理絵子のスケッチ

【理絵子の夜話】聞こえること見えること-01-

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 成績は良かったと記憶している。通知表を覗いたわけではないが、返ってきたテストの答え合わせで修正している様子はなかったし、授業中当てられると必ず正解した。英語の発音など流暢なものだ。でも、彼に対するクラスの評判は決して良くはなかった。
「おかしいんじゃない?」
 隣の席に座っている女子の一人は、理絵子(りえこ)に対して眉をゆがませ、そう訴えた。
「授業中もぼーっと外見てるしさ、呪文みたいにぼそぼそ何か言うこともあるし、ずっと隣にいるとこっちの頭が変になる。なんとかならない?」
 それは、なんとか“ならない?”ではない。学級委員である理絵子になんとか“しろ”と言っているのだ。似た声は他の女子からもあり、放っておけばクラスに不協和音が生まれるのは必至の情勢。
 とはいえ一体どうしたものか。男子の委員の糸崎(いとざき)にも言ってみたが『無視すりゃいいじゃん』の一言。この辺り男女の“気にする部分”の違いが出ているのか。でもだからって自分がいきなり『あんた変だよ』と言うわけにも行くまい。
 困る理絵子が担任に呼び止められたのはその日の帰宅前。
「ちょっと時間いいかしら?彼のことなんだけど」
 担任にも級友からの訴えは届いているという。しかし、成績もいいし、いわゆる非行もない。誰か傷つけてるわけでもなし。学校側として動かなくてはいけない理由はないとの話。
「繊細、なんじゃないかな、とは思うのよね。経験的に。だから、変とかそういう先入観で彼と接すると感づいて傷ついてしまう気がして。その点で糸崎だと……」
 だから黒野(くろの)さん、あなたにお願いできないかしら?……厚塗りファウンデーションの顔にそう書いてある。自分の母親より年上で、教育のプロであるはずの存在が、自分を頼るのはいかがなものか。だが、いきなり“先生”が出てくるべき内容ではないという判断だろう。ちなみに、糸崎はアミダくじで決まった委員である。
「あなた、勘がいいし、随分助かってるわ。それに、教員がこんなこと言っちゃいけないけど、あなたみたいに可愛い……」
「判りました。話を聞いてみましょう」
 理絵子は長々した説得の言を聞かされる前に承諾した。相手は大人。仮に断っても、家康の秀吉攻めみたいに外堀を埋めて、自分がやらざるを得ない状況を作るに決まっている。
「ありがとう。ごめんね」

(つづく)

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【理絵子の夜話】午前二時の訪問者 -20・終-

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 田島綾が口をとがらせ、二人の間に割って入り、同様に後ろを向いて、シャンプーのCMよろしく気取って頭を振るが。
 彼女の髪はいわゆる“おかっぱ”であり、しかも巻き毛なので、黒髪サラリ、には、原理的にならない。
 大人達がクスクス笑う。
「いやいや綾ちゃん。女の子は変わるぞ。コイツだって」
 と、主人氏、女将さんを指差すが。
「ひど。それって『今はひどいから変われ』って言ってるのと同じじゃん」
 このセリフに本橋美砂はついに吹き出した。
「あはは……」
「うわー、花咲くみたいに笑うね。あんた」
「いい笑顔だ。黒野さん。この子もらった」
「さぁさぁいらっしゃい。今日からここがあんたの家。まぁ最初のウチは色々あると思うから、遠慮無く言って」
「そうそう。オレも屁たれたり鼻ほじったりパンツ一丁でうろつくかもワカランがまぁ気にするな」
「いやそりゃあんたレディの前で失礼」
「娘に気を使う親父があるもんか。あ、荷物は2階に入れてあるから好きに散らかしな。あとスピーカーの箱があったけどあれ箱だけ……」
 夫婦は本橋美砂の背中に手を回すと、漫才を続けながら、半ば強引なくらいに黒髪の少女を宿の中に案内した。
 本橋美砂がおっかなびっくりと言った調子で、漫才夫婦を交互に見やる。マシンガントークのせいで、余計なことを考えるヒマがないのである。
 そのスキに女将さんがちらりと振り返り、ぺこりと頭を下げる。
 後はお任せ下さい。の意であると理絵子は判断し、会釈を返した。こういうのはグダグダ別れを惜しむものでもない。
「こちらのご夫婦に任せましょう」
「りえぼーのそういう表情、ドキッとする」
 田島綾のコメント。
「え?」
「ここという場所がそうさせるのかも知れないけど、本当に巫女さんみたいなんだよ」
 澄んだ水と冷涼な山間の空気。気が引き締まるような感じを覚えるのは確かだが。
 父親がクルマのドアを開ける。
「じゃぁ、あとは塙さんにお任せして。田島さん、もう少しいるかい?」
「あ、いえ、かまいません。行きましょう」
 二人は乗り込み、父親がクルマをスタートさせる。
 理絵子は後席で振り返り、同様に宿の2階窓からこちらを見ている本橋美砂と顔を合わせる。
 この出会いは、きっと何かの始まり。

