したらいいか皆目見当も付かない」
 すっかり冷めたジャスミンティを一口。
 すると。
〈だったらガイア様に相談してみては如何ですか?〉
 トビの彼があっさりひとこと。
「へ…」
 私は目をしばたたきました。
 ガイア様。ご存じの方もいるでしょう。ギリシャ神話で“大地の女神”として伝わる方で、このフェアリーランドの女神様でもいらっしゃる方です。すなわち

 この星、地球の精霊。

「…」
 私はしばらく言葉を発せずトビの彼を眺めます。普段一人でいるせいか、誰かに相談するという発想が思いつかなかったのもさることながら、その相手がガイア様というのも思いも寄らなかったこと。
〈一人でどうにも出来なかったら相談すればいいんです。そして判らないことは判るひとに訊く。違いますか?〉
「…そうだね」
 私は彼を見て頷きました。そう彼の言う通り、判らないなら判るひとに訊いてみる、単純なことです。
 そして恐らく…相手がガイア様というのは正しい選択。
 ご存じでいらっしゃるだろうし、
 きっと相談に乗ってくださる。
「ありがとう」
 私は彼に言いました。元気が出てきます。悩む脳は一つより二つ!(ホントかな?)
 彼は嬉しそう。
〈お役に立てまして?〉
「立った立った。うん。ガイア様に相談してみるよ」
〈よかった…エウリディケさんにはいつもいろいろ遊んでもらってるから、たまには役に立たないとね〉
 彼は(心の中で)笑顔を作って言ってくれました。
 さて私はガイア様にアポイントを求めることにします。基本的には王宮にいらっしゃるのですが、何せご身分がご身分で、ここだけの女神様というわけではありませんから、お会いするのは簡単ではありません。
 とりあえず王宮受付にテレパシーで問い合わせ…。
〈OKだよ〉
 あっさり返答。
〈というか予感がおありだったみたい。必要とされているので尋ねられたら教えてっておっしゃってた〉
〈私を?予感されてた?〉
〈だと思う。重要なことなんじゃないのかな。とにかくいらっしゃいよ〉
〈…判った〉
 私はすぐ行くことにします。ちなみに相手の口調が馴れ馴れしいのは私の知り合いだから。私は王宮科学アカデミーの出で、今も研究員として籍を置いているので王宮自体にはちょくちょく行くのです。
「というわけで行ってくるよ」
 私はトビの彼に言いながら家を出ます。ドアを閉めて翅を伸長。
〈いいなあ、透明で長い翅〉
「ふあふあ羽毛の頑丈な翼も魅力的だよ」
 私は言い、彼と共に飛び立ちます。王宮はここから私の翅で20分。
「じゃね。ありがと」
 空中で彼と別れ、太陽を左手に見る方向へ向かいます。
 王宮があるのは山間の湖のほとりです。眼下に広がるのはしばらく草原。
 穏和な眺めに居眠り飛行(!)しそうになるころ、なだらかだった地表が波を打ち出し、やがて前方に山並みが姿を見せます。尾根と尾根の間に進み、森を越え、川に沿って飛び、霧の多い谷を渡って。
 次第に土地が高くなるのを気温の低下で感じます。
 そして、一山越えて着いたのは涼しい風の吹く湖のほとり。
「はあ…」
 私は降り立つと、翅を縮め、水辺を埋めた短い草の中に立って、しばらく風景に見とれます。
 それは緑濃い山をバックに立つ古代ギリシャ風の神殿。
 パルテノンの丘からそっくりそのまま持ってきたような、ため息の出るほど高貴で豪奢な作り。
 これがガイア様の王宮です。ちなみにこの王宮神殿、実際の古代ギリシャのものにはカラフルに彩色がされていたようですが、この王宮は大理石の地肌そのままの白亜の建物です。緑の中に建っているので、あえて色付けしなかったのでしょう。
 息が落ち着いたところで王宮へ歩いて行きます。ちなみに中にはアカデミー付属の図書館や…知っている方は知っている“管理部門”もあるので仲間の一人にも出会いそうなものですが、今のところその気配はなし。
