やめようよこんなの
『QCサークル活動に残業代』という電光ニュースをミッドランドスクエアの地下で見たわけだが(笑)
※このツカミの(笑)の意図がワカラン場合はそれぞれ検索してください
例えば物語が生まれるという過程は↓の方に書いた西澤センセの言う「創造の過程」を現実に踏むわけでなくて、ある瞬間に突然訪れたり、「そろそろ次…」と俎に上げたところで自動販売機のジュースのように出てくるようなスタイルのことが多い。インスピレーションとか霊感とか言われるモノに類似しているが、日常生活の些細な出来事やふとした発見(つまりそれらを「意識した」)が、脳みその中を巡るウチ、データベースのあれやこれやと有機的に結びつき、物語のDNAとなってもたらされるというのが正確なメカニズムのようだ。言うなればその「考えに考え抜く」というのをバックグラウンドで自動実行している、となるか。最もそれを仕事にした結果、フォアグラウンドでリアルタイムに実行することを要求され、身体を壊した創造者達は数多い。
逆にそのパターンが仕事で「小さな発見・改善」として現れる、というパターンもあるだろう。最近仕事が面白いと書いているが、タグチのおかげでそのようなバックグラウンドルーチンがオレサマの脳みそにも形成されつつある。少々暴走気味の気配もあったが、ココ1~2日は落ち着いた感じになってきた。振り返ればそれ対応に仕事で得てきた知識や経験の組み替えが行われ、終了から完成段階に入りつつあると言えるであろう。煮詰まったら放っておくと少し時を経て答えが出るのだ。自分は「考えてる」という意識はないので、苦心惨憺懊悩苦行というストレスは伴わない。それこそ話が生まれるプロセスと似ていて、そっちが実績があるだけに、似てるというのは答えに対して安心感を与える。
何言いたいかって?
「QCサークル活動」って今やバックグラウンドのフリしたフォアグラウンドそのものだろっての。
名目上バックグラウンドだから「自主的=無賃金」という扱いになってるだけのただ働きそのものだろっての。
仕事を改善する自主的な活動って仕事そのものと何が違うんだ?
仕事を効率よく進めるために工夫することも仕事だろうが。仕事は望む結果を求めてエネルギー食って結果を出すことだ。理科の教科書に書いてあらぁ。これに従えば人間の根本的な原理として仕事したんだから対価出せ。
実は名前こそ違うがそんなコンセプトの「自主的な活動」のため、この土曜日に会社に行った。勿論、うっとうしいことこの上なく、「自主的」だから出なくてもいいんだが(実際去年は一度も出ていない)、扱っている技法にオレが受けた別の講座(すなわちタグチではない)が絡んでいるので、出ざるを得なかった(この言葉が出てくる時点で義務である)わけだ。勿論、昨今QCサークルの常として、今日のための準備を会社で仕事中に集まったりメール飛ばしたりウニウニやっている。バックグラウンドのためにフォアグランドの時間を割くのはフォアグラウンドの効率低下そのものではないか。効率改善のための活動の準備のために効率低下。もうアホかとバカかと。
「これを10年やっている。品質意識の持続の現れだ」
部長がシメの能書きで鼻息荒く言った言葉。ちゃうやろ。10年も品質ネタで続けてるってのは根本的な解決ができてないってことじゃないか。逆に恥ずかしいことじゃないのか?
「完成しなかったところは小集団活動で空欄を無くしておくように」
それはつまり今日のこれは「仕事」そのものだってことだろ?しかし80人から集まって「サークル」活動かい?おめでてーな。
ちなみにこれのおかげで幾つかのミニプロジェクトの仕事がおろそかになっている。でも理由を聞かれたらそのせいだと当然答える。だって実際そうだもんよ。
成果主義言いながらチームで動け。一体どっちがいいんだ。
ナニ?オマエは業務改善の意識がないのかって?休みの日には休みたい。それだけさ。個々人のタスク負担が増えてる昨今、ナニを好きこのんで更にただ働きする必要があるんだ。最早時代に即した活動じゃないよ。
あ、タグチに基づく機能性評価の方法はオレが脳みそで回しておくぜ。改善に一番手っ取り早いのはフロントローディングだろうが(ビデオデッキと違うよ)。
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同感です。
こんな無駄なことやめればいいのにっていつも思います。しかも、ウチの会社は自主活動といいながら金は取るわ、活性化競争なんてくだらんもんがあって、最下位だとレポートかかされるわで最悪です。
なんで、こんな無駄なことやってるんでしょうかねぇ。
僕も不思議でしかたありません。
投稿: | 2010年4月 6日 (火) 20時05分
コメありがとうございます。
「より良くする」「今のままで良いと思わない」
という意識を持ち続けることは大事なことだと思うのです。今のままでは、今以上にならない。
ただそれを義務にしてしまうと、そっちに力点が移ってしまい、本業の方がおろそかになってしまう気がしてなりません。
「カイゼン」は本来「これ、こうやった方が良くね?」というライトなノリから始まったはずです。それは余裕から生まれる気づきであって、義務化すると余裕を失います。
当方今はコンプラ部門にいて、ラインを離れて久しく経ちますが、聞こえる範囲では、小さなアイディアを吸い上げてライン・工場単位で大きな実にするとか、生管にカイゼン優秀者を集めて「ムリムダムラ」発見チームを作って、1週間程度ラインに張り付き、あれこれ改善提案をする、などという手法を採っているそうです。これらは言うまでもなく「QCサークル」活動自体のカイゼンです。
ざっくばらんな場で、上司殿に「やり方見直しませんか?」と提案してみては如何ですか?
投稿: すのぴ | 2010年4月 6日 (火) 22時06分