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2007年1月 9日 (火)

オリエント急行

てなわけでオリエント急行の模型を買ってきました。鉄道ネタは私が手を付けると余りにもマニアックになるため、「オレニュース」に書くつもりはハナから無いのですが、こいつに関してだけは、世界で最も有名な列車であるという事もふまえ、少し書きます。(2008/12/28追記。KATOのはこっちです)

まずアウトライン
この列車は1883年、ベルギーの銀行家ナゲルマケールス(Georges Nagelmackers 1845-1905)が設立した「国際寝台車会社」(Compagnie Internationale des Wagons-Lits/コンパニ・アンテルナシオナル・デ・ワゴン・リ…通称ワゴン・リ。横文字はフランス語、以下同)が、パリ=コンスタンティノープル(現イスタンブール)に走らせた直通急行が端緒です。国際急行というアイディアと、それにふさわしい設備・接客サービスを有した列車は好評を博し、オリエント急行と呼ばれ定着。特に、王侯貴族を筆頭とする、社会的地位の高い階級に支持され、そのステイタスを上げて行きます。最盛期である1930年代には経由地の異なる4つの姉妹列車を運転、文字通り世界最高峰の列車として栄華を極めました。この列車の名を最も世に知らしめたと言える名作、クリスティの「オリエント急行殺人事件」が発表されたのもこの時期です(1934)。しかし程なく始まった第2次大戦で運転を休止。終戦後復活しますが、航空機に客を奪われ衰退、1977年夏「直通運転を廃止します」という時刻表の片隅に書かれた文言を最後に、一般的な列車としての歴史を終えます。

しかし、捨てる神あれば拾う神あり。

オークションに出された車輛は、栄華を知る篤志家に買い取られ修復、チャーターの観光列車として復活を遂げます。これが現在も運転されるNIOE(ノスタルジー・イスタンブール・オリエント・エクスプレス)や、VSOE(ヴェニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス)です。中でもVSOEは春~秋シーズンを定期的に運転しており、日本語公式ホームページもあるなど、安定した運転状況にあるようです。

以上詰め込んで頂いたところで。
この列車が、ここまで人々をひきつけるその理由は何でしょう。
その第1は何より、オリエント急行ならではとも言うべき、その設備と接客サービスにあります。
P1100009a_4

(画像の上で右クリックして、新しいタブなりウィンドウなりで開くと全容がご覧いただけます)

例えばこれは1等寝台車Lx(luxeの略)。ワゴン・リが保有する寝台車の中で、名の通り最もデラックスな車輛です。全部個室で、定員10名。1輛ずつ専属のスチュワード(客室乗務員)が付き、ルームサービスその他の接客にあたります。空調設備は石炭炊きのスチーム暖房のみ。アルプスなど寒冷地を走行する際には、スチュワードが夜通し火の番をします。冷房無いの?と、特に我々日本人は言いたくなりますが、比較的冷涼な土地を走る事と、窓を開ければ充分である事から、問題はないようです(最高速度は140キロに達する)。

第2はそのコンセプチュアルなデザイン。
P9150758
例えばこれは食堂車WR(wagon restaurant)。この中に、壁面を装飾したガラスパネルがあるのですが、そのデザインはルネ・ラリックです。また、列車の宣伝ポスターの描き手にはアルフォンス・マリア・ミュシャの名前が見えます(正確にはPLM鉄道のポスターですが)。更には。
『内装はマホガニー。床にはトルコ絨毯。壁は絹張りで安楽椅子と机が置かれ、装飾には植物文様が認められ、アールヌーボーの要素が吸収されている』(オリエント急行/教育社・1985・p178)

アール・ヌーボー。

列車という、純粋にインダストリアルなはずのシステムで、この文言を目にしようとは。
確かに日本の戦前製造の1等車では「桃山式」など、江戸時代の城の内部かと見まがうような意匠が施されていたと言います。でもたった今の鉄道車輛はどうでしょう。エクステリアは銀ピカの無地ステンレスにストライプまいて一丁あがり。インテリアは出来合いのプラスチック部品とステンレスアームを組み合わせて電動ドライバーでガーガー。で、これまた一丁上がりです。合理的と言えば聞こえはいいが、逆に言えば手抜き。移動空間として、乗る人に落ち着きと安らぎを与えるように出来ているかと言えば…

この列車は国際列車ですから、当然、どの国でも通用するルックス…当代一流のデザインを身にまとう必要がありました。これに対し、ナゲルマケールスが出した答えが、アール・ヌーボーであり、この要請に作家達が応えたわけです。特にミュシャに関しては、母国の変遷からこの列車に対し熱い想いが込められていたことは折に触れ語られる通りです。
その結果、この列車を彩る各々は、融合しつつも自己を主張することにより、全体としての調和が計られると共に、個々の存在に魂を宿すことになったと言えますまいか。それは恐らく、人が終生の伴侶と共にある時の心理と同様であり、畢竟、インテリアを構成する調度各個の魂と、旅人の魂との共鳴現象以外の何物でもありますまい。
P9250683
室内照明を組み込み、月光をバックに撮ってみました。この佇まい、その夜空を模したか、深く青いブルー(!)をして“青きプリマドンナ”と称される事も。この金色の手すりに手をかけ、あの娘がホームに足を下ろそうとする…眺めているだけで、物語が浮かんできます。

…同封の青いホルダーに収まったチケットを開き、彼女は思わず、小さく、わぁ、と声を上げた。
 列車である。女王名を冠したチャーター便。アムステルダム発、ボン=フランクフルト=リンツ=ウィーン=ザグレブ=ベオグラード=ソフィアを経由し、イスタンブール行き。但しチケットの指定は、その途中駅、国境近くの小さな駅まで。1等寝台2号車、および第1ディナータイムのリザーブ。

 列車名 オリエントエクスプレス

 世界一の列車。

 それで、来いと。
 意図は理解できる。王族の娘である自分を遇するのにふさわしく、同時に12歳の娘を安心して任せられる移動空間。
 時間は掛かるかも知れないが、乗り換えや関わる警備云々の手間など、極秘プロジェクトと相反することになる。それよりは、一旦乗れば直通で、スチュワードが常駐する列車の方が都合がよい。
 “ディナーは正装で”
 あれしかないか。彼女はため息をつきながら、クローゼットに目を向けた。

※部屋中に線路が敷いてある皆さんへ

このページは「非鉄」の方向けに書いてます。Lxはオリ急専用じゃねーとかEPIIの頃オステンデ編成ウィーン止まりとか把握してはおりますが、言い出すとキリがないため、そういう細かい事は一切略してあります。雰囲気雰囲気。なお、もっとヲタな話はこっちでやってます。

http://www013.upp.so-net.ne.jp/sunop/SimplonOrientExpress.html

※更に模型購入キボンヌの方

2006年末にシンプロントンネル開通100周年記念で久々に生産されました。
HOがリバロッシ。Nがアーノルトです。私が買ったのはここ。

http://www.modell-bahn.com/

※「アール・ヌーボー」に反応した皆さんへ

私の本職(?)は鉄道ヲタクです。「左右非対称で植物文様」というものすごく荒っぽい認識しかございません。ただ、別口できたのじゅんこファンでもあるので、接点としてこの列車を取り上げたまでです。ご無体な事は仰らずさらりと流してやってくださいませ。

Ciwl486

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