 ごく低いステップを数段上がってエントランスホールへ入ります。中はがらんとしていて、奥の方は毎度のことですが薄暗くてよく見えません。静かに整然と並ぶエンタシスの柱。
「ああ、ディケ」
 背後から声がかかり、私と同じ白いトーガの女性がこちらへ歩いてきます。
 私より年上の“お姉さん”という言葉がぴったりする美人の名はミレイさん。先ほどテレパシーで相手をしてくれた知り合いとはこのひと。
「あのね、ガイア様いつでもどうぞって。ただ“声”だけですけどって」
「判りました」
 言伝に私は頷きます。“声”だけ…すなわち直接はお会いできないわけでちょっと寂しいですが、今日の用事はお会いできるかどうかには無関係。
「こっち」
Baria2  ミレイさんは私を…王宮に二つある回廊の向かって左側、正式呼称東回廊へと先導します。この回廊を通って行く場所はただ一つ、ガイア様の謁見室。
 王宮の最も奥まった場所へ行きます。2回直角に曲がり、外光が入ってこない位置。
 大きな、…観音開き…ですね、日本風の表現をすれば。木製のドアがあります。
私は立ち止まってドアを見上げます。
〈どうぞ〉
 意志の声がありました。
 ミレイさん私を見て首を小さく傾けます。それは“どうぞお入りなさい”の意。
 私は目で頷いて木のドアに…触れます。
 触れただけでドアは音もなく開きます。中は曇り空の明るさ。但し照明があるわけではありません。
 中に入ります。ドアが閉まり。室内には私一人…。
 音はありません。しんとしています。見回すと…広さはこれも日本的に表現するなら6畳、になるのでしょうか。ふかふかの赤いカーペットが敷かれており、部屋の四隅にはコリント様式の装飾を持つ円柱、天井は円筒の内側のように湾曲していて星座の絵が描いてあります。そして正面、一段高いいわゆる玉座のある位置には、カーテンが下がっていて人の気配はなし。
 ではなく。
〈お待ちしていました。…ご相談がおありとか〉
 気配が生じ、意志の声が私を迎えてくれます。そうガイア様の声。暖かく柔らかな…春の陽射しのようなガイア様のお声。
 しかし。
〈ごめんなさいね。今、別の時空におりますので…〉
 “声”だけはやっぱり正直なところ少し寂しい感じ。
 そこで私は目を閉じます。こうすれば声が聞こえるだけ。何せテレパシーの声は聴覚中枢に直接聞こえますから、とても身近に感じられるのです。
「いえ、お話を伺っていただけるだけで光栄です」
 私は気持ちを素直に言葉にしました。
 するとガイア様は意志で微笑みを示されて…。
〈そう言っていただけると気持ちが軽くなります…〉
 という言葉と共に、私に相談内容を意志でお尋ねになりました。
「はい…」
 私は答えて…記憶と気持ちをガイア様にお見せします。
 ガイア様はそれをご覧になりました。
 そして。
〈…判りました。それはちょっとすぐに判る内容ではありませんね〉
「はい」
〈では…そうですね。あなたがお思いのように、環境に要因があるなら、それなりの装置で調べてみればよいと思いますがいかがでしょう〉
 それを聞いて、私は思わず目を開いて玉座を…姿はないのに…見てしまいました。
「装置…ですか?」
〈ええ。こちらです〉
 言葉と共に“下を見て”という示唆。
 私は真下の絨毯に目を向けます。と、手のひらサイズの手帳のような平たい機械。
 コンピュータ。
「へ…」
 私はそれを手に取ります。蓋を開くと液晶画面とキーボード。やはり小型のコンピュータです。
 そして画面の表示によると、この中には環境に関わるあらゆる“標準値・自然のままのデータ”が収められており、測定する環境で標準から外れるデータを検出すると警報を出すとのこと。
 もちろんコンピュータですから、使う側の工夫次第で他にも色々応用可能。
「なるほど…」
〈それで調べてみては如何でしょう〉
 ガイア様はおっしゃると、私が返事をする前に気配を消されました。
 ガイア様、ありがとうございます。これを使ってみることにします。

