防災の日に寄せて【関東地区限定】
1923年9月1日午前11時58分。
神奈川県西部から房総半島沖を震源とするマグニチュード7.9の大きな地震が発生し、伴う大火事もあって東京は壊滅状態に陥った。「関東大地震」(関東大震災)である。死者10万5千。
9月1日はこれを教訓とした防災の日なのである。以上お子様向け。
関東の大地震と言えば、「○年×月にやってくる」「△年周期だから次はいつ」とか定期的にデマが飛ぶ。
しかし実際の所、関東で被害が出るような地震は、毎度メカニズムが違うと考えて差し支えない。「Newton」(=東大地震研)なんか5タイプに分けている。細かいので更に端折ると、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)と同じ活断層タイプ、プレート同士のせめぎ合いで生じるプレート境界震源の地震、そしてプレートの深いところで活断層が動くプレート内部の地震だ。但しプレート内部の地震は、震源が深い(上に乗っかっている質量が大きく、揺れが激しくなりにくい)ため、大きな被害は出にくいとみられる。
関東大地震はプレート境界タイプだ。河岸段丘の観測(大地震が来るともこっと持ち上がって壁になる。壁の下は波に削られて平らになる。それがまた地震で壁になる。壁の間隔を地層や貝殻の密度から推定すれば地震の周期が判る)から、このタイプは200年以上間隔があることが判っている。ちなみに同タイプの前の地震は「元禄地震」(1703年12月31日)と考えられている。
こうなると当面の警戒は、阪神と同じ「直下型」となる。この点関東はプレートが4枚重なってギシギシせめぎ合い、関東ロームに埋め尽くされた中にあって断層が隠れていると考えられている。鹿島・香取の両神宮に地震のナマズを封じた「要石」があると前に書いたが、地震の巣という神代の人々の認識は正しいのである。
で、その地震がどのくらいの割合で発生しているか。
★関東大地震1923
(29年)
△明治東京地震1894(プレート内部タイプ)
(39年)
●安政江戸地震1855
(73年)
●1782
(79年)
★元禄地震1703
(55年)
●慶安江戸地震1648
(33年)
●慶長江戸地震1615
↓これ以前の江戸はド田舎で鎌倉の記録が主体
(182年)
?1433
(140年)
?1293
(36年)
?1257
関東地震より87年が経過。
明治東京地震より116年が経過。
避難場所は把握されてますか?
緊急時の行動パターンは決まってますか?
非常持ち出しの準備は良いですか?
私たちは関東ロームの下の構造を知りません。
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