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2007年1月31日 (水)

ええ、毎度馬鹿馬鹿しい

失言を。
「機械」ねぇ。「わかりやすいと思いたとえを使った」と言うが。
たとえなきゃならんのかい?
しかも
「真意が伝わらなかったのは悔しいだろうが」
と、周りは言っているようだが。
その真意ってこうだべ。
「産めよ増やせよ」

…あのさ、なんで少子化に向かっているかそこ承知してる?
安心して、積極的に、子育てって環境じゃないからだろ?今の日本が。
税金が増えるとか、医者が減るとか、給料下がるとか。
「好景気」の背景にあるそういう現実目にしてさ。
生活の安定とどっち取るかと言われたら。
政治家だから対外的に目に見える数値「好景気」が維持できりゃいい、そう考えてるのかも知れない。日本株式会社の経営としたらね。
でも、そうじゃないだろ。
それこそ会社と一緒で、社員が幸せであり、働こうってモチベーションが維持できなければ、成り立って行かない。
モチベーションの低い社員からはくだらねぇ製品しか生まれない。
てめえらどこ見てんだ?

で、産めよ増やせよの背景にある女性軽視。何言い訳してもダメだよ。染みついてるから口ついて出たんだろ。昭和一ケタの生まれだってね。だったら立ち会い出産なんかしてない方が普通だろうね。だったらまぁ、理解できない世界だわな。
だけどさ。
「古来女性は太陽であった」ってらいてうのフレーズは知ってるだろ?政治家だもん、教養として当然備えてるよな。エジプト王朝が女系だったのも常識の範疇だよな。

オレすけべだけどさ。女性が太陽だってのはああ全くその通り、だと思うんだよ。命の源であり、家族を輝かせる。太古長い長い飢餓の時代、子孫が生まれ、そして育つというのがどれだけ嬉しいことだったか。どれだけ素敵なことだったか。

女性の皆さん。出産という命のリレーの一部始終を考えた時、原始時代どうしていたんだ?と考えるとぞっとしませんか?医者も、心音センサも、出血を止めるクスリもないのですよ。すぐこのフレーズが浮かびますよね「命がけ」。…古代は本当に、新しい命と引き替えに、命が失われた側面も多かったはずなんです。いや、今現代ですら、そのことの本質は変わっていない。

それで今、新たな命と共にある妻を見たなれば、その笑顔の輝かしきは太陽の如くであり女神そのものですよ。新しい星は周りのガスを吹き飛ばして自らの輝きを宇宙全体へ向け解き放つけれど、この新しい母子から放たれる“絆”の光の前には、すけべなんざ吹き飛ばされるガスそのもの。ううん、本当は、女神を女神として認識するにたどり着く、そのタネとして遺伝子に埋め込まれたのが、すけべなのかも知れない。ああそうだよ。命の誕生はすけべがその役割を終える瞬間なんだよ。その吹き飛ばされるガスが星の源であるのと同じように。

古来、人は色んな事物天体を女神にしてきたけれど、「命の女神」ってのはないですわね。
あるわけないし要らないわね。
え?
だって、女性一人一人が、命の女神そのものだもの。

大臣、あんた、かわいそうな「男」だね。

2007年1月30日 (火)

最近仕事シンドイ

どうも受身なんだよね。
品質カイゼンは結構なんだが、矛先が部品メーカだの使い方の条件が特殊じゃねーの?だの。
「お前は何か視点がずれてる」
ってカチョは言うけど、恐らくね、どこかしら頭の隅で
「コレ根本的に設計おかしいだろ」
って思ってるんだろうね。だから部品に原因を求めようという方向に向かない。

なんかおかしいんだよ。なんか。だけどこれってズバッと言えない。そこが歯がゆい。

一方で話書く方はすこぶる順調。なんだこの差は。

2007年1月29日 (月)

すわ

茅野←→下諏訪
…その諏訪でなくて。
夕刻前妻よりヘルプメール。腹痛だと。
5時で切り上げ、主夫を想定して退社する。寝ていると退屈だろうから「のだめ」。駅前スーパーに寄り、手っ取り早くなべやきうどん、タンパク質が欲しいので総菜唐揚げ。あれば何かと便利な牛コマ、朝飯ネタに使えるベーコンなど購入し帰宅。
が、玄関ドアを開けるとふわりと夕餉の気配。
「作ったよ」
横になったら楽になったと。
とはいえ食欲はイマイチらしい。とかやっていたら娘が買い物ビニールから唐揚げ発見。
「これわたしのためなのね。うれしいわぁ~」
そうじゃないけどそうだよ。お前さんそういうの食うだろ?
夕食。妻はうどんを作ったわけだが、それを脇から娘がチラチラ。挙げ句に。
「ちょーだい」
orz
まぁ麺類目がないけどね。いいからテレビ見てないでさっさと食べなさい。
ちなみに、うどんは3人分買ってきたわけだが。
残った二つを発見した娘曰く。
「これおかあさんとあたしのぶんよね」
はいはいはいはいはいはいはい。

…ブツブツ。

2007年1月28日 (日)

無為

起きようにもチト頭が痛い。
ようやくスイッチが入ったのは11時。朝飯なんだか昼飯なんだか。
午後はお話書いてMD作って。

そんだけ。

どて煮でエネルギーチャージ。あーあ、月曜か…

2007年1月27日 (土)