3

 その晩。もう夜明けに近い頃。
 私は再び、カエルのお母さんが卵を産んだ池に来ました。
〈妖精さん〉
 同じお母さんが私を見つけて声を掛けてくれます。そして傍らには別のお母さん。
「こんばんは、初めまして。エウリディケといいます」
 私はもうひとりのお母さんに挨拶しました。そして。
「あのね…」
 と、生き残った卵の処置について、ふたりにテレパシーで伝えます。そして別のお母さんには、今日は一旦産卵を待ってもらうか一時的に同じ処置にして、原因と対策をきちっと施してから安心して…。
〈ああ。それなら彼女、さっき自分の卵を…〉
 先のお母さんが言いました。
〈はい…〉
 もうひとりのお母さんが頷きます。お母さんは更に。
〈それで…彼女から聞いたんですけど…異常について調査なさってらっしゃるとか?〉
「うん」
 私は頷くと、借り受けた文明の利器を袖の中から取りだしてふたりに見せました。
「異常検出装置」
〈はあ…〉
 ふたりはまるで蒸気機関車を初めて目にした幕府の役人みたいな顔。
〈それで…判るんですか?〉
 と、もうひとりのお母さん。
「私ひとりよりはマシだと思う。とにかくこれで調べてみたい」
 私は言いました。ちなみに画面を開くと…びっしり並んだ文字と数値の中に、恐らく排気ガスの成分でしょう。難しい名前の物質が検出されていますが、異常な数値ではありません。
〈私の卵で調べていただけますか?〉
 もうひとりのお母さんが言いました。
「え…」
〈みんなのためです。ひょっとすると私の卵は全滅かも知れない。でもみんなの卵がダメになるよりはずっといい〉
「そんな…いいよ。これで一日の大気の成分調べるだけだから。あなたの卵はまだ産んでいなかったことにして私が…」
〈それではいけません。私のだけなんて不公平です。それに、機械の反応と卵の反応は違うかも知れない〉
 もうひとりのお母さんは言うと、私の傍ら、土のくぼみに身を丸めました。
〈そうそう。さあしっかり見届けましょう〉
 それを見て先のお母さんも土を掘り始めます。どうやらふたりとも何を言っても聞く耳を持たないみたいです。仲間の、種族の将来のためなら。

 “母親”てなんて強いんでしょう。

「…判りました。でも」
〈判ってます。無理はしません。時間がかかるようなら彼女と交代で見に来ますよ〉
 先のお母さんが掘った穴に入りながら言いました。
 ふたりと一緒に監視を始めることにします。機械があるので身体を小さくすることは出来ません。高い草の間にしゃがんで、コンピュータにデータの記録を開始させます。ちなみにこの装置、画面に出てきた説明によれば“標準値を越えたり下回った場合、警告音を出す”とあります。私はデータの異常はコンピュータに任せることにし、昨日同様目を閉じ、超感覚で命の変化を追いかけます。
 時間が経過。
 夜が明けます。確か昨日変化が生じたのは、朝と昼の中間、10時くらい。
 私は待ちます。人間さん達の生活の音。
 行き過ぎる幼稚園バス。
 子供達を送り出したお母さん達がそれぞれ家に向かいます。
 その時でした。
 コンピュータがブザー音を発します。
 警告!
「えっ!」
 卵に異常はありません。私は何ごとかと慌てて画面を見ます。
 すると。
 “異常値観測・UV”
 UV…UltraVaiolet(ウルトラバイオレット)。
 紫外線。
「…」
 再び警告音。今度は前よりブザーが長い。
 途切れる。少ししてまたブザー。もっと長い。
 以降、だんだんブザーの鳴る時間が長くなり、途切れる時間が短くなります。
 そしてついには鳴りっぱなし。
「…」
 私はそれから一つの可能性…疑いと言うべきでしょうか…を抱きます。
 それはそう、この池で生じた、“卵が孵化しない”事件の犯人がこの紫外線ではないかということ。
 実は紫外線は生物にとって無害ではありません。エネルギーが強く、細胞の奥まで入り込み、細胞の最も重要な部分、遺伝子を破壊してしまいます。これにより細胞は正常な分裂が出来なくなったり死んでしまったりします。このため、生物たちはその対策と言える機構を進化論的に獲得していて、例えばカエルの場合、光分解酵素という酵素で紫外線の影響を抑えているのですが…。
 こうした、自然に得た防衛機構が効力を有するのは、自然のままの、すなわち、“標準的な”紫外線に対して。
 ご存じの方も多いと思いますが、現在地表に降り注ぐ紫外線量は着実に増加しています。これは、地球自身が大気の中に持っている紫外線吸収層…オゾン層が破壊されつつあるせいです。
 なおかつ、現在…すなわち20世紀末は、11年周期で訪れる太陽活動が最も活発な時期にあたります。すなわち太陽自身が放射する紫外線量も増えているのです。
オゾン層…言うなれば地球が用意した“命のバリア”が薄くなったところへ、紫外線が増加する。
 全地球規模で起こっている“カエルの激減”と、全地球規模で進んでいる命のバリアの破壊。
 両者を結びつけるのは、早計でしょうか。
「…」
 程なく私は昨日と同様、卵の成長が次々停止してゆくのを感じ取ります。
〈妖精さん、ダメですよ〉
 思わず立ち上がった私を制したのはもうひとりのお母さん。
〈あなたのお気持ちはとても嬉しい。でもそれはあなた達に許されてはいないはず〉
 その言葉に、私は意に反して足を大地に釘付けにされた気分になります。
 お母さんの言う通り。私は卵を救い出したい…しかしそれは許されない。
 なぜなら、オゾン層破壊は意図的になされたものでないから。
 確かに人間さんの活動に起因した現象かも知れません。しかしそれは破壊を意図した活動の結果ではないのです。人間さんは人間さんで、暮らしを豊かに、生活を楽にしようとしただけ。それは生き物として当然の意識であって。

