相似と相違
「自然淘汰ですね」
「なるほどね」
鳥の卵がかえらないとか。
昨日まで元気に葉っぱ食べていたアオムシが今日はもう動かないとか。
例えば虫なら
「そういうこともあるのでたくさん産卵する」
という予備知識があるので、「残念だけど」となる。虫だから、という部分も多分にある(残酷な心理だけどね)。
女はその身に命宿した時母となり
男はその腕に子を抱いた時父となる
と言うそうな。男女がそれぞれ「親」を意識するタイミングのズレに注意すべし。
で、その男という存在。旺盛なまでにスケベである。
単に人間を生物として見た場合、必要の拡大と不要の淘汰の結果であるから、男のスケベは必要と判断され選択された結果、となる。
過剰じゃないかって?
人類の歴史は500万年とも700万年とも言う。その歴史の大半、人類は飢餓の中にあった。飢餓は子どもの成長を妨げ、母体にダメージを与え、そもそも誕生の機会すら減少させた。
そうした状況は、誕生のチャンスを増やす能力を欲した。…つまりスケベである。
「自分のスケベを学術的に意味づけしようとしてる『知性化』ちゃうか?」
いやいや待っていただきたい。男性の皆さん、極度の疲労や寝不足の状態にある時、激しく男子本懐がその自己主張をした経験はないだろうか。女性の皆さん、そういう状況の夫にそういう雰囲気を感じたことはないだろうか。
男性は健康を害すと「死ぬ前に子孫を残そう」という働きが本能的に強まるのだという。それはすなわち、飢餓であればあるほど、より雄々しく男性は女性を求めたことを意味する。
妻が流産で手術を受ける。昨日「病院その1」である。
事後の安静が必要なので、そのまま少し実家に逗留する予定である。
「何か足らないところがあったのかな」
妻は言う。そんなことあらすか。「自然淘汰」は人間でも起こりうる。それだけだ。
卵の蔵した遺伝子が生まれいずるに必要なコードを備えていなかっただけだ。遺伝子コピーには必ず何らかの変異を伴う。その結果が命にはならない方向に向いただけだ。
でも、妻にとっては一度宿った「命」である。妻は確かに母であったのだ。
「頑張り続けるべきなのかどうか判らない…」
太古人類があきらめたと思うか。
当時人類の子孫への欲求、繁殖への意欲は、のほほんと生きてる現代人とは比較にならぬ、鬼気迫るレベルであったはずだ。飢餓であったからこそ、生きのびようとする意欲はより強くなったに違いないのだ。
生命の本能のゆえに。
なに?意味が判らないって?
多く作ればどれか生きのびるという極限の繁殖本能のことだよ。
「習慣性流産」という嫌な言葉がある。病気か症状なのかと思ったら定義が曖昧で。
「3回以上続けて流産する場合に、習慣性流産と呼びます」
なんじゃそら。しかも。
原因不明:50~60%
言い出したヤツは誰だ。女性にプレッシャー与えるだけじゃないのか。その心理が及ぼす悪影響を考えたことがあるのか。
この種の問題で、女性側に「なぜ?」と考えされるような原因の書き方、風潮を改めよ。
男性側要因だって少なからずあるのだ。むしろ受精卵という見方をした時(遺伝子コピーの論からは犯人捜し自体無意味だが)、「原因」の存在確率は50-50である。
諦めるもんか。誰が諦めるか。それに、何より諦める必要がないという大いなる託宣を、我々は神から授かっておるではないか。
自分の顔にクレヨンでマル描いて「どうしよう」とうろたえる元気玉を。
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ワシでは説得力がないと思いますが、と前置き。
子宝と言うだけあって、まさに宝くじのようなもの。毎年年末ジャンボ買っておりますが、あたったためしなし。外れても大して落ち込んだりはしない。
ま、我が家の場合、ジャンボ宝くじは買っても、子宝くじは売り場にさえ寄り付かんかったってコトになりますかな?(ちょっと違うか・・・。)
投稿: かんちゃん | 2007年5月18日 (金) 21時44分
>かんちゃん
ありがとね(^^)
人間だって野生を残した地球生命さね。
だったらその流儀に従うまでっすよ。
投稿: すのぴ | 2007年5月18日 (金) 22時31分