うろつく土曜日

もそもそ起きて朝食。今日の予定は栄まで買い物。
新製品を出張で買いそびれたから。
の、前に娘を病院へ連れて行く。また風邪引いたのよ。医師のパソコンカルテには戦歴がズラリ。毎月なにがしか病気してるな君は。
昼食後せとでんに揺られて出かける。模型屋で電車とパーツ幾つか購入し、お茶の店へ煎茶を買いに。ここは客に一服振る舞ってくれる。抹茶を点てるので待って、とのことなので椅子に座ったら老男性がふらり。「あ、会長どうも」そうでっか。ちなみにウチの会社で社長が来ようもんなら「行幸」の様相。但し社員としての格付けはオレサマと同じ専任様(笑)。
抹茶すすって煎茶を買って、ごちそうさんと言ったら会長さんも会釈。ええどその姿勢。
松坂屋へ行く。九州物産展。昨日のシューマイだけでは心許ないので少し追加し、実演販売梅が枝餅でもおやつに、という算段。
催事場はギッシリ。でも梅が枝餅はそんなに行列してない…と、ふと顔を上げると、遥か彼方に「最後尾」の看板掲げた店員が…
並びきれないでやんの。
やめやめ。豚の角煮だけ買って帰る。
夕食はそのシューマイと角煮の九州スペシャル。食べでありすぎ。
でも娘は夕食前からこんこんと眠っている。たまにこういうのがある。

2007年1月26日 (金)

九州より

朝はゆっくり。朝食はホテルごはん。ちなみにホテル朝食は洋食専門である。理由?洋食は大抵トーストと卵料理+ハムかベーコン+サラダであって、どこでも大差ないから。すなわち、どんなへっぽこでもあるレベルのクオリティ以下にならない。
…一泊朝食付き5250円のホテルだ。豊予の豊富な魚介をキチンと反映しているという保証はない。

タクシー呼ばれて工場へズラズラ。内容上、仕事のことは書けない。でも一点だけ。
半導体製造ラインのすぐ脇がタバコ臭いってどーよ。ヤニは接着剤だよ。

てなわけでいきなり夕刻になる。特急停車駅なのでそれなりのお土産ショップを備える。名産のはも物を探し、はもシューマイを発見したので確保。じゃこ天ならぬシャコ天もあったのでこれも確保。
小倉駅は新幹線乗り換え9分。この間に先行していた取引先が弁当お土産一式用意して待機してくれており、渡される。更ににわかせんぺいを買う。またなのかって?だってあのお面を節分に使おうと思ったのに妻が捨てちゃうんだもん。
新幹線で帰る。もらったお土産開いてビックリ。かしわ弁当は定番突いててぐぅな上、明太子まで入ってるじゃないのさ。朝飯で食うど。辛いからチョトずつしか食えんけど。

監査行ったんだか食い倒れに行ったんだか。
今日の結論:ごちそーさま

…出張レポどうしよ_| ̄|○

2007年1月25日 (木)

九州へ

製品に組み込む部品がキチンと作られているか、部品の製造工場を見せてもらう。
工場監査と呼んでいる。
企業秘密の塊に他社の人間が入るちゅーのは、不思議な印象を持たれる方もあるかも知れぬ。しかしコレ逆に言うと、品質的に問題がないと胸を張れるなら、どうぞ見て下さい、となってもいいはず。その理屈を発展させると、見せてもくれない物は信用ならない、となる。
てなわけで午後より車中の人。行く先は九州。先の出張では「なんで新幹線やねん」と課長からブーブー言われたが、今回は相手先の組んだスケジュールが新幹線だから大手を振って乗れる。最も、豊予海峡沿いだから、飛行機では逆に不便な場所でもあるとも言える。
乗り継いで夕刻着。ホテルに荷物預けて会食。豊予海峡沿いと言えば、「関さば・あじ」に代表される魚介の宝庫。
当然、会食も魚介づくし。陶板焼きは牛肉だったが、それ以外は。
ほたて サーモン うなぎ いせえび くるまえび わたりがに たい いか あわび キャビア(!) そしてなんつっても「はも」。写真はあわびのキャビア乗せ。キャビアこんな少しじゃ味はしないんだけどね。Hi380009
これは質的量的に食べでがあった。特に刺身のクオリティは名古屋とは別次元。
幸せになってホテルに戻る。タバコ臭い部屋だったが、換気扇回しっぱなしにして、多少はよくなったようだ。
備え付けの聖書読んで寝る。
今日の結論・この地方の女子高生のスカートは極端に短い。←裁かれろコイツ

2007年1月24日 (水)

今日も朝から

ラインで測定。データはコレでOKと。
その後仕様書を探りに設計に忍び込む。昼前まで掛かった。
宿題をいじって昼飯。カレーにおんたま。ナニカチガウ気もするがとりあえず食った。
午後は原因究明。う~んよほどのことがない限りこんなにこんがり焼けないんだが。
定時後はOパブ氏と掃除当番。ゴミ捨て、モップがけなどしてこう歌った。

♪男の掃除は手抜きだぜ 四角い角を丸く掃く

そしたらまぁ、パブ氏が文字通り腹抱えて笑いやんの。そんなに面白いかぁ?涙流すなや。
「家でやんなよ」
と言っておいた。奥さんの逆鱗に触れるぜぇ。

2007年1月23日 (火)

人間は敵だ

朝もハヨから工場跋渉。ラインの片隅で定規をあてがう。
部品の取り付け足が所定の長さ以下にカットしてあるかという話。
100個ほど測定してガウス曲線を描こうぜって算段。

事前に、かくかくしかじかにて、切っておくれ、と協力工場には依頼済み。うん切ってある。切ってある。確かに切ってある。切って…ん?
「これ指紋ベッタリだけどよいの?」
いいわけない。指紋の正体は皮脂。カビが生えるかゴミが付くか、とにかくそこから電気性能の劣化が始まる。
作ってありゃいいってもんじゃないです。協力工場の中の人。

午後は製品にくっつけるオプション部品の回路チェック会議。通信機能を付加するもの。
課長が闖入してグチグチいう。
「これ規格がおかしいよ」
知るかよ。そーゆーふーに出来てんだからしょーがねーだろ。あんたの言ってることは、聞こえるようにラジオ作ったら、ラジオの電波の規格が悪いと言ってるようなモンだ。ちなみにこの通信規格の言い出しっぺと元締めは日本電機工業会だ。そっち言ってよ。

定時後は、週末に予定されている、部品メーカとの協議、に臨む上での下打ち合わせ。
しかしいろいろとネタが多い。

2007年1月22日 (月)

