初詣・豊葦原の中つ国~香取神宮~
てなわけで千葉に戻ってから初詣である。
「前厄なんだからね御祓いしてもらいなさい」
「前厄なんだからね御祓いしてもらいなさい」
「前厄なんだからね御祓いしてもらいなさい」
はい。はい。はい。
実言うとオレはあまりそういうの気にしない。いやむしろ神社本来の起源である八百万の神……自然の恵みへの畏敬と感謝に対し、現生利益の最たる物である厄払いは相容れない気がして仕方がない。でもまぁ、縄文人の平均寿命は35歳程度だったと言うから、40まで生かしてもらったお礼参りという意味があるならやぶさかではない。
「どこに行こうか」
「香取神宮」
単に年初というだけではない。下総に来て最初の年初詣でである。土地の一之宮、しかも日本全体としても屈指の古社参らずおけるか。
東関東自動車道佐原香取IC降りて2分。
駐車場はこんな場所。
『しかし、じつは鈴が自然に房状に密生するのである。湿原の薦・葦・茅等の根に、球・楕円・管状になった褐鉄鉱の団塊が密生した状態が「鈴生」(スズなり)である。』
(古代の鉄と神々/真弓常忠 学生社 1997年 p60)
以上前置き。
香取神宮。
ここは普通の神社と違う。違う故はリンク先公式から由緒でも覗いてもらえばよいが、日本列島形成の源流・根幹にその創始を見る。霞ヶ浦を挟んで向かい合う鹿島神宮と共に古代ヤマト王権の勢力東端を象徴する。伊勢神宮が正式には単に神宮と称することをご存じの方は多いと思うが、平安時代以前に神宮と呼ばれた社は伊勢と鹿島、そして香取の三社のみである(出雲大社はまた別の意味で特別扱いと考えられる)。中央構造線が太平洋へ至る末端でもあり、地震のナマズを封じたという要石を擁する。ヤマト王権を下支えしたのは製鉄技術ともたらした武器だという考えがあるが、その点ではこの地も鉄を産出する。
そう、十重二十重に意味を持つのはここが「日本国家」そのものの守り神であることを浮き彫りにする。お祀りしているのは言わば、国土そのもの。
感想は一言で言えば「境内にいると安心する」。理系の人間がいうセリフじゃないがそう感じてしまったのだから仕方がない。ここはいわゆるパワースポット……に、分類すれば相当するのだろうが、そんな軽薄なオカルト言葉では失礼な重く巨大な強さがこの社と境内を包んでいる。
二礼、二拍手。一礼。厄年の御祓いを受け、おみくじを引いて、宝物殿を覗いた。
今年は皇紀2670年というが、その前後には既に祭祀の場として機能していたに相違あるまいと思わせる。これは古代製鉄の手による、すなわち、上記茶色い土(褐鉄鉱)から作り出された鉄の盾である。鉄器は貴重品であったにもかかわらず、こうして献上されたということは、それだけ厚い信仰を集めていたと言うことであろう。
葦原の中つ国。当時この田んぼの部分は霞ヶ浦-太平洋海と繋がった湿原であり、恐らく一面に葦が生い茂り、その根元に鈴生りの鉄を抱え、ぽつぽつと島の点在する北東の方角、香取の海の対岸には鹿島の社が見えていた。
この国と世界を見守り下さい。
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