死生観【縄文】
元々どうだったという観点から話し始めるのが好きなので大昔から。
縄文時代。
この頃の平均寿命は男35歳程度だと前に書いたことがあるし、その筋の文献をめくればその辺の数値が出てくる。食糧確保が不安定でもこの位までどうにかなる……35歳限界説とかのネタ元に使われる。
但しこれは、確認できた骨を調べたらそうだった、に過ぎない。すなわち「たまたま現代まで埋まっていた」サンプルに過ぎない。
現実は15歳になる前に半分が亡くなったようである。そこまで生き延びられれば30~35歳までは生きられた、が正確のようだ。加曽利貝塚行ったと書いたが、乳児や幼児を納めた土器が多数出土している。
一方女性は20~24歳がひとつの変化点になるという。この年齢はそう、出産が命がけだったことを表す。現代でさえ病院を要するのに原始時代どうしていたかという不思議の答えはそれだ。リスクなりの犠牲があったわけである。であれば、出産が、女性という存在そのものが至宝であったか自明というものだ。
このように過酷な時代ではあったが、或いはその故か、生き延びることに関しては強い協調、それこそ友愛にの精神に満ちていた。骨折の治癒痕のある埋葬者、どころか、小児まひにかかって寝たきりのまま成人したと見られる埋葬者すらあるのだ。最もこれは執念執着に近いのかも知れない。
彼らは貝塚から出る。これは物理的には貝によって土壌がアルカリ化され、カルシウムが溶けずに済んだから、なわけだが、本で読んだどこぞの学者(失念)が素朴な疑問。
何で貝と一緒になったか。
貝塚は投棄された食いカスの山とされる。では、そこまでして仲間生かしておいて、死んだらゴミもろとも捨てたのか。
ほほ~なるほど。
他に貝塚からは動物の骨も出る。やはり食いカス、と一瞬思うわけだが、その時代動物の骨は鏃や釣り針など有効に活用されている。対し人は人であって「埋葬」されている。人と、人以外であって、扱いは区別されている。
しからば、特別な意図があって貝と動物と亡くなった人は同じ場所に、とは取れないか。というわけだ。
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