加曽利貝塚とか
千葉だが6000年前に行ってみる。
加曽利貝塚。教科書登場遺跡のひとつである。同じ教科書遺跡の登呂は、期待して出かけて泣いた記憶があるが、こちらは果たして。え?何で逆サイドから入ったのかって?まぁ気にするな。
〝貝や土器及び草木の採取は出来ません〟
アッサリすごいこと書いてある。
ここはほぼ地のまんまの貝塚(すなわちまんじゅう山)と、その断面や住居の保存、博物館で構成される。
北貝塚断面。一番下が「素地」である関東ローム。見えている白いびっしりが全部貝である。食って捨てた殻が1000年ほどかけて積み上がってこうなったわけ。
掘って出てきた住居跡。後ろの白いのは同じく貝殻。
博物館では出土品の特集展示。入館料は大人60円子ども30円。
生の縄文土器。娘(120センチ)と比べて欲しい。デカいテラコッタ(厚みが均一)を作るのがどれだけ高度な技術レベルを要するか。特に陶芸をかじった方にはすぐ理解されよう。
それを「土と石と木と骨」だけでどうやって実現していたか、あなたならどうやって作りますか?
お茶をどうぞ。実用性の工夫とシンプルな造形、芸術的センスは古常滑に近い物を感じる。
……普通に急須スタイルだけど3500年前。
山ほどの貝がカルシウムの分解を抑制するようで、加曽利からは当時の人々の骨も良く出る。一応「ご遺体」なので写真はこれだけにしておく。説明文に再葬人骨という言葉があるが、土葬→白骨化→骨だけ移し替えるという習慣が当時あった。埋葬習俗は文化の指標。当然、邪馬台国の影響エリア推定なんかでも重要視。
ちなみに、常設コーナーにも埋葬状態の展示があるが、あれはレプリカとのこと。
本館展示。量的には充実しているが何せスタイルが古いし暗い。……えーと古墳時代と歴史時代の間飛躍しすぎだと思います。
鏃や釣り針。この記事冒頭でカンバンを写してあるが、あの辺が当時海岸。
外はこうなっている。……何か遺棄された村落みたいだなぁ。
で、フッと見下ろすとこういう有様。そう、リアルに貝がガラガラ落ちている。ン千年前、ここで誰かが食って捨てた現物。本物。時間の経過の、人の生き様の、ここまで海があった証左。おお、電波感じるぞ。
XPの壁紙じゃござんせん。遠い思いが聞こえた気がして撮った1枚。ここが集落の中心で祭祀と埋葬の場所とか。そのレプリカ人骨の本物がここから出たそうな。
不届きなバーベキューポイ捨てじゃないのよ。
……千葉の貝塚群は縄文末期に急激に衰退し、住んでいた人々も去った。気候変動で貝が減ったか、糧を得る手段が変わって貝が必要ではなくなったか、記紀に言う東方征伐によって異文化の侵入を受けたのか、真相は未だ明らかではない。
結果長く空白となり、追って海から離れたこの地で貝の山を見た人々は、その説明として、離れた海に直接手が届き、しかも大量に貝を食う巨人を想起して「でいだらぼっち」と称した。
21世紀になってなお、残っている謎のヒントが、この小山の中に眠っている。
我々の科学力は「でいだらぼっち」の真の姿を浮き上がらせることが出来るのだろうか。
なんてな(^^)
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