おべんとうのおもいで
少なくとも物心ついて初めて食べたのは幼稚園の遠足あたりだったはずである。
ただ悲しいかな幼稚園の頃その辺の記憶は全くない。給食もどきのチョコパンのチョコをかじったことと、幼稚園なのにテストがあって、花丸じゃないと怒られた記憶しかない。
小学校は最初から給食だったから、お弁当は遠足と運動会になる。遠足のお弁当は記憶がある。いつも同じだったからだ。シャケのおにぎり3個と鶏の唐揚げ。野菜は母親にお任せ。好きだったし、唐揚げってのは一口サイズだったから、食べやすかった。
高学年になると、親に余計なこと考えさせなくても良いとか気を遣って「去年と同じ」と言ってた覚えがある。おにぎりは炊きたてご飯にすぐノリを巻く。ランチの時にはノリはしっとり。後年、コンビニでノリがぱりぱりのおにぎりの存在を知った時、違和感の塊だった。
中学は給食じゃなかった。図体だけでかいはちおーじ市に中学校30校から給食の世話を焼くカネはなかった(笑)。高校とも合わせ6年間弁当だった。アルマイトの容器にドンブリ一杯分の飯とおかず。懐かしい言葉で言えば「ドカ弁」だ。食うと言うよりがっついた。あれだけのエネルギーどこへ行ったやら。
ただこの6年、弁当は母親に相当な負担を与えたようだ。実はこの頃父親が三交代制のシステム管理(今で言う)の担当になり、夜食弁当を必要とした。朝な夕なに弁当作り。
「あーもういや!!」
朝飯は晩の残りで済ます……精一杯の息子の協力。
卒業と共に弁当の時代は終わりを告げる。大学は↓書いたあそこの学食。今でこそ質も上がり、更にはマックまで抱えているようだが、当時は……たはは。ただ論文書きでみんなして籠もった頃は、食料調達!とか言ってコンビニに買い出しに出た。
で、就職後は「工場弁当」である。転勤で幾つか動いたが、一番きつかったのは独身寮の頃だ。↓書いた「そんな飯」が、朝な夕なはおろか、朝昼晩三食そのクオリティなのである。これは堪えた。嬉しくてもしんどくても何があっても待っているのはその飯だ。何もかもがリセットされ萎えてしまう。ドカベンの大食漢が満足に食えず、栄養不良でひっくり返って救急車初体験。デリケートだったのだ←ウソつけ
そしてその次の手弁当は結婚し家族で出かけるようになってから。ミッシングリンク10年ですか?長かったなぁ独身貴族。。。
さて弁当の話を語るならば、鉄道ヲタクとして駅弁は外せない。好きだったのは「深川の牛飯」(東京駅)。どこで買っても外れは少ない「うなぎ弁当」。新幹線でちょいと贅沢「ステーキ弁当」。娘がもう少し大きくなったら、そんな旅が出来るかな?
おべんとうのおもいで
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