創作の二面性
ティータイム
「ITmedia」のこんな記事(いつまで残るか判らんがとりあえずリンク)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0810/31/news118.html
「お前らの作品は所詮コピーだ」――富野由悠季さん、プロ論を語る (1/5)
「オリジナルを作っているつもりでも、所詮コピーだ」「コンテンツという言葉がそもそもおかしい。時代に振り回されるな」――富野由悠季さんが歯に衣着せぬプロ論を、クリエイターに投げかけた。
を、見ていた。富野氏「ガンダム」の中の人である。オレサマ自身はガンダムファンでも何でもない。古谷徹氏の声で「カーグラフィックTV」の方を思い出す位だ。
ただ、意見にはおおむね同意である。引用が過ぎると「所詮コピー」と怒られるので少しにするが、
・ みなさん方の時代は不幸だ。コンテンツマーケットの会場にはCGを使った作品が多いが、同じソフト使ってたら独自の物は作れるわけないと思う。みなさんはそう思ってないでしょうが。
確かに、「あらかじめ用意されたもの以上」のモノになり得ない。
・ 僕の場合は「ガンダム」という名前を付ければ全部逃げ切れるというめでたいところにいるっていう意味では幸せだなと思っています。そういうのを手に入れるしかないんです。
・宮崎駿さんがある講演会で言っていた、同じことを言わせてもらいます。「自分が手の届く範囲のことを一生懸命やることが一番の宝だ」というのは本当だと思います。
まぁこの辺で。
要するに富野さんは最早「ガンダム」ネタだけで死ぬまで食って行けるわけです。比較するに適切か判りませんが、夏目漱石も創作活動の期間は短かったのですが、奥様は漱石の死後も印税で充分に生活が成り立っていたと言います。あ、文体がですます調に変わったのは気にしない。
首肯したところでヤフーを開きました。ええ、これです。
小室哲哉容疑者を逮捕 著作権譲渡で5億円詐欺
それこそ「一生寝て暮らせるだけ」儲けたんじゃないですかこのヒト。
で、TMを離れ、独立し、或いは新しいユニットを組み、音楽以外の事業に手を出し。
・ 詐欺容疑で4日に大阪地検に逮捕される可能性が強まった、音楽プロデューサーの小室哲哉氏(49)は1日、埼玉のFM局「NACK5」の開局20周年記念番組に出演した際、最近10年間の苦悩を明かしていた。 自身の過去20年の活動を振り返り「前半10年と後半10年は全く違う。98年からの10年は、なかなか曲が出てこなかった」と吐露。(報知新聞)
何でしょうこの皮肉な対比。
小室氏がブレイクしたのはTMネットワーク。厳密には「Fanks」(これ商標なんだよね)を標榜し、ダンサブルを主体においた「Gorilla」以降になります。渡辺美里の「MyRevolution」もそちらに含まれます。ユーロビートの要素が入ったのがTRF、篠原涼子の「(略)」もそうでしょう。ちなみにこの頃ユーロビートの帝王デイヴ・ロジャースが小室サウンドのユーロミックスを作ってます。
ただ、「ダンサブル」という点では一貫してました。このブログを通しで読んで下さってる方には「y=βMを外していない」と書いておきましょうか。ええ富野氏の記事にも出てくる原理原則ですわ。「自分が手の届く範囲のこと」ですわ。
個人的には「globe」からズレを感じ始めました。妻はTMの後は眼中無いといいますが。
まぁ、敢えて語る必要はありますまい。結果が報知の記事になるわけです。想像するに
今までと違うことをしようとした→すっこーん
な~にも出てこない。に、なったのではあるまいか。
当たり前です。創作というのは天啓に似ていてもベースには蓄積・原体験があるのです。天啓落ちて来ても、それを理解し受け止める土壌がなければ作品に結実しない。
前の職場は研究所でしたが、特許の出願件数にノルマがありました。
「無理矢理発明しる!」
というわけです。
しかしノーベル賞のオッサン達(失礼)見れば判るように、発明発見には膨大なバックボーンが必要なのです。←プロフィールに尊敬する人物として挙げてある西澤教授はこうおっしゃっています。
「あらゆる手練手管を駆使して、それでもだめな時、創造が出現し壁を越える」(脚色オレサマ)
これは「必要は発明の母」とした時、発明側から見たか、必要側から見たか、の違いだけで意味は同じです。集めて集めて結晶となり、僅かな結晶は膨大な原石から得られるのです。この点でノルマ言い出した奴はアホと断言できましょう。
そして、小室氏は間違えた。
「ダンスサウンドしか作れない」……ひょっとしたらそんな自身にプレッシャーを感じ、別の何かを模索したのかも知れません。でも私はこう言いたい
「あなたはダンスサウンドの専門家ではないのか」
専門家ではいかんのか。ノーベル賞の彼達は専門家そのものではないか。
確かに万物の天才と呼ばれる才能は存在します。一通り皆しかも高いレベルで出来る。レオナルド・ダ・ヴィンチはそうですし、古代ギリシャの哲学者は物理学者と同意。もっと身近には映画監督スタンリー・キューブリックは「2001年」「時計仕掛けのオレンジ」「フルメタル・ジャケット」とジャンル問いません(とはいえ共通の何かは感じるが「生きる」という軸で)。
けれど、専門家は専門家で良いし、天才は天才でボコボコ天啓引き出せばいいのではないか?
