星への想い
先に三大趣味として挙げた「鉄道」「オーディオ」「天文」のうち、このブログに書く回数が最も少ないのが天文である。理由は簡単で、写真を撮るのが容易じゃないから。
今日び「星ヲタ」な子どもってどれくらいいるんだろう。
タイトルだけで久住クンみたいなキャラ想像してもらうと困るのだが、水晶の原石はごろついているし、「20センチ鏡筒」の大砲も持っている。お話サイトの看板娘は「エウリディケ」だ。但し料理は焼き肉焼きそば目玉焼き←全部、切って焼くだけ
バカはさておき、いつ頃からかは記憶がない。父親が図鑑をガンガン買ってきて、その中に「宇宙」があって、多分そこから空を見るようになったのだと思う。典型的な「なんで?どうして?」星人だったから、業を煮やして図鑑で調べろとでもなったのか。記憶最下層の「天体観測」は小学2年だったかの月食だ。赤黒い月の姿に「地球の影」をイメージする大スケールを知った。
小学生のうちにあらかたの星座は覚えた。名前と位置と空で探せるという意味だ。星座の形は図鑑や教科書に幾らでも描いてあるのだが、夜空の見た目と結びつけるのは案外難しい物だ。星座の「サイズ」の目安はどこにも書いてないからだ。最初に判ったのはオリオン座だった。「ああ」ってなものだ。どか~んと大きく見えるのだが、あの「つづみ型」は実際はコブシひとつのサイズになる。判ってしまえば後は芋づる。知っていても何にも生活の役に立たないのだが、天地の営みを体感し、その中に自分があるという感覚を養った。
「感動」したことが過去に三度ある。アンドロメダ銀河を初めて見た時であり、望遠鏡で木星のシマシマを見た時であり、ヘールボップ彗星の姿を夕暮れ空に捉えた時だ。220万年の時空、同じ太陽系の遠い同居人、46億年前太陽系創世の生き証人。
妻と結婚してすぐ富士山の山懐にすっ飛んでいった。しし座流星群を見るためだ。果たして数千の流星が雨となり夜空を彩り、ある種の達成感を味わった。人は地球に生まれしかし宇宙を見る生き物になった。そっちが原点だからだろうか。
宇宙論とくっついてブラックホールだビッグバンだと果て過ぎる方向へ興味の対象が行っているが、月と金星と木星が夕暮れ空で秘密会合するサマを見てニヤニヤしている。オレの身体の構成物質もどこかの星の超新星爆発で飛んできたのかなぁ。
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こういうトラックバック「イメージが悪くなる」って思わないのかねぇ。
投稿: すのぴ | 2008年12月13日 (土) 00時41分