今日の放蕩
…とりあえずエプロン取らせてね←見えないっての
ごそ…
「麺より具が圧倒的に多い焼きそば」
ばっさばっさぶった切ってじゃんじゃか焼きました。しかしまぁクッキングと言うより「エサの製造」だな。コーミソース万歳。
さて大概にしないと鉄カテから見えた方が怒るので。
本日このブログ「オリエント急行」で検索して見える方がヒジョーに多い。
すると実家の妻からメッセ飛んできて。
「オリエント急行廃止。乗りに行けないねぇ」
は?
って調べたらこういうことだ。
【ロンドン時事】22日付の英紙インディペンデントによると、アガサ・クリスティの推理小説でも知られる夜行列車「オリエント急行」の運行が、今年12月に廃止される。戦争による停止や路線変更など曲折を経ながらも欧州鉄道史に輝かしい足跡を残してきたが、夜行のコスト高もあり126年の歴史に幕を下ろすことになった。
オリエント急行は1883年に運行開始。1930年代の最盛時には仏パリとトルコのイスタンブールを結んでいたが、第2次世界大戦後は自動車や飛行機の発達で縮小の一途をたどり、2001年にはパリ~ウィーン間に、07年には仏ストラスブール~ウィーン間に短縮された。
12月12日午前8時59分ストラスブール着の列車を最後に、時刻表から完全に姿を消す。(2009/08/23-05:31)
確かにオレはオリエント急行車両の模型を買った際にネタにしており、検索すれば出てこよう。
そして、それを読めばこの新聞記事の意味するところが判ると思うが、かいつまんで書くとこうだ。
1883 ワゴンリ社の手により運転開始(パリ-ストラスブール-ウィーン-ソフィア-イスタンブール)
1921 シンプロン・オリエント急行登場(パリ-ミラノ-トリエステ-ソフィア-イスタンブール)
1930年代 「オリエント急行」と名付けられた列車は経由地の違う4本が設定。最盛期。
1934 アガサ・クリスティ「カレー行き寝台列車の殺人」(オリエント急行殺人事件)発表
1939 戦争により運転休止。
1949 復活。但し速度、サービスは戦前水準以下。
1962 シンプロン・オリエント急行廃止~アガサが描いた姿での運転終了~
→3つの列車に分解
ダイレクト・オリエント(パリ-イスタンブール。但し直通車は週2回)
シンプロン・エクスプレス(パリ-ヴェニス)
オリエント・エクスプレス(パリ-ミュンヘン-ウィーン)
1977 ダイレクト・オリエント廃止~ワゴンリ社車両連結終了~
1982 資産家シャーウッドが↑廃止車両を買い取ってリニューアル。アガサが描いた時代の姿に復古して再出発「ヴェニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス」(VSOE)
2007 オリエント・エクスプレス運転区間短縮(ストラスブール-ウィーン)
2009 オリエント・エクスプレス廃止
新聞記事が言っているのは、1962年に分割された生き残りのなれの果てである。但し、経路とダイヤは「本家」の血筋を引いており、遠い子孫と言える。もちろんダイヤだけなので、車両側に栄光の痕跡はカケラもなく、「なれの果て」という言葉がお似合いの「移動手段」である。座席車と簡易寝台車(クシェット)、食堂なし。まぁ仕方あるまい。ちなみに鉄道趣味上、「オリエント急行廃止」はイスタンブール直通とワゴンリ車が消えた1977年を指すのが普通。なのであまり感慨はない。
なお、復古車による「VSOE」の方は順調だ。公式を覗くと9月運転分パリ発は売り切れ、と、ある。こいつらは骨組みだけにしてほぼ作り直したので、まだ大丈夫だろう。なお、そういうことなので復古車の運営会社の方に問い合わせをしないように。
ついでに書いておくと、KATOが模型化した「ノスタルジーイスタンブールオリエントエクスプレス」の車両たちは、同じく金持ちのグラッツ氏が買い取ったものだが、こっちは復古を行わず、77年廃止の車両をそのまま走らせて、
そのまま日本へ来て。
その後グラッツ氏の経済破綻で行方不明である!
消息の取れた連中
4158(来日したプルマン車)→箱根ラリック美術館蔵
4013(シャワーカー)→チェコでプルマン車に復古改造中
さてオレも線路をいじろう。ここに模型のオリエント急行がドーンと入る。
以上アイロンが冷える時間を利用してお送りしました。
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