なんにもありゃしない

月曜日。
定例会議。
遅れて課長が到着し、一知半解の状態でうにうにぐちゃぐちゃ。
ハイハイワロスワロス。アンタが分かるようにもう一度説明し直す気はない。
とかやってたら昼休みも半分過ぎ。メシ食ったら終わり。ったぐよぉ。
午後はデータ処理と、新製品の回路審議に向けた回路図チェック。ICがどーんどーんと有って、あとは抵抗とコンデンサ。つながってりゃ動くんちゃう?と言いたいがそこが落とし穴。
5時退社。リハビリ。ヲタ本買って帰る。
娘がまた風邪を引いたようだ。栄養のあるモノをしっかり食ってくれ。

食えっつーと泣くんだもんなぁ。

2007年1月21日 (日)

手のひらで…

悲しいお話。

昼下がり、特別仕立ての列車を発車させようとしたところだった。
ごつっ。
それは、過去に同じ経験のある者には、生き物を飼った経験のある者には、ずきっ、とする音。
立ち上がり窓ガラスに向かうと、付着したエメラルド色の羽毛。
小鳥。
窓を開き見下ろすと、横たわる小さな身体。羽根の色と目の回りからメジロと判じる。
「どうしたよお前」
思わず声が出て拾い上げる。鳥特有の高い体温。

P1210038_2

説明するまでもあるまい、窓ガラスに突っ込んできたのだ。
まず疑ったのは脳しんとう。だが、その身体は完全に弛緩しており、胸元を探っても心拍を感じない。
ただ身体は温かい。
「どうしたの?」
異変に様子を見に来た妻が、手のひらの重篤を発見し、あたふたする。
近所の地図を引っ張り出し、ネットを駆使して片っ端から獣医に電話する。
手のひらの体温が下がる。
鳥を心臓マッサージ?
エウリーの話を書く関係で、ある程度は把握している。あの羽ばたきを生み出す隆々たる胸筋を、左右から挟んで揉むのだ。
手のひらがカアッと熱くなる。しかしまた冷えてくる。
やばい。やばい。
お前、オレの手のひらで死ぬな。
獣医はどこも出ないか留守電。日曜の午後というのはミッシングリンクなのだ。診察は午前中まで。夜間救急は夜9時以降。
その間の時間帯。
2度、手のひらの命は熱さを取り戻そうとした。しかしその後体温は下がる一方。
オレの手のひらで。オレの手のひらで。
ようやく繋がった病院が一つ。クルマで5~6分といった距離。
事情を説明し、飛び出す。信号は全部青。これは何のメッセージだろう。運転しながらマッサージというわけにも行かず、手のひらにそっと包み、曇り空の下を走る。
到着し、駐車場に入れると、若い男性の医師が気付いて出てきた。
「電話の者ですが」
「どんな感じです?」
「体温が下がってきていて、正直ちょっと…」
「判りました。ちょっと見てみましょう」
そして5分後、医師はお代は要らないと言った。
「何もできませんでしたから」
つまりそういうことである。脳しんとうではなかった。頸椎を損傷していたのだ。

帰宅すると娘が飛び出してきた。
「とりさん、まだしんでるの?」
「もうずーっとだよ。もう飛ばないし、動けない。ちゅんちゅんも言わない。…神様のところに返してこよう」
「うん」
無邪気な娘。小鳥が動かないことは認識している。でもそれが不可逆現象だということは理解していない。
アパートの庭に埋める。スコップで深めに掘り、
オレの手のひらを離れる。
「お祈りしてあげて」
娘が幼稚園の流儀で両の手を組む。
「…このおいのりを、いえすさまによって、おねがいします。アーメン」
この写真。ある冬の日のハプニング、という気持ちで撮ったのだけれど。

君が生きていた証になっちゃったな。

神よ、この小さな命をあなたの元へお返しします。

2007年1月20日 (土)

どよ~んと曇った土曜日

妻は病院、娘にビデオ見せながら掃除と皿洗い。
昼食後は欧州のクルマがエラーを言って寄越したので工場へ。
「センサーの一時的なエラーだと思いますよ」
機械的な位置検出だから、引っかかることもあるんだとか。
様子見として帰る。時間が空いたので例の新品交換になった方の欧州車を試運転と調整。見栄えのする子だよ。
夕食はコロッケ。妻のこだわりでイモ潰して手作り。頬張る幸せ。

2007年1月19日 (金)

気持ちが落ち着いている

…自己啓発セミナーか。

結構のんびりしている。

仕事自体は殺伐としているが、そうそう追いかけられているわけでもない。

この落ち着きの根源の一つは機関車戻ってきたからである。アホかと言われる向きもあろうがこれは確かである。ヲタってのはそんなもん。

話書く方も順調で、苦心惨憺吽吟懊悩…することなく恬淡と進んでいる。現在2本並進。1本待機。でも1本で根詰めるよりこっちの方が効率がいいのだ。話の元の卵の状態も幾つか存在。順番に書くから待ってくれ。

娘は元気に風邪ひいてるし、妻とはらぶらぶ。他に何か?

