パワースポット
最近特定の神社名でぐぐると、そこがパワースポットだぁ旨のサイトやブログが沢山引っ掛かる。超能力娘の出てくる話書いてて否定もへったくれもないが、それらの中には、そっちの視点から言っても、「?」な内容がゴロゴロしている。
実は千葉には21世紀の本日ただいまにあっても、「禁足地」(きんそくち)すなわち立ち入ってはならないとされる場所が幾つか残っている。今でこそ関東平野の一部だが、縄文時代は海中だった部分が多く、当然中間には湿地帯でズブズブの時代もあった。底なし沼の状態だった場所もあろうし、……話のネタに使ったが、「南関東ガス田」と呼ばれる天然ガスの湧出地帯であって、濃度が高くて中毒起こした場所もあったかも知れない。現に今でも時々爆発してニュースになったりする。
一方で霞ヶ浦(往事内海)を挟んで配された香取・鹿島の両神宮は、「延喜式神名帳」(えんぎしきじんみょうちょう)において、伊勢以外で「神宮」と表記された格別の存在であり、現在も勅祭社として天皇家から勅使が来る。両神宮には地震のナマズを抑えているという「要石」があるが、日本列島を揺るがす大ナマズ「中央構造線」の終点がこの直下である。件の「パワースポット」の「パワー」の流れを地脈とか言うが、その点では「納得の行く」存在・配置であると言える。なお、古代の「東海道」は神奈川県三浦半島から東京湾を渡って房総半島に入り、その根本である香取鹿島を終着としていた。「東の海の道」そのものである。
太古シャーマニズムは災厄を防ぎ実りをもたらす方策を天地に尋ねる…が原初であるという説をオレは勝手に唱えるが、断層はのべつ動いてピエゾ効果による電磁波を放出しており、「巫女」がその電磁波を感じ取る電磁波過敏症の女性であれば、文字通り「神の声を聞いた」と書くことが出来る。或いは、地球は月の引力で自身膨張収縮を繰り返していることから、体内に月を抱く女性とのシンパシーなど巫「女」であることの必要性合理性を説明する状況証拠に事欠かない。畢竟、現代人であっても、その場所に立つことによって、遺伝子の記憶する太古のプログラムが呼び覚まされ、「大地の力を受け取った気になる」否定するほどのことはないのかも知れない。
ただ。
古代は応じた成果を大地に還元していたことも忘れてはならない。生け贄の風習は人命を対価とするに足る、それ以上の価値を天地神明に見いだしていた証である。翻って昨今の「ブーム」はどうであろう。「欲しいから、力がもらえるから行く」…それでいいのか。
神話に出て来る神武天皇、その後の日本武尊の「東方征伐」は武力制圧譚と言われるが、その実国土開発の労苦そのものであって、「努力」の軌跡に他ならない。「神様による上げ膳据え膳」では決してない。キリスト教もそうだが、示唆を与え努力に報いる存在が神である。
戻って、賜った豊穣の大地と、平均寿命35歳という過酷を切り抜けた父祖の「繁栄への願い」が21世紀我々に繋がっているのであって、結果だけ欲しいという姿勢はあってはならないと思うのだ。生命の基礎が次の生命へのリレーであるなら、父祖は困難を乗り越え立派にその偉業を成し遂げた。比して標の上に立ってスポットと喜んでいる輩は応じた仕事を為しているのか。
いじめ、子殺し、搾取による格差など、共食い的な世相が言われて久しいが、いずれも「欲しい物をむさぼるだけ」の心理の為せる技であって、「還元・循環」の欠如が根底にあるのではあるまいか。そもそもお布施や賽銭はそういう経緯で生け贄が姿を変えたものであり、本来感謝の表明であるのに、前払い金の雰囲気を帯びるようになったのはいつからか。入場料か、いいのかそれで寺社仏閣。
「努力せず、結果だけ要求し、感謝しない」
それは確信を持って、日本の国土と、八百万の神々と、父祖への冒涜に他ならず、そして相容れない。
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