 すなわち、それも、自然の成り行きの一部。

 そういう場合、私たちは手を施すことは許されないのです。なぜならここはフェアリーランドではない。
 人間さんの住む世界。
〈妖精さん〉
 もうひとりのお母さんが続けて言います。
〈あなたが今考えているように、卵を運んでくださるのだとしたら、あなたは種族全ての卵を運ばねばなりません。私たちは種族の繁栄のために生きているのであって、私の卵だけが助かって欲しいのではないのですから…〉
 私はゆっくり頷きました。
「ごめんなさい…」
 思わず口をついて出る言葉。すると先のお母さんが。
〈どうしてあなたが謝るのですか。あなたは私たちのために可能な最大限をしてくれました。私たちはそれをとても嬉く思います〉
 その言葉に私は思わずお母さんを見ました。
「でも…」
〈私たちはオゾン層がどうのという難しいことは良く知りません。でも、人間さん達はそのことに気付いているのでしょう?卓越した技術でここまでの世界を作り上げた種族です。きっと何とかしてくれますよ〉
 慰めてくれてる…私は気付きます。恐らく、お母さん達には私が今思っていることが見えているのでしょう。
 すなわち。
 オゾン層が形成されたのは6億年前であり、地球が生まれてから実に40億年もの歳月を要していること。
 未だ科学で制御不能な大自然が、それだけかかって作り上げたものが、科学の力で簡単に元に戻るとはとうてい思えないということ。
 悲観するなと言われても、希望は持てない。
 と、思った。
 その時、でした。
「あ」
 私は、もう一つの解決の道が突如示されたことに気付きました。
 そこに目を向けます。それは、死滅してしまったと思われた卵の塊。
 その中に、わずかはありますが、この強力な紫外線が降り注ぐ環境下でも生き延びているものがあるのです。
 それは、葉っぱの下に入っていたとか、そういう偶然の産物ではありません。この紫外線を受けながらもしっかり耐え、生まれ出るための細胞分裂を続けている個体があるのです。
 もう一つの解決の道。
 それは地球生物、DNAを遺伝に使う生命体特有の現象。
 “突然変異”。
 すなわち、“進化の予兆”。
「…」
 私は涙でも出そうな気持ちでその認識に頷きます。そう。生物がこのように多種多様に分化・進化し、地球のどこにでも住み着けるようになったのは、この突然変異がもたらす“進化”という能力のゆえ。
 過去幾度となく訪れた“大量絶滅”の危機を乗り越え、この地球を“生命満ちあふれる星”にしたのは、命が持つ進化の力。
 他ならぬカエル達だってそうです。白亜紀末の大絶滅、度重なる氷河期…彼らはそれらをくぐり抜け、ここにこうして生きている。
 なら、多分…
「頑張ってる…」
 私は呟きます。そして涙を引っ込めてゆっくり深呼吸します。
 諦める必要はない。
 そう多分、いいえ恐らくない。
「命の潜在能力に任せてみようか」
 私はお母さんの達に向かって言いました。
「命は…そう、思ったよりも弱くない。だから、今、あなた達の種族は減り続けてるけれど、なくなることは絶対にない。一時的に少なくなったり消滅する種もあるかもしれないけれど…。
 また、そこから増え続ける。実際、あなた達の種族は幾度も訪れた大量絶滅の危難を乗り越えてここにこうして生きている」

