差別と平等
工場前でシュプレヒコールを上げている団体がある。ハケンギリハンターイ。
横断幕には「現代の蟹工船か」あのな。劣悪な労働環境で酷使するのとちゃうやろ。
さすがにやりすぎちゃいますかキョーサントーさん?
イギリスで学習障害の子どもを伸ばせ……日本でもようやく、みたいな番組。オレ全く絵が描けない。自他共に認める「普通と違う」人間。多分、今小学校に入ればそのように言われるだろう。
でもさぁ、その辺の割合を調べると5%前後の数字が出てくるんだけどさ。それって「障害」か?
興味と得意の対象がガッコで教わる内容かどうかの違いだけで、単なる個性じゃねーの?
鳥取の小学校には学級委員がいないという。
小学校でずっと学級委員長を置いてこなかった鳥取県。「リーダーを選ぶのではなく平等を重視すべきだ」との考えが教員にあり、徒競走でも順位を決めないほどだった(あさひしんぶん@ネット)
なぁ、あの。
あほ?
人間ロボットじゃないわけで、それぞれにそれなりに、なわけね。これトラブルの目を未然に摘み取ろうという大人の浅知恵に映るのオレだけか?
トラブルに遭遇しないとトラブルの対処法は身につかないわけで。
自他の違いを認めることが、みんなそれぞれ違うという認識に繋がり、違いに対する優しい視線……差別の防止になるわけで。
「平等」と「画一化」はちゃうねんで。そして画一化すると失われるのは大事な個性。「普通」と「平凡」は同じものの別の見方。
話書いて寝ようっと。
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