(午前二時の訪問者/終)

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【理絵子の夜話】午前二時の訪問者 -19-

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 本橋美砂がクルマから降り立つ。すらりと背が高く、小造りな顔立ちに切れ長の目。“純粋培養”とでも表現したくなるほど肌の色は白い。降車に伴い屈んだ背中に長い黒髪が流れ、陽光を弾いて弧を描く。手足がほっそりしていて長いせいか、立ち居振る舞いは演出しなくてもエレガントだ。ただ、薄幸そうに見えるのは、本人の心理状態もあり、仕方がないか。
 果たして宿主夫婦は目を剥いた。
「うわ~本当に美人さんだわ。息が詰まりそう」
「透き通るみたいだなぁ。天使じゃあるまいね」
「こんな子いるんだねぇ。いや参った。あんた本当に美人だよ。売り上げ伸びるわこりゃ」
「お……恐れ入ります」
 夫婦の破格の誉め言葉にさすがに照れたか、本橋美砂は頬を赤らめてぺこり。
 と、さらりと肩から流れ落ちる黒髪。
「おおすげぇついぞ見たこと無いぞこんな黒髪」
「理絵子ちゃんも伸ばしてたよねぇ」
「え?ええ、まぁ」
 急に話を振られて、今度は理絵子の方が照れながらくるりと後ろを向いた。
 同様に伸ばしているが、校則の関係と、実際問題ダラ伸ばしではいろいろ面倒な場合があり、軽くまとめて白いりぼんで止めている。
「この子巫女装束着るとすっごいのよ。凛としてて」
 女将さんが手のひらをパタパタさせて本橋美砂に話しかける。まるで井戸端会議の『ねぇちょっと奥さん聞いた?』を思わせる仕草だ。
 本橋美砂があっけにとられているのを理絵子は感じる。見知らぬ娘の歓迎会が漫才というのはそう無い。
「おばさまそんな大昔の……」
 理絵子は合宿時の出来事……詳細略……を思い出して赤くなった。本橋美砂の心が、極地を離れた氷のように、次第に溶けてゆくのを意識する。
「凛と……かもね」
 本橋美砂は、微笑みを浮かべて理絵子を見、自らの髪の毛を指でなぞった。
 女の子同士髪の毛談義……それは恐らく、この年上の薄幸の少女には存在しなかった過去。
「何この疎外感。えーえーどうせ私はくせっ毛のデブですよ」

(次回・最終回)

