実家システム革命過渡期【2】
地デジが始まったからって早速飛びついたかと言うとそうでもない。むしろ慎重派で、壊れ次第ボチボチ更新して行けばいいや程度の認識だった。実家はアナ-アナ変換の対象地域だったが、アナログテレビ5台とVHS4台の設定変更はそりゃ業者サマにはご苦労なことだったであろう。
それが急速に地デジ対応液晶テレビが繁殖することとなる。きっかけはメインモニターだったトリニトロンの32インチが逝ってしまったことだ。
この期に及んで拒む必要もないので地デジ対応とする。そうなると地デジならではの機能を活かせないと面白くない。…すなわち「地デジを見られるが録画できないってどんだけ?」なわけだ。ただ、録画可能とするのはいいが、普段いじるのは団塊エリアの両親である。
HDD内蔵液晶テレビ。それが答えだった。自ずと当時のラインナップからヒターチになった。
ところが。
番組表見ながら…キーワードで勝手に…再生するにもボタン一発…はその両親にとって革命的だったようで。
「ベッドサイドのテレビでも地デジ見たい」
と言い出したのは母親。はいはいパーソナルユースの液晶にしましょ…で、地デジ液晶2号機、アクオスが2007年見参する。
が、今回の里帰りで母親がまた無茶を言い出した。
「録画したい」
をいをい。
録画したのを寝ながら見たいと。だったら最初からそう言えや。
「(ヒターチみたいな)内蔵ないの?」
ない!。内蔵はデカいのだけ。…しかしなんだ、「テレビデオ」は14インチとかパーソナルユース向けが多かったのに、地デジの録画内蔵はなんでデケーのばかりなんだ?
さておき、そういう利便性求めようとしたら各社昨今流行りの「○○リンク」噛ませばいいのだが、先に購入したアクオス君は対応前だ。
仕方ないのでアクオス君は父親のベッドサイドに転籍。母親ベッドサイドには「ビエラリンク」でシステムを再構築する。そ、新たにテレビとレコーダー買ったわけ。HDMIで接続して電源まで完全同期制御。松下にした故は名古屋のレコーダが松下だからナニか訊かれてもすぐ答えられるし、まぁ、システムとして破綻はあるまい、との判断による。つなぎ替えてグチャグチャ。母親に操作説明。番組表から録画を叩けばデータがレコーダに転送される。レコーダの中身を見たけりゃビエラリンクボタンからうんにゃらもんにゃら。これなら内蔵と変わらんめ?
これでなんと実家テレビは全てデジタル化されてしまった。そうなると残ったのが音声側の対応というわけで、Z11なのだ。
ちなみに価格と納期を訊いたら…ふんふんそうかい。デノンのあれとパイオニアのあれの価格を聞いてからでも遅くはないな。
「で、話変わりまして…こいつ今在庫あります?」
「あ、ありますよ」
こいつ。
「最新DSPデジタル規格対応のアンプの話しながらレコードプレーヤ買うのもアレですが…Z11ってMMのイコライザー積んでるんですよね~」
「だったらプレーヤのイコライザーはオフにしてアンプのイコライザー使われた方が良いかと」
あ~そうですか。
昨日のリスト修正。アナログレコードプレーヤ デノン DP-29F
そして現在父親がi・Linkを使ったテレビHDDから単体HDDへの「ムーブ」を勉強中である。
デジタルの利便性は、AV機器に疎かった両親を刺激したようだ。
ちなみに、現在実家屋内には、任を解かれたトリニトロン数台とアナログ液晶テレビ、経年でリタイアしたパソのモニタ、VHS2台、CD/LDプレーヤなどが累々と横たわっている…
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