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2010年2月13日 (土)

死生観【死への恐怖の芽生え】

「驚き」はその要因に「恐怖」が含まれるから発生する、と言える。どんな小さい子でも驚くと泣く。「なまはげ」に大泣きしている子どもの図なんか風物詩。あの手の怖さは教えちゃないので、先天的に備わっている機能と見て良い。生き抜いて子孫を残すためには、死から逃れる情動が強い方が有利だ。

ただそれと「死んだらどうなってしまうんだろう」という怖さは違う。
「死にたくない」という思念が浮かんでくるのは違う。

戦乱が生じると死した兵が累々となる。古代戦闘は壮絶な人体破壊であって、当然、その状況は凄惨を極める。オオカミや猛禽など、肉食の動物が空から陸から群がる。
そして、やがて骨だけになる。その骨さえも消えて無くなる。

土に還ると言うが、それは縄文の感覚だと再生のための帰還だった。しかし、戦乱の時代は骨になってそれっきりという一方通行の意識を生む。

また、戦乱の現場では、瀕死の状況から死に至る過程を多く目にすることになる。業苦の声と共に意識が「消えて」行く有様を見るわけだ。

これは「2種類の死」という認識を与えるのではないか。
すなわち、神につながる死と、消えてしまう死と。
そして、負けることは消滅となるならば。

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