ちなみに今、オモチャの聴診器を娘に装着され、その傍らで娘は腹出して急かしている。

2007年1月18日 (木)

名古屋暴走

ウチの娘はうるさい。
喋ってるか歌ってるか走ってるか踊ってるか。
「きょうねようちえんでね●●ちゃんがねじしんがきてかくれてねそれでえっとねあのねしんでれらがおねえさんとなかなおりしてかぼちゃのばしゃが…」
じゃぁかましぃわぁ~!ってなところなのだが、しっかりオレもオヤジなんだなと思うのは、その風見しんご氏の悲劇のような事態に接した時だ。
胸がつかえたような、堪らん気持ちになるのである。
耐えられんのだ。
どんなにか、どれほど、どうやっても。その気持ち予想が付く。
しかしそんな気持ちを逆なでするかのように、今日も名古屋の運転は狂気の沙汰だ。赤になっても突っ込む、青になる前に走り出す。その意思表示をしていないのに割り込む、突如進路を変える。

機関車を取りに行った模型屋の前の道で、どこかのおじさんが血だるまになって救急車に運ばれていった。

2007年1月17日 (水)

日本の地震サイクル

「地球物理学」というカテに入れているが、そんな語で検索する人は少ないと思うので気象にも入れる。

日本の地震は大まかに150年の周期を持っている。
すなわち、東海・東南海・南海が連動する巨大地震が150年くらいの間隔で発生、日本列島の内陸で起こる各種の地震は、全てこの巨大地震に「付属」すると考えることが出来る。この基本概念を提唱したのが、雑誌「Newton」の主筆であった故・竹内均氏である。
巨大地震は日本列島を載せた地殻岩盤(プレート)が、南方や東方からの別のプレートに押されて歪み、その歪みに耐えきれなくなったことによる「跳ね返り」動作そのものである。この跳ね返る前にあちこちピリピリひびが入ったり、内部の構造がずれ動く。それが断層であり内陸地震である。ビスケットを二つに割る動作を想像してみて頂きたい、表面にひびが入るだろう、それが断層による地震だ。
1995年1月17日午前5時46分に発生した兵庫県南部地震、阪神・淡路大震災は、戦争以後の日本が遭遇した中で未曾有の大災害であった。初めて公式に「震度7」が記録された地震であり、大都市を大きな地震が襲うことの恐ろしさを見せつけた。
しかし、首記の地震周期に照らした場合、これは単なる始まりに過ぎない。ビスケットの1発目のひび割れに過ぎないのだ。
「今後日本列島は地震活動が活発化する」
当時、学会はそんな公式見解を出したが、それを裏打ちするように、内陸の直下型がその後相次いでいる。宮城県北部・新潟中越・福岡玄海島。
その点では、「次の東海」ばかりに目が行きがちだが、その前哨としてのM7クラス地震は「あちこちで多発する」と考えるべきであり、日本列島のどこを取っても神戸の震災は「明日の我が身」となりうる可能性があるのだ。
http://www.hinet.bosai.go.jp/hypomap/
これはコンピュータ解析による自動震源表示システム「Hi-net」である。これを見て頂くと判るように、日本列島に地震と無縁の土地はない。
遠くない将来、M7前後が幾つか発生し、そしてやがて日本列島全体が揺れ動く巨大地震が訪れる。東海-東南海-南海の3連動。そのマグニチュード実に8.6以上。
22万人が亡くなった、スマトラ地震級の「超」巨大地震である。
備えるべき事は幾らでもある。
参考に、理科年表から拾えた、安政東海地震(東海-東南海連動)前50年間の、東海道及びフォッサマグナ周辺の主な直下・断層地震を示す。

                                                                             
発震日時地震名・被害地域推定マグニチュード
1854/12/23東海8.4
1854/7/9伊勢断層7.3
1853/3/11小田原直下6.7
1847/5/8善光寺地震7.4
1841/4/2静岡直下6.3
1833/5/27美濃断層6.3
1830/8/19京直下6.5
1828/12/18越後直下6.9
1819/8/2伊勢・美濃7.3
1812//12/7関東南部6.3
1804/7/10象潟地震7
1802/11/18畿内6.5
 

※東海地震本体の50年前に畿内震源の地震が起きている。単なる偶然であるが、不気味さを感じる方の存在を否定しない。そういう方は、「向こう50年以内のどこかで起こる」と捉えて頂きたい。
なお、この1つ前の東海地震は、日本の地震史中最大規模といわれる宝永地震(1707/10/28 東海-東南海-南海3連動および富士山宝永噴火)M8.6である。


…夕刻、風見しんご氏を襲った悲劇の報を聞く。最前、この手の情報を「ふーん」「あらま」程度に聞き流せたクールなオレだったが、今はダメ。耐えられなくなった。

我が身のように感じてしまうのだ。

取り戻せないもの。

少しでも心に救いをもたらす術を、我々は持ち得ないのか。

2007年1月16日 (火)

終わりダメなら全てダメ

今日は故障で預けた機関車が結局新品交換になって返却しますメールが来たんだけど。
定時後に会議の予定が入っていたから閉店までに受け取りに行けず。
どころか会議も始まらず。かちょに聞いたら
「忘れてた」
怒。
ちなみに水曜は店が休み。
嚇怒。

寝る。

2007年1月15日 (月)

ウワサの

アメリカのマクドナルドには、日本のLサイズより更にデカいサイズがある、と聞いてはいた。
ンなもんばっか食ってりゃそら太りもするさね。基本的な組み合わせをバーガー+ポテト+コークとして、マックご自慢の栄養価表示システムで検索すると。

コークL 製品質量420g(420ml) 181kcal 炭水化物(要は砂糖)45g(!)
ポテトL 製品質量170g 529kcal 脂質27.9g(揚げる油だな)
ハンバーガー(ノーマル) 製品質量109g 251kcal 食塩1.2g
ビッグマック 製品質量216g 547kcal 脂質30.6g 食塩1.9g

やーね、工場弁当で一番カロリーの高いカレーですら1000kcal前後ですぜ。このワンサイズ上を常食しているメリケン人って一体…

で、今般登場したのがそんなワンサイズ上のメニューの一つであるこの人。
Hi380024_1
メガマック。292g 754kcal 脂質45.9g 食塩2.5g

これ1コで工場弁当相当分ですぜ。若かりし頃は300gクラスのハンバーグとかよく食ったが、そういうのは「たまの外食」で食うもので、ひょっと寄ってパッと食う類の物じゃない。見るからにコレステロール(137mg)ギラギラのオーラを放っている。

さて見ての通り買ってきた。ネタとして食ってみようと言うわけ。いただきま~す。
Doaho
味はね…むしゃむしゃ…基本的に…もきゅもきゅ…ビッグマックと同じ…むぎゅむぎゅ…ただね…はぐはぐ…肉が多い分…ずりずり…ソースが弱い。

