子育てより金儲け
ぐーぐるまっぷで「銀座二丁目」を検索し、地図中の「銀座二丁目交差点」の真ん中でストリートビューをぐるぐる動かしてみていただきたい。交差点の四隅に何がある?
そう、名だたる高額(敢えてこう書く)ブランドのショップが四隅に集まっているのだ。まぁそのうち一つは松屋デパートの一部だが。
その松屋と、隣の三越は銀座商圏の中核をなすデパートである。そして、両店のフロアガイドを見ると、昨今の「あきんどの力配分」を象徴している。
オンナ8割食い物2割。子どもと男は残りカス。
彼らは気付いているのだろうか?
子ども向けがデパートにない→子ども連れてデパートに行く意味がない→子どもはデパートを知らずに育つ→デパートに行かない大人になる=顧客喪失
男も同じ。まるでオンナのサイフとしてくっついてる男向けに、申し訳程度にスーツとゴルフ用品並べてりゃいいやみたいな感じ。10年前からゴルフとスーツ。いつまで経ってもゴルフとスーツ。とりあえずゴルフとスーツ。飲み屋のビールとお通しかっての。
なぁ、売れる物が売れればいいの?
それとも、お客さんに来て欲しいの?
実はコレで一番ワリを食ってるのは子供服と、何よりオモチャだと思う。場所を取り、当たり外れが大きく、流行り廃りがある。ええその通り売る側には不都合ばかり。結果、短期間に大量に捌けるモノだけ陳列する刹那の売り場。
デパートに限らず「オモチャ売り場」は、子ども達にとって夢の入り口だ。少なくとも自分にはそうだった(敢えて過去形)。商品と、人間と、時折の館内放送だけの店内にあって、そこだけは動き・光り・音を出す異空間だった。親が買い物している間をそこで過ごし、そして、サンタクロースに頼むモノを決めるのだ。そう、子ども達は
「自分で触って、自分で感じて、自分の感性で選べた」
それが今は、番組とタイアップしたメーカーがCMの中で「これを買え」。
品揃えを求めて大型玩具店に行くと、子どもの、下手したら大人ですら手の届かない高さまで商品が整然と積み上がる。確かに在庫は豊富だが、それは実のところ、
「買いたい物を客が自分で自由に持ってくるシステムの倉庫」
てだけ。倉庫に響くジングルベル。飾り付けは北の国。でもそこは「異空間」にはなれない。
売れる物売れりゃいいの?
子ども達が楽しいと感じるかどうかはどうでもいいの?
1コ何十万のバッグを手にする喜び。
1コ1300円のヨーヨーをサンタにもらう喜び。
バッグに何を入れますか?
それに遊び倒す喜びがありますか?
傷と一緒に刻み込む思い出がありますか?
子どもに大人の購買力はないよ。確かにね。
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