死生観【宗教2】
「国家神道」
という書き方をすると、一気に大政翼賛でウヨウヨな電波ゆんゆんとなるわけだが。
西暦710~720年に文書化された伝承に罪はない。むしろ記紀の記述を元に、宗教的支配を試みたのが軍部と言う方が正確かも知れない。本末転倒して「日本の神話」「神道」言うとゆんゆんのイメージがくっついてしまった。
それはさておき。
「死」「殺害」は多くの宗教で処罰の象徴である。神という霊的存在の親玉を定義しつつ、肉体の消去を罰としても霊になるだけで実効力は無い気がするが、悪いことすると神様が殺すのである。だから権力がその権威を笠に着たか、或いは原始宗教に権力の恣意が含まれたか、定かではない。
古事記日本書紀(略して記紀)でもそのような傾向は見られる。イザナミさんはお産の関わりで命を落とし、黄泉の国で腐ってるトコ見られて怒る。他にも死んで生き返らせてもらった神様いるし、罪あるならこの矢刺され!と放った矢で死んだ神様もある。すなわち、神様でも肉体は滅びるし(但し魂は生き続ける)、肉体の死は前途無効で罰に使えるという見解があったことを表す。ただ、それを権力が生殺与奪の背景力に使おうとした意図は感じない。日本書紀なんか朝廷の恣意ふんぷんだが、言うこと聞かないと殺すぞ、という方向で編纂した様子はない。
ありのまま。である。
死ねば何も出来なくなる。死ねば腐る。でも魂は生き続ける。そして肉体に蘇る。
神様であっても、その万象は人の延長。
神または何らかの超越的絶対者、或いは卑俗なものから分離され禁忌された神聖なものに関する信仰・行事。
・神への感謝と帰依
・死後の解釈
・生き方の規範提示
少し違うのではなかろうか。
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