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【理絵子の夜話】午前二時の訪問者 -18-

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 夜が明けた。
 本橋美砂が非常な高熱を発したこともあり、そのまま数日、彼女の身柄は黒野家で預かった。その間に田島家とは一通りやりとりし、理絵子はその特異能力を持って、本橋美砂との和解を得た。
 そして、主旨を本橋美砂に説明。
「民宿の仕事は主に朝と夜だから、日中は普通に高校に通いなさい。県境越えるから片道2時間だけどそれは勘弁。学費は田島さんところが保護者として奨学金を申請した。認められて支給されるまでしばらく掛かると思うけど、それまではウチが持つ」
 理絵子の母親はそう言い、預金通帳と印鑑、キャッシュカードを本橋美砂の前に出した。
 本橋美砂は仰天の面持ちで母親を見た。
 何と言っていいのか判らないのである。幼くして両親に先立たれ、兄が泥棒行脚では、期待通りの返事など来ようはずもない。
「ありがとうって受けとりゃいいんだよ」
 母親は笑って言った。
「あ、ありが……とう」
「澄んだ声してるじゃない」
「え……」
 そして冬休み最終日。
 黒野家のクルマには、家族3人および本橋美砂、ぽっちゃり体型でメガネを掛けた田島綾。最近そばかすが出てきたとかで、三重苦だと悩んでいる。
 舗装のひび割れた細い道を通り、民宿“旅荘塙(はなわ)”へ。木造2階建て瓦屋根。若干寒冷地に属し、北側の壁際には大きな灯油タンクが設置してある。
「お待ちしてました」
 出迎えたのは女将である割烹着の女性と、主人である作務衣姿の男性。
「おじちゃんおばちゃん!」
「綾ちゃん久しぶり。で?どこ?その超美少女は」
 女将さんが興味津々。
「目の前に」
 田島綾は自分を指さした……彼女はギャグマンガが大好きである。
「あらまぁ確かに美少・女だわ」
 女将さんが大げさなアクションで応じる。
「どうしてそこで区切るの?ひどいわひどいわぷんぷん。はい。じゃぁ大公開、超美少女なお姉さん。本橋美砂さん」
 理絵子は綾を連れてきて正解だったと今更思った。そもそも付いてくると言い出したの自体は綾本人ではある。「仲介役だから」。確かに、この宿との付き合い始めは、クラブの夏合宿の場所に困っていた彼女たちに、綾が掛け合ってくれたことによる。
 今回は大人同士の契約事ではあるが、理絵子が来て綾が来ないは不公平だろう。
 でも、彼女の徹底的なボケっぷりは、初めての顔合わせや本橋美砂の心境、それらがもたらすであろう“気まずさ”を回避するのに極めて都合がよい。

(つづく)

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【理絵子の夜話】午前二時の訪問者 -17-

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 とんでもない能力だと理絵子は思う。人の思い・考えを操って幻を見せるのだ。SF小説そのものである。しかもそれ以上に凄いのは、自分自身は深夜の道を自分の家へ歩きながら、ということ。いや、玄関が施錠されていたことからして、歩いてきたのではないのかも知れない。
 部屋に来る連中は、「霊的なものがうろつけば、痕跡が残るので気付く」と言った。しかし、この方法では痕跡は残らない。
 同じく理絵子も異変とは気付かないであろう。父親にとって幽霊は現実そのものであり、意識を操作されたとは思わないからだ。父親が“違和感”を抱かないならば、父の意識を見ている理絵子にも、違和感は感じ取れない。
「テレパシー使ってマインドコントロールしていたと言うこと?」
「有り体に言えばね。でも、危ない子、なんて思わないで」
 理絵子は母親の意識を読んで制した。
「どうして?」
「だからこそ。穏やかな心でなくちゃならない。彼女はそもそも、身勝手な親の犠牲者。今、私を助けてくれた母さんの力は、包丁に立ち向かう力を与えたのは、私を助けようとしてくれた母さんの思い。それと全く逆の作用で、強い怒りや憎しみが、彼女の強大な力を解き放った」
 理絵子は羽織っていたジャージを丸めて本橋美砂の頭の下に敷き、次いで母親にガウンを脱いでもらい、肩に着せた。
 そして。
「彼女の、父さんが原因だという思いは拭い去ることは出来ないでしょう。だったら、ウチは彼女を突き放すことはできない。しちゃいけない。出来れば、ウチで今後の保証をしてあげたい。そうすれば、後は、時間に任せられる」
「保証って簡単に言うけどどうやって?養子にでもしろ?」
「ううん。綾(あや)のおじさんおばさんが経営してる民宿で、バイト欲しいって言ってたの。住み込みでお願いできるかなぁって」
 綾とは、学校で理絵子と同じクラブに所属している娘、田島(たじま)綾のことである。
「それは無茶じゃない?」
「彼女に必要なのは、両親という存在」
 理絵子の言葉に、母親は頷いた。
「判った。でもそうなると、この子と、田島さんとこと、大人同士の話だ。預からせてもらうよ」
「うん」

(つづく)