ごくん

まぁそのなんだ。今までダブルチーズ+ノーマルハンバーガーを常食としていた人間としては、1コにまとまってるだけ合理的という事か。

なお、ビッグマックでもよくあることだが、途中で崩壊した。このあたり食べ方に注意。

※コレステロールの1日あたりの適正摂取量は500~600mgとか

2007年1月14日 (日)

SL様の入院

鉄道模型に限らず趣味のメカを修理で店に預けることを「入院」と称します。
今日は昨日書いたドイツの機関車を店に持って行くことに。日曜学校に出かけた妻子と別れ、せとでんに揺られる。栄の模型屋冷やかしながら向かうことにしたので降りたら、通りを行く人の少ないこと。
早朝の如しってんで時計を眺めると10時過ぎてる。松坂屋開店のお時間ですってなもの。
が、ふと見ると三越の入り口前にワンサカ。何やらイベントの整理券配布らしい。まぁ頑張って。そして松坂屋さんも駐車場待ちの車が取り巻いてござる。だからクルマで来るなと小一時間。
パルコの中の模型屋と大須のいつもの模型屋を覗く。この辺がどのくらいドイツ車に対応できるか確認したまで、結果はペケ。メーカが違ったり、スケールが違ったり。
中古のオーディオショップ冷やかして目的の店へ。線路に載せてうんともすんとも言わずを確認。そのまま検査入院。結果は追って。
更に別の店冷やかして帰宅。昼食後妻が頭痛を訴えたので、娘連れて外出。ホームセンターと今日のおかず。おかずは近所のスーパーのつもりだったが、娘はホームセンターの隣にある大型スーパー行く気満々。そのココロはアンパンマンだのウルトラマンだのキャラクター人形の配された子ども向け買い物カート「きゃらくる」があるから。仕方ないのでこっちで買うことにする。店内に入るとアンパンマンカートが「空車」。娘突進。勇んで乗車。
水炊きに突っ込むタンパク質系をガツガツ買って帰る。
夕食はほくほく鍋。チト食い過ぎたかな?

2007年1月13日 (土)

脱力

「熱田神宮に行こう」
と妻。まぁ初詣行ってないし、熱田神宮のご神体は「草薙の剣」…第1級の神社だ。十全だろう。
電車でズラズラ行くと人がズラズラ歩いている。道にも車がズラズラで駐車場待ち。
全部初詣らしい。
今日でこのザマなのだから3が日はさぞや、と思われる。にしても…クルマで来るのはどうかと思うぞ名古屋人。
参拝して昼。ズラズラ並んでいる破魔矢授与所はパスして売店の「宮きしめん」へ。境内で営業中のきしめん屋。食券買ってズラズラ並んで受け取る。その有り様工場うどんの如し。
テント下の長いすに親子並んでズルズル。味は別に普通。名古屋の味。
終わって金山。万博のカラーを色濃く残す「エコマネーセンター」でエコ活動をポイント化。理念は買うので、平和の国日本としてあるべき方向だと思うので頑張ってね。
後は帰るのみ。JRの改札でTOICAをかざす。
キンコ~ン!
ぬな?
『出場記録がありません』
なんぢゃぞら。昨日華麗にこの金山の改札をスルーしたが、なにも無かったぞ。
…理絵子の話に書いたカードトラブルにマジぶち当たったらしい。何もリアル体験させてくれへんでも。
窓口で処理してもらい、無事入場。帰宅。
さて午後は先のオリエント急行と一緒に買ってきた蒸気機関車のテストラン。ドイツ製。すなわち「外車」
30分後停止。電源装置保護作動。ぬな?
測定器をあてがうと内部ショート。なんじゃこら。
店に電話。
「一度見せてください」
ちなみに店は金山である。また行くのか。

「脳内オリエント急行祭」一気に冷めた。

寝る

   ∧∧
  (*・ω・)  おやすみ・・・
  _| ⊃/(___
/ └-(____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

  <⌒/ヽ-、___
/<_/____/


2007年1月12日 (金)

1週間終わり

女装助走状態なのに疲れたわい。
え~今日は、ふつーに仕事してふつーに模型屋行って1日が終わりました。

最近娘に添い寝しようとすると、
「ここはおかあさんとこだからね。こないでね」
と言って蹴飛ばされます。
悲しいお父さんです。

●おまけ

植物の「桐」が主体のサイトから「オリエント急行」の記事にトラックバック。
ハテ何か書いたっけと思ったら、

…細かいこと書くとキリがない…

のキリを自動トラックバックプログラムが引っかけたらしいのだな。
そこまでして自サイトに誘導したいかね。 ┐(´д`)┌ヤレヤレ

2007年1月11日 (木)

力抜いて。かる~く

朝一番、隣席氏が申し訳なさそうに一言。
「今日の午後予定は?」
無いと答えたら、協力工場(一般に言うところの下請け)の品質チェックに行ってくれと。

なんのことはない。半年前の時点で今日の担当はオレだった。が、他のメンバーが「都合悪いから差し替え」を繰り返した挙げ句、位相が360度回ってまたオレに戻ってきたわけ。

午後出立。30分で着。これまでに出してしまったミスの状況と改善報告を聞いて、製造ラインの見回り。

「大陸の人が多くてね。日本人だと『綺麗に作ってね』で足りる話が、『こういう取り付け、こんな角度ではダメ。そうならないためにこういうルールがあるから従え』と写真付けて説明しないといけない。プラモの組み立て説明書あるでしょ。あんなのが必要なんだよ」

なるほどね。でも日本人も案外そんなもんかもよ。
で、5時にのこのこ帰ってきて、専任氏にあれこれ報告して今日の仕事はほぼオシマイ。

まぁ。こんな日もあっていいだろ。

2007年1月10日 (水)

