勝手に日食前夜祭
どうもこんばんは。サイエンスする子供たちの味方ブログ、オレニュースです。←ものすごいウソつき
こうなりゃ日食ネタで続けてしまえ、という。
博物学。
●人と日食
煌々と輝いていた太陽が何者かに食われてヘタすりゃ真っ黒になるわけで、そりゃ古代の人々には恐怖そのものだった。
これに「周期性」があると気付いたのは少なくともカルデア人とされ、紀元前800年紀の頃まで遡る。この周期をサロス(Saros)という。18年と10日と8時間(6585.3212日)ごとに同じような日食が起こる、というものである。ヒッパルコスなんて紀元前200年頃の天文学者だが、彼はこれ使って日食を予言した。すなわちその時代にこれだけ細かい数値が判っていたわけで、時間を掛けた精密な観測の賜物である。逆に言うとそれだけ大きな興味を持って観測されていたと言える。
●日本人と日食
日本の神話は天照大神(あまてらすおおみかみ)を原点とするが、この女神は名の通り太陽の神格表現であり、有名な天の岩戸隠れは、日食がモチーフと考えるのが自然であろう。ちなみに、記紀に登場する最古の日食の記録は推古天皇36年(西暦628年)。日本書記に、「日、蝕(は)え尽きたる」と記載されている。ただこれは推古天皇自身の崩御と重ねてあり(実際日食と相前後して亡くなっている)、「尽きたる」は日食自体を示した物ではない(部分食であった)。ただ、推古天皇が女帝であり、天皇家の始祖は天照大神とされているので、現物太陽と、現身である天皇の崩御のシンクロは、当時の人々に非常な神秘と畏怖をもたらしたに相違ない。
(天文シミュレータ但し東京)
この他に源平合戦中に金環食が生じ、白昼の突如の薄暮に源氏方が驚いて敗走した、などが日食に関わるエピソードとして残っている。
(同)
●400対1の偶然
地球から見た太陽の見かけの直径と、月の見かけの直径がピタリ一致すること。そして地球と月と太陽が一直線上に並ぶことで「皆既日食」が成立する。月は地球に火星サイズの惑星が衝突(ジャイアント・インパクト)を起こして誕生したとされ、地球誕生期の頃、その位置はより地球に近く、当然見かけの大きさも大きかった。従って「皆既日食」自体はより頻繁に生じたと考えられるが、月の方が遥かに大きいのであるから、コロナの領域もかなり隠され、単に真っ暗闇だったのではと容易に推測できる。
一方、月はその頃から徐々に地球から離れて行くように動いており、当然、億年先には月は今より遠くなり、見かけの直径も小さくなって、月は太陽を隠しきれなくなる。私たちがこの時代に生きて皆既食を見られるのは、大きさと時代という二つの偶然の賜物である
●それは地球表面を時速4400キロで動いて行く月の影
「影踏み」は誰もがやったことのある遊びだと思うが、要するに月の影がはるばる38万キロの彼方から地球まで届く現象が日食である。1億5千万キロ離れた太陽と、38万キロ離れた月が、地球上に直径250キロの「影」を落とす。地球は自転し、公転し、月も公転する。3つの速度が重なる結果が、影の移動速度時速4400キロである。
(地球に落ちる月の影by気象衛星ひまわり)
皆既食が見られる人は羨ましいが、部分食しか見られない我々でも、たとえ曇っていたとしても、その時暗くうそ寒いのは間違いなく月の影が私たちの上を通過している証拠であり、私たちが宇宙空間の中にある地球という星にいて、太陽に育まれているという宇宙からの答えである。
温度計で10分ごとの気温を測定し、同時にデジカメで周囲の状況を撮っておくだけでも良い記録になる。
●次は東京の真ん中で
この次の日食は2012年5月21日朝。東京都心を含む日本南岸沿いを進む月の影によって「金環食」が見られる。
太陽と月と地球と、地球の上に立ってその3天体が一直線に並ぶのを見ているあなた。
400対1の奇蹟の証人に、ぜひ。
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