おばあちゃんのおもいで
5時になる前に携帯電話がブルブル。
メールじゃない。
仕事中の時間帯と判っていて電話してくるのは、クレジットカードの本人確認か。電話を開くと、
〝母親〟
んなもん、緊急事態に決まっている。
そして、絶対、ろくなもんじゃねぇ。
「何かあった?」
『ばあちゃん、死んだ』
母の母。オレの祖母。娘の曾祖母。
記憶が正しければ大正10年の生まれ、88歳。
「急だな」
母親本人はさておき、オレも弟も駆け付けるかどうかをメールでやりとりしたのみ。
兄弟して小さい頃さんざん遊んでもらったのに、冷たいというかクールというか。
中学高校と進学すると「おばーちゃんち行こう」ってもんじゃなくなるし。
少しずつ、少しずつ疎遠になる。
脳梗塞で倒れ、統合失調の傾向が現れ、やがて母さえも判らなくなってしまった。
「祖母と孫」で会話しなくなって10年。
オレ達はクールなのだろうか。
兄弟で押しかけ。
近所の公園に遊びに行き。
無類の昆虫嫌いだった祖母は、何を取ってきても「えずか~」(博多弁:怖い)
庭を埋め尽くす祖父の鉢植えコレクションをイタズラしてると「うてあわんと」(さわるな・相手にするな)
宿題放置してれば怒ったし。
オレ達が成人してから一度だけ東京に来たことがある。クルマを運転するオレ達が「小さな子ども」のイメージと大いなるギャップだったのだろう。時々敬語が出てきたりして、どんな態度で接していいのか判らない。そんな風情だった。
祖父が逝ったのは神戸震災の年。
叔父が二世帯住宅とし、しかし昼間は「嫁と姑」。
「福岡の工場に出張があるからさ」
脳梗塞で倒れる前の祖母に会ったのはこの時が最後。先立たれた衝撃は祖母から生気を奪っていたように思う。ただ、就職してスーツ着たオレの姿に祖母の目は輝いていた。いや、そう思いたい。
倒れたのは2001年だったか。
「リハビリ嫌がって」
母と叔母はこぼした。「大正の母」のプライドは娘や息子に「失敗する姿」を見せたくなかった。母親はそう分析した。そうかも知れない。或いは張り詰めていたものが切れてしまい、どうでも良くなってしまったか。
祖母は萎縮していった。次第に閉じこもり、塞ぎ、コミュニケーションが減っていった。
叔父夫婦と、叔母と、苦労話を合間に聞いた。
いわゆる寝たきり。
動かさない筋肉は縮んで固まる。
介護士が無理に身体の向きを変えようとして太ももを折ったとか。
足首の些細な傷が放置され、何と切断する羽目に。
「もう、あってもなくても」
それ、医者が言うセリフか。
人間が人間に対して言うセリフか。
故障した機械部品を取り外すんじゃねぇ。
オレのばあちゃんだぞ。
『容態が急変したんだって』
ゴールデンウィークのまっただ中、一枚だけ取れた航空券を手に母は羽田を発った。
『もう……見る影もないよ』
1000キロ向こうから母は言い、その最後に東京に来た時一緒に撮った写真を収めたと言った。
『電器屋行くならDVD買っておいて』
!?……ああ、RAMのメディアのことか。
どうでもいいことが無性に気になる、それは心が受けた衝撃の重さを物語る。
おばあちゃん。ありがとう。
また会おうね(^o^)
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