無駄な心配
「東せつな」
物語としての評価はイマイチと書いたフレッシュプリキュアの娘。歴代シリーズ唯一の「元・敵方」。この通り鑑賞に値する美少女であって、「大きなお友達」のウケはすこぶる良いようである。「キレイが勝ち」というフレーズの正しい使い方である。
が、無駄に心配していることがある。こいつのグッズって売れてるのか?
「元は悪者」というファクターは、子どもたちに「寛容」「不寛容」双方の認識をもたらすはずである。…そう、結構深刻なこと書いてる。
これは子どもたちが本能として有する「敵味方識別装置」の作用による。要するに怖い人には泣くのである。この能力は根本的に思春期における人格の成立…自己確立期まで保持されており、「何も知らない心と体」を危険から遠ざける役目を担う。「親はなくとも子は育つ」と言うが、それを本能面で支える機能であるし、これが鋭敏すぎて超感覚レベルになったとすれば、思春期前の娘が巫女を務める、というのもなんだかしっくりする。
それはさておき。
この機能は言葉を解するようになれば、耳から得た情報も援用し識別を強化する。「あーいうのは悪い、危険だ」と教えれば、基づくステレオタイプが作成され、新しい比較弁別ルーチンが追加される。道端のバッタすら怖がる男の子もいる一方で、うちの娘はヘビに触れる。
そしてそのまま大人になる。
すなわち、この敵味方の認識は、一旦レッテルが貼られると容易に変更されない。敵にして遠ざけておけば少なくとも安全が担保されるからだ。中国の冷凍ギョーザは二度と食わなきゃ政府の保証よりも絶対安全であろう。本能とはそういうものである。この観点に立つと、「いじめる」という行為はこの機能の暴走と捉えることも出来る。…だから、相当深刻なこと書いてるって。
で、「敵」なのである。一旦、敵、と定義された娘は視聴者たる子どもたちに取ってどこまでも潜在敵なのだ。子どもたちは受け入れるのか。
そして、受け入れなかった子にとって、受け入れた子は、どんな風に見えるか。
取り越し苦労だろうか。
この娘の名前で画像検索かけると20万近く引っかかる(貼り付けたのもそれで拾った)。キャプチャ・パロディ・2次創作イラストに大別できるが、2次創作がみんなどこかしら「引きずった消せない過去」を織り込んだ、少し物悲しい部分を含んでいることに実はちょっと、いや大いに心打たれたりした。大体アニメキャラに感化触発されて独自解釈のイラストを描くという行為は、感情移入・思い入れが原点に必要だが、心理描写で深入りしない子ども向けアニメでそれが出来る…畢竟描き手は繊細な感性の持ち主であると推察される。つまり描き手たちの繊細な感性に触れたものこそはこの娘の持つ影、というわけだ。そして間違いなく、この描き手達は「受け入れた」側と言える。但し、腕前から言っても年代的には自己確立期を過去形で語れる世代であろう。このことは、子どもの抱える痛みの中には、大人だけが理解し、大人が受け入れ、解決に手を貸す必要があるタイプが存在することを示唆する。
たかがアニメの女の子ひとりで何をどえらい話をしてるんだって雰囲気だが、ここまで考察が飛ぶ理由は一つ、シチュエーションはさておき、似たような事態は学校で容易に起こるから。…そう、相当深刻なこと書いてる。視聴者の年齢層が年齢層だからこそ、こういうキャラクターは安直に出してはならないのだ。出すなら出すなりの覚悟が要求される。
製作者側が「異質を受け入れよう」「許そう」をテーマに掲げてテーゼとしたなら大したもんだと書いておきたいし、そう思いたい。物語エンディングに向かって突っ走っているが、この「引きずった消せない過去」をどう精算するかは大きな課題のはずである。
「せつな」を「受け入れた」子どもたちが微笑んでいられるように。
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