娘にとっては人生の半分
幼稚園の3年間を総括してみる。
「靴を履き替える」という概念すら理解できなかった娘が、今やいっぱしのお姉さん気取りである。「おもしろい」「言葉が丁寧」それはどの保育士&ママさん’sからも聞こえる話。
「はじめましてわたし○○と申します。よろしくお願いします」
とか挨拶するらしいのだ。
教えたつもりはない。ただ、教育テレビの「日本のお作法」みたいなコーナーは見ていたし、好きなアニメ……宮崎、アンパンマン、プリキュア、どれも言い回しは丁寧だ。TPOも含めて自然に吸収したのだろう。足下もおぼつかぬ赤ちゃんの延長線から、見事「一人前の子ども」(なんぢゃそら)にメタモルフォーゼしたと言える。もちろん幼稚園で勉強したわけでもない。底抜けに遊べが基本コンセプトだからだ。このことはオトナが頭ごなしに躾けるのではなく、子ども同士のコミュニケーションにちょいとアシストするだけで、子どもは自然に他人との距離感や、自分の中のオンリーワンを見出して行けるだという実証であるともいえる。「これが『良い』からこうしろ」ではない。成り行きを経た結果『良い』なら「良いね」なのである。考えた末の結論に太鼓判を押されれば、子どもはその結果が「何故良いか」を体得する。「もうすぐ一年生のお姉さん」まこと理に適った3年間の成果ではないか。何も文句はない。
ところで、この幼稚園はそのコンセプトの影響もあろうが、送迎バスを出さず、母親が自分の手で送り迎えをして下さい、というのが一つの大きな特徴になっている。これが生み出したのが、「ママさん’sネットワーク」だ。確かにバスに乗せればおしまいとは違い、毎朝同じ時間に同じメンツが顔を合わせる。バザーや幼稚園など父母会で支えて行く活動もある。お義理ではない人付き合いが生じるし、情報交換を経て関係が密になる。そこにメールとネットが加わり、離れていても「瞬時のつながり」を保持する。
オレサマの場合、自分の幼稚園がテストと行進練習を有するタイプだった故に、このような幼稚園の有り様はカルチャーショックと言って良かった。しかしこれがあるべき姿だとも思った。隣近所と共同で子どもの面倒を見る。共同体であり群れである人間の原始の姿であろう。
「お引っ越し?じゃぁ目一杯みんなで遊ぼう」
卒園後にこうしてイベントを組み込む幼稚園がそう多いとは思わない。
確かに転勤引っ越しはこうした人の「つながり」を引き裂き、新しい群れの構築を要求する大きなストレスである。しかし、ここで培った関係はネットの助力を得て維持されようし、群れの一員として戻る場所があることを示す。大きな一つの宝といえるし、成功体験として、新たな群れの構築に生かされることになるだろう。
「お引っ越しは大変だ。でもね、あちこちに友達が出来て行くことでもあるんだ」
あちこちに友達がいる。追ってそれは人生の宝といえるほどの価値を持つ。
「遊ぶ。みんなで一緒に遊ぶ。イエス様の導きによって」
ただそれだけ。でもそれこそはあるべき姿じゃないのか。
子どもは生き生きと遊ぶ。その過程で身体が覚えたことに、後々勉強小理屈が結びついて理解になるのだ。ブランコで遊んだ経験のない子に、振り子の性質を理解させるのは難しい。
頭に詰め込むなんざいつでも出来るのである。ただ、年齢相応の遊びはその年齢じゃないと出来ない(※)。幼い頃から習い事マンセーのご時世だが、娘は少なくとも友達を作るにはどうすればよいか知っているし、山に行ったら林の中に飛び込むと楽しいと知っている。「うちの子お受験」あーそうかい。ウチの娘は野生のヘビに触った経験があらぁ。「お父ちゃんは毒ヘビは取らないよね」その通り。
溢れるほどの宝を持って、娘は新しい土地へ旅立つ。
※実は「大きなお友達」の幾ばくかには、こうした「幼時体験の欠如」を追って補填しようという心の働きに寄るものが含まれているのではないかと見ている。男の子は男の子「だけ」集めてはいけないのである。
« はなれてつながる | トップページ | さよなら運転 »
コメント
« はなれてつながる | トップページ | さよなら運転 »
「お受験くん」→検索
ホスファチジルセリン/phosphatidylserine
細胞膜の材料。リン脂質。はぁ、そうですか。
以下、検索結果はサプリと健康食品のオンパレード。あのね、本当に何か有意な効果があるなら、論文なり特許なりが出ます。でも何も出てこない。
(11)【公開番号】特開平7-17855
(43)【公開日】平成7年(1995)1月20日
(54)【発明の名称】脳機能改善組成物、学習能力増強剤、記憶力増強剤、痴呆予防剤、痴呆治療剤、または脳機能改善効果を有する機能性食品
出願細項目記事 査定種別(拒絶査定)
審判記事登録記録 査定不服審判 2004-018467 請求日(平16.9.7) 審判(判定含む) 請求不成立 最終処分日(平19.4.11)
「出願」はしたのです(ぱてんとぺんでぃんぐ=PAT.P)。でも「成立」しなかった。ちなみに出願したのは大洋漁業。つまり缶詰でおなじみ「マルハ」さん。超メジャーさんです。が出しても霞ヶ関を納得させられなかった。
これが全てを表していませんか?
ちなみに、記憶って脳細胞同士のネットワークが太くなる現象なんですがね。細胞膜物質取ってもネットワークの形成には関与しないと思うんですけどね。
投稿: すのぴ | 2009年3月16日 (月) 23時42分
おひさしぶりですm(^^)m。
私は…保育園も高校も、もう廃止になっちゃいましたねー…
娘さんの幼稚園の姿勢、良いですね(^^)。 確かに「縁」がどんなふうに発展するか判らないけど、そこが人生面白いし、可能性を感じますよね(^^)v
投稿: 新村☆由美子 | 2009年3月18日 (水) 22時45分
どーもどーも。
「子供は遊べ」
全く単純なことがテーゼになってしまっている。
普通でよいのに何を堅苦しくしてしまうのでしょう。
アナタとワタシをこうしてネットでつないだのはたった一文字「胸」ですよ。世の中そんなもん(^^)
投稿: すのぴ@3.14159265358979323 | 2009年3月18日 (水) 23時57分