2012年でぐぐると地球が滅亡している件について
「神智学」的な書き方してやろうか?
それを口にし流布し人々を戸惑わせることがエネルギーバランスに与える影響を考えたことがあるか?
何のためにイエスは平然と十字架を背負ったのだ。「恐れることはない」既に彼が言っているではないか。
2000年前に出ている結論を、ナニを今さら蒸し返す必要があるのだ。
あんたらそんなに地球に滅亡されたいか?
オカルトな話書くのは好きだが蒙昧な話は嫌いだ。
特に科学的に明らか(証明済み・明らかに嘘)なことをグチグチ言うのはバカとしか言いようがない。
このネタ掘るとまぁいろいろ失笑する「根拠」が出てくる。マヤ歴だフォトンベルトだ。
ちなみにフォトンベルトの「原典」はこいつだ。
すげーなおい。ホントに科学雑誌のアブストラクトを思わせる作りじゃねーか。途中から大嘘になっているのがミソ。
マヤ歴は…ノストラダムスもそうだが、そこで終わりというなら、未来永劫まで予言されないと安心できないという裏返しであろう。要するに自分で自分を決められない人がそこに陥るわけだ。
ズバリ書くが、「全てが決まっている」なら人間が人間である価値はない。
「神は自らに似せて人間を作った」…聖書の頭に書いてあるではないか。神は誰かに決めてもらっているのか?
犬猫にも意思はある。昆虫にだって個性はある。
だがそこから何かを生み出そう、変えようという行動を起こしたのは人間だけだ。
その人間が何かにおもねろうとは何事だ。それは退化ではないのか?
それこそ神の意志に反することではないのか?
全てが神が与え給う。しかし実際には何もしなければ飢えて死ぬ。
自分の食い扶持は自分で稼ぐ…それが地球生命の基本だからだ。
与え給うのは努力に対する「報い」という意味だ。
何もしない犬猫がいるものか。南極で生き残った犬は自ら縄を噛みちぎった。
我思う。故に我あり。デカルトの言葉だ。人間が人間であることを自覚するのは人間が人間以外の何物でもないからだ。
2012年に恐れおののいてここへ来たあなた…それはその時点であなたがこの苦しみから解き放たれることを意味する。なぜならそのつもりでオレはこう書いているからである。そしてアナタがここまで読み通したのはその意に首肯したらからであろう。
神は「選択の機会」は確かに与える。運命というものは選択肢の提示に他ならない。
しかしその選択肢から何を選ぶか…それはアナタの意志であり、その選ぼうという気持ちこそが神が与えたもうた「人間ならでは」である。
聖書は恐れおののくために書かれた物ではない。イエスは釈迦は人を救うために説いたのだ。
ポジティブな思いをネガティブに受け止めてどうする。
アセンションだフォトンベルトだ言ってるオマエラ。
勝手にどっか行け。
オレは地球に住む。
地球に生まれたから。
だから地球が人間の悪事でグダグダになりかけてんのをどーにかしよーとしてる動きに参加する。
イヤなら勝手にプレアデスでもどこでも行け(笑)
« Dolby | トップページ | 海の外はホントに得か? »
コメント