えーっと

今日から娘の幼稚園が再開。
オレはというと朝起きてメシ食って会社行って仕事してメシ食って仕事して残業して帰ってきてメシ食って娘風呂入れてこれ書いてる。と、一気に書いてもATOKはキチンと変換した。
一太郎2007は2月に届くはず。

しかし内容がないなぁ今日は。何もしてないから仕方がないかぁ。

昼にべねっせが英語の教材の売り込みに来たとかで、娘は英語がらみのあれやこれやを弄っている。ハヨ寝ろ。

2007年1月 9日 (火)

オリエント急行

てなわけでオリエント急行の模型を買ってきました。鉄道ネタは私が手を付けると余りにもマニアックになるため、「オレニュース」に書くつもりはハナから無いのですが、こいつに関してだけは、世界で最も有名な列車であるという事もふまえ、少し書きます。(2008/12/28追記。KATOのはこっちです)

まずアウトライン
この列車は1883年、ベルギーの銀行家ナゲルマケールス(Georges Nagelmackers 1845-1905)が設立した「国際寝台車会社」(Compagnie Internationale des Wagons-Lits/コンパニ・アンテルナシオナル・デ・ワゴン・リ…通称ワゴン・リ。横文字はフランス語、以下同)が、パリ=コンスタンティノープル(現イスタンブール)に走らせた直通急行が端緒です。国際急行というアイディアと、それにふさわしい設備・接客サービスを有した列車は好評を博し、オリエント急行と呼ばれ定着。特に、王侯貴族を筆頭とする、社会的地位の高い階級に支持され、そのステイタスを上げて行きます。最盛期である1930年代には経由地の異なる4つの姉妹列車を運転、文字通り世界最高峰の列車として栄華を極めました。この列車の名を最も世に知らしめたと言える名作、クリスティの「オリエント急行殺人事件」が発表されたのもこの時期です(1934)。しかし程なく始まった第2次大戦で運転を休止。終戦後復活しますが、航空機に客を奪われ衰退、1977年夏「直通運転を廃止します」という時刻表の片隅に書かれた文言を最後に、一般的な列車としての歴史を終えます。

しかし、捨てる神あれば拾う神あり。

オークションに出された車輛は、栄華を知る篤志家に買い取られ修復、チャーターの観光列車として復活を遂げます。これが現在も運転されるNIOE(ノスタルジー・イスタンブール・オリエント・エクスプレス)や、VSOE(ヴェニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス)です。中でもVSOEは春~秋シーズンを定期的に運転しており、日本語公式ホームページもあるなど、安定した運転状況にあるようです。

以上詰め込んで頂いたところで。
この列車が、ここまで人々をひきつけるその理由は何でしょう。
その第1は何より、オリエント急行ならではとも言うべき、その設備と接客サービスにあります。
P1100009a_4

(画像の上で右クリックして、新しいタブなりウィンドウなりで開くと全容がご覧いただけます)

例えばこれは1等寝台車Lx(luxeの略)。ワゴン・リが保有する寝台車の中で、名の通り最もデラックスな車輛です。全部個室で、定員10名。1輛ずつ専属のスチュワード(客室乗務員)が付き、ルームサービスその他の接客にあたります。空調設備は石炭炊きのスチーム暖房のみ。アルプスなど寒冷地を走行する際には、スチュワードが夜通し火の番をします。冷房無いの?と、特に我々日本人は言いたくなりますが、比較的冷涼な土地を走る事と、窓を開ければ充分である事から、問題はないようです(最高速度は140キロに達する)。

第2はそのコンセプチュアルなデザイン。
P9150758
例えばこれは食堂車WR(wagon restaurant)。この中に、壁面を装飾したガラスパネルがあるのですが、そのデザインはルネ・ラリックです。また、列車の宣伝ポスターの描き手にはアルフォンス・マリア・ミュシャの名前が見えます(正確にはPLM鉄道のポスターですが)。更には。
『内装はマホガニー。床にはトルコ絨毯。壁は絹張りで安楽椅子と机が置かれ、装飾には植物文様が認められ、アールヌーボーの要素が吸収されている』(オリエント急行/教育社・1985・p178)

アール・ヌーボー。

列車という、純粋にインダストリアルなはずのシステムで、この文言を目にしようとは。
確かに日本の戦前製造の1等車では「桃山式」など、江戸時代の城の内部かと見まがうような意匠が施されていたと言います。でもたった今の鉄道車輛はどうでしょう。エクステリアは銀ピカの無地ステンレスにストライプまいて一丁あがり。インテリアは出来合いのプラスチック部品とステンレスアームを組み合わせて電動ドライバーでガーガー。で、これまた一丁上がりです。合理的と言えば聞こえはいいが、逆に言えば手抜き。移動空間として、乗る人に落ち着きと安らぎを与えるように出来ているかと言えば…

この列車は国際列車ですから、当然、どの国でも通用するルックス…当代一流のデザインを身にまとう必要がありました。これに対し、ナゲルマケールスが出した答えが、アール・ヌーボーであり、この要請に作家達が応えたわけです。特にミュシャに関しては、母国の変遷からこの列車に対し熱い想いが込められていたことは折に触れ語られる通りです。
その結果、この列車を彩る各々は、融合しつつも自己を主張することにより、全体としての調和が計られると共に、個々の存在に魂を宿すことになったと言えますまいか。それは恐らく、人が終生の伴侶と共にある時の心理と同様であり、畢竟、インテリアを構成する調度各個の魂と、旅人の魂との共鳴現象以外の何物でもありますまい。
P9250683
室内照明を組み込み、月光をバックに撮ってみました。この佇まい、その夜空を模したか、深く青いブルー(!)をして“青きプリマドンナ”と称される事も。この金色の手すりに手をかけ、あの娘がホームに足を下ろそうとする…眺めているだけで、物語が浮かんできます。

