恋する風景【3】
かわいい、ちゅっちゅしたい。
「何このおっさんキモッ」
うるせー。
と、男が思うのは別に異常でも何でもない(仕方がないと言い方も出来る)。むしろ女の子にそーゆー感情を持たない男は機能的に何かおかしい。
無論、卑弥呼、天照大神に代表されるように性的な感情すっ飛ばして崇拝に行き着く、というのはあるかもしれない。ただ、女神の属性はオンナであって、その崇拝の基盤が結局「オンナ」の機能に発している事には変わりない。
二つの気持ちのどこが違うのか。
「自分(つまり男)の存在が、相手(オンナ)にとって有意義であることを目指しているかどうか」
・ちゅっちゅしたい→自分が。以上。
ここに選択肢がある。本能だけの動物に徹するならそれで良いだろう。されど人間としてはそれで良いのか。
「いいんだよ。それさえ果たせれば」
そうか。では出来なくなったら用済みってことだ。こっちがソノ気でも、相手がソノ気にならなきゃ成立しない。それこそオッサンやじじいに「ウッフンの関係」(このフレーズの(c)は豊田有恒)をOKするオンナがいるとは思わん。男が若くも美しくもないのと同衾(古!)したいか。オンナの側も同じだ。
・ちゅっちゅしたい→ホース型放尿器を装備した人体がただ食って寝輝を繰り返すだけ
行き着く先はこうなる。まぁそんな刹那な生き方もいい。正直オレも思ったことがないではない。でも、刹那な関係ってその「道具」だけがあればいいわけで、オレの内容はどうでもいいってことでもあるのだ。脳みそいらない。オレである必然性はないのだ。森山塔のえっちなマンガじゃないけどね。オレはそれをむなしいと思った。だからやめた。刹那がいいという人は頑張ってくれ。そしてこの先、そういう人が読む内容はない。
(つづく)
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