ケツくせ(Quel est ceci?)
テレビ番組が「くだらない」とBPOが勧告したとか。
http://www.bpo.gr.jp/kensyo/decision/001-010/007_variety.pdf
要するに「てめえらでおもしろがってるだけ」……今、連中の言う「シロート」、すなわち一般視聴者自身が出演している番組が幾つあるかご存じだろうか。収録会場でADの指示で拍手してるのは含まない。
オレの知る限り。
「パネルクイズアタック25」
これだけだ。
残りの「クイズ」は芸能人が芸能人に出題して芸能人が賞品だか賞金だか持って行く、そういうものだ。
本当に答えているのか。本当に判っているのか。
音楽産業もそうだが、彼らがこうした「消費者離れ」の原因にするのがネットである。しかし待って欲しい。それは要するにネットを上回るコンテンツを供給できませんということではないのか。
オレはメーカーの人間だが、仮に製品が売れないとして「他のメーカーの製品ばかり消費者が買うせいだ」と言ったら、人は阿呆馬鹿言うだろう。
ところがそれ通り越して、「他メーカー」の真似事ばかりして、その劣化コピーの無限ループを演じているのがこの連中である。全てが「どこかで見たような」しかも下らない。……誰が見るんだ。
いわゆる長寿番組というのは不変であってマンネリだが、プリミティブで普遍性を備えているから時代や流行におもねる必要が無く、「受け」がいいのである。水戸黄門は勧善懲悪。江戸時代だから現在進行の今に無関係。「プリキュア」だって女の子の変身願望だし、テーゼは「愛と正義」と真っ向プリミティブだ。
マンネリに対抗するのは「今までにないもの」となるが、流行もの、奇抜なものは、その新規性と刺激の強さ故に一定の注目を集めることが出来る。が、それに慣れてしまうと飽きられる。「ブームが去る」というヤツだ。だからこっちの戦略を選ぶなら、ブームが去ったと感じたら即座に打ち切る度胸と、次から次にネタを繰り出す創造性が求められる。
どっちにしても必要なのは、アンテナ高くして情報を収集し、それを練って見せ物に仕立て、タイミング良く放り込むという創造のプロセスそのものである。ええそうです。それこそメーカーの中の方はお判りだろう。新製品を送り出すプロセスと何ら変わらない。
しかしそれを今のテレビ番組がやってるか?
金と時間を惜しんだ結果が、この創造プロセスをある程度瞬間的にやってのける「芸人」「アドリブのうまい人」の多用。イコールどこ見ても同じという現状だろう。それを使わないとなればもう一つのプリミティブ「下品」の出番だ。エロ・グロ・ナンセンスなんて言葉があったが、ナンセンスのセンスが無く、エロはNGとなれば、グロだけが残る。BPOの言う下ネタ、いじめ・差別、バカ騒ぎ、命の蹂躙……そのまんまではないか。換言すれば男の子達が「うんこ・ちんちん」言ってゲラゲラ笑っている、まさにそのまんまである。黄門様以外の番組は肛門期か。洒落にもならねぇ。←下品だろ
ネットがネットが言う前にとりあえずテメエのケツ拭け。
或いは総武快速に乗ってホカホカおじさんに拭ってもらえ。
今のテレビ番組はHDDに取り込んで飛ばし見する。これで充分。ブルーレイに録る。何を?
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