…同封の青いホルダーに収まったチケットを開き、彼女は思わず、小さく、わぁ、と声を上げた。
 列車である。女王名を冠したチャーター便。アムステルダム発、ボン=フランクフルト=リンツ=ウィーン=ザグレブ=ベオグラード=ソフィアを経由し、イスタンブール行き。但しチケットの指定は、その途中駅、国境近くの小さな駅まで。1等寝台2号車、および第1ディナータイムのリザーブ。

 列車名 オリエントエクスプレス

 世界一の列車。

 それで、来いと。
 意図は理解できる。王族の娘である自分を遇するのにふさわしく、同時に12歳の娘を安心して任せられる移動空間。
 時間は掛かるかも知れないが、乗り換えや関わる警備云々の手間など、極秘プロジェクトと相反することになる。それよりは、一旦乗れば直通で、スチュワードが常駐する列車の方が都合がよい。
 “ディナーは正装で”
 あれしかないか。彼女はため息をつきながら、クローゼットに目を向けた。

※部屋中に線路が敷いてある皆さんへ

このページは「非鉄」の方向けに書いてます。Lxはオリ急専用じゃねーとかEPIIの頃オステンデ編成ウィーン止まりとか把握してはおりますが、言い出すとキリがないため、そういう細かい事は一切略してあります。雰囲気雰囲気。なお、もっとヲタな話はこっちでやってます。

http://www013.upp.so-net.ne.jp/sunop/SimplonOrientExpress.html

※更に模型購入キボンヌの方

2006年末にシンプロントンネル開通100周年記念で久々に生産されました。
HOがリバロッシ。Nがアーノルトです。私が買ったのはここ。

http://www.modell-bahn.com/

※「アール・ヌーボー」に反応した皆さんへ

私の本職(?)は鉄道ヲタクです。「左右非対称で植物文様」というものすごく荒っぽい認識しかございません。ただ、別口できたのじゅんこファンでもあるので、接点としてこの列車を取り上げたまでです。ご無体な事は仰らずさらりと流してやってくださいませ。

Ciwl486

2007年1月 8日 (月)

青きプリマドンナ

1月8日。
成人の日。
祝日。
仕事始め。そう、祝日なのに出勤。これは工場の生産ラインをちょこまか動かしたり止めたりするのは効率が悪いから。
年頭に当たり新たな気持ちで、とでも書けば殊勝だが、オレサマ朝から気もそぞろ。
なぜ?
「いつかは」と考え出したのはいつだったか、もう忘れた。
それが今日やってくるからだ。
仕事何やったっけ。
覚えてないのでアフターファイブに飛ぶ。カタパルトに装架されたかの如く発射(!)。オレサマ行きまーす。どこへって金山。

輸入鉄道模型専門店

ついに舶来ものにかぶれたかこの大タワケ者が!いやいや待って待って。鉄道模型のいいところは規格が国際的に統一されているところ。いつもの線路といつもの装置で普通に走らせることが出来るのよ。だから「夢の競演」ができる。鉄道模型が「趣味の王様」と称される理由の片翼。
さて店に着くとママに連れられたおガキ様と店主氏が談笑中。おガキ様は小学校5年か6年か。ほほぉ、ドイツ製の鉄道模型入門セットお買いあげですか。初めて買う鉄道模型がドイツ製とはいい度胸一体どこの良家のおガキ様じゃい。
一抱えもあるセットを両腕にニコニコしているので、
「かっこええなぁ」
と持ち上げてやるとママさんが。
「お年玉全部はたきました。もう一生ものです」
ええ買い物なのは確かだ。ゲームみたいに陳腐化しないしな。
大事にすりゃ大人になっても動くぜ。
さて母子会計終わって店主オレサマに「いらっしゃいませ」。受け取りに来た旨伝えると「お待ちしておりました」。店の奥より恭しく取り出されたるはサイズ的にはA4ノート程度の箱。
蒸気機関車のテストランを母子が眺める。「おおー」メカニカルな動きが好きらしい。
さぁこの店の用事は終わった。ゴシャゴシャ買い物して帰宅する。少々コーフンしているせいか少々頭が頭痛(笑)である。これじゃあまるで、最初に模型を手にした、幼きあの日のクリスマスみたいじゃないか。
夕食を取り、娘を風呂に入れ、娘を寝かせ、そしてようやく、店の袋に手を伸ばす。これまた恭しくも白手袋などしてパッケージを開封、取りいだしたるは『青きプリマドンナ』。
P1090013





オリエント急行

ようこそ。我が家へ(明日に続く)。
※本稿文章が体をなしてなかったため1/9全面改訂。

2007年1月 7日 (日)

雪じゃ

北の方では暴風とか。お察し致します。
今日は雪でなければ模型屋に突っ走っていったのだが、そういう事情でやめ。でも明日仕事が手に付くかしらん。ワクワクテカテカ。
定例の掃除などしたあと、ほぼ午後いっぱい電車いじり。最後の最後で欲望赴くままに無為に過ごした日曜日。明日から仕事。
are you ready?
no,udauda~~(--)~

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2007年1月 6日 (土)

雨の土曜日

タイトルから想起するようなロマンチックなことは何もない。
妻が整体から帰ったのと入れ替わりにリハビリへ赴く。ごりごり。
帰宅して略式昼食。
後は電車いじり。そんな夕刻、模型屋からメールが入った。
注文していた鉄道模型が入荷した。

ロマンと夢の塊みたいなヤツの模型が…

2007年1月 5日 (金)

おでかけしましょう

B’zの歌ではなく。
行ったのはB3(びーすりー)女性向けの「スリムに見えるパンツ」の店である。今日の予定は妻の耳鳴り治療通院→昼食&諸々買い物
ちなみに上記の店は、オレがいきなり「ガードル下さい」とやって店員を凍らせた店である。なお、男に用は無い店。妻お買い上げ。
三越に入っている「本店」でも「総本家」でもない山本屋で味噌煮込みを食らい、丸栄へ。ここでは年末に予約したミキハウスの福袋を受け取り、オレのジャケットを購入。ジャケットという微妙な選択は、セーターでは寒いし、さりとてごわごわのジャンパーやオーバー着込む程最近寒くもないし、という判断から。妻も同じくジャケットに靴など購入。
と、ここまで来たところで娘がごねるのでオアシス21で茶の時間。帰ろうとしたらエアトランポリン「ふわふわ」を発見され、仕方ないので遊ばせる。5分300円って一体。でもひょっと見るとポケモンショップに大行列。アレよりマシか。

