太陽の町
少し書かせてね。「地元」の人間だもんで。
八王子には大学が20校から存在する。
合格した学生が近隣に一人住まい、バイトしながら通う。よくあるパターンである。
朝の電車は学生で一杯だし、夕刻になると町は若さに彩られる。
ユーミンが詩にした頃と町の様相は変わったけれど、ランドスケープに含まれる武蔵野の緑と、制限の中で思い思いにおしゃれした学生が行き交う……という取り合わせは、21世紀になっても変わらない。八王子を行き交う女の子達はみんな可愛い。
それは……敢えて書くならば「不定」と「不安」を持つ心に取り、その心のランドスケープと真逆対照に映るかも知れない。
ユーミンの詩に出てくるこの町・大まかに多摩地区は、どこかしっとりとした、雨を伴った描写をされていることが良くある。→c.f.雨のステイション。確かに、山懐のこの町は、都心に比して雨日数が多いようだ。
しかし写し込まれた儚い恋心は、雨に濡れた緑の放つ、ゆえに生き生きとした鼓動によって、ただ悲しいだけにはなっていない。彼女はこの町を、多摩という地域の「気配」をよく知っていると判断できる。16号線を真っ直ぐに駆け下れば保土ヶ谷バイパスと横横を経て三浦半島へ通ずる。そう湘南である。彼女はこの海沿いをまるで対照的に詩に切り取る。
高尾山に登ると霞んだ大気の向こうに新宿の高層ビル群と眠らぬメガロポリス東京を遠望できる。手前武蔵野丘陵。比して光と熱を発散し続ける煌びやかな都市の極相。
太陽の町というのは、ここの夏祭り向けに作られた踊りの歌詞の中に出てくる。♪葉っぱキラキラきーらきら……そんな風に続く。葉っぱが煌めくのは雨に濡れた裏返しであり、比してどこか太陽を意識している表れであろう。最も、市民一般太陽を欲している、というわけではない。ただ、雨が多いという認識は無意識にどこかにある、というわけだ。
22日夕刻から夜の八王子。
気温は風が流れてきて30度を切ったはずだ。駅前はビル間を行き交う気流が涼しく、それは都市の炎熱であぶられた空気の塊ではなく、山間の冷えた空気が丘陵地へ降りて来たもの。夏休み最初の平日。ラケット背負った夏の制服、クリームをなめるTシャツ姿。デパート「そごう」に出入りするオシャレ着のおばさま達。
「ハリポタ」の早売りで知られる別の本屋は、発売日を前に盛り上げに忙しい。
妻の携帯に仕込んだsuicaの調子が悪いからと、オレは携帯を預かって窓口の「鉄道むすめ」とデータチェック。
父親は我々を迎えに行くため16号線をクルマで走っており。
妻は娘と、風抜けるペデストリアンデッキ「マルベリーブリッジ」の下でオレを待っていた。
その時点で彼女はいつものようにバイトに入っていただろうし。
その男は既にその駅前のどこかにいたことになる。
夏の残照。吹き抜ける風。人々は忙しいか、微笑んでいるか。
そういえば駅前からホームレスの男性達が見えなくなって久しい。
自分以外全部敵……「誰でもいい」の裏返しはそういうことであろう。認められない自分と、自意識とのすれ違い。
駅前と、意識との対極性。
これから八王子は夏祭り。7月ラストは花火大会。8月アタマは盆踊り。
花が1輪足りない。
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ユーミンが住んでいた頃とはもう時代が違う。そーゆーことにしておかないと、いやな事が多すぎる。
確かに言える事は、30年前、私たちが子供の頃の夏はこんなに暑くなかった。
投稿: かんちゃん | 2008年7月29日 (火) 21時26分
オレ達は夏休み外で遊んでいた。
でも、今の陽気は、子どもを外へ出せない。
悲しみの(あえてこっちの字)ルート16
投稿: すのぴ | 2008年7月29日 (火) 23時23分