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【理絵子の夜話】午前二時の訪問者 -16-

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 自分を殺そうとする少女と、それを止めようとする自分の母親。
 母が危ない!
「臨兵闘者皆陳列在前!(りん・びょう・とう・しゃ・かい・ちん・れつ・ざい・ぜん)」
 反射的に、理絵子はそう唱え、中空に手指で碁盤の目状の幾何学模様を描いた。密教の護身の真言(呪文)
 途端、スイッチが切れたように、ブレザーの少女から力が抜け、目玉が上を向き、手足がぐにゃぐにゃになって崩れるように倒れ込む。
 その手からポロリと滑り落ちる包丁。
 理絵子は、中空から自分に向かって一閃に落下してくる包丁の柄を、空中でつかみ取った。
 瞬間、バチン!という、電気のショートに似た鋭い音が鼓膜を撃つ。
“力界”が去った音だと理絵子は理解した。
 どさっと音を立て、失神した制服の少女がくずおれ、横たわる。
 理絵子は包丁を父親のベッドの下へ。
 一安心。母親が激しく息をしながら座り込む。ネグリジェにガウン姿で汗びっしょり。
 午前2時。
「この子は、この子は一体……」
 母が問い、同様に時計を見やる。
 午前2時。それは夢に誘引された魍魎が跋扈する、闇の支配下。
「生霊。つまり彼女は超能力を持ってる」
 理絵子は言った。その年上の少女、本橋美砂の横顔を見る。“霊的な”彼女と裏腹に頬がこけ、肌は青白く、まるで幽鬼のよう。恐らくそれこそ“全身全霊”を込めて父を呪い、自分を排除していたためだろう。でも、切れ長の目元など見るに及び、健康を取り戻せば、霊の姿そのままの美しい少女なのではあるまいか。
「この子が?」
 母親が目を剥く。
「うん。私が同じような能力者、と知ったからでしょう。見抜かれると判断して、私の注意を自分に向けつつ、自らの手で、父さんもろとも私も葬り去ろうとした、だと思う」
「それって、理絵子より……」
「何倍も大きな超能力だよ」
とはいえ超能力現象を扱う超心理学の用語に適切なものはない。
 本橋美砂の額に手をする。彼女はどうやら署内の警察官全員の意識をレーダのように探り、事故時の運転者が異動したこと、及び、兄に対する記憶を持つ父親の存在を知った。そして自責する父を“その通りお前のせいだ”と責めるうち、生き恥……すなわち気狂いとなす復讐を思い立った。そこで、意識に直接働きかけ、白昼の幽霊を見せるようになった。人間の脳は強い電磁波を送り込むと幻影を見るが、形而上的手法で同じことをしたのである。だが、理絵子が乗りだし、本橋美砂にとって父親の意識は霧に包まれたように見えなくなってしまった。ようやく霧が晴れたと訪れたところ、父親の意識の中に理絵子が入り込んでいるのを発見した。後は理絵子の部屋に訪れる“訪問者”と同様、自分自身の身体でこの家を捜し辿り着き、一切合切抹殺を謀った。概略、そんなところになるらしい。

(つづく)

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【理絵子の夜話】午前二時の訪問者 -15-

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 本橋美砂が包丁を振り上げる。
 後ずさりする理絵子の背中が壁の感触を捉える。
 更に背後へ行こうとするも、それ以上進む先はない。
 念動力サイコキネシスで自分を拘束しているのだと理絵子は判断した。
 本橋美砂が包丁片手に微笑む。眼光が緑色を帯び、口が鬼女のそれのように大きく裂ける。
 逃げても無駄。
「その通り……」
 本橋美砂が頭上で包丁を両手に持った。
 呼ぶ声があった。
 理絵子。その声は確かに理絵子を呼んでいた。
 理絵子。
 聞き覚えのある女の声。
 母親。
 理絵子。自分を呼んでいるのだろう。
 理絵子。起きなさい。
 理絵子。起きて。
 起きて?私はここに……ここは……。
「理絵子!目を覚ましなさい!」
 目を覚ませ。そのフレーズは理絵子に、理絵子自身が今どこにいるかを思い出させた。
 父親の夢の中。
 すなわちここは現実ではない。
 虚構だ!と意識が叫ぶ。現実と思わされていただけ、高校の敷地ではないし、念動力による拘束でもない。
 拘束できるほどなら包丁など要らぬ。
 がちゃん、と頭の中で切り替わる感覚。
 まぶたが操れると気付く。
 理絵子は目を開く。開くと眼前に眠る父の顔。
 背後の気配に理絵子は振り返る。
 思わずハッと息を呑む。