「だから、大丈夫」

 私はお母さん達と共に、私自身にも言い聞かせるように言いました。
 命は強い。
 その旺盛な環境適応力が有効に作用するうちは。
 だから、望みは捨てなくていい。
 命という名のパンドラの箱にも、“希望”は最後まで残ってくれている。
 私は、それを信じたい。ううん、信じていい。
 命は常に進化している…。

命のバリア/終

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【妖精エウリーの小さなお話】枯れ葉の森の小さな事件

 11月。
 山の斜面に広がる森は、敷き詰められた枯れ葉がまるでカーペットのよう。
 そして、枝だけになった木立の間からは、青く、高く、澄んだ空が、遠いところまで、ずっと、ずっと続いています。
 そんな、良く晴れた日。もうすぐ夕方かな、くらいの時刻。
「ね。何してんの?」
 かわいい声が後ろから掛かったその時、私は、木の幹にあいた穴に、上半身を突っ込んだ状態でした。
 その瞬間の率直な感想は“しまった!”。…というのも、本当ならそういう場合、逃げるか消えるかしなくちゃいけないからです。でも、体勢上、それはちょっと無理。
 仕方ありません。とりあえず身体をそこから出すことにします。肘を使ってずるずる下がって。
 穴の入り口に手を掛けてぶら下がり、振り返ります。
 すると、私を見つめる、好奇心の強そうな、黒く輝く大きな目。
 小学校の2年生くらいでしょう。黄色い帽子にスモックを着、小脇にスケッチブックを抱えています。そして、スモックの下からは、高級そうな生地で出来たブレザースカート。
 どこの私立校でしょうか。ショートカットの女の子。
「ねえ」
 彼女はその黒い瞳に、白い服の私を捉えたまま、もう一度尋ねます。この時、彼女が“夢か幻”とでも思ってくれれば、私としても“夢か幻のように”消えることが出来たんですが、彼女はそのようには思っていません。
 まるで、図鑑でしか見たことのない鳥に出会った、そんな感じで私を見てます。
 それはつまり、私が何か判っているということ。いつか会えると思っていてやっぱり会えた、そんな風に思ってくれてるということ。
 しょうがないな…私は少しの間、彼女の好奇心に付き合ってあげることに決めます。もちろん掟破りで、“管理部門”にバレれば大変なことになるんですが、ここで消えたら多分彼女泣いちゃうでしょう。私も分類上は女の子のなれの果てですので、そっちの方がイヤです。
 私は笑うと、
「ん?ちょっとね。これ、リスの巣なんだけど、ちゃんと冬に向かって食料持ってるかなって」
 私は答えます。すると、女の子は瞳をそれこそ星のようにキラキラと光らせ、スケッチブックを枯れ草の上に置き、私に向かって右の手のひらをそっと出しました。
「妖精さん、だよね」
 ささやき声。
「そう」
 私は答えて女の子の手のひらに乗りました。その通り。私は人間さんと同じ姿の違う生き物、妖精です。今の私の身長はわずかに15センチ。
「ホントにいたんだ」
 嬉しそうな彼女に私は笑顔で頷きます。それでは自己紹介。
「私はエウリディケ。あなたは?」
「佐藤郁子(さとういくこ)(さとういくこ)」
 女の子は答えます。そして、左手の小指を、握手のつもりでしょう、私の前にそっと出します。
 私はその指を両手で掴んで握手みたいにシェイクします。まあ最も、私の場合妖精といってもギリシャ神話のニンフに起源を置くタイプなので、人間サイズになって普通に握手することも出来るんですが、郁子ちゃんのイメージはティンカーベル的“小さな妖精”…イメージを壊すのは可哀想です。
「可愛い」
 郁子ちゃんは私を載せた手のひらを、壊れ物でも扱うみたいにそっと動かし、目元に近づけてじっと見つめます。私も私でバレリーナみたいに彼女の手のひらでくるりと回転。
「あ、髪の毛長いんだ。綺麗。わあ、翅(はね)、ホントに翅持ってる。若草色なんだ」
