死した我が子尚持ってその尊厳傷付け続ける親有り
いきなりだが自作中から一文引用する。
『言っても無駄』…いじめの被害に遭っている子ども達が良く口にするこの言葉は、そうした状態を自己認識している表れである。理解者も、味方もいない、そういう意味だ。本来、親や教員は、子供にそんなことを言わせたことを恥じるべきであろう。
…息子がその妹を殺害し、更に遺体を損壊した事件で、親はこうのたまった。
・娘は攻撃的反抗的
・長期にわたりいじめを受け、リストカットを繰り返した
・男性遍歴があり、堕胎も経験
・兄に情状酌量を
率直な感想書くぞ。
オマエラ首吊れや。
何でバラバラにされて尚ここまで貶められなあかんねん。しかも自分の親に。
「反抗的で攻撃的」
そうなった理由考えたか?
傷付けられるばかりだから、刃を向けて防御するしかないからじゃないか。
真の理解者がいないと感じてるから、誰に対しても信用できないんじゃないか。
親であるオマエラですら。
親が味方じゃないとなったら、子どもは誰を頼ればいいんだ?信用すればいいんだ?
この娘は足用の制汗スプレーをプレゼントされた際、こう言ったという。
「私の足が臭いと言いたいの?」
あげた方はカチンと来ますわな。普通は。そんな意図無いのに何で、と。
傷付けられてる人間には、自分に向けられた何もかもが、攻撃に思えるんだよ。
否定の行動に思えるんだよ。
この時「何この子」ではなく、「少しおかしい」と家族が捉えることができれば、こんなことにはならなかったかも知れない。攻撃的であるその真意に思いを致すことが出来れば。
などと書くと。
「そこまで判るもんか。無茶言うな」
言う人があるかも知れぬ。そんなアナタに私はこう返す。
「失礼ですが、子どもさんいらっしゃいますか?」
子ども観察してれば、このくらい難しいことではない。行動を否定してご覧なさい。泣いて怒って叩きに来る。攻撃には理由があるのだ。でも、この親はそのようには捉えなかった。長期にわたりいじめを受けていたと言っているが、それを知っていたということは、逆に言えば長期に渡る娘への攻撃を許容していたということだ。
この事件に関しては、当初「兄がぶち切れるのは当たり前」みたいな風潮だったが、その実は親から本来得るべき愛も保護も受けなかった上、身内に殺されてバラバラにされたというこれ以上ないほどの悲劇だ。あまつさえは死して尚否定語を浴びせられる。非難されるべきはこの親のみであって、妹を殺すほどに追い詰められた兄の方も被害者だ。
親は子どもの最大最強の庇護者であらねばならない。自戒を込めて。
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