 包丁を振り上げたブレザーの少女。

 幻ではない。今の今まで夢の中で対峙していた制服姿の少女が、暗闇の中、炎のような色の目を自分に向けてそこに在り、その目線同様、包丁で今まさに自分を突き刺さんとしている。
 そして。
 その、振り上げた少女の腕を、背後から手を伸ばし、必死の形相で掴んでいる自分の母親。

(つづく)

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【理絵子の夜話】午前二時の訪問者 -14-

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 気が付くと眼前に少女がいる。ライトグレー地のチェックのミニスカート、紺のブレザー。高校生であり、その都立高校の生徒であり、その制服だ。
 激しい憎悪と敵意を受ける。名は本橋美砂(もとはしみさ)というようだ。隠す気もない、否、堂々と見せつけている。
 怖がれとばかりに。
 父が見ていた〝幽霊〟だと理絵子は知った。
『ようやくつかんだと思ったら』
 声と共に意図するところが伝わってくる。しばらくの間、父親の意識を見失い、“保護されている”のを知った。ようやく意識を再発見したところが、今度は自分がいた。なお、“保護”は、自分が父親の意識情動をテレパシーで見ていたことを意味した。すなわち、理絵子が“監視”しているのでアクセス不可能だったというわけだ。
 明らかに超常能力者の認識であり言動である。自分を睥睨するその姿は、氷のような……と形容詞を付けたくなる、大人びた印象の少女というより既に女。髪が長く、スラッとしている。背は自分よりかなり高い。
 無言で見つめ合う。相互に相手を探っている。
 すごい相手だと理絵子は思う。普通、超感覚で探られるとそれと判るものだが、一切関知させない。心から情報を抜かれないようロックしたところで無駄であろう。圧倒的に自分より高い能力の持ち主である。
 ただその代わり、理絵子の側も相手の情報を幾らか見た。
 その即死した若者の妹だ。
 そして、父を憎むに至った経緯は次の通り。
 両親が連帯保証人となり、借金を背負わされる。兄はグレて家庭は崩壊。両親は借金苦で自殺(自殺は生命保険金が支払われない)。兄妹だけが残された。この事態に兄は兄なりの方法、すなわちグレた仲間と集団窃盗で妹を養い、高校へ進学させた。そこに起こったのがこの事件である。妹は間もなく住んでいるアパートを追い出され、高校も授業料が払えず退学の方向。
 同情すべき余地はあるが甘い、と理絵子は冷静に捉えた。児童相談所や役所など、保護の申し込みは可能なはずだし、奨学金や、都立校なら公的助成があるだろうし、併設の定時制へ移って夜働くなど、幾らでも手はあるはずだ。
 それにそもそも、窃盗は犯罪。
 犯罪。
 その行動否定語は本橋美砂を激怒させた。
 まるでマンガさながら、本橋美砂の髪の毛が吸い上げられるように浮かび始め、情念という言葉を想起させる、青いオーラが彼女の周囲でめらめらと燃え上がる。
 かなう相手ではない……理絵子は思わず後ずさりした。
 合わせ接近してくる本橋美砂。
 言葉はない。ただ黙って近づいてくる。だがその発散する雰囲気は如実な殺意を物語る。
 手品のように本橋美砂の手に現れる包丁。

(つづく)

