大県神社
田県神社(たがたじんじゃ)をご存じの方は多いと思う。陰茎を本尊とする子宝と豊穣の神社であり、祭礼でそのご神体を御輿に載せて練り歩くというビジュアル的インパクトから、一躍世界的に知られることとなった。陰陽の倣いに従い、女性側を本尊とするのがこの大県神社(おおあがたじんじゃ)である。
ご承知の通り、性器信仰は子宝への神秘畏怖と、子孫繁栄の願望から派生した、最も原始的で、人間の生物原理に基づく宗教の原初形態である。殊に日本神話では冒頭よりイザナギ・イザナミの夫婦和合を取り扱っており、古来倭国に住まう先祖達が、強い関心を持っていたことを伺わせる。これは背景として当時出生・乳児生存の率が非常に低く、「命の継承」に対して奇蹟を感じたためでは、と考えさせる。
従って大県神社も出自は古いものと容易に予想できる。
実際、案内冊子や境内の看板等の説明を追うと、垂仁天皇27年(紀元前3年)に現位置に移ったとあるので、記紀時代より存在した土着信仰が原点と想像が付く。
尾張国は駅名「尾張一宮」で知られる「真清田神社」(ますみだじんじゃ・ 祭神は天火明命)を起点に発展したが、「二宮」がこの大県神社であり、尾張開拓の祖神・大県大神(大荒田〔おおあらたのみこと〕とも)を祀る。女性器信仰の地に開拓の氏神を祀る。理にかなった成り立ちと言える。
さてその女性器を本尊とする大元の神社はというと、摂社「姫之宮」として境内の奥にある。
「姫石」という。ご神体なのでこれ以上の拡大はご容赦。女性器近似の形状をした岩である。内部に石英結晶を蔵した花崗岩なども置いてあった(球体の中に宝がある…子宮に見立てられたのであろう)。祭神は冒頭大荒田命の娘で子供6人をもうけた玉姫命、五穀豊穣の神様である倉稲魂神(うがのみたまのかみ)である。とはいえ時代の流れから言えば、土着の信仰に追って神の名を、というのが妥当なところであろう。御神得はもちろん、安産、子授け、縁結び、夫婦円満、…要するに女性と女性性の守り神である。
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