原点VS変化【5】
コンテンツの扱い方にさんざんいちゃもん付けたので、コンテンツの内側から。
一般に保守本流の扱いは緩やかな変化を伴う現状維持がベストとかよく言われる。耳当たり良く聞こえるが、マンネリと変化の単なる折衷という言い方もできる。この場合、何も考えてない。
普通、大人というのは既に固まっている生き物である。それまでの経験を糧に生きている。
サザエさんは大人視点からある時点を振り返り、出来事をつづる。永遠の24歳である。
一方恋愛成就など、変化を伴う少女マンガは主人公が成長して行く場合が多い。
前者の場合、持ち駒・ネタのストックは幾らあっても不十分である。ただ日常生活が題材なので人が生きてる限り供給源はあり続ける。
後者の場合は主人公のパーソナリティ自体は変化しない。ただ経験に基づいて考え方が変化して行く。維持しつつ緩やかに変化して行くのである。
作るとしてどっちが楽か。実は後者だ。だって基本線を外さなければ変化してもいいんだから。成長というのは生き物として当然起こる現象で、それこそ自分の成長経験を活かせる。トランスファできる。読み手も成長経験を持っているので共感を得られやすい。むしろ前者の方が難しい。何か経験を糧にしたつもりで、出来ない、しちゃいけないのだから。同じレベルでとどまっていなくてはならない。そのくせ、同じこと繰り返しちゃいけない。するとここに結論が一つあって、とどまることを要求されていないし、作り手も考えていないのならば、こだわる必要はない。…一般に創作活動はこの結論が適用できる。
ちなみに、これが「プリキュア」「戦隊ヒーロー」あたりだと、毎度キャラ変わるが、展開そのものは似たような変化で構わない。なぜなら見る方が変化してやがて去って行くから。その「似た展開」の発見、黄金の不文律を見つけ出せればベストの現状維持と言える。但しプリキュアなんか全員出しなんかやったもんだから「全体を総括する世界観」の必要性が後付けで出てきてしまった。どう捌くか見ものだがそれこそ娘が成長するので見届けられそうにもない「ウチの親父10年もプリキュア追いかけてんだぜ。アフォかとヴァカかと」…でも娘はオレが自サイトに妖精を住まわせていることを知らぬ。
戻って。コンテンツ、実態的にはキャラクタが成長するのは自然・必然であって、ある時点で振り返ったとき「あのころと違う」と気づいても何ら悩む必要はないし、そうでなくてはならないと思う。経験が作品に反映されるなら作品が成長していて当然だからだ。この点でコンテンツ供給者…クリエイターは大人になってはいけない。
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