性格の問題じゃなくて
詭弁を弄する人間は自分が如何に愚かで見苦しい行動に及んでいるか自分自身は理解できない。よ~く引用するが、心理学者のフロイトは、医者に禁煙を勧められてこう応じている。
「君は私に長く苦しい生涯を送れと言うのか?」
この種のフラストレーション対応に対する端緒を開いたのはフロイト自身である。
どこぞの高校でいじめ原因による自殺騒ぎがあった。耳に穴を開けられるなど凄惨を極める内容で、母親が学校に相談していたというのだ。にもかかわらずそこの校長は因果関係を認めようとしない。あまつさえはこちとら小話に書いた台詞テレビでそっくりそのまま言って下さるんだから驚異驚愕である。
さてこの手の話で良く出るのが「心が弱い」「性格的に」自殺へ向かったという意見である。識者と呼ばれる人まで堂々とそうのたまう。
仮に本人がいてそれ聞いたらどんな気持ちがするかな?
小話書いてて自分自身洞察的に得られた結論は、いじめというのは人格破壊行為だというものだ。繰り返される。全て否定される。それがある種の洗脳として作用し、自分に対する自分の認識が変わってしまうというわけである。戦争に代表されるように人間は最終的に心(プライド)を命より高位に置く。否定の挙げ句に自分への価値観が見い出せなくなれば自分を破壊してしまうのである。自分の子どもにバカだアホだ言い続ければどんな状態に至るか想像してご覧なさい。なのに何故「いじめられる」という心理に考えが及ばない。
本題はこの先である。勤め先でひとり自ら命を絶った。違う組織だし面識もないが、至るまでの経過を聞いて背筋が凍った。
「設計にいて鬱病になって休養、復帰後ひんしつほしょーに移ったが…」
オレは同様に休んで万博だ乗り鉄だ遊びまくっている。
そしてその後は幸いなことに負荷は軽減してもらっており、心療科にも通っていて、主観・客観的に自己管理が可能な状態にある。査定は上がらないだろうがくたばるよりマシだとある意味達観の状態にある。生活さえ成り立てばがっつこうという気にはならない。「野心がない」と言われればそれまでだが、今の会社のシステムを見てると、それこそ↓先に書いた「猛烈な配管」に似た何かを感じる。そこまでしなくちゃいけないのなら、そこまでする気はないのである。
設計の若いのが今日ウチの事務所に来た。小話の魔法娘じゃないが「心傷ついた顔」をしていた。久しく見なかったと思ったが
「1ヶ月ほど休んだ」
と聞いた。何のことはない。自分含めて本日ただ今このページに書いている3人目ということだ。
その痛々しいことと言ったらない。常に「何か言われるんじゃないか」と気にしている目なのだ。自分に対する周囲の視線を「縮こまって」見ている。
恐るべき可能性を提起したい。
これら事例は「設計」という職場が、「それでついて行ける人」に言わば「民族浄化」されつつあることを意味する。すなわち「猛烈な配管」が「常態」と化すのである。当然、新人さんにも急峻な猛烈化を要求する。これは、要求に応じられないと「自分はダメなんだ」と思いこんでしまう事態を生む可能性を示唆する。ちなみに後から入る人ほど、その間の蓄積も含めて覚えて行く必要がある。覚える内容がどんどん増えるのである。我々が学習すべき歴史が、明治の学生より100年分多いのと同じである。このことは「可能性」の確率をどんどん上げる。
もう一つは「表面上OK」を生み出す可能性である。端的には間に合わせよう、要求に応えようとしてミラージュを作るのである。現時点ですら設計上の取りこぼしと思われる不具合が見受けられる。トップスピードを基準に全員そこに揃えろ!という形を取るなら、このことはひんしつほしょー的に心理学的に憂慮すべきと考える。
メンタルヘルス…表面上は部署があり、気をつけなさいというメールが文書が上から降ってきている。しかし下からの悲鳴、これら事実の裏にあるものに対する目線は全く感じられない。「OKかどうかではなく、NGを発見する」目線である。
設計と製造は車の両輪である。
そしてそれぞれ、鬱病と労働災害が増加している。
「納期に合わせてものを作れ」…ジャストインタイム
そのコンセプトは人間の「創造プロセス」に当てはめた時、そもそも合致するものなのだろうか。
ポアンカレの発見は彼が馬車から足に地を付けた時に訪れている。
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