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2010年3月 5日 (金)

死生観【死の美化】

切腹。
 
え?神話宗教の時代から飛躍しすぎ?いやいや広辞苑に依れば平安時代後半から存在し、ネットで調べたら、それは源為朝が、さんざんオイタをした挙げ句、流された伊豆大島で征伐群に囲まれて行ったのが最初とか。最もその意図は「殺されて弄ばれるよりはマシ」という自決の意識より、最期を意識し、それまでの過ちを命捧げて償おうとした、という方が正しい解釈であるようだ。すなわち「人として最も価値あるもの=命」を自分で実践した、と言えよう。
 
この辺、同じ自殺でも海外とはニュアンスが異なる。北欧神話などを見ると、戦死して遺骸を狼に食われるのは名誉なことだった。狼は戦死者たちを主神オーディンの元へ迎えに来たのである。他方、ヘタに生き残るとそれはむごたらしく弄ばれた。小さい頃昆虫や小動物に命に関わる悪さをした経験をお持ちの方もあるかと思うが、あれを人間に対してもやるわけだ。人体損壊は嘲笑の対象なのだ。映画「ブレイブ・ハート」など集約された例ではないか。「自殺」はそれを避けるための「名誉を保持する最後の手段」だったのだ。
 
さておき、日本では自刃は武人に与えられた「権利」となった。死罪に対して「自分でやっても良い」という選択肢を授けるのである。逆に残虐という見方も出来るが、死を恐れず立ち向かうという武士本来のありよう……武勇を示す機会を罪人に与える情けだとも取れる。ちなみに、町人に自刃の権利はない。
 
最大の価値「命」その代償である「死」に格式と地位を与えた。そして、武士による支配が長く続いた。
これは日本の死生観に特異なベクトルを与えたのではないか。

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