飛ぶ娘。
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2007年1月 4日 (木)

帰宅す

守山区だが。
さて今朝は夫婦揃って遅起き。朝食終わったら10時のおやつとかそんな案配。
三が日終わったわけで、年頭に当たりフセイン亡き後の中東情勢を鑑みる、ようなことはしない。
コーヒー頂いて退散する。ちなみにこういう場合、小さい子って別れを惜しんで泣く物だが、ウチの娘さん、あっさり。「クルマでパッと来られる」という認識でもあるのかしらん。まぁ、愛知万博の「サツキとメイの家」で、キチンとメイの動きトレースして走り回った空間識の持ち主だしなぁ。
帰宅してお昼だが、晦日にもらったマックのタダ券であっさり済ます。なおこの際、マックは自宅で食う場合、「飲み物」は自宅調達の方が美味で安上がりだと悟った。セット購入はやめよう。
昼食後掃除。リビングに、寝床の和室に、廊下に、線路。ま、一般家庭の基本的な掃除コースですよね。

と、娘が「つまらん」とぎゃぁぎゃぁごねる。まぁ甘やかしてくれるじぃじもおらず、従兄弟のガキンチョもおらず、オモチャもいつも通りという環境ではね。たいがいやかましいのでプリキュアでも見せておく。クリスマスネタだがまぁ気にしない。
線路に油を塗ったら夕食となった。

2007年1月 3日 (水)

エビフライの聖地

名古屋=エビフライという認識の方は多いと思う。
実際の名古屋的食品はなんといっても「味噌」で、えびふりゃ~は名物というわけではないのだが、タモ●リが「いいと●も」で言いまくったせいでこれで定着した。

2007年1月3日(エライ大袈裟な煽りだなオイ)。

義妹夫婦が午前で帰路へ。一旦義弟氏の実家に寄り、そこから更に新幹線で横浜へ向かうという。
見送って午後。夕食はどうしようか会議。
行きたいというオレサマの欲望願いはあっさり叶う事になった。

まるは食堂

その名古屋=エビフライという脊髄反射的認識に、予想以上に応えてくれる海鮮料理旅館である。知多半島の先端に位置し、あまりの好評ゆえに食堂部門だけ名古屋中心部栄(三越別館ラシック店内)、及び中部の玄関セントレア空港ビル内に出店を果たした。
その実力、しかと確認。というわけだ。
夕刻出発する。空港店なら目と鼻の先だが、ただでさえ空港店は激混みである。こんな帰省ラッシュでじたばたしてるさなかどれだけ待たされるか。
本店に行く事にする。知多半島の先っぽである。ルート247をひたすら下る。人口密度が低い事もあり、深夜とおぼしき状態。
駄菓子菓子。
カーヴを曲がるとその建物は海沿いに燦然と光り輝いていた。
まるは食堂旅館新館。
建物の前はクルマギッシリ。さすが著名な店だけある。だが、建物下の別の駐車場はまだ空きがある。
これならそう待つ事もあるまい。店内に入ると1Fが椅子席、2Fが座敷。座敷童がいるので迷わず座敷。でも30分は待ったか。禁煙室へご案内。
メニューを開くとまず目に付いたのがコース料理。2000円から5000円まで書いてある。よく見ると1500円と7000円なんて物もある。だが、コースには酢の物やら焼き魚やら付いてくる。
そんなものはいらん。
狙いは一つ「エビフライ」。
結局単品エビフライをベースにご飯にみそ汁、刺身、カキフライを追加する。
そして見よ。
れでぃーすあんどじぇんとるめん。うぃぷれぜんちゅうりあるなごやえびふらい。
あず
0002380






まるは。

長さ20センチ。直径4センチ。
普通に洋食屋で頼むエビフライより、明らかに一回りデカイ。
早速ソースぶっかけてがぶっとやると、かりっとした衣の中に、噛みごたえ充分なプリプリのエビ。
それは文字通り「頬張る」。
口いっぱいの幸せ。
これで2匹950円である。ご飯にみそ汁が250円。グダグダ言わなきゃ1200円で立派なエビフライ定食が食えるわけである。
調子に乗って3匹食ったが揚げ物なのに胃にもたれず胸焼けもせず。義母が「調子悪くならない」というから、衣や油の質も良いのだろう。
コレなら名古屋名物と銘打ってもいいだろう。
満足である。

2007年1月 2日 (火)

今年も後残すところ364日となりました

朝食が終わってからもそもそ起き出す。
喧噪の世界。
少し相手をして昼。
午後はヘッドホンかぶって話書く。
3時で上がり。テレビを見たり子どもの相手をしたり子どもの相手をしたり子どもの相手をしたり子どもの相手をしたり子どもの相手をしたり子どもの相手をしたり子どもの相手をしたり。
夕食は鍋。終了後子どもの相手をしたり子どもの相手をしたり子どもの相手をしたり子どもの相手をしたり子どもの相手をしたり。
眠いぜ。

2007年1月 1日 (月)

1年の計は元旦にあり

起きて10時。これで元旦(元日の日の出より午前中)は殆ど潰れたから、1年の殆どは寝倒すということか。
お雑煮頂いて電車の写真でも撮る。昼食後はパソに向かってお話書く。どうせテレビつまんね~しさ。夕刻前より義妹一家到着し孫まご大集合にて壮絶な有様。
夕食は鉄板焼き。たらふく食う。でも創作活動した分昨年までよりマシなのではないか。
完全に、のんびりした。

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