「私のものはね」
 私は翅を彼女の指に触れさせて答えます。クサカゲロウのによく似てる、と言えば、判る人には判るでしょう。透明で細長く、緑がかっていて、葉脈のような細い筋がたくさん。
「温かいんだ」
「血の透明な成分が流れてるからね。でも、ノースリーブで腕出してるみたいなもんだから、寒い時は縮めちゃう」
「へえ…。あ、ねえ、この服なんて言うの?この…女神様みたいな白くてだぶだぶの」
「トーガ(toga)だよ。動きやすくていいよ。簡単だし」
「ふーん」
 郁子ちゃんは答えます。そしてその目がだんだん、細かいところまで見ようという観察者のそれに変わってきます。
 彼女の手がスケッチブックに伸びました。
「ね、モデル…やってくれない?」
「え?」
 私は目を瞠ります。妖精を、しかも本物をモデルに使うなんて話はおそらく史上初。
「だめ?」
 予想外のことに私が驚いていると、郁子ちゃん、拒否されたと思ったのか、ちょっと悲しげ。
 私は慌てて笑顔を作って。
「いいよ。いいけどね。本当にいいの?写生でしょ?怒られない?」
 私は言います。そしてずっと右の方、斜面のもっと下の方を見ます。そこには彼女と同じ格好の子供たちがいて、スケッチブック広げてわいわいやっています。
 私はそのことは知ってました。だから、まさかここまで来るだろうとは思わなかったんです。それで普通に“仕事”してたら郁子ちゃんに見つかっちゃったと。
「いいよ。どうせ郁子の絵、変だっていつも怒られてるから」
 郁子ちゃんは唇をとがらせ、ちょっと膨れて言うと、手にしたスケッチブックをぱらぱらとめくります。そして何枚か、着色の終わった絵を私に見せてくれます。
「ホラ、変でしょ」
 ところが。
「…へえ」
 私はそう言ったっきり、少しの間言葉を失いました。
 だってその絵は、変どころか、郁子ちゃんが大変想像力豊かな女の子であることを物語っていたからです。それはたとえば、どこか遠い、寒い国の氷のお城。森の中で秘薬を探す魔法使いの女の子。私から見ても妙にリアルな妖精。
 そういったモチーフが…技法は良く知りませんが大変緻密なタッチで文字通り“描写”されています。
 思わず見つめてしまう。そんな感じ。
「素敵…」
「ありがと」
 郁子ちゃんは小さく笑いました。でもすぐに笑顔は消えて。
「私はさ、『描きたいもの描きなさい』って先生が言うから、描きたいもの描いたんだよ。そしたら『もっと普通の描きなさい』って。そんなのあり?」
 郁子ちゃんは膨れました。なるほどなあと私は頷きました。昨今のガッコーキョーイクとやらは“個性の尊重”を声高に叫ぶ一方で、“違いを目立たすことはコンプレックスの発生やいじめに繋がる”とか言って、なるべくみんな同じになるようにしているそうです。具体的には、運動会の競争をやめたり、通知票への学習進度の記述を中止したり。
 でも、これは要するに相反することを同時に行おうとしているわけで、当然、その矛盾はどこかに出てきます。そして多くの場合、優先されるのは“みんな”の方で、郁子ちゃんのような本当の個性が潰されることになりがち。
 オトナの皆さん。大事なのは違いを出さないことじゃなくて、違いを認識したらそれにどう対処すべきか、ではないですか?
「でもいいんだ。私怒られても描くもんね。だってこーゆーの描いてる方が楽しいもん。みんなと同じなんて。描きなさいと言われたの描くなんて、全然面白くない」
 郁子ちゃんは言いました。ということは、私のいる方まで来たのは、描いてる時に先生にとやかく言われたくないからでしょう。
「じゃ、いい?」
 郁子ちゃんが言います。そしてスケッチブックをもう一度めくり、新しいところを出して鉛筆を用意。
「始める?」
「うん。とりあえずその辺立ってみて」
 私は、郁子ちゃんが指先で“その辺”と指示した辺りに立ちます。
「何かポーズ取る?」