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【理絵子の夜話】午前二時の訪問者 -13-

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 青年。丸刈りの男性。血の海は男性の頭部を中心に花弁のように周囲に飛び散っている。その目は人形のように開き動かず、首は不自然なほど長く伸びており、まるでろくろ首のよう。
 頭部を胴体から引き抜く方向に力が働き、頸椎が全部外れて引き延ばされたのだと理絵子は理解した。更に言えば青年はしたたかアスファルトに頭部を打ち付けたようで、“高度脳実質脱出”を呈している。
 すなわち社会死……医師を待たずとも、誰でも死んだと判る状態……だ。報道で死亡(医師の判定による)ではなく、“即死”“即死状態”と書かれるのは、こういう状態である。事故の遺体が眠っているように見えるのは、テレビドラマの中だけ。
 理絵子は思い出した。夏の日の新聞記事だ“警察深追いか?少年事故死”。……暴走族の少年が追跡から逃れるために速度を出しすぎ、トラックと衝突して即死。なお、警察が一般にアメリカ式に暴走族・珍走団を力で抑えないのは、事故に一般市民が巻き込まれるのを恐れるが故である。
 この事故について、父親は自分ではないと否定した。確かに夢に見ている記憶の映像では、父親はハンドルを握っていない。だが、父親の目の前で展開された事件には相違ない。
 オレが止めていれば……悔恨の存在を理絵子は知る。挑発にトサカに来た同僚を止められなかった、その責を己れに帰す父親。
 これはPTSD(心的外傷後ストレス障害)だ。理絵子は断じた。鬱とは少し違う。心が追い込まれているのは同じではある。しかし、鬱の原因に多い“仕事に追われて”なら、誰かに肩代わりしてもらえばよい。大体ひとりで仕事する捜査活動はない。しかしこの手の“心の傷”は肩代わりのしようがない。“仕方なかった・不可避だった。或いは、出来る範囲で全力を尽くした”と本人が納得しない限り、どうにもしょうがない。
 気配。女。
『その通りあんたのせいだ!……』
 声が聞こえた。
 大ホールで発したような、いつまでも余韻を持って響くような、女の声。
 映像は事故の道路ではない。左右に並ぶ二棟の校舎と、双方を結ぶ渡り廊下、そしてレンガが敷き詰められた中庭。
 見たことがある……近隣、都立高校敷地内と知る。
 夜の校内といった案配である。しかし、夜空に相当する部分は暗黒であり、星は見えない。すなわち実景ではなく誰かの、恐らくはこの声を発した女の記憶・心象世界。

(つづく)

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【理絵子の夜話】午前二時の訪問者 -12-

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 廊下からリビングに入ると酒臭いったらありゃしない。
 そのはずで、父親は既に大いびき。口で息をするからそうなるのである。
 布団をかぶせ、消臭スプレーを噴いたティッシュを布団の口元に置いてやる。この調子で寝られたら明朝この部屋どうなっているか。
「気持ちよさそうにまぁ。折角クスリなしで寝入ったし、放っておくか」
 母親が言った。何もしなくて良い、ひたすら酒飲み、咎められない、年越し。
……これほど酔った父親を見たのは初めてだと理絵子は思った。対人関係、しかも扱うのが“犯罪”では、ストレスも尋常ではあるまい。ひょっとすると自分の与り知らぬところで、深酒を繰り返してるのかも知れない。横顔の白髪がひどく老けた雰囲気を与える。
「結婚前からぐでんぐでん?」
 理絵子は母親に訊いたが返事がない。
 見ればこちらはこちらでカウチにもたれて寝息を立てている。サイドテーブルには濃いめのお湯割り。
 父の寝顔に安心したのだと理絵子は理解した。母は母でずっと父親が心配だったのだ。
 二人とも起こすに忍びない。理絵子は母親の布団も持って来、カウチに横たえさせ、かぶせた。エアコンの暖房を控えめにセットし、テレビを消し、照明を落とし、部屋を去ろうとし、ハッと気が付く。
 父親はクスリなしで寝入った。すなわち“クスリに寄らない通常の睡眠”。
 理絵子は足を戻す。そして父親の傍らに膝を突き、幼子の熱を測るように、父親の額に、自分の額をあてがう。
 その目的、“留守を装って中にいればいい”の実行。
 目を閉じる。見よう、と思う。映画のように始まる映像。それは父親の心象。すなわち見ている夢。
 深夜の道路。甲州街道。国道20号。
 無音の映像である。前方で左右に大きく蛇行する改造車。
 対しそれを見ている視点……父親は、赤色灯が点滅している車輛であり、警察車輛であると知れる。
 前方改造車から何かが警察車輛へ投げつけられる。
 回転しながら接近してくる棒状の物体。
 鉄パイプ。
 パイプ先端が警察車輛フロントガラス右部に命中する。クモの巣状にひび割れるフロントガラス。
 警察車輛は加速する。前方改造車がその意を悟ったか猛然と加速。
 程なく町田街道との交差点。
 前方信号は赤だが、改造車はそのまま突っ込んだ。
 交差点左方、町田街道より進入してきた宅配便の大型トラック。
 衝突。改造車の左前部がトラックのバンパーに当たり、改造車は大きく、ぐるぐると、反時計回りに回転して、交差点右方の信号柱に右側面から衝突、中の人体を外へ放り出す。
 その際のがしゃっという衝突音だけが聞こえている。
 映像が飛ぶ。路上に投げ出され、血の海に仰向けになって横たわる人体。

(つづく)

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