上尾事件を知っているかい
ご存じ年金問題、気が付けば今月から市民税が増税と、腑に落ちない話が進んでおります。これに対して煽動罪でタイーホされやしないかというコメントをしているテレビショーもございます。まぁ確かに、60~70年代と今を比べると、“日本国民はおとなしい”あるいは無関心なのでは?と思うほど、感情的・実力行使な動きはあまり見られません。
でもだからって調子に乗ってるとしまいにゃ怒るでという良い例が、今回のタイトル、上尾事件であります。
まず準備として「順法闘争」の説明をします。この事件の起きた当時、1973年は、今のJRは「日本国有鉄道」(国鉄)という、名の通り国が所有する全国組織でした。従って駅員、運転士、車掌、車輛の整備や線路の保全など、関わる仕事全てに携わる従業員は、「公務員」でした。公務員は労働争議の手段としてのストライキが禁止されておりましたので、彼らは代替手段で経営側を困らせることにしました。これが「順法闘争」です。
順法:法を守ること
ハテ?法を守ることがなんで闘争になるんだ?…これには首都圏の鉄道事情と信号システムの仕組みが絡みます。要は、通勤ラッシュに対応するため、信号・安全マニュアル通りの運転をしていなかったのです。そうしないと運びきれなかったのです。そこを逆手に取り、カッチリマニュアル通りの運転をし、時刻通りに列車を走らせない。これが順法闘争です。この結果、ダイヤはグダグダ。乗客は殺人的混雑と絶望的遅延の中に置かれてクタクタ。不満は次第に募って行きました。これをふまえて。
1973年3月13日。
埼玉県、高崎線上尾駅。午前7時20分。
乗客であふれかえるホームに、上野行き普通電車が定刻より14分遅れて到着。
引き続き隣のホームにも上野行きが到着するが、何せ順法なので発車せず、双方列車には超満員の乗客が放置、プラットホームの乗客も乗れずに放置。
そこに構内放送が流れる。列車双方とも上野まで参りません。2コ先大宮駅で運転打ち切りとなります…。
ぷちっ。
キレた乗客は電車の先頭、運転室を囲みます。恐れをなした運転士は駅長室へ逃走。
運転士のいない電車は動けません。乗客の怒りはヒートアップ。線路に降りてバラスト(敷石)を電車に投げつけます。
がしゃ~ん。
それは列車のガラスと共に乗客の堪忍袋もブチ割れる音でした。こういうのは一旦誰かがやれば、後は便乗あるのみ。2本の列車とホームの乗客、人によって数違いますが、恐らく万の単位の乗客が上尾駅駅長室を襲撃したとされます。持てる物みんな武器にして駅長本人に殴りかかり、駅の設備、電車を破壊。更に駅から溢れ出し、線路上に停車していた特急電車に石を投げ、隣近所の各駅へと暴動は飛び火、駅員を拉致して線路上を歩かせる吊し上げ行為まで行われました。この結果終日高崎線はマヒします。「上尾事件」の全容です。これに驚いた組合側は一旦順法闘争を中断しますが、程なく再開、これが今度は「国電暴動」と呼ばれる同時多発暴動事件を引き起こし(同年4月24日)、ここに至ってようやく順法闘争は中止されます。
え?何が言いたいかって?この事件に象徴されるのは、いかに「乗客の立場」で彼らがモノ考えてなかったかってこと。その点でこの事件から30余年経過した今日でも、お役所系の方々が市民感情を理解しているかどうかというと…。
安倍ちゃん。内閣支持率の低下、軽々に受け取らない方がいいんじゃないすか?
↓ようつべ
http://www.youtube.com/watch?v=gsJGABoziAk
~以下日記~
娘から父の日のプレゼント。似顔絵つき小物掛け。うはは。ちゃんと顔描けてるよ。
オレ、絵描けなかったもんな(学習障害と思われる)。とりあえずカギ掛け。
備忘ちゅーか記録。P舎に出せと言われた書類を送る。賞金振り込み用口座番号。入賞盾手渡しとやらのアポ日。24日日曜か25日月曜と書いた。出版費用幾らかしら?(笑)
※注:自腹切って出す気はありませんよ
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