「ちょっと待って。…枯れ葉だらけのところにひとりでいると寂しい感じなんだよね…リスか何か隣りに描こうかな」
「呼ぼうか」
 郁子ちゃんの言葉に、私はそう提案しました。
 すると、今度目を瞠ったのは郁子ちゃんの方。
「呼ぶって…リスを呼べるの?」
「もちろん。妖精ですから色々魔法持ってますよ」
 私は答えます。そして、首に掛かっている金のチェーンをたぐると、さっき穴の中で引っ張り出せなかった、青い石のペンダントを手に取ります。
 それはいわゆる“魔法の石”。仕組みの説明は…理屈っぽいからやめましょうね。
「ちょっと待ってね…」
 私は青い石を手に目を閉じます。さあ、一緒に想像してください。空に浮かぶように視点の高度を上げます。山の周辺一帯が見えるくらいまで。
 すると…すぐに見つかります。場所はコナラの木を6本離れた、コンクリート舗装の登山道の向こう。ゆっくり進むリュックサックの老夫婦を、木の根元に身を隠してじっと見ているシマリスが一匹。
 私は想像の視点から、そのリス君をじっと見ます。
 そして。
〈ねえ、悪いんだけど、頼みたいことがあってさ。ちょっと来てくれない?〉
と、心の中で言葉を紡ぎ…、最近はテレパシーと書くだけで意味が通じるんですよね。
〈はい。ああ、妖精さんですね。いいですよ。どこです?〉
 私は私達のいる場所をイメージの映像で教えます。
〈ここ〉
〈判りました〉
 リス君走り出します。私達妖精に呼ばれた場合、大抵の動物がこうした反応を示します。これは私達の仕事が基本的に彼らの相談相手で、たまに命を救ったりすることもあるので、彼らとしても妖精の要請(シャレじゃありませんよ)にはなるべく応えたい、という意識があるみたい。
 と、程なく、リス君が枯れ葉の上をカサカサ言わせながら、全力疾走でこちらへやってきました。
「あ、本当にリスだ。へえ」
 郁子ちゃんが驚き半分、感心半分でリスを見ます。
 そこで私は魔法の石に太陽の光を受け、郁子ちゃんのおでこにキラリと反射。もちろん小細工。
 リス君が私達を見付けて止まりました。
〈で、なんです?ゲ、人間の女の子じゃないですか〉
〈そうだよ。お友達だもん〉
〈いいんですか?〉
〈いいんですよ。それでね、頼みたいのは、私と一緒に、彼女が絵を描くモデルをして欲しいってことなの〉
 私の言葉に、リス君、立てていたふさふさの尻尾が“呆れました”とばかりに地面にパタリ。
〈何を言い出すかと思ったらよりによって何たることを〉
〈いいじゃない。減るもんじゃなし。ちょっと協力してよ。世界唯一だと思うよ〉
〈だめですよ。私エサ集めてる最中なんだから〉
〈そこを何とか。ね〉
〈勘弁してください。知ってるでしょう。今年天候不順で木の実少ないんだから。なるべく時間の許す限り探したいんですよ〉
 リス君必死です。確かに彼の言う通り、この年1999年は、暑い、雨多い、加えて秋になっても夏のまま、という全くの天候不順で、ドングリなどの木の実は不作。
 おかげで冬眠する動物たちは大苦労。特に身体の大きなクマなんか、“ついうっかり”人間さんの村や町にエサ探しに行ってしまったりして、私達も大変です。
 私がリスたちの巣を回っているのもそのため。
 だから。
〈…お願いですから勘弁してください。他の妖精さんに言いつけちゃいますよ〉
〈タダとは言わないからさ〉
 解放されたくて焦るリス君に私は言うと、だぶだぶトーガの袖口に手を入れて、ドングリを一個取り出します。
 そして右手に持って彼に見せます。
〈これでもダメ?〉
 リス君、一瞬目の色変化。
〈買収…ですか?〉
 私は頷きます。そしてそれを見て郁子ちゃんがくすくす笑い。
 実は、私達のテレパシーの会話は彼女に筒抜けになっています。先ほど彼女に光を当てた小細工はそのため。
〈…いやいやダメです。本当に今年は探すの大変なんですから〉
 リス君去りかけます。そこで私は、手品の手法ですかさず2個目。
〈う…。でもウ