突然大スケールの話になるが、人類の文化技術は、そうやって天才と専門家がクルマの両輪となって相互に連携し、展開され実用化され、行き渡ることの繰り返しではなかったか。
創作とは根本そういうものではないか?
ここにとんでもないアナロジーを適用する。日本列島はテクトニクスがもたらす巨大地震と、巨大地震と巨大地震の間の各種の地震が織りなして作り上げた。どっちかだけでは成り立たず、両方があって目出度くこの日本列島のこの形になったのだ。
人も同じだろう。同じ地球に生まれたのだ。地球のリズムはそういうものだ。文体が元に戻ったが気にするな。
さてここまでちょっと気にしている物書きさんの名を挙げる(敬称略)。
「瀬名秀明」。最近書いておられるか、リーマン研究者やりつつ、と聞くが、あなたはあーいうのでいいのだ。
「綿矢りさ」。どーした。受賞後のあれは立ち読みして5行で捨てたぞ。書きたい物書け。若いのがとりあえず手駒ででっち上げるような真似するな。どん欲に吸収して全部突っ込め。そのくらいやらないと魂が入らない。
「酒見賢一」新潮社のあれの第1回で500万取っていったあなた。本屋の平台に貴殿の作品はない。だが「墨攻」という映画知ってるぞ。あんたの作品は文字通り膨大なバックボーンが生み出すものだ。だから一本芯が入っている。
漱石や芥川が今でも読まれるのは一本芯が入っており、ゆえに時代に左右されない普遍性を持つからだ。小室の「ミリオン以降」が心を打たないのは何故か。
芥川の「蜜柑」に出てくる横須賀線二等車は今や窓の開かぬ2階建てのグリーン車になったが、二等車だからこそ生きてくる作品であり、その点で意味を持つ。「普通列車にグリーン車がくっついている」……横須賀湘南が金持ちの多く住む土地、がバックボーンなのだ。二等車って何だ?何で突然グリーン車?ググレカス。
マスコミのメディア戦略を説明するまでもなく、現代は「創作」にノルマを求め、食いつぶす。例えば百花繚乱のライトノベルだが、彼ら書き手は今手にしたそれの「その先」があるのだろうか。マネジメント側は「書け」と言えば出てくる物と勘違いしてはいないか。表紙の萌えなイラストに全て隠されるが、ライトといえど背後にはヘビィな資料と知識の集約があるはず。「ハルヒ」などタイムパラドクスを扱うというではないか。
で、オレはサイトの更新を機にトップにお題目を掲げた
「夢見るようなファンタジーで、命を守る」
ヲタクして手を伸ばし放題伸ばして、プランク長さのひもまで行き着いても、全てはそこに結実。振り返れば住んでいた埼玉の田んぼでバッタ取り。生まれて死ぬまで全て見届けた原体験。この宇宙の結実の一つが「生命の誕生」であればさもありなん。
さて小室さんよ。ウツがこんなコメント出してるぜ。
「彼とともに音楽を作り、笑い、悩み、楽しんできた僕らの歴史は変わりません。今、彼と話すことは叶いませんが、彼なら償い、また音楽に帰ってきてくれると信じています」
小室哲哉の何たるかを、やはり彼は誰よりも知っている。
木根尚登。
「僕は、彼がゼロから立ち直る力も持っていると思います。だから僕は、TM NETWORKの復活もあると信じています」
あんたの原点は、どこだい?
(・o・)
んじゃぁぁぁぁぁ!!!このハイレベルわぁぁぁぁぁ!!!
これホントにアニソンかぁぁぁぁぁぁごしゅぁぁぁぁぁ←ミスファイアシステムか
明日扱う。
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