標準軌東京より鹿児島に通ず
九州新幹線の線路が山陽新幹線とつながった。
つまり東京から鹿児島まで1300キロあまりが新幹線で結ばれた。
子どもの頃に見たこの手の路線図において、どうやら、北海道~東京~鹿児島という日本の背骨を新幹線で結ぶという部分は、生きているウチに見られそうである。
駅、とりわけターミナルは、行き交う物に魔法を掛ける。
日常の駅中行き先表示に、突如遙か遠い地名が表示される。日常の中に非日常がふっと現れる、それは「逢魔が時」という言葉を思わせる。
小田原 熱海 博多 平塚 長崎・佐世保……
その行き先を見る時、そこへ向かう青い連なりをホームに見た時、その青いシグナルの遙か向こうの、機関車が食む二条の鉄路の向こうにつながる、それら町とのつながりを思う。
その逢魔が時を新幹線が奪っていったとよく言われる。オレもそう思う。いや確かにそうだ。「あさかぜ」は吹き去り、「銀河」は星となり、「はやぶさ」も飛び去った。
でも、新幹線の行き先表示を眺めるのも、それはそれでキライじゃない。
新大阪 博多 岡山 三島 名古屋 博多 広島 博多……
特に最近は博多行きが意外に多く走っていて、都度1000キロ西のその地に思いが馳せる。それは非日常という感慨とはまた違う「1000キロ向こうでもいつもつながっている」という感覚を呼び起こす。
その線路の向こうに、再び、熊本や鹿児島が戻ってくる。
もちろん、東京から直通が無いことは知っている。でもいいのだ。つながっている、と判っているから。奪った側が、再びつないでくれたと知っているから。
願わくば一度でよい、記念の列車が東京から鹿児島まで走ることを望む。その昔、急行「さつま」が2泊を要して走った道を、6時間少々で駆け抜ける有様を見てみたい。
博多-鹿児島90分。
大阪-鹿児島4時間。
よく考えれば、とてもすごいこと。
花開け「さくら」
舞い飛べ「つばめ」
……ここに「富士」が戻ってきたら、戦前の特別急行新幹線にてそろい踏みだが。
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