命の不等式
自分の心の価値 < 人命
が成立した時、人の心はこの不等式を破壊するため、命に手を加える。
他人に発揮されれば殺人。自分に発揮されれば自殺。大規模になれば戦争と呼ばれる。
但し戦争の結果、逆転に成功した功労者は「英雄」となる。
「捕虜になるのは恥ずかしいことだ。恥を掻くくらいなら死ね」
いわゆる集団自決の背景にあったとされる文言である。繰り返しにより、確定された価値観となり(洗脳)、捕虜という存在は命以下となる。従って、捕虜という状態が予測できるとなった時、実際発揮される可能性がある。この不等式は成り立つ。
いじめによる自殺。
お話にも書いたが、いじめとは心が強いとか弱いとかいう問題ではなく、集団で一人の人格を破壊して行く行為である。ののしり続けることで上記「捕虜は死ぬより恥」と同じ、自分に対するレッテル付けが行われるのである(※)。そしてある時、不等式が成立する。
「逃げ」だ。
「勝手」だ。
「私も死にたい」
自殺についてはいろんな人がいろんな事を言う。ただ、これは真実と書けることは、その人はまず「自分が『死ぬほど』みじめな、或いは辛い気持ち」にあり、それが目下の全て、になっていることだ。傍目には些細なことでも感受性の強い人は敏感に反応するが、傷ついている人ほど、余計に傷つきたくないと思うがゆえに、その心のセンサはより敏感に反応する。しかしその敏感さは周囲に時に奇異に映り、しかして敏感の故を理解されず、避けられる。そして敏感な心はその敏感のゆえに「避けた」ことに気が付く。
そして余計に傷つく。そのスパイラルこそは「心の価値」を下げて行く。こうして、傷ついた心にとって「肯定」以外は全て攻撃となる。
すると、攻撃を避けるために、攻撃を受けないように行動する。
心の傷を気付かれないように「普通に」振る舞うのである。…そうすれば「避けられない」から。
「いつもと同じでそんな素振りは微塵もなかった」
演じられた「普通」。
そうでない「普通」。
見分けるのは相当その人に関心を払っていない限り難しい。そして関心を持たれていると自覚している心は、スパイラルには陥らない。…なぜなら安心しているから。
必要なのはその心へ言葉を掛けること。でもそれは傷ついた心にとって、最も恐ろしいこと。なぜなら。
「自分のことは自分で管理するべきだろ?出来ないのは弱いんだ。辛いなら辛いと言えばいい」
傷ついた心は最悪のレスポンスを想定する。想定の結果によっては、元より口を閉ざす。
そんな面倒くさいの付き合ってられないという見解は理解する。否定はしない。その代わり、それは判ったから何も言うな。なぜなら、そうした見解を表した言葉こそは、心の傷をより深くするからだ。雄弁は銀だ。
しかし沈黙は金だ。
普通にならなくていいよ。
なぜなら、もっと苦しくなるから。
傷ついた指からは血が流れる。心も一緒。隠す必要なんてない。
でも、血は止めなくちゃね。そのためには傷がどうなってるかきちんと見なくちゃ。小さければ、放っておけば止まるかも知れない。大きいなら、ちゃんと止血しなくちゃならない。もっと大きかったら、それは治療が必要だ。
傷の大きさをどうやって測ろうか。それは傷の正体を文字にして書いてみると判る。但し書き方がある。まず。
「本当はこうだといいのに」
を最初に書くんだ。
そして、それを邪魔している、とあなたが思っていることを書き出して行く。
ゴチャゴチャしてる?だったら時間の流れに沿って書いてみると、書きやすいと思う。
終わったら、全体を眺めてみよう。
それだけで、だいぶ変わる。
大丈夫。
※その、自分で自分にレッテルを貼る…という部分を捉えて「心が弱い」と言うのであれば、自分の子どもにのべつアホバカ言い続けてみるがよい。そして子どもが「もうイヤだ」と言った時、「お前は心が弱いなぁ」と言ってやるのだ。…あなたは「英雄」になれる。
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