2008年・神無月
独特な人が数日来駅前にいる。
郊外電車と地下鉄との乗換駅であり、行き交う人々は多い。
その雑踏の中にその人はいる。
朝いて夕方いて毎日いる。
毎日同じ服を着てそこにいる。
つまりはそういう人である。
男性、とだけ書いておく。
その人は道行く人に罵り語を浴びせる。
朝いて夕方いて罵り語を口にする。大声で毒を吐く。
工場に向かう通勤者達は突然の大声に何事かと目を向けるが、信号が青に変わると何も見なかったように顔を朝陽に戻して歩き出す。
制服の女の子は一瞥してそうと知るや少なからず距離を取り、何も見なかったように警戒しながら横切って行く。
お喋りの二人組も堅く口を閉ざして行き過ぎる。
誰もが毒に耳を取られ目を向けるが、誰もその人を見つめはしない。
夕刻はいつも近くの福祉施設から手作りパンを売りに来る。
福祉施設の男性が突如びくりとして顔を上げる。
電動車いすのノッチレバーを握る手が僅かに震える。
目線を追うとその人が地下鉄の入り口壁にもたれかかって変わらず毒を吐いている。
救いを求める心の叫びは毒の語を纏うことがある。
コミュニケーションの前提として目線を求める。目線を求めて毒が口を突く。
しかし毒は目線を引くがそれ以上はもたらさない。どころか毒はますます人を遠ざける。
それでも目線を引くにはとりあえず毒しかないのである。こうして毒ばかり吐く人が出来る。
毒ばかり吐く人は一般に正常には見えない。
そうなると心を救うことは医療的手段を意味する。
しかし、医療的手段が及ぶには人の手が必要となる。
そして朝の駅からその人の声は消えた。
そして夕方の駅からその人の姿は消えた。
オレは音の出る耳栓をして、今日も駅前を横切る。
トゲある薔薇の歌を流しながら、いつものように早足で横切る。
誰の声も聞くことなく。
2008年・神無月
« おべんとうのおもいで | トップページ | 天使にハマって »
コメント